トウリ・アージンの今
~承前
「探しましたよ。まさかこんな所とは」
ジョニーに声を掛けたのは、3人組でやって来たヒトの男のひとりだ。
満面の笑みを湛えてジョニーを見ているヒトの男だが、どうにも見覚えがある。
ル・ガル官僚を示す制服姿の男に、ジョニーはハッと表情を変えた。
「……もしかして、イワオか?」
「そうです。ご無沙汰しています。お元気そうで何より」
「いやぁ…… ビックリした。まさか……大きくなったな」
ジョニーの知るイワオは、遠い日にカウリ卿の邸宅で見た少年の姿だった。
それが今はすっかり成長し、良い男になっていた。
「俺の覚えているイワオは……まだ子供だったな」
「今はすっかり小役人ですよ」
フフフと笑ってジョニーの近くへと腰を下ろしたイワオ。
その姿を見ているロニーは、イワオの顔をマジマジと見ていた。
「兄ぃ…… こちらの方は?」
このヒトは?と聞かないだけロニーも気を使っている。
恐らくはジョニーと接点があるヒトの倅だろうと見当を付けているのだが。
「むかし……まだビッグストン在学中にな、帝后リリス妃の実家へ行ったことがあるんだが、その時にカウリ・アージン卿の邸宅に居たヒトの少年だよ」
それがとんでも無い事を意味するのはロニーとて解っている。
過日、太陽王にヒトのつがいを下賜してくれと頼んだ貴族が居た。
ボルボン家に連なる衛生貴族のひとつだが、王はそれに激怒したらしい。
結果、その伯爵家はボルボン一門の中で無聊を託ったんだとか。
ロニーとてレオン一門を形作る衛生貴族の一家出身だ。
迂闊な事をして自分の家が大変な事になるのは歓迎しない。
つまり、ロニーは期せずしていきなり貴族の難しい現場へ放り出されたのだ。
「……って事は」
「あぁ。エディの……王の親類と思って良い」
ジョニーはそう説明したのだが、イワオは首を振りながら苦笑いだ。
冗談はよしてくれと言わんばかりの姿にロニーは怪訝な顔になる。
だが、少なくともそのイワオの周囲に居るガタイの良い男達を見れば……
――迂闊な事は出来ない
少々回転が鈍いロニーも、それ位のことは見て取った。
そして、主家たるジョニーの家に泥を塗らないようにしなければ……と。
「で、なんでイワオがここに居るんだ?」
「あぁ、それです。それで……探したんですよ」
「探した? 俺がここに居るのは知ってたのか?」
「えぇ、もちろん。レオン家の若旦那が訪問するって言われましたから」
イワオは涼しい顔でスパッとそう言いきった。
だが、それを聞いたジョニーの顔が一変した。
公爵家の若旦那と呼ばれた事では無い。
若旦那の行動が把握され、監視されていると気が付いたのだ。
その表情がニワカに厳しくなり、ジョニーはジッとイワオを見た。
「ひとつ聞きたいことがある」
「えぇ、解っていますよ。ですから来たんです」
全て承知だと言わんばかりのイワオは、スッと立ち上がってジョニーを見た。
改めてその姿を見れば、筋骨隆々とした堂々たる体躯だった。
「本来ならあり得ない対応ですが、他でも無いジョニー兄さんですからね」
イワオはスッと手を出し、こちらへどうぞの姿勢になった。
促されるようにジョニーは立ち上がり、その誘いに乗った。
「ロニーは部屋で待ってろ」
「ですが兄ぃ……」
「良いから待ってろ。おめぇが見るんじゃねぇ」
ジョニーの言葉には異を唱えさせない圧力があった。
ロニーは力無く『へい』と答え、ジョニーを見送った。
「ご配慮に感謝します」
「……迂闊な事は出来そうにねぇからな」
ジョニーの纏う空気が一変した。
まるで戦闘中であるかのような、そんな裂帛を感じさせるモノだ。
だが、あながちそれは無駄と言う事では無いらしい。
先を歩くイワオの背には迫力があった。
そして、ジョニーの後ろを歩く者達からも圧を感じるのだ。
――どこへ行くんだ?
押し黙ったまま街の中を歩くイワオとジョニー。
深夜と言うには些か早いが、それでも街は既に眠っていた。
「ジョニー兄さん……いや、レオン卿と呼ぶべきですね」
やや低い声で唐突にイワオは切り出した。
まるで冷たい刃だと錯覚するその声音にジョニーはゾクリと背筋を冷やした。
「……そりゃ、つまり……公式にはって意味か?」
探るように言葉を返したジョニー。
イワオは固い声音で返答した。
「要するにそう言う事です」
必要以上の言葉を発さず、ただ黙って歩いて行くイワオ。
その後ろを行くジョニーは、不安を持て余し始めた。
辺りを伺い、目印となるモノを探す。
万が一にも一目散に逃げ出さなければならない場合、この街は土地勘が無い。
――参ったな……
イワオの辿ったルートは、明らかに方向感覚を狂わせる為の道程だった。
幾度も角を曲がり、その途中ではカーブした路地を歩く。
ジョニー自身が良く知っているメチータとて同じ。
歩く者を惑わし、方向感覚を狂わせる街の造りなのだ。
「……何処まで行くんだ?」
我慢ならずジョニーはそう尋ねた。
ただ、その言葉が終わると同時、イワオは足を止めて振り返った。
しまった!と思った時には後の祭りだ。
今、ジョニーから見て一足一刀の間合いにイワオが入っていた。
改めて見れば、イワオの腰には短剣が隠してあった。
だが、ジョニーは丸腰だった……
「そう警戒しなくても大丈夫です。口封じなんてしませんよ」
努めて緩い声音を使ったらしく、先ほどの刺々しい空気は無くなっている。
だが、だからといって警戒を緩めて良いと言う事では無い。
「……随分宿が遠くなったなってな」
「もう大丈夫です」
イワオはすぐ目の前にある建物へと入っていった。
街の中心部からやや離れた、なんの変哲も無い建物だ。
その位置口にあるマークは水道設備を示すモノ。
建物へ一歩入ったジョニーは、その設備に目を見開いて驚く。
水力で動く大きな羽が回転していて、建物の奥へ風を送っていた。
「こちらです」
風のながれる通路は緩やかに下っていた。
イワオは勝手知ったる道だと言わんばかりに歩いて行く。
数メートル毎に灯りが用意してあり、暗い道を明るく照らしていた。
「……随分長いな」
「このまま地下まで行きますからね」
軽い調子でスパッと言い放ったイワオ。
だが、あぁそうですかと聞き流せる訳が無い。
地下に巨大な構造物を作るのは、相当な難工事だ。
ましてやこんなに巨大なモノを拵えるなど、国家事業級だ。
それを、公爵家の者ですら知る事無く行うなど、到底不可能な筈。
「……地下?」
「えぇ」
大した距離では無いと思うが、それでも随分と地下に降りたらしい。
明らかに空気が変わり、そろそろジョニーは不安感に押し潰されそうだ。
――まだかよ……
生唾を飲み込んで緊張するジョニー。
だが、そんな僅かな機微に気が付いたのか、イワオは急に足を止めた。
「お待たせしました」
足を止めたイワオの前には鉄の扉があった。
通路はまだ続いていて、終わりは闇の中に埋没し見えない。
暗闇を凝視したジョニーは、その終わりが見えないことに戦慄する。
これは何処まで続くのだろうか?と思ったのだ。
だが、そんな興味はリズミカルな打刻音で打ち消された。
イワオはその鉄の扉を幾度かノックした。
ややあって中からノックが帰ってきた。
明らかにリズムの付いた暗号と思しきものだった。
「さぁ、行きましょう」
イワオの言葉と同じタイミングで扉が開いた。
その扉の向こうは眩いほどの光があった。
目を細めて一歩進んだジョニーは、その中の光景に驚いた。
「……ウソだ」
ジョニーの前には、あの赤尽くめの男が何人も立っていた。
いや、男ばかりでは無い。豊かな胸の膨らみを見せる女も立っている。
パッと見で20人かそこらで、30人までは居ないだろうと思われた。
――どうする!
この数のケビイシが襲い掛かってきたら、文字通りに瞬殺されるだろう。
どうしようも無い状況まで追い込まれ、ジョニーは開き直るしか無かった。
「太陽王の隠密である検非違使の屯所へようこそ」
両手を広げ歓迎の意志を示したイワオ。
ジョニーは唖然とした表情で室内をグルリと見回した。
「太陽王の……隠密……だと?」
「そうです」
イワオは笑みを浮かべジョニーを見た。
目元以外を布で覆って顔を隠している者達の目が笑っていた。
「検非違使は軍にも警察にも議会にも属さない、太陽王直下の実働部隊です」
「……信じられない」
驚きの余りに短い言葉を絞り出して押し黙ったジョニー。
そんなジョニーを見つめる検非違使達は、フッと左右に割れた。
室内に道が作られ、その道の先にはひとりの男が立っていた。
ジョニーも知っているその男は、満面の笑みで両手を広げた。
「そうでしょう。普通は信じられないと思います。ですが――」
その言葉を発したのは、サクリクル家の当主である筈の男。
ル・ガルの表舞台から追放され、公式には行方不明になっている男。
太陽王の帝后リリスを殺し、怒り狂った太陽王に粛正された筈の男だ。
「――これは真実です」
得意そうに言うその男は、トウリ・サウリクル・アージンだった。
大公爵の地位も特権も全て剥奪され、平民以下にまで降格処分されたのだ。
ル・ガルに於いての平民以下とは、ヒトを含めた奴隷階級を指す。
つまり、生存権ですら否定されてしまう、最底辺の存在だった。
「……トウリ……君」
「ジョン・レオン卿。訪問を歓迎足しますよ」
広げていた両手を降ろし、三白眼でジョニーを見たトウリ。
ジョニーが知る姿とはほど遠い、随分と痩せきった姿だった。