尋ねてきた者
~承前
「なんか訳がわかんねぇっす」
茅街と呼ばれる小さな街の中心部。
通りを挟んで幾つか並ぶ商店街の片隅に、小さな宿屋があった。
その一室に通されたジョニーとロニーは、室内で寛いでいた。
「流れには乗るもんだ。捕って喰われる事もねぇだろ」
立派な貴族の姿ではなく、べらんめぇな無頼に戻っているジョニー。
その鷹揚とした姿は、やや心細くなっていたロニーを勇気付けた。
「それにしたって…… 一体なんだっていうんすかね」
ジョニーの纏っていた衣装を始末しつつ、ロニーは不安そうに呟いている。
押し寄せる不安をどう御する事も出来ず、それを誤魔化すように喋るのだ。
「ケビイシだろ。あの存在は街の中じゃ触れちゃいけねぇ事ってこった」
どっこらしょと掛け声を漏らし、ベッドに横になったジョニー。
正直言えば、生きるか死ぬかのピンチかも知れないと思っている。
口封じに殺しに来るか、さもなくばどこかに拉致監禁されるか……だ。
「……にしたって」
何かを言い掛けたロニーに目をやり、軽く笑みを浮かべてやる。
それなりに遊んでいたロニーだが、遊び人の経験値で言えばジョニーが上だ。
無頼を気取り、任侠の世界に身をおいていたジョニー。
まだまだ小僧でありながら、夜の街を肩で風を切って歩いた。
そんなジョニーだからこそ、危険のにおいには敏感だし用心も警戒もする。
「そう心配すんなって。今さらビビッたって仕方がネェ」
「……そうっすけど」
不安がるロニーを見ながら、ジョニーも改めてこの事態を反芻していた。
あの時。あの飯屋のテーブルに金貨をおいて立ち去ろうとした時だ。
――――イヌの御武家はん……
店を出て馬へと歩み寄った時だ。
女主人に声を掛けられ振り返ったジョニーとロニー。
そのふたりが見たモノは、店の前に出てきた店の男衆だ。
誰もがニコニコと笑っているが、それは楽しいからではない。
商売人が見せる愛嬌な愛想笑いであり、言い換えればただの作り笑いだ。
――こいつらやべぇ……
――目が笑ってねぇじゃねぇかよ……
ジョニーはグッと顎を引き、三白眼で店のヒトを見ていた。
――――こんなに心付けを戴きましておおきに
女主人が最初に頭を下げ、それに釣られ男衆が頭を下げた。
謝意を示したその姿だと言うのに、ジョニーの背筋に冷汗が溢れた。
――こいつら!
理屈ではない。純粋な直感でしかない。だが、間違いない。
ここに居る男の全てが、あのケビイシを名乗った男たちだ。
ヒトの姿をしたとんでもないバケモノたちだ。
ここでやりあうなら死は免れない。
ただの1人ですらも相手に出来なかったのだ。そのケビイシが……
――8人いる……
ジョニーの手がグッと握り締められた。
どうにも対処出来ないと悟り、覚悟を決めたのだ。
「……わざわざ見送ってもらう程の事でもない。馳走になった礼だ」
胸を張り、ジョニーはそう言って牽制を試みた。
何より時間を稼がねばならないのだ。
馬を繋ぐ縄を切り落とし、後は跳び乗って駆けるだけ。
その、逃げるための算段を必死で考えた。
――――ですが、コレでは貰いすぎどす
はんなりとした典雅なイントネーションが夕暮れの路地に響く。
だが、その言葉の中に、にじみ出る狂気をジョニーは感じていた。
――――江崎。イヌの御武家はんに御宿を御世話しなさい
――――夜道を駆けるのは危ないおすぇ
断れない……
ジョニーは生唾を飲み込みつつ、笑みを浮かべていた。
この極上のピンチはなかなか味わえない物だと気が付いたのだ。
そして、場合によっては人生の終点が訪れる。
ここで行方不明になって終るのかも知れない。
「宿を世話していただけるならありがたい。なぁ、そうだろ?ロニー」
容赦なく話を振ったジョニーがロニー横目で見た。
その目には『合わせろ』という意思表示があった。
「もちろんっす! 横になって寝れるだけでありがたいっすよ!」
引きつった表情でそう答えたロニー。
だが、その目は今すぐ逃げ出そうと言わんばかりだった。
――――ほな、ごゆっくり……
女主人はそう言葉を残し、再び頭を下げて店へと姿を消した。
店の男衆がそれに続き店へと消えて行き、小柄な男が1人残った。
――――江崎と申します
――――どうぞこちらへ
長い棒の先に丸い紙の玉が付いた不思議な灯を持ち、ヒトの男が歩き出した。
その灯は音もなくやって来る暗闇を照らし、広い通りの中でボンヤリと光る。
なんとも優雅で優しい光だとジョニーは思った。
むき出しの炎では、目に残像が残り暗闇を見通せないのだ。
――手練だな……
息を呑んで警戒しているジョニーとロニーは、馬を牽いて歩いた。
言葉もなく先導するヒトの男は、やや歩いたところで足を止めた。
一瞬身構えたジョニーだが、男は振り返って言った。
――――少々お待ちください
――――話を通してまいります
再び深々と頭を下げたそのヒトの男は、すぐ目の前の建物に姿を消した。
ややあって店から幾人もヒトの男が出てきて、ジョニーとロニーに頭を下げた。
――――店の主人にございます
――――部屋を用意いたしましたのでどうぞ
――――愛馬は馬係にお預けください
――――当方で御世話させていただきます
もはやコレまでか……
馬を失えば逃げる事も出来ない。
「世話になる。よろしく頼む」
ジョニーは馬の手綱を渡したヒトの男に小遣いを切った。
ル・ガル国内であるからして、ル・ガル通貨での心付けだ。
それに驚いたらしいヒトの男は『いただけません』と付き返しそうになる。
だが。
「今さら出したもんは引っ込められねぇ。いらねぇって言うなら神様にでもな」
その肩をポンと叩き、ジョニーは宿の客となった。
ふたりを送ってきたヒトの男は、興味深そうにジョニーを見ていた……
――さて……
小さく息を吐いて目を閉じたジョニーは心中で言葉を練った。
もはやまな板に乗った鯉と一緒だ。どうなるかは解らない。
「……まぁ」
小さくそう切り出したジョニー。
ロニーは相変わらず不安そうにしていた。
「しっかり寝て疲れを抜け。騎兵の本分だ。疲れを引きずらず、常に全力で当れるように心掛けろ。今さらジタバタしたって始まらねぇさ。だろ?」
ジョニーの言葉に首肯を返したロニーは、その段になってやっと旅装を解いた。
上官であるジョニーと同じように身軽になり、ベッドの上に腰を下ろした。
「……なんか軽く摘みますか?」
「腹は減ってないからな」
「わりと量があったっすよね。あれ」
「しかも美味かった」
「マジでうまかったっすね」
少しだけ緊張のほぐれたらしいロニーは、やっと素直な笑みをこぼした。
ただ、今のジョニーにはそれが脅迫と同じ意味だった。
――攻めてロニーだけでも逃がさねぇとな……
――……と、なりゃ……
「おぃロニー。下の食堂へ行くぞ。一杯やろう」
「へいっ!」
こんな時のロニーは素直でお調子者だ。
嬉々としつつ階段を下り、宿に併設された食堂へと顔を出す。
店の中は様々な種族が雑多に入り混じっているが、やはりヒトが多かった。
――この街はなんなんだ……
驚きを隠せないジョニーだが、それなりに場数を踏んだ貴族の余裕を体現する。
出来る限りにクールを装い、店のカウンターで酒を頼んだ。
「この街は初めてなんだが……ヒトが多いんだな」
「そりゃぁもぅねぇ――」
カウンターに立っていたバーテンまでもがヒトである街。
ジョニーはその事実に眩暈を覚えた。
「――世界中にいるヒトを集めて保護してくださりますからね」
「……保護?」
「えぇ。イヌの王様ってのは慈悲深い方ですな」
バーテンは何も言わずジョニーに浅いグラスを差し出し、琥珀色の酒を注いだ。
その酒は馥郁たる香りを漂わせ、僅かにとろみを感じさせる代物だった。
「ヒトの世界から落ちてきた酒です。かなりキツイので少しずつ転がすように」
そんな説明に笑みを添えたバーテンは、スッとジョニーへとグラスを押し出す。
同じようにロニーへも酒を勧め、口を付けるのを促した。
「うぉっ!」
遠慮無くその酒を流し込んだロニーは、酒の強さにむせっている。
おそらくはこれは、ヒトの世界のウィスキーだとジョニーは察した。
ガルディブルクの街で何度か口にした事のある代物だ。
「……ふぅ」
「どうです?」
「……美味いな」
ニコリと笑みを添えて満足げな表情を浮かべたジョニー。
バーテンはボトルのラベルをジョニーへと見せながら言う。
「これはヒトの世界でも特別なモノです。まぁ、ここですと落ちて来たモノを集めるしか無いんで、これは本当に特別だと思いますよ。なにせ、このガラスの瓶が割れずに済んだんですからね」
そのラベルには、ヒトの男が薫りを確かめる姿が描かれている。
何処の世界でもそうなのだろうが、情熱を注いだ仕事は必ず良い結果を残す。
ジョニーはグッと酒を呷り、ふぅと一息ついた。
その満足げな笑みに、バーテンは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ところで、ちょっと変なことを聞くが」
「なんでしょう?」
「ケビイシってなんだ? さっき小耳に挟んだんだが」
ジョニーの口を突いて出たケビイシの言葉にバーテンの顔が変わった。
ここでも禁句なのか……とジョニーは怪訝な顔になる。
だが、ここは上手く誤魔化さねばならない。
なんとなくだがジョニーとて全体像を掴みつつあるのだ。
勝負所は上手く振る舞わないとならないのだから、知恵を絞るしか無い。
「……なんか変なこと聞いたか? 触れちゃ拙いこと?」
ジョニーはあくまで素知らぬふりを決め込んだ。
前提を軽くする方が良い場合もあるからだ。
「……いや、聞いた事無いですねぇ。毛でも生えてる石ですかね?」
バーテンは変わらぬ声音で軽く言った。
だが、それは明確な意志の発露でしかない。
――はぐらかしている……
嫌でもそれを感じるジョニーは対処を思案した。
率直に言えばもはや我慢の限界で、締め上げて吐かせた方が早いと思った。
ただ、ここはゼル陵に寄り添う街で、恐らくはエディが守っているのだろう。
余り手荒な事をしたくないし、したらしたで碌な事にならない気もしている。
実際、このバーテンが放つ気配には、僅かに殺気染みた怒りの臭いがある。
――触れちゃいけないことか……
一瞬の間に沢山のことを考えたジョニーは、結局手仕舞いを選択した。
おそらくこれは、ル・ガルの暗部なのだろう。
何かを知っているウォークが隠したのだから、表に出てはいけない事だ。
「……そうか。まぁ、実際中身はどうだって良いんだけどな」
「でも、そんな事を聞いて、どうするんで?」
「んー、まぁ、興味だな」
「そうですか」
軽い会話だが、それは取り調べだとジョニーは直感した。
このバーテンは何気ない会話でジョニーの正体を探ったのだ。
――もしかして……
ふと、ジョニーの頭に恐るべきイメージが浮かび上がった。
この街事態がケビイシの拠点なのかも知れない。
そして、ここに居る全ての存在があの化け物かも知れない。
あり得ないと思いつつも最悪を想定しなければならない。
寝ている間にあの化け物がやって来る危険性だ。
「まぁいいさ。ごちそうさん。幾らだ?」
会計をしようと腰を浮かせたジョニー。
その刹那、店の戸が開き誰かが入ってきた。
そして、財布を出したジョニーの肩を誰かが叩いた。
「探しましたよ」
聞き覚えのある声が響き、ジョニーは振り返った。
だが、そこに姿を現した存在は、ジョニーの想像を遙かに超えていたのだった。