茅街
~承前
ゼルの道。
それは、かつてのル・ガル内戦においてゼル公が騎兵を直卒し駆けた道だ。
西方廻りでやって来るフレミナ支援の輜重隊を殲滅した古戦場でも有る。
その道を辿ったジョニーとロニーは、道中でその残滓を幾つも見つけた。
幾つも続く軍馬塚や騎兵を葬ったらしい塚が並んでいた。
大量の剣が突き刺さった場所もあった。
――ここはル・ガルの歴史そのものだ……
そんな事を思いつつ、ジョニーは馬上で敬礼していた。
己の職務に忠実であらんとした者達の残照が、そこに残って居たのだ。
「なんか街が見えてきたッス!」
「……だな」
痕跡を辿りながら夕刻に茅街へと辿り着いたジョニーとロニー。
そこは、北部山岳地帯から流れ出る小川が幾つも合流する氾濫原の街だ。
その川の一つは、王の揺りかごと称されるシウニノンチュを流れるらしい。
街の中に立つ案内には、そう記載されていた。
ただ、この街に入ったジョニーとロニーは、言葉を失って立ち尽くしていた。
そこで見た光景に、ふたりとも度肝を抜かれていたのだ。
「……信じられねぇッス」
ロニーは絞り出すような声でそう呟いた。
それも無理が無い話で、ふたりのイヌが見ているのは、文字通りのヒトの街だ。
「……現実とは思えねぇな」
「そうっすね」
氾濫原の中に巨大な中洲が存在し、そこにはこんもりと茂った小山がある。
その前には木を組み合わせた結界と思しき門が出来ている。
ふたりを横目で見つつ通りを行くヒトの数は夥しく、ジョニーは唖然としてた。
――なんだ……
――この街はなんなんだ……
そもそも、この世界にヒトは居なかった。
神の造りし世界の中に存在するのは、イヌやネコやトラと言った種族だ。
森や草原や山並みや、そう言った世界に住んでいる獣の中から神が選らんだ者。
神の姿に似せて作られた、選ばれし一族が、今この世界を動かしている。
その中に、そもそもヒトは居なかった……
この世界の住人であれば、誰もがそれを疑う事も無く自然と覚えるモノ。
ヒトと言う存在は異なる世界から落ちてくる存在で、異邦人そのもの。
この世界とは全く違う、ヒトばかりの世界からやって来る存在。
ヒトとは、神がこの世界の住人に与え給うた奇蹟であり恩寵だ。
それ故、この世界の住人は誰もがなんの疑問を持つこと無くこう考える。
ヒトとは神が与え給うた奴隷である……と。
だが、この街はどうだ。
そのヒトが。ヒトと言う種族が作った街は、整然としていて美しい。
なにより、そのどれもが楽しそうな顔をして街を歩いている。
――ありえな……い
ジョニーが知る限り、ヒトと言う生き物は、そのどれもが覇気の無い顔立ちだ。
奴隷という身分の中で生きているからなのだろうか。
明るさや快活さと言う部分が全く欠如している。
それこそ、ジョニーが知る限りにおいて、快活な存在と言えばゼルだけ。
いや、ゼルのフリをしていた、あのヒトの男くらいなモノだった。
「兄ぃ…… とりあえず宿を探しやしょう」
「あぁ」
茅街と呼ばれるこのヒトの街には、大手門に当たるモノが無い。
街を囲う柵も無く、また、街を警護する衛士も居ない。
――騎兵の2個連隊も居ればあっという間に……
ジョニーはそう見積もった。
何とも不用心で、尚且つ油断しきった街だ。
――――ちょいとそちらの……
――――イヌのお武家はん……
大通りに入ったジョニーを呼び止めたのは、幾つかある飯屋の女だった。
「俺を呼んだか?」
「へい。見たところこの街は初めてで?」
「あぁ」
「なら、うちで晩飯はどう?」
年の頃ならもう壮年に手が届いた位だろうか。
ヒトの寿命は長くて70年と聞くので、30か40前が良い所か。
明るい笑顔で客を呼び止める女は、ジョニーとロニーを手招きして店に入れた。
土間のままに机と椅子を置いた、何ともシンプルな店だった。
「何を喰えるんだ?」
「はぁ、そうですね……」
やや抜けた声で板場に声を掛けた女は、どうやら料理人を呼んだらしい。
真っ白の服を着た料理人が出てきて、ジョニーとロニーに頭を下げた。
「いらっしゃいやし。今日は川魚の良いのが入っております。煮でも焼いても美味いですが、オススメは油揚げでしょうかね。柔らかくなって骨まで食べられます」
立て板に水の勢いでそう説明した料理人は、右手に立派な魚を持っていた。
ギラギラと光を放つ美しい姿は、それだけで美味を想像させた。
「そうか。なら、任せる。荒野を渡ってきたから腹が減ってるんだ」
「へい。すぐにお作りいたしやす」
再びぺこりと頭を下げて調理場へと戻っていく料理人の背中をジョニーは見た。
衣服越しに解るほど、身体の線が歪んでいた。
――大けがでもしたのか?
訝しがっていたジョニーに気が付いたのか、女がそっとフォローした。
「うちの板さんはネコの国に落ちたらしいんですがね」
「ネコの国……だと?」
「へぇ。そこでまぁ、随分な思いをしたらしく、半死半生でここへ辿り着き、ああなるまでに3年掛かったんですよ。でも、ちゃんと回復して、今はあの通り」
「そうか。苦労したのだな」
心からの言葉を言ったつもりのジョニーだが、女は急に涙を浮かべ始めた。
この街では禁句と言うべき何か拙いことを言ったのか?とジョニーは焦る。
だが。
「へぇ。でも、イヌの王様の思し召しで、今はあの通りになりました。ありがたい事でございます」
「……………………」
なにか言葉を吐こうかとして、なんの言葉も出てこなかったジョニー。
そのジョニーを横目で見つつ、ロニーもまた言葉が無かった。
――――イヌの王様の思し召し……
それが意味するところはひとつしかない。
太陽王が。カリオンがこの街の成立に関わっていると言う事だ。
そして、その太陽王自身がそれを隠そうとしている。
相当根深い問題がここに有るのだとジョニーは思った。
ただ、その理由だけはどんなに考えても解らなかった。
「お待ち遠様でございます。目の前を流れる大河で上がったイワナの葛衣揚げにございます。味はついとりますが、そちらのレモンと塩をつけていただくと、なお美味いかと思いやす。どうぞごゆっくり」
板場を預かる料理人の腰が驚く程低い。
ただ、ジョニーの目の前にあるその川魚の揚げ物は、芳しいまでの香りだ。
一瞬だけ目のあったジョニーとロニー。
だが、意を決したロニーが先に魚へと手を出した。
良く磨かれたナイフで魚を解体し、レモンを搾って口へと運んだ。
「うわっ!」
ハフハフと音を立てて食べるロニーは、無心の笑みを浮かべていた。
美味い。美味いのだ。それは、美食家なレオン一門のジョニーも唸る味だ。
「……これは驚いたな」
淡泊な筈の川魚なのに、噛めば噛むほど味が広がっていくのだ。
こうなるともはやふたりの脳裏に仕事の文字は無い。
「すまぬが、エールがあればいただきたい」
「へいへい! 大丈夫ですよ」
店の女中が板場からビールを運んできた。
ル・ガルで一般的に使われる小さな木樽ではなく、ガラスの器だった。
「へぇ。こちらをどうぞ」
半ば本能のままにそのグラスを受け取り、一気呵成に飲み干したジョニー。
苦いばかりだが料理の味を引き立てるエールを嗜めるのは大人の証だ。
だが。
――ありえねぇ……
ジョニーはそのガラスのグラスを握り締め呆然としていた。
ガラス器は造作が難しく、同じ形を作るのは困難なもの。
だがそれ以上に驚くのは、このエールが持つ爽やかな苦味と微かな甘味だ。
「このエールは……旨いな」
「マジうめぇっす!」
調子に乗ってガブガブと飲んでいるロニーを横目に、ジョニーは思案に暮れた。
こんな川端に広がる粗末な街並みの何処でこれを作っているんだ?と。
そしてそれ以上に思うのは、これをどうやって作っているんだ?と。
――ヒトの世界の知識……
――或いはその技術をここで……
それは、ある一定階層以上の者ならば誰でも思う事なのだろう。
ヒトの持つ知識や知見。更には技術や工夫と言ったモノを習得したい。
全く異なる世界である筈のヒトの世界だが、そこで培われた技術は有効なのだ。
「すまぬ。これは何処で醸造しているんだ?」
「へぇ。街中にありますビール屋さんが樽で拵えております」
「樽で?」
「へぇ。なんでもこちらの世界の木は素性が良いので、ビールが素直だとか」
「……素直」
残っていたエールで魚を流し込み、ジョニーは息を一つついた。
この街はいったい何なんだ?と、ややもすればパニックを起こしかけていた。
ゼルの道を辿って辿り着いた中州の街。
その時点でジョニーはハッと気が付いた。
――ここはゼル陵だ!
――だが……禁足地だったはず……
国軍関係者のうち、佐官以上の者へ一斉通達された王の勅令があった。
それは、この山川合流の氾濫原地域を王の直轄地とし禁則令を発したのだ。
現場から叩き上げで育成されているジョニーは、20年ほど前にそれを知った。
足掛け20年に及ぶ尉官の下積みを経て、少佐に任官した時だ。
「番度ですまないが店の主人を呼んで貰えぬか。聞きたいことがある」
「へぇ。それでしたらあたくしが」
それは、最初にジョニーへと声を掛けた店の女だった。
主人を出せといってそれに応えた女主人は、少し離れた椅子へと腰を下ろした。
「なんでございやしょう」
「実は……ちょっと長い話だが」
ジョニーが切り出したのはメチータに現れた化け物の話だ。
それを退治した赤尽くめの男と、残して行った検非違使という言葉。
王都へ上がって調べたが、何処にもその情報がないこと。
そして、方々手を尽くし、やっと得られた情報は、ゼルの道を行け……だ。
ジョニーは王城の中で聞いた話だけをはぐらかし、自然に辿り着いた事にした。
ウォークやカリオンの事を出すのが、なんとなくよろしくないと思ったから。
だが……
「イヌのお武家はん…… そちらのお料理は当店のもてなし料理どす。そちらをお召し上がりにならはりましたら……どうか……お帰りください」
――どうかお帰りください……
ジョニーの耳に残ったのは、何とも典雅な響きで流れ込む女の声だった。
なにが拙かったのかと思案を巡らせたジョニーだが、答えは浮かび上がらない。
重い沈黙が続き、女主人とジョニーは押し黙ったままだ。
それは、裂帛の意志がぶつかり合う、文字通りの圧し問答だった。
「……なにか拙いことを言ったかな?」
「いえ。なーんにもあらしません。美味しく召し上がっていただければ、それでよーございます」
ニコリと笑った女主人はそれ以上の事を言わすに再び押し黙った。
それは、明らかに触れてはならぬ事に触れたと言う意思表示だった。
――なにが拙かった……
アレコレと思考を巡らせるジョニーは、内心で唸った。
その理由を思いついたからだ。
「この街でも……ケビイシとは禁句なのか?」
ジョニーの発した短い言葉に女主人は僅かだか表情を変えた。
哀しみを噛み殺して気丈に振る舞うかのような、そんな意地らしい顔だ。
「……ほら。お早くお召し上がりください。冷めても美味しいですが、やはり温かいうちが美味しおす……」
女主人はまともに取り合わず、涼しい顔で料理を勧めた。
その背後では、先ほどビールを運んできた女中が店の隅へホウキを出した。
早く帰れという意思表示そのものだが、それにロニーが激昂しかけた。
「おぃちょっと待てやこ『ロニー!やめろ』
ロニーを手で制し、ジョニーは残っていた魚をサクサクと片付けた。
グラスに残るエールを全て飲み干し、笑みを添えてテーブルへと戻す。
「いやいや。本当に美味かった。料理人殿にもよろしく伝えて欲しい。ただ、もてなしと聞いて、じゃぁごっそうさんと帰るには私も心苦しい。こう見えても公爵家の縁者でな。厚かましい事は出来ないんだ。故に――」
ジョニーは懐のサイフから金貨を取り出した。
「――代金じゃなく心付けだ。どうか皆で使って欲しい。世話になった。ますますの発展を祈らせてもらうよ」
ジョニーはそういうと、その金貨をテーブルの上において店を出た。
直接手渡せば拒否するのが目に見えていたからだ。
全部承知でそう振舞ったジョニー。女主人はその金貨をジッとみていた。