検非違使
~承前
――マジかよ……
その衝撃をどう表現して良いのかジョニーは理解できなかった。
全身火だるまになった化け物は、燃え盛る納屋の中から飛び出してきたのだ。
相当頑丈な筈の石壁を殴って破壊し、その穴から飛び出てきた。
「ありゃ筋金入りの化け物っす!」
ロニーの言葉も驚きに震えていた。
それがどんな事態なのかを表現するには、常識が邪魔だった。
どんな人間でも自分の経験の範囲が常識という概念の範疇となる。
未経験の事や未知の事は、どれ程口で説明しても理解出来ない物だ。
「取り敢えずお前ら勝手に死ぬな!」
さしものジョニーですら、そう叫ぶのが精一杯だ。
発火の魔術を使い、灯明油に着火させて焼き殺す算段だった。
ところが、この化け物はそれを軽々と越えてきた。
――どうする?
この化け物を相手にするには、弓矢だの槍だ太刀だのと言った武器では無力だ。
そもそも、ル・ガル国軍は功城兵器などの類いが一切無いのだから仕方が無い。
城攻めと言ったイベントが無い以上、その手の兵器は必要とされない。
そして、必要とされないのだから進化が無いし進歩も無い。
戦術的な研究や戦略的な使い方も導き出されない。
つまり、完全な手詰まりだ。
――参ったな……
井戸にでも落として蓋をし、干殺しにでもするしかない。
ただ、井戸たけに水はあるので、少々では死なないだろう。
あの巨体なら体力的な部分で相当余力があるはず。
「どうしたもんだろうな……」
珍しく弱気の虫が顔を出したジョニー。
その時、ロニーは影の中に蠢くモノを見つけた。
「兄ぃ! あれ! あれ! なんすかね??」
ロニーの指さした先。
立ち並ぶ商店街の建物は、全てが3階建ての高層建築だ。
その2階部分にある屋根の上には、月の光の差し込まない影があった。
だが、その影の中に何かが見える。
こぼれ落ちる月光の二次反射を受け、うすらボンヤリとディテールが見える。
――野良猫でも出てきたか?
屋根の上で野次馬を決め込んでいるのか?と、ジョニーは目を凝らす。
夜目が効くとは言いがたいが、それでもジョニーの目は何かを捉えた。
――人だ……
それは、暗がりの中に立っている人のシルエットだった。
あまり背のある存在では無いが、少なくともチビでは無い。
中肉中背で、どちらかと言えば引き締まった塊感のある姿だった。
――なんだ?
この極限状態だというのに、ジョニーの興味はそっちに移った。
正体を確かめてやるか……と、そう考えたのだ。
それは、決して興味本位での事では無い。
あの、無茶苦茶に暴れ回る化け物と何かしら関係があるかも知れない。
そう考えても不思議は無いし、無理も無い。
だが。
「あっ!」
誰かが鋭い声を発した。
一瞬だけ対処の遅れたジョニーは、その声の正体を確かめようと辺りを見た。
それは、化け物に向かって肉薄していく騎兵の、その最期のシーンだ。
どう見たって蛮勇で無謀な突撃だ。
勝ち目のない戦いを挑む事ほど、愚かな事は無い。
――ばかやろう!
声にならず心中で叫んだジョニー。
案の定と言うべきか、その騎兵はまるで鞠の様に吹っ飛んでいた。
裏拳を見舞った化け物の見せる、凄まじいまでの一撃。
それは、文字通りに我が目を疑うようなものだった。
馬上にあった騎兵はその愛馬ごと吹き飛ばされ、壁に叩き付けられていた。
胸甲があった分だけ胸部へのダメージは少なそうだ。
だが、少なくともその姿はまともとは言いがたい。
身体中の各所から血を滲ませ、蹲ったまま動かないでいた。
――まずいな……
ここで一発気合を見せ、肉薄して救助に駆け寄ってやりたい所だ。
しかし、あの化け物はまだ健在で、おまけに頭は良い具合に沸き立っている。
少なくとも、迂闊に肉薄して良い状態では無い。
もっと言えば、自分の身が可愛いなら迂闊な事はするな……と、そんな状態だ。
「あっ!」
次の対処を思案していたジョニーの耳は、ロニーの声を捉えた。
どこだ?と視線を走らせた時、ジョニーはあの暗がりの影が動くのを見つけた。
2階の屋根に登っていたその影は、ゆらりと動いて明るい場所に出た。
「何者だ!」
ロニーの誰何する声が聞こえる。
そんな中、その影はゆらりと動き、ジョニーの目の前へと飛び降りた。
まるでネコのように足音一つ立てない、驚くべき身のこなしだった。
瞬時に戦闘態勢へと切り替わったジョニーは、愛槍のグリップを握りなおす。
そして、誰何の間も一切油断する事無く、相手を睨み付けていた。
「お前は?」
低く威を伴う言葉で相手を確かめたジョニー。
その影は月光の中にあって神秘的な存在にも見えた。
だが、だからといって看過して良い存在でも無さそうだ。
何者だろうかと訝しがるジョニーは、ジッと相手を見つめていた。
「……答える義務は無い」
――はぁ?
割と若い声でそう答えた影は、薄暗がりの中でも解る朱の衣装だった。
身体のラインが浮き出るほど身体へフィットした姿は、その正体を雄弁に語る。
「お前は……ヒトか?」
「もう一度言う。答える義務は無い。それより――」
相手を喰って掛かるような物言いにジョニーは激昂しかけた。
ただ、その影の襟倉へ手を伸ばした時、思わず手を引っ込めた。
その襟倉には太陽王を示すウォータークラウンがあった。
身を包む衣装が真っ赤なのは王宮騎士を示す腰帯と同じ意味。
つまり、この影は王宮からの使い……
「――この場にいる騎兵全てを今すぐ撤兵させろ。邪魔だ」
「……撤兵してどうするんだ?」
「あの覚醒体を回収しに来た」
理解し得ぬ言葉が漏れ、ジョニーは対処に逡巡した。
覚醒体などという言葉は聞いた事が無い。
どう対処するべきかをジョニーは思案する。
だが、同時進行で騎兵たちはどうにか仕様と化け物に挑み続けていた。
「見れば分かるだろう。あの覚醒体は炎では死なない。刀傷はあっという間に回復するし、刺さった矢など簡単に引き抜く。君らでは対処出来ない存在だ」
「だからといってお前に対処出来るのか?」
嗾けるような物言いをしたジョニー。
その言葉に影の纏っていた空気が代わった。
「知らぬのならば仕方が無いか……」
呆れるような言葉が漏れ、ジョニーも顔色が変わった。
ただ、そんな事を歯牙にも掛けず、その影は淡々とした口調で言った。
「私は検非違使」
「ケビイシ?」
「そうだ。あの手の、まるで化け物のようになってしまった者を回収している」
「じゃぁ、あれは化け物じゃないのか?」
「勿論だ」
何を今さら……
そう言いたげな空気で佇む影――検非違使――は、ジッとジョニーを見ていた。
頭の天辺まで布で覆った姿だが、それは紛れもなくヒトのシルエットだ。
「どうやって?」
「それを答える義務もない。それより、これ以上犠牲が出る前に撤退しろ」
検非違使はあくまで上から目線での物言いを続ける。
ジョニーはこれ以上の問答も無駄だと思い、ロニーを呼んだ。
「ロニー! 距離を取れ! 徐々に後退しろ! 後段組から順次撤退だ!」
大きく手招きするように撤収を促したジョニー。
その姿にロニーが言葉を返した。
「マジっすか! あれ! どーすんすか!」
「俺が知るか! とにかく撤収だ!」
「……へい!」
納得いかないと言わんばかりのロニーが撤収を開始する。
もちろん、騎兵たちも納得いかないと文句を言っている。
だが、じゃぁどうするんだ?と言われると、全く対処法がなかった。
あの検非違使の男が言う通り、槍や矢の傷は完全に治っていた。
「あと5分ほどで撤収が完了する。これで良いのか?」
「良くない。まだ君が残っているよ。大佐。君も撤収だ」
「……はぁ?」
完全にキレた。
誰もがそう思う声でジョニーは答えた。
「おいおい…… 黙って聞いてりゃ調子こいてんじゃねぇのか? あぁ?」
その言葉が終わる前、ジョニーは右の拳を検非違使の男へ叩き込んだ。
鋭い踏み込みから強烈な一撃を見舞ったジョニーだ。
緋耀種の男が打ち込む拳の威力は、大の男を撃沈出来るレベル。
だが、その拳は検非違使の身体を叩く事は無かった。
ジョニーの拳は、まるで岩でも叩いたかのような感触を伝えてきた。
検非違使に向かって叩き込まれた拳は、検非違使が手で止めていたのだ。
「調子に乗っているわけでも嘗めているわけでもない。純粋に邪魔だから撤退しろと言ってるだけだ」
検非違使の言葉が冷たくなった。
身にまとう空気は鋭利さを増し、一瞬だけジョニーは肝を冷やした。
戦術とか度胸とか、そういったものの全てを超越する圧倒的な存在の感覚だ。
――勝てない
理屈ではなく直感として悟る、圧倒的な実力差。
どうやっても太刀打ちできない存在なんだと飲み込むしかない存在。
「見学するのは自由だが、太陽王カリオン陛下のご学友をこんなところで失ってしまっては申し訳がたたない。故にこれは、個人的な希望として、大佐にも安全なところへの後退をお願いしたい」
検非違使は太陽王カリオンの名を出した。
それを言われては、ジョニーとて納得するしかない。
「そこまで言われちゃ仕方ねぇ」
ジョニーは不肖不肖にその場を離れた。
数歩歩き、後ろを振り返ったとき、検非違使は上衣を脱ぎ上半身を露にした。
全く無駄の無い引き締まった身体が闇に映えている。
――すげぇな
ジョニーですらも惚れ惚れとするような身体だ。
しかし、その身体か一瞬膨れ上がったようにみえた。
――えっ?
言葉を失いその光景を呆然と眺めるジョニー。
眼差しの向こうにいる検非違使は、あの化け物と同じ姿になった。
覚醒体と検非違使が言ったとおり、完全無欠の戦闘スタイルに変わっていた。