血は流すけど殺せない
~承前
「……ロニー」
「へいっ! 兄ぃ!」
「ありゃ……なんだ?」
「えー……」
ジョニーと並んで馬に跨がるロニーはわずかに思案する。
「兄ぃの呑み友達とかっすかね?」
軽い調子で軽口を叩いたロニー。
横目でちらりとそれを見たジョニーも呟く。
「そういやロニー。フィーメ峠の冬番に空きがあるらしいが、紹介状いるか?」
冬場のフィーメ峠と言えば、トンでもないブリザードの吹き荒れる場所だ。
そんな峠のてっぺんには避難小屋があり、越冬体制で旅人の便宜を図っている。
その峠は雪と氷を苦にしない一族にとってポイント稼ぎの絶好の場だ。
平民出身でも5回ほど越冬すれば男爵位は間違いないと言われている。
そして、生涯に30回の越冬を経験した男爵が伯爵位に推挙されていた。
「じょっ 冗談っすよ! 冗談! 嫌だなぁ兄ぃ 真に受けちゃ アハハ……」
平地で暮らす者にしてみれば、そこは地獄と同義の場所だ。
当然、毎年の様に越冬希望の者が続出するが、平地民には不人気の場所。
そんな避難小屋は懲罰的な転属の定番だった。
「で、ありゃ……」
「こんな事言いたくねぇっすけど――」
ロニーは手にしていた槍をブンブンと振り回して音を立てた。
名状し難いその何かは、背中を見せていたらしいと二人は気が付いた。
振り返ったそのバケモノは、建物の中で死んだ者を貪っていたらしい。
「――こりゃ、正真正銘のバケモノっすね」
この世界にある筈も無い事だが、西方地域というのはラテン気質傾向が強い。
どんな事ですらも、余り深刻には捉えず、楽天的・楽観的に見てしまうのだ。
そして、イケイケ傾向の強いル・ガル国軍の中にあっては致命的な事態となる。
物事を深く考える事も無く、とにかくやってみようと、まずは行動になるのだ。
結果、危険な花を開かせてしまう事もしばしばだが、当人達は一切悪びれない。
全力で事に当たるのは美徳であり、決まった事に口を挟まないのは常識だ。
大体まず持って、隊長からして『とにかくやれ』を命じるのだから始末に悪い。
「とりあえず…… どうしやす?」
「どうするもこうするもねぇ」
ジョニーは後方の弓隊を呼んだ。
強力な弩弓を装備した投射力の強い集団だ。
「あの背中に射掛けろ。ガンガンやれ」
「へい!」
命令とは言いがたい言葉を聞き、命令に応えるとは思えない反応が返る。
それと同時、夥しい数の弩弓が轟音を響かせ、鋭い矢が空を切った。
「どうだ!」
「……なんか効かねっすね」
およそ、弩弓という武器は普通の弓よりも威力がある。
矢が短い分だけ命中精度は悪いが、重量のある矢を強く放てるのだ。
だが、その矢を背中に幾つも受けた化物は、平然と食事を続けていた。
「……やっぱ効いてねっ」
ロニーがぼやいたのも無理はない。
ざっくり50本の矢を受けた化物は、クチャクチャと咀嚼し続けていた。
「第2斉射だ!」
「へいっ!」
ただ矢をつがえて弦を引けば良い弓と違い、努弓は射つまでに時間が掛かる。
その装填を行っているとき、化物はスクッと立ち上がった。
背中に刺さった矢をつまみ、まるでゴミでも払うように抜き取った。
「あちゃ……効き目なしか」
心底ガッカリと言わんばかりにロニーがぼやく。
だが、ジョニーはその光景にニヤリと笑った。
「いや、多少は効いてるな」
「マジっすか!」
「よく見ろ。ちゃんと血が流れてる」
「あ、ホントだ!」
ジョニーは弓隊に『背骨を狙え』と指示した。
それなりに効果があるなら、やられて痛いところを叩くのが常道だ。
「ぶっ放せ!」
再び鋭い音が幾つも響くと同時、化け物の背に矢が突き刺さった。
この手の武器に共通するのは、とにかく集中投射すると言う一大原則だ。
一発一発の威力が乏しいなら、集中的に使うしか無い。
それこそが弓を使える兵科として存続たらしめている理由だ。
――――ブモォォォ!!!
「……情けない声だな」
「ホントっすね」
化け物の叫びをそう評したジョニー。
ロニーも同意を示すのだが、化け物にはあまりダメージが無いようだ。
「……しかしまぁ、本当に化け物だな」
ゆっくりと振り返った化け物は、その濁った眼でジョニー達を睨み付けた。
その姿は、生命の危機すらもあまり深刻に考えないメチータ兵を怯えさせる。
「へぇ……」
不敵に笑ったジョニーは『後退!』と指示を出す。
そして、同時に愛馬を後方へ一気に下がらせ距離を取った。
――ヤベェかな……
なんとか対処法を考え無きゃ拙い。
ジョニーの脳裏にそんなイメージが浮かんだ時だった。
化け物はジョニーとロニーがいた辺りへ突進した。
まるで巨大な岩が転がってくるような、そんな迫力だった。
メチータ兵が悲鳴染みた声を上げて逃げ出しかける程だ。
「おぃおぃ!」
留まっていると危ない。
水は流れ続ける事で威力を受け流す。
そんな教えを思い出したジョニーは、化け物の周囲を動く事にした。
だが。
「なんかヤベェッスね!」
唐突に響いたロニーの声は笑っていた。
アホか?とそっちへ目をやったジョニーが見た物は、馬上で笑うロニーだ。
「こりゃ遊び相手にゃ過不足無しでさぁ!」
腰に下げていた馬上弓を出し、矢を番えたロニー。
レオン家に連なる緋耀種の男達は、走る馬上で腰を上げ、矢を放てて一人前だ。
黒耀種や猛闘種と言った喧嘩っ早い一族に比べ、緋耀種は気分にムラがある。
だが、そんなムラの存在も、相手が面白いとなったら話は別だ。
闘争心の強い一族を向こうに回し、面白い面白いと笑いながら戦う。
画に描いたようなウォーモンガーでバーサーカー。
それこそが緋耀種の特徴でもあった。
「それっ!」
鋭い音を放ち、馬上弓を限界まで引き絞って矢を放ったロニー。
弩弓と違い連射性で有利な弓の降下は、威力よりも弾幕として機能する。
ロニーに続きメチータ騎兵たちが一斉に動き出した。
十重二十重に化け物を取り囲み、次々に馬上弓で矢を放つ。
――行けるな……
ジョニーの脳裏に作戦が浮かび上がった。
馬上弓の効果が全く無い訳ではない。
事実、化け物はそれを嫌忌して移動を開始した。
「ロニー! その化け物を弓で誘導しろ!」
「へイッ! んで、何処へ!」
「そこらの納屋でも何でも良い。建物へ押し込め!」
「合点でさぁ!」
騎兵たちは打ち合わせも無しに投射力の制御を始めた。
化け物を誘導する為に、進んではいけない方向へ回り込み矢を放つ。
次々と矢を放ちながら、多くの騎兵が声を掛け合っていた。
この連動こそがル・ガルの強みであり、国軍騎兵の強さの秘密。
粒ぞろいの騎兵たちは、そのどれもが高水準で技量を揃えていた。
「アレだ! あの納屋だ!」
街角の一角。
恐らくは何かしらの資材倉庫と思われる納屋がそこにあった。
お誂え向きに、石壁の内側には藁と油があった。
「誰でも良い! 油を調達しろ!」
ジョニーの声に槍騎兵が『ヤー!』を応えて動き出す。
程なく街の油屋から灯明油が供出された。
「ロニー! 納屋へ逃げ込ませろ!」
「あいよっ!」
納屋の前まで誘導した騎兵たちに混じり、ロニーは馬上槍を構え投げつけた。
やり投げの要領で中を飛んだ槍は化け物へ命中し、さすがの威力に逃げ出した。
「よしっ! ドンドンやれ!」
ロニーの声に続き、騎兵たちが槍を投げ続ける。
鋭い穂先は化け物の身体に突き刺さり、血を流し始めた。
「血を流すなら殺せるってな……」
ジョニーはふと、遠い日にカリオンの父ゼルから聞いた言葉を思い出した。
そして、その言葉の意味をいまここでようやく理解した。
どんな難敵ですらも、無敵では無いし、死なないと言う事も無い。
――よしっ!
化け物が納屋へ逃げ込んだところで、ジョニーは納屋へ油を掛けた。
そして、この10年ほどの間にル・ガルへ広まった新しい技を使った。
――ソレイ・ロ・リォ……
几帳面で研究熱心で体系だった分析と研究に長けたイヌの美点。
それは、王城を中心に行われてきた魔術の体系化と簡易化だった。
火を付ける。物を冷やす。風を起こすと言った簡易的な魔術。
だがそれは、ル・ガルの生活を劇的に改善し始めていた。
そして、いまこの場に於いてその効果は……
「よっしゃ!」
騎兵たちが一斉に歓声を上げる。油を撒かれた納屋に着火したのだ。
轟々と音を立てて燃え始める納屋は、内部にも延焼が起きたようだ。
納屋の内部から断末魔に近い絶叫が響き、皆が勝利を確信した。
さすがの化け物も、この業火では死ぬだろう……
誰もがそう思ったのだ。
だが……
「……マジかよ」
ロニーがそう呟いた時、納屋の中に踊る影があった。
炎の中で化け物が暴れ、その直後、納屋の壁をぶち壊して化け物が姿を現した。
誰が見てもすぐにわかる、全身に怒りを湛えた恐ろしい形相で……だった。