バケモノ
――――急報!急報!
駆け込んできた男はそう叫びながら建物の奥を目指した。
街外れに構える国軍の駐屯地には、凡そ3000人の騎兵が所属していた。
一騎当千の強者共が揃う国軍騎兵の中でも近衛師団に最も近い集団。
国軍第一師団の最精鋭がこの街に駐屯している。
それは、取りも直さずル・ガルの国情による物の為だった。
ル・ガルから西方を目指し進めば、そこにあるのはネコの国。
それは、遍く地上を照らす太陽の地上代行者。太陽王の3代目を屠った国家だ。
この街に駐屯する国軍第一師団の精鋭達は、そんなネコの国への備えだった。
――――市街地東部に侵入者!
――――繁華街の中で大暴れ中!
何をバカなことを……
それを聞いた誰もがそう思った。
街の東部と言えば一番の市街地であり、また人工密集地だ。
そこはある意味で国軍にとっては庭のような場所。
非番も含め、常に100人単位で軍人が居る場所。
また、衛士と呼ばれる街の警備機構も目を光らせている。
不審者や侵入者などは問答無用でしょっ引いてしまう連中の巣があるのだ。
そんな場所までノコノコ進入出来るなどとは到底考えにくい。
腕っ節の強い何処かの無頼が酒でも飲んで暴れているだけだ。
駐屯地にいた騎兵たちはそんな悠長な想像をしていた。
悪い酒に酔って現実を見失い、通行人などを薙ぎ倒しているのだろう。
率直に言えば面倒臭い事態だ……と、誰もがそう思った。
……だが。
――――現状で死者4名!
――――負傷者は50名を越えています!
――――国軍騎兵に出動を要請するとの事です!
ここに至り、騎兵たちは事態の深刻さを理解した。
ただ、国軍の統帥権は一に太陽王にある。
つまり、街の長や自治会長と言った役職に出動を命じる権限は無い。
故に、街の管理者はそれぞれの範疇・職掌範囲において手を尽くそうとする。
例えそれが、自らが持つ暴力装置の手に余る案件だったとしても……だ。
国家の暴力装置である軍の管理は、全て太陽王を頂点とする垂直系統。
その縦の線に横から口を挟む事など、誰にも出来やしない。
だからこそ街を管理する長は、自らがコントロールできる衛士を派遣した。
街の警察機構である衛士が助けを求めて軍に飛び込んでいく。
どうしたって縦割りになりがちなのが権力と言う世界だ。
そんな世界の垣根を越えて、助けてくれと要請したのだ。
それは、恥じも外聞も関係なく、純粋に助けを求めたというゆるぎない事実。
組織の手に余した……対処できなかったと言う恥をかなぐり捨てたと言うこと。
だからこそ、軍の駐屯所へ走りこんだ衛士は、参謀室へ直接通された。
「なんだってんだ……こんな時間に」
当直の士官付き下士官に叩き起こされ、参謀長は不機嫌そうに出てきた。
まだ寝ぼけ眼で乱雑に上着を羽織っただけの姿だ。
本来ならゆるされない事だが軍帽を阿弥陀に被っている。
それは、絶対あり得ない士官のダラシ無い姿で威厳もクソも無い状態だ。
だが、そんな参謀長は衛士の姿を見て態度を変えた。
手にしていた手ぬぐいを渡し『まず血を拭え』と言った。
全身に返り血を浴びていた衛士は、滴る血をこぼしながら走ってきたのだ。
暗い夜空にかんと月の冴える夜。
馬ではなく自分の足で走ってきた衛士。
手渡された手ぬぐいを朱に染め、顔の血を拭った衛士は言った。
――――街中に化け物が現れました
――――道行く通行人を殴りつけ4人を撲殺
――――さらには近くの酒場へと押し入り建物ごと破壊
まだ肩で息をしている衛士は差し出された水をひとくち飲み、続けた。
――――酒場の内部にいた客を次々と襲いました
――――内部の様子はうかがい知れませんが……
口籠もった衛士はいくらかの逡巡を見せた後、残っていた水を飲み干した。
そして、頭を下げて水の礼を返した後、決意したように言った。
――――間違い無く中は全滅です
――――少なくとも30人が死んでるはずです
――――我々ではどうにも対処出来ません
決然とした表情でジッと参謀長を見た衛士は、そのまま頭を下げた。
――――軍の派遣をお願いする次第です
――――色々と難しいのは重々承知しております
――――ですが、事態は急を要します
――――どうかお聞き届けください
一気呵成にそう続けた衛士は、深々と頭を下げ続けていた。
――――よろしくお願いいたします
――――ジョン・レオン大佐
――――――――ル・ガル西方地域 レオン公爵所轄領
グリーンステップ地方 メチーナ市
帝國歴 370年 4月 18日
「そうか……」
話を聞いたジョニーは一言手短に応えると、乱れた衣服を直し始めた。
それを見ていた衛士の男は、この大佐が出撃体制に入ったのだと気が付いた。
公爵5家の一つ。レオン家当主の長男として生まれたのだが、まだまだ修行中。
その為、現在のレオン家を預かるのはポール・グラハム・レオンだ。
彼はジョン・セオドア・レオンの甥であり、息子ジョナサンの代理に過ぎない。
王の意向により枢密院が組織され、各公爵家は世代交代を余儀なくされた。
だが、レオン家当主セオドア卿から見れば、息子ジョンはまだまだ未熟。
場数を踏み、危険を冒し、経験を積み重ねて行かねばならない。
故にいまのジョンは参謀長というポストの中で修行しているのだった。
「さぁ、行こうか」
ビッグストンを首席で卒業した男の身支度は早い。
馬上マントに戦闘ブーツ姿のジョニーは馬房から出てきた愛馬に跨がった。
「場所は?」
「ジョルジオ通りの酒場マリアーノです」
「解った」
数歩すすんだジョニーは騎兵がスタンバイを完了しているのを見て取った。
まずは自らが威力偵察だと思っていたのだが……
「兄貴! お供いたします!」
騎兵の先頭にいたのはジョニーの妻リディアの弟、ロナルドことロニー。
ジョニーよりも10ほど若いロニーもまたビッグストンで揉まれてきた騎兵。
そして、その周囲にいる騎兵たちは、その全てがレオン家一党だ。
「野郎ども! 抜かるんじゃねぇぞ!」
「へい! 兄ぃ!」
この西方地域はル・ガルの中にあって未だ独立国だと言われる事がある。
それは、地域の血縁や氏族同士の絆が以上に強固な物だからだった。
街の男達は誰もが顔見知りで酒飲み友達状態。
そしてそれ以上に、街の女たちが見せる組織力は凄まじい。
――――西方地域で素破働きは不可能
そう言われる最大の理由は、この男達の団結だった。
「出動!」
耳を劈くラッパを鳴らし、ロニーが出動の報を告げる。
その音が響くと同時、ジョニーは駐屯地の門を飛び出していった。
「兄ぃ! 賊徒はなんですかい?」
「知るか! 化け物らしいぞ!」
「へぇ…… こりゃ、今夜の酒が楽しそうだ!」
まだ身体の温まってない馬は、大して速度も出ないものだ。
ただ、段々とその身体がほぐれてくれば、速度も上積みされてくる。
真夜中の繁華街を全力疾走する馬上、ジョニーは手綱を放し槍を掲げた。
「速歩!」
馬の速力を落とした理由は特にない。
だが、ジョニーは正直面食らっている状態だ。
――この気配はなんだ?
いままでいろんな物を相手に喧嘩をしてきたつもりだ。
街の無頼や騎士崩れ。他国の侵入者に諜報機関の手練れ。
そのどれもが手強い相手だった。
ただ、後れを取った事など一度も無い。
それはジョニーにとって一番の自慢だった。
「兄貴……」
ロニーの言葉が僅かに怯えている。
それも仕方が無いとジョニーが思うほどの異様な気配だ。
どう表現して良いのかジョニー自身が説明出来ない違和感。
それは、まるで巨大な物を目の前にした時のような感覚だった。
「野郎ども! ビビんじゃねぇ! ル・ガル騎兵の名折れだ! 行くぞ!」
部下を鼓舞し奮い立たせるのは指揮官の役目。
参謀長などタダの役職名に過ぎず、ジョニーの本業は指揮官だ。
やがていつか、国軍騎兵を差配し、戦を勝利に導く為の修行。
ジョニー自身がそれを嫌と言うほど理解しているからこそ、ここに居るのだ。
――――いつか、カリオンの手足となる為に……
異様な気配を物ともせず立ち向かおうとするジョニーを支えるもの。
言葉にすれば陳腐な物だが、自らに誓ったプリンシプルだ。
顎を引き、三白眼で前方を睨み付けるジョニー。
その眼が捉えたのは、半壊している酒場の姿だった。
「おぃおぃ……」
誰もが足を止めざるを得ない状況だった。
一面の血の海とは、こんな状態を指すのか……
ジョニー自身がそれを痛感する程の惨状だ。
半壊している酒場の中から鮮血が流れ落ちている。
まるでバケツに汲んだ水がこぼれるようにだ。
通りの真ん中にあるドブを目指して流れる血の川が波打っている。
「まだ中に何か居るのか」
馬上のジョニーは槍を構えたまま建物に接近して行った。
ここで一発気合と根性を見せておかねば、兄貴と呼ばれる資格が無い。
誰もが尻込みするような状況を前に、ジョニーは躊躇無く進み出た。
それこそ、街角の華でも愛でるように……だ。
だが。
「全員後退しろ!」
突然ジョニーは大声を張り上げた。
それに弾かれるように、全ての騎兵が距離を取った。
自身も後退したジョニーだが、そこに巨大な手が伸びた。
拳だけで常人の5個分はありそうなサイズだ。
――なんだこいつ!
ジョニーが息を呑むのも無理は無い。
半壊した建物の中に居たのは、名状しがたい姿をした、巨大な化け物だった。