決断<後編>
~承前
――何故だ……
カリオンは同じ事を何度も考えていた。
何度も何度もだ。同じ問いを行い、それに対する回答を探した。
――――殺すのを前提に痛めつけ、トドメを刺して殺してください
きっぱりとそう言いきったイワオの目は、狂を発した者の目では無かった。
それはまるで清かなる風の吹き抜ける、悲しいまでに誠実な眼差しだ。
そして、カリオンはそれを知っていた。過去に何度もそれを見てきた。
あの父ゼルを失った騒乱の最中、太陽王万歳を叫んで突撃した騎兵達の眼差し。
まるで子供のように純粋な笑顔を浮かべ、ただただ自分を慕っている男達。
例えそれがどれ程に理不尽であっても、その命に従い、死を厭わぬ者達。
国家の為、仲間の為、家族の為、喜んで死んでいこうとする若者達。
太陽王さえ生き延びればル・ガルは安泰だと、心魂からそう信じていた……
――イワオ……
カリオンの胸は張り裂けそうになっていた。
イワオの吐いた健気な言葉が肺腑を突き抜け、目に見えぬ血を流した。
自己犠牲の精神。己の命を差し出す勇気。自分へと向ける純粋な敬意。
今の今まで感じた事の無かった感情が、カリオンの中に沸き起こっていた。
つまりそれは、誰も失いたくは無いと言う精神だ。
ル・ガル権力の頂点たる存在として、人民を導く太陽王。
その肩書きを持つ自分自身を、カリオンは今まで疑問に思った事が無かった。
実力で得たものであるし、またそれに向けて努力を積み重ねてきた自負もある。
だが……
――あの勇気を裏切れぬ……
イワオの申し出た事をカリオンは拒否した。それは出来ぬと突っぱねたのだ。
これでもしリリスが死んだなら、イワオは後悔するだろう。
たとえ自決してでも、かさなりの真実を実験しようとしなかった事を責める筈。
自分の判断の甘さについて、許しを請うては無らない。
だが、後悔もまたさせてはならないことだった。
――どうするべきか……
夜更けまでカリオンは悩み続けた。
大きなベッドを一人で使って眠るカリオンは天井を見上げていた。
その翌日。
閣議の無い日故に、カリオンはリリスの病室にやって来ていた。
思えばこの半年ほどで、カリオンは同じタイムスケジュールを繰り返していた。
ただ、前日の様態急変を受けそのスケジュールが大きく変わった。
ハクトは急遽5日ほど時間を巻き戻そうとしていたのだった。
「もう幾度も繰り返しましたからな」
ハクトの目がカリオンを捉え、そしてそのまま床にある魔方陣に注がれた。
巨大な魔方陣が重ね合わされたそれは、ハクトが順次改良を加えていた。
「……なに、保険のようなモノです」
出来上がった魔方陣を前に、ハクトは笑って見せた。
そして、順次部屋へと現れる魔導家達の協力を仰ぎ、魔法回路を開いた。
「さて……」
莫大な魔力が流れ込み、魔方陣は鈍く光り始める。
時干渉による影響を最小限に抑える為、小まめな処置が繰り返されてきた。
だが、この日はそれが若干違っていた。
ハクトは急に、苦悶の表情を浮かべたのだ。
「ハクト! お止め! 無理だ!」
室内の片隅で魔力の流れを制御していたセンリが叫ぶ。
一瞬の間を置きウィルが魔方陣を破り、その魔法作用を邪魔した。
何が起きたのか理解出来ないカリオンを余所に、ハクトは突然吐血した。
魔方陣に鮮血の模様が浮かび上がり、同時に室内が一瞬だけパッと光った。
――なんだ?
浮き足だったカリオンは魔導家達をグルリと見回した。
そのどれもが驚きの余りに硬直していた。
だが、吐血して苦しむハクトを余所にウィルが金切り声を上げた。
「お嬢様!」
魔法制御を放り出し、リリスへと駆け寄ったウィル。
そこには、カッと目を開いたリリスが横たわっていた。
まるで生き返ったかのようにも見える姿。
だが、そのリリスに触れたカリオンは叫んでいた。
「リリスッ!」
リリスから一切の生命的な反応が消えていた。
鼓動も呼吸も無く、また、見開いた目の瞳孔は開ききっていた。
出血多量で死んだ騎兵と同じ姿。
魔法を使役出来ぬカリオンとて、その意味は解った。
「リリスッ! リリスッ! どうしたんだ!」
慌てふためくカリオンを余所に、センリはハッとした表情を浮かべた。
リリスの身体がまるで水のように透明になり始めたのだ。
それは、生ける者が死んで腐って、水へとなるかのようなものだった。
「陛下! ご決断を!」
ルフが叫んだ。
何を決断するのか、カリオンは一瞬だけ掴み損ねた。
だが、空白的な一瞬を飛び越え、カリオンは気が付いた。
今ここで叫んだルフは、つまり、リリスを殺せと叫んだのだ。
「……出来ぬ!」
カリオンにはどうしても出来なかった。
いまここでレイピアを抜き、ひと思いに斬り掛かれば良いのだ。
昨夜見たあの兎のように、首を切り落としてしまえば良い。
新たな魂に接続された身体は再生し、リリスは起きあがるはず。
だが、寝不足のカリオンは瞬時に奥深くまで思考を巡らせられなかった。
それが最終的に悲劇に繋がることだったとしても……
「……まさか」
極々僅かな逡巡だったが、その間に室内が動いた。
リリスを凝視していたカリオンが頭を上げた時、その向かいにリリスが居た。
ベッドの上で透明になっていくリリスの向こうに、透明なリリスが居たのだ。
「リリス……」
「やっと出られた!」
「え?」
「逢いたかった! エイダ!」
まるで幽霊のようにフワッと飛んだリリスは、カリオンへと抱きついた。
だが、カリオンの身体には何の衝撃も無かったのだ。
「リリス…… その姿は……」
「あのね! ずっと暗闇に居たの! ここから出たいって叫んだの!」
弾けたような笑顔で止まらずに喋り続けるリリス。
だが、その姿は誰が見たってレイスだ。
半透明でおぼろげな姿は、その背景が透けて見えるほどだ。
そして、そのリリスの姿をレイスだと皆が確信した一番の理由。
あの美しいリリスの顔にはぽっかりと2つの穴が空いていた。
眼窩がぽっかりと空いてしまっていて、そこには空洞があるだけだ。
――ウソだろ……
レイス
それは、この世への強い執着と生ける者への強烈な羨望とが生み出した存在。
死して尚それを受け入れられず、自分が死んだことを認めない存在。
月が最大に満ちる夜は、魔の眷属が最も活発に活動するという。
この世界に漂う魔素の供給源は、月光だと信じられているのだ。
そして、その月夜に現れ、活発化した魔素の中を泳ぐ残留思念の塊。
生ける者を恨み、それを取り殺し、一人でも多くの仲間を作ろうとする。
「あのね。暗闇の中で子供に会ったの。あなたの子よエイダ。姿は見えなかったけど私には解るの。それとね、暗闇の中を彷徨っていたら母さまに出会えたの。その向こうに人の気配がしたから、きっとアレはゼル様よ」
リリスはとどまることを知らず話し続ける。
その姿をカリオンは愛おしいとも思ったのだが、同時に父ゼルが気になった。
そして、続きを聞こうとした時、誰かが『あっ!』と叫んだ。
ベッドに横たわっていた筈のリリスが、まるで水のように弾けて消えたのだ。
人の形を取っていたリリスの身体は、まるで水風船が弾けるように崩れた。
どす黒い染みとなってベッドに染みこみ、鼻を突く異臭を放っていた。
――死臭だ
死して腐り始めた死体が放つ死臭は、胸を焼くような酷い臭いだ。
リリスの身体は腐った死体へと一瞬にして姿を変え、ベッドに解けて消えた。
「リリス様」
吐血し汚れた口元を拭くこともせず、ハクトは立ち上がっていた。
眼球の無いリリスだが、その視線がハクトへ行った事を皆が感付いた。
「申し訳ありません。巻き戻していた時間が一気に進んだようです」
ハクトは胸に手を当てて頭を下げた。
とにかくプライドが高い魔法使いは、人に謝ることを嫌う。
だが、失敗を認め率直に謝罪するハクトの姿は、皆の胸を打った。
潔いと言う言葉をカリオンが思い出すほどに……だ。
そして。
「お嬢様……」
ウィルは涙を流しながら切りだした。
ハクトに続きウィルへと視線を移したリリス。
とどまることの無い涙を流しつつ、ウィルは言った。
「申し訳ございませぬ。あなたを死なせてしまいました」
「ウィル……」
「かくなる上は、この私が冥途への道案内を仰せつかりまする。どうか――」
愛用のワンドを握りしめたウィルは、そのワンドを翳して言った。
「――安らかなる……死をお迎えくださいませ」
「おっと、キツネの旦那。ちょっとお待ちなせぇ」
リリスに向かって魔法を放とうとしたウィル。
だがその前にリベラがスッと身体を入り込ませた。
「冥途の先達をあっしに断り無く決めてもらっちゃこまりまさぁ。これでもあっしは姫さまただ一人に使える細作でさぁね。姫を護る為に地獄へと送った細作が手ぐすね引いて待ってやがる所へ、姫お一人で行かせちゃ細作の名が廃りやす」
リベラはあのトンでも無い呪物でる小刀を取り出して喉へと当てた。
そして、福々しい笑みを浮かべ、片膝を付いて言った。
「三途の川の畔でお待ちしておりやす。どうぞ安心してお越しくだせぇ」
リリスを護る智の巨人と技の大家が揃って殉死を申し出た。
姫一人をただ殺す訳には行かぬと、共にあの世へ行くと、そう申し出た。
「ダメよ」
それはリリスの声のようで、全く違う人物の声でもあった。
まるで冥府の底から響くかのような、怨嗟にまみれた恐ろしい声。
心弱き者であれば、その声だけで心の蔵を握り潰されるかのようなものだ。
「ウィルもリベラもエイダには必要よ。太陽王を護って」
リリスの手が。いや、恐るべきレイスの手がスッと延びて翳された。
それと同時、トンでも無い魔力を持つ筈のウィルが弾き飛ばされた。
直後にはリベラの握っていた呪物である小刀が灰のように砕けて消えた。
「私はまだ死にたくないの。どんな形でも良いからエイダのそばに居たい」
リリスは素直な希望を口にした。
ただ、レイスがレイスの姿をしたまま居続けられるほど甘くは無い。
トンでも無い魔素が漂う環境だからこそ、リリスはレイスになって存在出来る。
だが、この魔素が抜けてしまえば。ル・ガル全土から集まる魔素が消えれば……
――来年は豊作だ
カリオンはリリスへの愛情とは別に、王としての責務を思った。
そして、何とかならないかと願ったのだ。
「例え物言えぬ人形でも良いから……」
眼球の無いリリスの眼差しがカリオンへと注がれた。
視線が合ったと思った瞬間、ゾクリと背筋に寒気が走った。
カリオンはそれがなんだか知っていた。
魔法を使った瞬間に起きる衝撃だ。
「……何でも良い。人形を用意して!」
突然叫んだのはヴェタラだった。
自分の首からぶら下げている首飾りを触った彼女は、その1つを首から取った。
そして、ヘッドオーナメントとなる大きな宝石を握りしめた。
「何でも良いよ! 樹でも石でも布でも良いから!」
時間がないのだから、肉で出来た人形は難しいのだろう。
無機物へ込める事が出来るのかどうかは知らないが、ヴェタラはそう叫んだ。
次の瞬間、サミールが弾けたように走り出し、数分で走って戻ってきた。
そに脇にはリリスの為のドレスを着せて飾っておくマネキン人形があった。
リリスの姿格好と寸分違わぬ寸法で作られた人形は、見事なドレス姿だ。
ヴェタラはその人形の胸に宝石を押し付け、何事かの呪文を詠唱した。
その詠唱はまるで唱うように続くモノで、段々と宝石が人形に沈んでいった。
「さぁ、準備は出来た。お姫様、覚悟をお決めよ!」
血走った目でリリスを睨み付けたヴェタラは、突如として絶叫した。
全身の魔力を一カ所に集め、強烈な奔流となってリリスに襲い掛かったのだ。
今のリリスにはウィルの魔法を拡散妨害するだけの力がある。
そのリリスの魔力を強引に押さえ込み、引き剥がしてしまう集中力。
ヴェタラは断末魔の絶叫を上げながら詠唱し続けた。
喉が潰れるのでは?と誰もが思うほどの声が続く。
その声がハタととまり、ヴェタラはガクリと膝を付いた。
皆がヴェタラに目をやったとき、レイス姿のリリスがフッと消えた。
そして。
ギギギギギギギ……
木の軋む音が室内に響いた。
真っ白に塗られていたマネキン人形が動き始めた。
首から上が存在しない状態の人形だ。
それは余りに異様な光景だった。
だが。
「リリスなのか?」
ドレスを纏うマネキンは、固定されたスタンドの上でバタバタと動いた。
そこへと歩み寄ったカリオンは、その人形をギュッと抱き締めた。
するとどうだ。
バタバタと暴れていたマネキン人形が動きを止めた。
そして、カリオンの背に指の無い手を回した。
「リリスかい?」
人形の手がパタパタとカリオンの背を叩いた。
それは昔からリリスがやっていた愛情表現のタッチだ。
カリオンに抱き締められ、同じように抱き締めたリリスはいつもそれをした。
まだリリスが幼い頃、リリスを抱き締めたレイラがやって来た事だった。
そして、つまりそれは五輪男と琴莉の愛情表現そのもの。
――父上……
自分を抱き締めたゼルも、こうやって背中をポンポンと叩いていた。
カリオンはそれを思いだし、不意に涙を溢れさせた。
「ゴメンよリリス。何とかしてやりたいが……もう国が限界なんだ」
カリオンは夫であると同時に太陽王だ。
そして、カリオンはその手の中に五千万余りの国民を抱えていた。
愛する妻を護る為に振る舞うだけで無く、全ての国民を護らねばならない。
どうすることも出来ないカリオンは、己の無力さに震えた。
だがその背をもう一度ポンポンとマネキンの手が叩いた。
「……リリス」
驚いて再び言葉を漏らしたカリオン。
その背をまたまたマネキンの手が叩いた。
まるで『大丈夫だ』と、そう言わんばかりに。
優しく、優しく、トントン……と、叩いた。
「リリス……」
それは愛し合う夫婦の抱擁その物だった。
黙ってそれを見つめていたウィルは、不意にヴェタラを見た。
「この術は継続的に魔素を必要としますか?」
「いえ、殆ど必要ないでしょう。少なくとも普段は要りません」
「そうですか……」
しばらく思案したウィルはおもむろに起きあがると、床に手を付いた。
そして、龍脈を使って全土から吸い上げていた魔素の供給を止めた。
途端に部屋の中の空気が流れ始め、蟠っていた死臭が窓から流れ出ていく。
それと同時、リリスの動きが悪くなり始めた。
「城の地下に牢獄があります。あそこはこのインカルウシでも特段に場が強い」
ウィルはそう切り出した。
その言葉を聞いていたセンリとハクトは顔を見合わせ、お互いに首肯した。
「帝后陛下の居室が必要ですな」
「アンタの宮殿、アタシが拵えてやるよ」
そもそもに、このガルディブルクと言う街は魔力の渦巻く龍穴点だった。
地を流れる魔力の奔流があふれ出る穴。龍穴点を塞ぐ様にこの大岩がある。
その上に立つガルディブルク城は、岩を垂直に穿つ地下構造を備えていた。
低温を生かした氷室としての地下であり、また、重罪人を繋ぎ置く牢獄だ。
「お嬢様の為に快適な部屋を用意しましょう」
ウィルは胸を張ってそう言った。
それと同時にヴェタラをジッと見て何かを訴えた。
「私も……もう少しマシな形の人形になるようにしましょう」
魔導家達が一斉に言葉を上げる中、カリオンの胸を離れた人形が前を向いた。
そして、豪華なドレスのスカートを掴み、それを両脇へと広げて挨拶した。
言葉を発せぬリリスが見せた、精一杯の気遣いと感謝のしるし。
それを見ていたカリオンも、静かに言葉を添えた。
「余の出来る事があれば遠慮無く言うのだ。余も感謝しようぞ」
皆が努力してきたリリスの治療は呆気なく幕を閉じた。
望まぬ形ではあるが、それでも一定の前進を得たのだ。
「やがて……必ず望む形に転生できる秘術を編み出します」
静かだが、それでも硬い意志を感じさせるかのようにウィルは言った。
不可能に挑みかかり乗り越えようとする魔導家の本能がほとばしっていた。
それから2週間後。
「思ったよりも広いな」
カリオンはウィルに導かれ、城の地下奥深くへと降りて来た。
この城を住まいとして長いが、こんな場所があることを初めて知った。
そして同時に、そこが驚く程広いことに気が付いた。
「この灯りは?」
「魔素そのものを変換しています」
ウィルは一つ一つ説明しつつ、階段を降りていく。
螺旋状になった階段はかなりの急角度で下へと続いていた。
「これは余の勘だが…… ガガルボルバよりも下では無いか?」
「ご明察の通りです。ここならば水の弁に不自由はありませぬ」
地下水のしみ出す地下ならば水の弁は心配ない。
ただ、コレではリリスの身体がふやけて腐ってしまうとカリオンは思った。
「お嬢様のお身体の件は心配ありません。ヴェタラが新しい身体を作りました」
カリオンの心配を先回りしてウィルがそう言った。
この二週間、魔導家達はそれぞれの得意分野で奔走していた。
センリは巨大な地下宮殿を拵えていた。
どんな手段を使ったのかは知らぬが、カリオンが目を見張るほどの出来映えだ。
そもそも、城の地下には垂直方向に大きな鍾乳洞があったらしい。
だが、長い時間を掛けて流れ込んだ土砂により、それが埋まっていたようだ。
センリはその鍾乳洞を掘り起こし、広く豪華な宮殿を作り上げた。
それは、文字通りに死者の宮殿だった。
――エイダ!
階段を降りきったカリオンは、見事なドレスに身を包んだリリスを見つけた。
光沢のある美しい生地で作られた、光を乱反射する可憐なドレス。
それを纏うリリス自身、辺りの光を反射してキラキラ輝いていた。
「それ、何で出来てるんだ?」
――水晶よ
「水晶?」
リリスの言葉をオウム返しにしたカリオン。
目の前に居るリリスは柔らかな笑みを湛えてカリオンを見ていた。
――ヴェタラがね、魔力増幅なら水晶が良いって
口を開くこと無く、リリスは喋っていた。
いや、もっと言えば、その表情は全く動いていなかった。
仮面の様に固定された表情で佇むリリス。
その身体は磨き上げられた水晶だった。
「触って良いか?」
――あなたなら私のどこを触っても怒らないよ
「そうだな」
そっとその顔に触れたカリオンは、固い感触に表情を強張らせた。
身体はふんわりと動き、柔らかな振る舞いにリリスらしさを見ていたはず。
だが、その表情となる顔は、作りものの人形そのものだった。
――ヴェタラが言うには、使っているうちに柔らかくなるんですって
「そうなのか」
――だから、もうちょっと待ってね
「あぁ」
手短に応えたカリオンは、リリスを引き寄せ、グッと抱き締めた。
固い感触が胸に残り、文字通りに人形を抱き締めた感触だった。
だが……
――大事な事だからよく聞いて
リリスは唐突に切りだした。
固い声音になったリリスに、カリオンは黙って首肯した。
――ここへは余り来ちゃダメ。ここは生ける者の来る所じゃ無いの
「は?」
――ここは死者の為の宮殿
――死の影が渦巻く所よ
「それじゃぁ……」
――私はここでエイダを蔭の側から支えていくの
――月の光が降る時にしか、私は地上へ出られない
「……リリス」
――週に一度……
――それ位ならあなたにも影響は無い筈とセンリは言ったわ
「そんな……」
――大丈夫よ……私は大丈夫
――ここに居る限り、私はいつもエイダを感じられるから
鈴を転がすような声でリリスは笑った。
ややあって、そこへセンリやハクトも降りて来た。
そして、ルフとトーマ。ヴェタラもだ。
更には三老婆までもがリリスの宮殿へとやって来た。
「……みな、ご苦労だった。妻の宮殿はたいそう立派だ」
カリオンはそう労った後で、面々の顔をグルリと見た。
皆が何を言いたいのか、それを理解したのだ。
「魔法薬の件はこれからだろう。本来はこのまま廃棄するべきだが、作った以上は実験したいのだろう?」
カリオンの問いにルフがニヤリと笑って首肯した。
「魔法薬は研究を続けて良い。ヒト以外の如何なる種族間でもかさなりに生まれる様に改良しよう。やがて世界が解け合って混ざり合って、争いの無い世界になるように。イヌとオオカミが和解したように、きっと出来る筈だ。ただし、ヒト相手に使う事だけは禁ずる」
カリオンは思いつきとは言えそんな言葉を口にした。
ヒト相手に使えば化け物が生まれるかも知れない。
それを危惧したのだった。
「来年はル・ガルも豊作となろう。新しい時代の為に着実に成長して行こう」
この数年を掛けて懊悩していた案件が遂に解決した。
カリオンはホッと胸をなで下ろし、あとは後始末だけだと思った。
トウリと表舞台へ復帰させ、シャイラを処刑し、大憲章を深化させる。
次の100年の為に手を打とうと心に決め、そしてリリスを見た。
「週に一度、ここへ遊びに来るよ」
――お茶を用意して待ってるわ
「あぁ」
カリオンの手がリリスの手を握った。
ひんやりと冷たい感触が伝わり、カリオンは悲しくなった。
ただ、それでもリリスはここに居る。
その事実は、冷え切った身体を温めるのだった。
城の地下で恐ろしく寒いのだが、カリオンの心は温かく平穏なのだった。
ル・ガル帝國興亡記
<青年期~覇道を征く>の章
―了―
<中年期~動乱への予兆>へと続く
50話に膨らんでしまった青年期の最後の章はコレで終わりです。
本スレで読んで以来、頭の中にグルグルと駆け回っていたマグナカルタの話や、世界崩壊へと続くその発端を盛り込めました。次はいよいよ、リュカオンの誕生へと続く話になります。
ル・ガルという帝國が崩壊していく王子のクーデターを含め、まだまだ話が続いていくはずなのでもう少しお付き合いください。
新章である<中年期~動乱への予兆>は秋口には公開する予定ですので、お楽しみに。