苛烈なる運命・前編
「この数字について農政長官はどう考える?」
午前中の閣議において取り上げられたのは、この春の天候異変だった。
閣議の最中にカリオンが読んだ報告書には、喫緊を要する言葉が並んでいた。
ル・ガル全土で地温が上がっていなく、春の種蒔きが不可能と言う報告だ。
北部地域では雪解けが遅れていて、各河川下流部では水不足が予想されている。
農繁期を前に灌漑用水を使う事が出来ず、大きな遅れが予想されていた。
「今年は冬が長引きました。例年なら4月の初頭には好天が続くのですが――」
ル・ガルの農務行政を一手に引き受ける農務長官は、悔しそうにそう言った。
商務長官サダム・アッバースの紹介で城へとやってきた草原地帯出身の男。
キャルギーン・プレスティオ
長らく草原地帯で牧羊を主産業にしてきた一門の男は、恐ろしく有能だった。
農業の知識と経験を幅広く持ち、酪農や養蚕業にも明るい芸達者な男。
それだけで無く、気象学や植物に関する学術的な知識をも兼ね備えている。
――――この男ならば、王の付託に応えられるでしょう
サダムが胸を張って紹介したプレスティオは、随分と小柄だが俊敏だった。
「――この天候では地温を上げる直射日光が足りません」
プレスティオの言葉に全員が執務室の外を見た。
小雨のぱらつきそうな雲が低く垂れ込め、まるで、降り注ぐ光を遮る緞帳だ。
地温が上がらねば種を蒔く事も出来ない。
作付けの遅れは天候リスクを増やし、それは同時に収量の不足を招く。
基本的にル・ガルの国土は冷涼な地域が多く、温暖な地域は数えるほどだ。
西部の広大な草原地帯も、森林帯を育むほどの余力が無かった結果に過ぎない。
「原因の究明は余力のあるときに行おう。いま必要なのは、食料生産の手立てだ」
出来る限り角が立たないよう、カリオンは努めて鷹揚と振る舞った。
誰が悪い訳でも無く、これは自然が生み出したモノなのだから仕方が無いのだ。
雪融けの頃から続く大地の異変は数字となって現れている。
積算温度が足らなければ麦の収量に影響が出るだろう。
様々な穀類の生産も滞りかねないし、酪農にも影響が出る。
ただ、カリオンだけはその原因を解っていた。
ハクトとウィルからそれを教えられていたからだ。
――――大地の竜脈を使って魔素を全土から集めます
――――大地の魔素は大地の活力そのものです
――――時間の巻き戻しに必要な分を大地から抜き取れば……
ハクトはほぞを噛むような表情でそう言った。
時間への干渉を行うならば、避けては通れない必要な犠牲だった。
『なんとかならないのか?』
カリオンの問いに対し、ウィルは首を降るばかりだった。
――――薪も無しに暖炉の火は栄えません
――――時間へ干渉するその代償が必要なのです
誰だってその道理は理解できる。
巻き戻された時間の分だけ、なにかを捧げねばならないのだ。
大きく巻き戻したり、広範囲に巻き戻そうとすれば、それ相応の代償が要る。
それ故に、範囲を最小限に留め、時間も僅かに抑えている。
カリオンとて、トウリの錯乱前まで戻せないかと一度は考えた。
だが、ハクトはざっくりと計算したうえで静かに答えた。
――――技術的には可能ですが代償を用意できません
――――単純に言えば一万人からの人の命を捧げるようです
それが何を意味するのかはカリオンとて理解できた。
人の命はそれだけ巨大なエネルギーだった。
ただ、それをもってしても、歴史のやり直しは出来ないのだろう。
事件直後ならばともかく……
「陛下?」
一瞬だけ考え込んだカリオンは押し黙っていた。
だが、その時間が些か長かったようで、みなも黙っていたようだ。
「すまない。自分の世界へ没頭してしまった」
声をかけたウォークを見つつ、カリオンはおどけてみせた。
リリスの件でこうなっているのは隠しておきたいことだ。
国民の飢えと引き換えにリリスを助けようとしている。
暗愚の帝だとカリオンは自分を恥じた。だが……
「王の懊悩は如何ともしがたいな……」
閣議室のなかで商務長官であるサダムがそう呟いた。
カリオン政権の中にある者は、皆が王の背負う痛みを理解していた。
最愛と言うべきリリスの容態は悪化の一途をたどっていると言う。
医師は匙を投げ、帝國の知識階級は事実上のギブアップだ。
今は大陸各所からやって来た魔術師の知恵にすがっているのだと言う。
如何ともし難い困難な経験は人を育てると言うが……
「王よ。今日はこの辺りにして……」
農務を預かるプレスティオは静かな口調で言った。
西方の草原地帯で長らく牧羊を生業としてきた一族の男だ。
彼らはイヌの社会でも殊更に家族を大切にする一門だった。
それは、環境として厳しい草原地帯に生きる者ならではの繋がりだった。
「そうはいかんさ」
プレスティオの言葉に拒否を示したカリオン。
表情には苦悶が混じるも、言葉は穏やかだ。
「すべての国民が余の家族ぞ。妻一人助けられぬ愚昧な夫だが、その上、国民を餓えさせ路頭に迷わせる暗愚の帝とあっては、歴代先帝へ顔向け出来ぬではないか」
立派な王でありたいと願う姿。カリオンはそこに、自らの理想像を見せていた。
だが、そうは言っても……だ。
「恐れながら陛下。気を病む事があっては閣議にも支障が出ましょう」
ウォークは少々キツイ言葉でカリオンを諫めた。
要するに、もっと集中しろ……と、そう言ったのだ。
「……そうだな。ウォークの言う通りだ」
腕を組んだカリオンは、それでも肩を落として辛そうな表情になった。
至らぬ自らを恥じつつも、それを見守ってくれる閣僚に感謝していた。
「陛下……」
この様なとき、大概最初に声を掛けるのはジョージの役目だ。
軍務を預かるスペンサーの騎兵は、何者をも恐れず怯まず、退かない。
「先ずは懸案を解決し『あぁ、そうだな』
ジョージの声を手で遮り、カリオンは顔を上げた。
「ジョージを含め、皆に迷惑を掛ける…… 済まぬ。余を許せ」
スッと椅子から立ち上がったカリオンは、室内をグルリと見回した。
政権の各閣僚と専属の書記官。そして、それぞれの部門の官僚達。
その目が一斉に集まっているのを確認し、カリオンは言った。
「プレス。地温の件はどうしようも無い事態だ。天候の回復と共に事態も改善されるだろうから、遅れなく動き出せるよう慎重に準備してくれ」
明確な指示を出したカリオン。
プレスティオは椅子から立ち上がって胸に手を当て頭を下げた。
「畏まりました」
その反応を見たカリオンは言葉を続けた。
「各官庁においては事態の改善を図るべく手を打ってくれ。常に先手を取れるよう気を巡らせてほしい。ここから先は我慢比べみたいなモノだろうから」
カリオンの指示は簡潔だ。それに、春が遅い年はそれほど珍しい事では無い。
今年はたまたま地温の上昇が悪いだけ。閣僚達はそう楽観していた。
「1週間後に事態の推移を聞く事にする。全員がそれぞれの持ち場で努力して欲しい。余からは以上だ。済まぬが――」
それ以上の言葉は無かったし、全員がカリオンの事情を知悉していた。
常に心を悩ませる重い事態は一向に改善されず、心に重くのし掛かっている。
そして、ただでさえ精神的に参っている状態だというのに、この事態だ。
天候は回復せず、春の農事は遅れを出し始めていた。
「――……個人的な事情に移らせてもらうよ」
その一言を残して執務室を出て行ったカリオン。
いつの間にか王の風格を漂わせてる背中が階段に消えていった。
全員立ち上がってその背中を見送ったあと、誰とも無く声が漏れた。
「王も辛かろう……」
「あぁ。国政もそうだが、カリオン王はリリスさまを愛されている」
国父たる者は家族を大切にし、愛情と配慮を絶やすべからず。
始祖帝ノーリの言葉どおり、カリオンもまたそのスタンスを貫いている。
生まれ持った特別な事情を知る者はここにはいない。
だが、どう育ったかは誰もが知っているのだ。
何よりも家族を大切にしたゼルの名を継ぐヒトの男が遺したもの。
そのスピリットは脈々と王の中に息づいていた。
「魔術の奇跡に期待するしかありませんね」
締めくくるように呟いたウォークだけがカリオンの秘密を知っている。
そして、その上でなお、忠誠を誓っていた。
如何なる者をも跪かせる太陽王の、その最大の懊悩は誰にも言えないこと。
今はただ、その治療の成功を祈るしかないし、そう願っていた。
運命とは、これほどに無情で残酷なのかと、そう思いながら。
―――――――― 帝國暦340年4月28日
ガルディブルク城 帝后リリス病室
その部屋に一歩足を踏み入れたトーマは、その臭いに顔を顰めた。
まだ若いトラの男ルフに連れられ、遂に足を踏み入れた部屋だ。
太陽王の招聘を受け足を運んだ城では、まだ若き太陽王自らが事情を説明した。
王の愛する妻が病に倒れ、何をしても回復せず死を待つばかりだと。
だが、その妻はかさなりで、おまけに今にも死にそうな状態だという。
通常、かさなりと言うのは不老不死だと言われていた。
だが、その帝后はかさなりなのに病に倒れ回復しないでいる。
おのれの常識が通用しないトーマは大いに慌てた。
そして、帝后との面会を望んでいた。しかし、太陽王はそれを許さなかった。
愛する妻なのだから、それもまた仕方がないことだ。
だが、研究とあらば面会し、診察しなければ話は前に進まない。
――何とかならんものか……
トーマはそう考えていた。
だが、いざこうして面会に訪れれば、自らを疑うより他なかった。
彼が知るかさなりの話とは大きく違うのだ。
「なぁ……ルフよ」
「あぁ?」
基本的にこのトラの男は、誰に対しても塩対応だ。
つっけんどんで冷たいのだ。だが……
「コレはどういう事だ? この臭いは? 太陽王は死体でも集める趣味が――」
トーマの吐いた言葉に対し、ルフは腰をひねり強烈な一撃を脇へと入れた。
身体をくの字に折り曲げ、トラの一撃を受けたトーマが悶絶する。
「おぃジィさん。長生きしたきゃ、口の利きかたにゃ気をつけな」
トラの大男の一撃を受けたヤギの老人は、違う理由で顔を顰めた。
ヤギの一族は決まった国を持たず、大陸を放浪して暮らしている。
そんな一族にあって、深い魔導の知識を持つトーマもまた城へとやってきた。
「王はこの為に俺たちを呼んだんだぜ?」
チラリと部屋の隅へ目をやったトーマは、そこに太陽王の姿を見つけた。
思いつめたような厳しい表情で、床をジッと見ていた。
「……さっ 然様か」
イテテとこぼして脇腹を摩り、小声で治癒魔術を唱えたトーマ。
どうやら脇腹にある肋骨が折れかけたらしく、息を吸い込めば痛みが走った。
――まったく……
――このトラの小僧は手加減を知らん……
内心でそうボヤいたトーマの脇からスッと痛みが引き、深く息を吸い込む。
ただ、そのトーマの鼻を焼くのは、胸を悪くする死臭そのものだ。
その部屋の中は驚く程きれいに片付けられ、シンプルなものだった。
ただ、その床には驚異的なレベルの魔方陣が描かれている。
そしてそれ以上に驚くべきは、その部屋の壁や天井だ。
部屋を囲む6面の全てに同じ魔方陣が描かれていた。
言うなれば立体方の魔方陣。だが、それ自体は余り驚くべき事では無い。
ある程度の魔導家であれば、立体の魔方陣は常識だからだ。
「……コレは思い付かなかった」
トーマは目を凝らしてその仕掛けをしげしげと眺めた。
床の魔方陣は、下が透ける薄さに引き延ばされた羊皮紙が重ねられている。
そして、その羊皮紙には、全く別の魔方陣が描かれていた。
「積層型の魔方陣と言う事か……」
一般的に言えば、魔方陣は平面として考察されるものだ。
平面的な魔方陣の上に魔法効果を立体として顕現させるのだ。
その強力な力を使い、望む結果を手に入れる事になる。
だが、その積層型は顕現した『力の場』に対しエフェクトを加えられるのだ。
例えるならば、電気系の楽器が奏でる音をアンプで増幅するようなもの。
そして更に、エフェクターを通過させ、音自体を変化させる。
ソレと同じ事が……
「コレを考えた者は天才だ…… 口惜しいが……」
感嘆の言葉を漏らすトーマは、それっきり黙ってしまった。
何故なら、その眼差しの先には、ウサギの男が立っていたからだ。
「……まさか貴方がここにいらっしゃるとは」
低い声でそう漏らしたトーマ。
その声を掛けた先にいたハクトは、懐中時計を見ながらニヤリと笑った。
「だいぶ腕を上げたようだね。坊や」
「おかげさまで……」
深々と頭を下げたトーマは、総毛だったようにハクトを見ていた。
ここにウサギの魔法使いがいる。しこもトーマはこのウサギをよく知っている。
時間と空間を制御出来る化け物のウサギ。しかもその存在はトーマの師。
少々勘が悪くとも、この魔方陣が何をする為のモノか理解した。
「離れていたまえ。これから素晴らしいモノを見せて上げよう」
魔導家にとってすれば、『不可能』とは挑戦し甲斐のある敵そのものだ。
不可能を可能にしたという名声は、自らの名を後生へ残すにはうってつけ。
後の世で『大魔道師』という称号を得んが為に、魔導家は不可能へと挑む。
そして、数多の魔導家達が研究を重ね、多くの不可能を粉砕してきた。
世に出回る魔導書と言われるモノは、そんな大魔道師達の手柄自慢だ。
ただ、そんな大魔道師達にも解決できない不可能が、三種類だけ残されていた。
1つは光り。
光を放つスクロールや、永遠に輝きを放つ光石を作り出す事は出来た。
魔力を光に変換する仕組みを整えてやれば、勝手に光が生成されるのだ。
だが、無から有への変換は、如何なる魔術師も成功してない。
光その物を生み出す事は、何人たりとも出来ないのだ。
つまり、光の粒自体は神の領域だった。
2つめは命。
死んだ者はどんな手段を使っても生き返らない。
寿命で死んだり傷つき斃れたモノを癒やし蘇らせる事も出来ない。
太古の失われた秘術で魔導の王とも言えるリッチになる事は出来る。
だが、その腐敗の王であるリッチは、決して生者では無いのだ。
多くの魔導家はそれをこう考えた。
命の入れ物である魂が壊れたのだ……と。
故に、どんな手段を使ってでも死なないようにする事が大事なのだった。
そして、最後の3つめは時間。
前者2つと違い、時間だけはどうしようも無い。
それは魔導に携わる者にとって常識だった。
如何なる媒体を持ってしても干渉出来ないモノ。
巨大な魔方陣と莫大な魔力を注ぎ込んでも僅かに加速するだけ。
いつしか魔導家達は時間への干渉を止めていた。
だが……
「さて……始めようか」
「あぁ」
室内でカリオンへ何ごとかを説明していたウィルとセンリ。
その2人は、ハクトの築き上げた魔方陣を確かめた。
いつもながら見事な出来映えで、センリはその仕上がりに惚れ惚れとしていた。
「余り……回数使えるモノでは無いからな」
「そうだな。そろそろ影響が出始めよう」
ウィルの言葉にハクトが応える。
城へと集まってくる莫大な魔素を使い、ハクトは魔導回路を開いた。
室内にある魔方陣が唸りを上げ、室内が僅かに暗くなり始めた。
「今回は?」
センリは小声でそう呟いた。
魔方陣を操作するハクトの集中力を削がない為だ。
「そうさな……ざっくり60日と言う所だろう」
センリの問いにウィルはそう応えた。
ハクトが操作しているのは、時干渉の為の魔導回路だった。
「……無茶をすると後で響くんじゃないかい?」
「あぁ。それは間違い無い」
城へと集まってくる膨大な魔素が走り、室内が益々暗くなり始める。
何が起きているのか理解出来ないルフは、やや怯えた表情だった。
だが、その隣に居るトーマは、膝をガクガクと震わせていた。
「……信じられん」
無理も無い話だ。
時間への干渉は魔術師にとっては不可能と同義と言える。
その時間へとハクトは干渉し始めたからだ。
「三度目ともなると……」
「あぁ……転移抵抗が凄まじいな」
センリのぼやきにウィルが嘆く。
本来干渉出来ない筈の時間へと干渉する。
それは、口で言うほど生優しいことではない。
不可能を可能にするには、引っ込まない道理を引っ込ませる必要がある。
無理は通せないから無理ということだった。
「……おぉ」
時間の巻き戻されていく様を見ながら、トーマもルフもため息をついた。
死人色をしていたリリスが見る見るうちに健康的な肌になったのだ。
しかもそれは、死を遠ざけ新たなチャンスを用意する事と同義。
研究のための時間的な猶予を大きく稼ぐ禁断の手段だった。
「終わったねぃ」
「あぁ……」
センリもウィルも部屋の片隅を見ていた。
そこには片ひざを付いているハクトがいた。
やや胡乱な目付きでリリスを見ているハクト。
その双肩には、目に見えない疲労の二文字があった。
「随分とくたびれてるじゃないか」
センリは全部承知で辛い言葉を投げつけた。
彼女なりの激励だが、それはハクトも承知の事だった。
「私も若くはないからな」
掛け声と共に立ち上がったハクトは、リリスの顔を覗き込んだ。
先ほどまでのあの死臭まみれだった彼女は居ない。
今の彼女は、つい今し方に寝床へ入ったばかりのうら若き姿だった。
だが……
「そろそろ限界だな……」
ハクトは表情を歪めて嘆いた。
何がダメなのかと訝しがるルフやトーマを余所に、ヴェタラが溜息をこぼす。
「これ以上の巻き戻しは……お止めになった方が」
カリオンの傍らに居てそれを呟いたヴェタラは、窓の外を見た。
どんよりと曇った空には光が無く、王都には寒々しい空気が流れていた。
今にも降り出しそうな雨雲が広がっているのだが、彼女にはそれが違ってみた。
――やはり……
天候もまた人の手が届かぬ神の領域だった。
大陸全土へ影響を及ぼす天候操作魔法を使える者など一人も居なかった。
「どんなに頑張ったって、出来ないもんは出来ないのさ。だからこのザマだ」
ヴェタラの背にそう話しかけたセンリは、リリスの頬に触れて呟く。
押しても戻らぬ死人の頬だったリリスの顔は弾力を取り戻していた。
「この娘の運命なのさ。後はあんたがそれを……受け入れるかどうか」
リリスの傍らにいたセンリは、カリオンに向かってそう言い放った。
誰もが沈痛な表情を浮かべる中、畳み掛けるようにセンリは言った。
「あの尾頭ですらも不老不死は実現できなかった。命と魂を分離して、その命の正体がこの世界に普通に存在する魔素だと突き止めても……ね」
リリスへと歩み寄ったカリオンは、その胸に自らの耳を当てた。
その胸の内側からは、力強い鼓動が響いていた。
だが、意識を取り戻さないのだ……
「もう……話をする事も出来ないと言うことか……」
萎むような深い溜息をこぼし、カリオンは天を仰いだ。
如何なる事態を前にしても動揺を見せない強い精神力の持ち主が……だ。
「リリスも……かさなりなのだろ? そなたは複数の魂を持っていると言ったでは無いか。どうにか成らないもののか?」
迫真の表情で言うカリオンの言葉は、わずかに震えていた。
それは、思うようにならぬ現状への苛立ちと、そして愛情だった。
このマダラの男が見せる情の深さに、室内に居た者全てが絆された。
だが、情や願いと言った人間の欲に基づくモノは、往々にして実現しない……
「かさなりと言っても、魂のつなぎ替えは出来っこないのさ」
「……つなぎ替えは出来ない?」
「あぁ……」
理解出来ないと言った表情でジッとセンリを見るカリオン。
センリは表情を強張らせつつ、カリオンに言った。
「かさなりってのはね、尾頭が思い付いた不老不死研究の産物なのさ。全ての生物は魂を1つしか持ってない。尾頭はそれを何とかしようと、複数の魂を身体に乗せることを思い付いた。命尽きる前に別の魂から空になった魂へ命を流し込むって算段だったのさ」
センリは身振り手振りを交え説明を始めた。
その言葉を聞くカリオンは、まるで学生時代へと戻った様に真剣だ。
「だけどね、いくら実験しても、別の魂へ命が流れ込むことは無かった。尾頭はかさなりを生み出す魔法薬を作り上げ、複数の魂を持たせて産まれてくるところまでは実現した。ところが――」
センリの表情に苦悶が混じる。
それは、苦い記憶のもたらすモノだとカリオンは直感した。
「――複数の魂を持って産み落とすことは出来ても、同じ種族同士では、魂の器が大きくなるばかりだったのさ。複数の魂がいつの間にかどうかしてしまうんだ。幼子が壁に向かって話しかけるだろ?あれは複数の魂同士が話をしてるのさ。どっちに合流するかってね」
センリの説明する生命の神秘に、皆が言葉を失っていた。
神の作り上げた摂理の前に、人間の知恵など全く歯が立たない。
絶望的とも言える現実が突きつけられるばかりだ。
「尾頭はそれならばと、種族の壁を越えて子を作ることを思い付いた。それがこの娘や……アンタだよ。種族の垣根を越え産まれてくる子は、複数の種類の魂を持って生まれることになる。だが、それも失敗だったと尾頭はすぐに気が付いた。2種類の魂を持っちゃ居るが、結局はどちらかの魂のみで生きる事になるし、別の種類の魂では命も流れ込まなかった。どうにかつなぎ替えが出来ないかと試したが、どうにもならなかったのさ」
センリの言葉はカリオンの中に染みこんでいった。
そして、カリオンだけで無く、ルフやトーマにもだ。
異なる種族では異なる魂が共存するに過ぎないのだった。
「そして……我らが師である尾頭は、最終結論としてこう言葉を残している」
不意に切り出したハクトは、カリオンを見ること無く呟くように言った。
「魂とは神の領域だ……と。魔術に携わる者は、魂だけには手を出してはならぬ」
そのハクトに対し、カリオンは『何故?』と問うた。
魂の研究をしてきた尾頭が最後に辿り着いた結論こそが禁忌案件だった。
ただ、その禁忌の中身を知りたくなったのだ。
「純粋に不老不死だけを求めれば、腐敗の王しかない。尾頭はそう結論付けたのだよ。そして――」
ハクトの目がカリオンを捉えた。
その鋭い眼差しに、カリオンが僅かに動揺した。
「――結局、尾頭自身が腐敗の王になってしまった」
引きつった様な表情でハクトを見たカリオン。
ハクトは顔を上げ、カリオンをジッと見て言った。
「尾頭は責任を取ったんですよ。かさなりの研究の一環で生み出してしまった、その不完全な存在を消し去る為にね」
総毛だったようにして『不完全とはなんだ?』と聞き返したカリオン。
それに応えたのはハクトでは無くウィルだった。
「かさなりの研究で産まれて来た子は、成長するに従って手の付けられない化け物になってしまったのです。巨大な体躯と強い力と、そして、驚く程の回復力。並の兵士では対処出来ない化け物ばかりです。尾頭はそれらを前にし、強力な魔法で全てを焼き払いました――」
首を振りつつ言うウィルは、肩を震わせ悲しみを飲み込んでいた。
その沈痛な姿に、ルフやトーマが中身を思案していた。
ただ、カリオンだけは違う表情になっていた。
かさなりが化け物であると言う言葉に、僅かでは無い動揺を見せていた。
「――ただ、強力な魔法は魔の深淵から力を引き出します。ですがそれは、魔の深淵に棲む者の力に過ぎず、やがては尾頭がそれに飲み込まれ始めました。太古より言い伝えられるように、魔の深淵を覗く者は、その深淵に覗かれるのです……」
カリオンは絞り出すように問うた。
『どうなったのだ?』と。
ウィルは悲しみに満ちた声で言った。
「我らが封じました。我らの師、尾頭を……です。尾頭はもはや魔そのものに成り果ててしまったのです。ですから、我らは尾頭と共に化け物を滅ぼした術を使い、尾頭を……」
部屋の中から音が消え、ウィルの言葉だけが流れていた。
皆がその言葉の最後に聞き耳を立てる中、ウィルは萎むような声で言った。
「……尾頭を殺しました。尾頭の秘術は永遠に失われたのです」