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リビングデッド


「お待ちしておりました」


 丁寧な仕草で頭を下げたサミールは、城の大手門でその客を出迎えた。

 長旅だったはずなのだが、些かも草臥れている様子の無い男がそこに居た。


 ただ、何の連絡もしていなかったはずなのに、城女中が自分を出迎えている。

 その事実を前に、些か狼狽している様子ではあるようだ。


「……太陽王の言葉に導かれてやって来た」

「はい、ヴェタラ様から承っております」


 ヴェタラという言葉に鼻を鳴らした男は、不機嫌そうに言った。

 事前連絡無しに出迎えがあるのも理解出来ようというもの。


 あの命と魂とを研究し、不老不死を求める亡者一歩前の女……

 この世界でも指折りの魔術師ならば、そんな事の一つや二つはあり得る。


「随分と早いもんだな……あの化けネコめ」

「……私にもその仕組みは理解しかねますが、指示だけは的確です」

「そうか」


 気が付けば随分と日も長くなり、夜よりも昼の方が長くなった頃だ。

 太陽王カリオン・アージンの宣言した大憲章は、驚きを持って国民に届いていた。

 そして、凡そ2ヶ月の間に届いた改善案は、微に入り細を穿つものだった。


 だがそれは、国民が大憲章を支持しないという事では無い。

 太陽王の考える理想を実現する為に、全ての国民が知恵を絞っていた。

 王と貴族と平民達とが一衣帯水の関係として、共に発展する為に。


 だが……

 その一方でカリオンは次の一手を確実に打っていた。

 センリの手により、この大地の果てる所までメッセージを送っていた。


 ――――余の事業に参加せよ

 ――――見返りとしてル・ガル国民としての庇護と待遇を与える

 ――――そして更に、興味を持つものには【かなさり】の研究をさせよう

 ――――余の元には生きた【かさなり】があるのだ

 ――――研究の成果を持ち余の元へ参れ

 ――――余は全ての魔導家を分け隔てなく歓迎するもの也


 その言葉に導かれたのか。【かさなり】というエサに喰いついたのか。

 誰にもその真実はわからない。だが、一つだけ確実に言える事。

 それは、世界最高の知識と知恵と経験が、この王都に集まり始めていた。


「長旅でお疲れのことでしょう。部屋を用意してありますので、先ずは」


 サミールは右手を差し出し、城の中へと客人を誘った。

 イヌよりも遙かに大柄で強靱な体躯を持った大型種族。


 大陸の西側地域で、四季のハッキリとしたエリアに集まって暮らす者達。

 森と草原と川とを愛し、気風の良さと心意気を大切にする種族。


 トラ


 一般的には、あまり魔法や魔導に明るくないとされる種族。

 だが、そこには間違いなく、トラの大男がそこに立っていたのだ。


「痛み入る。ただ、先ずは太陽王へ謁見を申し込む」

「……旅装を解かれないのですか?」

「事と次第によっては、このまま国へ帰るからな」


 大きな顔に笑みを浮かべ、トラの大男は牙を見せた。

 一対一の勝負であれば、遙か南方に暮らすという獅子の一族とも互角な者。

 それは、この世界において最強の部類に入る存在だ。


 故に、彼らは納得することを大事にしている。

 決まった事にグダグダと言う事も無く、仲間の為に身を捨てることも厭わない。

 一言でいえば、熱血的体育会系思考回路なトラたちは、それを大事にする。


 いつか自分の身を捨ててでも事を成すときがあるかも知れない。

 だからこそ、その理由を咀嚼し、自らの一部とし、そして納得する。


 トラの国からやって来たその男――ルフ――は、サミールにそう言った。

 大きな袋を背に担いだまま、錫杖を持って立っていた。


「謁見……ですか?」

「そうだ。我らのような存在に呼びかけ、集合を命じたのだろう?」


 ルフが鷹揚とした姿のまま、ガハハと豪快に笑った。

 如何なる敵をも恐れない強い身体と強い心。そして魔導の力。

 その存在が相手を直接見たいと言う以上は中身など知れている。


 自分よりも上か下か。


 序列を殊更に重要視する社会では、その判断基準に対等と言う概念は無い。

 幼長の序列と実力の序列。その双方を鑑み、彼らは暗黙でそれを決める。

 だからこそ、ルフは太陽王の値踏みをしたいと、そう言ったのだ。


「大変申し訳ありませんが、私の一存では出来かねます。先ずは……」


 そんな言葉を吐いたサミールは、心底呆れた表情を必死で噛み殺した。

 この王都から数段遅れた片田舎出身の、ちょっと魔法を齧った田舎者。

 この王都(まち)の流儀も、風流や常識も何も無いちっぽけな存在。


 人は見かけによらないとは言うが、少なくとも大きく間違ってはいないだろう。

 サミールは王の居城の中にあって、帝后リリスの付き人を長く務めてきた。

 様々な立場の人間を出迎え、またそれだけで無く、リリスとの話を聞いてきた。


 そんな経験と実績とを鑑み、彼女はそう判断しているのだった。











 ―――――――― 帝國暦340年4月11日

          王都ガルディブルク











「何か問題ですか?」


 唐突にそんな声が響き、サミールは長いスカートを優雅に払って振り返った。

 濃紺のドレス仕立てになったワンピーススタイルで、肩には小さな上着がある。

 城詰めのスタッフ達の中にあって、この衣装をまとえる者はそうそう居ない。


 帝后リリスの近習として、直接仕える立場の彼女は城の中でも特別な存在だ。

 王のプライベート空間でもある後宮へ入れる存在。それは何よりの特権なのだ。


 何故なら、太陽王の特別な信用が無ければ、それは認められない事だから。

 そんなサミールの視界に飛び込んできたのは、彼女が唯一気を使う相手。

 いや、気を使うのでは無く警戒してると言っても良い存在。

 まだ若き太陽王よりも更に若くあるのだが、すでに最高位官僚となった男……


「……えぇ。ちょっと困りました」

「そうですか……」


 声音を変えて通路の奥からやって来たのはウォークだった。

 膝まである長丈の上着に袖を通し、その肩を飾る飾緒は8本を数える。

 それは、高度な官僚化が進んでいるル・ガル官僚の中でも最高位を示している。


 ――へぇ……


 ルフの表情が僅かに変わった。

 相手を値踏みするように足の先からじっくりと睨め回すルフ。

 だが、黒い毛並みを丁寧に撫で付けたイヌは、表情を変えずにルフを見た。


「まだお若いのにねぇ……」


 8本の飾緒を下げるなら、少なくとも200歳前後が相場と言える筈。

 年功序列傾向の強い官僚制度の中にあって、この若さでの出世などあり得ない。


 だが、まだ若いこの官僚は、既に8本をぶら下げていた。

 眼光は鋭く、利発かつ怜悧な印象を与える身のこなしはただ者では無い。

 そんなウォークの姿に、ルフは何かを思ったようだ。


「……我が王は才ある者を重用し、才無き凡夫には一瞥すらもありません」


 どこか呆れた様な口調だったルフに対し、ウォークは率直な物言いだ。

 だがそれは、サミールにしてみれば見事な反撃だと喝采を叫ぶレベルだ。


 太陽王をじっくり値踏みするつもりだった筈のルフ。

 だが、そんなルフに対し、お前が審判を受けるのだとウォークは言ったのだ。


 サミールとの僅かな会話の中からルフの内面を見透かし、言葉を返す。

 その手並みの鮮やかさを見れば、太陽王の実力も推して知るべしだ。


「……おもしれぇじゃねぇか」


 グルグルと喉を鳴らしながら、ルフはウォークを睨み付けた。

 だが、その強い眼差しを受けたウォークは、さらりとした顔で言った。


「どのようなご用件ですかな? 手前で間に合うことならば承りましょう」


 この若者はあくまで柔らかな態度を崩してはいない。

 だが、警戒を解くことは無く、常に周囲へ注意を払っている。


 言葉にすれば陳腐なものだが、いざをそれを目の前にすると焦るもの。

 注意深く思慮深く、静かにそこに佇む姿は、氷で出来た刃のようだった。


「太陽王の声に導かれやって来た。先ずは謁見を願う」

「……そうですか」


 ルフから視線を切ること無く、ウォークは思案に暮れた。

 午後の課業を前にして、太陽王は帝后リリスを見舞っているはずだ。


 カリオンにとって大切な時間である筈の、このひととき……

 それを邪魔するのもどうかとウォークは思案したのだ。


「なにが問題があるのかい?」


 ルフは験すようにそんな言葉を吐いた。

 ウォークの表情が僅かに変わり、その所作にルフは己の悪手を思った。

 だが、口から出てしまった言葉は風と同じだ。遡って消す事は出来ない。


 ならば、その言葉に責任を持つのが正しい流儀。

 片田舎の世間知らずと誹られようが、そこを曲げては男が廃る。


 粋で鯔背な心意気の塊は、自分の言葉に責任を持つのだ。


「……いえ、問題と言うより、まぁ、なんと言いましょうか――」


 身を半身にかわし、腕を組んで考え込むウォーク。

 いきなり腕を組まないのは、相手に対する配慮。

 正対し腕を組む事に無礼の気を悟ったのだろう。


 まだ小僧じゃないかと鼻白んでいたルフは、そのウォークの気遣いに唸った。

 自分ではなく、主君太陽王の為に、ただの一官僚が気を配っている。

 つまり、この城に勤めるスタッフの末端までもが、太陽王に心酔している。


 ――こりゃ手強いな……


 ルフは腹の底で、ただただ唸っていた。

 まだまだ世間を勉強しているはずの小僧までもが太陽王の為に気を使っている。

 それだけの敬意と配慮とを捧げられる存在が、この城の主なのだ……


「――要点を纏めるならば、今は王陛下の個人的な時間と言う事です」

「個人的?」

「えぇ。今は帝后陛下との……()()な時間を過ごされています」


 ウォークはあえて強い力点を置き、私的という部分を強調した。

 帝后リリス妃はいまだに意識を取り戻さず、眠れる美女のままだった。


「そうかいそうかい……」


 ケッ……


 どこか不貞腐れるように鼻白んで、ルフは呆れたように笑った。

 魔導家はそのどれもがプライドの塊で、自尊心を傷つけられる事を嫌う。

 だが、そんな魔導家、魔術師である自分を呼び出した太陽王は……


「……出て来いって呼び出しておいて、自分は女房としっぽりやってんのかよ」


 吐き棄てるように言った流布は、やってられねぇとばかりに錫杖を担いだ。

 そして、クルリと背を向け『あばよ!』と棄て台詞を残し歩き出した。


 バカにするのもいい加減にしろ……

 遠路遥々呼び出しておいて、女房と乳繰り合ってるから後にしろだなんて……


「やってられっか! バカヤロー!」


 吠えるようにそう叫んだルフは、そのまま城の城下を歩いた。

 ウォークとサミールを振り返る事無く、真っ直ぐな足取りだ。


 去り行くルフの背を見つつ、ウォークは「さて、困りましたね」と呟いた。

 鉄面皮なウォークの狼狽する姿を見られるかとサミールは思うものの……


「どうされます?」


 自分よりも遥かに若い官吏のうろたえる姿を楽しみにしたサミールは驚く。

 ウォークがニヤリと笑ってその背を見ていたからだ。

 そして、その理由を考えたサミールは、ルフの背越しに3人の人影を見た。


「……あぁ」


 ルフも足を止めて警戒する相手。

 トラの大男の目の前には、あの白薔薇の魔女3人組が立っていた。


「……おめぇさんがたも、ここに居なすったかい」


 それはルフなりに最大限気を使った言葉だった。

 黒いローブを纏い、フードを目深に被った存在。

 彼女たち3人の老魔女は、魔術師ならば誰でも知っている存在だった。


「おやおや……」

「誰かと思えば」

「トラの坊やも大きくなったねぇ」


 相手を見下す言葉が漏れ、ルフを打ち据えた。

 だが、意地とプライドの塊であるはずのルフは、小さく『へい』と応えた。


「坊やも王陛下に呼び出されたのかい?」

「へぇ……ここまでやって来たんですがねぇ」


 溜息混じりに吐き棄てたルフは、ご機嫌斜めな様子を隠そうともしなかった。

 不機嫌で不愉快で鼻持ちならねぇと言わんばかりに、言葉を続けた。


「なんでも今、そのイヌの王ってのが奥さんと仲良くやってるとかで、ちょっと待てときやがった。遠路遥々やってきて舞ってろってのは『お前さんらしい』


 老魔女の1人が言葉を遮って声を返した。

 だが、その声音には悲しみの色があった。


「太陽王も……帝妃と言葉を交わせるなら、どれ程心強い事か……」


 溜息混じりにそう言った老魔女は、節くれ立った指をスッとルフへ向けた。

 その瞬間、ルフは全身がまるで鉛の様に硬直し、目を見開いて固まった。


「……相変わらず恐ろしいこってす。面目ねぇ」


 遠めに見ていたウォークとサミールは、そこに何があったのかを理解出来ない。

 だが、魔力を見られる者なら、高度な魔術戦があったのだと理解するだろう。


 ルフは瞬時に防壁魔術を走らせ、全ての魔術に対し魔法障壁を立ち上げた。

 だが、老魔女の3人組はその障壁を突破し、束縛の魔術を行使したのだ。


 それはまさに、魔術の芸術であり、また、見えざる手による一撃。

 様々な経験から紡ぎ出された、まさに至芸の技であった。


「我らが案内しよう」

「そうだな。王もご理解くださる」


 老魔女の3人は顔を見合わせ歩き始めた。その後ろをルフが歩いて行く。

 だが、その姿はまるで泥酔者が踊りながら歩いているようなものだ。


 足を止めて振り返った老魔女の一人が、小声で何かを呟く。

 次の瞬間には、ルフの身体から力が抜け、その場に膝を付いていた。


「すまぬな。歳を取ると忘れっぽくなるのだよ」


 一方的な謝罪の言葉にウォークとサミールは顔を見合わせ首を傾げる。

 その実が思い浮かばない二人は黙って様子を伺っていた。


「おめーさんがた…… あの御三方には絶対に逆らうんじゃねぇぞ」


 ウォークとサミールの近くまで来たルフは、小声でそう言葉を掛けた。

 ローブ姿の魔女達は、そのまま城の中へと消えて行った。

 もちろん、その後ろにはルフが居たのだが……


「問題は解決したようですね」

「そうですね。とりあえず私は妃殿下の元へ」

「承知しました。では、王にお伝えください――」


 ウォークは小さなメモを懐より取り出し、サッと視線を走らせ確認した。

 これと言って問題になる件は無く、今日もル・ガルは平和だった。


「――お手を煩わせる案件は無し。辛礎解消へ向け、ご存分に……と」


 カリオンの言葉にサミールが頭を下げる。

 リリスの身体を案じる者達の心配と気遣いとが城の中にあった。


 ガルディブルク城とル・ガルを支える全ての者達が祈る快復。

 その願いを一身に集めるリリスは、この日もまだ眠れる美女だった。


 そんなリリスを支える者達が集まっているのは、太陽王の私室となる部屋だ。

 城の最上階にほど近い部分は、公的機関の一切ない王の後宮でもある。

 歴代の太陽王が集めたコレクションの女性達は、ここを生活の場としていた。


「……なにやら騒がしいですな」


 城の中を上がっていくルフは、その騒々しさに驚いた。

 それと同時、魔導に携わるものなら感じ取れる異変が起きつつあった。


 身体中の表面を静電気が走るような感触。

 それは、この場に莫大な魔力が集まっていて、大きな渦を巻いているからだ。


 そもそもにここガルディブルクの街は魔素の濃い環境だとルフは思っていた。

 遠くトラの国より旅をしてきたのだが、王都へと近づくほどにそれを痛感した。

 そして今、ルフはその爆心点へと到達した。


「こりゃぁ……」


 その光景に、ルフは息を呑む。

 最後の階段を上がりきり、緞帳で隔てられたその部屋の中は異常な空間だ。


 様々な種族の老若男女が集まっていて、盛んに討論を続けている。

 壁には巨大な羊皮紙が張り出され、墨と焼きごてとで記述が進んでいた。


 ――――結局届かないのか?


 声の主は誰だか解らない。

 まだ若い女の声だ。だが、その口調は百戦錬磨を思わせる老獪なものだ。


 ――――もう終わりだとでも言うのか?


 こっちは男の声だ。渋く嗄れた低い声だ。

 だが、強い意志を感じさせるものでもあった。


 ――――違う! 違うぞ!

 ――――まだ終わりじゃ無い!


 それはまるで少年のような声だ。

 だが、言葉遣いは老人の様でもあった。


 ――――大切なのは実践と理論の両輪を育てる事だ


 今度は間違い無く老練な男の声だ。

 その声を聞いたルフは、言葉にならない安心感を覚える。


 ――――何が足りないんだ?

 ――――どこがダメなんだ?

 ――――何が!


 室内に散乱するのは、莫大な量のメモ書きだ。

 足の踏み場も無い程だが、それをメイド衣装の者達が拾い集めている。

 そして、羊皮紙の貼られた壁の反対側に設置された巨大な棚に集められている。


 この部屋自体が巨大な研究室になっている。

 世界最高の頭脳が集まり、盛んに討論を繰り返している。

 積み重ねられるのは実践と理論とを積層にした経験という名の財産だ。


「どうだい? 凄いだろ?」

「これら全てが太陽王の呼びかけで集まったのだ」

「お主もその一人よ」


 老魔女の言葉に、ルフは思わず頷いていた。

 ザッと見て、その室内には30人からの魔導家が揃っていたのだ。


「……あぁ」


 ルフは感嘆した声を漏らしたまま、室内をグルリと見回した。

 その部屋に居るのは、イヌだけでは無く、ネコやウサギやキツネ。

 それだけで無く、見た事も無い種族が何処からとも無くやって来ていた。


 本来、この扇の大陸では全ての種族が共存していた。

 そんな中にあって、一番の苦労役だったイヌがル・ガルとして国家になった。

 あぶれた連中はそれぞれに種族国家を作り、自然と分離分割されていった。


 結果、本来一番の働きモノだったイヌが最大版図を持つようになった。

 そして、一番の我儘で怠け者だったネコが割を喰った。

 譲歩したり強調したりと言った部分が全く無い種族の宿命だった。


「これが……太陽王の実力だと言うことか」


 ルフは改めてその光景に息を呑んだ。

 イヌもネコも同じように、対等に話をし、論議を戦わせている。

 目指す結果は同じなのだろうから、自由な空気がそこにある。


「で、その太陽王ってのは……どちらさんで?」


 ルフは3人の老魔女に問うた。

 この中に混じっているはずだと、何の根拠も無くそう考えたのだ。

 だが。


「太陽王はここにはいないよ」


 老魔女の1人がそう呟いた。

 ルフは怪訝な色を浮かべるのだが、それを意に介す事無く言葉は続いた。


「ここは研究室だ。太陽王はリリス妃の所に居られる」


 ――リリス妃?


 ルフの表情がガラリと変わった。

 やはりその王とやらは、魔導家を集め研究だけさせているのでは。

 そんな疑念がルフの心に波風を立てさせた。


「今、案内しよう。我ら3人はあの部屋へと入れる」


 3人のなかで僅かに長身の老婆がそう言った。

 案内すると言われた以上は付いて行くものだとルフも理解した。


 そもそもに、何かここでアクションを起こしたところでどうにもならない筈。

 この部屋の中には自分に匹敵する魔導の専門家が幾人も存在している。

 もっと言うなら、この老いた3人の魔女にはどうやっても勝てそうにも無い。


 ならば、流れに身を任せるしかない。

 大人しく付いて行くのが常道と言うことだろう。


「こっちだ」


 老婆たちはそのまま歩き出した。

 研究室を抜け、ぶ厚い扉を越え、暖かな廊下を渡り小さな扉の前に立った。


「王よ。アグライアが御客人を案内いたしました」


 老婆の1人が扉の前でそう言った。ややあって『入れ』と声が返ってきた。

 それは、張りのある若い男の声だった。ルフは直感で『太陽王だ』と思った。

 声を上げた老婆――アグライア――が静かに扉を開け、その場で振り返った。


「何があっても声を荒げるな。良いな」


 その言葉には恐ろしいまでの迫力があった。

 ルフは小さく『へい』と応えるのが精一杯だった。


 アグライアと並ぶ二人は、全員が揃って白薔薇の魔法杓を持っていた。

 その魔法杓には恐ろしい力が込められているはずだった……


「参れ」


 老婆たちに続いて部屋へと入ったルフは、最初に強い眩暈に襲われた。

 一歩踏み込むごとに、まるでこの世が遠くなっていくような錯覚に襲われた。

 身体中に何か生暖かいものが纏わり付き、思うように前に進めないのだ。


 その正体はルフにもすぐにわかったが、対処の方法は全く思い浮かばない。

 まず持ってこれ程に強力な……


「この魔素はなんなんだ?」


 沼にでも落ちて溺れているかのような感覚がルフを襲った。

 自らの意志で制御出来ない魔素など、毒と一緒なのだ。


 この世界の全てが等しく持っているもの。多くの魔導家は魔素をそう考える。

 一言でいうなら水や空気と一緒の存在で、普遍的にそこらに存在するものだ。


「……お前さんの実力では、まだこれでは苦しかろう」

「良い経験を積めたな。まぁ、頑張って付いて参れ」


 老婆達は扉の奥の短い廊下を抜け、明るい広間に出た。

 かなりの広さを持つその広間には巨大な寝台が一つ置かれていた。

 その寝台の周辺には巨大な魔方陣が描かれているが、ルフには理解不能だった。


 そして、ルフの目は捉えていた。

 巨大な寝台の上には、透き通る様に透明な肌をした美女が眠っていた。

 間違い無くイヌの女だとルフは思った。


 思考に霞が掛かり、視界は大きく滲み始めている。

 ふと気が付けば、自分が立っているのか座っているのかも解らなくなり始めた。

 この部屋の中には、莫大な量の魔力が剥き出しの状態で漂っているのだった。


「気をしっかり持ちなされよ」


 老練な男の声が聞こえた。ぼんやりとした眼差しでそっちを見たルフ。

 その眼差しの先には、ウサギの小男が立っていた。

 全く影響を受けていない様で、飄々としたものだった。


「貴殿が如何なる方かは存じ上げぬが、この部屋に入るには少々実力が足らぬな」


 その言葉を吐いたのは、キツネのしかもマダラの男だった。

 普段のルフならば、その時点で完全にブチ切れているはずだが……


「どうやら……そうらしい……」


 それ以上の言葉を吐けず、ルフは片膝を付いて蹲った。

 まるで高貴な存在を前に傅く様に、跪くように、ルフは片膝を付いていた。


「アンタ……名前は?」


 その言葉を吐いたのはネコの女だ。

 どこかで見た事があるな……と、ハッキリしない意識の中でルフは考えた。

 一枚ずつ記憶のページを辿っていったルフは、その女の正体を思い出した。


「バカな……」


 ふと気が付いたとき、あの3人の老婆がルフを囲んで立っていた。

 白薔薇の魔法杓を翳し、三角形の即席魔方陣を拵えた。


「これで少しはまともになるだろう?」

「情けないねぇ」

「もう少し実力を付けるんだね。ここで」


 3人の老婆が次々と誹るなか、ルフの意識は急速にハッキリしていった。

 白薔薇のワンドによって魔素が取り除かれ、ルフは正気に返ったのだ。


「面目ねぇ…… しかし、凄い光景だな…… 信じられん」


 ルフの目は3人の魔法使いを捉えていた。

 この世界に残る正真正銘な3人の魔法使い。

 絶滅の危機に瀕した『良き隣人』と会話できる()()()だ。


「トラの魔導家よ。余の呼びかけに答えてくれた事を…… 余は嬉しく思うぞ」


 ルフの目がウィルやハクトやセンリを捉えていたとき、若い男の声が響いた。

 その声の主を探して目を泳がせたルフは、寝台の脇にマダラを見つけた。


 この城の中にあってイヌのマダラが存在している……


 ルフはそれが何であるかをすぐに理解した。いや、理解させられた。

 3人の魔法使いと3人の老魔女が傅く相手なのだ。


 太陽王。カリオン・アージンが目の前に居る。ルフはその事実に震えた。

 そして、その太陽王の周囲にはとんでも無い存在ばかりが居並んでいた。


 だが同時に、ルフはあり得ない感覚に襲われていた。

 この部屋の中に腐臭が漂っているのだ。死臭にも近い臭いだ。


 その臭いの発生源を探した時、ルフはそのあり得ない事実に気が付いた。

 柔らかな二つの膨らみを上下させて眠る美女。臭いの元はその美女だ。


 驚きの表情を浮かべたルフは太陽王を見た。


「……そちらが?」


 それ以上の言葉を紡ぐことが、どうしてもルフには出来なかった。

 太陽王カリオンがこれ以上なく悲しい顔をしたのだ。


「余の后であるこの女性が目を覚まさぬのだ。重なりである妻は、魂の状態の異常によって眠り続けたまま、凡そ半年になる。その間、一度も目を覚ましていない」


 カリオン王は優しげな手付きでリリス妃の頬に手を寄せた。

 その時、明らかに死臭が強くなり、ルフは眉根を寄せた。


「そしてそなたも気付いたことだろう」

「……へい」


 カリオンの声にルフは素直に返答した。

 それ以外の事が出来なかった。

 今にも太陽王が泣き出さんばかりの表情になったからだ。


「……今の妻は、生きながらに――」


 太陽王の頬を涙が伝った。

 その涙に、王の愛の深さをルフは知った。

 部屋の中に居た誰もが言葉を失っていた。


「――腐り始めたのだ……」

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