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夢への第一歩


 花吹雪く常花の街。王都ガルディブルクにも冬枯れの季節はある。

 街並みを彩る花壇や生け垣から花々の咲き乱れる様が消えるのだ。

 数少ない冬花の咲く様に、王都の市民は冬の足音を感じ、その訪いを知る。


 ただ、年の瀬が押し迫ってくれば、城下は違う華やかさに包まれ始める。

 太陽王の暮らす街では、様々な階層が新年を祝う為にパーティーを催すのだ。


 その席へ太陽王が姿を現すかどうかで、パーティーを主催する者の格が決まる。

 故に、主催者は万難を排して王のご機嫌を取り、出席を求めるのだった。


「陛下」


 まだ居室で寛いでいたカリオンの元にウォークがやって来た。

 執務までの僅かな時間だが、その時間に来るのは珍しい事だ。


「……どうした?」


 やや怪訝な表情でウォークを見たカリオン。その隣には快復したリリスが居た。

 あの白い毛並みは全て消え去り、今は健康的な肌を取り戻している。

 二人は僅かな時間をも惜しみ、魔法と魔術についての講義を受けていた。


 講師の役を引き受けるのはウィルだけで無く、ハクトやセンリ。

 今はもう絶滅寸前となった、本物の魔法使い達だ。


「行った方が宜しいでしょう」

「そうさ。あんた達ふたりの存在で一喜一憂する奴がいるんだよ?」


 ハクトとセンリは講義の手を止めてカリオンを促した。

 カリオンとリリスが聞いたのは、魔法の本質について。

 そして、遠い遠い昔からこの世界にいた彼ら『魔法使い』についてだ。


「いずれお主も…… それを感じられるようになろう」


 センリはそれ以上の言葉を飲み込み、カリオンを送り出した。

 魔力とはこの世界で普遍的に存在する場の力に過ぎない。

 そして、それに干渉できる精霊や妖精とコンタクト出来る者を魔法使いと呼ぶ。


 そんな講義を聴いたカリオンは席を立ち、ウォークに続いて執務室へと入る。

 もっと話を聞きたかったのだが、王の仕事もまた重要だった。


「……で、何があった?」


 穏やかな声音で聞いたカリオン。

 ウォークは纏められた羊皮紙の束をカリオンの前に置いた。


「公爵家主催の舞踏会と晩餐会が2件。今年はレオン家とスペンサー家です」

「……そうか。そんな時期だな」

「そして、レオン家の衛星貴族家が主催する貴族階級のお茶会が2件」


 ウォークの言葉にカリオンが表情を変えた。

 舞踏会では無くお茶会の場合、それは夕刻では無く日中に行われる。

 レオン家の先代当主ダグラス卿が知恵を巡らし、日中に変更したのだろう。


 病み上がりのリリスを引っ張り出す為の方便……


 公爵家の舞踏会や晩餐会には、リリスも出席せざるを得ない。

 だが、貴族向けの舞踏会となれば欠席もあり得たのだ。

 それ故に、ダグラス卿は考えた。リリスの負担を減らす算段を……だ。


「ダグラス卿の考えそうな事だな」

「全くです」


 ふたりして腹黒い笑みを浮かべるのだが、羊皮紙はまだ尽きてはいない。

 丸められたその束を前に、カリオンは微妙な表情を浮かべた。

 リリスの負担が大きすぎると思ったのだ。


 回避出来ないノブレスオブリージュ(貴族階級の義務)として、リリスは出席する事になる。

 だが、その負担を減らしてやる事は出来るはずだ。


「残っているのは?」

「えぇ……」


 ウォークは羊皮紙の束を広げカリオンに見せた。

 その中身をチラリと見て、カリオンは溜息をこぼす。

 それは、太陽王を支える王都市民の市民祭だ。


「これは出ない訳にはいくまい……」

「……ですね」


 街の長と各地区の代表とが協議し、市民の為に開催されるものだ。

 そして何より、我らの太陽王を一目見ようと、市民達が集まるのだ。

 それは、周辺の各都市からも集まってきて、王都の宿はどこも満室になる。


「さて…… リリスをどうするか……」


 カリオンは執務室の椅子に身体を預け、頭を掻いていた。

 その姿にはいつの間にか風格が漂い、ウォークはジッとその姿を見ていた。

 我が王カリオンは、この数ヶ月で大きく人生経験を重ねていた。

 そして、懊悩の夜と逡巡の昼を越え、人間の厚みを増していた。


「帝后陛下におかれましては、療養中という事で『それはまずいわ』


 ふと気が付けば、リリスは王の執務室へとやって来ていた。

 すぐ傍らにはサミールが付き、リリスを支えていた。


「私の事は心配しないで。いっぺんで無ければ大丈夫よ」


 ニコリと笑ったリリスはカリオンの隣に座った。

 腹部の傷は癒え、血を流す事も無くなっていた。

 ただ、病的に痩せたその身体には、まだ丸みが戻ってはいなかった。











 ――――――――帝國歴339年12月8日 午前9時前

         ガルティブルク城 太陽王私室










 センリを相手にしたマンツーマンの教育は、確実にリリスを変えていた。

 そもそもにガルディブルクの女学校で鍛えられた存在なのだ。

 才女と言って差し支えないレベルの知識と教養とを兼ね備えている。


 だが、それ以上に言える事は、リリスの育ってきた環境の特殊さによる鍛錬だ。

 厳しく難しい幼年時代少女時代を過ごし、我慢強さと忍耐強さを身に付けた。

 そして、人を観察する能力と理解する能力は並の人間には身につかないレベル。


 その全てが、娘の将来を見据えた父カウリの教育だったのかも知れない。

 帝后として国母の座に納まるであろう娘に、並では無い教育を施したかった。

 だからこそ、カウリはウィルケアルヴェルティを家庭教師に就けていた。


 そして、今のリリスに付いた相談役は、歴史に名を残しているネコマタだ。

 ネコの国の奥深くにあって、権力の中枢を担うネコは必ず女系である。

 

 彼らネコの伝説では、ネコはこの世界全てを闊歩出来る存在だった。

 神の膝の上にあって、思うがままに振る舞う事を許された存在。

 若さと好奇心と無鉄砲さを兼ね備えた、心若き娘達。


 扇の大陸『ガルディアラ』の『ガル』とは、本来『ギャル』と発声する。

 神の言葉で若い娘を指すギャルとは、ネコの様な我が儘娘と言う意味だった。

 そんなギャルを統べる存在の相談役であるセンリがここに居る。

 クィーンオブギャルを育ててきたと言われる存在が……だ。


 ――――いいかい?

 ――――あたし達はね

 ――――普通の生き物じゃ無いんだ

 ――――それはもう仕方が無い事なんだ

 ――――それは受け入れるしか無いんだよ


 センリの授業の最初はそこから始まった。

 そしてリリスは、それを何の抵抗も無く受け容れていた。


 自らの出自が人と違う余りに特殊なモノである事は承知しているのだ。

 呪われた魔法薬によって生み出された人ならぬ存在。

 そして、それをもっとも端的に表現する単語は、もはや『化け物』でしか無い。


 しかし、リリスは自分自身の出自を、どこか誇りにしている部分がある。

 特殊で特別な存在であり、人と違う存在である事に誇りがあるのだ。


 『私の夫もまた同じ存在です』


 リリスは笑みなど浮かべてセンリにそう言った。

 センリもセンリで『そうだねぇ』と相槌を打っていた。


 全てに鷹揚と振る舞い、相手が何者でも気後れせず、余裕を持って生きる存在。

 リリスは気が付いていた。このセンリの正体こそはネコの国の女王そのもの。

 全てを超越するとんでもない魔力の持ち主こそが、クィーンオブギャルなのだ。

 そして、その眼鏡に適う存在を探しだし、それを育て、女王の座に就けている。


 いつかやがて、このセンリも転生の秘術で生まれ変わるのだろう。

 そして、この化け物を超越した化け物が女王になるのだろう。


 この存在が女王になる時、ネコの国は世界を統べる……


 その時、イヌの社会と国家が押しつぶされないように。

 どんな時代でも、一定の独立と尊厳を保っていられるように。

 ネコの奴隷として使役されるだけの存在にならないように。


 ――センリを利用しなきゃ……


 リリスはそう決めていた。

 間違い無くセンリに見抜かれていると、そう思っていつつも……だ。


「しかしまぁ…… 大変だぞ?」


 カリオンは優しい声でリリスを労った。

 幾つも仕立ててあった美しいドレスも、今のリリスには緩いのだ。

 元々が線の細い存在だったが、今のリリスはなお細い姿だ。


「いっぱい食べて太らなくちゃ!」

「……身体が受け付けりゃな」


 リリスの軽口を制したカリオン。

 実際、病み上がりのリリスは驚く程に食が細くなっていた。

 食べても身体が受け付けず、少しずつ少しずつ何度も食べるしか無い状態だ。


 貴顕の存在と言う事で、嫌でも彼女は健啖家に育っていた。

 だが、今は小さなサンドイッチとカップ一杯のコーヒーで用が足りる。

 ビスケットやクッキーなら、5枚も食べればもう要らないと言い出す。


 不味いからでは無く、食べたくなくなるのだった。


「恐れながら申し上げまする」


 ウォークは胸に手を当ててリリスへ礼を尽くした。

 それは侍従や従僕と言ったモノでは無く、この王夫妻の執事としての振る舞い。

 まだ若きこの男は、自らの運命として王夫妻を自らの頭上に掲げていた。


「なに?」

「少し、ワインを嗜まれるのは如何でしょうか?」

「……なるほどね」

「酒の力とは言いますが、食事も楽しくなると言うものです」


 ウォークの赤心な言葉は、リリスの胸にもスッと染みこんだ。

 僅かに首肯し、『ありがとう』と声を掛ける。

 その間にもサミールはリリスの肩にショールを掛けていた。


「いずれにせよ――」


 そっとリリスの肩を抱いたカリオンは、ウォークに目をやって言った。

 磐の如き威を見せるカリオンの姿に、ウォークは背筋を伸ばした。


「――リリスが心配だ。出席はするが、夜会と昼会が『重ならぬように』


 心得ております……

 そう言わんばかりにウォークは胸に手を当てて会釈した。


「行事の間隔は最低でも3日ほど開ける形で手配を致します」

「そうだな。それがいい。それと、お前なら解っていると思うが……」

「……畏まりました」


 何も言わなくともカリオンとウォークは通じている。

 王の希望を執事はしっかりと見抜き、理解していた。


「先ずは帝后陛下の体力錬成ですね」

「そうだな」


 カリオンはリリスを抱き寄せ、『大変だぞ?』と囁いた。

 それを聞いたリリスは『大丈夫! 任せて!』と応えた。


 本来ならまだまだ若いふたりなのだから、先ずは食べて身体を動かすことだ。

 身体を形作り、血肉となって支えるものは食事しかない。


「……少し歩こうか」

「うん」


 リリスの腰を支え、カリオンは城のテラスに出た。

 遠い日、琴莉と五輪男の二人が再開した、あの花々の咲き乱れる王の中庭だ。

 庭師達がせっせと手入れを続けているそのテラスに、時ならぬ太陽王が現れた。


 城の警備をする騎士や庭師達が一斉に傅き、壁際に下がって道を空けている。

 その中をカリオンは歩いた。リリスの手を取り、ゆっくりと、慎重に。


「そなた達の仕事を邪魔して済まぬ。妻の散歩だ。続けてくれ」


 柔らかな言葉を選んではいるが、それでも王の威厳は健在だ。

 言われるがままに庭師は作業を再開したが、その姿が気になり手に付かない。


 ただ、それでも仕事をこなすのは、やはり職人の矜持だろうか。

 見事に駆り揃えられたハイドランジアの枝には、来年を待つ若芽があった。


「次の初夏も奇麗に咲きそうね」

「そうだな。耐えて忍んで春を待つと父は言っていたが……」

「母さまもそう言ってた。辛い日々があるから、楽しい日々が輝くって」


 2人の中にまだ姿を現す五輪男と琴莉の夫婦。

 辛酸をなめて苦労を重ねた2人の教えは、今もカリオンとリリスを支えていた。


「大丈夫か?」

「……うん」


 驚くほどに細くなったリリスの足は、まるで爪楊枝を縦に割ったようだ。

 自らを砕いて我が子に与え続けたリリスの身体は、驚くほどに弱っていた。


 失った血肉は食べる事でしか増やせない。

 だが、ものを食べても消化に2時間掛かる。

 全身くまなく巡りだし、必要なところへ届くまでには、更に2日を要する。


 そして、血肉となって身体を形作るまでには2週間を必要とする。

 リリスの身体を癒すなら、本来2ヶ月が必要なのだった。


「……そろそろ帰ろうよ」

「そうだな。無理したって良い事なんかないしな」


 テラスの花壇を眺め、冬の寒さに負けず健気に咲く花々に目を細めたリリス。

 その頬はあの白い毛並みに覆われていた頃の様に白く透き通るような風合いだ。

 花壇の中で真っ赤に咲く花の紅色を映し、赤く染まるほどだ。


 ――なんとしても……


 カリオンは心中にその思いを秘めていた。

 そして、みずからが持てる力の全てを使うつもりでいた。


 ただ、そんな覚悟や決意を軽く捻り潰す存在がいる事を、カリオンは知らない。

 運命と言う名の怪物がすぐそこに迫っているのを気が付かなかったのだ。






 ――――5日後






「帝后陛下に於かれましてはご機嫌麗しく――」


 12月もそろそろ折り返そうかと言う13日の夕刻。

 王都北東にある公爵レオン家の大ホールには、王都の高階層が集まっていた。

 各公爵家が毎年持ち回りで行なっている、上級貴族が集まった舞踏会だ。


 それは、かつて北の梟雄と恐れられたフレミナ一門への宛て付けイベントだ。

 ル・ガルと言う国家が一衣帯水に団結している事を示す一大セレモニーでもある。

 この舞踏会は伯爵以下が立ち入れない夜会であり、侯爵以上のみの参加だ。


 そして、大公爵の地位を得ている筈のフレミナ家が呼ばれた事は一度も無い。

 会の意義を思えば、呼ばれる筈も無い事だった。


 だが、この会へ今年、始めてフレミナ家を代表する者が参加した。

 フレミナの王となったオクルカが招かれたのだ。

 様々な軋轢を乗り越えた象徴として、また、ル・ガルを形作る一群として。


 オクルカ・トマーシェー・フレミナはこの会へとやって来た。

 遠く、フレミナの地より、その妻イローラを呼び寄せてまで……


「わざわざのご足労。お疲れ様でした」

「とんでもありません。王都へ登れるとあって楽しき道のりでした」


 リリスと言葉を交わしたイローラは、リリスが驚くほどの美しさだった。

 そして何より大きな体躯をしたイローラは、リリスよりも遥かにグラマーだ。


「イローラさんに並ぶと負けますわ」

「そんな事はございません。帝后陛下の――


 何かを言おうとしたイローラだが、リリスは遠慮なくそれを手で制した。

 そして、顔を振ってそれぞれの夫を見た。イローラもそうしたのだが……


「あれで良いと思います」


 リリスはニコリと笑ってイローラを見た。

 そこにはカリオンとオクルカの2人が向かい合わせに立ち、談笑していた。

 剣を交えて戦った仲なのは、リリスにもイローラにも分かっている。

 その2人がまるで100年の友の様に笑っていたのだ。


「奥方は何とも災難でしたな」

「えぇ。全くもって」

「衷心より御見舞い申し上げる」

「痛み入ります」


 その会話が表向きのものである事は、二人の表情を見れば解る。

 難しい立場に立って困難を乗り越えなければならない肩書きなのだ。


 オクルカとカリオンは相互いに相憐れむ部分があった。

 つまりそれは、並では理解出来ない問題を幾つも抱えていると言う事だ。


「……して、トウリ殿は?」

「私としては今までと変わらずと、そう言っているのですが……ね」


 深く溜息をこぼしたカリオンの姿に、オクルカも内情を察した。

 トウリは屋敷の奥に引きこもり、蟄居隠棲を貫いていた。


 本来であればカリオンの片腕として辣腕を発揮する存在だ。

 だが、そのトウリは徹底して己を恥じていた。


「何とか…… 立ち直って欲しいのですがね」

「カリオン王の要請でもダメですか」

「えぇ。そうなんです。むしろオクルカ殿に見舞いを頼めませんか?」

「……なるほど。御安い御用です」


 肝胆相照らすように話をする2人。

 それを見ていたリリスは、静かな声でイローラに言った。


「私の事はリリスとお呼びください。その方が…… 気が楽です」

「……わかります。それ」


 迷う事無く弱みを見せたリリスの姿に、イローラはその孤独を見た。

 フレミナ王であるオクルカは、フレミナ社会の中で孤独を深めている。

 そんなオクルカに取り、弱音をこぼせる相手はカリオンだけなのだろう。


 支配者の頂点にある現実をイローラはよく知っている。

 そして、それと同じ事がリリスにもあるのだと気が付いた。


「……リリスさん。お加減はよろしいのですか?」


 全てを飲み込んだイローラはリリスを気遣った。

 夫オクルカから聞いたとおり、子を成しても刺客にやられてしまったと言う。

 そして、

 リリスはそれに気が付き、ニコリと笑って首肯した。


「お陰さまでだいぶ良くなりましたが、まだちょっと辛いですね」

「ご無理なさらず……」

「えぇ」


 ただ、そうは言っても無理をせざるを得ないのだ。

 帝后と言う肩書きは、このル・ガルの中で2人と持っていないものなのだ。

 だからこそ、リリスは夫カリオンを支えなければならない。


 王の座にあるカリオンは、己の全てを掛けて職責を真っ当しようとしている。

 そこには個人の思いや我儘と言ったものが入り込む余地など無い。


 連日連夜となる様々な案件を処置し、処理し、前進せねばならない。

 そんな激務の合間に、つかの間の安らぎを求める存在こそが帝后だ。

 それを重々承知しているからこそ、リリスは意地を張らねばならなかった。


「北の海で取れる海獣の脾肉は滋養溢れるものです。フレミナの女を支えます。それを献上しますので、どうかご賞味を」

「ありがとう。楽しみですわ」


 2人の話のきっかけはそこだった。

 それから始まり、2人のおしゃべりは留まるところを知らず続いた。

 途中、リリスはせっかくの舞踏会と言う事で、一度だけカリオンと舞った。


 だが、曲の終りも早々に、再びイローラと雑談に興じ続け、会は閉幕した。

 幾人かの挨拶を受けたリリスは、フレミナ王妃と共にそれを受けた。

 今までになかった事が起きたのを、ル・ガル貴族の誰もが感じていた。


「いつまでご滞在ですか?」

「新年はフレミナの地でと夫は言ってましたが――」


 チラリと夫オクルカを見たイローラは、小さくペロリと舌を出し笑う。

 そのはにかんだ様な笑みに、リリスも楽しげに笑った。


「――王都に居た方が楽しそうですわ」

「明日はお疲れでしょうから、明後日にでも城へお越しください。続きを」

「お招きに預かり光栄ですわ」


 淑女としての教育をされていないはずのイローラだ。

 時としてその振る舞いと言葉遣いは粗野な色が滲む。


 だが、それを感じてなお、野卑とした部分はなかった。

 胸を張り、自信と矜持を持ち、強く生きる姿を滲ませていた。


 レオン家の玄関先を離れる時、二人は手を振って分かれた。

 まるで年頃の女学生がそうするように、笑いあって手を振ったのだ。


「楽しかったようだね」

「そうね。久しぶりに楽しかった」


 全ての肩書きをかなぐり捨て、1人の人間として時間を楽しんだリリス。

 一度は全てを諦め死を覚悟したのだから、その楽しさもひとしおだ。


「色々と土産を貰ったそうだな」

「そうなの。海獣ですって」

「魚とは違うのかな」

「多分ね」


 まだ楽しげに笑うリリスを眺め、カリオンもまた笑った。


「城の厨房で料理人の意見を聞こう」

「そうね。どんな料理かしら」


 リリス自身、女学校の中で一通りの料理を出来るように仕込まれている。

 それは、貴族家など当主の妻として振舞う為には、必須の能力だ。


 女の仕事のいろは全てを人並み以上にこなせて当たり前。

 貴族家の中の女性陣を束ねる元締めとなるのだから、出来なければ困る。

 カリオンは改めてリリスの才女ぶりに目を細めた。


「リリスはたいしたもんだな」


 揺れる馬車のなか。

 率直な言葉を吐いたカリオンは、頼もしげな目でリリスを見た。

 信頼と愛情とが混ざりあい、カリオンは何の理由もなくリリスを抱き締めた。


「快復して良かった」

「あなたのおかげよ」

「え?」

「あなたが支えてくれたから」


 リリスはカリオンの手をとり、自らの胸に手を当てさせた。

 その胸のなかから、力強い鼓動が響くのをカリオンは感じた。

 生命の叫びにも似た、魂を揺さぶる力強い動きだ。


 ふと、カリオンはあの時聞いた、本来なら我が子だった者の声を思い出した。

 嘲笑うような、喜びの声のような、そんな叫びだった。


「……ゴメンね」

「え? なにが?」

「本当なら……」


 何かを言おうとしたリリス。

 カリオンはその口に自らの指を当てて言葉を封じた。


「いま、ふと思ったんだ」

「……なに?」

「あの子は…… 生まれなくて正解だったのかもしれない」


 カリオンの言いたいことを理解できないリリスではない。

 どこか思い詰めたような表情にも見えるカリオンは、僅かに俯いた。


「センリの言うとおりかもしれない」

「……そうよね」


 カリオンとリリスに対し、センリははっきりと言っていた。

 自分達がまともな生き物だなんて金輪際思うな!と。

 そして、世界の終わりを巻き起こしかねない、呪われた存在だと。


「重なりと言ったか。それの研究をさせよう。国中の魔術師達に通達する。国家の為に研究せよと。そして、なんとなら……」


 カリオンはニヤリと笑ってリリスを見た。


「俺自身が研究材料になろう」

「カリオン……」


 驚いたリリスは首を降って拒否の姿勢を見せた。

その目に涙など溜め、それはダメだと意思表示した。


「いや、良いんだ。良いんだよ。いま思ったんだ。トウリ兄貴の子を養子に貰うことで兄貴を赦そうと思う。楽にしてやりたいんだよ。そして、その子が次の太陽王だ。新しい世界のためなら、俺は喜んで研究されるよ」


 それはカリオンの決意だった。

 この世界には、重なりについての横断的な知識が不足している。

 それを体系だった知識にする為に、カリオンは喜んで参加するつもりだ。


「そしていつか、重なりに生まれたものですら幸せに暮らせる世界にしたい」


 カリオンの語る夢は、そう簡単に実現できるものではない。

 だが、それでも夢は見るものだ。そうでなければ実現出来ないのだから。


 城へと戻る道すがら、カリオンとリリスはその夢を語り合った。

 話せば話すほど、リリスもカリオンの夢に賛同した。


 同じ目標を持つ夫婦は強い。

 自らの夢に賛同してくれる妻の姿に、カリオンは喜びを感じた。


 ただ、その喜びは、長くは続かなかった。


 城へと戻り、居室へと入ったリリスがいきなり吐血して倒れたのだ。

 城中が大騒ぎになるなか、カリオンはリリスの手をとり、その名を呼び続けた。

 命を削ると言うことの本質を、誰も理解していなかったのだった……

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