リリスを蝕む正体
「オズかい?」
話しを振られたセンリは、一瞬だけ酷く狼狽えた。
そして、一息置いて遠くを見てから一つ息を吐いた。
遠い日の記憶を呼び起こそうとする女のいじらしさ。
出来れば忘れてしまいたい、でも、絶対に忘れたくない。
そんな古き佳き時代の面影を拾い集めるような、そんな姿だ。
「あの男は――」
ハクトとセンリが城へやって来て既に10日目。
それぞれの専門分野でリリスの治療が始まった。
もっぱらリリスの面倒を見ているのはセンリだ。
貴顕の出であり、女中などに身体を触られる事にも、リリスは余り抵抗が無い。
ただ、子を為して胎内でそれを育み世に送り出すと言う行為は神聖なもの。
そして、その課程で女の身体に起こるアレコレならば、やはり女の出番だ。
「――オズのオは尾っぽのオ。ズは頭って意味のズ。この世の終わりに現れ、始まりに姿を消す。自分じゃそう言ってたよ。随分と…… 気障な男だろ?」
ほんのりと笑ったセンリは、リリスの腹を探りながらそう答えた。
グジュグジュとしていた傷口は、センリの手によって開かれてしまった。
センリは遠慮無く手を突っ込み、その傷口を左右へと大きく開いている。
普通ならば激痛に意識を失うか、それすら出来ず泣き叫び続けるか……だ。
だが、リリスが寝転がるベッドのまわりには、巨大な魔方陣が描かれている。
それは、ハクトが構築した巨大な魔力吸収陣だ。
周辺に漂う微量な魔力を集め、それを集約してリリスへと送り込んでいる。
そもそもに『場』が強いとされる巨石ミタラスの上なのだ。
しかもそれは、大陸ガルディブルクを流れるガガルボルバの河口に有る。
大陸中から少しずつ集まる魔力全てが、奔流となってリリスに注がれていた。
「痛むかい?」
「いえ。全然」
「じゃ、呪が封じられ祝が効いてるってこった」
祝と呪。それは、魔力と呼ばれるエネルギーの呼び方違いだ。
センリが説明するに、そもそもそれは、オズの見つけた魔力の肝。
『魔力とは単なる力にすぎない』と言う事実を呼び分ける術でしか無い。
それを役に立つ形で使役すれば『祝』
逆に、命を削り、生命に徒なす形にすれば『呪』
センリの見立てに因れば、リリスの身体に起きている異変の本質は新しい命だ。
この世に生まれ出でようとしていた命が、死にたくないと頑張っている。
つまり、呪と祝は紙一重なのだった。
――――――――帝國歴339年11月22日
ガルティブルク城 太陽王寝室
――――アンタの身体を蝕んでいるのは魔法薬で生み出される新しい命さ
――――新しい命がアンタの命を食い尽くそうとしている
――――それだけの事なんだよ
――――新しい命ってのはね呪にも祝にもなるもんさ
それを受ける魂にとって有益なら祝。有害なら呪。
その境は曖昧で、要するに生命そのものに効果を発揮する魔法の仕組みは一緒。
つまり、魔法とは薬士が調合する薬と本質的に何ら変わるものではない。
程度が過ぎれば毒になり、有益に働いているうちは薬なのだ。
「あんたのその身体は重なり特有の状態さ。腹にいた子が死にきってないからエリクサーをバカ食いしてるだけだ。もう助からないけど、死にきってもいないのさ。重なりの子は重なりなんだよ――」
リリスの身体は死にかけの子供に向け、最大効率で栄養を供給し続けている。
その為、自分自身の身体は後回しになっている状態だった。
「――重なった魂を全部殺しきるまで、重なりは死なないのさ。そんで、生き残っている魂が自分の力を分け与えて、死んだ魂を再生しようとしている。でもね、もう死んだ魂は、いくら力を注ぎ込んでも再生なんかしないんだよ。底の抜けた桶に水を注ぎ込み続けるようなもんさ。その水こそがアンタの命そのものだ」
身体を失ったその子は、ごく僅かに残った部分から再生しようとしている。
だが、その再生の代償として、リリスの身体から莫大な養分を吸い取っている。
そしてそれだけでなく、消え入りそうなその命ですら母親から吸い取っていた。
命を分け与えこの世に送り出すのは、母親にだけ出来る神の奇蹟。
その奇蹟のシステムがこの場合は仇になっているのだった。
「こうみえたってアタシも女だ。あんたの気持ちはよくわかる」
センリはリリスに言った。
腹に僅かに残っている子供を殺しきるしか、自分自身が助かる手立てはない。
リリスの腹の中では、死にかけた子がエリクサーによる毒を吐き出していた。
そして、その毒は、あたかも呪のように母であるリリスを蝕んでいた。
ただ、母体はその毒をすべて吸い取り、子供のために養分を送り続けている。
岩のような表情のリリスは、しばらく迷ってから決断した。
『お願いします』
こんな時、無条件に子を守ろうとするのは母親の本能かも知れない。
ただ、逆に言うともうダメだとなった時に冷徹な切り捨てが出来るのも母親だ。
――――ダメならまた作れば良い
そう考えてしまうのもまた、母性本能の成せるワザ。
新しい命を生み出せるという能力は、時に非情な決断を下せるのだ。
「多分だけどね、また、十年はあいつから搾り取るようだよ」
センリはヒヒヒと笑いながら、あえて明るい声で言った。
それが何を意味するのかは、リリスにだっていやと言うほど伝わった。
胎内の奥深くへ放たれたカリオンの胤は、幾度も幾度も受精を繰り返したのだ。
そして、重なりとなって世に生を受ける。
五人十人と重なった魂は、こうしてようやく世に放たれるのだ。
「これはちょっと痛いよ。覚悟おし」
コクりと首肯したリリスは、奥歯をグッと噛んだ。
だが、その胎内でセンリの手が何かを掴んだ時、リリスは悲鳴をあげた。
奥深くまで入ったその手は、リリスの胎内にしがみつく何かを捉えたのだった。
「バタバタ騒ぐんじゃないよ! 未通女みたいにジタバタすんな!」
リリスの肺腑にたまっていた空気が抜けきり、悲鳴がそこで途切れた。
その胎内にあった何かが大きく膨らみ、リリスの身体が弓なりに撓る。
だが、その激痛は収まる事無く、無くなった息を絞り出して声が漏れた。
一瞬だけ途切れた激痛の合間、貪る様に空気を吸い込んだリリス。
だが、再びやって来た激しい痛みに、断末魔のような叫びを上げた。
「さぁ出てきな! お前が居て良い場所じゃないんだよ!」
リリスの胎内から血液が飛び散った。
大きく開かれた腹部の中は、文字通りに血の池だ。
その中に何かが蠢いている。モゾモゾと動いている。
センリの手はその何かを押さえるようにして捕まえていた。
「この世のものならぬ魔の子よ! この世のものの姿を取れ!」
センリの叫びが部屋に響く。
あり得ないほどにあふれ出てくる血の海は、どす黒い赤ではなく漆黒だった。
そしてその黒い血の池の奥から、ポコリポコリと気泡がわき上がってくる。
「アンタの胎内と冥府が繋がったよ! ここからが勝負だ!」
酸欠状態に陥ったリリスは、全身の毛を逆立たせて痙攣している。
白銀に輝くその体毛は、細かく震動する事で辺りの光を吸収していた。
どこまでも続く無限の闇。それこそが冥府の世界。
ごく僅かなものでも良いから、光を求める。
それこそが冥府に蠢く者達の本望だった。
「ジャマヲスルナ!」
深い地の底から沸き起こってくるかのような声が響いた。
本能的な恐怖を呼び起こす声が、リリスの中から聞こえてきたのだ。
「リリス!」
幾多の悲鳴を我慢していたカリオンだが、その声には反応してしまった。
絶対に入るなときつく釘を刺されていたのだが、ドアを蹴り開け飛び込んだ。
だが、そこで見たのは、リリスの腹から飛び出ている正体不明の化け物だ。
「扉を閉めな! 結界が解けちまう!」
センリは叫び声に近い指示をだし、カリオンは慌てて戸を閉めた。
リリスの返り血を浴びているセンリは、右腕を肘から食われていた。
「母を喰ろうか! この馬鹿者め! いや! 化け物め!」
センリの声に反応したのか、その化け物はギャー!と叫んだ。
まるでリリスの腹から木が育っているかのようだ。
見上げる程になったその化け物は辺りを見て、剣を抜いたカリオンを見つけた。
そして、まるで幼い子供が笑うようにギャッ!ギャッ!と叫んだ。
――我が子か……
カリオンはそう直感した。
リリスの腹の中から出て来たその化け物は、カリオンを父と認識したのだ。
だが……
「何でも良い! 魔剣を持ってきな! 呪に負けない強いやつだ!」
センリは自分の右腕を押さえながら叫んでいた。
つまり、並みの剣では太刀打ちできないと言うことなのだろう。
「姫! 後免被りやす! どうかあっしを恨んでくだせぇ!」
カリオンの背後にいたリベラが飛び出した。
その手に握られているのは、刃渡り30センチほどの小刀だ。
ただ、その小刀は刃が黒く染め抜かれている代物だった。
「あんた! なんてもの持ってんだい!」
悲鳴を上げ掛けたセンリは、ギリギリでそれを飲み込んだ。
結界の中に飛び込んだリベラだが、その手にしていた小刀が大音声で叫んだ。
それは、夥しい数の断末魔であり、事切れる寸前の怨嗟であり、そして……
「人の血を吸いすぎた呪物にござんす」
黒染めの刃から、ポタリポタリと黒い滴が落ちた。
床に落ちたその滴は、腐った血のような臭いだった。
リリスの胎内を通じ、冥府の瘴気が室内へと流れ込む。
その影響だろうか。剥き出しになった魔力が無造作に漂っていた。
そしてそれは、思う事、願う事が強ければ強いほど顕現化してしまう状態だ。
殺して殺して殺し抜いたその小刀には、生者をとり殺す悪霊が住んでいた。
次なる仲間を求めて手を伸ばす餓鬼の姿が、幾つも浮かび上がっていた。
ただただ単純に生ける者が憎い。死んだ者は生ける者の存在が憎いのだ。
故に、そんな者を見つけては、冥府へと引きずり込もうとする。
生ける者と死せる者の住まう世界は全く異なる。
その境を乗り越えようとしている化け物は、餓鬼から見れば敵だった。
「ってぃ!」
リベラの気迫が部屋の空気を振るわす。
心の弱い者ならば、その餓鬼の姿と怨嗟の声に心喰われてしまうだろう。
そして、永遠の闇の中で苦しみ続ける餓鬼の仲間となってしまう。
だが、冷静で冷徹な細作は、その刃の餓鬼を完全な支配下に置いていた。
全てを圧するかのようにねじ伏せるリベラの気迫は、化け物に襲い掛かった。
「あっしの主を持って行かれちゃ困りまさぁ」
リベラの一閃は樹木のように伸びたその化け物を捉えた。
幹の部分を切り裂いたその刃は、大きく伸びていた化け物を両断した。
だが。
「ダメだ! 引っ込ますな! 引きずり出せ! 全部! 全部だ!」
センリは悲鳴混じりの声で叫び続け、その金切り声にリリスが身体を固くした。
命をめぐる壮絶な戦いは、許容も容赦もない無慈悲なものだ。
リベラは僅かに残っていたその化け物に左手を伸ばした。
利き手を引っ込めたのは無意識だった。
センリの腕が食いちぎられたのを見て、咄嗟に左腕を捨てる決断をしたリベラ。
そのセンスと気合いの入りかたは、場数を踏んだ細作ならではだろう。
「手前の主をけぇしていただきやすよ」
リベラは化け物の腹へ左手を突っ込んだ。
その手にしていたのは、小さな鉤爪だ。
相手の首や二の腕の裏側、内腿と言った太い動脈を掻き斬るものだ。
「さぁ!」
その時、なんとも嫌な感触だとリベラは思った。
生暖かくも冷たくなった人の肉。そして、微かに振動している。
リベラはそれがなんだか知っていた。
血を失って死にゆく者は、身体から熱が逃げていくのだ。
そうやって死ぬ者は、血液の残っている所だけが生暖かい。
酸欠になった部分が痙攣し、急速に死んでいく。
なんとも嫌な感触だとリベラは思った。
そして、それが主リリスでなければ良いと思った。
「グッ!」
リベラの指先に鋭い痛みがあった。
喰われたと思った。だが、指先の感覚はまだ残っている。
「往生際が悪うござんすねぇ」
鋭く息を吐き出し、リベラは力任せに左手を持ち上げた。
グチョリと鈍い音が響き、同時に濃密な死臭が漂った。
腐った死体が放つその臭いは、胸を悪くするものだ。
「今まで色々と見てめぇりやしたが――」
リベラの左手に噛み付いていたそれは、とても一言では形容できないものだ。
小さな小さな嬰児らしきものが幾つも雑多に絡み合い、複雑な形状をしている。
その表面には夥しい数で小さな手足が飛び出ていて、ウネウネと動いていた。
「――こりゃ極めつけに悪趣味ってもんで」
不思議な怒りを剥き出しにしてリベラはそれを引き抜いた。
指先にギリギリと痛みを感じるが、そんな事は細作ならば良くある話だ。
リベラは力一杯に腕を振り、その悪趣味な形状の何かを床へと叩き付けた。
ギャフッ!と妙な声を漏らし、名状しがたいその塊は床を転がった。
「手前の指の2本や3本なら、安いもんにございやす」
ボソリと漏らしたリベラの左手には、指が殆ど残っていなかった。
ただ、それでもリベラにはやり遂げたと言う満足感があった。
だが、手の中に残る最悪の感触を思い出し、リベラは自分の手をジッと見た。
掌は紫に変色し、傷口にはウネウネと蠢く糸のようなものがあった。
「……ッチ」
小刀を鞘へと押し込んだリベラは、球の付いた刃糸線をとりだした。
そして、素早く勢いを乗せ、己の手首に巻き付けて牽いた。
ワイヤーソーになっている刃糸線は、一瞬でリベラの手首を切り落とした。
「さて、死にきってもれぇやす」
リベラは再び小刀を抜き、リリスの腹から引き抜かれた何かを狙った。
その凄まじいまでの迫力は、この世の者ならぬ何かですらも退かせている。
まるで母へ逃げ込もうとするかのような動きなのだが、リベラは先回りした。
「申し訳ねぇですがね、姫にけぇってもらっちゃ困るんでさぁ」
リベラの手が再び小刀を振った。
その刃は、名状し難い何かを切り裂く。
言葉ではない言葉を漏らし、そのリリスの子はゆっくりと死に始めた。
幾つもの魂が重ねられたその存在は、死にきるまで殺され続けた。
そして……
「動かなくなりやしたが」
「ウィル! あんたの出番だよ!」
センリはウィルを呼んだ。
ゆっくりと戸を開けて入ってきたウィルは愛用の杖を持っていた。
「……あぁ。そのようだ」
床に転がったその肉塊は、ピクピクと痙攣し続けていた。
先に斬られた上半分と、リベラが強引に持ち上げた下半分は全く違う形状だ。
「大したもんですね」
「恐れ入りやすねぇ」
「リベラトーレ殿もそうですが、この……」
ウィルは片膝を付いて、そのリリスの胎内から引きずり出されたモノを見た。
死んだ筈のそれらは、すぐ目の前にある片割れに手を伸ばしている。
ただそれは、有るべき形に返ろうとしているのではなく……
「……喰いあってるってこってすね」
「その通りです。まだ生きている部分があって、必死に生き残ろうとしている」
心が弱い者なら、このシーンだけで十分に卒倒するようなものだ。
ウィルは一歩下がり、この凄まじい存在へ杖を向けた。
「本来ならば、これもお嬢様の一部なのですが……」
深く溜息をこぼしたウィルは、杖の中へ己の魔力を込めていった。
杖自身が仄かに光を帯び、その先にあるキツネ顔の飾りに有る目が光った。
――乾いたユズリハ
――――折れたシラカバ
――――――明け眩き炎よ風と踊れ
ウィルの詠唱が終わった時、魔力の顕在化が進む部屋の中に何かが踊った。
それがなんだか理解しがたい一瞬であったが、何が起きたのかは皆が理解した。
部屋の中に眩い光が満ち、杖を向けられた何かが崩れていった。
それは、物体を形作るもの全てが光と熱とに分解されていく現象だ。
要するに原子レベルにまで素粒子が崩壊していく物理現象だった。
「相変わらずお前さんの魔法は恐ろしい」
センリは静かな声でそう言った。
ウィルが見せた恐るべき魔法は、全てを焼き払ってなお威力があった。
元に戻ろうとしていたその何かは、灰のように崩れて消えていった。
「魔法は特別な事じゃ無い。師の言われた通り、この世の理からは逃れられない」
ウィルの杖が離れた。
そこにあったのは、完全に白くなった灰だ。
完全に燃え尽きて白くなった灰は、さらさらと崩れていった。
「ウィル。今のは?」
カリオンはその中身を尋ねずにはいられなかった。
魔法という未知の技術は、いま確実に何かを屠ったのだ。
「……掻い摘んでお話しします」
ウィルはその灰を集めながら説明を始めた。
そのすぐ近くにはハクトがやって来ていて、リベラの手首に手を当てていた。
――朱き糸
――――蒼き路
――――――土塊と砕けた骨
――――――――命と言葉を結べ
一瞬だけ鈍い光が漏れ、リベラは何かを吐き出して腕を押さえ転がった。
だが、その痛みが引いた時、失ったはずの左手が腕から生えていた。
「……恐ろしいもんにごぜぇやすねぇ」
「要りませぬか?」
「細作に両手は必須。ありがたく頂きます。かっちけねぇ」
ウサギの男に頭を下げたリベラ。
その向こうではセンリがリリスの腹を縫い合わせ始めた。
言葉にならぬ言葉を唱いだしたセンリは、複雑な音階の和音を一人で発声した。
その唄が部屋に流れている間、黒く濁った血が何処かへ消えて無くなった。
ややあって、その傷口が左右から合わさり、スッと傷その物が消えていった。
「歌唱術は衰えてはおらぬな」
「誰にものを言ってんだい?」
ハクトの言葉にセンリが不機嫌そうな言葉を返した。
だがそれは、気心知れた同士の気安い会話でもあった。
「アンタはもう少し寝てな。いずれその姿も元に戻る。ただまぁ、自分で出来る様になった方が良いだろうね。あの男の相方なんだろ?」
ぶっきらぼうな言葉だが、センリはそう言ってリリスを励ました。
角の立つ言い回しではあるが、弛んでるんじゃ無いと言う発破でもあった。
「はい。精進します」
「それが良い」
リリスの言葉を確かめたセンリは、ウィルに何かを目配せした。
そのウィルは一つ咳払いをして、カリオンをジッと見た。
「魔法と魔術は全く異なる技術体系です。王陛下」
ウィルはのっけから凄い言葉を吐いた。
カリオンはやや驚きの表情だが、ウィルに続きハクトが言った。
「魔法とは魔その物の法則を指します。人の力ではどうにもならない事を、妖精や精霊や魔の眷属、更には、全く異なる次元の存在達の力を借りて、形に為す事が出来るのです」
ハクトの言葉を聞いたカリオンは幾度か首肯して、続きを待った。
魔法がそう言うものであれば魔術とは何か?について興味が湧く。
あのビッグストンで習った魔法に関する知識の本質は全く正しくない。
だが、ウィルとハクトの教えで、カリオンは何かがストンと腑に落ちた。
誰でも使えそうで居て、選ばれた存在にしか使えない特殊な能力。
魔法というものは、それが一番のネックなのだった。
「魔術ってのはね、その魔法を何とか誰でも使える様にしようって研究する所から始まったのさ。あの男が。オズがそれを言い始めたんだ。誰でも魔法が使えるようになれば良いってね。魔術を知るには魔法を知らねばならない。それは、この世界の理を知ることだし、世界と折り合いを付ける技術だってね」
ハクトの言葉にカリオンの目が見開かれた。
誰にでも使える魔法の技術。それが魔術。
「でっ! では!」
言葉を選ぶ余裕すら無く、カリオンは興奮を隠しきれなかった。
魔術が広まれば世界は変わる。それはきっと世界に平和をもたらすだろう。
何故なら、水や食料と言ったものだけで無く、労働をも一変させるだろうから。
イヌが世界の奴隷で無く、世界の中で導いていける存在になれるかも知れない。
「魔術は世界を豊かに出来るかも知れないということか」
「いや、そりゃちょっと贅沢すぎるもんってこってす。陛下」
リベラはそこに駄目出しをした。細作稼業にある者は危険を感じ取ったらしい。
それは、命のやり取りを行う現場に居る者特有の現実主義なのかも知れない。
だが、どこまでもクールで冷静な目でものを見るのは、重要な事だった。
「なぜだ?」
「新しい力が生み出されれば、それを使いたくなるのが人の性ってこってす」
リベラは新しい左手を開いたり閉じたりしつつ、ボソリと言った。
まるで、全てを見抜いているかのような、重い口ぶりで……
「魔術を使いこなせるようになれば、人間は必ず戦に使いやす。今は馬と剣と弓の戦いでしょうが、火をおこせるとか突風を生み出せるとなれば『それだ!』
カリオンは得心したように手を叩いた。
あの日、祖父シュサの弔い合戦で見た光景に足りなかったもの。
戦列を組み、馬上から行う強力な投射攻撃の戦術。
簡単な魔術で良いのだ。
組織だって統制を整えて使えば、それは凄まじい威力になる。
「陛下。言いてぇ事は、あっしにも解りやす」
「そうだろうな。戦その物を根底から変えてしまうだろう」
「……ですが」
リベラは溜息をこぼしながら言った。
ガックリと肩を落とし、首を振りながら呟いた。
「どうかそれはお止めになりなせぇ」
「なぜだ?」
「今以上に…… 比較にならねぇ程に人が死にやす」
リベラの言葉には重い響きがあった。
それは間違い無く真実だ。
戦に新兵器が投入される度に死者は増えてきた。
そして魔術が使われれば、その数は飛躍的に増えるかも知れない。
「……それもそうだな」
カリオンもその現実に気が付いた。
間違い無くそれは起こるのだと予測が付くものだった。
カリオンはただただ落胆する。
つまりそれは、拭いきれない人の性なのだった。