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尾頭の三賢者


 冬を前にした昼下がりのガルディブルク。

 城下街には寒々しい空気がながれ、商店街も閑散としたものだ。


 通常であれば冬を前に保存食を拵える買い出しや、冬着のセールが行われる。

 だが、この1ヶ月ほどは街の中も火が消えた様になっていた。


 国賊として裁判の進むシャイラの処遇は街の住人も意見が分かれている。

 寛大な処分にするべきと言う穏健派は、先々の損得勘定を重視する者達だ。


 それに対し、法の支配を優先する者達は、寛大な処分などあり得ないと息巻く。

 つまり、苛烈な処置を以て断罪するは、未来への戒めであると言う事だ。


 強い処置が次なる軋轢を生むのは目に見えている。

 だが、寛大な処置は模倣犯を産む土壌ともなる。

 正解は無く、必要な事はそのさじ加減。


 ただ、市民の多くが苛烈な処置を求めているのにも理由はあった。

 それは、3週間ほど前になる刺客の侵入だった。


 トウリ卿の自宅を襲った数名の刺客は、トウリ卿の妻サンドラを狙ったらしい。

 懐妊からの年月を数えれば、そろそろ誕生という頃合いだ。

 刺客はその子と妻の命を狙っての侵入だった。


 そして、その刺客の全てを惨殺したトウリ卿は剣を携え深夜に登城した。

 侵入した刺客が城にも手を放ったと口走ったからだ。


 その夜、太陽王の后であるリリス妃が懐妊したのだという。

 城の典医がソレを確認し、翌日には発表される算段となっていた。

 刺客はその子とリリス妃の命を狙ったらしい。


 だが、太陽王の私室へと刺客が侵入したとき、不幸にも王は不在だった。

 刺客はトウリ卿が処断するも卿は重傷を負い、また、リリス妃も斬られた。


 新たな命を宿した筈のリリス妃が斬られたのは、よりにもよって腹部だった。

 命永らえられぬと悟った刺客は、命と引き替えにリリス妃を狙ったのだ。


 典医の発表に市民は落胆の色を隠さなかった。

 懐妊した筈の子は失われ、リリス妃は呪われた剣で斬られ寝込んでいる。


 何より、新たな懐妊は永遠に不可能であろうとされた。

 それは、市民感情として絶対にザリーツァを許さないという空気になった。

 何があろうとも、ル・ガル国民の総意として根絶やしにしてくれる……と。


 そんなガルディブルク城の入り口に見慣れぬ人影があった。


「久しいな…… 智を分かつ我が盟友(とも)よ」


 白い体毛と空へ長く伸びた耳。そして赤い瞳。

 フレミナよりも更に北。雪と氷に閉ざされた極北地方の地下に住まう種族。

 そして、イヌやネコやキツネよりも、遙かに高い魔法文明を持つ国家の者。


 ウサギ


 この世界に暮らす種族の中で、最高の頭脳と称される魔法大国の者だ。

 そして、その中でも最強クラスな実力者の一族。イナバ一族の男がやって来た。











 ――――――――帝國暦339年11月12日

           ガルディブルク城











「あぁ…… 久しいな。同じ師を頂く盟友(とも)よ」

「思えばもう300年が経っている……」

「そうか……」


 漆黒の燕尾服にシルクハットなウサギの男は、懐から何かを取り出した。

 手元にこぼれ落ちたそれは、金の鎖に繋がった丸いからくりものだ。


「……懐かしいな。師の持たれていたソレは」

「時計と言うからくりだ。時を計れる」

「そうだった」


 ウサギの男はそれを見た後、小さな声で呟いた。


「もう時が無い。これ以上ずれ込むのは私も望まぬ。遅れてしまうからな」

「何度目だ?」

「まだ4度だ」


 何も言わずに首肯したウィルもまた、小さな溜息をこぼした。


「おぬしがまだキツネのままとは思わなかった」

「色々と都合が良いからね。それに、この300年で見つけた事も多い」

「師ならば、さぞ喜ばれる事だろうて……」

「全くだな」


 ウィルはガルディブルク城の入り口でその男を出迎えていた。

 久方ぶりの会話をひとしきりしてから男を誘い、城の中へと進んでいった。


 コートを脱いだそのウサギの男は、ウィルと共に城を上がっていく。

 幾人もの護衛を引き連れたウィルは、玉座回廊を抜け王の私室へと出た。


「要件は、やはりアレの事か」

「あぁ」

「まさかアレを使うとは思わなかった」

「私もだ……」


 一度足を止めたウィルは、振り返って溜息をこぼした。

 その顔には後悔の色が在り在りと出ている。


「……出来れば使いたくなかったがな」


 首を振りながらそう呟いたウィル。

 ウサギの男は幾度か首肯し、先を急ごうと誘った。


「で、今回の件か」

「あぁ。正直、私の手に余る」


 物々しい警備が続くなか、そのウサギの男は黙ってウィルの後に続く。

 城の中に張り巡らされた魔法結界の鋭さと強さに目を見張りながら。


「物々しいものだな」

「……あんな事が起きたばかりだ」

「フンッ…… ザリーツァの刺客と聞いたが、出任せであろう」

「……それが、困った事に大筋では間違いでは無い」


 まるで事情を飲み込んでいるかの様にウサギの男は嘯いた。

 全てお見通しだと、そう言わんばかりの言葉で。


「なるほど…… 話しはだいたい解った」

「君ならそう言うと思ったよ」

「買いかぶりすぎでは無いか?」

「鏡の中から見ていたんだろう?」


 ウィルの言葉にウサギの男はニタァと笑って頷いた。

 何とも気持ち悪い笑い方だが、それは人間の後ろめたい欲望その物だ。


「私の二つ名はおぬしもよう解っておろうに」

「あぁ…… 勿論だ」


 最後の階段を登り、衛兵が幾重にも防衛線を張るその奥。

 重厚な扉の前に立ち、ウィルはハシバミの枝を使ってドアを叩いた。


 ――そなたは見えぬ扉の閂

 ――――わたしはそなたを踊らせる唄

 ――――――謡い踊れや門番の君

 ――――――――風とともに我らを通らせ


 ウィルの詠唱が静かに響いた。

 ややあって鈍い音が響き、扉が開いて室内が見えた。


 広い寝室の中、天蓋の就いたベッドの上に女性が横たわっている。

 幾多の給仕が側に侍るその女性は、最低限の布だけを身体に纏ったままだ。


「……ケダマか?」

「違う。よく見ろ」


 獣人系男性でヒトの姿に生まれた者をマダラという。

 その対義語として、獣人女性が獣人の姿で生まれた者をケダマと言う。


 マダラと同じようにケダマは疎まれる事が多い。

 だが、その中身は微妙に違うモノだ。


「顔が……」

「そうだ」

「では、あの娘が?」

「そう言う事だ」


 ベッドの上にはリリスが眠っていた。

 相変わらず腹の部分には、ジクジクとした中途半端な傷があった。

 治るわけでも無く、血が滲み続ける不可思議な傷だ。


「魂の選り草(エリクサー)は?」

「効かなかった。命の選択の対象ですら無かった」

「そうか……」


 ウィルの説明にウサギは顔を顰めた。

 しばらく思案していたのだが、ふと顔を上げた。


 頭三つ近く背丈の違う存在だが……


「あの娘は…… 太陽王の后か?」

「そうだ。だからこそ……」


 ウィルはウサギの肩をポンと叩いて手を載せた。

 それは、万の言葉を越える信頼の証でもあった。


「そなたを呼んだのだ。口が堅く信頼できるのは、我が盟友だけぞ」


 ウィルは溜息と共にそんな言葉を吐いた。

 そして、その言葉を聞いたウサギは、小さく首肯した。


「委細承知した。おぬしに力を貸そうぞ。なにより……」


 再びリリスを見たウサギは、無表情な眼でジッと彼女を見た。

 その顔には、研究者としての欲望の色が滲み出ていた。


「これ程に完璧な重なりを直で見られる機会はそうあるまい」

「……その通りだ。だが、一つだけ常に忘れて欲しくない事がある」

「ワシの口は堅いぞ?」

「違う。そんな事じゃ無い」


 ウィルは静かに振り返った。その動作に釣られ、ウサギの男も振り返った。

 そこにはレイピアを抜いたカリオンが立っていた。

 恐ろしい程に冷たい目をして……


「ウィル。誰だ?」

「私めの兄弟弟子であり、我が師の教えを受け継ぐ三賢者の一人です」

「……そうか」


 スッと静かにレイピアを鞘に収めたカリオンは、かなり不機嫌そうだ。

 真一文字に結んだ口のまま、真っ直ぐにリリスへと歩いて行った。

 まだ若き太陽王だが、その威厳と威圧は見るものを黙らせる威力があった。


「そなたの名を聞こう」


 不遜な物言いのカリオンだが、気が付けばウサギはカリオンに気圧された。

 最短経路でリリスへと向かったカリオンは、その2人の間に割って入った。


「手前はハクト。ハクト・イナバ。こちらのウィルケアルベルティと同じく、偉大なる魔導の祖師、生ける賢者の石と呼ばれた魔法使いの始まりであり頂点。オズに仕えた三賢者が1人です」


 ハクトと名乗ったウサギの男は慇懃に頭を下げた。

 一般的な話として、魔法使いはとにかくプライドが高い。

 相手が何人であろうと、頭を下げることなどまずあり得ない。


 だが、ハクトはその頭を下げた。それこそがウィルの言わんとしていたことだ。

 よくぞ我が意を酌んでくれたとウィルも笑みを浮かべる。

 だが、当のハクトはカリオンを見ていた。


 悲しみにうちひしがれたかのようなその姿は、痛々しいを通り越している。

 そして、普段のカリオンであれば、決して気遣いを忘れず言葉を掛けるだろう。

 『ウサギの国からよく来てくれた』とか『そなたに手間を取らせる』とかだ。


 だが、目ばかりがギラギラとしているカリオンは、憔悴しきった姿だった。

 何よりも愛する妻の苦しむ姿に、カリオン自身が参ってしまっていた。


「おはようリリス。大丈夫かい?」

「……カリオン」


 その口から漏れる息には濃密な死臭が混じる。

 内臓系に受けた傷が内部では腐り始めている。


 開腹手術など出来ないのだから、、後は魔法使いの出番と言うことだ。


「おはよう……」

「どうだ?」

「今日はそんなに痛く無いの」

「そうか。それは良かった」


 リリスの頬に手をあて、カリオンは優しく微笑んだ。

 その笑みは何よりもリリスを癒す妙薬だ。


「痩せちゃったね」

「リリスほどじゃない」

「ごめんなさい。あなたの役に立てなくて」

「じゃぁ、早く役に立つようになろう」

「……うん」


 カリオンは、その身に纏っていた王の衣装からサワツルゴケの実を取り出した。

 ガルディブルク近郊にはあまり見ない筈の植物だが……


「あの霧の谷から取り寄せたんだ。甘いよ」

「うそ…… 時間掛かるのに」

「リリスに食べさせようと思ってさ、地面ごと持ってこさせた」


 カリオンは本当にそれを命じていた。

 あの霧の谷に生えていたサワツルゴケを株ごと運ばせたのだ。

 2週間を掛けて運ばれたその株は、城の庭師の手により定植された。


「ダメよ…… そんな事しちゃ…… みんな大変なのに……」

「皆がリリスを心配している。国中が大騒ぎになっている」

「うそ……」

「皆がリリスの快復を祈っているんだ。だから、何か出来る事は無いかと……ね」


 事実、ル・ガル国内は上に下にの大騒ぎだった。

 帝后の負傷にあたり、多くの国民が美姫の快復の為に奔走した。

 呪われた魔剣で斬られたとの発表に、呪いを負かす為のモノが献上されてきた。


 曰く、魔を封じる要石だの、或いは、魔を払う聖水だの。

 海辺の街や岩塩採掘街からは、魔除けと邪気払いの粗塩が献上されてきた。


 ただそれは、多くの貴族家で手柄争いを行なっているようなものだ。

 それぞれの所領の中で、少しでも役に立ちそうなモノを贈ってくるのだ。


「ほら」


 カリオンはいくつかの実をより分け、皮を剥いてリリスの口へと運んだ。

 ここしばらくは全く食べていなかったリリスの口に、甘酸っぱい味が広がる。


「……おいしい」

「そうか。良かった。もう一つどうだ」


 実に三日ぶりとなる固形物がリリスの胃に消えて行った。

 カリオンは丁寧に皮を剥き、三口目のサワツルゴケをリリスの口へと入れた。

 甘酸っぱい食感にリリスは笑顔を浮かべる。


「ありがとう…… あなたに見つけてもらって良かった」

「いきなり何を言い出すんだ」

「私を覚えていてね」

「……バカを言うな」


 カリオンはその手をリリスの頬へと寄せた。

 すっかりやせ衰えたその姿には、あのふくよかで優しい面影すらない。


 だが、カリオンはそれでも諦めていなかった。必ず解決法があると信じていた。

 何より、ゼルに教えられた『諦めが人を殺す』という言葉に支えられていた。


「あの時も言っただろ。大丈夫だ。俺が付いてる」

「ありがとう…… エイダがいるだけで安心する……」


 リリスは力無く笑った。

 涙が滲んだカリオンは、グッと堪えて同じように笑った。


「必ず良くなる方法を見つける。だから、もうちょっと、痛いのと戦って」

「うん……」

「もう一つ食べるか?」

「もういい…… ありがとう……」


 何度か首肯したカリオンは、ふと顔を上げてウィルを見た。

 カリオンとリリスの二人だけだったところには、側近の女達すら居なかった。


 王や、その后や、国家や、そう言った様々なしがらみから離れた二人。

 純粋に妻の身を案じ嘆く夫の姿に、誰もが悲しみを新たにしていた。


「……ハクトと言ったか」

「然様にございます」

「そなたの所見を聞こう」


 その言葉を発したカリオンは、凄まじいまでの気迫だった。

 まるで戦闘中のような強い気が、リリスの身体に染みこんだ。


「お側へ失礼致します」


 リリスへと歩み寄ったハクトは、残り数歩のところで足を止めた。

 彼女が横たわるベッドのすぐ側に、リベラがいたのだ。

 全く気配を悟られる事無く、まるで影のようにそこに居たリベラ。


 その目は獰猛な肉食獣のようにハクトを貫いた。


「恐ろしい獣を…… 飼っておられますな」

「おぃ下郎…… 口の利き方にゃぁ気をつけやがれ…… ねじり殺すぞ」


 毛艶を失い頬の痩けたリベラがそこに居た。

 主君の身を守れなかったリベラは、その事を何よりも恥じていた。

 そして、細作の路を極めた男は、食事を断ってまでリリスの側に居続けた。


 食事を取れば、排泄が伴うものだ。

 その一瞬の間ですらも主君から離れる事を拒否するリベラ。


 それは、遠い日にアチェイロを護れなかった事を恥じた男のケジメ。

 そして同時に、アチェイロの忘れ形見を守れと命じた主エゼへの義理。


「邪な気は起こさねぇこった。さもなく『リベラ……』


 リベラの声を遮って弱々しい声がベッドが響いた。


「……へい」

「お願いだから何か食べて、休んで。あなたがまいってしまう」

「いえ、そういう訳にはめぇりやせん。あっしは――『私のお願いです』


 うずくまったまま深々と頭を下げて答えたリベラ。


「ここでこの命尽きるとも、姫の側を離れるわけにはいきやせん」


 それはつまり、ここで死なせろと言うリベラの願いその物だった。

 主エゼにしてみれば、リリスが産むはずだったその子はひ孫だ。


 いや、もっと言えばアチェイロに生き写しなリリスの子こそが外孫。

 その命を守れなかった事を、リベラは頓死に勝る恥だと小さくなっていた。


「リベラ。余からも頼む。余の願いだ」


 カリオンの言葉が静かに流れ、リベラはグッと表情を変えた。

 そんな姿を見ていたカリオンは静かに言った。


「余の父はこう教えてくれた。諦めが人を殺す。諦めたものから死ぬ。余は妻を支え、その戦いに助勢し、諦める事無く戦う事を選んだ。故に、そなたの力が必要なのだ。死んでもらっては余も妻も――」


 カリオンはニッと笑ってリベラを見た。

 その一見優しげ表情の中に何かがいるのをリベラは見た。


 マダラに生まれたはずのカリオンは、誰が見たってヒトの貌だ。

 だが、そんな表情の中に、とんでもなく恐ろしいものが居た。

 幾多の死線を越え、命のやり取りの現場を見た男にだけわかるもの……


「――困る……」


 その優しげな言葉とは裏腹に、カリオンの身にまとう気配は冷え切った北風だ。

 如何なる存在からも妻を護ると心に決めた一人の男は、ジッとリベラを見た。


「恐れ多い事でございます……」


 蹲っていたリベラは、なんら音を立てる事無くスッと立ち上がった。

 その身のこなしはネコにしか出来ない事だった。


 息を殺し、音を殺し、気配を殺し、存在を殺す。

 そこにある風が流れるように、リベラは動いた。


「王陛下。姫。失礼いたしやす」


 慇懃に頭を下げたリベラ。リリスは僅かに首を振り、その様子を見た。

 だが、その眼差しの先に居たリベラが突然動いた。


「そろそろ諦めて、おめぇさんも出てきなせぇ……」


 リベラは鋭い飛びクナイを放っていた。

 風を切らず音を立てず、完全に無音で放ったその刃。

 だが、そのクナイは空中に静止し、ぽとりと音を立てて床に落ちた。


「おそろしぃもんだねぇ……」


 突然部屋の中に年増な女の声が流れた。

 グッと厳しい表情に変わったリベラは、ナックルガードをつけていた。


「いつから気が付いていたんだぃ?」

「おめぇさんがここに来た時からさ」

「そうかいそうかい…… ネコの目はごまかせないねぇ いやだいやだ」

「そこから出てきなせぇ」

「その、物騒なモンをしまっておくれよ。そうしたら出ようじゃないか」


 年増の声が部屋に流れた。

 呆れるように、感心するように、そんな口調が流れていた。

 ただ、その言葉に最も驚いたのは、カリオンでもリリスでもなくリベラ本人。


 リベラが手に持っていたのは、黒く染められた針だ。

 それは、長い年月を経て魔力を帯びた黒い魔石から削り出したもの。

 魔法を使えぬ細作は魔法使いと戦う為に編み出した必殺の武器だ。


「これを見抜くたぁ…… ただモンじゃございやせんねぇ」

「そりゃそうさ」


 クナイが床に落ちていたあたり。

 何もなかったところから、ヌルリと半透明なものが動いた。

 その向こうが歪んで見えるその塊は、するすると動き人の形になった。


「それの作り方はあたしが教えてやったんだよ?」


 ヒヒヒと人の悪そうな笑い声をこぼし、その人の形に色がつきはじめた。

 それは、ネコの女だった。妙齢と言うにはやや若い姿の女だ。

 身体のラインが浮き出るほどにぴったりとしたドレスを纏っている。


 ただ、幼いかといえば決してそうでもない。

 言うならばカリオンやリリスの母と同じ程度。


「おめぇさん…… もしかして…… センリか?」

「へぇ…… まだその名前を知ってるのもいるんだねぇ」


 ヒヒヒと笑ったそのネコは、ドレスのスカートから伸びる尻尾を揺らした。

 ただ、その尻尾は根元近くで二股に別れている異様な姿だった。


「久しいな……」「相変わらずだ」


 ウィルとハクトが同時にそう言った。

 つまりそれは、2人と面識があると言うことだ。


「何者だ?」


 カリオンは渋い声音でそう言った。

 低く響く声だった。


「あたしかい?」

「……他に誰がいる」


 その時、部屋の中にいる誰もが、ゾクリとした寒気を覚えた。

 カリオンがその身から放つ恐ろしいほどの殺気に、寒気を覚えたのだった。


「おぉ…… 怖い怖い」


 センリと。或いは、マタと呼ばれたそのネコは、ジッとカリオンを見た。

 そして、両手をヒラヒラとさせながら、小馬鹿にするようにヘラヘラと笑った。


「あたしは――


 そのネコが何かを良い掛けた時、カリオンの身体が動いた。

 誰もがそれを認識した時、カリオンは既にレイピアを抜き放ち投げていた。

 細作稼業にあるリベラですらも反応出来なかった程の高速だ。


「……二度は言わぬぞ。名乗れ」


 驚いて皆がカリオンを見た時、その腕がありえないほどに太くなっていた。


「こりゃ驚いた……」


 カリオンの本気具合に当てられたのか。

 センリと呼ばれたネコの女の口調が変わった。

 ただ、そんなセンリの身体をレイピアが貫いていた。

 リベラのクナイを難なく叩き落とした筈のセンリだが……


「アタシはセンリ。千人の弟子を育て魔法をこの世界へとばら撒いた魔導の始祖、オズの弟子で三賢者の一人さ。ついでに言えばオズの相方で愛人ってなわけさ。そこのキツネとネコの魔法使いと一緒でね、あの偉大な男の元で研究してたんだよ」


 そう自己紹介したセンリは、手を触れる事無くカリオンのレイピアを抜いた。

 一滴の血をこぼす事無くそれを行なったセンリは、レイピアをジッと見た。


「イヌってのは混じりっ気なしの真銀(オリハルコン)をいじらすと昔からうまいねぇ」


 センリがひょいと手を払うと、レイピアは宙を飛んでカリオンの元へと戻った。

 それを受け取ったカリオンは、刃先に一滴の血すらも残って無い事に驚く。

 皆の目が集まったセンリの腹には、大きな穴が開いていた。


「何者だ?」

「見りゃぁ解るだろ? それとも、あんたの目は節穴かい?」


 クククと笑ったセンリは、刃に貫かれた腹部を手でさする。

 すると、その開いていた穴がスッとふさがっていった。


 皆が驚くのを楽しそうに眺め、長いドレスの裾を牽いてセンリは歩く。

 あくまで相手を小馬鹿にするような態度をみせ、ニタリと笑って言った。


「今時のバカネコにゃ出来ない芸当さ。古い時代のネコは9つの命を持ってたんだよ。お前さんと一緒さ。イヌとヒトの相の子。私はネコだけの重なり。ネコマタのセンリってのは、アタシの事さ」


 再び甲高い声でヒヒヒと笑ったセンリは、それに付け加えて言った。


「あんたの嫁は普通の方法じゃ助からない。その命を永らえさせる為に来てやったんだよ。そこのキツネに呼ばれてさ。だから少しは感謝しな。バカイヌ」


 公然とカリオンをバカにして掛かったセンリ。

 だが、その言葉を言うと同時、センリは身体を変化させカリオンを見下ろした。

 王の私室は広く大きいが、センリはその天上に頭が付くほどのサイズになった。

 長く伸びた白く優雅な尻尾は、途中から二股に別れていた。

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