トウリ錯乱
最大限優しい警告:ここからしばらく、本当に胸くそ悪い展開&容赦のない辛い展開になります。精神的に影響を受けやすい方はご注意ください。
「本当に大丈夫なの?」
「へーきだって。どって事ないさ」
心配そうなサンドラの顔色は良くない。
そんな妻の顔を覗き込みながら、トウリは快活に笑った。
「真夜中の訪問者もここ数日はお休みだ。今夜はぐっすり眠れるさ」
グラスに残っていた酒を呷り、トウリはペロリと舌を出した。
ややもすればだらしない姿だが、日中の引き締まった顔が緩んでいるとも言う。
太陽王を支える宰相の仕事は、筆舌に尽くしがたい心労を引き起こす。
父カウリも時には深夜まで眠りに就けず、酒を飲みながら書類を読んでいた。
トウリはそんな父の姿を思い出し、それを見て心配するユーラを思い出す。
そして、ユーラと共にカウリを労ったレイラの姿をも。
――いま思えば大した男だったんだな……
改めて父カウリの大きさに驚くトウリだが、今はそれに追いつかねばならない。
カウリもまた若くして宰相の座に着いて苦労を重ねていた。
その中身は想像を絶するものの連続だった事ろう……
「あんまり飲むと、また夜中に吐くよ?」
「あぁ。加減してるんだ。これでも」
「ほんとに?」
「刺客が来ると困るだろ?」
宰相再就任から早くも3ヶ月。
この間は毎週の様に刺客がトウリの元へとやって来ていた。
最初はとんでもない手練れが来ていて、イワオやコトリと共に何度も撃退した。
国家騎士団も館に常駐していて、それはもう物々しい雰囲気の毎日だった。
だが、この1ヶ月ほどはそれも大人しくなっている。
驚く程に刺客のレベルも落ちていて、剣技なら素人レベルだ。
何より、剣に劣るトウリですらも手玉に取れる程なのだ。
「手に負えなくなったらイワオを呼ぶよ」
「……間に合えば良いけど」
いまだビッグストンで学ぶイワオだが、この夜は週末と言う事もあって実家で過ごしていた。コトリは城に詰めていて、リベラの猛特訓を受けている筈。
「なにも心配する事無いさ。大丈夫だよ。おやすみ」
「……うん。お休み」
眠りに就いたトウリとサンドラの二人は明かりを絞る。
だが、ものの数分で落ちるように眠ったトウリは極度の睡眠不足だ。
刺客に起こされるだけでなく、悪夢に魘され目を覚ましてしまうのだった。
――――――――帝國暦339年10月22日 深夜
王都ガルディブルク郊外 サウリクル邸
……何処までも続くような漆黒の闇
……一切無明な暗黒の底をトウリは歩いていた
――またこの夢だ……
宰相就任から2ヶ月が経過した頃だろうか。
毎晩の様に刺客が襲い掛かってきたのにも慣れた頃だ。
眠りに着いたトウリは、必ずと言って良いほど同じ夢を見ていた。
何処まで行っても真っ暗闇な世界に居て、宛ても無く歩き続ける夢。
両手を前に伸ばし、トウリはその闇を手探りで前に進む。
時にはその手に何かがぶつかり、歩みを止めて正体を探る。
その手に伝わる感触は、半ば腐って柔らかくなった死体ばかり。
どれもが皆一様に同じ装備な、フレミナ騎兵の亡骸だった。
――――待ってくれ……
――――置いていかないでくれ……
――――クニで子供が待ってるんだ……
――――頼むから……
腐った死体の手がトウリの足首を掴む。突き出したトウリの手を掴む。
それを振り払うトウリの手には、鼻を突く腐臭と死臭がこびりつく。
胸を焼くような悪臭が漂い、腐った血の臭いに吐き気をもよおす。
――――お前が殺したんだ……
――――お前が殺したんだ……
――――お前が殺したんだ……
何処からか、怨嗟の篭った声が聞こえる。
遠く地の底から沸きあがってくる様な声が聞こえる。
――――お前を許さない……
――――お前を許さない……
――――お前を許さない……
幾多の声が聞こえる。若い声、老いた声、潰れた声、かすれた声。
断末魔の響きと共に聞こえてくる。その腐った死体達から聞こえてくる。
最近ではこの声が日中にも聞こえ始めた。
刺客に起こされるか、悪夢に魘されるかの毎日なのだ。
トウリは日中の職務中にしばしば居眠りをするようになっていた。
カリオンやウォークは、その内情を聞いていたので特に咎める事はしなかった。
そして、そのままトウリを寝かしていたのだ。
だが、実情を知らぬ官僚達はよくは思わない。
疲労困憊で目の下にクマが出来ればわかりやすいのだろう。
だが、犬はその顔にまで体毛が被っているのだ。
鼻先が乾き、内耳の素肌がどす黒くなっていても、中々わかりにくい。
『カウリ卿と違ってトウリ卿は居眠り担当大臣ですな』
なかば冗談の様に叩いた軽口だが、その言葉にトウリは劇昂したりしていた。
担当事務官の襟倉を掴んで、もう少しで殴るところだったのだ。
『フレミナ一門の癇癪は恐ろしいですなぁ』
事務官は吐き捨てるようにそう言って宰相事務室を出ていった。
だが、爆発したトウリの感情は収まるどころかますます荒れていた。
「チキショウ……」
悪態をこぼし書類を読み返し、そして、僅かな間に舟をこぎ始める。
誰が見たって限界だとわかるような姿だった。
「兄貴。少し休もう」「そうです。宰相は体力的に限界です」
カリオンとウォークはトウリの体調を鑑み、仕事のペースを落とし始めた。
そして、宰相を通さずに済む案件は、ウォークの決裁に移管された。
「俺は役に立たねぇ男だな」
「そんな事無いさ。刺客対策が効いてくれば落ち着くよ」
「あぁ……」
カリオンはそんな言葉でトウリを慰めた。
国軍騎兵を率いたジョージスペンサーは、強力に掃討作戦を続けているのだ。
僅か2ヶ月で300名以上の不審者や刺客と思しき者を捕縛し、殺していた。
その甲斐もあって、トウリ宅へと侵入する刺客のレベルがガクッと落ちたのだ。
だがここしばらく、トウリ宅へとやってくる刺客は、その中身を変えていた。
相手を殺そうと。トウリを殺そうとする刺客は鳴りを潜めていた。
――――この……
――――裏切り者め……
重苦しい言葉が響き、トウリは足を止めた。
そして、宛ても無く見えるはずの無い空を見上げた。
ただただ、闇だけがそこにある絶望的な世界だ。
――――裏切り者……
――――裏切り者……
――――裏切り者……
トウリが直接手に掛ける刺客達は、死の間際になって必ずその言葉を口にした。
燃え上がるように純粋な敵意の籠もった眼差しで睨み付け、呻くように言う。
――――裏切り者……
――――裏切り者……
――――裏切り者……
勝手にレッテルを貼られても困る。
そもそも、フレミナ社会の中で勝手な振る舞いをし続けてきたのだ。
そのザリーツァから恨まれるにしたって、これでは逆恨みだ。
「自業自得だ!」
闇の深淵へ怒鳴り返しても、何ら効果がない状態だ。
深い闇の底からわき上がってくるような声で、繰り返し、繰り返し……
――――裏切り者……
――――裏切り者……
――――裏切り者……
心の中に沸き起こる不安と葛藤は、癒せぬ傷を心に刻む。
目に見えぬ血を流しながら、抗えぬ痛みを発した。
「やかましいわ! 身から出たさびだ!」
トウリは精一杯にそう言い返した。
裏切り者と罵った刺客に対し、大声で怒鳴ったのだ。
――――お前は敵だ……
――――必ずとり殺してくれようぞ……
――――この恨み、晴らさでおくべきか
しゃがれた老婆のような声。
怨嗟にまみれた若者の声。
苦悶に呻く人々の声。
「やかましい!」
大声で怒鳴り返し、何処まで行っても灯りの無い闇を再び歩き出した。
救いなどどこにも無い無限の苦痛がそこにあるのだ。
――――1000年の闇を彷徨うがいい……
――――必ずとり殺してくれる……
重々しい声が再び響いた。
もはや何も言う気すらおきず、ただ黙って歩き続けた。
「くそっ! 一体なんだと言うんだ!」
悪態を吐いた所で救いなど無い。
ただただ歩くしかない状況で苦しみ続けるしかない。
――――太陽王はお前を切り捨てるぞ……
――――あのマダラの男にとっては、お前など消耗品だ……
膝は痛み、足首は悲鳴をあげ、足裏はまるで焼かれるようだ。
何かを踏みつけポキピキと小気味良い振動が伝わってくる。
――骨の砕ける音だ……
何の根拠も無くそんな事を思った。
自分の手ですら見えない闇の中、トウリは宛も無く歩き続ける。
そんなとき、遥か彼方に小さな灯りが見えた。
ポツンと灯る光の点だ。
――なんだろう……
トウリはひたすらに歩いた。歩くしか出来なかった。
足の裏が痛くなり、やがてズキズキと痛みを発した。
何かが刺さっていると思ったのだが、それを確かめる術は無かった。
――遠いな……
――だけど行かなきゃ……
カリオンもきっとこんな闇を彷徨っていると思った。
だからこそ、自分が行かねばならないともトウリは考えた。
――俺は王の宰相だ!
折れそうな心に自ら渇を入れてトウリは歩いた。
ただ、そんな時にもあの声が響き続けた。
――――お前はどこにもたどり着けない……
――――お前は何も残す事が出来ない……
――――お前は誰の役にも立てない……
歩みを止めてトウリは震えた。
全ての面で劣ると言われてきた自分自身の不甲斐なさに震えた。
父に劣り、カリオンに劣り、そして今はウォークや側近にも劣る。
何故自分が宰相などと言う分不相応なポストに就いたのか。
それですらも、ただ単純に家の格で就いたに過ぎない事だ。
――俺は一体……
自己評価の低い者は、誰かの言葉に依存しやすいという。
いまのトウリを支えるものは、カリオン政権に参加しているという事実だ。
役に立っているかどうかは解らないが、少なくとも重要な歯車にはなっている。
閣議の進行や議事録の作成に関していえば、少なくともウォークの範疇。
各省庁や機関の長が集まり、全ての案件に関して報告を王に上げる。
『なぁ兄貴――』
カリオンはそれについて所見を求める。
トウリはそれについて必死に考えねばならない。
国内の全てに知識を持ち、また様々な案件に関しての見識を必要とする。
だからこそ、本来であれば宰相のポストに就く者は、国内を走り回るのだ。
騎兵総長であり国軍総長でもあったカウリは、その見識が豊富だった。
だからこそ、岩のように動かなかったシュサ帝の宰相たり得たのだ。
――俺はまだまだ知らない事が多すぎる……
そんな屈辱感がトウリを蝕んでいた。
所見を求められたカリオンの問いに対し、ウィルやリベラが答える事もあった。
それだけで無く、あのウォークですらもトウリを凌ぐ回答を上げる事があった。
カリオンが求めていたのは、トウリの所見であって物事の判断では無い。
だが、それでもトウリはカリオンの期待に応えようとしていた。
……それが。それ自体がトウリの劣等感の正体だった。
――――お前は王の役に立たない……
――――王は役に立たないお前を必要としない……
――――お前は裏切られるのだ……
――――裏切ったお前は裏切られるのだ……
――――それが報いだ……
――――お前の報いだ……
――――死に至る報いだ……
「だまれ!」
狂を発しそうになりつつもトウリは走った。
遙か遠くに見える灯りに向かって、闇雲に走った。
――待ってくれ!
心臓は早鐘を打ち、呼吸はドンドン辛くなる。
だが、走らないわけにはいかなかった。
何処かで自分を呼ぶ声がするのだ。
――――おーい!
その声に導かれトウリは走った。
息が切れる程に走っていた。
自分が呼ばれている以上、その声には応えたいのだ。
誰かが期待する事こそ、今のトウリを支える柱だ。
ただ、その声が遠くなっていく。
ハッキリと解るほどに声が小さくなっていく。
「待て! 待ってくれ! いま行くぞ! いま!」
声が遠くなっていくペースは変わらない。
少しずつではなく、ドンドン小さくなってく。
「待ってくれ! 頼む! 待ってくれ……」
苦しさに息が詰まる。だが本当に詰まる理由は息では無い。
誰からも必要とされなくなる不安。誰からも不要と言われる不安。
自分の存在意義を失う不安が、トウリの心の弱い部分をえぐった。
「頼む……」
苦しさに足を止め、そして膝を付いた。
声は聞こえなくなり、自らの敗北を悟った。
――俺じゃダメなのか……
両手を突いてグッと握りしめた時、手の中に鋭い痛みがあった。
その痛みでハッと目を覚ましたトウリ。
目の前には妻サンドラの泣きそうな顔があった。
「良かった……」
サンドラは今にも泣きそうな顔をしていた。
そして、汗びっしょに濡れているトウリの額を拭っていた。
臨月に入ったサンドラの腹は、まるで大きな樽のように膨らんでいた。
その腹に手を添えて微笑んだトウリは精一杯の余裕ぶった笑顔で言った。
「いやぁ~ 面白かった。大道芸に囲まれた夢を見ていたよ」
「嘘よ…… すごく魘されてた」
それが強がりの嘘だと見抜けぬほど、サンドラの目は節穴では無い。
寝室の中でサンドラの隣に眠っていたトウリは、苦しそうに魘され続けていた。
この数週間は、毎晩のようにこんな悪夢を見ていた。
――くそっ!
トウリ自身、この悪夢を見る理由はわかっていた。
三日と開けずにやって来ていたザリーツァの刺客は、必ず死ぬときに呪詛の言葉を吐いて死ぬのだ。それはルガルに残る古い言葉であり、今はもう北部山岳地帯に暮らすフレミナですらも使わなくなりつつある言葉。
ただそれは、この大陸に暮らす多くの種族の間で共通言語として使われる言葉よりも数段に言霊が強いものだ。心の弱いものが聞けば、それだけで心を病み、また、命を削りかねないものだ。
――あいつら……
どれ程忌々しくとも、ザリーツァとて必死なのだろう。
根気よく送られてくるその刺客は、目に見えてレベルの落ちる者ばかりになりつつあった。しかし、そんな者達が吐く言葉は、トウリの心を蝕み続けた。
「何の夢?」
「いや、大した事じゃないよ。心配ない」
「……でも」
「お前が心配する事じゃない。大丈夫だ。子供も不安がるから」
「……うん」
怯えた表情のサンドラを抱き締め、トウリはひとつ息を吐いた。
その時、トウリは手の中に鋭い痛みを覚えた。
あれ?っと手を見た時、掌から血がこぼれていた。
「ん?」
「どうしたの?」
「なんだこれ」
「それ」
サンドラは自分の手を見せた。
僅かに延びていたはずの中指にあった爪が剥がれていた。
そして、その剥がれた爪はトウリの手の中にあった。
「もしかして、握りしめたか?」
「……うん」
「大丈夫か! ゴメン! すまない!」
「平気よ。だいじょうぶ。あなたが私の手を掴んだの」
「え?」
「助けを求めるみたいに」
トウリは自分が何をやったのかを理解した。
夢の中で走っている時、立ち止まってグッと握った時。
その時、サンドラの手を握って剥がしたのだ。
「……ほんと、ゴメン」
「良いのよ。それより……」
「俺は駄目な男だな」
自嘲気味に溜息をこぼし、ガックリと項垂れたトウリ。
耳の中にはあの声がリフレインしていた。
――――お前は裏切られる……
小さな声でそれを復唱し、首を振ったトウリ。
心配そうにそれを見ているサンドラは言葉が無かった。
だが……
「ん?」
トウリは何かの気配に気が付いた。極々僅かな衣擦れだ。
小さな声で『またか』と呟き、音を立てないようベッドから立ち上がった。
――今夜もか……
少々ウンザリ気味の表情でベッドサイドの太刀を取った。
そして、音を立てぬよう慎重に太刀を抜き放ったトウリ。
寝室入り口の脇へ静かに立ち、扉が開かれるのを待った。
間違いなく今夜も刺客がやって来たと確信したのだ。
――今夜は一刀両断してやる……
グッと力を入れたトウリは、七分まで息を吸ってそこで止めた。
吸いすぎれば胸がつかえ、足りなければ息が持たない。
この数週間を慢性的な寝不足で過ごしたトウリのイライラも限界だ。
サンドラは日中に睡眠を補っているが、国政に携わるトウリはそうはいかない。
若さと気力で乗り越えて来ていたが、そろそろ限界が近いのも事実だ。
――早く姿を表せ!
可愛い我が子の為だ。何ら迷うことなく太刀を降る事くらいは出来る。
グッと奥歯を噛んだトウリの全身に力が入る。振り上げられた太刀が光る。
コンコン……
ドアがノックされた。
トウリは首だけ降ってサンドラに『応答しろ』と指示を出した。
サンドラもそれを読み取り、静かな声で言った。
「だれ? こんな時間に」
部屋に差し込む月の光を見れば、もはや深夜であるとわかる。
少なくとも大公爵家なのだから、不寝番で人を待つ者は居るのだ。
――――奥様、夜分に申し訳ありませぬ
――――たった今、城から使者が参りました
――――お休み中な御館様を起こしてくださいまし
その『城から』と言う言葉にトウリの表情がスッと変わった。
僅かな灯りしかない部屋の中、トウリの警戒が一段引き上げられた。
サンドラにもそれはわかったようで、一瞬思案したサンドラは静かに言った。
「緊急の用件なの?」
――――はい
――――太陽王陛下よりの口伝です
トウリの表情がグッと堅くなった。
使者を飛ばすような緊急の事態であれば、カリオンは直接来るだろう。
寝不足で段々と思考能力の落ちていたトウリは、疑うことなくそう考えた。
少なくともトウリはカリオンとの関係を磐石だと考えている。
当然、向こうもそう思っているとトウリは勝手に解釈していた。
だが、再び耳の中にあの言葉がリフレインした。
――――お前は裏切られるのだ……
――――お前は裏切られる……
――――お前は……
その時、ハッとトウリは気が付いた。
最初の頃に斬り捨てた刺客は、そんな言葉を吐いて果てたのだ。
『お前が思っているほど、太陽王はお前を信じていないぞ……』
怒りに任せて脳髄まで切り裂いたのだが、その刺客は嘲るように笑って死んだ。
――くそっ!
ギリッと音を立てて奥歯を噛み締めたトウリ。
悪夢に魘され寝不足に苦しめられ、そして今はジワジワと精神を蝕まれている。
正常な判断を失った男が辿る末路など、古来から一つだと相場は決まっていた。
「構わないからそこで言って」
サンドラは静かな声でそう言った。
扉の向こうに居る女中の女が明らかに狼狽しているのが解った。
――――王のお言葉です。よろしいのですか?
「えぇ。構いません。私から謝っておきます」
――――そうですか……
露骨な落胆と、そして、逡巡が伝わってくる。
どうした事だろう?とトウリもそれを考えるのだが、その実態が見えない。
――――先ほどお城の伝令が伝えました所に因りますと……
トウリは慎重に唾を飲んだ。緊張が伝わってくるのが解った。
この女中も緊張している。声が震えていると、そう思った。
――早く言えよ!
トウリのイライラがピークに達しつつある。
だが、心の乱れが最高潮に達した時、女中は静かに言った。
――――リリスお嬢さまにご懐妊の兆候だそうです
その瞬間、トウリの耳から全ての音が消えた。
サンドラが何かを言っているようだが、言語としての解釈が出来なかった。
扉の向こうに居る女中の声が明るい。
リリスの成長を見てきた女性だけに、嬉しいのだろう。
だが、トウリは剣を振り上げたまま凍り付いていた。
リリスが子を孕んだかも知れないと言う知らせに凍り付いていた。
そして、再び耳の中にあの声がリフレインする。
――――お前は裏切られるのだ……
――――お前は裏切られる……
――――お前は……
……裏切られた!
勢いよくドアを引き開けたトウリは血走った目で女中を見ていた。
満面の笑みで喜んでいた女中を見下ろしていた。
そしてその直後、トウリはその女中を袈裟懸けに斬り殺した。
「裏切りやがったな!」
そう、絶叫しながら……