刺客の残した翳
「おはよう」
「あぁ、おはよう兄貴」
襲名披露の翌朝。登城してきたトウリはいの一番でカリオンを訪ねた。
まだ王の私室で寛いでいたカリオンだが、トウリを暖かく迎え入れた。
「で、どうだった?」
「え? なにが?」
トウリと差し向かいになったカリオンは、不思議そうな顔をしていた。
いきなり何を言い出すんだ?と怪訝とも言える表情だ。
だが、トウリは構う事無く本題を切り出した。
かつての若王新体制そのままに。
「昨日の晩、大地の人が来たんだけど」
「あぁ、こっちにも来たよ。初めて見た」
「カリオンですらもか?」
「もちろん。今まで見たこともなかった」
その表情が全く詐り無いことを雄弁に物語る。
だが、トウリはそれにも驚いていた。
太陽王の肩書きを持つ持つ男がはじめて見たというのだ。
その衝撃は計り知れない。
「だけどさ、何でまたこんな時にくるのかね?」
「さぁ……それは俺に言われても」
惚けた表情でそう言うトウリ。
カリオンはそんなトウリを遠慮なく笑った。
「……油断しすぎたよ兄貴」
「そう言うなって。久しぶりに家に帰って油断してんだよ」
「そう…… だろうね」
流石のトウリだって……と皆は言うだろう。
だが、この動乱の中で成長したカリオンから見れば、トウリは些か心許ない。
叔父カウリが危惧したとおり、全ての面で今ひとつという人物なのだ。
――そうじゃないよ……
そう言いかけて飲み込んだカリオン。
トウリは妻リリスの兄であり、また、幼馴染みのようなものだ。
出来る限りフォローしてやりたいと思うのが人情というもの。
ウォークの様に思慮深く、リベラの様に油断無く、ウィルの様に聡明な存在。
そうで無ければ太陽王の宰相は務まらないし、また、心許ない。
トウリの父カウリがそうであったように、海千山千の策士で無ければならない。
――兄貴にも成長してもらおう……
そんな事を心に決めたカリオンは話題を変える事にした。
「で、兄貴の所はどうだったのさ」
「俺ンとこか?」
「そうだよ」
「いや…… それがさ……」
少々深刻な表情を浮かべたトウリは、一つ息を吐いて切り出した。
昨夜、自宅で何が起きたのか……をだ。
――――――――帝國暦339年7月23日 夜半
サウリクルアージン家邸宅
宴もお開きとなり、出席者達は三々五々と帰途に就いていた。
そして、宴を支えたスタッフに打ち上げの酒が振る舞われ、労をねぎらった。
「皆ご苦労だった。私事の為に苦労を掛け、心配も掛け申し訳無く思う。信じてくれた皆に心から感謝する。そして、これからもよろしく頼む。まだまだ修行が必要な人間だ。父のようになりたいと思うから、遠慮無く叱咤激励して欲しい」
王立医療所での数年間は全く無駄では無かった。
このサウリクル邸に勤める者達全てがそう思った。
どこか放漫で不規律な少年時代を知る者は多い。
決して甘やかされたわけでは無いし、騎兵総長の息子として騎兵のなんたるかは教育されずとも良く理解していた。
だが同時に、この少年はフレミナの気風を確実に受け継いでいた。
癇癪持ちで自己節制や自己規律と言ったものが致命的に弱い部分がある。
油断すれば下のものに横柄な言葉を吐き、それについて悪びれる様子など一切ないし、そもそも悪い事だとは何ら思っていない。
封建主義体制において『やってはならない事』と言われる上の者の振る舞い全てを兼ね備えた、完全無欠なダメ上司の典型例と言っても良い部分があったのだ。
「今になって父の偉大さが良くわかる。自分の愚かさや小ささもまた良くわかる。妻が私を叱責するように、皆も私を叱って欲しい。諫言して欲しい。父はよく言っていた。慢心は自分では気が付かないのだと。だからこそ、皆の視線と意見が私には必要なんだ。今日、この夜から再出発するつもりだ。よろしく頼む」
トウリは静かに頭を下げた。
大公爵の中で太陽王の次に位置する大家の主が頭を下げた。
――――立派になられた……
スチュワートを勤めるロッドは涙ぐんですらいた。
あのクソ生意気な少年は、人の上に立つ貫禄と実力を育みつつあるのだ。
「今宵より、若では無く御館様ですぞ」
「あぁ。そうだね」
トウリの後方に立っていたロッドはそう述べた。
その言葉に何気なく振り返ったトウリは、一旦ロッドの靴を見てから顔を見る。
落ち着いた立ち振る舞いというものの中から威厳は生まれる。
その僅かな所作は、ロッドだけでは無くサウリクル家に奉公する者全てにカウリ・アージンを思い起こさせた。
「さぁ、今宵はもう遅うございます」
「そうだな。やりにくいな」
「然様にございます」
下の者が動きやすいように気を配るのも上の者努め。
トウリは『任せる。おやすみ』と一言残して大広間を出た。
遠い日、自宅で宴を開いた父カウリは、最後に必ずそう言って部屋を出た。
家令として家内の全てを取り仕切るロッドに一任し、静かに立ち去ったのだ。
その振る舞いこそが相手に全幅の信頼を置いている証。
主の振る舞いを意気に感じる者ならば、より一層に努力するものだ。
――さて……
寝室へと向かうトウリは、ふと妻サンドラが言った言葉を思い出した。
ついつい気が大きくなって大言壮語をしてしまう己の弱さを叱責されたのだ。
――――見苦しいわよ……
その通りだと自らに恥じたトウリ。
周囲に集った者が自らをトウリ卿と呼んだ事で気が緩んだのだ。
――――もっと慎重に……
サンドラは自分とカリオンを比べているのだ。
いや、比べているのでは無く、カリオンに劣っていると見ている。
その事実に気が付いた時、心のどこかにモヤモヤとした感情が湧いた。
およそ男というものは、他と比べられる事を嫌がるものだ。
序列を付けるべく組織の中で成績争いをするなら、それは納得が出来る。
だが、本人の望まぬ所で外からあれやこれやと言われる事は好まない。
しかも、その比較の中で明確に劣っていると判定される事は屈辱的ですらある。
相手が明らかに自分よりも優れている。或いは、文句無き実績がある。
それならまだ納得も出来るし、諦めも付く。なにより目標たり得るのだ。
だが、身近に居る存在が自分よりも明確に優れていると言われたなら。
しかもそれを、他でも無い自分の妻が言ったなら、それは男の沽券に関わる事。
――もっと修行しなきゃな……
ただ、幸いにしてトウリはカリオンを認めていた。
マダラに産まれたカリオンは、ここまで本当に苦労してきたのを知っている。
ビッグストンへ視察に行ったカウリは、トウリによく話していたのだ。
マダラと言うだけで上級生からリンチされただの、或いは殴られただの。
校内の半数近くを相手に大立ち回りを演じ、その大半を戦闘不能にしただの。
結果、50名以上の退学者を出し、実力でまわりをねじ伏せた。
そんな男が目の前にいて、しかも今回は叔母シャイラを見事に釣り上げた。
あのカリオンの側近であるウォークやウィルが入れ知恵したにしても……
「あいつはスゲェよなぁ……」
ポツリとそう漏らし、寝室の扉を開けたトウリ。
だが、その扉の向こうは、いきなりの修羅場になっていた。
――えっ?
寝室には幾人もの男が集っていて、短剣を抜きサンドラとコトリを囲んでいる。
そのサンドラの前には細身のレイピアを抜いたイワオが立っていた。
全身の力を抜き、風に揺れる柳のようにしなやかな構えだ。
――あれは!
イワオが持っているレイピアには見覚えがあった。
かつてカリオンが祖父シュサに拵えてもらったという太陽王恩賜の剣だ。
王都の刀工達が腕を振るった素晴らしい出来映えのレイピア。
そのレイピアを柳の如く振るイワオは、速度に勝る短剣を全て弾き返していた。
男達が連動して襲い掛かっているのだが、その全てを難なく払いのける。
――嘘だろ……
思わずトウリはそうひとりごちた。
背格好とすればトウリよりも一回り小さいイワオだが、その身体はまるで岩だ。
大きく重く強靭に見える姿だ。そしてその剣はまるで風のよう。
速く鋭く強いのだ。
短剣を構える刺客の全てが尋常ならざる速度だ。
並みの剣士ならば、碌な抵抗も出来ぬままに首を掻き切られるだろう。
だが、それを受けるイワオは、小枝でも振るかのようにレイピアを扱う。
速度で負けないのであれば、大きく重く威力のある剣が有利だ。
入り込んでいた刺客のうちの3人ほどが一瞬にしてイワオの剣に斬られた。
その切っ先は掠るように刺客の眼球を切り裂いた。
視野を失った者の動きなど取るに足らないモノだ。
イワオはそんな刺客に対し、最小限の動きで心の臓へとレイピアを突き立てた。
仮にも寝室である以上、血飛沫が舞うのは歓迎しない。
――ザリーツァか!
やや酒の入っていたトウリだが、事態の真相にはすぐに気が付いた。
そして、イワオの支援をしなければいけない事も理解していた。
「何奴だ! 名乗れ!」
一瞬の間を作るためにトウリは叫んだ。
何よりも胆力と信念が必要な事だった。
「名乗るバカなどおるまいて……」
僅かに後方を振り返った刺客は、小さな声でそう漏らした。
だが、状況は致命的で窮地に陥った事を理解している。
前にはとんでもない手練のヒトがいて、その剣には到底太刀打ち出来そう無い。
命を取ろうとしたサウリクルの姫はそのヒトの背後にいる。
そしていま、自分の背にはサウリクル家の当主が来ていた。
「同感だな。とりあえず…… 死ね」
トウリも剣を抜いた。
父カウリから受け継いだ、幅広なブロードソードだ。
膂力ですらも父から受け継いだトウリならば、それを軽々と振り回せる。
一瞬だけの間が開いたが、その隙を狙ってイワオが動いた。
「ッセイ!」
手首の返しと腰の捻りが連動させた、驚くべき太刀行きの速さだ。
部屋の中に残っていた刺客の内、2人の刺客が一瞬にして切り裂かれた。
1人は喉を縦に斬られ、その奥の頚椎を一瞬にして断ち切られた。
もう1人は一瞬だけトウリを振り返った瞬間、その後頭部を斬られた。
共に最も重要な神経の部分を瞬時に斬られ、戦闘能力を失っていた。
「……手練か」
「今さら遅いんじゃないか?」
残り2人の刺客に対し、僅かに笑ったイワオは腰を落として低く構えた。
元々にヒトと言う種族は小柄なケースが多いが、イワオは更に小さい構えだ。
「同感だ」
瞬間的に懐へと手を突っ込んだ刺客は、その内から何かを取り出した。
それが飛び道具の可能性を考慮したイワオは、懐から抜かれた手首を狙った。
切り落としてしまえば安全だと考えたのだが、刺客はその手をイワオへ向けた。
――あっ!
イワオは一瞬の内に様々な可能性を考慮した。
それがビッグストンで教えられた刺客向けの暗器である可能性を考慮した。
そして、それはビッグストンで教えられた、ヒトの世界での代物。
『銃』と言う武器である可能性も……だ。
――ヤバいっ!
完全に伸びきった刺客の手首を、イワオは迷う事無く切り落とした。
瞬時に血が流れ、鈍い音を立てて床に手首が落ちた。
何を持っているのかを確かめる為にイワオの目がその手を追った。
そして、己の悪手を知った。
握られていたソレは銃でも刃物でもなく……
「うわっ!」
思わず叫んだイワオは目を隠した。
零れ落ちた血液に反応する、眩い目くらましだ。
血液中の鉄分に反応して自己発火するマグネシウムの束。
それは、この世界の魔術師や錬金術師たちが生み出した偶然の産物だ。
刺客は手首ごと切り落とされるのを前提に手を突き出した。
まずはそうやって生き延びる事を優先したのだ。
「若いな」
短い言葉を残し刺客が動いた。
トウリを突き倒して部屋を飛び出た刺客は、廊下に飛び出て走り去った。
「逃がすか!」
視界を失っても足音を追う耳は失われていない。
考える前にイワオは追いかけていた。
「待てっ!」
もちろんトウリも咄嗟にそれを追い掛けた。
余りに瞬時の事で自然に身体が動いたような状態だ。
廊下に飛び出た刺客は中庭へと続く廊下を走った。
点々と続く鮮血の道しるべを残して走った。
まだ視界が回復しきらないイワオだが、不思議と濃密な血の匂いを感じた。
50%はイヌの遺伝子を持っているイワオ故に、それが出来るのだろう。
「ここまでか」
中庭に飛び出した刺客は、足を止めて辺りを見た。
サウリクル家に奉公していた者達が、弓を構えて待っていたのだ。
それも一人や二人ではなく、ロッドの指揮下で20人以上が居た。
「……無念」
刺客は左手に握っていた小刀をクルリと返し、自らの胸に突き立てた。
情報を渡さないようにする為、自らに命を絶つ事を選んだのだ。
「馬鹿な!」
慌てて駆け寄りその短剣を抜こうとっしたイワオ。
だが、全て手遅れである事など明白だった。
ケパッと血を吐いた刺客は、それでもニンマリと笑った。
身の毛もよだつようなその姿は、心の弱い者が見れば卒倒しかねない。
胸に穴を開けた刺客は、心底相手を蔑むように笑った。
「貴様! 誰に雇われた!」
「それを答えるとでも思っているのか? 随分とおめでたいな」
トウリの言葉にそう答えた刺客は、膝を付いて崩れた。
ただ、それでも目がまだ死んでいないのは、苦痛に対する慣れだろう。
およそ細作稼業にある者は、人の命を奪う為に猛烈な訓練を積み重ねる。
その中では苦痛や恐怖と言ったネガティブな感情のコントロールも学ぶ。
痛みを無視し、恐怖をやる気に帰る術だ。
「話しに聞いたとおりだ。お前は全てが3流以下だ」
刺客は血を吐きながらも、遠慮無くそんな事を言った。
その言葉はトウリの怒りを掻き立てるのに充分な威力があるのだが……
「三流でも何でも良い。お前の正体が必要なんだ」
「……ふんっ!」
刺客は苦しそうに血を吐きつつ、力尽きて地面に転がった。
そしてヒューヒューと音を立てて苦しそうに息をしていた。
「お前はいつか殺されるだろう。役に立たない者など生かしておく価値が無い」
その姿には、ゾクリと寒気を覚えるような迫力があった。
口元から血を流し、胸からは脈動する出血を認めている。
だが、その刺客は未だ闘争心を失っていなかった。
「お前は道化として踊り続ける事になる。使い道がなくなれば殺される……」
ケパッと血を吐き、苦しそうに息をしながら。それでも刺客は笑っていた。
驚きの表情なトウリをジッと見て、心底蔑むように笑っていた。
「すべての面でお前はあの王には敵わない。あの王は自分の役に立たない者など歯牙にも掛けぬだろう。そんな冷酷な王に仕え、お前はすり減らされながら死を迎えるのだ」
何の為にそれを言っている?
トウリの頭にはそんな言葉が思い浮かんだ。
敵を怒らせるのが目的か。それとも、トドメを入れさせる事だろうか。
自らに命を絶ち、この場で果てる事が刺客の目的なのだろうか。
それにしたって余りにおかしいのだが、その実はトウリには理解出来ない。
僅かに狼狽したトウリは、ひた隠しにした筈の混乱を僅かに漏らした。
その内心を見透かしたのか、刺客は凄みのある笑いを浮かべた。
「お前は本当に愚かだな」
「それは俺も同感だ。指摘してくれて嬉しいよ」
精一杯余裕ぶった言葉を吐いたトウリ。
だが、その右手は堅く握りしめられ小刻みに震えていた。
「ふんっ…… 余裕ぶるならその小刻みに震える手を隠せ。小僧」
刺客は全てを見透かしたように言った。
トウリの心に出来た逆剥けを、力一杯剥がすように。
「俺は不様だ。それは解っている。死んだ親父に比べれば数段劣るのも承知している。だが、俺にはまだ伸び代があるのさ。これから上達してやるのさ」
苦し紛れに放った言葉なら上出来だ。
トウリはそんな自画自賛をしていた。
「……そうだな」
今にも事切れそうな刺客は、ふと、そんな言葉を吐いた。
口元を血で汚しながらも、その刺客は楽しそうな笑みを浮かべた。
「俺もそうだった。常に先代と比べられた。そして今がある。お前もそうなるんだろうさ。絶対に失敗しない人間と永遠に比べられ、消耗し続けるがいい……」
小さく『なっ……』と呟き、トウリはソレっきり黙ってしまった。
刺客は事切れたようで、不敵な笑みを浮かべたまま死んでいた。
「兄貴……」
「……事実だからな」
吐き捨てるように呟いたトウリは、刺客へと歩み寄ろうとした。
だが、そんなトウリをイワオが手で制し、剣を構えたまま近づいた。
死んだフリを警戒したのだ。
「完全に死んだようだ」
イワオはそれを確信したのだが、念のために頚椎部分へ剣を突き立てた。
頚椎を完全に絶ってしまえば身体は何をしても動かなくなるから。
刺客対策ですら完璧にこなしたイワオを見つつ、トウリは僅かに惨めになった。
すべての者たちが着々と実力を身に付け進歩している。それなのに……
――俺はまだこんな所でくすぶってる……
もっと出来る事があるはずだ。
もっとやれる事があるはずだ。
そんな思いはずっとトウリの心の中にあったのも事実だ。
だが、この数年間を療養所の中で病人支援に当ってきた。
それを恥じる事は全く無いのだが、数年を無駄にしたと言う思いは晴れない。
この数年の間に、カリオンはより一掃に『王』になっていた。
昼間見たカリオンには、いつの間にか見る者を圧する威があった。
それは、立ち振る舞いや佇まいと言ったものの中で自然ににじみ出るモノだ。
振る舞いとして演技できる類のモノではないのだ。
――あいつはさすがだ……
シュサ帝が将来の太陽王ぞと言っていたのは、それを見抜いていたのだろう。
悔しく無いといったら嘘になるが、人間としての全ての面で自分は劣っている。
ならば、カリオンの役に立つしかない。
あのカリオンの取り巻きがそうである様に、自らもまたカリオンの右腕として。
無くてはならない存在として、押しも押されもせぬ不動の立場にならねば……
「……兄貴。部屋に戻ろう」
イワオは唐突にそんな提案をした。
そうだ。こんな所で自分の内側に落っこちている場合ではない。
「そうだな。急いだ方が良い」
妙な胸騒ぎを覚えトウリもイワオも寝室へと走った。
あの部屋には妊婦が居て、そこには死体が幾つもある。
誰かが片付けているやも知れないが……
通路を走り、一つ二つと角を曲がって寝室へと着いた2人。
そんなトウリとイワオが見たものは、返り血を浴びて笑うコトリだ。
そして、床には新たな死体が幾つか転がっていて、その全てが事切れていた。
「コトリ!」「サンドラ!」
イワオもトウリも同時に叫んでいた。その声にコトリは、我に返ったらしい。
漆黒に染められたロングのワンピースに白いエプロン姿の少女は笑っていた。
鮮血に彩られたワンピースを外し、頬の返り血を拭ってからもう一度笑った。
その姿にトウリは言葉を失っていた。
卒倒しなかっただけ大したもんだと褒めてやるレベルだ。
「どうした!」
さすがのイワオも慌てたのだが、コトリは事も無げに言った。
まるで、夕食の献立を静かに読み上げるかのように……だ。
「2人が部屋を飛び出して言った後、新手が部屋に押しかけてきてね――」
まるで楽しかった舞踏会の様子でも語るかの様に明るい表情だ。
遠慮なく遊んだ子供がニコニコと笑うようにも見えるモノだ。
「まずいと思ったんで誰かを呼ぼうと思ったんだけど、みんな中庭に行っちゃったから誰もいなかったんでつい……」
コトリは右手を横へと伸ばし、その掌中から鋼線に繋がった球を落とした。
かつてリベラが見せたその暗器の威力は、もはや説明するのも不要なモノだ。
床の上で事切れている刺客の即頭部や頭頂部には見事な陥没の痕がある。
それだけでなく、離れた場所の刺客は、その喉に小さな刃が突き刺さっていた。
毒を塗られた極々小さな投げナイフだが、その威力は十分のようだ。
「上手く出来たよ!」
コトリは純真無垢な笑みを浮かべ、自慢げに胸を張った。
ただ、同時にその暗器を丁寧に拭き、腰の辺りの隠しポケットにしまった。
そのギャップが余りにも大きすぎ、トウリもイワオも二の句がつけなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はっはっは!」
トウリの報告を聞いていたカリオンは、思わず馬鹿笑いするしかなかった。
途中から話を聞いていたリベラは、真面目な表情で何度か首肯しただけだが。
「いや、しかしまぁ、なんだ。恐ろしいな」
「敵に廻したくないってな」
トウリの本音にカリオンは軽い調子で答えた。
リベラの言っていた『だいぶ出来るようになった』の意味を痛感したのだ。
ただ、その教えた本人だけが、些か不本意そうではあるのだが……
「……じゃぁ、あれは返り血を浴びていたってわけでやすね?」
「あぁ。ちょっと酷い姿だった」
「さいでやすか…… もうちぃとばかし教えねばなりますめぇ……」
厳しい表情のリベラが首を振った。
そこには落胆の色がはっきり見て取れた。
「的の返り血を浴びて喜ぶようじゃ、細作は勤まりやせん。余計な血を浴びずにやらねぇと……足がつきやすんで」
小さな溜息と共にリベラはそう言った。
ただ、カリオンはさすがに些か不本意そうだ。
「リベラ。あの子を殺し屋にしてくれるなよ?」
「もちろんでさぁ。ただ、どんな時にきっちりと出来ねば足元を掬われやす」
カリオンにしてみれば大事な妹だ。
殺し屋稼業の似合う女にはなって欲しくない。
だが、リベラの目には職人の見せる魂のようなものがあった。
それは、己の仕事と技術に絶対の自信を持つ者が見せる矜持でもある。
「半端な腕で満足してるようじゃぁ…… いけやせんね。もっと精進して……」
ガックリと項垂れたリベラは消え入りそうな声で呟いた。
『面目ねぇ』と、そう、心底恥じるような声音で。
「……リベラ」
怪訝な顔で言ったカリオン。
読み取れとも思うのだが、コトリとカリオンが兄妹である事を知らないのだ。
「どうやら、始めての弟子で、手前が舞い上がったんでございやしょう。面目しでぇもござぇやせん。まだまだ修行がたりねぇようです」
『そうか』と短く呟いてカリオンもそれ以上を言う事は辞めた。
ただ、なんにせよ言っておかねばならない事もある。
「せめて自分の身くらいは、キチンと護れるようにしてくれ」
「畏まりやした」
慇懃に頭を下げたリベラ。
カリオンの胸中には嫌な胸騒ぎが沸き起こっているのだった。