大地の人
その夜。
王都ガルディブルク郊外のサウリクル邸は久方ぶりの賑わいを取り戻していた。
数年ぶりに家の主が帰ってきたからだ。
家の主であったカウリ・アージン卿は、騒乱のさなかに王都を出奔して行った。
その日以来、このサウリクル邸は、主不在の状態だったのだ。
そして、大公爵家は公式には空き家と言うことになっていた。
だが、その家に正当な家主が帰って来た。
公式にサウリクル家の家督を継ぐ事になったトウリ・アージンが戻ったのだ。
色々と問題はあったが、太陽王がサウリクル家の代替わりを公式に認可した。
それは、ノーリクル家の主だけが持つ絶対権限としての物だ。
始祖帝ノーリの直系子孫として太陽王の座に就いたカリオンの持つ権限。
ボルボン家を始めとする公爵家ですらも立ち入り出来ない領域のことでもある。
従兄弟に当るトウリの大公爵サウリクル家襲名を認可したカリオンは、あわせて過去の罪状に付いての恩赦を与えた事を宣言した。
先の動乱におけるカウリ卿の振る舞いは、父であるゼル卿との間で行なわれた高度な作戦であったと公式に認めたのだ。
貴族院における発言だけが一人歩きしていたガルディブルクの街中には、太陽王とその後見人たちが打った凶手の恐ろしさばかりが一人歩きしていた。敵をつり出し撃つためだけに、仲間同士が本気でやりあう事を選んだと言う部分だ。
決して少なくない数の騎兵が命を落としたし、兵士にも犠牲者が出ている。
国費は気前良く使われ、その流された血を埋め合わせるべく使われていた。
国が傾く
誰しもがその恐怖をひしひしと感じていた。
ただ、その投資に見合うものは確実に存在している。
話し合いや譲歩のし合いで解決できる次元は当に過ぎているのを知っている。
汗を流し、血を流し、そして、涙を流し。
結果に見合うだけの犠牲を払わねば事態は動かない。
全てが等価に過ぎない事をみな知っているのだ。
だからこそ、国民を信じて凶手を打った太陽王の胆力と精神力に驚いていた。
何より、それを仕組んで実行した老人達が死に、残された若き王は誰一人として指導する者も無い中で、上々の後始末に成功した事にも……だ。
――――若王はやり手だ
――――きっと凄い王になるぞ!
王都の誰もがそんな噂をした。それは間違い無く太陽王への信頼となる物だ。
ル・ガルは盤石だと国民が安心して暮らせる時代。
始祖帝の夢見た『和を以て貴しと為す』世界が、手の届く所に来たのだった。
――――――――帝國暦339年7月23日 宵の口
王都ガルディブルク郊外
サウリクル・アージン家邸宅
「……思えばあっという間の出来事だな」
万感の思いを込めてトウリは呟いた。
かつて、父カウリは突然思い立ったように『王都を出る』と言い出した。
その全てがゼル公との段取りだったのは言うまでも無い事だ。
だが、王都を飛び出したことは、実は全く打ち合わせに無い事だった。
「本当にそうね」
トウリとサンドラの二人は、顔を見合わせ微笑み合った。
何も言わず夫カウリに従ったユーラとレイラの二人。その強さを垣間見たサンドラは、妻がどう振る舞うべきかと言う良い手本を見る思いだった。
妻は夫を支える存在。それは、左右から合わさる手。
右の手と左の手は対になって存在し、相手の全てを受け止める。
時にはぶつかる事もあるが、上手く当たれば良い音を出すものだ。
サンドラは思った。フレミナの血を引く義父カウリを宥め賺して立たせた妻二人の手腕こそ、自らに徹底した教育を施したフェリブルの思惑だったのだと。
フレミナの為に振る舞うはずだったトウリを支えられる、強い人間に育てたかったのだと。ただ、その思惑は徹底的に外れる結果になったのだが……
「思いの外に盛況だ」
「積み上げてきた実績の結果よ」
邸宅内部の大広間では、久しぶりの家主を歓迎するパーティーが開かれていた。
サウリクル家と関係が深い者達が招待を受けていて、その中にはカウリ卿の個人的な所領だったエルバスターニュからも人が来ていた。
「あの施設で過ごした日々は無駄では無かったんだな」
「改めてカリオン王とリリス妃の手腕に驚くわね」
「……全くだな」
「面白く無い?」
夫トウリの僅かな機微をサンドラは見逃さなかった。
カリオン夫妻の優秀さを、トウリは余り良く思ってない。
サンドラはそれが気掛かりだった。
「そんな事は無い。ただ、余りに上手く回っているからな」
ふと、サンドラはゼルの口癖を思い出した。
事ある毎に言っていた物だ。
――――上手く行っていると思う時は落とし穴がある
――――大丈夫だと思う時は不安の裏返しだ
――――絶対は絶対に無い
――――それが真実だ
全てが上手く回っていると勘違いし、落とし穴に落ちる。或いは罠を見落とす。
そして、取り返しの付かない失敗に気が付き、泥沼にはまっていく。
夫トウリはそれを気に掛けていたらしい。
少しは成長したのかも……と、サンドラもほくそ笑むのだが……
「兄貴!」
「おぉ! イワオには面倒を掛けたな」
「面倒だなんて思ってないよ」
「お前はそう言うと思っていたよ」
このパーティーの算段は全てイワオが執り行っていた。
謂わば既に、次期家令としての助走期間のようなものだった。
言葉にこそ出さぬものの、トウリにとってもイワオは弟だ。
トウリにしてみれば同じ父の血を引いた兄弟。
表に出せない呪われた血を持つ存在だが、大切な家族だ。
「ところで……」
チラリとサンドラを見たイワオは、楽しそうな笑みを浮かべていた。
その身に宿す新しい命はすくすくと大きくなっていて、既にその膨らみは隠しようが無い状態だ。
「楽しみだね」
「あぁ」
サンドラの腹部にそっと手を添え、幸せそうに微笑むトウリ。
一時はその命すら危ぶまれたサンドラだが、今は健康その物な姿だった。
「ねぇさんも気をつけて」
「もちろんよ」
今はサンドラもイワオとコトリのことは飲み込んでいる。
ゼルのフリをした五輪男とレイラの名で義父カウリが保護していた琴莉。
そのふたりが残していったリサと共に、恐るべき呪われた血の存在だ。
だが、サンドラにしてみれば『重なり』と呼ばれる存在は珍しいものでは無い。
魔法による強制ハイブリット生物の研究は、生命魔法分野では当たり前の話だ。
ある意味でガルディアラ大陸最高峰な魔法技術体系を構築したウサギの国と同じく、フレミナ一門もまた魔法技術に長けているのだ。
そして、そんなフレミナの中で魔法化学の結晶的な存在と言えば、やはりこう言った『重なり』と呼ばれる重魂生物の存在だった。
その重魂生物が、強力な魔方陣や魔道力と言った魔導に携わる者達の高度で無二な努力無しに産まれて来た。それも、簡単な魔法薬を飲んだだけで子を為し、母体を損なうこと無く安全な出産に及んでいる。
――――本音を言えばフレミナの魔法研究材料として紹介したいくらいよ
何ら悪びれること無くそう言いきったサンドラだが、それでもイワオとコトリの二人は大切にしていた。それはつまり、取りも直さず太陽王の存在であり、そしてその向こうに見えるゼルとレイラの存在への敬意と感謝だった。
「ところで、彼らは?」
パーティー会場の片隅。
豪華な料理が並ぶテーブルの一角には、黒いオオカミの一団が陣取っている。
王都には黒耀種や黒墨種といった黒い体毛を持つ一族が多いが、それらと比べても明らかに毛色の違う集団だと皆が認識するのだった。
「ねぇさんなら知っていると思って入れたんですが……」
首を傾げたイワオは怪訝な表情を浮かべた。
明らかなオオカミの一団だった故に見切り発車で入れてしまったからだ。
――カウリ卿の跡を取られたトウリ殿下にご挨拶を……
キチンと礼を尽くしたその一団は、イワオも余り見慣れない独特な作法だった。
今になって迂闊だったと後悔するのだが、失敗は経験する事でしか学べない。
「まぁいい。何かあったら王都の警護騎士団の世話になろう」
あまり深刻な様子もなくあっけらかんとしているトウリ。
その姿にサンドラは嫌な胸騒ぎを覚えた。
思慮浅く、しかも軽いのだ。
「本当に大丈夫かしら……」
不安げな言葉を口にしたサンドラの目は、その一団に飲み物を配るコトリに注がれていた。館女中の衣装を纏い、大公爵家の中でせっせと動いているのだ。
不用意に押せば折れてしまいそうな細い身体と華奢な手足は、まるで棒で作った人形の様にも見える。そんなコトリはチラリとイワオにアイコンタクトし、未知の一団に探りを入れているのだった。
「いずれにせよ、事が起きれば対処するしかない。手の届くところに剣を用意して置いてくれ」
気がつけばトウリも随分と逞しくなっていた。
シュサ帝の弔い合戦が激しかった頃は、お飾り団長として騎兵の一団を率いていた事もある。キチンとした戦術や戦略などの理論を学んでいる訳は無いのだ。すべてが実地研修と実戦経験で鍛えられていた。
――――今宵集われた皆様方
――――お寛ぎのところを大変恐縮でありますが改めてご紹介いたします!
サウリクル家の家令もロッドは、グッと胸を張って声を上げた。
本来このパーティーは、主家ノーリクルからの序列2位を見せ付ける場である。
歴代太陽王を輔弼する宰相としての立場を宣言し、家督相続を確定させるのだ。
だからこそ、そのような席に正体の知れない者を入れるわけにはいかなかった。
イワオは自らの失態をこれ以上なく深く恥じた。まだまだ訝しげな目でトウリを見ている者は多い。このル・ガルにおいて王に弓引く事がどれほど重大なことを、トウリ自身が再認識しているような状態だ。
「皆さん――
トウリは父カウリの様に『諸君』という言葉を使うことは無かった。
主君であるカリオンが使うように、出来るだけ柔らかな言葉を心掛けた。
新しい時代を切り開いていこうとする王権の宰相なのだ。
新しい時代に対応せねばならないのは自明の理。
トウリ自身もまた『これで良いはずだ』と手探りで進んでいるような状態。
この王都に暮らす者達が認識を改めるまで、コツコツとやるしかない。
「王都とル・ガルとを騒がせた事変は収束しました。王に弓引く逆徒は一掃され、始祖帝ノーリ以来の悲願である祖国一統の夢は、遂に我々の手が届く所にまでやって来ました。ですが――
そう。
ここで大切なのは油断しないことだ。
その為にイワオが預けられているのだとトウリも気が付いている。
剣士としてのイワオは、もはやトウリでは太刀打ち出来ない次元まで来ていた。
相当な手練としての存在である事は、王都の中でも話しに聞いた者が多いのだ。
そして、トウリの警護はイワオだけではない。
館の周辺には国家騎士団の手練れな剣士が集っている。
周辺の駐屯地にある騎兵たちは、いつでも出動できるように待機している。
――――絶対に動く……
その精神がトウリとカリオンの共通認識として存在していた。
彼らザリーツァ勢の復讐は、間違い無く実行されると確信していた。
だからこそ油断は大敵であり、寸尺を惜しんで気を巡らせねばならない。
トウリは解っていた。カリオンが何を危惧しているのか。
王の身に流れる呪われた血は、禍々しい凶事を呼び寄せる物なのかも知れない。
全てが繋がっていると、トウリは改めて驚くより他ない。
だが、その意識は残念なことに必要なレベルに達していなかった……
「我々の夢は一統だけでは有りません。全てのイヌの平和と安定と、そして小さな笑顔を護る為に、絶対安定圏を構築することにあります。如何なる外敵をも退け、太刀千本槍千本の後ろにあるささやかな幸福を護る楯を作らねばなりません――
トウリはニヤリと笑って黒き一団を見た。
音吐朗々に語るその姿を見ていた集団は、何とも微妙な表情を浮かべた。
悔しさとか憤りと言ったモノではなく、相手を値踏みするような表情だ。
その姿がいまいち理解出来ないトウリは、敢えて煽るような言葉を選んだ。
相手を探り、その正体を見抜く事も宰相の重要な資質といえるものだ。
その為にも宰相たらんとする者は、思慮深く知識に溢れていなければ為らない。
「また、ここで重要な事は、実はもう一つあるのです。それは、国内不穏分子のことです。我々の努力と痛い犠牲と、そして何より、多くの人命を捧げた今回の騒乱は、そもそもが不穏分子の愚かな欲望と野望とによる、ただの権力闘争です――
トウリの発した言葉に、時ならぬ拍手が沸き起こった。
それは、今でも逆徒の疑いを掛けられるトウリが、自らの身に染みつく疑惑の全てを振り解かんが為、敢えて言明したザリーツァ勢への決別の弁への賛辞だ。
私は無罪だと言わんばかりの言葉を敢えて使ったことで、トウリはトウリなりのけじめを入れるべく振る舞ったのだった。
「国家と国民とを護る義務と使命を帯びた貴族は、己の感情や野望と言ったものに振り回されてはなりません。時には自ら滅私の覚悟を持って事に当らねば為らないのです。今回、私は父の姿を間近で見てそれを学びました。ですから――
トウリは両手を広げ、さぁ見ろと自信に胸を張った。そこには、いつの間にか老練な策士の色を帯び、若者と呼ばれる世代から離れつつあるイヌの姿があった。
「ここから、新しい時代に向けて私が努力をして行こうと思います。まだまだ若輩ゆえに手痛い失敗や悔しい躓きもあるでしょう。ですが、そんな時にもあまねく地上を照らす太陽の光と熱の恩寵がありますように……と、そう祈っていただけると、ありがたい限りです」
あくまで大公爵として、頭を下げるのではなく祈って欲しいと希望したトウリ。
その絶妙な言い回しに出席者の間から再び拍手と喝采が漏れた。
今はまだ、あのカウリ卿のように深謀遠慮の才は無い。
だが少なくとも、王佐としての気配りと気遣いは出来るようだ。
フレミナ一門が持つ癇癪の気質は、逃れられない宿痾の病。
ル・ガルの支配階層にいる者は、多くがそう理解している。
だからこそ、そんな血を受け継いでしまったサウリクルの家系は難しい。
カウリ卿とて当主になった頃は随分と無茶もヤンチャもやったもの。
それを知る者は既に少なく、老成したカウリ卿の教えを受けた者ばかりだ。
「トウリ卿……」
挨拶後にパーティーの中へ進んだトウリは、出席者達からそう呼ばれていた。
押しも押されもしない大公爵家の跡を取った当主としての扱いだ。
取り囲んだ者達はカウリへの恩からトウリには厳しく当らざるを得ない。
ここからしっかりと鍛えていって、将来に備えるのだ。
それこそが報恩威徳の精神であり恩送りの輪廻でもある。
だが、最初にトウリへと近寄ったのは、カウリ卿の所領であったエルバスターニュの荘園主達だった。カウリにより任命されていた荘園の管理権を、継続という形でトウリにも認めて欲しいのだ。
既得権益の死守という命題の為なら、面倒なご機嫌取りも胸くそ悪いおべっかも厭わない。大公爵の周辺に存在する複数の侯爵家は、歴代のサウリクル家から分離していった衛星貴族ばかりだ。今までは所領の中で活動していた彼らだが、一門郎党の総大将が代替わりしたなら、挨拶に来るのもまた当然の事なのだった。
――そうか……
――カリオンは……
トウリはこの時初めて、カリオンが懸命に控えめな振る舞いをし続けていた理由を知った。卿と敬称を付けられる扱いは、何とも腰の浮くような気分だ。自分ですらこうなのだから、王とされ恭しく扱われるカリオンは、より一層の勘違いをしかねない。
そう考えれば、遠行したゼルが最後までカリオンを厳しく扱っていた意味を、嫌と言うほど理解するのだった。つまり、お目付役としての口うるさい人間が必要という意味だ。
「……なんともこそばゆいですな」
穏やかな言葉を心掛けたトウリは、次々とやって来る衛星貴族や荘園管理者の挨拶を受けた。最初は穏やかだったトウリも、段々と気が大きくなったのが、横柄な言葉が漏れ始めた。
それは、夫トウリの隣にいたサンドラがゾッとするほどの醜態で、酒に酔いはじめたと言う事もあって見ていられないレベルになりつつある。
かつて、レイラはサンドラにこう教えていた。
――――お酒を飲んでだらしなくなるのはお酒のせいで無くてよ
――――お酒によって人間の正体がばれてしまうの
――――お酒は百薬の長って言うでしょ?
――――隠していただらしない姿とかみっともない姿まで暴いてしまう
――――それがお酒よ?
――――飲んでも良いけど飲まれちゃだめ
最初はサンドラもその意味が解らなかった。
だが、このトウリの醜態を見ればその言葉の意味が解る。
厳しく自己を律することが出来なければ、酒に酔った人間はここまでだらしなくなるのかと驚く程だった。
「……ねぇ、あなた」
サンドラは見るに見かねてトウリを呼んだ。
チヤホヤされているトウリは、それを止められたことに立腹しかける。
しかし、妻サンドラのただならぬ様子にスッと酒が抜けた気がした。
「……どうした?」
「立っているのが辛いの。部屋に下がって良いかしら」
お願い気付いて!
そんな表情で夫を見ていたサンドラの様子にトウリも何かを察したらしい。
「しょ…… いや、皆さん。大変申し訳ないが、身重の妻を部屋に送ってくる。飲食を続けていて結構なので、しばし待たれたい」
咄嗟の言葉を上手く吐けるほど、トウリも鍛えられている訳ではない。
丁寧でも横柄でもない言葉を吐いたトウリは、静かに部屋へと引き上げ始めた。
「……見苦しいわよ」
小声で囁いたサンドラは、トウリの眼を見ながら言った。
己のお目付け役が妻だと知ったトウリは、レイラやユーラの意を理解した。
嫁いでからの10年。二人の母はサンドラを厳しく教育してきた。
それは時に嫁いびりを超えた厳しさであったが、今になって理由が分かった。
「……すまない。もっと修行する」
「そうね……」
半ば呆れたような声だったが、その表情だけは優しく穏やかなものだ。
その全てが演技だと気が付いたトウリは、妻サンドラの資質の高さに驚く。
「もっと慎重に……」
小さな声で囁いたサンドラの腰に手を廻し、仲睦まじい夫婦を演じたトウリ。
これでサウリクル家は安泰だと皆の目を集めたつもりだったが、異変は唐突だ。
パーティー会場の目がトウリを追う中、部屋を出ようとしたトウリの前に5名ほどの男達が立ちはだかった。
「遠くフレミナ一門の血を引かれるトウリ卿へ、一言お祝い申し上げる」
あの黒尽くめの衣装を身に纏っていた男たちがトウリの前にやって来たのだ。
トウリは無意識レベルでサンドラをやや後方へと下げた。
そして、穏やかな声を発し、動揺を隠そうと必死の努力をした。
「かたじけない。して、貴公らは?」
トウリの声を聞いたその男達は、右足を引き右手拳に左の掌を被せ頭を下げた。
その礼儀作法は遠い昔に一度だけ見た物だった。
――嘘だろ!
内心では冷や汗を流しつつも精一杯に表情を取り繕ったトウリ。
彼の眼前に居る男達は、ル・ガルの国内において唯一の存在と言うべき者達だ。
「手前はクー族の長、太陽を讃える大岩」
ネイティブネームと呼ばれる形容の名が先頭の男から漏れた。
その事実にサンドラですらも引きつった表情になった。
あのフレミナ王であるフェリブルですら手を出せなかった存在がここに居る。
始祖帝ノーリとフレミナ王フリオニールとの約定を導いた唯一無二の存在。
ガルディアラの中にあって、ル・ガルにもフレミナにも縛られない始祖民達だ。
「私はカー族の長。降り注ぐ光の糸」
「小生はトー族の長。温沼の水面に煌めく光」
「自分はルー族の長。道を吹く風」
「最後になりましたが、私はヌィ族の長。輝く太陽の炎」
5人がそれぞれに挨拶し、同じような作法でトウリに礼を尽くした。
そして、再びクー族の長である太陽を讃える大岩が口を開いた。
「古き佳き時代の終わり。新しき輝かしき時代の始まり。その境となった日にノーリ王フリオニール王と交わした約定により我らは参った」
それに続き、輝く太陽の炎が口を開いた。
「太陽王を支える大いなる柱。その重責を担う若き騎士に祝福を。そして、このイヌの国の都に永遠の栄華を」
彼らはル・ガルが成立する前からここに居た者達だ。
イヌと言う種族がどこから来たのかは誰も解らない。
だが、彼ら先住の一族は数千年も前からここを生活の場としてきた。
太陽の照らす地全てを所有物とするボルボン家は、そもそもこのネイティブガルディアン達の王だったと言われている。
そして、そのボルボン家がノーリに支配権を認めた代償として、このガルディアン達はル・ガル国内において太陽王と同等の待遇を受ける権利と、国内のどこへ行っても良いという勅許を得ていた。
「我らの子等が永遠の繁栄を得んが為、我らはここに集った」
「トウリ卿。今宵、そなたの最初の試練がやって来る」
「どうか生きながらえられよ。さすれば道は開けん」
カー族、トー族、ルー族。この3つの族の長が次々にトウリへと言葉を掛けた。
「我らの祝福はこれにて終わりを告げる。これより太陽王に謁見致すので失礼」
再び頭を下げた太陽を讃える大岩、クー族の長が会場を後にした。
その後ろに残り4族の長が付いていった。
呆気にとられて呆然としていたトウリはハッと気が付いた。
何よりも驚いたのは、彼らの語ったその言葉だ。
ル・ガル社会でかすかに残る古い言葉。
クー(弓)。カー(糸)。トー(沼)。ルー(道)。ヌィ(炎)
それは、多くの人々が太陽と大地のリズムにあわせて生きていた時代の言葉。
生きとし生けるもの全てが平等だった時代に生きた人々の残滓。
大地の人
そう呼ばれる彼等はル・ガルの法に縛られず、自由に生きていた。
太陽王その人の王権と権力を承認し、王の世代交代完了を宣言する者達だ。
「新しい時代が来るな」
「そうね」
トウリとサンドラはそれを改めて再確認した。
だが、その新しい時代とやらは、決して一筋縄な存在では無い。
まだまだ紆余曲折を経なければならないと、若い夫婦は思っていた。