予備審問
「……どうだ?」
予想外に低い声が静かに流れた。
その声を聞いたウォークは、一瞬だけ目を凝らしていた。
見慣れている筈の後ろ姿だが、この日だけは別人に見えたのだ。
――ゼル様……
ウォークが見つめる先。
城のバルコニーに立っているカリオンは、黙って眼下を見ていた。
いや、睨み付けていたという表現が正しいのだろう。
「裁判自体は手順に従って進められているようです。手の者の報告では――
ウォークはメモ帳を広げ目を走らせた。
ビッシリと書き込まれたメモの行数は膨大なものだが、その中身はシンプルだ。
――予想通り、酷い振る舞いのようです」
ウォークの声を聞いたカリオンは、両肩を僅かに震わせ頷いた。
それは、噛み殺すような嗚咽にも似た声をかすかに漏らした結果だ。
「父上と叔父上と…… それだけで無く多くの方を犠牲にしたのだ……」
呟くような声音のカリオンは、右手をギュッと握っていた。
その傍らにはリリスが寄り添い、愛しげに腰へ手を回していた。
「……これで終わるのかしら」
「いや、ここから始まるんだ……」
握りしめていた手を緩め、そっとリリスの肩を抱いたカリオン。
その仲睦まじい姿は、ウォークをして僅かに表情を緩めるものだった。
「フレミナを取り込み300年の闘争に終止符を打つ。始祖帝ノーリから数えて350年だ。シュサじいの夢見た世界が、もうそこまで来ている」
リリスと並び見下ろす先、城下の大広場では特設法廷が作り上げられていた。
カリオン直々の指名により出席する判事は、帝國老人倶楽部の面々だった。
枢密院のメンバーはカウリ卿の占めていた席が空席となり7人の出席だ。
この7人はカリオンが示した方針に則り、衆人環視で予備審問を始めていた。
罪状は国家転覆を謀った国家反逆罪。そして外患誘致罪と内乱罪。
どれ一つを取ってしても、有罪が確定した時点で死罪となる重罪だ。
その罪に問われているのは、アージンの名を持つ大公爵家の一つ。
始祖帝ノーリの姉であったウェスカーの血を護る、女系血統ウェスカリクル家の現当主にして、恐らくはこれで絶える事になるウェスカー一門最後の主。
シャイラ・ウェスカリクル・フレミナ・アージンだった。
――――――――帝國暦339年7月23日
王都ガルディブルク中心部
ミタラス広場
「こんな茶番に意味があるのかしら? 女一人縊り殺せないんですから、太陽王も大したこと無いわね」
平然とした口調でそう嘯いているシャイラは、予備審問である罪状認否の場だというにもかかわらず、被告人席であり合わせの椅子に座っていた。
本来、法廷内での被告人は立位が求められ、その立ち振る舞いまでもが情状酌量や量刑の参考とされるものだ。
「少しは口を慎みたまえ。君は被告人なのだぞ?」
ジダーノフの先代当主は静かな声でシャイラを窘めた。
カリオンは何らかの意図があってこれをしているはずだ。
だが、まだその真意は見えず、また、目標も理解し得ない所にあった。
しかし、一つだけ確実な事がシャイラにも解っていた。
これは、自分を縊り殺すための、ただのイヴェントである事だ。
「どうせ死ぬのよ。殺されるの。面倒は早く終わりにして欲しいものだわ」
罪人を示す薄汚れた灰色の外套を肩に掛けられ、皮の手錠を嵌められている。
その姿はどこか扇情的でもあり、尚且つ、これ以上なく負け犬臭が溢れていた。
「君の選んだ弁護人が到着すればすぐに終わるさ」
涼しい顔でそう言ったのは、ボルボン家を長く預かっていたシャルルだ。
妻でありボルボン家の主であったジャンヌと共に出席している彼は、静謐な空気を漂わせたまま、シャイラを睨め付けていた。
「私の弁護など…… 誰がするものですか」
そう。
国家反逆罪となる重罪の弁護など、誰も引き受けたくは無い。
一歩間違えば連座制となって、同じように逮捕起訴されるのだ。
そしてそもそも、罪人の弁護はかなり難しいものがある。
弁護士というシステムが無い、言うなれば名誉裁判だ。
三権分立など望むべくも無い絶対王制な専制君主政治なのだから、極論すれば王の意向一つで有罪にも無罪にも変わってしまうデタラメなシステムだ。
市民や民衆の訴えは地域所轄貴族にあげられ、地域管轄する公爵により判定が下される事になっている。そして、王都では多くの場合が王の宰相の管轄だった。
だが、貴族同士の争いの場合は、王が直接それをジャッジする。
王に忠誠を誓い、貴族の特権を与えられた特別な者達なのだから、そこの場においての争いごとは王が判断するのが道理だった。だが……
「王はその徳と慈悲を以てそなたに機会を与えられた。弁明と反省の言葉を口にするならば市民にもその声が届こう」
判事団を纏めるロイエンタール伯は、老成したとは言え眼光未だ鋭い傑物だ。
その男はシャイラに対し、命乞いでは無く反省の言葉を吐けと促した。
そもそも、貴族が罪を犯したならば、それは即断罪される。
貴族は王の名代として市民に奉仕することを求められるからだ。
その貴族が罪を犯せば、それはすなわち王に対して弓引くことに他ならない。
いつの時代だって世界だって、謀反は大罪であり、その罪を犯したならば、与えられた特権の全てを剥奪され、場合によっては王自ら処断し斬ることに成る。
文字通りの物理的に斬られて果てるのだ。
貴族は王の代理として徴税を行い市民間の諸問題を調整したりする。だがそれらは、全て市民の信用と信頼とを担保とするシステムだ。王から街を預かっている侯爵なり伯爵なりが市民から信頼されていれば、その言葉は重みを増し、市民はそれに従うようになる。
だが……
「王はそなたを貴族としてでは無く一市民として扱っておられる。つまり、弁明の機会を与えてくださったのだ。報恩威徳の心があるなら、全て君自身の口から詳らかにしてはどうかね?」
レオン家を預かっていたジョン・ダグラス・レオンは静かな声でそう語りかけた。
シャイラ自らに舞台裏を明らかにし、その全てが一つの権力闘争に過ぎないと言明すれば良い。それをすれば、先に戦死したカウリ卿や今も郊外の療養施設に暮らすトウリ・アージンの名誉を回復することになる。
そして、そもそもに浪花節的な人情話を大切にするガルディブルク市民だ。フレミナ一門とは言え、シャイラは献身的に家名の為の自己犠牲を行って来たのだと知れば、その心証は僅かならぬ回復をみせる事だろう。
――自らに道を切り開いたらどうだ?
そんな言外のメッセージをカリオンは発している。
シャイラがそれを素直に聞けるかどうか……
全てはそこなのだった。
「今さら申し開きなんて……」
「そなたが自分の意志では無くフレミナ全体の意志として。もっと言うなら、フレミナを支配しシウニンを滅ぼすべく今も暗躍するザリーツァの意志として、その刺客として王都へ送り込まれたならば」
あくまで自白を促すレオンの男は、義理人情の線を突くように言葉を選んだ。
悪意や敵意では無く、そう仕向けられ育った人間の悲劇だと。罪を憎んで人を憎まず、それが正義と信じて育ってしまった、一人の犠牲者なのだと。ダグラス卿はシャイラにそう自白しろと仕向けた。
「……確かに私は」
その意志が伝わったのか、シャイラは口を尖らせつつも小さな声で語り始めた。
「生まれてすぐに子を成せぬ身体にされたわ…… ル・ガル貴族を立ち枯れさせる為に。跡継ぎを産まずにフレミナの血が入ったものを養子に取り、少しずつル・ガルを乗っ取る為に。そう仕向けられた……」
特設法廷を取り囲む市民達は、衆人環視で眺めているシャイラの言葉にざわつき始めた。フレミナから送り込まれた女が言った『ル・ガルを乗っ取る』という言葉に衝撃を受けていた。
「だけど…… だけど…… カウリは良い男だった……」
うっとりと空を見上げたシャイラは、純粋な乙女のように微笑んだ。
年嵩な女だが、その顔も身体もまだまだ若い状態だ。
自らの肉体を子供達に分け与える母親は、3人も子を為せば歯も骨も筋肉ですらも形を変えてしまうもの。だが、それを為してないシャイラは、年を重ねて尚も若々しい姿だったのだ。
「サウリクルを乗っ取るつもりで育てられた私だったけど…… でも……」
小さく溜息をついて俯いたシャイラだが、再びその顔を上げた時には優しさも欠片も無い鬼女その物に変貌していた。
「ゼルが悪いのよ! あの薄汚いマダラ男がエイラと夫婦になって、そして――」
鬼女の目から涙が零れた。
負けた女の悔しさは、涙となって石畳に染みを作っていた。
「――カウリの、サウリクルにはユーラが送り込まれた。男の子を為して、次の太陽王にするために。下賤な出自の母から生まれた女なのに。たまたま私より3日だけ先に生まれただけで、あんな女でも長女扱いされてチヤホヤされて、カウリのところへ送り込まれて、そして…… そして……」
シャイラは突然に『あぁぁぁ!』と濁った声を上げて泣き始めた。
余りの悔しさに理性の糸が切れた状態だ。それは、フレミナの中に伝わる火の病その物だが、知らない者の方が多いのだった。
「カウリは全部承知でその子に試練を受けさせなかった! フレミナによる乗っ取りの全てを邪魔するように! あの男は! あの男は…… 私や…… ユーラやトウリや…… 人生の意味を失った者の悔しさも悲しみも全部承知でやったのよ!」
市民のざわつきが激しさを増すなか、錯乱したようにシャイラは喚き続けた。
それは、長年胸の内にあった思いを一気に溢れさせるモノだった。
「みんな解っててやったのよ! あの男も! ユーラも! ゼルも! エイラも!
全部承知でやったのよ! そしてこのザマよ! あの顔も見たくなかったマダラ男の息子が太陽王よ! どこの馬の骨かもわかんない女の産んだ娘がその后よ!」
ザワザワとした民衆の空気がガラリと変わった。
それまでは同情的な声が出ていた筈なのに、突然その空気が変わった。
広場を埋め尽くしていた人々の放つ雰囲気が刺々しくなっている。
だが、当のシャイラはそれに気が付いていなかった。
「私の人生って何なのよ! なんで私ばっかりこんな辛い思いしなくちゃいけないのよ! みんな不幸になれば良いんだ! どん底になれば良いんだ!」
自分が一番不幸だと思っていると、それは自らが泥沼に落ちていく最短手だと気が付かなくなるもの。自らに発する負のオーラで自分自身が腐っていく。ただ、当の本人はそれに自己陶酔状態になるのだからたちが悪いのだ。
承認欲求を満たされない渇望は、不幸であると言う現状を自己認識し再確認することですらも歓びとしてしまう。それはまさに、自らを縛る鎖の光具合を自慢する為に磨いてしまう奴隷その物だった。
「……そなたの嫌う太陽王は、そなたの感情とは関係無く、這い上がる機会を与えてくださった。まぁ…… そなたが選んだ弁護人の言葉にもよるがな」
アッバースを預かっていた砂漠の民の末裔は、その言葉に多くの意味を乗せていた。水も食料も乏しく、灼熱の日々を過ごさねばならない砂漠の民だ。愚痴も文句も言うこと無く、ただただ黙々と働くことを求められた一族だ。
風が吹けば砂塵が舞い上がり、灼熱の昼と夜は骨冷えする寒冷地獄な砂漠。そんな厳しい自然状況を生活の場とした彼らは、極めて我慢強く、忍耐強く、粘り強く、勤勉で誠実な事を旨とする一族となった。
文句を言っても愚痴を言っても、世界も社会も変わらない。だからこそ自分が動くしか無い。そんな諦めにも似た常識を育んだ砂漠の民は、敬虔で情に篤いのだ。
「5人のウチ2人はこちらで外させてもらう。それは悪く思わないでくれ。収賄の恐れがあるので、こうするのが習わしだ。ただまぁ……」
溜息混じりにぼやいたアッバースはチラリと中央席に座るロイエンタール卿へ目配せした。その続きはあなたが言えと、そうパスを出したようなモノだ。
市民同士のいざこざについて貴族が裁定を下す場合、双方に弁護を行う弁護人を選ぶ事が出来る。その数は5人までで、双方の陣営がそれぞれに協議し、5人のウチ2人を外すよう通告する。そして、外されずに残された者は、証言台に立って弁護を行うのだ。
弁護士というシステムが無い世界では、誰だって弁護士のような活動が出来る。しかし、賄賂を使い弁護人ごと買収する危険性は否めない。それ故にこのような面倒なシステムが出来た。
「そなたの選んだ弁護人のうち、トウリ君とサンドラ君を弁護人とすることは認められないね。彼らは当事者であり、ある意味では犠牲者だ。そして、コレは純粋な褒め言葉として受け取ってほしいのだが――
一度言葉を切ったロイエンタール卿は、ニヤリと笑ってシャイラを見た。
その目には『やるなぁ』という感嘆が混じっていた。
――人選の上手さは流石と言うべきかの」
ほっほっほと年寄り染みた笑いをこぼし、ロイエンタール伯は手招きをした。
国家騎士団選りすぐりの剣士に導かれ、シャイラの弁護を行う者達がやって来たのだ。その中にはフレミナ王オクルカの姿もあり、これがただの茶番では無いと市民にこれ以上なく見せつける意味を兼ねているのだった。
「弁護人の3名は、まず宣誓して頂きたい」
ロイエンタール卿の言葉に促され右手を上げた弁護人3名は、左手を自らの胸に添え音吐朗々と宣誓を始めた。その前では国家騎士団に所属する聖堂騎士が、聖句と共に書かれた宣誓の文言をレリーフされている陶板を持っていた。
「我々弁護人は神の御名に誓い、誠実と善意とを以って、真実のみを語る事を宣誓するものなり。己の名と名誉と、そして家名の為に、これを遵守する事を誓う」
フレミナ王としての待遇があり、オクルカのみが着席を特別に認められた弁護人区画だが、オクルカはそれを断り弁護人の証言台へ最初に立つ事を選んだ。
オクルカと共にやって来たのは、長らくサウリクル・アージン家で家令を勤めていた男と、そしてシャイラの住まうウェスカリクル家の女家令だった。その誰もがフレミナに縁が有るか、もしくはフレミナそのものである人選だが、シャイラが有利と成るような証言をしそうな者は居ない。
――バカか?
市民の間からそんな声が漏れている。
それは、命永らえるチャンスを自らに捨て去ったかのような人選だった。
聖堂騎士は弁護人が読み上げた宣誓文の陶板を石畳に投げつけ、それを粉砕してみせた。弁護人の宣誓した文言は、彼らの胸にしみ込んで消えた。
「では、第一弁護人殿。まずは自己と続柄に付いて紹介願いたい」
「手前はオクルカ。フレミナ一門を預かるフレミナ王にして、フーレ地方トマーシェー盆地に暮らすトマーシェー一族を束ねるものなり。被告シャイラ・フレミナ・アージンとは親戚筋に当る――
静かに切り出したオクルカは、ゆっくりとその弁舌を加速させていった。
後に、この100年で最高の弁護論舌だったと讃えられるショーが始まった。
――――――――その晩
「そこは危険ですぜ、王陛下」
渋い声音のリベラが小さく呟き、ハッとした表情のカリオンが振り返った。
とっぷりと日も暮れたガルディブルクの街には煌々と明かりが灯っている。
バルコニーから上下を見下ろしたカリオンは物思いに耽っていた。
「……そうだな」
小さな声で呟き、城の中へと戻ったカリオン。
大広間にで夕食を共にする者達は、太陽王の着席を待っていた。
誰かが言った事では無いし、強要したことでもない。
ただただ。ごく自然に、色づいた葉が落ちるように、そうなっていた。
誰にもわかる様な威厳をカリオンが身につけ始めていたのだ。
「……すまない。立たせっ放しだった」
給仕が席を寄せカリオンが着席し、皆が席に付いた。
この2週間ほどは城下へと降りる事もなく、ここでの夕食が続いている。
城詰めの料理人が作る献立は決して不味い訳ではない。
城下にある岩の雫亭と比べたところで、決して劣るわけではない。
連日の様に口にするモノなのだから、心尽くしと言って良いメニューだ。
ただ、カリオンはそれを味わっている精神的余裕が無い状態だ。
「ウィル。どうだ?」
「えぇ……」
食事の席だが、ウィルは懐から手帳を取り出していた。
いつの間にか面子が変わり、この夕食の席を共にするのは5人のみ。
リリスとエイラの2人はカリオンを挟んで座り、リリスの向こうにはウィルとリベラの二人が並んでいた。そして、エイラの隣にはリサの姿がある。ゆっくりと成長して行くリサは既におしゃまな女の子になっていた。
「この数日は3名ずつと言ったあんばいですね」
「そうか。ジョージとウォークが上手くやっているようだ」
カリオンが気を揉む一番の理由。それはシャイラの存在だ。
通常、灰色の外套を着せられた罪人予備軍は、城下近衛騎士団の預かりとなる。
近衛連隊官舎にある懲罰房を牢獄代わりに使うのだ。
だが、仮にもシャイラは貴族であり、そして何より女だ。
しかも、その身が子を成せぬものだと知れ渡ってしまっていた。
そんな女を男ばかりの環境に放りこむのは、カリオンとて気が引ける。
また、社会通念上は禁忌としておくべきことだ。
国父としての立場故に、女性保護と言うスタンスで人道上の配慮を見せている。
故に、彼女は王の預かりとなって城内の一室へ収監されていた。
言うなれば、最も豪華な座敷牢だった。
「キチンと食事をとらせているね?」
念を押すように確認したカリオンだが、リリスは静かに頷いた。
柔らかな笑みを添えた彼女は、カリオンの前にもあるワイングラスを指出す。
不倶戴天の敵ではあるが、それでも客人としての処遇をリリスは認めた。
「今夜は白身魚が主餐になる献立ね。ワインを多めに添えてあるから……」
「酒豪な叔母上殿も満足だろう」
カリオンの思わぬ軽口に皆が失笑を漏らす。
何のことかあまり理解出来ないリサだけがキョトンとした表情だ。
「……実際、そろそろ動いてくれないと困るな」
ボソリと漏らしたカリオンの本音。
シャイラを城に留め置く本当の理由でもある。
それは、城下の広範囲に散らばって居るはずのザリーツァ勢を釣る為の……餌。
それだけの為にシャイラは城に捕らわれていた。
誰にでもわかる形で、バルコニー付きの一室に軟禁されている状態だ。
3週間近くが経過し、その間に様々な理由でシャイラを城下に見せている。
あの療養施設の近くに潜んでいる者たちにすれば、そろそろ我慢の限界の筈だ。
そしてもちろん、事実上引き篭もり状態なカリオンやリリスも同じ。
カリオンが漏らした偽らざる本音は、家族すべての共通認識でもあった。
「さて…… 兄貴はどうしたかな」
「そうね。しばらくぶりの自宅だからね」
カリオンとリリスか顔を見合わせる。
この晩、トウリとサンドラの二人は久しぶりにサウリクル邸へと帰宅していた。
かつての王都紛争時、カウリが一族を引き連れ飛び出て以来だ。
「今頃は来客がひっきりなしでしょうね」
ウィルはポツリとそう漏らしたのだが、それは間違いなく真実であった。
フレミナを相手にした祖国一統紛争の最終段階として行なった王都騒乱だ。
郊外での一大決戦はル・ガル中央勢力の勝利に終った。
その後始末としてフレミナを束ねたオクルカにより、前フレミナ王フェリブルの一門は強力な粛清を受けていた。そしてカウリやトウリはその一環として一芝居打っただけ。
貴族院議会の定例会合において、カリオンはその舞台裏をついに明らかにしていたのだ。さらには、敵を欺くにはまず味方からと言う事で、諸君らに虚偽情報を流してしまったと謝罪した。
前代未聞な太陽王直接の謝罪と言う事実に王都の報道各社は騒然となり、その言葉は市民の間を駆け抜けていた。そして……
「王の言葉が出ちまった以上、詫びを入れねばならねぇ輩も多いこってしょう」
リベラもまたそんな分析をしていた。
カウリにより王都出奔以降、サウリクル家に残された者たちの困難は想像を絶するものがあった。カリオンの手引きと留守を預かったイワオの努力により、サウリクル家に奉公してきた者たちの崩壊はギリギリで食い止められていた。
だが、きつい捨て台詞を残しサウリクル家との関係を絶っていた者たちにしてみれば、次期当主であるトウリとの関係改善は急務であり、また、如何なる事情があるとも、仮にも大公爵家との間に怨恨を残すわけにはいかないのだ。
「まぁ、兄貴が上手く振舞ってくれるのを期待するしかない」
小さな溜息と共にそう呟いたカリオン。その真意はトウリの実力の部分だ。
かつてカウリは、すべての面で息子トウリがカリオンに劣ると言った事がある。
短慮軽率にして直情径行。しかも、困った事に気位高く失敗を認められない。
ある意味でフレミナの民族的特長を受け継いでしまっているのだった。
だからこそカウリは息子トウリに王の試練を受けさせなかっただけでなく、王佐の才を身に着けるべく、様々な教育を施してきたのだった。シャイラから見ればカウリの深謀遠慮となるのだろうが、実際にはカウリ也の懊悩と逡巡の結果だ。
「それより、刺客が怖いですね」
ウィルの言葉は紛れも無い事実だった。
ザリーツァの者にしてみれば、トウリ夫婦は紛れなく敵だ。
一族を滅ぼす事になる災厄を引き起こした存在そのものだ。
許すまじの空気は酷いものがあるだろう。
それだけでなく、その存在そのものを恨み呪う事だろう。
「目に見えねぇモンでしたらともかく――」
白湯で口を濯いだリベラは、相変わらず低い声で言った。
それは、カリオンにも聞き捨てならない言葉だった。
「――少々のモンでしたら心配ありますめぇ でぇぶ出来るようになりやした」
リベラがコトリに稽古をつけているのは皆が知っていることだ。
ビッグストンで学ぶイワオは、既にいっぱしの剣士に育っている。
実際、少々の使い手ならば太刀行きの速さと正確さで負かしてしまうのだ。
手合わせで剣を交えた事もあるカリオンにしてみれば、複数相手の戦闘でも遅れを取る事は考えにくく、また、幾度かの練習を経てイワオも奥の手を繰り出せるようになっていた。
数倍のサイズに膨れ上がってなお剣を振れば、その切っ先は岩の柱をも切り裂く威力を持つのだった。だが……
「……コトリも自分の身を護るくらいは出来るか?」
カリオンの言葉にエイラとリリスが怪訝な色を浮かべた。
まだコトリが覚醒したと言う話を聞いた事は無い。だが、ひどい戦闘になって精神的に押し込まれ極度の興奮状態や恐慌状態に陥った時、コトリは突然覚醒する危険性を孕んでいた。
「へぃ。少なくとも今の技量でしたら――」
リベラは何とも言えない深い笑みを浮かべた。
ニタァと顔に張り付くような、まるで深い井戸の底のような笑みだ。
「――イワオの剣を圧倒するくらいの事は出来やしょう」
「それは…… まことか?」
「もちろんですぁ そもそも、細作とやりあうなら長剣や大太刀は邪魔なだけってこってす。細作稼業の技は手練の剣士を手玉に取れて一人前でやす」
リベラが漏らしたその言葉は、カリオンの背筋にゾクリとした寒気を走らせた。
自らもまた一人の国家騎兵であると信ずるカリオンは、馬術と共に剣や槍の鍛錬を欠かしてはいない。だが、それを知っているリベラが言ったのだ。つまりは、その気になればいつでもカリオンを殺せるという自身の表れだと思った。
「自分の命と引き換えにでも目的を果たす。細作稼業にあるなら、それはもう仕方がねぇこってす。きっとあの娘には良い試練になりやしょう。腕や足の一本を失っても、中々簡単に死ねるもんじゃございやせん」
刺客に襲われる事を試練と言い切ったリベラ。
いざとなればイワオが何とかするのは分かっている。
だが、それにしたってカリオンはコトリが心配だった。
「まぁ、果報は寝て待てといいやす。しばらくは黙って見るのも一興でござんす」
自信を感じさせる言い回しでそう言い切ったリベラ。
だが、この夜のサウリクル邸は、驚くような事態の連続となるのだった。