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邪悪な企み


「これはいったいどういう事だ!」


 手が付けられないほどに激昂しているカリオンは、それでも精一杯の理性で声を抑えた。油断すれば、今にも大声を張り上げそうな程に怒りを覚えている。


 この1年で更に造築を行った王立療養所だが、広大な面積を誇るその施設にはカリオンの知らない棟が建っていたのだ。そしてそれだけで無く、その内部に居たのは、山窩と呼ばれる者達と、そして……


「申し訳ありません。私も把握しておりませんでした」


 ウォークが硬い表情で言ったとおり、ガルディブルク城の者は誰一人として把握していない事態が進んでいた。

 王立療養所から森を挟んだ離れの場所にあったのは、そもそも計画に無かった宿泊施設だ。それは、入所者の家族親族などが寝起きする為の隔離施設なのだが、その内部に居たのは全てフレミナ勢で、しかも困った事に……


「恥ずかしながら…… これは不手際だった」


 同じ席にやって来たオクルカは小さくなって恥辱に震えていた。

 幾多の死体となって室内に転がっているのは、あの、オクルカによって粛正されたはずのフレミナ一門、ザリーツァの者達だった。


「何が目的だったのだ?」


 聞く者全てを震え上がらせるようなカリオンの言葉に、近衛騎兵団の騎兵ですらも顔色を変えている。フレミナ王・オクルカの顔色ですらも曇り、全員がカリオンを見つめていた。


   ――――太陽王がこれ以上なくお怒りだ……


 累代に及ぶ忠義忠誠を誓ってきた名家の者達までもが驚くカリオンの姿。

 若き太陽王は理性と冷静さを兼ね備えた物静かな傑物だと思ってきたのだろう。


 だが、カリオンとて一人の人間だ。

 敵を喰い殺し前進する獰猛さを持ったイヌの男だ。


「オクルカ殿。ざっくりで良いから教えて欲しい。このザリーツァ一門は、後どれくらい残っている?」


 抑えた声で『そうですね……』と呟いたオクルカは、ひとつふたつと指を折って数えはじめ、ややあって『ザッと五千人と言う所かと』と応えた。

 やはり、一門全体となると人数も増えてしまうのは致し方ない。フレミナの中で一握りの特権階級として君臨してきた者達だが、その総数は決して多くは無い。


 労働せず、享楽的な生き方に溺れ、他人を使うことで権勢を誇る。


 最悪の集団として君臨統治してきたザリーツァの恨みは、間違い無く深いのだとカリオンは気が付いた。そして、それを一身に受ける立場だと言う事も……











 ――――――――帝國歴339年7月2日

           ガルディブルク郊外 王立療養所

           話しは少々遡り、小一時間ほど前の事……











「アレは何だ?」


 空を見上げるカリオンは、空中に浮かぶ人の姿に驚いていた。

 療養所の屋上。極々僅かでしかない鐘楼塔の上に、光の柱が降り注いでいる。

 その光が降り注ぐあたり。まるで吸い上げられるように人が中を舞っていた。


「誰でも良い! アレは何だ! 答えろ!」


 カリオンは無意識のうちに声を荒げていた。


 ビッグストンのプロムが開かれた夜。緊急報告を聞いたカリオンは、王立療養所周辺にあのヒトの武装集団が現れたと報告を受けていた。

 人数としては最大でも3名程度とあって、報告を上げてきた者は斥候では無いかとの進言を添えてあった。


 ――どこから現れどこへ消えたのかを探れ

 ――周辺の森や草原地帯をくまなく捜索せよ

 ――予備役を召集し、療養所の周辺に待機させよ


 そんな指示を出したカリオンだが、いまいち要領を得ない報告が幾つも届き、ついには自ら視察と称し療養所を訪問していた。ただ、その療養所へと到着した時、最初に見たモノがそれだったのだ。

 光の柱に飲み込まれて空中へと吸い込まれていく…… いや、吸い上げられて空へと帰って行くと言う表現が正しいヒトの集団。

 円錐状の隊列を組み、背中を外に向けて円陣を組んでいるその姿は、まるで諸注意を聞いているかのようなモノに見えるのだった。


「全身真っ黒ですな」


 ウォークは感嘆したようにそう言った。見事なまでに黒塗りの姿だった。

 手に持っているのは、父ゼルが使ったような銃とは違うモノ。

 いつぞやのゼル陵付近で見つけた、あの鉄器と同じモノを全員が持っていた。


「あれが……?」


 リリスは感嘆したように言った。

 どうしてもこの目で見たいとせがんだ彼女は、リベラとウィルをガードに付け、そのそばを絶対に離れないと言う条件で同行をカリオンに認めさせた。

 ただし、カリオンやウォーク、そして、同行したオクルカ達とは随分と離れた場所に佇み、遠くを眺めるようにしていたのだが……


「前に出るな!」


 カリオンは珍しく荒っぽい声で后リリスを窘めた。

 その言葉にリリスが表情を曇らせるも、カリオンはそれを意に介す事無く振り返って叫んだ。


「リベラ! ウィル! ここへ!」


 ある意味では百戦錬磨であるこのふたりも、この余りに異常な光景に度肝を抜かれてしまい、リリスが自然に前に出たのを見逃していた。


「愚かな失態をどうかご容赦くだされ」


 頭を垂れその失態を恥じたリベラは、下馬してカリオンに詫びを入れた。

 同じようにウィルですらも下馬していた。


「良いから乗るんだ。 まだ油断は出来ない」


 上空へと昇っていく黒尽くめの男が、ふと下を見たのだ。

 そして、如何なる理屈かは解らないが、カリオンは直感した。


 ――目が合った……


 隙間ひとつない兜を被った姿だが、カリオンは不思議と視線を感じたのだ。

 全く無警戒で無表情とでも言う様な姿のまま、空中の男はカリオンを見た。


 ――睨め回されてる……


 カリオンの表情は硬く厳しくなっていた。

 それはまるで、値踏みでもするかのような、不快な視線だった。


 こちらの実力を推し量るかのような。

 正体を見破ろうとするかのような。

 理屈では無く直感として感じるその不快さがあった。


 ――クソッ!


 想像を絶する何かがある。ここには間違い無く存在すると、そう直感したのだ。

 そして、その『何か』を見破ぶり、正体を確かめようと考えたのだった。


「ジョージ! 内部を調査しろ」

「ハッ! 直ちに!」


 ジョージ・スペンサーが建物へと走り去り、手近な騎兵をいくつか連れて行った。

 カリオンは愛馬モレラの上で、建物をジッと眺めていた。


「ウォーク。アレを見ろ」

「どこですか?」

「あの角の…… ほら、屋根の辺りだ」


 2階建てになった建物の2階角付近には、外壁に幾つも穴が空いていた。

 丈夫な構造の建物だけに、固い樹を使って建てられている。だが、その角の辺りには小さな穴が幾つも空いていて、まるで蜂の巣のようになっていた。


「……銃という武器を使った結果でしょう」


 リベラは静かな声でそう答えた。

 そして、続きを言えと振り返ったカリオンに話を続けた。


「まぁ、ざっくりいやぁ…… 銃って武器は二種類ってこってす。単発連発に別れやす。単発の方は正直怖くありやせん。頭や胸に喰らわない限りは、即死することも滅多にありやせん。目的を果たすって意味じゃ…… まぁ相手の技量にもよりやすがね」


 リベラの言葉には、スッと体温が下がるような冷たい棘が有った。

 それは、細作として生きてきた者だけが持つ不思議な死生感その物だ。


 自分の命と引き替えにでも目的を果たす。ターゲットを殺す。そう言った、細作にとって命よりも大事な事を前提に、リベラは単発中を怖くないと言いきった。

 撃たれて死ぬ前に相手を殺せる自信があるのだろうが、生きて帰る事を前提とする軍人騎兵には、正直理解出来ないモノだった。


「ただ、問題なのは連発で撃てる方でさぁ。アイツは瞬きの間に3発か4発を撃ち込まれやす。しかも、だいたいが単発より強いと来たもんです。点では無く面で狙われるので、逃げる間も無く死にやす。あれはいただけやせん……」


 リベラの言葉が途切れた頃、ジョージは単騎でカリオンの元へと戻ってきた。

 血相を変えていて、しかもそこには、返り血と思しき物があった。


「どうしたんだ? 一体アレはどういう事だ?」


 理解不能なことが立て続けに起き過ぎて、カリオンもやや不安定な状態だ。

 精神的に安定していなければ、見落とすことも多々あると言うモノ。

 騎兵に大事なのは、気力と体力。そして、常に冷静平静を保てる精神力だ。


「……内部は血の海のようです。夥しい数の死体があります。あと」


 僅かに言い澱んだジョージだが、カリオンは真っ直ぐにその目を見ていた。

 全幅の信頼を置く部下の、その報告を待っているのだ。


「先行突撃した騎兵が三騎ほど戦死していました……」


 騎兵の戦死という報にカリオンの表情が強張った。

 そして、鋭い眼差しでジッとジョージを見た。


「そうか……」


 何かを言い淀んだカリオンは、2つの感情の狭間で苦しんだ。


 何故そんな事をさせたと言う激しい憤り。

 そして、現場における臨機応変な対応を取った騎兵の優秀さへの歓心だ。


 施設を包囲するべく陣取っていた騎兵たちは、その内部における戦闘と混乱を見て突入を図ったのだろう。先ずは自分の目で見て対処を考えるべきであり、誤断を誘うような思い込みや勘違いは排除したかったのかも知れない。


 そもそも、あのヒトの武装集団は基本的に機密事項として処置されていた。

 国軍内部でも表に出してはいけないとして、一握りの関係者しか耳に入っていない事だった。

 ゼル陵の周辺で夥しい山窩の遺体を収容したが、それらの大半は山賊紛いな夜盗による物取りの一環としての犯行の犠牲者。そう情報操作を行い詳細情報を伏せられたのだ。


 だからこそ、勝手な突入をしたと後から指摘するのは間違いだ。

 それは、臨機応変な対応をするべき各騎兵らの行いを躊躇させる要因となる。

 故に、本来ならば『良くやってくれた』と感謝のひとつも示すべき……


「ジョージ。内部を視察する」

「王よ! 危険です!」

「大丈夫だ。彼らは既に離脱した」


 カリオンは笑って空を指さした。先ほど見た光の柱は、彼らが何らかの魔法を使って離脱した証だとカリオンは考えた。従って、もはやここに彼らは居ない。


 もう安全だと、そんな確信がカリオンにはあった。そして、なんとなくだが彼らは敵では無いと思っていた。前回も今回も、フレミナ勢だけを狙っている。ル・ガル騎兵が三騎ほど犠牲となったが、それは出会い頭の衝突事故のようなモノだ。


「さて、行こうか。ウォークも来い。リリスはあっちの木陰で待機してくれ。リベラ、ウィルもだ。リリスを頼む」


 手早く指示を出し、ジョージとウォークを伴って馬から下りたカリオン。

 その時、ふとカリオンはオクルカと目が合った。事情を知らぬオクルカは、カリオンの視察に同行すると言って付いてきたのだ。


「オクルカ殿も行かれるか?」

「同伴させていただきたい」

「ならば行きましょう」

「かたじけない」


 吸魂の太刀を腰へと下げたオクルカは、寒立馬を降りてカリオンに同行した。

 その姿を見送ったリリスだが、小一時間ほど経ったとき、建物の内部からカリオンの怒声が響いたことに気が付いた。


 ――――これはいったいどういう事だ!


 ハッと顔を上げたリリスはリベラやウィルと顔を見合わせた。

 美しいその顔には、不安げな色が色濃く滲み出ていた。


「ウィル…… リベラも。一緒に来て!」


 パッと馬を下りたリリスは、小走りに建物へと向かった。その振る舞いには一切の逡巡や葛藤が無く、まるで待ってましたとばかりに走り出したような姿だった。


「いけやせんぜ姫!」

「お嬢様! お待ち下さい!」


 リベラもウィルも慌ててリリスの後を追った。

 だが、迷う事の無いお転婆娘は、なんら躊躇すること無く建物へと入った。


「うそ…… なにこれ……」


 建物へと入って数歩進んだリリスは、そこで足を止めて息を呑んだ。

 全身を蜂の巣状にして絶命している者が幾人も居たのだ。


 その顔はどれもが驚きと苦痛に満ちた死に顔だ。

 どれもが苦しんだ素振りが無く、そのまま絶命しているような状態だった。


「これは……」

「極めつけにひでぇもんでございやす。姫、どうかお気を確かにしなせぇ」


 魔法使いとしてやってきたウィルはともかく、細作として幾多の修羅場を潜ってきたリベラですらも息を呑むシーンがそこにあった。だが、躊躇している場合ではない。カリオンの怒声が響くと言う事は、もはやそれだけで異常事態だ。


「ウィル! カリオンを探して!」

「承知いたしました」


 瞬時に意識を集中し、前方へと手を翳したウィル。

 ややあってハッと顔を上げた彼は、斜め上の方向を指差して言った。


「あちらです」


 その言葉を聞いたリリスがパッとリベラを見た。

 リベラは『承知』と言うように頷いて歩き出した。

 その背に主リリスを隠すようにして、リベラは慎重な足取りで進んで行く。


 だが、階段を上って2階へと上がった時、目の前には厳しい表情になって叔母シャイラを詰問しているカリオンが居た。その姿を見たリリスは言葉を発する事が出来ずに立ち止まってしまった。


 2階の通路を抜けた先、一際豪華な調度品の並ぶ豪華な部屋には、優雅でみやびな衣装を纏った者たちの亡骸が幾つもあった。それらはすべて、シャイラと同じザリーツァ・フレミナ一門『だった』者たちだ。


 ――そんな……

 ――うそよ……


 リリスにも見覚えのあるマークが残っている。それは、まだ母レイラが存命の頃にユーラの元を訊ねてきたザリーツァの者たちが纏っていた衣装の柄と一緒だ。

 遥々とフレミナの地からユーラを訊ねてきたザリーツァの者達は、ユーラを嗾けてレイラとリリスを亡き者にしようと工作をし続けていた。ユーラは何度もそれを断っただけではなく、時にはウィルに恃んで帰り道の最中で事故に合わせてきた。


 ――まさか……


 リリスはその時、最悪の予想をした。

 ユーラではなくシャイラの元を訊ねて来ていたザリーツァ一門は、この王都にある施設で牙を磨いていたのではないか……と。チャンスを見てカリオンと自分を殺そうとしていたのではないかと。


 そして、兄トウリとサンドラを王とその后に仕立てようとしていたのでは……


 警戒と敵対の感情がリリスの足を止めた。幼い頃から何度も見てきた、母レイラに辛く当るザリーツァの男たちには、碌な感情が無かった。その僅かな動きにリベラが察し、両手に手甲を嵌めて立ち止まった。

 万が一にもシャイラが走り出してきた場合、リベラは身体を張ってその動きを止めるだけでなく、一撃を入れて絶命させるつもりなのだった。


「叔母上殿。そろそろ…… 白状していただきたい」


 冷たい言葉を吐くカリオン。その姿を見たリリスが足を止めた一番の理由は、カリオンが腰に佩ていた父ゼルの愛刀を抜いていたことだ。窓から差し込む光を受けて眩く輝くその刃は、50年の月日が経過しても全く痛んでいなかった。

 魔力に反応して青白く僅かに光るオリハルコンの刃は、手にするカリオンの激怒に反応しているのか、僅かに青白い光を放っていた。


「……なっ 何のことかしら」

「ここにいる者たち。いや、居た者たちは、一体なんですかな?」

「そっ…… それは……」


 目に見えて狼狽の色を濃くするシャイラ。

 その眼差しは宙を泳ぎ、僅かに震える足はカタカタと音を立てていた。


 二階のほぼ半分を使う豪華な室内は、恐らくザリーツァの者たちの避難所だったのだろう。フレミナの地で緩々と暮らしていた特権階級なザリーツァは、野宿どころか並の家屋でも辛いのかもしれない。


「叔母上。正直に言っていただけるなら…… その後については一考する事も吝かではありません。ですが、何かしらの企みがある状態で、しかも、それが目に見えて解る状態で不問に付すことは出来ません」


 シャイラを問い詰めるカリオンの目がリベラを捉えた。

 一瞬だけ視線を闘わせたふたりだが、先に折れたのはリベラだった。


「……姫、ちょいと血生臭ぇ事になりやす。どうか下の階へ」

「いえ、見届けます」

「なりやせん。王は姫に見せたくねぇようでございやす」


 一瞬の間に交わした視線だが、リベラはカリオンの内心を正確に見抜いていた。

 恐らくはこの場でシャイラを斬る腹なのだとリベラは踏んだ。


 その証拠に、抜き身を握りしめるカリオンの身体には、不自然な緊張があった。

 グッと力を入れているその姿には、相手を斬る為の力が入っていた。


「叔母上。沈黙されていては会話になりませぬ」


 あくまで穏やかな声音のカリオン。

 だが、その身に纏う空気は刺々しいなどと言う状態を軽く飛び越えていた。

 僅かでもその気を害したなら、一瞬にして永遠の眠りにはいることだろう。

 その首が胴体から切り離され、無限の闇へと落ちることになる。


 シャイラは必死になってどう誤魔化すかを考えていた。

 ただ、こんな時は素直に洗いざらい喋ってしまうのが最も良い事だと。

 切り抜け方だと言う事をシャイラ自身が頭の中から失っている状態だった。


「叔母上。あなたがカウリ叔父さんを嗾けていたのは知っています。トウリ兄貴を焚きつけようとしていたのも知っています。もちろん、私の妻やそのご母堂に辛く当たっていたのも……です。ですが……」


 カリオンは抜いていた太刀の切っ先をシャイラに向け、まるで井戸の底のように暗く冷たい眼差しで睨み付けた。その姿と振る舞いは、心の弱い者ならそれだけで卒倒や卒中を起こすようなレベルだった。


「それらはすべて大公爵家同士のゴタゴタ故に、まぁ、歴代太陽王も良くは思わなくとも黙認してきたのでしょう。ですが、コレは明確な国家に対する挑戦ですし、もっと言うならば王に対し弓引く準備と私は受け取ります」


 カリオンは冷たい口調でそう言い切った。

 その眼差しには一片の哀れみや同情と言ったものが無く、端的に言えば裏切りものを追い込む猟犬の如き振る舞いだった。そして、一切の容赦がなく、慈悲の欠片も感じさせないモノだ。


「さて…… 申し開きする事があるならお早くお願いします」

「カリオン…… 待って! お願い!」

「お願いの中身に因りますね。それよりも子細をお願いします」

「そっ! それは…… これは……」


 口籠もったシャイラの頭脳は、まるで一晩中荒れ狂った翌朝の雪原だった。

 一面が真っ白になってフラットに整えられた世界。


 それはつまり、全く持って完全なる思考の空白を意味した。

 要するに、頭が真っ白になって出てくるべき言葉が出てこない状態だ。


「行き場が無い一門の再就職にって事で……『ご冗談なら後にしてください』


 カリオンは遠慮する事無く剣の切っ先をシャイラへと向けた。

 そして、僅かに首を傾げた状態で、冷たい口調のまま言った。


「こう見えても…… 私も少々忙しい立場なのですよ」


 傲岸な支配者の冷笑を浮かべるカリオンの姿は、あの頃のビッグストンで見た初々しい士官候補生の匂いを微塵も感じさせないものだった。

 シャイラは悟った。とても敵う存在では無くなったという事を。これ以上なく見せつけられたのだ。そして、敗北したと言う認めたくない現実がそこにあった。


「……私だって」


 シャイラは静かに切り出した。


「私にだって願うことの一つや二つはあってよ」

「……でしょうね」


 カリオンの返した言葉には、思う程の棘や冷たさが無かった。

 だが、その目だけは炯々と殺意を漏らしている状態だ。


 もはやどう切り抜けるかと言う場面では無い。自らの命をどう繋ぐか。

 太陽王の座に着いた遠い甥っ子の追及を、どう躱して生き残るか。

 シャイラの命は絶対的権力者であるカリオンの手の上にあった。


「姪に当たる子が産む子を王にしたい。そう願ったって良いじゃ無い」


 シャイラが吐いたその言葉は、カリオンだけで無くリリスやウォークにですらも瞬時には理解出来ないモノだった。だが、順を追って思慮を巡らせたとき、一つの仮定が浮かび上がってきた。


 ――サンドラが子を孕んだ……


 カリオンの表情が僅かに変わったのをシャイラは見逃さなかった。

 そしてそれが、突破の糸口であると思い、瞬間的に表情が緩んだ。


 いや、その場に居た者すべての総意として言うならば、『緩んでしまった』と言うべき状態だ。何故なら……


「ならばより一層…… 叔母上の存在が困りますな」


 カリオンは一歩進み出ると、父ゼルの愛刀を肩に担いだ。

 それは、乱戦の最中にゼルが見せた脱力の構えだった。


 父ゼルは幼い日のエイダにこう教えていた。


 ――剣は早く振ろうとすると鈍る

 ――上手く振ろうとすると乱れる

 ――力一杯振ろうとすれば止まってしまうものだ


 まだ齢15にならぬ未成人のエイダは『じゃぁどうすれば?』と問うた。

 その時、ゼルが教えたそれは、今もカリオンの中に生きていた。


 ――流れに逆らわず無理をしない事だ

 ――風が吹くように 水が流れるように

 ――そうすれば芯で捉えてスパッと斬れる

 ――大事な事は一つだ

 ――力むな 力を抜け


 幾多の越境窃盗団を斬ってきたゼルの太刀筋は、今も目に残っていた。

 ビッグストンの剣術訓練でも、カリオンは全く同じ事をしてきたのだ。


 そしてここでは……


「私を斬るの?」

「そうですね。それが望ましい」


 カリオンは逡巡すること無くそう言いきった。切ったカードの手順を誤ったとシャイラが気が付くのだが、もう手遅れだ。逃げ道は無く、生き延びる統べも無い。

 手駒にするような手下は無く、場を切り抜ける為の道具も無く、無い無い尽くしの中で死ぬしか無い事をシャイラは呪った。


 だが……


「叔母さま」


 誰もが『え?』と驚く中、そこにサンドラがやって来た。

 その隣には、手当てを受けたトウリが居た。


「……サンドラ」

「カリオン王陛下に、どうか赦しを請うてください。跪いてでも、無様でも」

「あなた…… 私に『不愉快なのは解ります。ですが!』


 サンドラの手が下腹部に当てられた。

 それは、彼女の身に何が起きたのかを何よりも雄弁に語る仕草だった。


「この子の親族を見殺しにしたと、そう言いたくないのです」


 横目でサンドラを見たカリオンは、その向こうにいたリリスを視界に捉えた。

 何とも複雑な表情をしているリリスを見つつ、カリオンの脳内では今まで点でしか無い幾多の事象が、線で繋がっていくのだった。


 ――使えるな……


 振り返ってウォークを見つつニヤリと笑ったカリオン。

 ウォークはその悪い笑みに内心を察していた。

 そして、『これは使える』とカリオンがそう言いたげなのを理解し、何をどうすれば良いのかをシミュレーションし始めていた。




                            ―― 続く

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