報恩送り
ざわつく室内に管弦楽団の調べが漂い始めた。
広いホールの中に漂う軽快な音楽は、浮き足だった学生達を逸らせる。
ビッグストン兵学校の大ホールに集う少年少女は、総勢200人。
その誰もが、一夜のパートナーを求め行動を開始した。
「イワはいいよな 相方が最初から決まっていて」
「そう言うなって」
第1種礼装に身を包んだイワオを囃し立てる黒毛の男。
フレミナを掌握したオクルカの息子、ロシリカだ。
「しかし、今年もよぉ……」
ニマニマと笑うロシリカは、大ホールの逆サイドを見た。
まるで壁際にいけられた生花の花畑よろしく、着飾った娘達が居た。
ビッグストン兵学校が進級前に行うプロムは、未来ある若者達のイヴェントだ。
世界中の様々な階層からやって来た子供達にむけ、貴族社会を教育する。
「あの赤毛の娘は……」
イワオが小さく指さす先、輝く赤毛の髪をリボンで留めた娘がいた。
輝くと言って良いマホガニーレッドの美しい髪だ。
彫りの深い立体的な顔立ちの彼女は……
「緋耀種だな」
「って事はあれだ。レオンの一門だ」
ジョニーの妹に当たる年の離れた少女は、その髪と立ち姿から敬遠されていた。
他でも無い、公爵家としての看板が、安い出自の少年達に尻込みをさせるのだ。
「おぃイワ! 彼女に声かけろよ!」
灰色の体毛を持つ雑種の少年がイワオを囃した。
ドナテロ・ラリーニと言う名の、全く無名な男爵家の一人息子だった。
「んな事言っても……」
流石に困った表情になったイワオは、肩をすぼめて見せた。
腰に佩いた礼装用のサーベルがカチャリと音を立てるほどに。
「じゃぁ俺が行くか!」
いつの間にかイワオと仲良くなっていたロシリカとドナテロ。
今はホテル寮に暮らす三人組は、壁の花の摘み取りに掛かった。
「リカ! まずんなよ!」
「おうよ!」
イワオはその背中を押した。
――――――――帝國歴339年6月30日
ビックストン兵学校大ホール
結果を恐れず、先ずは挑戦し全力で事に当たれ。
そう言う教えなのだが、学生達にしてみれば軽い気持ちだ。
斬られて死ぬわけでは無いのだから、精一杯見栄を張って口説くだけ。
ダンスパーティーの夜を過ごして一夜の恋に身を焦がす。
そして、後腐れ無く帰ってくる。
やがて彼らは国軍士官として全国各地へ赴任する。
若き士官と言えども、地方社会では名士扱いが普通だ。
駅逓局の長や中央派遣の官吏と同じく、国軍士官と言えば安定した職業。
そんな彼らは時として、降る様にやって来る縁談を断らねばならない時もある。
――自分はまだ修行の身ですから……
そう言って縁談を断れるかどうか。
所詮は尉官など消耗品で。使い潰される運命だ。
多くがそこで脱落し半分程の同窓が佐官に昇格。
やっと腰が落ち着き始め、この辺りで身を固めるケースが多い。
そして、ここから激しい出世競争や手柄争いが始まる。
この試練を経て将官へ手を掛け、上がりが見えてくる。
ただ、その多くは脱落する運命だ。
僅かなミスが命取りとなり、生き残った同窓の一割程度が准将のポストを得る。
准将は地方軍総監督中将や旅団少将付き参謀のポストに就いて上がりだ。
少将や中将になるには、家の格が問題になり、大将ポストは公爵家傍流の物。
そんな厳しい社会でも生き残る術を、彼ら士官候補生は覚える事になる。
こんな夜は、その将来の為の試練でもあった。
「突然のご無礼をお許しください。どうか手前の口上をご静聴賜りたい」
胸に手を当て頭を下げたロシリカ。
公爵家の娘相手なのだから、礼を尽くすのは当然だ。
「あなたはオオカミなのですね?」
「然様です」
胸を張ったロシリカは言った。
「遠く、北方山岳地帯の彼方。険しき峰峰を大河フーラが削りし地。フレミナ地方を統べるフレミナ王オクルカ・フレミナの息子。ロシリカと申します」
その言葉の少女の取り巻き達が顔色を変えた。
ル・ガル国内において公爵家はその頂点と言って良い。
唯一上に居るのは大公爵のみなのだが……
それに近い扱いのフレミナ一門の、その跡継ぎがここに居る。
女は所詮嫁に出される運命で、その多くが一門を強くする為の道具。
縁戚となり血縁関係となって一門を支える為の重要なものだ。
だが……
「手前は……」
一瞬言いよどんだ少女は、その瞳を閉じて心を落ち着かせ気を入れた。
顔付きが変わり、気合いの入った眼差しがロシリカに注がれた。
「ル・ガル公爵五家の一門。ジョン・エクセリアス・セオドア・レオンの娘、キャサリンと申します」
互いに口上を切った二人の視線がバチバチとぶつかり合う。
まるで火花が飛び散るような、そんな強い眼差しだ。
家の格ならば互角と言って良いのだろう。
世界最大国家ル・ガルの五公爵ならば、周辺国家の王族並な物がある。
「「今宵一夜の……」」
二人が同時に口を開いた。
それは、イニシアチブを取ろうとする先制攻撃だ。
どちらが先に声を掛けたか。それによって今後が決まる。
言い換えれば、家同士の序列が決まる。
『お声掛け頂いた当家は……』
イニシアチブを取られたなら、今後あらゆる席でそう言わねばならない。
双方ともに一歩も譲らない戦い。それは、意地と意地とのぶつかり合いだ。
たが……
「……どうぞ」
ロシリカはそれをスパッと譲った。
レディファーストとも、或いは、ル・ガル衛星国家故の遠慮とも言える部分だ。
無駄な争いは避けた方が良い。そして、上手く振る舞っておけば損は無い。
そんな読みや思惑がロシリカにもあった。
「では改めまして……」
キャサリンの顔には、どこか驚きと戸惑いの色があった。
ロシリカの振る舞いが余りに予想外だったせいかもしれない。
ただ、ここで怯んでは公爵家の名が廃る。
もっと言うなら、上手く振る舞わねば看板に泥を塗る。
家の格を守り、相手の家の名に泥を塗らず、上々に切り抜けねばならない。
今後幾度もこう言う席を超えていく事になる子供達だ。
失敗しても『学生時代の武勇伝』で笑い話に終わるウチに失敗するべき。
キャサリンはその、実にありがたい研鑽の場に立っていた。
「世間知らずで怖い物知らずと言われるセオドアの娘ですが、よろしければ――
キャサリンはスッと右手を差し出した
――この手を取って頂けないでしょうか?」
本来であれば男が口上を述べ、仁義を切ってダンスに誘うものだ。
女はそれを聞いて、誘いに乗るか、それとも袖に振るかを決める。
だが、キャサリンはイニシアチブを取りながら、相手の判断に任せたのだ。
小面倒な我が儘娘だが、それでも良いですか?と、男を立てた。
咄嗟の機転と鋭い決断と、そして、ピンチをチャンスに変える見識。
ただ者では無いと皆が驚き、そしてロシリカに視線が集まる。
このフレミナの若者は。言外に皆が抱える誹り……
―――― このフレミナとか言う田舎出身の小僧は…… ――――
どう振る舞うのかと皆が固唾をのんで見守っていた。
だが、そのロシリカはおもむろにキャサリンの前で片膝を付いた。
格上の者へ敬意を示すように右膝を付いたのだ。
「大門大家の姫よ。今宵一夜、この騎士と一夜を」
ロシリカはキャサリンの手よりも下に手を出した。
あくまで、女の自主的な判断で男の誘いに乗ったのだと、そう示しさせたのだ。
「……なんか凄い事に成ってるね」
ポツリと呟いたコトリは、遠目にそれを眺めていた。
その傍らにはイワオが立っていて、コトリの手を取っていた。
「意地の張り合いだよ」
「……彼女も」
「ん?」
「キャサリンも孤独なのよ…… ほら、公爵家でしょ」
「……あぁ」
遠目にキャサリンを見ているコトリ。
だが、イワオはコトリだけをジッと見ていた。
キャサリンがそうであるように、コトリもまた箱入り娘の純粋培養だ。
世間知らずで怖い物知らずで、そして、向こう見ずで無鉄砲。
本来であれば、キャサリン以上にとんでもない名家の娘だ。
この場でそれを知るのはイワオだけの、絶対口に出来ない事実。
だが、もしコトリがイヌの娘の姿であれば……
――ここに太陽王と血の繋がった妹が居る
文字に起こせばそれだけの事かも知れない。
だが、他でも無い太陽王と血縁関係になれる可能性があるのだ。
微妙な立場にある中途半端な貴族の小倅たちは、一斉に言い寄るだろう。
「どうしたの?」
不思議そうな顔でイワオを見たコトリ。
イワオははにかんだように笑ってコトリを見た。
「いや…… 今日も綺麗だなぁって」
「……ありがとう」
恥ずかしそうに俯いたコトリは、モジモジとしつつイワオの手を握った。
そのギュッと握った力の強さに、イワオの方が驚いた。
「なんかさ……」
「……なに?」
「雰囲気変わったよ」
「……そう?」
「うん。何というか、お嬢様に変わった」
イワオの口から出た言葉にハッと顔を上げたコトリ。
真顔でイワオをジッと見て、そして『バカ』と小さく呟いた。
ただ、そんないじらしい姿すらもイワオには特別だ。
それこそ、物心が付いた頃からずっと一緒に育ってきたコトリだ。
あの、城の中にある王の中庭で会った日から、ふたりは特別だった。
喧嘩もしたし、口も利きたくない!って事だって何度もあった。
だが、そんなコトリがいま目の前で、綺麗のドレスアップしているのだ。
しかも、丁寧にメイクされたその横顔には、あのエイラの面影がある。
「凄く綺麗だ……」
もう一度床を見て、そして恥ずかしそうに笑って。
コトリは消え入りそうな小さな声で『ありがとう』と呟いた。
その直後、管弦楽団はプレリュードを奏で始めた。
これからダンスタイムだと告げるものだ。
イワオはコトリの手を取ったまま、会場の片隅に居た。
誰にも邪魔にならない所を探しているのだ。
イワオもコトリも所詮はヒトの身。どうしたって扱いは軽い。
太陽王カリオンにも帝后リリスにも迷惑は掛けられないのだ。
それ故に、どうしたって上手く振る舞わねばならないのだが……
「イワオ! こっちだ!」
プレリュードに乗ってイワオを呼ぶ声が聞こえた。
声の主を探したイワオは、会場のど真ん中に立つロシリカを見つけた。
その隣には、同じく美しいほどにドレスアップしたキャサリンが居た。
「コトリ! こっちよ!」
ロシリカとキャサリンの二人は、会場で遠慮無くふたりを呼んだ。
行くべきか行かぬべきかを思案したイワオだが……
「行こうか」
コトリはそう提案してきた。
やはり、カリオンの妹は決断が早い。
そう痛感したイワオは『よし! 行こう!』と歩き出した。
そのふたりを全員が祝福するように拍手した。
やがて楽団がワルツを奏で始め、大ホールの中に幾つものペアが舞い始めた。
コトリはイワオを見上げ、そして、イワオはジッとコトリを見ていた。
「始まったようですな」
「あぁ…… 懐かしくすらある」
指導教官の控え室で目を細めているのは、寄りにも寄って太陽王カリオンだ。
その隣にはリリスがすわっていて、楽しそうに懐かしそうに音楽を聴いていた。
「アレは…… 上手くやっていますか」
「えぇ。何ら問題なく、上々ですな」
目を細め答えたロイエンタール卿は、何度も首肯していた。
それは、遠き日の思い出を反芻するように、幾度も幾度も頷くのだった。
「あのカウリ卿が手塩に掛けて育てたのですからな」
イワオは公式にはカウリ・アージンの育預だ。
家の継承権を持たない養子のような扱いだ。
イヌでは無いのだから土台無理な話だが、それでもイワオは特別だった。
「それならば良い……」
カリオンはいつの間にか、恩師ロイエンタールを圧する威を身に付けていた。
その堂々たる姿に、ロイエンタール伯は涙すら浮かべるほどだ。
「きっと…… お父上も満足でしょうな」
「叔父、カウリ公が?」
「いえ。ゼル公です」
エリオットはゼルの言葉に幾つも含みを持たせた。
だが、解釈は一つしか無いとカリオンも解っている。
「あの…… 荒れ地の陵で、今頃はレイラ殿と仲良くされている事だろう」
レイラの名が出てきて、リリスは微妙な表情でカリオンを見た。
嬉しくもあり悲しくもありの複雑な心境だ。
「実は……」
一息吐いたエリオットは、ジッとカリオンを見つめて言った。
長く心に仕舞っておいた言葉なんだと直感するような仕草だ。
「本学へゼル公がお見えになった際、かの人物は辛そうにこう言われた」
声音を改めたロイエンタールは、渋い声で言った。
あたかもそれは、亡きゼルが蘇ったかのようなしゃべり方だった。
――手前はそう長くは生きられませぬ
――ただただ、あの子が心配です
――ただならぬ運命を持って生まれてしまった子なのです
――手前が守ってやれる時はそう長くない
――同じように愚痴を聞いてやれる時も長くない
――どうか……
ロイエンタールの目をカリオンはジッと見ていた。
真贋を見抜こうとするかのように、鋭く深い眼差しだった。
――どうか……
――あの子をお願いします……
「……父上」
鼻先を擦って遠くを見たカリオン。
エリオットはそんなカリオンを見つめた。
「いま、それと同じ事をあなたがしている。あのイワオはきっとゼル殿の隠し胤だろう。レイラ殿との間に生まれたのかも知れぬ。ただ、その実態はどうでも良い事であって、大切なのは……」
小さく息を吐いたエリオットはテーブルのコーヒーを啜った。
その次に繋がる言葉がどれ程重いかは、カリオンもよくわかっている。
「……あの子を一人前に育て上げる事。それこそが、イヌの国を救った大恩へ報いる唯一にして無二の報恩威徳な事なのでしょうな」
エリオットは一切迷う事無くそう言ってのけた。
複雑な身の上なのは既に飲み込み済みだ。
あとは、あの子達が一人前になるかどうかが重要だった。
「……静かになったね」
リリスが何かに気が付いた。
大ホールから響いていた音楽が途切れ、静けさが戻ってきた。
「そろそろお開きの頃だな」
「早いね」
「だけどさ……」
楽しそうに笑ったカリオンは、リリスの事をジッと眺めた。
まだまだ若いふたり故に、その眼差しにはいろんな意味があるのだが……
「……そうだね」
「夜は長いって事だ」
イワオとコトリが最後の一線を越えていないのはカリオンにも解っていた。
だからこそ、そろそろケツを叩いてやるべきかと思っていたのだが……
「そろそろ、カゴの鳥を野に放してやる頃でしょうな」
「あぁ。そろそろ立派に男になってくれないと困る」
エリオットはお開きを告げるべく大ホールに向かおうと立ち上がった。
カリオンもリリスも、黙ってそれを見送る算段だ。
「ちょっと行ってきますよ」
「あぁ。よろしく頼む」
好々爺の笑みをニコリと浮かべたエリオット・ロイエンタール。
だが、部屋のドアを開けようとしたとき、そのドアが先に開かれた。
「王陛下。おくつろぎの所を失礼致します」
飾緒を幾つも飾った参謀本部直属伝令がやってきた。
カリオンの表情が途端に曇り、露骨に嫌そうな顔になったのだが……
「こちらをご一読くださいませ」
伝令はまるで器械体操の選手のように正確な仕草で封筒を差し出した。
封蝋で密封されたその機密封筒を開けたカリオンは、声を出さずに読んだ。
見る見るうちに表情が硬くなっていくのをリリスは見ていた。
小さな便せん3枚ほどの機密報告書だが、カリオンは溜息をこぼした。
そして、腰を下ろしていたソファーに背を預け、右手で額を覆って天井を見た。
「……なんかあったの?」
「あぁ。ちょっと…… 困った事態だ」
もう一度溜息をこぼしたカリオンは、その文書を丁寧にたたみ懐にしまった。
そして、数秒思案してから伝令を呼んだ。
「指示書はあるか?」
「こちらに」
伝令用の野戦向けメモ帳を取り出し、それをカリオンへと渡した伝令。
カリオンはそれを受け取ると高速でペンを走らせた。
事細かに書き込まれた指示は、事態の重さと複雑さの証拠だった。
「これを地区の担当将校へ。それと近隣地区の予備役に点呼を」
「はっ! 承りました!」
伝令はくるりと回ってすぐさま駆け出した。
その後ろ姿を見送ったカリオンは、リリスの肩を抱き寄せた。
「どうしたの?」
「ちょっとマズいな」
「え? なにが??」
カリオンは僅かにリリスを見つめた後、考え込んでいた。
その迷う姿は、端的に言えば痛々しいほどだ。
だが、カリオンはこうやって判断し決断せねばならない。
そしてその結果にも責任を負わねばならない。
良いか悪いかでは無く、出来るか出来ないかという結果論なのだ。
「あの……」
床に視線を落とし首を振ったカリオン。
その痛々しいほどの姿に、リリスはかなり悪い事態を予測した。
だが、カリオンの口から出てきた言葉は、そんな物を軽々と飛び越えた。
「あの、父上の陵で見たヒトらしき兵士の軍属が再び顕れたらしい」
「え? うそ…… ほんとに?」
「あぁ」
ウンザリ気味の表情なカリオンは、ロイエンタールに『行け』と指示した。
そして、カリオンとリリスだけになった室内で、カリオンは遂に語った。
「例の重武装なヒトの兵士が現れた。それほど遠くない場所だ」
リリスもその言葉の意味を理解した。
カリオンが気にしているのは、あの重武装な連中の戦闘力だ。
「明日にでも調査隊を派遣するが……」
溜息と一緒に魔物でも吐き出しそうな程の息をカリオンはこぼした。
夏の演習前に面倒を起こすなと、そう言っている状態だった。
「何も無きゃ良いね」
「俺もそう祈っている」
見つめ合ったカリオンとリリス。
ふたりはただただ安寧を祈るしか無かった。
ただ、祈るだけで事態が解決するわけでは無い。
その単純な事実を、カリオンはこれから学ぶのだった。