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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
少年期 ~ 出逢いと別れと初陣と
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師との出会い

 シウニノンチュに新しい住人が増えてから五日目。チャシの片隅を占拠したウィルとリリスは新しい生活を始めた。

 ウィルは相変わらずリリスの家庭教師として様々な事を教えている。時にはチャシの外へ出て、山並みや川の流れや雲の見方を教えていた。その姿をエイダは時々眺めては興味深そうにしている。

 

 ただ、エイダとて全く知らない人間へいきなり声を掛ける手立てなど知りはしない。ゼルやエイラや五輪男が興味深そうに見守る中。エイダはリリスとウィルへ少しずつ接近して行くのだが……


 エイダは最初、偶然の接触を狙ってチャシの中を歩く事を考えた。偶然ばったり出会ってそれで声を掛けようと思ったのだ。だが、その手はさせまいとウィルは先手を打っている。エイダの動きを魔術で探って回避し続けているのだ。

 魔法と言うものに対してまだまだ知識の無いエイダは全く理由がわからない。部屋を出て何処へ向かうのかを確かめ、それから秘密の抜け道をすばやく移動して先回りをしたにもかかわらず遭遇しないのだ。

 一度などドア一枚を隔てた所まで接近したのだが、直前にウィルがそれを察知し回避してしまった。徒労感と落胆にエイダは肩を落とす。そんな息子の尻をゼルが蹴り上げて発破を掛ける。


「おい、エイダ。女が気になるなら正面から行け! こそこそ立ち回るんじゃねぇ!」


 そんなこと言ったって……と口を尖らせるエイダだが、ゼルは笑っていた。


「良いかいエイダ。友達になりたかったら下手な事はしない方が良い。向こうがそれを知ったら嫌な気分になるだろう? いきなり入って『こんにちは』で良いんだよ」


 五輪男はしょんぼりとするエイダの頭をグシャグシャと撫でながら諭した。

 顔を上げたエイダに五輪男が微笑みかける。


「気になるんだろ?」


 エイダはウンと頷いた。


「じゃぁ、会いに行けば良いじゃないか。向こうもその方が嬉しい」

「そうなの?」

「女って生き物はな。いつまでたってもお姫様なんだよ。王子さまが颯爽と現れるのを待ってるのさ」

「でも……」

「でも、なんだ?」

「口もきいてくれなかったらどうしよう」


 俯いてウジウジと考え込むエイダに五輪男は笑うしかなかった。細かな失敗を恐れているのではなく、不安感に対する対応が弱いのだった。


「名前を聴きに行けば良いじゃないか。自分の名前を言って挨拶するのさ」


 快活に育ったはずのエイダだが、案外小心者で引っ込み思案だ。当たって砕けろと打算的な挑戦は苦手らしい。

 でも、エイダとていつかは人の上に立たねばならない。これは最初の試練だと五輪男は思う。自分の手を離れたエイダの将来の為に、困難を乗り越える手立てを教えておかねばならない。

 すべてはエイダの為に。


「ちょっと行ってくる」

「エイダ」


 意を決したエイダを五輪男は呼び止めた。


「いいか? お前もアージンの男だ。戦果無しの手ぶらで帰還なんか許されない。抜かるんじゃないぞ。気合い入れて事に掛かれ。良いな?」


 発破を掛けた五輪男の言葉にエイダが力強く頷いた。その姿に五輪男はエイダが男に育ちつつあることを実感する。


「よし。行くんだ。戦果を期待している」


 エイダはチャシの中を力強く歩いた。階段を駆け降り廊下のど真ん中を歩く。その表情はまるで戦に赴く男のようだ。すれ違うチャシ詰めのスタッフ全員がエイダの為に道を空けた。間違いなくアージンの血を受け継ぐ存在だと皆が目を細めた。皆がエイダの味方だ。ただ一人。全てを見通して奸計を仕掛けた陰陽師を除けば…だが。


「きゃっ!」「あっ!」


 ほぼ当時に声を出した。

 エイダがリリスとウィルの部屋へ向かう途中。

 廊下の曲がり角で出会い頭にぶつかった。


 ────さぁ! これ以上無い絶好の舞台を作りましたよエイダ君


 遠見の魔法を使ってリリスの様子を観察していたウィルもニヤリと笑った。

 部屋に本を忘れたから取って来なさい。そんな指示を何ら疑う事なく実行したリリス。

 そのリリスとエイダは廊下で尻餅をついて互いをマジマジと見た。

 エイダにもリリスにも、初めての同世代の異性だった。


「ご…… ゴメン! 大丈夫?」

「うん……」


 僅かではない警戒の色かリリスに浮かんだ。

 エイダを凝視するリリスの目に恐怖感が見える。


「怪我してない?」


 狼狽するエイダの気合いが空回りする。

 リリスより先に立ち上がったエイダは手を差し出した。


「立てる?」


 恐る恐る手を伸ばしたリリス。

 二人の手が触れ合ったとき、エイダは勢いよく引っ張り上げてしまった。

 その勢いに驚いたリリスがもう一度短く「きゃっ!」と悲鳴を漏らした。


「ごっ! ゴメン!」

「……ありかと」


 小さく呟いてリリスは走り去った。振り返ってその背中を目で追ったエイダは、自分の名前を言おうとして飲み込んだ。


 ────ふむ。女心を掴むのは致命的に下手ですな


 部屋のなかで全てを見ていたウィルはクククと笑ってから遠見の魔法を解いた。

 程なくしてリリスが部屋に入ってきた。


「どうしました?」

「知らない人にぶつかったの」

「ちゃんと謝りましたか?」


 リリスは黙り込んだ。


「謝りましたか?」


 少しだけ強い口調でウィルはリリスを叱った。

 リリスはその小さな頭を左右へ振って否定した。


「なぜ謝らなかったのですか?」

「向こうからぶつかって来たの」

「じゃあそんな時はどうするべきですか?」

「怒らずに相手を心配する」

「それが出来ましたか?」


 リリスは再び黙ってしまった。俯いて僅かに震えている。

 そのリリスの前に立つウィルの右手に小さなスパークがとんだ。

 極々小規模ながら当たれば痛い電撃の魔法だ。リリスの表情に恐怖と絶望が浮かぶ。

 リリスを指導するウィルのお仕置きは、文字通り痺れる一撃だった。


「良いかいリリス。君は平民では無いのだ。君の振る舞い一つで人が死ぬかもしれないんだよ?」


 ウィルの電撃がリリスの指先を襲った。

 パチッと音がしてリリスの手が不随意に動いた。

 そしてもう一度短く「きゃっ!」と悲鳴をあげた。


「注意深く振る舞いなさい。常に油断してはいけません。どれほど相手が悪いときでも、必ず相手を許しなさい」


 リリスを叱りながらウィルは次々と電撃の魔法を使った。身体のあちこちに痛い一撃を受け悲鳴をもらしながら、リリスはじっと我慢しついる。


「誰が悪いんですか?」

「リリスが悪いんです」

「何でですか?」


 唇を噛んで震えているリリス。

 ウィルはまだ電撃の魔法を励起させている。


「私がちゃんと出来なかったから」


 小さな声でそう呟いたリリス。

 次にウィルが何かを言うとしたとき、蹴り破る程の勢いでドアが開かれた。

 驚いたリリスとウィル。だが陰陽師だけは僅かに笑っていた。


「違う! 僕がぶつかったからいけないんだ! その子は悪くない!」


 裂帛の気勢を見せたエイダはドアを開けるなり叫んだ。

 まだ幼い少年だと思っていたウィルだが、その姿にアージンの血が流れている事を悟った。


 ――――まるでノーリだ……


 心中で笑ったウィルだが、厳しい表情を崩さずに冷淡な声でエイダを打ち据えた。


「戸を開けるときは丁寧にやりなさい。そんな事も分からないのですか?」


 厳しい言葉と同時に電撃の魔法をエイダへ向けたウィル。しかし、その前にエイダは動き始めていた。子供とは思えない踏み込みの速さでウィルに接近すると、電撃を喰らうのを厭わず殴りかかった。その早さはウィルをして、剣を持っていたなら手痛い一撃を受けていたと思わせるに十分だった。

 少々の剣士や騎士程度なら、まかり間違っても負けやしない実力者なのだが、そのウィルをしてエイダは末恐ろしい才能を持っていた。誰が見たって子供が踏み込む速度ではなかった。


「良い踏み込みだが手痛い一撃を受けるぞ?」


 簡単なジェスチャーと共に異なる複数の魔法を同時に励起した。その威力たるやチャシを吹き飛ばすに十分と思われる魔法だ。空間が歪み、強力な力場を発生させてエイダを威嚇するウィル。

 だが、当のエイダはそんな事を気にせず、一気に距離を詰めて拳を打ち込む事を選択した。至近距離からの一撃は子供と言えど恐ろしい威力だ。魔法を発動させる前にエイダの拳はウィルを捉えた。


 ――――やった!


 エイダは確実に捉えたと確信した。だが、本当にギリギリの所でウィルはその拳を回避した。それだけでなく、防御的な空間湾曲の魔法を使い、エイダを吹き飛ばした。


「自分の思うようにならない時、そこでどう対処するかで実力がわかります。」


 ウィルは次々と様々な魔法を使う。エイダにとって初めて見るタイプの戦闘対象だ。日頃行っている剣の稽古では手合わせしない相手。エイダには対応策がわからない。だからこそウィルは試したとも言える。

 自分の理解の範疇を超えた戦闘対象とどう接するのかを観察すれば、その者の能力や考え方が全て見通せる。生きるか死ぬかの土壇場になった時にこそ、その人間の実力が全てさらけ出されてしまう。

 普通の人間とは違う長い長い人生経験の中で、相手を試すならこれが一番良いと言う事をウィルは経験則で知っていた。そして、男の子の成長を促すなら、数段強い敵と戦わせる事が良いと言う事も。


「ほぉ!」


 ウィルは短く感嘆した。最初の数回の手合わせとウィルの動きを見て、エイダは魔法が詠唱から発動まで時間が掛かる事を見抜いていた。つまり、簡単なジェスチャーと手短な詠唱の間に斬り込めば手痛い一撃を受けない。

 弱いとは言え、電撃の魔法が決まれば全身に衝撃が走り、全ての関節が悲鳴を上げる。それを回避する為には、手短な詠唱中に踏み込むしか無いと気が付いていた。


 ――――これはこれは…… 将来が楽しみだ

 

 油断はそのまま死に繋がる屋内戦闘(CQB)でウィルはニンマリと笑った。エイダと比べれば数段どころか次元の違う実力の持ち主が笑う。その事実はエイダの心に火を付けた。小馬鹿にされていると感じた瞬間、エイダの速度が更に一段上がった。子供の筋力ではなしえない筈の残像がウィルの目に残った。


 ――――っえ? 

 

 ウィルのみぞおち辺りにエイダの手痛い一撃が決まった。胸腔内と言わず腹腔内と言わず、内蔵系の全てが一斉に悲鳴を上げた。心臓震盪一歩前の衝撃が頭のてっぺんから足のつま先のその先端まで一気に駆け抜け、一瞬だけウィルの中を流れる時間が止まった。

 無意識のうちに行った回避行動とも言える『一歩後退』という事実に、ウィルは全身が粟立つほどの歓喜を覚える。齢僅か八歳の子供に『負けた』とウィルは思った。想定以上の敵と向き合った時にどう対処するのか。その心構えの足り無さぶりをウィルは恥じた。


「今のは良い一撃でした」


 たたらを踏んでギリギリ踏み留まったウィルは、精一杯の余裕を見せて拍手する。その姿にエイダは初めて恐怖を覚えた。恐らく今以上の攻撃が出来ないとエイダは悟ったのだろう。その一撃を受け僅かによろめき、しかしながらそこに倒れずに相手を讃える余裕を見せた。戦う相手の実力について、その上限が見えないと言う事に、エイダは初めて怖いと思ったのだった。


「……僕からぶつかったのに、その子が叱られるのはおかしい」

「そうです。それを理不尽と言うのです」

 

 ウィルは心中で大いに驚き、その後でエイダをじっくりと見てから心のどこかにわき上がった押さえがたい感情を何とか飲み込もうと最大限努力した。戦闘では勝てないと判断し対話を選択したわずか八歳の子供。その末恐ろしい洞察力にウィルは震えた。


 ――――この子を育てたい! 最高の王に育てたい!

 

「りふじん?」

「そう。理不尽です。だけど、それが世界の真実なんです」

 

 ウィルの言葉に戦闘の意志が無いことを読み取ったエイダ。身構えていた部分を緩め、ジッとウィルを見た。

 その立ち姿が実に『さまになっている』とウィルは思う。まだ幼い子供な筈なのに、まるで老練な歴戦の騎士だった。


 ────いやいや 恐ろしい人間を育てましたね…… ワタラさん


「私の事で、ごめんなさい」


 一瞬の静寂を置いてからリリスはそう呟いた。

 自分の不始末で目の前の少年が百戦錬磨な魔法使いと戦う事になった。

 その事実は今まで知識でしかなかった『上に立つ者の心構え』を初めて自分の事として実感したのだった。

 これがもし実際の戦だったら、確実にどちらかが死んでいたのだろう。だからこそ家庭教師であるウィルは、自分の感情とは切り離して事実を事実として受け止め、一番良い解決を選ぶ事を教えてるのだと理解した。


 ────今日は二人とも良い経験を積みましたね


 ウィルが僅かに微笑む。

 その余裕綽々な姿にエイダは敗北感を覚えた。

 だけどそんな事はどうでも良かった。


 いま一番大事な事は……


「さっきはゴメン」

「私がぶつかったからいけないの」 

「そんな事ないよ。僕も気をつければ良かった」 

 

 エイダはニコリと笑って。

 

「僕、エイダ。ここでマダラは僕と父さまだけだから」 

 

 リリスは本気で驚いた。目の前の少年が太陽王シュサの孫だと気が付いた。


 ────さぁリリス 日陰者のあなたが這い上がる絶好の機会ですよ

 

 ウィルが見守るなか、リリスは何とかギリギリで平静を保った。


「わたしは……リリス。ガルディブルクから来たの」

「え?! ホントに?! 凄いや!」


 目を輝かせたエイダ。リリスはその姿に驚いた。 

 

「おじぃ様のいる都だよね!」


 エイダの言葉にリリスは更なる衝撃を受ける。

 いつも可愛がってくれるシュサ帝を目の前の少年がおじぃ様と呼んだ事に。

 

 つまり、目の前の子は本物の王子さまだ。

 ウィルがいつも話をする、最も高貴なる血に連なる者の一人だ。


 父カウリの目が届かない所では、いつもいつも『下賤な女の娘』と罵らたリリス。

 それを告げ口しようとしたらウィルに窘められた。


 父カウリへ直接言った日。

 その言葉を吐いた女がカウリの手により公衆の面前で切り殺された。

 自分の行いで人が死ぬ事を知ったリリスは余計人前に出なくなった。


 人見知りの引っ込み思案を加速させてしまったのだった。


「良かったら都の話を聞かせて! 僕は行った事が無いんだ!」


 つい今しがた命のやり取りに等しい事をしたはずなのに、エイダはウィルの存在を忘れリリスに目を輝かせている。たったそれだけの事だと言うにもかかわらず、リリスは初めて初対面の人に興味を持つと言う感情を知った。


 そして、全てがウィルの目論見通りに転がり、彼は密かにニンマリと笑うのだった。

 


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