侫言と諫言と
「失礼致します」
上品な声で室内へと入ったウォークは、ワゴンに乗せたお茶をサーブした。
馥郁たる香りが漂い、それ程小さくも無い部屋の中を充分に満たす。
王都ガルティブルクの城の中。
王への謁見を行う貴族が待機する部屋の中で、オクルカはジッと待っていた。
そんなオクルカへお茶を届けたウォークは、丁寧に腰を折って告げた。
「我が王は、オクルカ様をお待たせする件について、大変心を痛めてられます」
ウォークの言葉にオクルカは良からぬ気配を感じ取った。
年の瀬も押し迫った頃合いで挨拶に来る貴族は引きを切らないものだ。
当のオクルカとて、半ばご機嫌伺いにカリオンの元を訪ねている。
雪に閉ざされるフレミナとの峠道は、実験的な冬期除雪を行う事になっていた。
王立街道管理局による除雪体制の敷設は、夏の終わりから始まっていた。
街道を拡幅し、雪捨て場を設け、人海戦術で除雪を行う為の遁所を設営する。
莫大な国費を投入し、また、人夫を募集して山中で一冬越す為の仕度を調えた。
除雪を断念し、春まで立て籠もれるだけの食料を備えたのだ。
――これは凄い……
その峠に雪が積もった頃。街道を越えたオクルカはそう漏らしたのだ。
そして、直接の謝意を述べるべく王都を訪れていた。
真冬でもフレミナとル・ガルの交易路は閉ざされなくなった。
厳冬期には極端な食糧難となるフレミナが救われるかも知れない。
オクルカはそう直感したのだ。それ故の王都参内だったのだが……
「なにか…… 厄介ごと…… か?」
オクルカは怪訝な表情でウォークを見た。
一年の終わりまであと2週間。この時期は思わぬ要求が降って湧いたりもする。
年を越せぬ貴族達による猟官運動や年末調整の無心だ。
「いえ、厄介とは言いがたいのですが……」
口籠もったウォークは付き人を部屋の入り口に待たせオクルカに近寄った。
そして、耳元で囁いた。手が付けられなくなったカリオンの現状を……だ。
「実は、コトリをもらい受けたいと言う貴族が来たのですが……」
ウォークは首を振って困った顔になった。
その表情にオクルカは、烈火のように怒ってるカリオンの現在が思い浮かんだ。
あのヒトの二人を手放すつもりなど無いと言いながら、怒り狂っている筈。
気が付けばカリオンに全幅の信頼を置いていたオクルカだった。
――――――――帝國歴338年 12月14日
王都ガルディブルク。城内。
時間は少々遡る。
ウォークがオクルカにお茶を振る舞う、約1時間前……
「ほぉ。それはまた何故に?」
一年の終わりは忙しない日々が続くものだ。
カリオンとリリスのふたりは、この3日間で10以上の貴族家と面談を持った。
年末のご機嫌伺いは階層の上下を問わず、貴族家にとって大切なことだ。
主家と王家の関係が磐石であれば、それは衛星貴族の安堵に繋がる。
一年を通じて、国家と王家の発展に貢献すれば、太陽王の計らいにより家の格が上がることもあるのだ。
『この一年。そなたの家には世話になったな』
太陽王の口からこの言葉が出れば、それは苦労が報われる瞬間でもある。
様々な面で気を使い頭を使い、そしてもちろん金を使い。
貴族序列を一枚でも上にあげる事こそ大事だ。
だがこの日、太陽王夫妻に謁見したのはボルボン家に繋がる貴族家だった。
元々にして太陽の照らす地の全てを太陽から拝領したとするボルボン家だ。
その主家に連なる衛星貴族家は、他の公爵家衛星貴族よりも扱いが上だった。
「いえ、他意はございませぬのよ。帝后睨下のお付きでございますれば……」
1人勝手に盛り上がっているのは、ボルボン家の直下にある侯爵家の夫人だ。
純白の毛並みに浅い桃色の肌を持つ、生まれながらにして貴族と呼ばれる者達。
そんなボルボン家の中でも、指折りの名家と呼ばれるボロニーズ家の女だ。
「きっと社交界へと連れ出せば、輝いてくれることでしょう!」
何が楽しいのか、その女性――ジュリア・ボロネーゼ・ボルボン――は鈴を転がすように笑っている。ただし、その夫であるボロネーゼ家当主ロメロ・ボロネーゼは、精一杯に引きつった表情でいた。
イヌの貴族の定めとして幾度も従軍経験のあるロメロは、あの荒地での決戦で劇昂するカリオンを見ていた。ゼル公やレイラ女史を手に掛けたフレミナの幇間者を睨み付けたのと同じ表情を、カリオンは浮かべていたからだ。
「なるほど。で、アレをよこせと、そう言うことか」
「えぇ。そうです。もちろん、その身の安全はボルボン家で終生面倒を見ますし、見合うだけの番いも用意しましょう。あの姿ですから、子を産めば引く手数多は間違い無しです!」
まるでそれが…… ヒトがただの物だと言わんばかりに話を続けるジュリア。
最初にカリオンの変位に気がついたのはロメロだが、程なくリリスも気がつく。
カリオンのまとう空気が全く違うモノになっているのだ。
それを一言で例えるなら、グラグラと沸き立つ大鍋の中の湯だった。
「主家たるボルボン家の当主さまにも献上させていただきますし……」
ジュリアはその口で、ヒトがただの奴隷だと言わんばかりの姿だ。
奴隷にあらずとも、ただの動産。貴族家にとっての資産でしかない……と。
だが、怒り心頭なカリオンの隣にいたリリスは、低い声でポツリと言った。
「私にとっては義母に当るエイラ様の育てた子ですが、それを知っての事?」
言葉の端端に見え隠れする不快感をリリスは一切隠そうとしなかった。
常に聡明な表情を崩さないリリスだが、今この時に限っては怒りも露わだ。
ただ、ジュリアは悪い事に1人勝手に盛り上がっている。
場の空気を読む事も、相手の感情を読む事も忘れて……だ。
「え? そうなんですか? 申し訳ありません。それは知りませんでしたの」
困ったような顔になってはにかんだジュリア。
基本的には可愛げのある柔和な女性だ。
だが、彼女の言っている事は、リリスにもカリオンにも看過できぬ事だ。
それは、ふたりにとって唯一無二な『家族』への対応なのだ。
「でも、今はもうエイラ様の手を御離れになったのでしょう? でしたら……」
「……でしたら?」
カリオンは預けていた背を起こし、テーブルの上の砂糖菓子を口へと運んだ。
口の中で解けて消える上品な甘みは、祖父シュサも愛したものだ。
王都の権力争いから愛娘エイラを逃すべくシウニノンチュへ送ったシュサ。
権力闘争に明け暮れる貴族間抗争に巻き込まれ、道具にされる者は多い。
ましてや、コトリはカリオンにとって血を分けた肉親だ。
同じ父母を持つ実妹なのだ。
それを、コトリを事実上物扱いし、しかもよこせとこの女は言っている。
しかも話しはそれで終らず、商品価値を考え男を宛がって繁殖させると言う。
ヒトの出産がどれ程大変なのかを知らぬわけではあるまい。
だが、ヒトの子が高く売れるのもまた事実であり、ル・ガルの暗部でもある。
没落しかかった貴族家がヒトの子を売り、家を再興したなんて話しは多いのだ。
「もうひとり立ちしてますよね!」
明るい声でそう言ったジュリアは、溢れる笑顔でカリオンを見ていた。
その時、リリスはテーブルにあったティーカップに手を伸ばした。
優雅な仕草でカップの取っ手を持つのではなく、カップをその物を掴んだのだ。
その時、室内にいたウィルやリベラは同じ事を予想した。
リリスがカップの中身をジュリアに浴びせかけるシーンだ。
リリスの手首も肘も、そのための動きをしていた。
だが
「サミール。お茶が冷めたらしい」
穏やかな声でカリオンはサミールを呼んだ。
リリスに仕える女官の長。サミールもまた百選練磨だ。
「畏まりました。差し替えましょう」
リリスが握っていたカップを上品な仕草で受け取ったサミール。
中身をこぼし、湯気の立つ新しいお茶をサーブした。
「おぉ、そうだ。ウォーク」
「はっ」
「翡翠の間に待ち人がいるな」
「……そうですね」
「かの人物にもお茶を振舞っておいてくれ。長くなりそうだ」
後方を振り返ってウォークに指示を出したカリオン。
その顔には鬼が紛れ込んでいるのが見えた。
――場合によってはここで手打ちにされる……
ウォークはそんな事を思った。カリオンは怒り心頭だ。
それこそ、あのゼル陵の上に人影を見たとき並みの怒りだ。
「……畏まりました」
「かの人物には粗相の無いよう、注意してくれ」
「はい」
深々と頭を下げてその場を辞したウォーク。
部屋を出てお茶の用意に向かったのだが、カリオンはその背中を見送った。
そして、再び前を向いた時、機嫌よく話をしていたジュリアの顔色が変わった。
カリオンの表情は、まるで戦闘中に見せるかのような厳しい顔になっていた。
それは、相手を喰い殺してでも前に進もうと言う肉食獣の姿だ。
「で、要するに…… そなたはアレをモノだと申すか?」
カリオンの声音が変わったのを伯爵夫人も気が付いた。
低く轟くような、声だけで相手を震え上がらせる支配者の声だ。
すぐ隣に座っているリリスですらも取り肌が立つような声だった。
「ひとり立ちしていれば良い。そう申すのだな?」
「あ、いっ…… いえ……」
「そなたは、当人の意向など頭から無視しているようだが……」
優雅な仕草でカップのお茶を飲んだカリオンは、一つ息を吐いて目を閉じた。
その吐き出した吐息はまるで溜息だった。それも、怒りを噛み殺す吐息だ。
「当人の…… いや、あのコトリはどうも……」
ニヤリと笑ってジュリアを見たカリオン。
だが、その笑みは愉悦や娯楽といたモノではなく、相手を威圧するものだ。
ただの一言も発すること無く、相手を圧する威をカリオンは纏っていた。
「修行中のヒトの男に惚れているようでね。余も妻も、それを温かく見守っているのだが……」
カリオンの降ろしたカップは、音も無く皿の上に乗った。
いや、正確には静かな音を立てて皿に戻ったのだが、ジュリアには聞こえない。
間違いなく太陽王は気分を害した。不機嫌になった。
不機嫌などと言う生易しいモノではなく、怒り心頭だ。
全身から猛烈な怒りの臭いを撒き散らしている。
そして、それで居て、冷静な言葉を吐いている
「……そなたは本人の意向など無視して、ヒトの男を用意すると言うのか?」
「あっ いや…… あの…… 本人が……」
「今さら本人と言うかね? 先程まではアレ扱いだったのに」
少しずつ、だが確実に、カリオンの言葉が強くなっている。
震え上がるほどの殺気を撒き散らしている。
カッと両目を見開き、三白眼で真正面から睨みつけていた。
「過ぎたことを申しま……『しかも、当人が望まぬままに子を作らせ、それを取り上げて、売ろうと言うのかね?』
カリオンはジュリアの謝罪を受け付けなかった。
一際大きな声で、戦場でも良く通る声でジュリアを打ち据えた。
この時、ジュリア・ボロネーゼ・ボルボンは己の失敗を悟った。
それだけでなく、場合によってはこの場で斬られる事を思った。
「どっ…… どうか…… お許しを……」
震える声でお詫びを述べる夫人に対し、カリオンは黙ったまま睨んだ。
椅子から身体を起こし、そのまま前に身体をせり出させている。
顎を引き、眼光鋭くジュリア・ボロネーゼ・ボルボンを睨みつけている。
「そなたは余に、何をどう許せと言うのだ」
過ぎた口を叩いた事など問題ではない。
カリオンは遠まわしにそう言った。
ジュリアの頭脳は真っ白になり、目に見えるレベルでガタガタ、震え出した。
腰を下ろしていたソファーがカタカタと音を立てるほどの震えだった。
「陛下。妻の不義をどうかお許しください。帰ってきつく叱りますゆえ、どうか」
ジュリアの背を押して立ち上がろうとしたロメロ。
だが、怒り心頭なカリオンの声が室内に響いた。
「誰が帰って良いと言った?」
立ち上がろうとしたロメロ・ボロネーゼ・ボルボンは、ゾクリと寒気を覚えた。
その瞬間、部屋の中が冷え切ったような錯覚に陥ったのだ。
12月も半ばとなれば、常春と呼ばれる王都ガルディブルクも寒い日々だ。
だが、暖房を入れて暖かな筈の室内ゆえに、寒気はありえない。
「……陛下、どうか『いいから座りたまえ』
グッと身を乗り出したカリオンは両眼を見開いて睨み付けた。
今にも手が伸びて、その手に握った太刀で首を刎ねそうな姿だ。
ボルボン家の夫婦は、まだあどけなさの残る若者を侮っていたと知った。
そして、太陽王と言う肩書きがどれ程人を鍛えるのかも知った。
こうなればもはや首を刎ねられるしかない。
カタカタと小刻みに揺れながらも、ジュリアはカリオンから目を逸らせない。
まるで蛇に魅入られた蛙の様に、ジッとカリオンを見ていた。
無様に震えながら、ジッと見ていた。
「……恐れながら、王陛下」
見るに見かねたらしいリベラは、そっと言葉を掛けた。
全く身じろぎしないままジュリアを睨みつけていたカリオン。
だが、実力ある者は、カリオンの意識がリベラにも向けられたと感じた。
「あまり時間を掛けちまっちゃぁ 後が困りやすぜ」
ネコの国訛りなリベラの言葉だが、この場では誰もそれを笑えなかった。
カリオンは力強い眼差しでジュリアを睨みつけていた。
「まだ次もござい『邪魔をするなリベラ。今こちらのご夫人と楽しくお話中だ』
一言も発してはおらず、文字通りに視線を戦わせていたカリオン。
そんな姿と言葉に『これは不調法で、失礼いたしやした』とリベラも応えた。
誰にも邪魔を挟ませぬと宣言したカリオンは、恐ろしいほどの眼差しだ。
このまま行けば確実な死だとジュリアは思った。
そして、運良く殺されなくとも、御家は取り潰されるのだろうと思った。
ル・ガルの頂点にある王の力は、並みの貴族がどうこう言えるレベルではない。
そして、こんな時に助け舟を出してくれるような貴族家は少ない。
主家たるボルボン本家とて、太陽王を支える側なのだから反対はするまい。
万事休す
ジュリアは己の命運が尽きた事を知った……
「あっ……」
それを誰が言ったのかは解らない。
ただ、その言葉が部屋に漏れた時、カリオンの向かいに居たジュリアが倒れた。
気を失ってソファーへと倒れこんだジュリアは、完全に失神していた。
「だれぞ有るか」
カリオンがそう言ったとき、部屋に戻ってきていたウォークが近くへと寄った。
いつの間にか戻ってきていたウォークは、完璧に気配を消していたのだった。
「お呼びですか?」
側近筆頭であるウォークの声だったか。
誰もがそれに気がついたのだが、カリオンは意に介していなかった。
「残念だがジュリア夫人はお疲れのようだ。楽しい席だったのだがな」
スッと立ち上がったカリオンはロメロに一瞥すらくれる事無く振り返った。
室内に居た衛兵たちの緊張が一段上がった。
「ご夫人を医務室へ御連れしろ。丁重にな」
その指示を聞いたウォークが慇懃に頭を下げる。
カリオンは振り返ってリリスへと手を差し伸べた。
「ちょっと気分転換しよう。今日は少々不愉快だ」
カリオンの手を取ったリリスも『そうね』と呟き立ち上がった。
ふたりして謁見の間を出て行く周囲には、最強のエリートガードが揃っていた。
全く無視された形のロメロだが、その目は捉えていた。
全く振り返ること無く謁見の間を出た太陽王の後ろ姿に鬼がいた。
「次からはお気をつけください。王はあのふたりを大変大切にされています」
太陽王が退席した謁見の間では、衛兵達がジュリア夫人の搬送準備をしていた。
その作業の傍ら、ウォークはロメロ・ボルボンを注意していた。
「ご夫人が目覚められたら、お伝えください」
ウォークの表情も堅く厳しい。
それは、城の中枢で意識が共有されている証拠だった。
「コトリ殿もイワオ殿も、揃って太陽王夫妻のご両親が保護された人物です。事にコトリ殿は物心付く前から、太陽王カリオン陛下の妹の様に育たれました。イワオ殿は先に遠行されたカウリ・アージン様の鞍の上で乗馬を覚えた生粋の騎兵です」
驚きのあまり言葉を失っているロメロは、余りに軽率な物言いだったと知った。
そして、事と次第によっては間違いなく粛清の対象だったのだと気が付いた。
「過去、様々な人物があのふたりを譲ってくれと王に掛けあいました。実は、フレミナの王オクルカ公も譲って欲しいと言われたのです。終生大切にするし、自らの側近として絶対に無碍にはしないと約束までされたのです。ふたり共に、ヒトではなくオオカミとしての立場を与えると、そうまで言われたのです」
ウォークが語る言葉を聞きながら、ロメロは口も舌も乾いて行くのが解った。
太陽王にとって家族にも等しい存在を、奴隷待遇前提で欲しいと言ったのだ。
過去の如何なることよりも失態なんだとロメロはしった。
そして、間違いなく王の逆鱗に触れたのだと……
「王は寛大な方です。恐らくはこの厳重注意を持って不問にされるでしょう。ですが、それは大切な意味があるのをお忘れに為らないでください」
ウォークの言った言葉をロメロは理解できなかった。
思案するように首をかしげ、必死になって考えるのだが……
「申し訳ない。手前には意味が理解しかねる」
「ならば、ご無礼を承知で申し上げる」
ウォークは胸を張って言った。
それは、社交界に踊る貴族にとって自殺に等しい言葉だ。
「王は期待されているのです。ロメロ様とジュリア様のおふたりが、自らの口で今回の失態を喧伝される事を。社交界の中で、宣伝して欲しいのですよ。次の案件が発生しないように。その次の案件が発生しないように。多くの会合や宴の席で、太陽王に言ってはならぬと、自らの失敗を込みで喧伝して欲しいのです」
ウォークの言った言葉にゾクリと震えたロメロ。
それは、貴族にとって有るまじき失態の宣伝に過ぎない。
だが、期待されている以上はやらないわけにも行かない。
それをすれば名誉を失うが、しなければ命を失う危険がある。
今回の件は、冗談では済まされない失態なのだから……
「誓って、その様にさせていただきます。どうか……」
ロメロはウォークに向かい深々と頭を下げた。
それは、ある意味で奇蹟に近い光景だった・
まだ若い、ただの官僚である平民出の若者に過ぎないウォークだ。
だが、そんな青年に名門貴族の当主が頭を下げたのだ。
「……どうか、太陽王陛下と帝后睨下に、よろしくお伝えくださいませ」
「承りました。どうかお気を付けて」
ウォークもまた胸に手を当て頭を下げた。
太陽王の側近として絶大な力を持つ青年だ。
だが、その立ち振る舞いには一切の隙がない。
「これは、独り言と聞いてください」
ウォークはそっぽを向いたまましゃべり出した。
ロメロは黙って耳を傾ける。独り言と言うからには、難しい話だ。
「隣室で、翡翠の間でお待ちのオクルカ公に対し、太陽王はあのふたりが欲しくば力尽くで来いと啖呵を切りました。そして、ル・ガル百万騎の全力を持って応戦すると言われたのです。オクルカ公はフレミナと己の名誉の為に、誰にも譲らないでくれと王に懇願しました。もちろん、王はそれを承知されています」
ル・ガルとフレミナの関係を越えてまで個人の意地を貫いたカリオン。
そんな関係だったと初めて聞いたロメロは、自責の念に痛いほど身悶えた。
何よりも、あの太陽王がそこまで思っていたのかと知ったのだ。
マダラに産まれ、心ない言葉で蔑まれてきた青年カリオン。
彼はヒトの哀しみを良く知っている。
「そしてもう一つ。今回の一件が社交界の中で喧伝されて、それが自然な形でオクルカ公の耳に入ることを期待されているのでしょう。僅かに関係の悪化したフレミナとの仲を改善する為の…… 言葉を選ばず率直に言えば、そのエサとしての噂話をオクルカ公が聞き、約束が守られていると安堵することが重要なのです」
ウォークの言った言葉にロメロが一瞬だけ表情を柔らかにした。
失態を功績に変えるチャンスを太陽王は与えた形だ。
フレミナとの関係が改善されれば、それはすなわち家の功績になる。
それこそ『この一年。そなたの家には世話になったな』とお言葉が降りてくる。
それで今回の失態は赦される。
王と后の不興を買ったのだから主家からも疎まれ、無聊を託つ事になる。
それから這い上がるチャンスまでも王は与え給うだのだ。
「どうか、佞言と捉えないでもらいたいのだが……」
ロメロは硬い表情で言った。佞言は忠に似たりという。
媚びへつらう言葉は忠義にも見える時がある。
故に、上に立つ者も、それに仕える者も、言葉には気を付けろ……と。
ただの太鼓持ち。幇間のお囃子言葉でしかない言葉は使ってはならない。
時には主君から手討ちにされる危険を犯し、耳の痛い言葉を吐かねばならない。
耳に刺さり不快を極める諫言とて、謝意を示して聞かねばならない。
それが君主の務め。人の上に立つ者の務め。
だが、ロメロはただただ、感心していた。この青年と若き太陽王の関係にだ。
不興を買って一刀のもとに首を刎ねること無く、我慢した若き太陽王。
その内心を見抜いた若者は、全てが上手くいくように振る舞っていた……
「そなたの様な若者を側に置きたいものだ」
「身に余るお褒めの言葉を頂いた……と、そう理解させて頂きます」
ロメロに向かって一礼を返し、ウォークも部屋を出て行った。
太陽王の側近であり、また相談相手を務める青年の深謀遠慮だ。
――恐ろしいものだ……
そう直感したロメロ・ボロネーゼ・ボルボンは、城の衛兵に付き添った。
王の威圧で完全に失神している妻を気遣いながら。