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戦場の華

 まだまだ暑い風が吹き付ける、9月なかばのトゥーリングラード演習場。


 広大な草原地帯の各所には、馬向けに複数の水飲み場が整備されていた。

 それは、とりもなおさず騎兵演習の拠点としての設備そのものだった。


 広域へ意志を迅速に伝える技術が無い世界では、常識ですらも進歩しない。

 魔法を使った広域における連動軍事機動にまで発想が至らないのだ。


 したがって、この世界における大規模な戦闘は、事前の取り決めが全てだ。

 どう戦い、どう対処し、どう勝つか。

 フローチャート状の行動計画は綿密に定められていた。


 各騎兵団の団長や従軍参謀はそれを丸暗記し、状況に応じて戦闘を組み立てる。

 ただし、戦闘とはそれ自体が筋書きの無いドラマだ。


 状況に応じ、指揮官は場当たり的に機動を変え突撃を行う。

 それをサポートする側もまた、規定に沿ってアドリブを混ぜて戦うのだ。

 広大な軍事演習場ではその知識を確認する為に馬が走り回る。


 複数の軍団が独立した意思を持ち、その確認を双方に行なわずとも連動する。

 口で言うほど容易い事では無く、それが出来ねば同士討ちをしかねない。


「……なかなか良いな」


 高台の指揮所では平面戦況板を前にしてカリオンが陣取っていた。

 側近侍従ウォークを従え、状況を見守っていた。


「お褒めに預かり恐縮です」


 緊張した面持ちでそう答えたのは、騎兵総監のポストに就いたドレイク卿だ。

 スペンサー家は長らく『力の実行者』だったのだが、一歩前に出た形だ。

 現在は空席となっているサウリクル・アージン家当主のポストを預かっていた。


「東軍第2軍団は先行突撃!」

「東軍第1軍団と第3軍団は左右を雁行!」


 戦況板の上では、各軍団をシンボライズした駒が動く。

 国家騎兵団の第1から第3までの軍団は、その中身を二つに分けていた。

 第1第3連隊が東軍、第2第4連隊が西軍だ。


 相互に連携し連動し、敵を追い詰めて逃げ場を塞ぎ、完全に鏖殺する。

 その動きはフレミナ軍団やネコの騎兵団との闘争で得られた知見だ。


 血を流し、汗を流し、騎兵団の血肉となった手痛い経験。

 その成果が、存分に発揮されよう訓練を積み重ねる。


 次の戦いで。その次の戦いで。更にその次の戦いで。

 勝ちを収め生きて帰る為に。家で帰りを待つ家族の為に。

 全ての騎兵は真剣に訓練を積み重ねるのだった。











 ――――――――帝國暦338年9月15日

           ル・ガル西方 トゥリングラード演習場











「……素晴らしい仕上がりですな。陛下」

「あぁ。目を見張る」


 カリオンと共にそれを見ていたウォークは満足げに呟いた。

 今年は5年に一度の夏季閲兵大演習が行われる年だ。


 その大演習に向け騎兵団は幾日も掛けて連動演習を繰り返す事になっている。

 ただ、今回は史上初めてフレミナ陣営の北方騎兵団が参加する事になっていた。


「見事な連動に市民も沸き立つ事だろう」


 機動演習の状況板が踊り続けている。

 カリオンは口から顎に掛けて手を沿え、ジッとそれを見ていた。

 それは、遠い日に見た参謀総監ゼル公の姿だった。


「しかし…… 陛下」

「ん? なんだ?」

「そのお姿は……」


 優しい表情でカリオンを見たウォーク。

 カリオンはその言いたい事を掴み損ねた。


「何かまずいか?」

「いえ」


 ニコリと笑ったウォークは、ふと振り返って帝后リリスを見た。

 そのリリスもまた優しく微笑んでいた。そして、その付き人であるコトリも。


「なんだ気持ち悪いな。はっきり言え」


 少し不機嫌そうに口を尖らせたカリオンの姿に、周辺が緊張の度合いを上げた。

 ただ、リリスやウォークだけが緩い調子だった。


「ゼル様みたい」

「え?」

「その仕草がね、まんまゼル様だったのよ」


 大本営となった観測所の中、鈴を転がすリリスの声が流れた。

 そして、その隣で懐かしそうに目を細めるコトリが居た。


「……そうか」


 ゼルに似ていると言われ、当のカリオンも満更では無い。

 今はあの荒れ地の陵で眠るゼルだが、カリオンには心酔し敬愛する存在なのだ。

 そしてそれは、父子という関係を飛び越え、人間としての目標になっている。


「……父ならばもう少し思慮深く、注意深く、思考を巡らせる事だろうな」


 ゼルの姿を思い出し、僅かな間だけ記憶の中を旅したカリオン。

 常に鷹揚とし、泰然と全てを受け容れる姿だったゼル。


 自らの力では切り開けない運命に抗う事無く、あるがままにそのままに。

 そんな生き方だった。


「……恐れながら申し上げる」


 大本営に流れたその声に、周辺がサッと色めきだった。

 口を開いたのは、フレミナ王であるオクルカだ。


 北方騎兵団を率いやって来たオクルカは、大本営にあって戦術を見ていた。

 先のシウニンフレミナ決戦で手痛くやられたのだ。

 ル・ガルの強さを知りたいと願うのは、自然な事と言えるのだった。


「なんでも……」

「死人は失敗を犯さぬとフレミナでは言いまする」

「……なるほど。一理ありますな」


 失敗は生者だけのもの。死者は失敗しない。

 それは論理的な意味では無く、死んだ者と比べるのは無意味と言う事だ。


 生ける者であれば、何らかで必ずミスを犯すもの。

 ミスならずとも、大小の差はともかく愚かな失敗はつきものだ。


 ――――彼なら上手くやったはず

 ――――あの者ならもっと上手にやった

 ――――それに比べてお前と来たら……


 そんな攻め方をされれば、ヒトは必ず萎縮してしまう。

 故に、それは決してやってはならぬという教えだった。


「余は余のやり方を探さねばならぬな」

「その通りです」


 カリオンの言葉に即答を返したのは、他でも無いドレイク卿だった。

 公に名乗るドレイクの名は、太陽王自らに下賜された御名である。

 このモーガン・ドレイク・スペンサーは、それを何よりの誇りにしている。


 そして、ドレイクはカリオンに心酔していた。

 統一王ノーリに付き従った公爵五家の様なものだ。

 まだまだ若いとは言え、齢100を軽く越えている。

 だが、それでもドレイクにとっては特別な存在だった。


「……もっと研究するよ」

「何処までもお供致します。陛下が地獄を平定されるなら――


 キラキラとした目をしたドレイクは恋に恋する少女の顔立ちだ……


 ――私は喜んで一兵卒となり、尖兵として鬼神に戦いを挑みます」


 恭しく拝謁しつつもそう言ったドレイクに一瞥を返したカリオン。

 苦笑しつつも心は温かい。如何なる場所へも付いて行くという配下だ。

 王ならば、その存在に感謝のひとつもするべきだ。


 ――よしよし……


 やって来た事が無駄では無いと確信したカリオンは状況板の前に立った。

 本来、太陽王が直接差配を取る事など無い。だが……


「東軍の動きに比し、西軍の出足が悪いな……」


 再び顎まで手で隠すように口を覆ったカリオン。

 その脳裏に何かが思い浮かんだ。


「伝令!」


 大本営幕屋の角で出番を待っていた伝令兵が動き出す。

 その中には胸甲騎兵見習いであるイワオの姿もあった。


「西軍各軍団長に通達! 東軍を2リュー押し返せ! 機動戦闘を貫徹せよ!」


 7騎ほどの伝令が先を争うように幕屋を飛び出ていく。

 そのタイミングで、カリオンは一言付け加えた。


「余が直接見ていると、そう付け加えよ」


 他ならぬ天覧の事実に、伝令各騎は稲妻に打たれた様な状態になった。

 草原を横切って掛けていく伝令の姿ですら見ていると言う事だ。


 大本営幕屋の前を伝令騎が駆け出すと、カリオンはオクルカを伴って外へ出た。

 降り注ぐ光のまばゆさに目を細めるのだが、それ以上に目を細める存在がいた。

 草原を横切りかけていくイワオは、他のイヌよりも遙かに馬が上手かった。


 ――あいつめ……


 溢れる自信と漲る体力が馬を完全に制御下へと置く。

 馬は鞍上にある騎手の気持ちを驚く程よく読み取るものだ。


 騎兵たちが激しく混交する草原を、イワオは稲妻のように横切った。

 馬上弓による威嚇投射が続く中での伝令機動は、気合と度胸と運がいる。


「あのヒトの青年はやりますな」

「えぇ。父上が何処かで保護したヒトの子だったが、たくましく成長しました」

「ビッグストンは如何なる種族をも鍛えますな」

「ありがたい限りですな」


 元来、伝令は傾奇者のポジションだった。

 騎兵団列は統制の取れた黒い波として連動運動する。

 その騎兵たちとは違う存在だと、自らアピールせねばならない。


 だがそれは、敵にしてみれば今すぐにでも潰さねばならない敵だ。

 騎兵たちへの新たな指示を指揮官から持ってくる重要なポスト。

 無限の闇とも言える戦場を照らし、騎兵を導く光でもある。


 だからこそ、伝令は最初に狙われる。

 そんな状況でも生き残り、目的を果たし、情報を持ち帰ってくる。

 重要な情報は戦闘を一変させるかも知れないのだから。


 ――本当に目立つな……


 イワオは背中に大きな母衣(ほろ)を付けていた。

 軽質材で骨組みを作り、中に藁束を入れて縄で縛り付け硬質生地で包んだ物だ。

 後方より矢を射掛けられた際には、この母衣が背中を護ってくれる。


 だが、その母衣は黄や朱や薄緑に着色されている。

 黒一色な騎兵の中でも、嫌と言うほど目立つのだ。


 そして、イワオが背負っている母衣は朱色。

 イワオを産み落としたレイラの最も好んだ色だった。


「……しかし」


 ニヤリと笑ったカリオンはオクルカを見た。

 その目には満足そうな色が湛えられていた。


「寒立馬の騎兵団は足が遅くとも力強いですな」

「そう言って貰えるなら、最初の一歩としては満足だ」

「これは重要な戦力になりますよ」


 東西軍に分かれた寒立馬の北方騎兵団は、オクルカ腹心により制御されていた。

 ル・ガル騎兵軍団の後方に位置し、機動力の無い歩兵との間を生める存在だ。

 速度ではなく打たれ強さを武器とする北方騎兵団は、じりじりと前進する。


 実戦では間違いなく手強い存在となるだろう。

 騎兵と歩兵の間に割って入り、戦列を分断される危険がグッと少なくなる。

 そして、強力に敵をうち果たす原動力を供給する事になるだろう。


「本来の北方原産種です。暑さには弱いと思っていたんですがね」

「正直に言えば自分も同感でした。思ったよりも動けますな」

「先の決戦では危惧していたんですよ」


 率直なオクルカの物言いにカリオンが驚く。

 だが、それを表情にこぼす事無く、カリオンはギリギリで踏みとどまる。


「率直に言えば、私も決戦の舞台はもう少し南方でと思っていました」


 オクルカの赤心にカリオンはそんな言葉で応えた。

 相手を信頼しこぼした本音だ。それを裏切りたくは無い。

 そして、それに応えるならば、取るべき態度はただひとつ。

 率直に本音を言うしか無いのだった。


「いやはや…… 命拾いしましたな」


 ハッハッハ!と豪快に笑ったオクルカは、笑みを添えて眼下を見た。

 朱色の母衣を背負ったイワオが一気に戦線を横切っていった。


 その達者な馬捌きにオクルカは目を細める。


「……出来るものなら、あの様な若者を手駒に欲しいですな」


 オクルカは言外にイワオを譲れと言った。

 カリオンもそれをひしひしと感じていた。


 お前の手下に収まるのだから、お前の手下を譲れ。

 イワオが一方的に損をする形になるが、少なくともオクルカのメンツは立つ。

 一瞬のうちにカリオンは様々な思考を巡らせた。


 だが、どう考えても導き出される結論はひとつだった。


「出来る物なら譲りたいのですがね……」


 寂しげに笑ったカリオンは、その心情を態度で示した。

 勘も鋭いオクルカなら、その意図を分かってくれると思ったのだ。


「あの者は妻の父カウリ公が保護したのですが……」

「なんと…… カウリ殿は一言もなかった」

「そうですか。で、まぁ、要するに」


 チラリとリリスへ目をやったカリオンは、もう一度イワオを見た。

 そんな動きの中に、カリオンは本音を混ぜた。


「アレは妻の付き人となるヒトの娘のつがい相手にしようと思っております」

「……本人も望む事ですか?」

「えぇ。恐らくはそうでしょう。あのヒトの娘は長らく――


 カリオンはグッと気を入れた表情になった

 それは太陽王の迫力を身に纏った王の姿だった


 ――私の妹のように育ちました。私の母が手ずからに育てたのです」

「……なるほど。ならば、委細承知仕った」


 グッと胸を張ったオクルカは、自信溢れる笑みを浮かべてカリオンを見た。


「ふたりとも私が預かりましょう」

「え?」

「幼馴染みのようなもの。ならば、そのつがいのままで私が責任持って」


 何とも微妙な話になった。

 オクルカは案外話の飲み込みが悪いかも知れない。

 そんな事をカリオンは思った。


 だが、ここで話を違えれば、先々響くかも知れない。

 ここはひとつ、はっきりと断るべきなのかも知れない。


「あのヒトの娘が王の妹であるなら、つがい相手は王の弟。ならば常に我が身の傍らに置き、誰にも手を出させぬ事を誓いましょう。そしてその存在が、逆説的にフレミナを強くする。太陽王の親族に等しいヒトのつがいが認めた相手こそ、フレミナ王の肩書きを有する……と、そうすればよろしい」


 一方的に盛り上がるオクルカの姿に、カリオンは苦笑するしか無かった。

 ただ、イワオとコトリをオクルカに譲る気など毛頭無い。

 あのふたりは、カリオンにしてみれば親族そのものだ。


「……なるほど。それは良いですな。ですが」


 一つ息を吐いたカリオンは目を閉じ、そして気合を入れ直してから目を開けた。

 その姿はまるで、これから合戦に当たらんとするかのようなものだった。

 

 全身に緊張を漲らせ、グッと顎を引いて上目遣いに相手を見据える姿。

 それは、カリオンという一人の男をこれ以上無く表すものだった。


「コレは大切な事なので、率直に言いましょう」

「えぇ」

「あのふたりを私が手放す事は、絶対あり得ません」

「……絶対?」

「えぇ。絶対に。突然私が命を落とすような事にでもなれば話は別ですがね」


 カリオンはオクルカに向かい、どうしても欲しければ決闘しろと迫った。

 勝ったらくれてやると言った様なものだが、カリオンはこれ以上無く真剣だ。


「アレは妻を育てたヒトの女の忘れ形見。妻にとっては弟です。私の一存にせよ同意があるにせよ、妻の悲しむ姿は見たくないのです。故に」


 カリオンは演習の真っ最中と言うにも係わらず、迷わずレイピアの柄を握った。

 どうしてもというなら、ここで斬れとオクルカに迫ったのだ。

 ただ、柄を握った以上反撃は覚悟せよ……と。


 剣技においてならばカリオンはオクルカを圧倒出来るだけの腕前だ。

 そんなカリオンが真剣な表情を浮かべている以上……


「諦めた方が良さそうですな」


 少し残念そうな声音でオクルカは言った。

 その姿には、紛れもなく悔しさや無念さが滲んでいた。


『あのヒトを思う気持ちがそれほどなら……』と呟くオクルカ。

 ただ、転んでもただでは起きない強かさも兼ね備えている。


「……諦める事も肝要でしょうから、ここは引き下がらせて頂く。ただ、今後は」


 オクルカが協力関係を見直すと言い出しかねない雰囲気だった。

 カリオンはヒトふたりの命と引き替えに、戦争へ突入する事を覚悟した。


「如何なる相手であろうと断って頂けますか?」

「……なぜ?」

「フレミナの名誉の為に……です」

「あぁ…… なるほど……」


 その意味を理解したカリオンは、静かに首肯した。

 何度も、何度も、ゆっくりと頷いた。


「それは確実に。絶対無いと約束しましょう」

「フレミナの主が謀られたとあっては、民からの信を失ってしまう」

「……お互い、難しいですな」


 互い、立ち位置の難しさと微妙さは良くわかる。

 それを嘆きあったカリオンとオクルカは、揃ってイワオを見た。

 見事に馬を乗りこなし、大本営へと戻ってくる姿だ。


 ふと、リリスを見たカリオンは、彼女の目が優しく笑っている事に気が付いた。

 リリスにとってはイワオこそ唯一無二な血の繋がった肉親だ。

 何があっても失いたくない存在なのは間違い無いのだが……


「あっ!」


 誰かが驚いて叫んだ。

 そして、短く鋭い女の悲鳴。


 何が起きた!と辺りを確かめたカリオンは、眼下にあり得ないモノを見た。

 単騎機動しているイワオが、あろう事か投射力散界に入ってしまった。


 通常、演習で使う矢は、鏃を落とし、その代わりに綿を詰めた球を取り付ける。

 言うまでも無く、相手に当たって怪我をさせない為の配慮だ。

 だが、投射力を使って面制圧をする場面では、通常通りに鏃の付いた矢を使う。


 投射範囲をロープで囲い、そこに藁束の的人形を立たせてあるのだ。

 そこへ向かって馬で駆けながら小隊単位で矢の雨を降らせる。

 機動戦闘における飛び道具の使用は、ル・ガル騎兵の華だ。


 イワオは、その投射力が及ぶ範囲へ飛び込んでしまったのだった。


 ――ばっ! 馬鹿野郎!


 流石のカリオンも声が出なかった。

 悲鳴染みた吐息を漏らすので精一杯だった。

 そして、とにかくそこを抜けろと祈るしか無い。


 だが、不運は重なるモノだ。

 その的の範囲へ向かって既に矢が放たれていた。

 別の小隊越し故に弓を放った小隊からはイワオが見えなかったのだろう。


 ――流石にアレでは……


 ヴェアヴォルフの回復力は常軌を逸しているのだから死ぬ事はあるまい。

 だが、公衆の面前で変態してしまうのは好もしくない……


 ――イワオ!


 終わった……と、流石にカリオンも諦め駆けた時だった。


「ほぉ…… これはこれは」


 オクルカが感心したように呟いた。

 イワオは鞘ごと剣を抜き払い、飛び込んでくる鏃を全てたたき落とした。

 その見事なまでの剣捌きは、見ている者全てが惚れ惚れするようなモノだ。


 ただの一矢も当たる事無くたたき落としていた。

 それこそ、愛馬に当たりそうな矢までもだ。


 そして、剣を腰へと戻した時、一息遅れて飛んできた矢があった。

 矢雨が終わって油断した相手へ放つ時間差の矢は、恐ろしい威力を持つ。

 それ故に受ける側は残心する事が肝要なのだが……


「おっ!」

「やりますなぁ!」


 カリオンとオクルカが同時に声を上げた。

 イワオは矢を素手で捌いた。当たる直前の矢を右手で捉えたのだ。

 飛んでくる矢を捉えるなど、並の人間に出来る事では無い……


「……偶然とは恐ろしいですな」


 カリオンは率直な風を装ってそう言った。

 まさか、あの程度なら見えるよとは言えない。


 ただ、その偶然があり得ない事も無いというのをオクルカは知っている。

 幾多の戦場を駆け抜けてきた者なら、そういう偶然もあるのだと知っている。


「運の良さは折り紙付きですな」

「戦場は運の良い事が生き残る一大条件ですからな」

「その意味では……」


 オクルカは苦笑いでカリオンを見た。

 それはまさに、武人の笑みだった。


「自分はとんでもない運の塊に戦を挑んでしまったものですなぁ」


 オクルカの物言いにカリオンは苦笑いを浮かべるのが精一杯だ。

 紛れもなく本音だと思うのだが、その何処にも悔しさを感じさせないものだ。

 流石だと思うカリオンは『ありがたい限りです』と応えた。


 戦ならば勝ち負けは時の運。

 負けを引きずれば次の勝負に影を落とす。


 時には上手く切り替えねばならないのだが、それを出来る者は少ない。

 それが出来る数少ない一人が目の前にいるのだとカリオンは知った。


 ――この人物は敵に回すと厄介だ


 そう直感したカリオンは、静かに笑って再びイワオへと目を落とした。

 大本営への坂道を駆け上がってくるイワオの姿には、自信と気迫が漲った。


「ただいま戻りました!」

「ご苦労。ちょっと降られたな」

「ちょっと酷い雨でしたが、大丈夫です」


 降り掛かる矢を雨と言い切ったカリオン。

 イワオは苦笑いでそう応えた。


 そんな二人を生暖かい目で見ているリリスとコトリ。

 ただ、コトリの内心では何かが蠢いていた。

 心の奥底が熱くなって、そして、今すぐ飛び出して行きたい衝動に駆られた。


 ――いる……


 コトリは確信した。

 自分の内側にも、あの黒い狼がいるのだと気が付いた。

 危機を感じて飛び出して行く存在だ。


 ――ダメ……

 ――絶対ダメ……


 これは外に出してはいけないものだ。

 コトリはそう確信していた。

 そして、何としてでも押さえ込もうと心に決めた。


 激しい戦闘の現場においては偶発的に出てしまうものなのだろう。

 それは絶対に避けねばならないのだから……


「落ち着いているのよ?」


 見透かしたように言うリリスは、笑みを添えてコトリを見た。


「はい」


 リリスも同じなんだとコトリは気が付いた。

 厳しい人生になるんだと、改めて覚悟を決めたのだった。

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