4人だけの秘密
~承前
「どうやったこんなに……」
正視できないレベルで傷だらけになっているイワオ。
リリスはその姿に言葉を失って呆然とする。
だが、それでもその手は止まらなかった。
王の居室の最奥で、帝后であるリリス手ずからにイワオを手当てしていた。
カリオンによって手ひどい殴打を受けたイワオは、まだ気を失って眠っている。
ただ、その身体に浮き上がっていた痣や殴打痕は少しずつ消えつつあった。
恐るべき回復力を見せるイワオだが、カリオンは満足げにそれを見ていた。
「俺がバカになった時は父上が真名を呼んでくれたが……」
そう切り出したカリオンの言葉に、リリスは短く『えっ?』と驚いた。
そして、カリオンをジッと見てからイワオを見て、思案に暮れた。
「……うそでしょ?」
「いや、ジョージの家の奥でさ」
カリオンは顛末を語って聞かせた。
ザリーツァの侵入者を撃退し、完全に滅殺し、そして……
「血に酔った狼人は何をするか解らない。それを良く理解したよ」
フゥと深く溜息をこぼしたカリオンは、椅子に深く腰掛けて目を閉じた。
その脳裏に浮かぶのは、イワオを打ち据えた快感だった。
力の全てを開放して戦った訳では無い。
だが、それでも……だ。
「ウィルと練習した時に見せた全力では無いんだ。かなり力を抑えたつもりだ」
「……並の人間なら死んでるわね」
「つまり…… そう言う事さ」
「この子も……」
沈痛な言葉を吐いたリリスは、イワオの顔や身体を拭き清めた。
汗と返り血と、そして、元がなんだか解らない汚れが残っていた。
「……同じなんだ。俺と」
深い溜息をついたカリオン。
その前にコトリがワインを差し出した。
「……にいさま」
不安そうな表情のコトリは、震える声でそう呟いた。
何を恐れているのか。カリオンはそれが手に取る様に解った。
「コトリ」
カリオンはコトリの右手を取って、そこに自分の左手を合わせた。
一回り大きく厚みのある、無骨な騎兵の、男の手だ。
だが、その両手には明確な共通点があった。
爪が細く鋭く伸びているのだ。
文字通り、オオカミの様な爪だった。
「今宵、大切な事を伝えようと思う。コトリの両親についてだ」
「……エイラ様が私を可愛がってくださる理由ですか?」
「そうだ」
コトリはまだ自らが呪われた生き物である事を知らない。
それだけで無く、自分自身が持っている恐るべき秘密もだ。
物心ついた頃からエイラは人前で言い続けてきた。
夫が出掛けた先で保護したヒトの娘だと。
いつしかコトリもそれが真実だと信じていた。
そして最近では、父ゼルの私生児だと思い始めていた。
ゼルが北方征伐に出掛けた際、どこかで行きずりの女に生ませた子供。
それが自分なんだと、なんとなくそう思っていた。
父ゼルがまだヒトの世界に居た頃、レイラはその妻であったと言う。
リリスを育てたヒトの女との間に生まれたのは、リサだけだ。
――自分は半分根無し草なんだ……
そんな事を思ってきた。
変な妄想や自分に都合の良い空想に耽る事は無駄だと思ってきたのだ。
だが……
「んん……」
小さなうめき声を漏らしたイワオがゆっくりと目を開けた。
そして、目の前に居るリリスに驚いた。
「ねっ! ねぇさま!」
ビックリして飛び起きそうになったイワオは、全身の激痛に呻いた。
「いってぇ……」
「無理するな」
ふと気が付けば、そこにはカリオンが座っていた。
傍らにコトリを従え、静かにワインなど舐めていた。
「大丈夫か?」
「……身体中痛いです」
「何が起きたか覚えているか?」
「えっと……」
イワオは僅かに俯いて考え始めた。
時系列に沿って思い出そうとしているのだ。
「ジョージ様と中庭で剣の稽古をしていて――
イワオはこの日の夕暮れからを思い出し始めた
――そろそろ夕食の頃合と言うところで、誰も呼びに来なくて、で、不思議がったジョージ様が……」
首を捻ったイワオは頭を降り始めた。
なにか嫌なイメージでも沸き起こったのだろうか。
悪夢を振り払うようなその動きに、カリオンは眉を寄せた。
「どうした?」
「……お屋敷の中からジョージ様の叫び声が聞こえて、慌てて室内へと飛び込んだら、全身黒尽くめの侵入者が居て、そのうちの何人かがいっせいにジョージ様へ襲い掛かったんだ」
目を見開いて恐怖のときを思い出しているイワオは、わずかに震え始めた。
その手をリリスが取って両手を重ね落ち着かせる努力をするのだが……
「ジョージ様は奮戦し、数名を切り捨てたところで……
その言葉が途切れ、イワオは真剣に考え始めた。
「そうだ。僕が見つかって、二人ほど僕のところに来て、で、怖くなって逃げ出そうとしたとき、後ろから蹴り飛ばされて、それで、壁にぶつかって……
不意にカリオンを見たイワオは、フンフンと首を振った。
「そこから先が思い出せない」
「思い出せない?」
イワオはゆっくりと首肯した。
だが、カリオンは一気に険しい表情になった。
「何てザマだ。覚えてないで軍務が勤まるか」
ビッグストンの先輩として厳しい言葉を浴びせかけたカリオン。
イワオは消え入りそうな声で『スイマセン』と答える。
そして……
「気を失って、そして……」
「そして?」
「夢を見た気がする」
「夢?」
怪訝な声のカリオンに対し、イワオは首肯しつつ言葉を続けた。
いつの間にか震え声が収まっていた。
「侵入者に捕まって、殴られて蹴られて笑われて、その時、こう、なんて言うか」
首を捻って言葉を選び始めたイワオ。
カリオンもリリスも黙って言葉の続きを待った。
「自分の無力さに腹が立って、なんか、惨めで、この野郎!殺してやる!って心の中で思って…… その時、身体中に力が溢れかえり始めて、全身にグッと気合が入って、そして、気が付いた時には侵入者を見下ろしていて。子供の頃に母様が話してくれた寝物語の、あの巨人に変身する男の話を思い出して……」
イワオは空中にある何かを捉まえるように手を伸ばした。
虫でも捕らえる仕草のようなモノだったが……
「本当に自分が大きくなったような気がして、で、侵入者の足を捕まえて、軽々と振り回したり、壁に叩きつけたりして……」
フッと顔を上げたイワオは、罪の許しを懇願するようにカリオンを見た。
己の犯した悪行に気が付いたのか、その姿はひどく怯えていた。
「夢の中とは言え、何人殺したかわからない……」
自らの両肩を抱え、イワオはひどい混乱の真っ只中にいた。
犯した罪の重さに恐れおののき、その罪の意識に震えていたのだ。
だが……
「その後を覚えてないのか?」
「その後?」
「あぁ……」
傍らにいるコトリヘワイングラスを差しだし、もう一杯所望したカリオン。
なにも言わずにワインをサーブしたコトリは、息を呑んでカリオンを見ていた。
「自分がその後でどうなったのか。それを覚えてられないとな」
「……どうなったんですか?」
イワオは恐る恐る尋ねた。
どうしたのだろう?と興味をも持っていた。
「うーん……」
僅かに思案したカリオンだが、ニヤッと笑ってワインを一気に飲み干した。
そして、スクッと立ち上がった部屋の中程へと進み出る。
「実演した方が早そうだな」
そんなカリオンを見ていたリリスは、不安そうな表情になった。
コトリはリリスの表情に、何が起きるか知っているんだと確信した。
「ここでやるの?」
「どこでやっても一緒だよ」
「そうだけどさぁ……」
不安げなリリスの頬に手を寄せたカリオンは、おもむろに上着を投げ捨てた。
肌着一枚となった姿だが、その肌着すらもカリオンは脱ぎ捨てた。
「イワオ。落ち着いて見ていろよ?」
「はい」
どこか凄みのある笑いになったカリオン。
その顔に張り付く笑みは、自信溢れる王者のそれだった。
ただ、そこから先の出来事は、コトリもイワオも想像すら付かないモノだった。
カリオンはイワオへ向かって右手を伸ばした。イワオは無意識にその手を見た。
その視点のあった右手の手のひらの奥、カリオンの顔が変わり始めた。
「うそ……」
最初に呟いたのはコトリだった。
そのコトリを抱き寄せたリリスは、小さな声で『大丈夫』と呟いた。
「決して慌てるな」
イワオを見つめるカリオンの顔は、右半分が狼のような相貌になった。
同時に身体が膨らみ始め、その身体には黒い体毛が生え始めた。
マダラそのものであるカリオンの身体がみるみるうちに大きくなる。
「そんな…… バカな……」
「いや? 事実だぞ」
気が付けば声までもが太く轟くようなモノに変わっていた。
天井の高い王の寝室だが、その天井に届きそうな体躯のカリオン。
その姿にイワオが何かを思い出した。
「うわっ!」
「いいから落ち着け。取って喰おうって事じゃ無い」
変身を終えたカリオンは、両手を広げてイワオに姿を見せた。
ワーウルフになったイワオを遠慮なくぶちのめした存在がそこにいた。
イワオの脳裏には、恐怖の時間がうっすらと浮かび上がる。
無敵の恍惚感から一気に恐怖のどん底へとたたき落とされた時のだ。
「お前も同じことが出来るはずだぞ」
「……まさか」
「いや。出来る。出来なければおかしい」
腰に手を当てたカリオンは、イワオに『やってみろ』と促した。
ただ、いまのイワオには恐怖と後悔を思い起こさせるものでしかない。
「意識を集中しろ。自分の全てを支配下に置くんだ。心の中に居るもう一人の自分を呼び出し、その力を取り上げろ。力だけだぞ? ガタガタ言い出したら押さえ込め。グダグダ文句を言うならぶちのめしてやれ!」
オオカミの風貌でニヤリと笑ったカリオン。
その手に導かれるように立ち上がったイワオは、部屋の中央に進み出た。
「……どうやれば」
「やり方は自分で見つけるしかない。だが……」
「だが?」
「我を忘れたら、また俺が止めてやる。ただ、遠慮なくぶちのめすけどな」
ハハハと笑ったカリオン。
殴られたくないイワオは、気合いを入れて意識を集中した。
「心の中に何かが居る……」
「そいつだよ。お前を乗っ取った奴だ」
「え?」
「俺もお前も、ひとつの身体に2つの心があるのさ」
それはイワオ自信が気が付かないもの、広大な潜在意識の広がりに居る存在だ。
普段は意識することの無い、無意識の中に潜む悪魔と言って良いもの。
「やっ! やめろ!」
悲鳴じみた声をあげたイワオは、急に怯えた顔になった。
自らの犯した行為が一気にフラッシュバックしてきた。
「ウソだっ! ウソだよっ!」
頭を振って嫌なイメージを追い出そうと頑張るイワオ。
だが、その脳裏に浮かぶモノは、まるでノミでも押しつぶす様な自らの行いだ。
スペンサー卿宅への侵入者を追い込み、その足をつまんで振り回す。
壁に叩き付けられた侵入者は、脳髄を撒き散らして即死した。
そして尚も侵入者達を追いかけ回し、つまんでいた侵入者の遺骸でスマッシュ。
夥しい肉片や体液が飛び散り、幾人もの侵入者が即死していた。
ただ、その隙を突いて襲い掛かってくる者達が居たのだった。
心の奥底に押し込められたイワオの精神は『逃げろ!』と叫んだのだが……
「なんで逃げないんだよ……」
「戦うのが仕事だからな」
「でもっ!」
抗議染みた声を上げるイワオだが、カリオンは傲岸な態度で見下ろしていた。
巨躯となったカリオンの姿に、イワオはただただ恐れ慄くだけだ。
だが、それと同時に心の中のどこかで、何かが燃え上がり始めた。
それは、悔しさとか腹立たしさと言った負の感情だった。
負けたという事実を受け容れたくない。
まだ負けていないし、ここからでも勝てば良い。
心の奥底で何かが叫ぶ。
――――カチタイカ?
勝ちたい。それは、イワオが定常的に考えている事だった。
ヒトと言うだけで、ビッグストンの中でも一段軽い扱いなのは事実だった。
実績を積み、実力を身に付け、見返してやるという負けん気に支えられてきた。
そんなイワオをそそのかす様に、心の奥底の何かが囁いていた。
――――ナラ、カタセテヤロウ
「うるさいっ! 黙れ!」
――――オマエノミカタダ
――――ゼンブコワシテシマエ
イワオは己のウチに潜む何かと戦い始めた。
それはつまり、ふとした時に姿を現す破壊衝動だ。
俗に『キレる』と表現するもの。
理性では御しきれぬ、本音の部分でもある。
つまり、勝ちたいと言う欲求で有り、相手を見下したいという精神の発露だ。
相手を打ち負かし、必死で命乞いをさせてみたい。そんな薄汚れた承認欲求。
大きな声では言えない、どちらかと言えば恥ずかしい部分。
恥とされる部分を開けっ広げにしてしまう事でもあった。
「あっ!」
イワオは何かを掴んだ。それは、言葉では説明出来ないモノだった。
多分に感覚的なモノでしか無い事だが、それは多くに共通する事でもある。
「こうだ!」
イワオは一気に変身を始めた。
身体に巻いた包帯などを引きちぎり、カリオンに負けないサイズになった。
その光景を見たコトリが『ヒィッ!』と悲鳴を上げる。
リリスはコトリを抱き寄せたのだが、特に驚く様すも無かった。
「イワオも一人前かな」
軽い調子でそう言ったリリス。
ただ、カリオンは冷静な声で言った。
「まだ灰色だ」
イワオは力に酔っていた。
身体のウチから沸き起こる無敵感と全能感だ。
全てを粉砕して突き進めると言う安心感のようなモノ。
だが、その目の前には自らを滅ぼしかけた存在が居た。
イワオの精神はそれに沸騰した。そして、倒すべき存在だと認識する。
「ガァァッ!」
イワオは正面からつかみに行き、カリオンはその腕を悠然と掴んだ。
二人はガシッ!と鈍い音を立てて両手を真正面からつかみ合った。
力比べに入る体制だが、イワオ渾身の力をカリオンは難なくねじ伏せた。
「そんなモンじゃ無いぞ! もっと! もっとだ!」
イワオを煽るカリオンは、勝ち誇った様な声で言った。
その声にイラッとしたイワオは、より深く力を呼び出した。
上手くは表現出来ないが、心の内にいるもう一人の自分を呼び出すのだ。
「おぉ!その調子だ!」
カリオンが歓声を上げる。
イワオはまるで山を転げ落ちる大岩のように暴力的な力を見せた。
「イワオ。力が同じなら勝負を分けるのはなんだと思う?」
「気合と根性ですか?」
スパッと答えたイワオの言葉にカリオンがニヤリと笑う。
それはビッグストンで教えられる騎兵教育の第一歩だからだ。
騎兵の行軍は辛く苦しい。その行軍に耐えられる根性を養う。
ビッグストンでの教育は、まずそこから始まるのだった。
「相手にも同じだけ気合と根性があったら困らないか?」
カリオンの言葉にハッとした表情を浮かべたイワオ。
どんな状況でも、それこそ全身全霊の力を注いでいる状況でも。
騎兵は常に冷静で沈着でなければならない。
それこそが勝ちを得られる最善手なのだ。
「じゃぁどうすれば?」
全身全霊の力を込めてカリオンに対抗しつつ、イワオはそう尋ねた。
知っているなら答えを教えてくれよ。そんな言葉を必死に飲み込みながら。
だが、カリオンは狼の顔をニヤリとさせて黙ったままだ。
まずは自分で考えるということが何よりも大事なのだ。
「それを考えるのが騎兵の仕事だ」
「……そうですね」
「大事なのは3つ。常識にとらわれない。実績を過信しない……」
カリオンはイワオの腕をぐるりと回し、下から締め上げた。
単純な力比べならばカリオンに部がある。そんな印象だ。
「もう一つは?」
「簡単だよ。難しく考える事はない」
「難しく?」
「そうさ」
下回しになった腕をぐっと締め上げ、イワオの肘を折にかかったカリオン。
その激しい痛みにイワオは悲鳴をあげそうになるのだが。
「さぁ、押し返せ! お前なら出来る!」
カリオンに発破を掛けられイワオは奥歯をぐっと噛んだ。
負けるわけにはいかない勝負だ。
「フンッ!」
イワオがグッと力を込め、灰色の体毛がグッと濃くなり始めた。
気合いの入れ方が変わったのか、イワオはより深くヴェアヴォルフに近付いた。
「そうだっ! いいぞ! その調子だ!」
カリオンの声に導かれ、イワオは完全に変態した。
全身を黒い毛並みに覆われた、ヴェアヴォルフの姿だ。
「どうでも良いけど埃っぽい! ここは寝室よ!」
ふたりして盛り上がっていた場だが、リリスは右手を振って埃を払った。
激しい力比べを行った結果、石積みな城の外壁から埃が落ちたらしい。
不意にカリオンが力を緩め、パッと離れた。
つんのめった様に前へと倒れかけたイワオだが……
「大事なのは元に戻ると言う事だ。心を落ち着かせて、冷静に冷静に」
カリオンはスーッと音を立てる様に小さな姿へと戻っていった。
あれだけ伸びていた体毛や牙が収まり、元のマダラな姿になる。
「……どうやれば」
「一番幸せな時を思い出してみろ」
「幸せな時?」
「そうだ。なんだって良い。寝床の上でコトリを抱き締めている時とかな」
いきなり微妙な事を言い出したカリオンの姿に、コトリが少しだけ慌てる。
だが、似たような境遇の男女なら、それこそ樹から林檎が落ちるようなモノだ。
「コトリ……」
イワオは大袈裟に首を回してコトリを見た。
視界に捉えたコトリの姿は、恐怖に震えているようだった。
――怖がらせている……
それが何とも悔しくて腹立たしくて、イワオは心の内で悪態を吐いた。
今すぐ出て行けと言わんばかりに追い払ったのだ。もう一人の自分を。
「おぉ! 出来るじゃ無いか!」
カリオンは歓声を上げ、リリスはホッとした表情を浮かべた。
スルスルと小さくなっていったイワオは、全身の怪我が治った状態だった。
「イワオ。今から大事な事を言う。絶対に忘れるな」
コクリと首肯したイワオに対し、カリオンは最強に真剣な表情を浮かべた。
まるで戦闘中と言わんばかりの姿だが、迷う事無くカリオンはそうしていた。
「人前でそれをやるな 力に溺れるな 先ずは騎兵として一人前になれ」
「はい」
「化けもの討伐などしたくないんだ。自分の為にその力を使うな」
「……はい」
振り返ったカリオンはコトリとリリスを呼び寄せた。
寝室の奥にある小さなテーブルを囲むように4人が並んだ。
「本来ならコトリには母上が話をするべきなのだろうし、イワオもそれを聞くべき相手は肉親のはずだが、残念なことに全て遠行してしまったから」
カリオンがアイコンタクトしたリリスは、殊更に悲しそうな顔をした。
その表情にイワオもコトリも重くて厳しい話を覚悟する。
ひとつ息を吐いたカリオンは、心を整えてから説明を始めた。
「過日、と言っても俺が生まれる前の話だ。この世界にヒトの世界から一組の男女が落ちてきた。後にゼルとレイラと呼ばれることになる夫婦だ。夫の方はシュサ帝の娘エイラが保護し、妻の方は紆余曲折あってシュサ帝の宰相が保護した……」
カリオンはそこから切り出した。
双方様々に経験を積み重ね、少しずつこの世界に居場所を作ったと話した。
「ゼルとエイラの夫婦には跡継ぎが求められていた。その存在が都合悪い者達による妨害があり、早い時期にゼルは命を落とした。内容的には不幸な事故だったが、心労が積み重なっていたんじゃ無いかと今さらに思うよ……」
その死を予見していたとは、さすがのカリオンも言えなかった。
だが、その先は遠慮する事はなかった。それはつまり、自らの真実だから。
「その死の後、太陽王の娘エイラは決断を迫られた。跡継ぎの存在がなければ太陽王は絶える。そうなれば新たな王朝をと動き出すものが現れる。どうしてもそれを避けたかった。そして……」
薄笑いでコトリを見たカリオンは、ため息をひとつこぼして下を向いた。
それは、コトリやイワオが見たことの無い、うちひしがれる姿だった。
「エイラは人間を辞めた。ヒトの世界から落ちてきた男もまた、ヒトである事を辞めた。太古からの魔導を受け継ぐウィルケアルヴェルティは、その膨大な魔法薬の中から種族の壁を越えて子を成せる秘薬を用意した。男女が揃って飲むその秘薬は、イヌとヒトの間でも子を成すものだ。ただ、生まれてくる子がどんな生物かは誰も解らなかった」
あまりに衝撃的な言葉を吐いたカリオン。
コトリもイワオも、その生まれてきた子供が太陽王カリオンだと知った。
そして、その呪われた出自に言葉を失った。
「そのエイラの生んだ最初の子が俺だ。そして、二番目に生まれたのが……」
カリオンは黙ってコトリを指差した。
驚天動地の真実を告げられたコトリは、唖然としたままだった。
「うそ…… うそ…… 信じられない」
「そう思うだろうが、真実なんだ。学校に帰ったら母上に聞いてみるといい」
「でも……」
「人前で聞くなよ? それと、情報の取り扱いに注意しろ」
「はい……」
自分の両手をじっと見たコトリは、言葉を失っていた。
あまりにも衝撃的な言葉を聞いたせいか、なかば放心状態だった。
「俺はマダラに生まれた。だか、中身はイヌでもヒトでもない。全く正体のわからないあり得ない生物だろう。お前もそうだ。コトリもそうなんだ。ただ、お前はヒトの色が濃い。その為に苦労するだろうが…… 母上を怨むなよ」
カリオンの言葉にコクリと首肯したコトリ。
そんなコトリを見つつも、イワオは正体が抜けたように呆然としている。
「お前もそうなんだぞ」
「え?」
「色々あってレイラさんを保護したカウリ叔父さんは……」
「その話は父上から聞きました」
「なら、もう解るだろう」
「……はい」
何と表現して良いのかイワオには感情がわき起こった。
言葉にならない、出来ない思いを抱え混乱している状態だった。
根無し草だと思っていた自分の正体をイワオは初めて知ったのだ。
「ビッグストンから家に帰ったら、皆が待っていてくれて……」
「お前はサウリクル・アージンの家を預かっているようなものだ」
「この先どうしたら良いでしょうか?」
「それはこれから決めれば良い」
静かに笑ったカリオンはコトリに『ワインを持って来い』と目で指示した。
その僅かな機微で意図を理解したコトリは、全員分のワインを用意して配った。
「ここに居る4人は、姿こそ違えど中身は同じ生き物だ。つまり、俺にとっては本当の家族だ。この4人の秘密が外に漏れないよう、最大限注意しろ。それと、コトリもイワオも特に注意して欲しいんだが……」
困った様な顔になったカリオンは小声で囁いた。
明るい場所では言えない事だった。
「まかり間違ってイヌと恋に落ちても迂闊に性交に及ぶな。ヒトが性的な遊び道具にされている現状では難しいかもしれないが……」
実際の話として、イヌの貴族夫婦が若いヒトを用意するのは良くある話だ。
性的な遊び道具として、奴隷商から買い求めるなんてのは、なにも珍しくない。
ましてやイワオもコトリも出がはっきりしているのだ。
金に糸目を付けず欲しがる者はいくらでも居るだろう。
性的な倒錯の果てに、幼い男児を買い求める変態貴族は掃いて捨てる程いる。
「……仮にいきなり押し倒されでもしたら、容赦なく殺してしまえ。後は俺が何とかしてやる。何も心配要らない。いいな?」
イワオはコトリと顔を見合わせてから、小さく首肯した。
それを確かめたカリオンはグラスをかざした。
「4人だけの秘密に乾杯だ」
カチンとグラスを鳴らし、上手そうに飲み干したカリオン。
コトリはそのグラスに再びワインをサーブした。
「俺が知りうる限りの話をしておこう。今夜は長くなるぞ」
いつもとは違う饒舌なカリオンがそこにいた。
長らく黙って来た分だけ、言いたい事が多かったのだろう。
深夜遅くまで続いたカリオンの話をイワオとコトリは真剣に聞いていた。
このふたりの世界が動き出した、最初の夜だった。