もう一人の覚醒者
~承前
その空気を一言でいうなら『地獄』だ。
スペンサー卿の屋敷からは、目に見えないオーラが立ち上っているようだ。
カリオンはオクルカと共に、スペンサー宅前へと足を運んだ。
だが、ふたりはその邸宅の前で立ち尽くしていた。
館を前にして立っている二人の足は、カタカタと震えていたのだ。
カリオンもオクルカも、幾多の戦場を駆け抜けてきたはずだ。
だが、そんな二人が立ち尽くしたのだ。
それだけで既に尋常ならざる事態だか……
「なんだこれ……」
「……恐ろしいものの気配ですな」
ふたりして顔を見合わせ顔を顰める。
まるで静電気の様に、身体の表面をわさわさと何かが走っていく。
それは、殺気だったり、或いは妖気と言われるモノの類いだ。
この邸宅の周囲には、身の毛もよだつ気配があるのだ。
「行きましょう」
「そうですな」
一歩踏み出したカリオンは、早速の死体に面食らう。
立派な設えの門前には、不寝番となるはずの衛兵が息絶えていた。
油断していた一瞬を突かれ、頸動脈をスパッとやられた様だ。
「……手練れですな」
一言だけ呟いたオクルカは、そっと黒太刀を抜き放った。
フレミナに伝わる三種の神器のひとつだ。
――禍々しい……
その姿を見たカリオンは、胸中でそう呟いた。
黒太刀の周辺に、苦悶の表情を浮かべる霧が見えたのだ。
この太刀は、斬った相手の命その物を吸い込むのだという。
僅かな傷であっても、その隙間から生命力その物を吸い出してしまう魔剣だ。
「オクルカ殿。ここから先は私が一人で」
「そうは行きませぬ。太陽王を単騎で送り込むなど騎士の名折れ」
ニヤリと笑ってカリオンを見たオクルカ。
その顔は恐怖の色を微塵も見せずに居るヴェテラン騎兵だった。
「さぁ、参りましょうぞ」
「……先輩には敵いませんな」
「わっはっはっは!」
高笑いと共に衛兵の死体を踏み越えたオクルカは、振り返って叫んだ。
「ビッグストンの男は恐怖を知らぬもの!」
その言葉に当てられたのか、カリオンも腰のレイピアを抜き放って歩く。
それはかつて、太陽王シュサがワタラに与えた片刃の刀だった。
「そうですな!」
「例え敵は幾万騎とて!」
「我こそ征かん! 国家の為に!」
ふたりしてワッハッハッ!と笑いだし、スペンサー宅へと突入した。
鬼が出るか蛇が出るか。それは行ってみなければ解らない。
「王陛下! 危険ですぞ!」
街の警備担当が色めき立つ。
彼らも騎兵ではあるが、近衛連隊などには配属されなかった者達だ。
つまり、剣技や実力で劣るのだが、忠誠心だけは篤いのだ。
「心配ない。この世界でも指折りの実力者がここに2名居るのだ」
鷹揚とした背中で敷地へと入っていくカリオンは、衛兵を下がらせた。
その数歩前には、剣を構えるオクルカが歩いていたのだ。
何の心配も無いと本気でカリオンは思っている。
そして、対処出来ねば死ぬだけだ……と。
「何とも酷いですな」
「これは少々目に余る」
その惨状は目を覆いたくもなるものだった。
スペンサー宅にいた者達は、一様に鋭い刃物で絶命せしめられていた。
接近に全く気が付かなかったのか、油断しきった表情の者が多い。
一撃で首を跳ねられ、苦悶の表情を浮かべる余裕すら無かったのだろう。
「……血の臭いが」
「濃くなってきましたな……」
オクルカは足運びの気配を消した。
その振る舞いはまるでアサシンだとカリオンは思った。
暗殺を稼業とする細作のようでもあるが。
――気配が無い……
カリオンは息をのんでいた。
オクルカが見せた実力の一端は、己を遥かに越えるものだった。
こんな相手とやりあっていたのかと驚くカリオンだが、同時に喜んでもいた。
強い敵と合間見えるのは騎士の本懐であり、また、本望でもある。
戦って死ぬ。
騎士に限らず凡そ騎兵と言う生き物は、大なり小なりそんな願望を持っていた。
「妙ですな」
「……と、言いますと?」
「衛兵の顔が驚いています」
オクルカの指摘にカリオンは唸った。
先程まで見ていた衛兵たちの表情は、どれも穏やかだった。
驚いたり、或いは、嘆いたりする様子が一切無い状態だった。
だが、屋敷へと入り廊下を進んで行くと、衛兵たちの様子が一変した。
驚きの表情のまま事切れているのは、振り返りざまに一刀で命絶たれたらしい。
「手練と言うには手口が荒いな」
カリオンはボソリとそんな事を呟いた。
まるで慌てて走りながら剣を交わしたかのようだ。
一体何が起きたのだ?と怪訝な表情になったカリオン。
オクルカもまた警戒を崩していなかった。
「ん?」
ふと立ち止まったオクルカは、カリオンを手で制して口へ手を当てた。
静粛を求めるそのジェスチャーに、荒い息をカリオンが押さえ込んだ。
――――グオォォォォ!
それは、聞いた事の無い野獣の咆哮だった。
建物自体がビリビリと共振するかのような大音声だ。
まだだいぶ遠くに居るはずなのに、その気配はすぐ目の前にあった。
「……なんでしょうか」
カリオンは全部承知でそんな言葉を吐いた。
この気配はイワオだと、口に出さずとも解っていた。
ただ、オクルカをどうするか?それが問題だった。
「わかりません……」
このオクルカは、あの勇猛果敢で鳴るフレミナの北方騎兵団を率いる男の筈。
だが、いまこの状況を前にしたオクルカは、遠慮なく臆した姿を見せていた。
それは、カリオンへの信頼で有り、また、形の違う忠誠の証なのだろう。
だが……
「とりあえず、行ってみましょう。退路を確保しながら」
「無用な蛮勇は無益ですからな」
「同感です」
二人並んで廊下を歩いて行く。
その途中で、廊下の奥から激しい音が響いていた。
何かを振り回す音。
何かを叩き付ける音。
何かを引き裂く様な音。
そして
――――たすけてくれぇぇぇぇ!!!!
廊下の奥から聞こえたのは、断末魔の絶叫と助けを求める声だった。
それはまるで、肺腑の奥底に残る極々僅かな空気までも吐き出すかの様だ。
ふと気が付けば、オクルカは足が止まっていた。
理論や理屈では無い。経験と実践の繰り返しで身に付けたモノでは無い。
騎兵の直感として。命のやり取りの現場に居た者が持つ本能として。
――コレイジョウ ススムナ
脳内に居る誰かが精一杯の悲鳴を添えて叫んでいるかの様だった。
「……躊躇しますね」
カリオンは率直な言葉を吐いた。
誤魔化す意図は無く、ただ単純にそう思っただけだ。
「恐ろしいですな……」
オクルカは恥じる事無く率直にそう言った。
この先に居るのは、とんでもない化け物だ。
その姿や能力は解らぬが……
「オクルカ殿」
カリオンは声音を変えてオクルカを呼んだ。
「いかに?」
「まことに申し訳ありませぬが……」
小さく息を吐いたカリオンは目を閉じた。
何かを言おうとしているその姿に、オクルカは突入命令を覚悟した。
この先へと突入し、偵察してこい。
太陽王の命に逆らうつもりは無いが……
少なくとも、そんな命は歓迎しかねる。
「偵察ですか?」
最大限オブラートに来るんで拒否の意を示したオクルカ。
カリオンは怪訝な顔になって頷いた。
「然様です。私はこの先を偵察する。オクルカ殿には増援手配をお願いしたい」
「……はい?」
思わず声が裏返ったオクルカ。
カリオンが口にした言葉は、想像の全く逆だった。
「いや、ですから、オクルカ殿は今すぐここを離れ、屯所から増援を呼んできて」
「……王よ」
オクルカは呆気にとられてカリオンを見てた。
それはまさに、鳩が豆鉄砲を喰らった顔というものだった。
「……何か変な事を言いましたか?」
「いや……」
オクルカはここで初めてカリオンの器を知った。
己とは比較にならぬ大きな器だ。
人間的な大きさや度量の広さだけで無い。
それは、騎士にとって必要不可欠な精神の発露だった。
自己犠牲や忍耐と言ったモノだけで無く、危険を前に自らを奮い立たせる意識。
部下を率いて戦線を駆け巡る指揮官は、コレが無ければ勤まらない。
この男に命を預けるんだ。この男となら死んでも良い。
部下にそんな夢を見させるだけの人間でなければ、指揮官たり得ない。
「急ぎ戻ります。決して――
オクルカはカリオンに心酔した。
自らよりも若いとか、かつての敵だったとか、そんな事は頭から消えた。
ただただ、民衆を率い、その安寧に心を砕く一人の王に酔ったのだ。
――決して無理されませぬよう」
「心遣いかたじけない。だが、ビッグストン騎兵に撤退の二文字はありませぬ」
ニコリと笑ったカリオンの笑みは、何とも爽やかなモノだった。
玉座の上でふんぞり返っているだけの薄っぺらい王では無い。
部下と共に死線を潜って来た歴戦の武王がそこに居た。
「……ですが、王は民衆の前に立つ最後の砦ですぞ」
迂闊な事をするなとオクルカは釘を刺した。
まだ若いカリオンは、勝ち気に逸り無理をするかも知れない。
或いは、功を焦って蛮勇に駆られるかも知れない。
誰かが止めねばいけないのだ。
気を落ち着かせ、大局的に判断させねばならない。
そう危機を感じたオクルカが叫んだ。
カリオンは苦笑いを浮かべて首肯した。
「その通りですな」
「……では」
オクルカは抜き身の剣を持ったまま廊下を走って戻っていった。
迷う事無く、振り返る事無く、一心一意の姿だった。
――あの足では時間が無いな……
カリオンは怪訝な顔でそれを見ていた。
急がねばならぬと廊下と突き進んでいく。
幾枚かの扉を通り抜け、大広間へと出たカリオン。
その大広間は大惨事になっていた。
――イワオめ
目のやり場に困るレベルの惨状だ。
壁には強い力で叩き付けられた侵入者が刺さっていた。
文字通りに刺さっていたのだ。
そしてその向こうには、壁に叩きつけられ原形を留めてない侵入者の姿がある。
体内にあったもの全てを撒き散らしたかのような、凄惨な姿だ。
ただ、その配置には一定の法則があった。
大広間の中を歩いたカリオンは、両腕を振って確かめた。
――ここで左手に居た侵入者を裏拳で吹き飛ばしている
――ここで侵入者を捕らえ、足を持って振り回している
――ここで正面の侵入者を上から叩き潰している
そのサイズ感や動きの制約は我が事の様に良く分かる。
覚醒したカリオンは同じように大暴れしたからだ。
「ジョージ!」
カリオンは迷う事無く大声を張り上げた。
ジョージが生きていれば良いが……
大広間を抜け奥の間へと入ったカリオンは、呆気に取られ立ち尽くした。
低い天井に頭をつかえさせる巨大なワーウルフの背が見えたのだ。
背中を見せてうずくまるワーウルフは何かを行なっている。
その傍らには見覚えのある男が寝転がっていた。
――ジョージ!
目を見開いて驚いたカリオン。
ジョージスペンサーは壁際でグッタリと動かなくなっていた。
ただ、その腹が動いているのだから呼吸はしているらしい。
――まだ死んでないな……
僅かに安心したカリオンだが、問題は目の前にいるワーウルフだった。
「イワオ!」
カリオンは大声で叫んだ。その声を聞いたワーウルフは一瞬だけ動きを止めた。
だが、次の瞬間、手近に転がっていた死体を掴み、カリオンへと投げつけた。
「馬鹿者! 何をやっているんだ! イワオ!」
カリオンの言葉にビクリと反応を示すワーウルフがゆっくりと振り返った。
奈落の底の様な漆黒の瞳には魔性の色が浮き上がっている。
そして、その口の周りには、鮮血がこびりついていた。
――喰っている……
――死体を喰っている……
目を見開いて驚くカリオンだが、ワーウルフは気にする事無く食事を再開した。
絶命した侵入者を鷲づかみにしてから鎧を力づくで剥ぎ取り、口へと運ぶ。
巨大な口へ一飲みにされた侵入者の遺骸は、バキリボキリと賑やかな音を放つ。
クチャクチャと咀嚼する音と同時に、濃密な血の臭いが部屋を漂った。
カリオンを気に止める事無く、ワーウルフは食事を続けていた。
――血に酔ってるんだ……
カリオンが推察したとおり、ワーウルフはボリボリと遺骸を食べ続けた。
無敵の力を得た自分の力に酔い、侵入者を食べ続けていた。
「おぃ! 何をしているんだ! 目を覚ませ!」
カリオンは必死で大声を張り上げた。
だが、ワーウルフは気にする事無く食事を続けている。
僅かにイラッとしたカリオンは、迷う事無くレイピアを背中に突き刺した。
この程度ならどうと言う事は無い傷の筈だった。
だが……
「ジャマヲスルナ」
まるで深い穴の奥底から轟くような声が漏れた。
食事の邪魔をされたワーウルフは唸り声を上げ振り返った。
振り返ると同時に、上半分が無い遺骸をカリオンへと投げつけた。
その遺骸をカリオンは難なく交わし、それは物凄い音を立てて壁に激突した。
まるでゼリーの様に弾けて潰れた遺骸は、痩せぎすの男だった。
――そうか……
カリオンは気が付いた。あの時に自分が止まったのは真名を呼ばれたからだ。
本当の身内しか知らない真名を呼んだのは、血の繋がった父親だった。
巨大なヴェアヴォルフを前に、臆する事も慄く事もなく立ちはだかったゼル。
その自信ありげな姿と鋭い叱責は、幼い日々の気持ちを思い出させたのだ。
だが、イワオは違う。
真名のまま育ち、真名のままに生きている。
――違う名を用意するようだな……
なんとなくそんな事を思っていたのだが。
「オマエヲクッテヤル」
グルルルルと低く唸るワーウルフは、歯を剥いて威嚇した。
まるで野犬がそうするように、精一杯の威嚇を見せたのだ。
「そうか。面白い。やってみろ。受けてやろう」
徴発するようなカリオンの物言いにワーウルフは立ち上がった。
天上の低い室内でだが、ワーウルフはカリオンを見下ろしていた。
――笑ってやがる……
ワーウルフはニヤリと笑ってカリオンを見ていた。
その姿はイワオとは似ても似付かぬ姿だった。
――さて……
――どうしてくれるか……
一瞬だけ意識を切って思慮を巡らせたカリオン。
その一瞬の油断目掛け、太くて逞しい腕が伸びてきた。
咄嗟のテイクバックでそれを躱したカリオンだが……
「グォオォォォ!!」
躱した姿が気に入らないのか、ワーウルフは轟く様な雄叫びを上げた。
身体中がビリビリと痺れる様な、強烈な叫び声だ。
――こりゃ凄いな……
カリオンは思わずニヤリと笑う。
余裕を見せている場合じゃないのは分かっているのだが、笑ってしまうのだ。
巨大な腕が物凄い速度で襲い掛かってくる。その圧倒的破壊力が楽しいのだ。
そして、ここに自分と同じ生き物が存在するうれしさを感じた。
間違い無く肉親だと、そう思ったのだ。
その全てを寸前で見切ってかわすカリオンだが、ワーウルフは諦めない。
次々にこぶしを振り、カリオンを捉えようと、殴ろうとしている。
だが……
「まだまだだな。もっと鍛えろ」
カリオンの声が変わった。
一瞬だけ動きを止めたワーウルフは、気を入れなおして襲い掛かる。
だが、その全てをかわしたカリオンは、壁の上に立っていた。
「お前の力はそんなもんじゃないぞ。どうした?」
床から飛び上がったカリオンは、壁面に両脚をつけ、斜めに立っていた。
物理法則を無視しているが、ワーウルフそれを理解出来るような状態ではない。
冷静さを失っているワーウルフは、不機嫌そうに唸り声を上げて威嚇している。
そのワーウルフの正体を知っているからこそ、カリオンは挑発し続けた。
もっと怒れ。
もっと興奮しろ。
もっと、もっとだ。
そして限界を超えろ
本能ではなく自らの意志の下のその力を押さえ込めるようになるまで……だ。
――父上は……
ふと、カリオンは自らが覚醒した時を思い出した。
ワーウルフを挑発しつつ、鋭い怒声で叱り付けた父ゼルの姿を思い出したのだ。
どれ程の恐怖と狼狽があったのだろうか。
その内心にカリオンは思いを馳せた。
そして、ここで怯むわけにはいかないと思った。
同じようにしないと。あの時と同じように、覚醒しきらないと。
――まずはイワオをつれて返らねばなるまい……
血に餓えたヴェアヴォルフのままではいかんのだ。
その力を支配下に置き、自由に使いこなせないとダメなのだ。
力と血の味と暴力の快楽に溺れているうちは……
カリオンはつくづくと、父ゼルの偉大さを痛感した。
そして、ワーウルフの伸ばしてきた右腕を軽く払いのけた。
力を入れて踏ん張りぬく程ではないが、それなりの威力だ。
その仕返しに、右足を振りぬいてワーウルフの腹部を蹴った。
巨大なワーウルフの身体がくの字に曲がり、数歩下がって驚いた顔をしていた。
ただ、気を取り直したのか、再びカリオンへと襲い掛かってきたのだ。
カリオンはニヤリと笑って数歩テイクバックした。
そして同時に、上半身へ纏っていたものを脱ぎ捨てた。
鍛え上げられた上半身が露わになったカリオン。
そこ目掛けて襲い掛かってきたワーウルフの足が止まった。
細身で筋肉質なカリオンだが、その身体がグッとふくらみ始めたのだ。
「さて、遊ぼうじゃないか」
ニヤリと笑ったカリオン。
だが、その顔の左半分が巨大な狼の風貌となっていた。
「狼人なのは…… お前だけじゃないんだぞ」
数段優速な踏み込みを見せたカリオンは、力一杯に裏拳を入れた。
ワーウルフの巨大な身体が吹飛び、壁に叩きつけられていた。
「悪い子は叱られるのさ…… 覚悟しろよ?」
僅かにグロッキーさを見せたのだが、カリオンは躊躇しなかった。
いきなり急接近を見せ、両腕の拳を使ってつるべ打ちに撃ち込んだ。
ズンズンと鈍い音が幾つも響き、吹っ飛んだワーウルフは壁を突き破った。
「どうだ? 痛いか?」
カリオンの言葉を聞いたのか、ワーウルフは猛烈な咆哮を上げた。
そして、飛び起きて姿勢を決めると、隣の部屋からカリオンへ襲い掛かった。
だが、その速度を凌ぐカリオンの一撃が決まる。
低い姿勢から蹴りを放ったカリオンは、ワーウルフの身体をくの字に曲げた。
背骨を圧し折りかけた一撃が決まり、ワーウルフは鮮血を吐いて床に倒れる。
だが、カリオンは躊躇する事無くその頭を強引にあげ、拳の一撃を入れた。
「どうした? まだ遊び足りないだろ? 立て、立つんだ」
力づくでワーウルフを引き上げたカリオン。
その力量の差は明確で、ワーウルフは明らかに怯え始めた。
だが、カリオンには容赦も寛容もなかった。
そこにあるのは、ただただ絶望的な実力差だった。
「さぁ立て。拳を握れ。敵を打ち据えろ。力づくで屈服させるんだ」
カリオンの拳が唸りをあげた。
まだヴェアヴォルフの姿にすらなっていない筈だが……
「どうした! さぁ!」
カリオンの拳がワーウルフのみぞおちを強打した。
何かどす黒いものを吐き出して、ワーウルフはうずくまった。
そのワーウルフをボールの様に蹴り上げたカリオンは、キックの連打だ。
血と共に何かが幾つも飛び散って行くのだが……
「……ここまでか」
意識を失ったらしいワーウルフは、そのまま倒れて動かなくなった。
ややあって白い煙を漂わせながら縮んで行き、イワオの姿へと戻った。
顔中に殴打の跡を残し、身体には痣が残っている。
だが、命に別状は無いと思われる姿だった。
――力の制御を教えないと危ないな
カリオンはそう危惧しつつも、イワオを抱きかかえて持ち上げた。
その直後、背後からドヤドヤと幾人もの足音が聞こえた。
「王よ!」
完全武装で現れた騎兵団所属の剣士隊は、抜き身の太刀を抜き放っていた。
凡そ20人ほどの集団である剣士隊は、オクルカと共に現れたのだった。
「ご無事でなにより!」
「お手間をおかけしましたな」
イワオを抱えたままカリオンは大広間へと戻った。
傷だらけな姿のイワオに皆がいたわりの言葉を掛ける。
カリオンはその言葉を聞き流して、手近な椅子へとイワオを寝かせた。
「恐ろしいものを見たよ」
僅かに震える声でカリオンは言った。
迫真の演技だと内心で笑いながら。
「いかがされましたか?」
「フレミナの侵入者がひとり、恐るべきバケモノに姿を変えた」
「バケモノ?」
「見上げるほどの身の丈になったあれは、巨大なオオカミだった」
「……そのような危険な敵に!」
剣士隊の誰もが次々に抗議の声を上げた。
仮にも王と呼ばれる存在が軽はずみな行為だと誹られたのだ。
だが……
「あれが二人も三人も居ればさだめし危険であったろうが――
床へと投げ捨てたレイピアを鞘へと戻したカリオンは笑って言った
自信溢れる立派な姿だった
――祖父シュサ帝より頂いたこの剣があれば、余は無敵だ。心配ない」
オクルカを含め剣士隊の誰もがあきれ返る中、カリオンは静かに笑っていた。
そして、脱ぎ捨てた上着を肩に掛け言った。
「ジョージを診療所へと運べ。イワオは今宵、余が預かる。よいな」
誰一人として反対意見を言わせぬ迫力を見せたカリオン。
アチコチがボロボロになったスペンサー宅の修理はこれからだった。