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逆鱗

「思ったより良い天気だな」


 カリオンは馬上にて笑っていた。

 ここ数日は雨が続き、暑さも和らいでいた。

 だが、この日は朝から抜ける様な夏空だ。


 きっと暑くなる。

 そんな天気だ。


「今は良いけど帰りが大変そう」


 カリオンの隣。同じく馬に乗ったリリスも笑っている。

 暑い季節の馬車は動くサウナだ。中に入っていれば暑さに参ってしまう。

 それ故、リリスも馬を選択していた。


 公式なお出掛けで有ればそれなりに着飾るのも仕事のウチ。

 だが、なかばプライベートでの外出とあらば、乗馬服で出歩ける。


「コトリ。大丈夫かい?」


 カリオンのやや後方。コトリは初めて一人で馬に乗っていた。

 騎兵総長でもあるジョージが付いて、アレコレとアドバイスしている。

 その後ろではエリートガードの10騎ほどに混じりイワオが馬上にあった。


「はい。おかげさまで」


 帝后の付き人たるならば馬に乗れない様では困る。

 そんな配慮をカリオンが見せた。そして……


 ――ウォーク。明日は療養所を見舞おう

 ――コトリを連れて行くので、その分の馬を用意しろ

 ――出来れば老練な乗りやすい馬だ

 

 城の中で大きく距離の離れてしまった兄と妹だ。

 カリオンなりに配慮を示したつもりだった。

 だが、その配慮をそのままに受け取るほど素直な者達ばかりでは無い。


「では、首席随行員は私が」


 話しを聞いていたジョージは、遠慮する事無く前に出た。

 その隣には、丞相の小姓(ペイジ)であるイワオがいた。


「並んで歩く最初の一歩には良い日ですな」


 ジョージはチラリとイワオを見てから、ニコリと笑ってカリオンを見た。

 ヒトの娘と青年だ。ちょっとしたデートだろ?と、そう言わんばかりに。


 カリオンはもう苦笑いを浮かべるより他なかった。

 多くの者達から愛され可愛がられるコトリとイワオだった。










 ――――――――帝國歴338年8月15日

             王立療養所











 女学校の中でも乗馬の練習は間違い無く存在する。

 淑女の嗜みとしてではなく実用として、馬は交通機関その物だ。


 コトリだってこれまでには何度か馬に乗ったこともあった。

 だが、それはだいたいが便乗で、誰かの馬の前か後ろだ。


「手綱はしっかり持ちなさい。それは馬と人との信頼の絆だ」

「はい」

「それと、背筋を伸ばしていないと腰に来る。まだ若いから大丈夫だろうが……」


 何かと指導が細かいジョージだが、それは全て騎兵の馬の乗り方だ。

 スパルタ的な指導だが、療養所の前で馬を下りたコトリは、達成感に包まれた。

 それなりに背のある馬の上からだが、コトリは軽い調子で飛び降りていた。


「コトリ。下が不正地だと足をくじくぞ」

「そうね。先に良く下を見て」


 カリオンとリリスは馬から下りるの一つにしたって慎重だった。

 背負っているモノの違いとも言えるのだが、それにしたってコトリは迂闊だ。


「怪我をしてからでは遅いですよ」


 少し離れたところで馬から下りたリベラは静かに言った。

 その身のこなしは、積み上げた布が音も無くこぼれるようだった。


 ――あそっか

 ――身体の動きに無駄が無いんだ


 極々僅かな時間でしかないが、コトリはその秘密を見抜いた。

 リベラの振る舞いには無駄なモーションが一切無いのだった。


「さて……」


 スッと歩み出たカリオンは何も言わずに所長室へと向かった。

 そのすぐ後にジョージが続き、その後ろにリリスとリベラが居た。


 非公式な訪問ゆえに歓迎する空気など皆無で、ある意味カリオンも気が楽だ。

 ここは業病の患者を収容するところ。下手な歓迎式典など行なわぬ方が良い。


 だが……


「……先客みたいね」

「あぁ……」


 高台に建設された療養所は、木造3階建ての大きな施設だ。

 結核などの肺病を風下へ。性病関係など感染性の患者を離れへ。

 疱瘡やライなどの病魔は見晴らしの良い最上階へ。

 

 そして、その管理棟は、森を挟んで離れていた。

 建屋の前には痩せた馬が幾つか繋がれて居て来客の数を察せられた。

 ただ……


「王よ。どうかうしろ『ジョージ。妻とコトリ達を護れ』


 カリオンは迷わず太刀の抜け落ち留めを外して柄に手を掛けた。

 そこに繋がれている馬は、誰が見ても北方馬だ。寒立馬ではないが毛長馬だ。


 ――フレミナ勢!


 一瞬でイワオは緊張を強いられた。同時にコトリも事態を察した。

 ジョージは愛用する野太刀の留め紐を解き、いつでも抜ける体勢になる。

 そして、気がつけばリベラがリリスのすぐ後ろに付いていていた。


「……姫。どうかお気をつけて」

「えぇ……」


 何が事態が発生すれば全員がすぐに対応できる状態だ。

 丸腰でいるイワオは緊張の度合いを強め、そしてなお、コトリの手を掴んだ。

 驚くコトリの見つめる先には、今まで見た事の無い顔をしたイワオが居た。


 僅か1年だが、ビッグストンで鍛え上げられてきたイワオは別人だった。

 それこそ、コトリがその横顔に惚れ直すほどに……


「邪魔をするよ」


 身に纏う警戒感とは裏腹に、カリオンは軽い調子で入り口のドアを開けた。

 幾多の職員が忙しなく働いていたが、太陽王突然の来訪に驚きの声を上げた。


 ――太陽王陛下!

 ――帝后陛下!


 多くの職員が突然の来訪に驚きつつ、各方面へいっせいに動き出した。


「あぁ…… 今日は違うんだ! 違う! なんの歓迎も必要ない!」


『良いから。良いから』と、両手を広げ動き出した職員を制したカリオン。

 その表情には先程までの険しさが抜けていた。


「馬の運動でな。近くまで来たので立ち寄っただけだ」


 カリオンは朗らかな表情でそう言い切った。

 ただ、聞いている者や患者を抱える医師にしてみれば全く違う風に解釈する。


 太陽王はこの施設を見捨てては居ないし、病人たちを見捨てても居ない。

 感染の危険を冒してでも様子を見に来るし、非公式な見舞いで立ち寄りもする。


「皆の手を煩わせるつもりは無い。さぁ仕事に戻ってくれ」


 軽い調子でカリオンは切り出した。

 だが、療養所のスタッフ達は仕事の手を止めて集まってくる。

 殊に女性陣からは、流行の二枚目スターを見るような眼差しを集めてしまう。


「兄さまは大人気ですね」

「仕方ないわよ」


 生暖かい眼差しでコトリとリリスはカリオンを見ている。

 だが、当の本人達は男性陣の熱い視線を一心に浴びている事に気が付かない。


「すまないが茶を一杯飲ませてくれ」


 給湯役が『ただいま!』と答えたのを見届けカリオンは歩き出した。

 遠慮なく施設を歩いて行き、向かったのは所長室だ。


 すれ違う者達もが『我が王よ!』と歓声を上げている。

 カリオンはそれに手を上げて応えつつ、鷹揚とした態度で廊下を歩いた。

 だだ、顔には一切表さずとも、内心では警戒を崩していなかった。


 フレミナ側の使者がシャイラに接触している公算が高い。

 場合によっては血生臭い事になりかねないのだが……


「すまぬ。邪魔をする」


 念のためにノックしてから所長室へと入ったカリオン。

 この施設は本来カリオンの持ち物だ。何処に行こうと咎を受ける謂われは無い。

 だが、仮にも女性の部屋と言う事でカリオンはノックしていた。

 完全なサービスだった。


「……あら」


 シャイラはまるで虚を突かれたかの様にキョトンとしていた。

 そのソファーの向かいには、見慣れぬ黒毛のオオカミが数人。

 どれもが『しまった!』と顔に書いてある状態だ。


「来客中でしたか。申し訳ありませぬな、叔母上」


 フレミナ勢だと確信したカリオンは、より一層に尊大な態度になった。

 どこか痛々しいほどの姿だが、それは相手に臍を噛ませる為だ。


「……いいのよ。それにあなたに来るななんて言える訳無いじゃない」


 実際シャイラも大したモノで、取り乱す様な素振りは一切見せずにいた。

 むしろフレミナ側の男達の方が余程狼狽していた。


 ――なんだ?


 カリオンは内心でそう思いつつ、鷹揚とした態度を崩さなかった。

 それが王の努めであり、また、義務であった。


 だが、警戒はしている。

 絶対碌な話では無い……


「して、そちらの方々は?」


 勝手に手近なソファーへと腰を下ろしたカリオン。

 自分の家の何処で寛ごうと、咎められる筈も無い。


 カリオンはそれを目に見える形で見せたに過ぎないのだが……


「……お初にお目に掛かる。太陽王よ」


 7人ほどの来客は全て同じ目の色をしていた。

 黒い体毛に青い瞳。そして太い尻尾。


 遺伝子的な多様性を失った姿だが、そんな生物学的な知識がある世界では無い。

 ただそれでも、血が濃すぎるが故に多様性が消失したと言う経験則はある。

 そして、つまりそれはフレミナ一門の中でも特殊な身の上の集団と言う事だ。。


「手前はザリーツァの主、イクラムの従卒、貴い糞、オンシノと申します」


 貴い糞……

 カリオンはビッグストンの授業を思い出した。

 ネイティブネームはフレミナの一門が使っていた古い言葉の名残だ。

 貴い糞。それは文字通り、貴い存在の後ろを糞の様に付いて回る者を意味する。


 ――ザリーツァが世代交代したか……


 カリオンは胸のうちでそう確信した。


「前代シドムは遠行し、その子イクラムが跡を継ぎました。手前はその――


 説明を続けていたオンシノに首肯を返したカリオンは言った。


「なるほど。では、そのイクラム殿にお伝えあれ」


 両手を広げたカリオンは、全ては余の同胞ぞと示した。

 そしてそれは、余が全ての頂点ぞ……と、そんな意味をも持っていた。


「イヌの国を統べる太陽の地上代行者。このカリオンが一度話をしてみたいと言っていたとな。花吹雪く世界の都、ガルディブルクへお越し頂きたい」


 お前がこっちへ来い。

 カリオンはザリーツァの使者にそう啖呵を切った。

 一瞬だけ表情の変わった者達だが、それについては見なかった事にした。


 彼らザリーツァは、フェリブルと同じ血筋の者達だ。

 そして、事ある毎に自分を可愛がってくれたユーラの出自。

 トウリの妻サンドラの出自でもある。


 あまり争いたくないという部分も本音としてあるのだ。


「で、ザリーツァの方々が、何故にこの王都郊外まで?」


 カリオンは今だ朗らかな表情を崩してない。

 柔らかな表情で微笑みかけつつ、その言葉は取り調べのようでもあった。


「他意や悪意はございませぬ。ただ、当家一門の出であるサンドラが――


 ソファーの中央に座っていた男は胸に手を当てて頭を下げた

 それは、フレミナでは無くシウニンに伝わる礼儀作法だ


 ――こちらの施設に収容され()()されていると聞きまして、その見舞いに」


 フレミナで無くシウニンの作法を取ったオンシノ。

 カリオンはその真意を掴み損ねた。


 その本音は何だろう?


 真剣に考えたのだが、数秒程度の思考では核心にたどり着けなかった。

 己の至らなさを痛感したカリオンだが、事態は進行している。

 黙っているわけには行かないのだ。


「なるほど。こう言ってはなんだが、フレミナの地まで驚くほど早く伝わったな」

「それはもう、シャイラから文をもらいましたので」


 事も無げにさらりと言い放ったイクラムは、わずかに笑ってシャイラを見た。

 それに釣られてシャイラを見たカリオンとリリス。


 シャイラは気まずそうな表情になった。

 それこそ『言うなよ』と、そんな顔だ。


「……叔母上も筆まめですな」


 嫌味とも取られかねないカリオンの言だが、リリスはすかさずフォローする。

 その気配りにジョージやリベラも目を丸くするのだが……


「何事も記録するのは所長の努めよ」

「……そうだな」


 やや忙しなげに足を組み替えたカリオンは、そのわずかな動きで内心を示した。

 警戒から探索へギアを変える。それ故に諸君らはよく観察せよ。

 そんなカリオンの意志を理解したかどうかは分からぬが……


「所でトウリ兄さまとサンドラ姉さまは?」


 リリスは現状把握を試みる様に話を振った。

 流石だとカリオンは内心で舌を巻いた。


「そう言えばそうだな。ここに居ないのは……」

「トウリはサンドラを連れて出掛けたわ」

「出掛けた?」

「そう。気分転換にね」


 シャイラは全く悪びれる様子無く、サラリと言った。

 気分転換の言葉にカリオンは怪訝な色を浮かべる。

 だが、それに口を挟んだのはイクラムだ。


「サンドラだけで無く、こちらのシャイラもそうですが――


 イクラムはシャイラもサンドラも敬称を略し、構わず呼び捨てにしていた

 フレミナの社会習慣では男尊女卑と言うよりも女に全く配慮が無いのだ


 ――フレミナの地ではそれなりの待遇が有り申した」


 わずかに首を動かし、視線をイクラムに向けたカリオン。

 その威圧感溢れる眼差しに、当のザリーツァ勢は一瞬たじろぐ。


「ですが、この施設では座敷牢に押し込められ、文字通りに飼い殺しの有様です。コレでは息も詰まりましょう。幼長の分別も有り申しますが、そも、シャイラもサンドラも同じくうじみなもとがハッキリとした女たちですぞ」


 どこか抗議する様な声でイクラムは言った。

 そのわずかな機微にカリオンが反応した。


「……ほぉ。で?」


 一言の呟きで続きを促したカリオン。

 その威の中に、隠しきれない不快感が滲んだ。


「先に遠行されたカウリ殿も、同じく我がフレミナ一門の血を引いておられた。それには一辺の疑いもございませぬ。が、そのご息女を産み落とした女は何処の者とも知れぬ下賤の出だと――


    カチンッ……


 その時、部屋の中に冷たい金属音が響いた。

 その音にイクラムは一瞬言葉を飲み込んだ。


 音の正体はカリオンが腰に佩ていたレイピアの柄だ。

 カリオンはその柄を指で弾いたのだった。


「……ほぉ」


 低く轟く様なカリオンの声が静かに流れた。

 カリオンの背後に立っていたジョージが身体を捻り、前を変えた。

 それはごく自然な立ち方を変えただけの様にも見えるモノだった。

 だが、ジョージは左足では無く右足を前に出した。

 右手を剣の柄に添えれば、いつでも太刀を抜ける状態に……だ。


「すまんな。良く聞こえなんだ。もう一度頭から言ってくれるか?」

「は?」

「いま、なんと言ったのだ?」


 イクラムはこの時点でカリオンがただならぬ雰囲気である事に気が付いた。


 鷹揚した姿で座っているカリオン。

 その右手は剣に柄には添えられていない

 

 だが、その眼差しには全てを射貫くが如き敵意と純粋な怒りが滲んだ。


「……っも 申し訳無い。口が過ぎ『もう一度申してみよ』


 カリオンのわずかな言葉に、部屋の温度がスッと下がった。

 物理的にはあり得ない事だが、室内にいた全員が同じ事を思った。

 カリオンはゆっくりと手を動かし、イクラムを指さした。


「言ってみろと、余はそう言っているのだ」


 リリスの母レイラは、父ゼルが生涯を掛けて探し回った愛妻だ。

 そのヒトの女を、このイクラムは下賤と言った。


 それはカリオンにとって絶対に許せないことだ。

 絶対に。絶対に許せない事だ。


 如何なる罵詈雑言・誹謗中傷を浴びたとて、カリオンはそれを流す事が出来る。

 その言の中に自らを省みる何かが埋まっているかも知れないからだ。


 だが、カリオンにとってゼルは父親であり、それ以上の存在でもある。

 畏怖し心酔し、なによりも純粋な敬意の対象でもある。


 その愛妻であるレイラを、イクラムは容赦なく辱めた。

 下賤と言い切って辱めた言葉は、ゼルの生涯をも全否定する言葉に等しい。


「わっ 我々ザリーツァはフレミナの支配者であった。その一門を出自とする女とげ…… いや、平民出身の女では、扱いが違うのは当然であろうかと……」


 イクラムは震える声でそう言った。

 その声の先に居るカリオンは、これ以上ない不機嫌な顔だった。


「下賤の民と申したか?」

「いっ いや、そうは言ってな……『リリスにはどう聞こえた?』


 イクラムの言葉を無視して話を振ったカリオン。

 リリスは憮然として不快感を露骨に示す顔になっていた。

 ややもすればリリスの顔は冷たい能面の用にも見える造作だ。

 その顔から表情らしきモノが一切消え去れば、冷え冷えとした怒りが滲み出る。


「余の妻のご母堂も…… 色々と酷い苦労人という話を承っている」


 カリオンは敢えて謙ってみせた。

 ザリーツァの者どもが下賤と辱める女に、太陽王が謙った。

 その事実に更なるプレッシャーを感じているイクラム達。

 カリオンは容赦する事無く言葉を続けた。


「余にも幼き日々があった。その中で妻の母には殊更可愛がって頂いたのだが」


 低く轟く様な、まるで地獄の底から響いてくる様な声音だった。

 その声音を聞いた者で、心の弱い者ならば卒倒する様な声だ。


「リリス。余の耳には下賤という言葉が聞こえたが、どうだった?」


 女などモノと一緒。配慮など不要で、ただの消耗品だ。

 そんなザリーツァに対し、カリオンは『許しを請え』と示した。

 なにより、下賤と蔑む女から生まれたリリスに対し、許しを請えと言ったのだ。


 リリスはそんなカリオンの内心を正確に見抜いていた。

 そして、ソファーの上で不機嫌そうに足を組み替えた。


 さも、『私の靴にキスをしなさい』と言わんばかりに。


「かっ カリオン。リリスも。ここで事を荒立てるのは得策じゃ……


 シャイラは咄嗟に誤魔化す様な言葉を吐いた。

 だが、カリオンが全身から放っている怒りと殺気は全く揺るがなかった。

 それはカリオンにとって、絶対に受け入れられないものだったからだ。


「叔母上、この男は余の妻の母を下賤と辱めたのです。それは、この男をここから生かして帰すべき千億の理由に勝る…… 極めて…… 不愉快だ……」


 段々と話の速度を落としていったカリオン。

 その声音は地獄の獄卒も震え上がる様なものだ。


「ふっ ふざけるな! 我らはフレミナ貴族ぞ! それを平民風情に――


 イクラムが突然喚き始めた。

 だが、同じタイミングでジョージが飛びかかっていった。

 ジョージもまた怒りに震えていたのだ。


 そして、一瞬の間に眩いばかりの鉄火を放ちジョージは舞った。

 震われた剣戟の刹那に首が飛んだ。そのひとつはイクラムだった。

 イクラムの周囲に居た6人は、まるで彫像の様に固まっていた。


「ジョージ! 不愉快極まる! 生かして帰すな!!」

「御命のままに」


 虚を突かれた状態なザリーツァの6人。

 彼らイクラムの連れ達は我先にと逃げた。


 所長室の扉は2つあるのだが、直接外へ繋がる扉へと彼らは殺到した。

 だが、その扉は突然開き、その扉の向こうにはオクルカが立っていた。。


「なっ! なんだ!」

「邪魔だ! どけっ!」

「ザリーツァ!」


 オクルカは半ば反射的に太刀を抜き放って構えた。

 その太刀先に先頭の一人が突き刺さり、数歩後退して自らの腹部を見た。


「ザリーツァ勢! そなたらあくまで太陽王に狼藉を働くか!」


 先頭にいた者を逆袈裟に切り裂いたオクルカ。

 太刀を抜き戻したのち、手首の返しだけで切り裂いたのだ。


 そのオクルカの背後にはトウリとサンドラがいた。

 青ざめた表情で、一部始終を見ていた。


「おぉのれぇシャイラ!! 我らを呼び出したのは罠か!」


 進退窮まったと覚悟を決めたのだろうか。生き残った者がそう叫んだ。

 腰に下げていた小刀を抜き放ち、ザリーツァの男は手近にいたリリスを襲った。


 フレミナの男達が持つ小刀はマキリという名の鉈に近いモノだ。

 その威力は片手斧のようでもあり、接近戦では厄介だ。


 ――ほぉ 一矢報いる腹か……

 ――だがなぁ……


 カリオンは一瞬だけニヤリと笑った。

 リリスの背後に居たリベラが戦闘態勢に入ったのだ。


 両手をグッと伸ばし、手首部分から投げナイフを取り出した。

 小さなモノだが、人の命を奪い取るには充分な威力がある。

 リベラはそれをまるで煙でも払うかの様に放った。


 手首の反しだけの動きだが、鍛え上げられた細作は一味違う。

 同時に放った3本のナイフは、リリスへ襲い掛かった者達の喉に突き刺さった。

 細く鋭い剣先は、喉仏のやや下辺りへと突き刺さっていた。

 動きを止める為だけの一撃で、よもやその程度で人が死ぬ事も無い。


 その全てを承知しているリベラは素早く飛びかかっていった。

 幾多の実戦を経験して会得した体術は、煙の様に流れるモノだった。

 素早く背後に回ったリベラは、最小限の動きで頸椎をねじり折り絶命せしめた。


 瞬きほどの間に起きた事の全ては、たったこれだけだった。


「おのれ――


 オクルカによって腹部を切り裂かれた者が呟き始めた。


 ――――ザリーツァは世界を統べる王……

 ――――ザリーツァは生まれながらの貴族……

 ――――おのれら如き下賤とは違うのだ……

 ――――すべて憑り殺してくれようぞ……

 ――――われらの恨みの深さをし……


 死にきれなかった者の首目掛け、リベラはそこにあったマキリを投げた。

 寸分違わず首を落としたその動作だが、首元から激しく血が飛び散った。

 オクルカとトウリは、躱す間も無くその返り血を浴びてしまった。

 そして……


「申し訳ございません。我が君」


 リベラはリリスの前で片膝を付いた。

 それは、リリスの纏っていた乗馬衣装の下の端。

 ブーツの僅かなくぼみに飛んだ小さな血の一滴への謝罪だった。


「細作にあるまじき不手際でした」

「いえ。大丈夫です。ありがとう」


 リリスの座っていたソファーの皺は全く動いていなかった。

 身動ぎひとつせずリベラの戦闘に全てを委ねていたのだ。

 そんなリリスとリベラの関係をコトリは美しいと思った。


「あっ…… あの……」


 何かを言いかけたコトリだが、その言葉をカリオンの手が遮った。


「オクルカ殿。何故にこちらへ?」

「いや、サンドラ殿を見舞いに」

「然様か」

「しかして、このザリーツァの者どもは?」


 カリオンの眼差しがシャイラを見た。

 目の前で起きた出来事に総毛だった様な表情だったのだが……


「叔母上の元に訪問してきたそうだが……」


 カリオンの言葉の続きはジョージが説明した。

 まだ不機嫌な様子で、口を尖らせたままだった。


「手前はここで聞いており申したが、不敬極まる物言いで、この手に掛け申した」


 最小限の言葉で全てを伝えるのは軍人の本能なのかも知れない。

 面倒な状況伝達はこれから逐一行えば良いことだ。


「……然様ですか。まぁ、ザリーツァ一門たらば、それもむべなるかな」


 室外で待機していたジョージ麾下の騎兵数名が遺骸を片付け始めた。

 死が身近な環境ゆえか、こう言う部分ではシステマチックに動く様だ。


「所で叔母上」


 一瞬だけシャイラがぎくりと動いた。

 痛くもない腹を探られると言うが、シャイラにとっては痛い腹だ。


「いくつか伺いたい件があるのです……が。よろしいか」

「えっ…… えぇ。もちろん」

「ならば、部屋を変えよう。ここは少々血生臭い」


 リリスを誘って立ち上がったカリオン。

 その威風堂々とした姿にシャイラは負けを実感した。


 咄嗟に口走ったザリーツァの男達は、シャイラが呼んだと言ってしまった。

 その失態を、その失敗をどう誤魔化すか。必死になって思案するシャイラ。


 カリオンは強く育った。それこそ、シャイラの思っていた以上の成長だ。

 部屋の外で様子を伺って居たトウリと比べ、全てが大きかったのだ。

 だが、その瞳の奥に宿る野望の炎が消えたわけではない……


「あの…… リベラさん……」


 リリスの手伝いをしていたコトリは小声で言った。


「……なにか?」

「弟子にしてください」

「……はぁ?」


 コトリはこれ以上無い真剣な表情で言った。


「同じ事が出来るだなんてうぬぼれてません。ですが……」

「とりあえず、城に戻ってからお話いたしやしょう」

「はい」


 思いつめたような表情のコトリは、リリスの背後を護るリベラの背を見ていた。

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