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迂闊な一言


 帝國歴337年もあと数日で終わろうとしている12月の29日。

 ビッグストン王立兵学校やミタラス女学院など、人間を育てる為とはいえ超絶に厳しい学府のやり方にも新入生が馴染み始めた頃だ。入学式から3ヶ月が経過し、ストレスと過労に血を吐きそうな日々を過ごした若者達だが、それらを代償として彼ら彼女らの顔から子供っぽさが抜け始め、大人の顔をし始める。


 両学共に最高のスタッフが揃うだけに、その成長を見守るのは楽しいとも言えることで、若者が育って行く様を見つめる者達の眼差しは、厳しくも優しい。


「これは驚いたな」

「私もですよ」


 こっそりとビッグストンを見に来たカリオンは、校庭の馬術練習で立派に馬を乗りこなしているイワオを見つめていた。感嘆の言葉を漏らさざるを得ないほどの馬術は、まるでカウリの如きだと驚く。


「若き日の叔父上を見ている様だ」

「カウリ卿は馬が上手かったですからね」

「……血は争えないと言う事か」


 カリオンが何気なく吐いた言葉は、聞くモノによって全く異なる意味になる。

 純粋に父と子の関係として、その血筋に目を細めただけのカリオン。

 だが、ロイエンタール卿や他の教授陣は、単純に技術の系譜だと思った。


 カウリ卿が何処かで拾ってきたヒトの子供。

 それの保護を太陽王が引き継いでいるだけだ。

 多くはそう理解している。


 だが……


「手ほどきもあったろうが、持って生まれた素質もあるんだろうな。そうで無ければ、あんな膝の使い方は出来やしないさ。ちょっと嫉妬するよ。アレは天性だ」


 鞍には柔らかく座り、柵を越えて飛ぶ馬に合わせ膝を使って腰を浮かせる。

 文字にすればそれだけの事だが、口で言うほど簡単な事では無い。


 昔からロイエンタール卿が言うとおり、そう言うモノは学んで身に付けられる様でいて、その才能の無いモノには生涯身につかない技術なのだ。

 繰り返し繰り返し訓練をすることによって、その技術は高めることが出来る。だが、持って生まれた技術の差はどうやっても埋められないのだった。


「まるでカウリ卿の息子の如し……ですな」


 ロイエンタール卿の言った事にカリオンはハッと気が付いた。

 イワオとカウリの秘密をロイエンタール卿は知らないんだと気が付いたのだ。


「……きっと息子なのだろう。叔父上の鞍の上で育った様なモノだからな」


 迂闊な物言いに心肝を冷やしたカリオン。

 慎重さを欠いた振る舞いに、文字通り肝を冷やしていた。






 ――同じ頃


「あの子もあんな顔が出来るんですね」

「私も驚くわ」


 ミタラス女学院の大講堂で授業中の光景を視察しているリリスは、大講堂の中で真面目な顔になり授業を聞いているコトリを見ていた。ヒトの娘と言うことでいわゆるケモ耳の無い姿だが、それを差し引いてもコトリの姿には違和感が無かった。

 年頃の娘達がこれだけ集まれば、男子学生の集まるビッグストンとは違う華やかさがそこかしこに漂っている。そんな環境の中で、コトリは隣に座る学生を時折笑みを交わしていた。


「ヒトの世界の格言でね」

「え? なんですか?」

「昔ね、ワタラが教えてくれたの」

「……ゼル様」

「違うのよ?」


 ウフフと笑ったエイラは、明確に五輪男の事をワタラと呼んで区別していた。


「ヒトの世界ではね、骨は父親から、肉は母親から受け継ぐって言うんですって」

「じゃぁ……」


 エイラの言わんとすることをスッと理解したリリスは、微妙な表情を浮かべた。

 父はカウリで母が琴莉なリリスだ。イヌの強い骨格にヒトの柔らかな肉となる。

 しかし、その真逆なコトリの場合は、ヒトの骨格なのだから……


「骨を折りそうよ」

「物理的に折りそうですね」

「……そうね」


 一度に父母を亡くし、早くも10年の歳月が流れた。

 だが、その間にエイラとリリスは本当の母娘の様になっていた。


 今のふたりには万全の信頼関係がある。

 子供を産み育てる事が生物的な使命となる女の場合は、その経験の先達をどうしても必要とするのだ。


「でも、見ている限り上手くやっているようね」

「気を揉みますよね」


 エイラの周囲にもリリスの周囲にも必ずエリートガードが付く。

 そんな者達に真意を悟られない様、本音の会話を交わすふたり。


 北方総監であったゼル公は、北伐の最中にヒトの娘を拾ったらしい。

 それを保護し、実子に近い扱いとして妻エイラと育ててきた。

 ゼル公亡き後も太陽王カリオンの帝母エイラ公は変わらず育てている。

 ル・ガル社会におけるコトリの立ち位置は、ここになるのだ。


 ――――ヒトの娘に上層階級子女教育が必要ですか?


 忌憚なく物を言う者達の言葉に校長であるエイラは言った。


 ――――その子女達のお付きになるかも知れないのよ?

 ――――次に何をするのか

 ――――何をすれば良いのか

 ――――それを理解させるには経験させる方が早くないかしら?

 ――――あしてあの子は……


 エイラは黙ってリリスを見た。

 帝后であるリリスを見たと言うことは、つまり、コトリの将来の暗示だ。

 世界の列強と渡り合う超大国ル・ガルのファーストレディがリリスだ。

 そのお付きに送り込むんだと暗に示したエイラの言に、多くが口を閉じた。


 聞けば、カウリ卿の拾ったヒトの男は、太陽王直々の指示でビッグストンへ送り込まれたという。きっと将来は馬廻りなど、太陽王の側近衆となるのだろう。

 それに釣り合う女を育てているのかも知れない。公式な場に出して恥ずかしい思いをしないで済む様に、させないで済む様に、育てているのかも知れない。


 多くの者がそれをそう理解したのだが……


「きっと、学生生活が楽しいんですよ」

「そうだと良いわ」

「母親としては…… って目ですか?」

「そうね」


 リリスの言った際どい言葉は、周囲の者達への配慮だとエイラは思った。

 エイラはコトリの母親では無いと、そう臭わせるための微妙な物言い。

 そう言う部分での慎重な配慮と気遣いは、さすが帝后だとエイラも舌を巻いた。


 肩書きが人を育てると言うが、リリスは間違い無く鍛えられている。

 エイラはそう思ったのだ……


「私もそうでしたけど、始めて同世代の友達が出来ますからね」


 リリスの言った言葉に周囲がハッと気が付いた。

 コトリは間違い無く箱入り娘だった筈だ。

 つまり、ここで社会性を身に付けているのだろう……


「多くを学んで欲しいわ」

「そうですね」


 エイラもリリスも優しい笑みを浮かべてコトリを見ていた。

 大講堂の隅にある小さな視察窓からなので、コトリは恐らく気付かない。

 ふたりともそんな風に思っていたのだが……


「コトちゃん、どうしたの?」

「振り返っちゃダメみたい」

「なんで?」

「後ろから校長先生が見てるよ」


 コトリの右席には黒耀種の娘が、左には緋耀種の娘がいた。

 本来はイヌの娘しか入れない学校に特別扱いで入ったコトリだが、陰湿ないじめと共に微妙な敬意を集め始めていた。とにかく感覚が鋭くて、誰も気が付かない様な些細なコトを全て見抜いてしまうのだ。


「コトちゃんには敵わないや」


 緋耀種の出自である少女はそう呟いた。

 名門中の名門である公爵レオン家の繋がりらしいのだが……


「そんな事無いよ……」


 恥ずかしそうな言葉をボソリと漏らしたコトリは、その言葉の最後に消え入りそうな小さな声で『私…… ヒトだし……』と付け加えた。

 絶対的に存在する身分階級としての種族間闘争を、コトリはその身を持って嫌と言うほど感じていた。周囲の者達がコトリの見せる能力に舌を巻いているのですらも気が付かぬほどに……






 そんな悲喜こもごもが繰り広げられる王都から2リーグ。

 王立療養所でも新年を迎える仕度が進んでいた。


 この三ヶ月ほどでサンドラの症状は大きく改善していた。

 喀血する事はなくなり、顔の血色も吐息の具合も随分とよくなった。

 一頃は階段の昇り降りで激しく咳き込み、苦しそうに喉を鳴らしたものだ。

 それを思えば、別人のように回復していた。


「早いもんだな」

「あっという間の半年だった」


 サンドラは結核患者向けの病室を引き払い、トウリの部屋の住人となった。

 療養施設の施設長と言う肩書き故、トウリは専用の私室を持っているのだ。


 それなりに感染力の強い結核なのだから、本来はあり得ない事と言える。

 だが、もはや健康な者への感染拡大は無さそうだとの診察がでている。

 ならば、夫婦故に俺の部屋に来いとなるのは自然な流れだった。


「陛下夫妻には感謝しないと」

「あぁ、全くだな」


 夫婦揃って穏やかなときを過ごすふたり。

 色々あったが、いまは平穏だ。


「早く王都に戻らないとね」

「その通りだ。カリオンも参ってる頃だろう」


 何だかんだて二人三脚だったカリオンとトウリだ。

 独りで全てを背負い込むには、ルガルはあまりに大きすぎる。


 また、トウリにしてみれば、王都にある生家が心配だ。

 カリオンの事だから抜かりなく管理してくれている筈だと思うが……


「とりあえず家が心配だよ」

「そうね」


 十年の歳月はサンドラとトウリを仲睦まじい夫婦にしていた。

 決して楽な道のりではなかったが、それでも充実した日々だった。

 そんな二人にとってすれば、このひとときは夫婦の時間だった。

 だが……


「あら、サンドラは調子良いみたいね」


 唐突に戸を開いて部屋に入ってきたのは、シャイラだった。

 王立療養所の所長という立場にシャイラもすっかり馴染んでいる。


「お陰さまで」


 愛想笑いともいえる顔でシャイラを見るサンドラ。

 だが、その表情には隠しきれない警戒の色があった。


 サンドラは夫トウリと共に、カリオンとリリスの気遣いでここにいるのだ。

 迂闊なことは言えないし、言いたくない。言質を取られる危険があるのだ。


 ――絶対ダメ……


 サンドラは分かっていた。

 シャイラは『敵』なのだ。


 だが……


「次第によっては太陽王とその帝后がこんなところで燻ってるんだから……」


 シャイラは突然とんでもない事を言い出した。

 その一言に見えない毒が混ぜこまれているのをサンドラは見抜いた。


「叔母上。それは言わないでください」


 トウリはスパッと拒絶した。

 事と次第によっては途轍もなく危険な一言になるのだ。

 太陽王に弓引く存在になりかねない。トウリ自身がそれを望まない。


 だが、シャイラは間違い無く嗾けている。

 トウリに向かって、カリオンに、太陽王に弓引けと嗾けていた。


 ――あなた……


 サンドラは助けを求める様にトウリを見た。

 ある意味で黒幕の一人だったシャイラは、再起を狙っている。

 それは言葉にするまでも無く、嫌と言うほど分かっている。


 夫トウリに切り返しを期待した。

 迂闊な地雷を踏んで後々の禍根になったら困る。

 場数を踏んだ夫ならばと期待したサンドラだが……


「それに、カリオンの治世とていつまで続くか分からないのです」


 ――ばかっ!


 サンドラの表情に蔭が落ちた。迂闊な一言だと直感したのだ。

 そしてそれは、当のシャイラ自身の表情で肯定されたに等しい。

 満面の笑みを浮かべ『そうよね』と呟いたシャイラ。

 その表情にはまぎれもない凶相が混じった。


「跡継ぎが居ない以上、次はあなたね」

「あまり期待はしてませんが」


 なんと迂闊な男なんだろう。

 サンドラは夫トウリの愚かな返しに呆れるより他なかった。

 トウリはトウリなりに考えているはずだ。

 それは疑う余地が無い。


 だが、それは、あまりに愚かな一言だ。


「あなたが太陽王であれば、どれ程良かったか」

「私自身はそれを望んでませんけどね」

「なんで?」

「あんな面倒臭い仕事など、こっちから願い下げです」


 トウリは何とも思慮の浅い言葉を口にした。

 何かしらの考えがあるのは間違い無い。

 だが、それではシャイラが勢いづくだけだ……


 ――バカッ! バカッ! このバカッ!


 サンドラは内心でそう呟きつつ、トウリの横顔を見た。

 満更でもないと言わんばかりの策士な表情が、そこに張り付いていた。


 ――踏み外さないで……


 サンドラは内心で祈った。

 二河白道のど真ん中を歩むふたりは、一歩たりとも踏み外せないはずだ。

 出来るモノなら、シャイラの尻尾を掴み、証拠を揃えて太陽王に上申したい。

 それで復権するのが理想的展開なのだが……


「人間は肩書きが鍛えるのよ。卑しいマダラのうまれだって務まる仕事ですもの」


 外連味無く言い放ったシャイラの一言。

 その言葉にサンドラはこの上ない嫌悪感を示していた。

 だが、当のトウリはちょっと違う反応だった。


「まぁ、きっとそうなんでしょうけどね……」


 迂闊な一言で人生を棒に振りかねない。

 そんな事を思っていたサンドラは、益々顔色を悪くしていた。


 太陽王のそばへと舞い戻る。


 そんな共通認識だったはずのふたりだが、思わぬ展開になり始めている。

 出来るモノなら、夫トウリには目を覚まして貰いたい。

 そう願うサンドラだが、その体力は枯渇しきっているのだった……

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