イワオとコトリの船出
ビッグストン王立兵学校。
それは王都ガルディブルク郊外に存在するル・ガルの最高学府。
ガルディアラ大陸の全土から候補生を集め、若者を鍛えるための学校。
そして、未来のル・ガルを背負って起つ者達を育てる施設だ。
この日、そのビッグストンには意外な人物が来訪していた。
誰もが驚くような存在だが、当の本人は涼しい顔だった。
「突然の来訪だというのに…… 申し訳無い」
「いやいや。母校を訪れるのに手続きなど要りますまい」
それを歓待するカリオンは私心無き笑顔だ。
文字通りに太陽のような表情。それこそがカリオンの本音だった。
「何かと忙しい頃合いでは?」
「それは否定しませんが、実際に忙しいのは……」
カリオンはチラリと流し目で窓の外を見た。
広大なグラウンドに居並ぶ者達は、緊張の面持ちで整列している。
その数は、ざっくり数えて350人少々だ。
「……でしょうな」
「今頃は緊張の極限ですよ」
顔を見合わせてクククと笑いあう。
広大なビッグストンの校庭では、入学を許可された若者達が整列していた。
彼らはガルディアラ全土からの猛烈な競争を勝ち抜いた勝利者だ。
そして、入学へ向けた最初の試練を乗り越えた猛者でもある。
だが、彼らの表情は一様に硬くなっていて、その緊張が見て取れる。
本来であれば、この時点で彼らは生涯の自慢になるはずだ。
猛烈な競争倍率であるビッグストンへ入学を許可されたのだから。
しかし……
「彼らも知っているのでしょうね」
「本当の試練は…… ここからだ」
楽しそうに微笑みかけたカリオン。
その笑みを向けた相手は、シウニノンチュからやって来たオクルカだった。
「色々と便宜をはかってくれたと聞いているが……」
オクルカは実子をビッグストンへと送り込むべくやって来ていた。
年齢制限に引っかかる為、最初で最後のチャンスだった。
「それはウソですよ。私は全部実力主義にしました。入学を勝ち取ったのは……」
カリオンはそう言うが、実際にはかなり無茶をしている。
補欠候補の中にオクルカの実子ロシリカを混ぜ込んだのだ。
そして、順調に補欠候補が召還されていき、ロシリカはシレッと選抜された。
残り2週間という超絶に厳しいタイミングで……だ。
「アレの実力だと?」
「その通りです」
この場でのカリオンは、あくまで先輩後輩の関係に徹していた。
例えたった一日の先任であっても、軍と言う組織では上位に当たるのだ。
幼長の礼儀を大切にするビッグストン生の矜持を、太陽王はまだ忘れていない。
ただ、その事実はより一層にオクルカを萎縮させているのだった。
――――――――帝國歴337年10月1日
王立ビッグストン兵学校 入学式会場
晴れ渡る空には燦然と太陽が輝いていた。
窓辺に立ちそれを見上げたカリオンは、手をかざして太陽に透かした。
気が付けば厚く逞しくなっている手だ。今はもう透ける事も無い。
だが、その掌に太陽の光と熱との温もりを感じた。
――暖かいもんだなぁ……
少しずつ増し始めた秋の気配にカリオンは目を細める。
恐らくはここからが試練だ。そう感じている若者達も寒さに震える事になる。
ビッグストンが一筋縄でいかない事は、嫌と言うほど分かっているのだから。
「そろそろ行きましょう」
オクルカはスッと手を差し出してカリオンへ道を譲った。
カリオンはその振る舞いに、オクルカの内心を思った。
ここからはビッグストンの先輩後輩では無い。
巨大国家ル・ガルを導く太陽王と、その友邦国家の元首。
その力の差をオクルカはカリオンに見せた。
ただそれは、『偉そうに振る舞え』と言う事では無い。
ビッグストンで教えられる重要な事の一つ『士官らしく振る舞え』だ。
肩書きが軽く見える様な振る舞いはするな。
上官らしく振る舞い、下士官や兵卒の手本となる様に振る舞う事。
全ての国民の目標たり得るようにする事。その精神だ。
「……そうですね」
背に掛けた乗馬マントをなびかせるほどに大股で歩いたカリオン。
心掛けたのは、威風堂々の精神だ。
校庭に居並ぶ若者達へ教育長ロイエンタール伯が訓示を与えている。
その言葉が終わる頃、割れる様な拍手に招かれ、カリオンは壇上に立った。
「この世界の全てから集まった、我が…… 後輩諸君!」
太陽王の後輩……
その一言で会場から割れんばかりの拍手と喝采が沸き起こった。
歴代太陽王もまたビックストンで学んだ卒業生だ。
その事実に若者たちが震えた。
「諸君らの入学を余は心より歓迎する。そして、期待している。これからの四年間は様々な困難が諸君らを待ち受けているだろう。だがそれは、諸君らが望んだ自己研鑽のための試練だ。来るべき未来のル・ガルを背負って立つ者たちへの試練だ」
声を大にして叫んだカリオン。
その声を聞く若者たちは、緊張の面持ちをより強くしていた。
「だが、安心すると良い。神は乗り越えられる試練しか与えない。辛く苦しい試練だが、必ず乗り越えられる。その資質がある者のみがここに集っているのだ」
安心をもたらす言葉がカリオンの口からでた。
例えそれが出任せだとしても、入学へとたどり着いたものは安心し、奮い起つ。
わずか3ヶ月の助走期間を経て、彼らは4年間にわたる徹底的な指導を受ける。
そして、物事の考え方のレベルにまで掘り下げ、別人へと自己変革していく。
鉄は熱いうちに打てと言うが、人間の本質を鍛えるにも最適の時期があるのだ。
多くの者達が決然とした表情でカリオンの話しを聞いていた。
そして、その言葉を聞いている者達のなかにイワオの姿もあった。
ビッグストン入学への試練を乗り越え、いつの間にか顔が変わっていた。
壇上に上がっていたカリオンは、顔の変わっているイワオを見つけた。
――父上……
――良い男になりましたよ……
一瞬だけ感慨に耽ったカリオン。
だが、自分の仕事を忘れたわけではない。
「私も経験があることだ。自分を信じ切れず疑った者から脱落していく。心折れ、諦めた者に神は微笑まない。無理だと諦めた者には奇跡など訪れないのだ。奇跡はそれを信じた者のところにのみやってくる。だから諦めるな。挫けるな。自分を信じ、がむしゃらに前進せよ!」
一際大きな拍手が沸き起こった。
カリオンはそれを手で制し、会場が静まるのを待った。
マイクやスピーカーの無い世界だ。肉声で皆に伝えねばならぬ。
カリオンは一つ息をついて、再び大声を張り上げた。
「諸君らの進む道に、太陽の光と熱の恩寵があらん事を!」
割れる様な拍手と喝采の中、カリオンは皆に手を上げて健闘を祈った。
そして、ゆっくりと壇上を辞したあと、ロイエンタール伯と顔を合わせた。
「今年は面倒な入学者が多いが……」
「あなたを越える面倒は経験しておりません。大丈夫です」
「……そうか」
苦笑しつつも首肯して微笑むカリオン。
その振る舞いにオクルカは驚きの表情だった。
「私の愚息も、どうかよろしくお願いします」
「えぇ。しっかり鍛えさせて貰います」
立派な体躯のオクルカだが、その笑みはどこか可愛げのあるモノだ。
愛嬌と言って良い程なのだが、その笑みの中には獰猛な姿が隠れている。
それはオクルカの実子ロシリカにも受け継がれていた。
フレミナの厳しい環境の地で馬を操った少年は、馬術教官が驚くレベルだった。
「今年も入学生は粒ぞろいの秀才が揃っている。その未来が実に楽しみだ」
好々爺の笑みを浮かべたロイエンタールは、静かに笑って入学生達を見ていた。
再編成が行われ、入学成績順に各寮へと振り分けが始まった。
これから彼らが経験する試練は驚く程のモノになる。
だが、その全てを乗り越え、立派に成長して欲しいとカリオンは願った。
未来のル・ガルを背負う若者達だった。
――同じ頃
「……校長」
ガルディブルクの中心部。
ミタラスに聳える平城の中ではエイラが立派な衣装を纏って時間を待っていた。
そこへ姿を現した女性は、目深にローブのフードを下げた老女だった。
「そろそろ?」
「はい。お時間です」
ノーリの肝いりで作られた王立女学校は、代々フレミナ一派のポストだった。
だが、その校長職に就いていたシャイラは、王立療養所の所長に栄転した。
カウリと昵懇だった彼女を王都に置いておくには波風が高すぎたのだ。
だが、その後任を誰にするかで問題が起きた。
カリオンはリリスにその任を任せるつもりで居たのだ。
だが、それにシャイラが噛み付いた。
まずはリリスに子育てをさせるべきだ……と。
強い母を育てる為の学校に未産の女を送り込むのは間違いと言う事だ。
散々と思案したカリオンは最終的に驚く様な決断を下した。
――母上
――面倒を被ってください
――他に適任者が居ません
カリオンはシャイラの後釜としてエイラを送り込んでいた。
シャイラが転任して行ったのは6月の終わりだ。
この秋からの学校運営が難しくなる……
そう報告を上げてきた現場は、帝母の就任と言う事で大騒動になっていた。
ただ、そうは言ってもやはりキチンとした組織だ。
あっという間に新体制が固まり、全員がパッと動き始めていた。
「そう。じゃあ行きましょうか」
優雅な振る舞いで席を立ったエイラ。
彼女もまたこの学校の卒業生だ。
なんだかんだで威厳と優雅さを身に付けている。
そして。
「そうですね」
エイラの言葉に相槌を打ったのはリリスだ。
彼女は帝后として、女性に関わる様々なポジションの総裁に就いていた。
ある意味で公職慣れしているリリスと違い、エイラは初めての公職で公務。
その様々な軋轢について、リリスはエイラに配慮を見せていた。
尤も、太陽王の実母であるエイラに面倒を押し付ける剛の者は中々居ない。
ある意味では御飾り的な扱いで、逆に言えば責任を取るのが仕事と言える。
エイラとてそれはよく理解していて、困った問題はリリスへ丸投げする作戦だ。
「なんだかんだ言っても緊張するわね」
「私も最初は胃が痛くなるくらいでしたから」
「それは私もよ」
リリスだけでなく、エイラもまたこの学校の卒業生なのだ。
ここの中身をよく理解しているし、ある意味では期待している。
女にとってはとんでも無い試練だというのを、散々と経験している。
「……コトリも今ごろは緊張してますよ」
「そうね」
エイラとリリスは顔を見合わせて微笑み、会場を見た。
緊張した面持ちでコトリが立っていた。
……過日。
コトリは突然『私も学びたい』と言い出した。
ビッグストンへ送り込まれることになったイワオへの対抗意識ではない。
見合うだけの人間になりたいと願ったのだ。だが……
――女のいじめは陰湿よ?
エイラの相談役でもあるリリスは、そう言ってコトリを止めた。
ただ、そんな事で諦めるほど、コトリも素直な人間ではない。
心に決めたことは貫徹するし、それだけの気合いと根性を持っている。
決然とした表情で『頑張ります』とコトリは言った。
余りに苛烈な運命だった両親を見ているし、その生涯の後悔をよく聞いていた。
それ故、多少波風が立っても、初志を貫徹する方が後悔しないと思っていた。
――なら、頑張りなさい
母親であるエイラは、そんな言葉でコトリに発破を掛けた。
口で言って分かる様な性格では無いのだ。
自分でやってみて、それで出来るか出来ないかを判断する様な女なのだ。
「泣き言は言わないでしょうね」
「あの子はカリオンより余程強いからね」
リリスの言葉に微笑みを返したエイラ。
その言葉に母の強さをリリスは感じた。
「私は母親になれるかしら……」
ボソリとこぼした本音にエイラの表情が曇った。
リリスが案じる事の正体は、言葉には決して出来ないモノだ。
ヒトとイヌの中間にいる生物なカリオンとリリス。
そのふたりの苦悩と恐怖をエイラは複雑な感情で見ていた。
「まずはあの子から搾り取りなさい」
「……そうですね」
女同士の友情とも言える言葉で笑いあったエイラとリリス。
ふたり揃って歩いて行く通路は、いずれも広く豪華な設えだった。
ル・ガルの上流階級へ嫁ぐ女たちの教育機関なのだから当然でもあるが。
「さて、デビューですね」
「この歳でやるとは思わなかったわ……」
「大丈夫。上手く行きます」
「……あの子の口癖ね」
「そうですね」
ニコリと笑ったエイラは優雅な振る舞いで壇上へと上がった。
夥しい目が集まる中、エイラはハッと気が付いた。その口癖はぜルのものだ。
そして、そのぜルの正体はワタラと呼んだ男。五輪男だ。
――ワタラ……
――あなたの言葉がまだ生きてるわよ
――レイラと仲良くやってるんでしょうけど……
――たまには顔くらい見せてよね
――ゼルと一緒でホントに冷たいんだから
どこか楽しそうな笑みを浮かべたエイラは会場を見渡した。
様々な種族の少女達が集っていて、一種独特の景観だった。
その中に、キチンとした身形で居並ぶコトリの姿があった。
――しっかりやりなさい……
母親の顔を覗かせてエイラは笑った。
王都郊外の療養所を完全に忘れたままだった。