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小さな綻び

~承前






 王都ガルディブルクから北西へ2リーグ。

 城から2時間少々を馬で行った所に建つ王立療養院はカリオン肝いりの施設だ。

 国内で死を待つばかりな業病患者を集め、安らかな最期を約束する地でもある。


 魔法治療の技術体系は、医学の発展という面から見れば邪魔でしか無い。

 消毒や感染の防止と言った基礎的な研究すらも行われない事を意味する。


 病に掛かったら大金を積んで魔術師の頼む。

 その金が用意できないなら、死を待つだけ。


 何とも切ない話だが、命は金で買うモノだと言う現実は何処の世界でも一緒だ。

 貧乏人には医療の恩恵すら無い。病も怪我もする方が悪いと言う冷酷な話。

 それに一石を投じたいと願っていたのは、リリスの母レイラ(琴莉)だった……


 そして、実はここにはもう一つ大きな意味がある。


 ゼルやカウリとフェリブルの決戦を裏で糸引いたシャイラをどう御するか。

 散々と考え抜いた末の結論は、療養院の院長と言う肩書きを与える事だった。

 そして、そこへ押し込め、舞台裏を知る人間をそばに付け、常時監視させる。

 些細な事でもその同行を把握し続け、ボロを出した時点で抹殺する。


 ただ、女の勘は鋭く外さないモノだ。

 カリオンは薄氷を踏む思いで演技しなければならない……


「叔母上、慣れぬ仕事を押し付け申し訳ない」

「そんな事無いわよ」


 たとえそれがなんであれ、シャイラはカリオンにとって数少ない親類の一人。

 そして、夢破れたシャイラの側から見れば、このポストを用意したカリオンに恩を売り居場所を手に入れられるポジションであり、また、再起の為に行なう根回しの拠点を貰ったに等しい。


「全体として、どうですか?」


 国民の保健を仕事とするリリスは、帝后ではなく保健厚生の大臣としてカリオンと共にここへと来ていた。シャイラから見たリリスは、自分がどれ程望んでも手に入れられなかった三つの肩書き全てを持つ女だ。


 リリスはまだ若いが、押しも押されもせぬ帝后だ。そして、ル・ガルで要職に就いている。しかも、妙齢となったシャイラにとって厳しい現実がそこにある。

 およそ250年程度の寿命を持つイヌとは言え、出産し幼子を育むには年齢というハードルが立ちはだかってしまう。


「まぁ、問題なく回ってるわね。病人が続々とたどり着いていて病床がたり無いけど、段々ね、傾向と対策が見えてきた感じ」


 シャイラもある意味で百選練磨な女だ。

 難しい局面を幾つも乗り越えてきたヴェテランだ。


 かつての教え子に嫉妬している部分を見事に隠しているといえる。

 ここでは見事に施設の長として振舞っていた。


「ところでリリスさん…… すこし…… 丸くなった?」

「……そうですか?」

「どちらかと言うと、お腹の辺りが……」


 シャイラが見せたジェスチャーは、リリスの下腹部を指すような仕草だ。

 それはつまり、女にしか出来ない事の実現であり、シャイラが心から望んだ理想とする未来、或いは女の野望の全て――次期帝王の母――に繋がる。


「……それは多分違います」


 困ったような顔で言うリリスは、どこか寂しそうに笑った。

 言うなれば、それは本人が一番良く分かっていることだ。

 女ならば得られる熱い悦びの果ての宝も、()()()()()無しでは画餅に過ぎぬ。


「そうなんだ……」

「えぇ……」


 少しだけ残念そうなシャイラの表情に、リリスは肩を窄めて見せた。

 ただ、その眼差しの中に紛れた、同情ではなく嘲りの色をリリスは感じた。


 それは、シャイラから見てリリスには複雑な思いがある様に、リリスにとってもシャイラという女は特別な思いがある。義母ユーラの妹と言う事もあるが、なにより父であるカウリとは()()()()()にあったのを知らない訳では無いのだ。


 父カウリの正妻は、あくまでユーラであって、母レイラは第二夫人にすぎない。

 そして、事あるごとに自宅へとやって来ていたシャイラは、リリスから見れば叔母に当たるのだが、その目に映るシャイラは父の妹の様にも見えていた。


 そのシャイラが事ある毎に母レイラへ冷たく当たっていたのを、リリスはまだハッキリ覚えている。

 まだまだ幼かった時代。後になって全てが繋がり知った、母レイラが人間的に壊れるギリギリの状態だった一番の理由。それは、シャイラがレイラをカウリから引き剥がそうと画策していた事だった。


 ――事を荒立てるのは得策じゃない……


 リリスにだってこれ位の事は容易に察せられるモノだ。

 どこかに後ろめたい企みが紛れ込んでいたとしても……だ。


「それにしても、すっかりお后さまが板についたわね」


 どこか棘の有る言葉だとリリスは直感した。

 それは、悔しさや憤りの果てに出てきた言葉だと感じたのだ。


「……色々と教えていただいた成果です」


 必死で取り繕う言葉を探したリリスだが、頭が真っ白になって言葉が無い。

 極々瞬間的な間だが、肉親では無く恩師相手としての言葉を選んでいた。


「そう言ってくれると、私も鼻が高いわ」


 ウフフと妖艶に笑ったシャイラは、わずかな間にリリスの内面を見抜いていた。

 シャイラにとって最強のライバルだったふたり、ユーラもレイラも居ないのだ。

 そんな中でリリスから見れば血縁とは言いがたくとも親類ではある筈。


 だが、リリスは恩師と生徒としての関係で表現した。

 つまり、相手を良くは思ってないという本音の発露……だ。


「じゃぁ、とりあえずは問題ないんだね?」

「そうね」


 幾多の修羅場を潜ってきたカリオンは、どこか冷たい口調で言った。

 それは、シャイラに対し念を押したような形だ。

 冷え冷えとした空気を漂わせる太陽王に、ウォークが内心を察する。


 ――王はシャイラ殿に気を許していない……


 俗に言う、信用はするが信頼はしていないと言う奴だ。


 絶対に何処かで何かアクションを起こす。

 しかもそれはあまり良い事では無い。


 いま大人しくしているのは、ジッとチャンスを待っているから。

 そんな読みがカリオンにもウォークにもあった。

 

 そして、問題ないね?と念を押したのは、言質を取った形にしたのだろう。

 何か問題が発生した場合は、どうでも良い理由を付けて追及できる形だ。


「よぉ! カリオン!」


 シャイラと話をしていたカリオンとリリスの元へトウリが姿を現した。

 今のトウリはこの療養所の中のいちスタッフにすぎない。


 妻サンドラの労咳を癒すべく、トウリは奔走していた。

 日に三度の食事を用意し、天気の良い日にはバルコニーで日光を浴びせて紫外線消毒を図る。もちろん、清潔な寝床を維持する為の洗濯も欠かせない。また、多くの業病患者をサポートする介護士達を束ね、そのリーダー役を引き受けていた。


「兄貴! どう? 順調?」

「あぁ、全て順調だ」


 トウリをどう処分するか。

 それはカリオンにとって一番の悩みのタネだった。

 本来は父カウリが一命を差し出し、助命嘆願する算段だったのだ。


 だが、その対価となるべきモノは全て失われた。

 だからこそ一手間増える形でのトウリ救済策を考えねばならない。

 軽い処分では今後に差し支える。軽い気持ちでクーデターなどやられては困る。


 しかし、その一命をもっての贖罪は都合が悪い。

 逆説的に、死ぬを前提の行動など起こされるのも困るからだ。


 ――トウリ殿には養生施設へ行ってもらうのはどうでやしょう……


 リベラがそう進言し、カリオンはそれに乗った。

 役職につき施設を預かるのではなく、実働部隊として汗を流す役だ。

 業病の現場へ送り込まれ、危険なポジションで働く。


 施設の中で成果をあげれば重畳で、堂々とその実績を評価出来ると言うことだ。


「実際、思ったほど業病は怖い病ではないのが分かってきた」


 トウリは明るい声で言った。

 洗濯物を取り込み、それを丁寧にたたんでいる作業の途中だったようだ。


「労咳は劇的に悪化する事が少ない。恐らくは徐々に身体が衰えて行く病だな」


 実際問題として、結核と呼ばれるその病の病理はこの世界では未知のモノだ。

 恐らくはヒトの世界から落ちてきた者が持ち込んだものだろう。

 ヒトの世界の結核と同じく、中枢神経を侵されたちする重篤症状が出るのだ。


 だが、医学的な解析が弱い世界では、結核菌による健康被害だと気がつかない。

 消化器系や生殖泌尿と言った器官へのダメージが別の病だとみなされてしまう。


「それは良かった。段々業績が形になってきたね」

「あぁ。ここの職員はみな優秀だ。ホント助かるよ」

「それは良いけど……」


 カリオンはスッと厳しい表情になった。

 厳しい事を言うんだとトウリも覚悟した。


「抜かりなくなってくれよ」

「あぁ、分かってるさ。任しとけって」

「頼むよ。でさ。サンドラは?」

「あぁ、あいつは……」


 振り返ったトウリはバルコニーの上に手を振った。

 直射日光が燦々と降り注ぐデッキの上でサンドラがいた。

 デッキチェアの上で横になっている。


 遠めに見ても血色良くふくよかになった姿が見て取れた。

 それはつまり、トウリの努力の結晶でもあった。


「呼ぼうか?」

「いや、こっちが出向こう」


 カリオンはリリスを伴ってデッキへと向かった。

 ふと気がつけば、シャイラは同行しなかった。

 感染を恐れているのだろうとカリオンは思うのだが、それは口にはしない。

 最後まで健康を保てるポジションに人を置くのもまた重要なことだからだ。


「兄様、大丈夫なの?」

「あぁ。体力には自信があるからな。しっかり食べて寝ていれば、それで平気だ」


 自身溢れる笑みでリリスを見たトウリ。

 だが、そんなトウリもまたリリスの顔をじっと見た。


「おまえ…… 子供出来たか?」

「え?」

「丸みが付いてきたな」


 遠慮なく言ったトウリの言葉にリリスは少しだけ困った表情だ。

 そして、隣に居たカリオンを突っついた。


「実はここしばらくね、カリオンばかりアチコチと飛び回ってて私は留守番ばかりだったから……」


 遠回しに夜もご無沙汰だと言ったリリス。

 衆人環視の中で夫婦の営みを開陳するほどの勇気はまだ無い。


「じゃぁ太ったか?」

「ばかっ!」


 リリスは遠慮なくトウリの腕をひっぱたいた。


「イテッ!」


 予想外に強い力で叩かれトウリは驚く。

 良い角度で入ったらしい一撃に、トウリの腕が痺れた。

 鈍い痛みが腕に残り、動かせば筋肉が悲鳴を上げた。


「おまえもうちょっと手加減しろよ!」

「遠慮なく女にひどい事言うからよ!」


 プクリと頬を膨らませたリリスの姿は実にコケティッシュだった。

 ただ、そんな姿を見ていたカリオンだけが微妙な表情を浮かべた。


 ――まさか……


 もしかして、リリスも覚醒してしまうかも知れない。

 カリオンはそんな危機感を持った。


 間違いなく()()()()()()()()な筈のリリスだ。

 同じように生命の危機が迫れば覚醒しかねない……


 ――まさか……な……


 考えすぎても始まらない。

 ただ、どうやって止めるかだけをしっかり考えておいた方が良い。

 あとは、人前で覚醒しない事を祈るだけだが……


「行幸啓、恐れ入ります……」


 デッキを上がったカリオンとリリスに、多くの収容患者が頭を下げて出迎えた。

 そのどれもが業病を患い、疱瘡に苦しみ、喀血を続ける者ばかりだ。

 今までは人知れず山中などで寂しい最期を迎えていたはずだが……


「余の治世の間に病を根絶したい。そなたらの協力が何より重要だ」


 意識してゆっくりと喋ったカリオンの声は、とても落ち着いついたものだった。

 威厳とは作り出すものだ……と、帝國老人倶楽部の面々は進言していた。

 カリオンは愚直なまでにそれを守っている。


 やがて結果が出るだろう。

 そう信じていた。


「喜んで協力させていただきます」

「そうか。良かった……」


 治癒魔法の存在する世界では、患者は治すのではなく癒すものだ。

 世界各地に点在する治療魔法のエキスパートは、みな同じように振舞う。


 それは、いつでもどんな所でも、人を癒すと言う行為に大差が無い証拠だ。


「サンドラ」


 トウリは静かにサンドラへ声を掛けた。

 デッキの上で薄掛けを乗せたまま転寝をしていた彼女は静かに目を覚ました。


「お客さんだ」

「おきゃく?」

「あぁ」


 トウリが指差した先にはカリオンとリリスが立っていた。

 慌てて立ち上がろうとしたのだが……


「そのままで良いよ」

「随分良くなったみたいだね」


 カリオンもリリスも嬉しそうな声で言った。

 いっぺんの疑念も抱かせないように、心からの言葉を吐いたのだ。


「太陽王陛下の御慈悲と御厚情で、快復に向かってます。ありがとうございます」


 サンドラは随分と改まった他所行きな言葉で謝意を述べた。

 一瞬だけ怪訝な表情になったカリオンだが、その一瞬の間に思考を巡らせた。

 そしてそれは、夫トウリの為の演技だと気が付いた。


 ――この人は……

 ――聡明だ……


 ここに夫トウリが送り込まれたのは、太陽王に弓引く逆賊の汚名を晴らすため。 世界から切り捨てられた者達を収用するここは、贖罪の為の努力をする場だ。


 トウリはこの危険な施設で実績を積みあげ、国民の赦しを得なければならない。

 単なる野望に燃えたのでは無く、国家と国民を思った上での行動だった……と。

 そんな説得力を与えねばならない。


 ならばサンドラは夫を立てて共に努力する義務がある。

 理屈では無く理想として、それが夫婦というものなのだろう。

 共に並んで立って、そして同じ方向を見て歩いて行く。

 そんな姿だ。


 ふと、カリオンはサンドラの姿を眩しいと思った。

 キラキラと輝いている様に見えた。

 純粋な美しさがそこにあると思ったのだ。


 ――そうか……


 父であったゼルの為にリリスの母レイラが行った事。

 今すぐにでも会いに行きたいと願った夜から幾星霜。

 二人の間に子供―リサ―が生まれるまで、何年かかったか……


 ――この人は大丈夫だ……


 思慮深く、慎み深く、情にも深い。

 サンドラが共に居る限り、トウリは大丈夫だ。

 カリオンはそんな印象を持った。


 そして、その努力に報いねばならない。


「早く良くなって欲しいが、焦る必要は無い。じっくり療養して」

「はい。そう致します」

「……本来であれば余が庇護するべき者達であった」


 王は感謝こそすれ、決して謝ってはならない。

 この世界に限らずとも、それはある意味で常識だ。


 例えそれがどれ程明確な失敗だったとしても、王はそれを認めてはいけない。

 王の意志を叶えるべく奔走した者は必ず存在する筈だからだ。

 仮に王が安易な謝罪などすれば、その努力まで否定する事になりかねない。

 汗を流し涙を流し、努力した者達にも報いる義務が王にはあるのだ。


「皆の努力を無にしてしまう事は辛い。愚昧な王だが、それ位は分かるつもりだ」


 王が謝るなら自らが悪いと明言するしか無い。

 カリオンが教えられた帝王学は、全て祖父シュサのものだった。


「……もったいないお言葉です」


 サンドラは周囲が聞こえる様にそう言った。

 だいぶ回復した者の中には、故郷へ帰れそうな者も出てきた。

 そんな者達が太陽王夫妻の行幸啓と言葉を持って帰る事になる。


 瞬時にそんな読みをしたサンドラの、その回転の速さにカリオンは舌を巻いた。

 そして、敵に回すとどれ程恐ろしいかと言う事も。


「余は――


 どう振る舞って良いか、一瞬カリオンは迷った

 だから、太陽王としての振る舞いをカリオンは貫いた


 ――またここへ来る。この地で療養する全ての者また、余の同胞ぞ」


 カリオンは静かにそう言った。

 その振る舞いを見ていたリリスは、夫カリオンの背中に王の重責を見ていた。


 懊悩し、逡巡し、正解の無い道を行くが如し。それが帝王の宿命。

 踏み外したら奈落となる二河白道を、何の導きも為しに歩くに等しい。


 王とは重責を背負い孤独な道を行くものだ。

 だが、それを理解出来ない愚かな者は必ず居る。


 この場にいたトウリだけが、複雑な表情でカリオンを見ていた。


 ……これ程努力しているのに

 ……これ程サンドラが頭を下げているのに

 ……何を偉そうに


 もう少し頭を回せば気が付く事は幾つもある。

 物事の辛さを理解せず、単純に考えてしまう者を直情径行(バカ)と言う。

 サンドラが支えるトウリは、その父カウリが危惧した通りにそれを持っていた。


 そして、そのトウリ最大の欠点を、カリオンはまだ理解していなかった……

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