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リリスの嘆き/国内改革の始まり


 ガルディブルク城最上階。

 太陽王とその帝妃の寝室は、玉座の塔から離れた所にあった。


 巨石インカルウシの上に建設されたこの城は、栄えるル・ガルの中枢として機能しているのは勿論だが、それと同時に太陽王の生活空間でもあるのだ。


 城の下部エリアには太陽王カリオンによって召集される全国の貴族達や平民達からなる上下両院が総会を開く為のホールがある。その上には様々な行政機関が集約され、太陽王の手足として全国を制御する権力系統の出発点になっていた。


 そこからさらにフロアを上がると、謁見の間や懇談の間と言った国事行為に関する様々なホールが存在し、このエリアまでは国家の管理するところとなっている。


 ただ、その上。微睡みの花畑と呼ばれる王とその家族以外は相当限られた者しか入れない中庭を通りぬけると、専用の階段で上がっていくエリアがある。それは、ル・ガルの公的機関が使うフロアからは完全に区切られているエリア。


 それこそは、太陽王とその家族の生活の場だった。


「ねぇエディ」

「ん?」

「ここんとこさぁ……」


 やや不機嫌そうな声で口を尖らせるリリス。

 カリオンはベッドサイドに書類を置いて向き直った。


「どうした? なんかあった?」

「いや、何も無いけど……」


 リリスは明らかに不機嫌だ。不機嫌と言うより、悲しんでいる様だ。

 その中身までは窺い知ることが出来ないが、心の痛みは理解出来た。


 ――やばいな……


 カリオンは胸に手を当て、自らを省みた。愛する妻を悲しませるような事をしただろうか?と。ポーズでは無く真剣にそれを思案した。ビッグストンで教えられた五省の精神は今も心に生きている。


 至誠に悖るはなかりしか

 言行に恥ずるはなかりしか

 気力に缺くるはなかりしか

 努力に憾みなかりしか

 不精に亘るなかりしか


 この五つの点を一日の終わりに反省するのだ。

 士官として、部下を率いる者に求められる大切な能力。

 自己を客観視し、己を高め真っ直ぐに進む為の指針。

 

 何よりもこれは、人として大切な事だった。











 ――――――――ガルディブルク城 帝王の寝室

         帝國歴 337年9月22日











「俺…… なんかやっちまった?」

「やったわけじゃ無いけどさ……」


 リリスはカリオンが置いた書類を取り上げて眺めた。


「私にも見せてよ……」

「あ…… あぁ…… そうだな」


 そこにはサンドラがなぜ労咳を患ったのかが詳細に書かれていた。

 該当する機関の関係者が調べ上げた報告書は、文字通りに第一級の資料だ。


「……そうなんだ」


 王都ガルディブルクの郊外。

 城から2リーグほどの高台に、王立の難病専門療養所が作られた。王立と言う肩書きで作られた施設だけに、運営費など一切の運転資金は太陽王カリオンの持つ莫大なポケットマネーだ。

 そして、この施設ではル・ガル国内にはびこる業病や労咳や、疱瘡と言った重疾患を研究している総合研究所としての機能も持っていた。不治の病とも言われる業病関係を中心に、様々な研究者や医療従事者が一堂に会し、ジャンルの垣根を越えてル・ガルの英知を集めていた。


「サンドラは…… 大丈夫かしら」

「報告書では順調に回復中とあるが」


 ガルディブルクからシウニノンチュへと向かっていたサンドラは、旅券となる手形を何者かによって盗まれ失った。この場合、地域所轄の警察権力は手形紛失者を一時的に拘留し、身元となる手形発行拠点へ身分照会を行って手形を再発行することになる。

 他国から入り込んだ諜報機関などへの対抗策でもあるのだが、サンドラの場合は根本的に旅券再発行を拒んだとの事だった。そもそもの発行が近衛騎士団による身元保証なのだから、地域のローカル警察では手に余す案件であり、これ自体は通常の対応であって、問題はないと言っていい。

 そもそも、市民に紛れ国内を移動する算段だったのだから、再発行の融通が聞かない事を攻めるべきではない。そして、手形の管理は個人の責任であって、酷い言い方をするなら無くす方が悪いのである。


 だが、サンドラの件での問題は、この時点で帰り道の担保となる事故帰還手形が出なかった事だ。手形と言うように、本来はその本人の手形が本人証明として押されている筈なのだが、それを確かめずに赤の他人の手形を本人のものと誤断してしまっている。そして、文字通りに厄介払いで、早く宿場町を出て行けと追い出している。


「イヌの国の暗部だよ」


 カリオンは吐き捨てるように言った。

 誰だって業病には関わり合いたくないものだ。


 感染を防ぐ手立ては、発病者と接触しない事。通常の医療で対処出来ず、相当高度な治療魔法でもない限りは治癒する事もない病だ。栄えるルガルとは言え、高名な魔法使いに治療を依頼する対価は、一市民が持ち出せる金額では無い。


 それゆえに、小さな宿場町はサンドラを追い出す事を選択したようだ。

 どこへでも行って野垂れ死ね。健康な者に迷惑をかけるな。


 それを『冷淡な対応』と非難するのは簡単だが、手の施せない事態を前に大多数を救うべく少数を切り捨てる難しい案件は確実に存在するのだ。下らないヒューマニズムで全員幸せなどという理想論が通用しない以上、仕方が無い事だ。


「サンドラも優しいから」

「あぁ。それは間違いない」

「哀れになったのかな」


 サンドラは業病を患った者たちに同行したとの事だった。

 とにかく接触しない事が一番である業病対策は、患った者の支援すら憚られるような空気だ。サンドラはそれを良しとせず、出来る限りに支援を行ったという。


 ただ、その行為が導く結末は、自らの感染だった。


 本人がそれに気がついた時には、既に喀血の症状が出ていたのだという。

 労咳は一気に死ぬ病ではない。咳と微熱でじわじわと苦しむものだ。

 それ故に、普段の食生活で高カロリーかつ高ビタミンを心掛け、体力と気力を充実し自己治癒能力を持って乗り越えるしかない。

 だが、サンドラはあの死を待つ山で死を待つ者たちの支援に奔走した。

 その結果があの、ガリガリにやせ衰え、死を待つばかりの姿という事のようだ。


「順調に回復って言うけどさぁ」

「あぁ」

「治るのかな。労咳って」

「リベラの話では、寛解って表現らしい」

「かんかい?」

「うん。病と折り合いをつけて、共存しつつ病が大人しくなってる状態」

「……ふーん」


 そう。労咳は治癒する事がない。

 抗生物質などの攻撃型薬剤がない世界では、治癒力を高める事でしか対処ができないのだ。ウィルスなどと言った病理病態解明が進んでいないにだから、それに対処する治癒魔法の研究も進んでいない。

 かつて五輪男や琴梨も驚いた事だが、魔法というものはそれ自体が一つの学術体系であって、不可能を可能にする超能力の様なモノでは無いのだった。


 それゆえに、先ずは病を正しく知らなければならない。

 カリオンはそう判断し、研究所の建設を命じたのだった。


 そして、ゼル陵にほど近い場所からその研究所へと運び込まれたサンドラは、国家予算を使って療養を始めた。国内外から様々な専門家が集められ、盛んに研究が行われていて、そこには著名な魔法使いが呼び寄せられ、魔法薬の研究も行われていた。


「研究者は治るって言い切ってるよ。報告書にそうある」

「報告書のなかで嘘をついている可能性は?」

「……ウソを書いて俺に上げるとは考えにくいけど」


 首を捻るカリオンは冷静に考えた。

 太陽王を謀って何か得することがあるだろうか?と。


 どれ程考えても、破壊工作や政治工作以外でメリットが思い浮かばない。

 太陽王を誘い出し、無き者にしようと工作するなら、ある意味で良い舞台だ。


「明日にでもちょっと行って見てくるよ。すぐそこだ」

「……一人で?」

「あぁ……」


 軽い調子で答えたカリオンだが、リリスはより一層に悲しい表情を浮かべた。

 それをどう解釈するかは難しいが、少なくともカリオンはその表情を見るのが辛かった。大切な愛する人が嘆き悲しんでいるのは、見ている方も辛い。


「……一人で背負い込み過ぎよ」

「だけど……俺はさぁ――


 太陽王だぞと言いかけたカリオンは、その言葉を飲み込んでしまった。

 リリスは両目一杯に涙を溜めていたのだった。


「無理してない?」


 リリスはいきなり核心を突いた。

 その言葉はドキリとカリオンの胸を打った。


「……そうかな」

「今日だって……」


 この日の日中、カリオンはウォークを連れビッグストンを訪れていた。突然の訪問で校内は大騒ぎになる所だが、カリオンは教授陣に紛れ込む様に、全く平民の姿を取ってシレッと中へ入り込んだのだった。

 ビッグストンの教授陣はまだカリオンをしっかり覚えている。本学始まって以来の秀才だったのだから、その印象は強烈だ。もちろん教育長であるロイエンタールも驚いたのだが、カリオンは涼しい顔だった。


 ――――突然のご来臨ですが……


 笑いながら言ったロイエンタール卿だが、その笑みは引きつっていた。

 訪問の大義名分は、城下とビッグストンの視察だったが、その実はビッグストンへ放り込まれたイワオを見に行ったのだ。


 ――アレはついて行けているか?


 7月に入ったらビッグストンへ送り込むと言ってあったイワオだが、それまでの基礎トレーニングはフレミナ絡みなどの案件で一切手を付けられなかった。故に、城詰めの者達に命じ、体力錬成と気力の充実を図るべく、馬術や剣術や、それだけで無く基本的なトレーニングという部分をみっちりやらせたはずだった。


『ヒトの身でありながら、大したモノですぞ』


 ビッグストンの教授陣は、口を揃えてイワオを褒めた。決して優秀とは言いがたい成績だが、学業ならば互角以上だ。そして、身体的にどうしても負けてしまうヒトだというのに……


『剣術と馬術は上位集団の一員です。持久力や回復力に不安がありますが、それを補ってあまりある思考力がありますね。正直、末恐ろしいです』


 戦術と戦略の教授へ立身したエリオット・ビーン子爵はそう太鼓判を打った。

 イヌの目から見てもイワオの能力は赫奕(かくやく)たるものだった。


 どうせヒトだから……


 そんな偏見の目を弾き返すだけの実績と実力を持っている。

 かつてのカリオンが『マダラ』という理由だけで差別を受けていたのと同じ構図と言える。それ故にイワオが心配で仕方が無いカリオンだが、イワオは実力で全てを押し返しつつあった。


「あの子も多分あなたと同じよ。きっと破格の能力を持ってる」

「それはきっとリリスも一緒だと思うんだ。ついでに言えばコトリも」

「だとしたら、あなたはもっと……」


 リリスは浮かべていた涙を遂にこぼしてしまった。

 純白のシーツにポタリと落ちたその涙は、丸く水濡れの柄になった。


「もっと…… なんだい?」

「私を信用して」

「え?」

「あなたは優しすぎるの」


 リリスの言った言葉はカリオンに混乱をもたらした。

 自らがまだまだ至らない人間であるのは良くわかる。だが、優しすぎると言われている。罵られているのが理解出来ない状態だ。


「優しいって、とても怖いのよ……」

「ゴメン。言ってる内容が良くわからない」

「あなたは誰も傷つかない様にって、全部一人で背負い込むの」

「全ての責任は俺にあるんだ。それが太陽王じゃないか?」

「そうだけど……」


 リリスは両手で顔を覆い『違うの……違うの……』と呻きながら首を振った。

 その様子は痛みに耐えるのでは無く、歯痒さに身悶えるものだ。


「あなたはいつも一人で踊っているの。でも、違うのよ。踊るのはあなたじゃ無いのよ。あなたの役に立ちたいって願っている人達なの。部下達なの。この城の中や外や、そういう括りじゃなくて、もっと大きな物なの」


 リリスは両手を解いて素顔を見せた。

 涙に暮れたその表情には、悔しさや悲しさの色が滲んでいた。


「あなたは優しいから踊らせないの。失敗して責任を取らされる者が出ない様に、そうやって気を使っているのよ。だけどね…… だけどね…… だけど……」


 ベッドのシーツをギュッと握ったリリスは、俯いて肩を震わせた。

 その頭に付いた垂れ耳がわずかに震えていた。


「私にも踊らせて」

「え?」

「私と踊って」

「リリス……」

「あなたの役に立ちたいの」


 それは紛れもなくリリスの本音だった。

 どうしたって人間が分かり合うなんてのは幻想でしか無い。

 それは儚い期待でしか無い。もしくは妄想。幻想の類いだ。


「あなたの役に立ちたくて頑張る人達は、あなたが何を思うかしか考え無くなる」

「……そうだな」


 カリオンはビッグストンで教えられた部下統率理論を思い出した。

 部下が育つ糧は賞賛。その賞賛をもっともっと集める為に、部下は努力する。

 ただ、その部下に成功の指針を与え、方針を理解させねば後が続かなくなる。


 部下はただ賞賛を貰う為だけに、時には嘘もつく様になる。

 そして、麻薬の様な快楽を求めてしまうのだ。

 夥しい耳目が集まっている中で、王自ら褒美を与え賞賛されるという時を。


「同じ物を見て、同じ様に感じて、同じ様に対処して」


 リリスが言う事はカリオンに事態の核心を理解させた。

 いったい何をそんなに嘆いているんだと思っていたカリオンだが……


「全てを背負い込んで走り続ければ、どんな馬だって潰れるの」

「……そうだな」

「あなたは指示を出す役よ。事態の解決を図る役じゃ無い」


 その通りだとカリオンは思う。

 どんな些細な事にでも首を突っ込み、事態を直接把握しないと気が済まない。

 そんなカリオンがオーバーワーク気味なのは皆が危機感を持っている事だった。


「ここのところ、あなたはいつもストンと寝てしまって……」


 そう言えば、この数ヶ月はリリスとの『夜』もご無沙汰だ。

 疲れて城へ帰ってきて、食事し報告書を読み寝てしまう。

 そんな生活を続けてきた。


「朝だっていつも辛そうで……」

「そうだな」


 リリスの嘆きにカリオンは笑みを返した。

 赤心からの心配を理解したのだ。


「少しくらい手を抜いたっていいじゃない」

「それは良くない。些事にも全力で。それがビッグストン生の矜持だ」

「じゃぁ、自分じゃ無くて部下に全力で当たらせて」


 リリスが発した何気ない一言にカリオンは『あっ』と内心で驚いた。

 大事な事を忘れていた時が付いた。


「そうだな」


 カリオンは優しく頷いた。

 サンドラを含めた国内改革は、まだ道半ばだった。

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