表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
136/665

サンドラの旅路

~承前






 リベラはその病を業病と言った。

 全身に疱瘡を生じ、やがて腐って落ちる病。

 肺を患い、黒い血を吐き続け、やせ衰えていく病。

 そして、身体の至る所に瘤を作り、光や毛髪や鼻を失っていく病。


 そのどれもが長く苦しみ続け、やがて確実な死に至る病だ。


「サンドラ様をどうにかいたしましょう」

「手はあるのか?」


 迫真の表情で問いかけたトウリに対し、リベラは首肯しつつ言った。


「先ずは湯を沸かしてください。とにかく大量に、沸騰するまで」


 その病は労咳と言うらしい。

 リベラはそれをネコの国の業病だと言った。


 ネコはおよそ600年もの寿命を持つ。

 だが、実際には半数以上が労咳に負け、300歳未満で命を落とすのだという。


 絡みつくような乾いた咳が続き、それが元で体力を消耗する。

 若い頃の発症ならば体力で乗り切れる。うまく付き合って過ごすらしい。

 しかし、年齢を重ね体力が衰え始めると、その病は一気に牙をむき始める。 

 とりわけ、貧しい者や食い詰め者など、栄養状態の悪い者は直撃を受けるのだ。


 直接的に命を取られるような症状ではないが、徐々にやせ衰えていく病。

 ネコの国にいるヒトは、それを目に見え無い程に小さな虫の仕業だと言った。

 その虫は、身体の中へと入り込み、特に肺を狙って巣食うのだという。


「リベラ殿。これでよろしいか?」


 ジョージは手持ちのヘルメットを使い、幾つも大量に湯を沸かした。

 リベラはその湯を前にして、いきなり纏っていた上着の裾を破き、湯の中に突っ込んでしまった。


「リッ リベラ殿?」

「しばしお離れを」


 ジョージを遠ざけたリベラは、上質に染められた生地を煮沸消毒し始めた。

 グラグラと沸き立つ湯に晒された布からは、染料が染み出している。

 

 その布を湯から上げたリベラは、熱い熱いと連呼しつつもギュッと絞る。

 まだ湯気の漂う生地を自らの鼻に巻きつけ、簡易マスクとした。

 そして、もう一つの布を湯から上げ、それをも絞って歩きはじめた。


「皆様方はこちらでお待ちください」


 全員の足を止めてからリベラはその段々を上っていった。そして、所々に作られた平場の庵を確かめては時々一歩下がり、首を振って胸の前で手を合わせ、死者を悼んだ。

 どうする事も出来ず、ただただ、最期の時を待つしか無い歯痒さ。看取る者の辛さはここに帰結する。


「ル・ガルにこんな場所があるとは……」


 リベラの呟きがやけに良く響く。

 そしてそれは、容赦なくカリオンの胸を叩いた。

 己の手からこぼれた物がそこにあるのだ……


 ――なんと言う事だ……


 リリスの肩を抱き奥歯を噛みしめるカリオン。

 その振る舞いに、リリスはカリオンの悔しさを感じ取った。


 やがて、最上段の庵まで上がったリベラはサンドラの前に立った。

 蒼白な顔で震えるサンドラは、見る影もなく痩せ衰えていた。


「なんてことを」

「貧しいネコの国の知恵でございますよ」


 湯に湿らせて持ってきた布を固く絞り、サンドラの口周りへと巻きつけた。

 そして、『さぁ参りましょう』とサンドラを抱き上げ斜面を降り始めた。


「いけません! ダメです!」

「平気です。こうすれば虫は外に出られやせん」

「でも……」


 臆することなくサンドラを抱え上げたリベラは、その軽さに愕然とした。

 ネコもまた膂力に溢れる種族だが、それにしたって軽すぎたのだ。


「まだ食べられやすか?」

「……身体が受け付けません」

「そうでございやしょう……」


 リベラは知っていた。

 この病はやがて物を食べる事すら出来なくなる事を。

 僅かに飲み込んだとて、身体が受け付けず吐き出してしまうのだ。


 その身に染みこむのは、よく煮込んだ芋の粥や果実を干した物。

 肉類はたちまち吐き出してしまい、喉を焼いて声を嗄らすのだ。


「この鍋の膳は?」

「……飲み込めます」

「そりゃぁ重畳にございやす」


 サンドラを抱えたリベラはトウリの前までやって来た。

 トウリは慌てて走り寄ろうとしたが、リベラはその動きを制した。

 そして、数歩離れた場所にサンドラを下ろし、渋い声音で言った。


「大切な事ですんでお忘れになりやせんよう」


 歴戦の細作が発する声音は、不思議な事にトウリにしか届かなかった。

 僅か後ろに立っていたカリオンは、掠れ掠れの声を聞いただけだった。


「労咳てぇ病は俗に貧乏人殺しと言いやす」

「貧乏人殺し?」

「へぇ」


 リベラは静かな口調で説明を始めた。

 見事なまでに声の届く範囲を切った話術だった。

 それは、この地にいる死を待つ者達への配慮だ。人の命を刈り取る稼業の男は、今まさに命の炎が消えかかっている者に気を使ったのだ。


「この病は、病を癒やす魔法も巫術も役に立たず、むしろ症状を悪化させる最悪の病でございやす。唯一無二の治療法は、太陽の光を浴びつつ滋養溢れる食事を三度三度きちんと食べ、労働など身体を使う事を避けて、朝から晩までゆっくりと過ごし、よく眠る。本当にそれだけでございやす」


 リベラの言葉にカリオンはハッと気が付いた。

 そんな事が出来るのは、それなりの家に生まれた貴族ぐらいなものだ。


 日々の生活に追われる貧乏人は、身体が蝕まれても働き続けるしかない。

 そして、やがて限界を超えた日に大量の血を吐いて死ぬのだそうだ。


 だが。


「では…… 癒えるのだな?」

「はい。ただし……」


 リベラの目は細く鋭くトウリを貫いた。

 その威はトウリを一歩下がらせるに充分だった。


「旦那の覚悟が何より重要になりやす」

「覚悟……だと?」

「えぇ。そばに居て常に支えるという覚悟でや『そんな事なら』……なら?」


 リベラはより一層冷たい眼差しになった。

 それは、文字通りに冷え冷えとした眼差し。

 逆説的に、諦めきった者の目とも言える。


「公式の行事や旦那のお仕事につれて歩くわけには行きやせんぜ?」

「……そうか」

「旦那の立場は言わなくてもお分かりでございやしょう」

「……そうだな」


 トウリはあくまで反乱を企てだ謀反者で反逆の徒だ。

 しかも、フェリブルによってフリオニールの正当後継者と指名された者だ。

 ル・ガルに反旗を翻し、国家争乱と転覆とを起こさんとした逆徒の王。


 そんな者を王都ガルティブルクへ入れるわけには行かない。

 全ての罪を被る筈だったカウリは既に草葉の陰だ。

 罪一等を減じるべく命を差し出す筈だったのだが、打つ手無しの八方塞がり。


 トウリは全ての罪を被らねばならない。

 もちろん、カリオンがそれを救う事は出来るだろう。

 だが、太陽王に弓引く逆徒を、何の大義名分も無く赦免する事は出来ない。


 ならば、何処かの厳しい地にて、苦悶の日々を送る必要がある。

 やがて市民の間から、自然発生的に『もう十分だ』の声が上がるまで。

 それまでの間、トウリはサンドラと都落ちをせねばならぬ。


 ガルディブルクの街で収監され、独房で暮らすなど出来る相談では無い。

 ル・ガルにおける労咳は、牢獄の病なのだから。


「まぁ、後の事は後で考えよう。先ずはサンドラの病を癒やす」


 カリオンは冷え切った空気をかき混ぜる様にして、そう言い放った。

 リベラをはじめ、ジョージもウィルもウォークまでもが頭を垂れた。

 それらを見ていたカリオンは、スッと歩み出て業病の者へ歩み寄った。


「そなたらの病は癒えぬのか?」

「癒えるのであれば、このような場所までは来ておりませぬ……」


 苦しそうに声を出したのは、身体中を包帯で包んだ男だった。

 両手の指が無残にも崩れ落ち、その顔には疱瘡があった。


「そなたらはどこから来たのか?」

「遠く…… フレミナの山間部から」

「何故ここへ?」

「ここは死を待つ山でございます」


 濁った目をしたその男は、眩しそうにカリオンを見た。

 何故だかは分からないがカリオンは確信していた。

 絶対に目を背けてはいけない……と。


「それは……免れ得ぬものか?」

「はい」


 途端に咳き込み始めた男は、ゆっくりと身体を横たえた。

 ムシロの上は暖かく、癒やしの効果を発揮した。

 だが、全身の膿疱から滲み出る膿汁は、鼻が曲がるほどの臭気を放った。


「太陽王ともあろうお方は、ここへ来てはいけません」


 弱々しくあげられた手は、カリオンを追い払う様だ。

 だが、カリオンは迷う事無くその手を取った。

 そして、力強く言った。


「太陽の恩寵は地上全てを遍く照らす。余は太陽の地上代行者だ」

「いけません」


 男は慌ててカリオンの手を払い、己の手を引っ込めた。

 その直後、リベラは己に巻き付けていた湿布を解き、カリオンの手を拭いた。

 慎重に慎重に拭き取り、最後に手持ちの酒を掛けて清めた。


「済まぬ」

「どうか…… もっと慎重なお振る舞いを」

「あぁ。だが、この者達もまた余の臣民ぞ」


 振り返ったカリオンは大きな声で『ウォーク!』と呼んだ。

 やや離れた場所にいたウォークはカリオンへと歩み寄った。


「病を癒やす療養所を作る。死を待つ者に安息の地を作る」

「はい。畏まりました」

「どれくらい掛かるか」

「全く1からですので、早くて2年かと」

「死を待つ者は多数いる。2年と掛けてはならぬぞ」

「ですが……『ならば改善策を講じよ』


 カリオンの言葉にウォークは引きつった笑みを浮かべた。

 次に発する言葉が察せられたのだ。


「出来ぬの一言で終わらせては良心が無い」


 ……後世に書き残したウォークの手記では、この日の事をこう記した。

 太陽王の無茶振りは幾度も経験したが、その全ての始まりはここであったと。


「……畏まりました」

「先ずは彼らに滋養のある夕餉を用意せよ。それとサンドラの為に庵を拵えよ」

「はい。では早速」


 ウォークとジョージは何事かを算段し、各方面へ指示を出した。

 僅か50名程しかない歩行の騎兵達だが、手持ちの弓や短剣で獣を仕留め、テキパキと夕食の支度を始めた。ただ、身体が受け付けない者には喉を通さぬメニューとなるやも知れぬ。

 途中からそれに介入したリベラは、幾人かの騎兵と共にかたくりの球根を掘って集め、それを洗って鍋へと入れた。ル・ガルには無い病への知恵は、こんな時にも有効なのだとカリオンは思う。


 そして……


「種族が違っても知恵は役に立つものだな」

「本当だね」


 カリオンにぴったりくっついているリリスも感心していた。

 イヌだけが優れているのでは無い。優生学的な過信を諫めるに十分なシーンだ。

 ジョージやウォークはリベラに質問を浴びせ、リベラはそれに答え続けた。


 ――上手く回っているな……


 僅かに安堵したカリオンは、ジッとサンドラを見た。

 トウリと共にウィルがそばに立っていて、体力の回復を導く魔法を使っていた。


 ――病を癒やすのでは無いのか……


 それもまた魔法使いの知恵なのだろう。

 僧院の奥にあると言う死者をも蘇らせる秘術ならばともかく、街の治療師レベルでは癒やせない病だという。

 ウィルは治癒の魔法では無く、体力を増強する魔法を使った。戦闘中に身体へと活力を注入し、力を漲らせる魔法だ。病と闘う身体に渇を入れる様なものだ。


 ――なるほどな……


 ただ、その魔法を受けるサンドラは、トウリの腕の中でグッタリとしていた。

 いったい何があったのだと訝しがる様な姿だった。


 王都からシウニノンチュまでの旅は、決して楽な道のりではない。

 だが、古くはノーリの時代より整備されてきた街道なのだ。


 ――それほど苦しい旅でもないはず……


 旅人を支援する設備は多数あり、その全ては無料で使える仕組みだ。

 また、王都の近衛連隊が発行した旅人の為の通行手形を持たせたはずだ。


 太陽王を護る近衛連隊の手形さえあれば、行く先々の支援施設は優先的に使えるはずだったし、困り事があれば様々な便宜を図ってくれる筈だった。


 ──何かあったのか?


 誰だってそう思う姿だ。

 旅人の衣裳ではなく、何処かの旅人宿がつかう寝間着姿のサンドラだ。

 何かしらのトラブルに巻き込まれたと考えるのが普通だろう。

 道中に望んでこんな場所へ来る方がおかしい。


 ──賊徒に襲われたか?


 カリオンは最初にそれを危惧した。

 だが、道中に山賊や窃盗団と言った悪党集団が暗躍できる場所など無い。

 立派な街道が続くル・ガル国内でも屈指のメインルートな筈。


 ふと、カリオンは全く考慮していなかった可能性に思い至った。

 サンドラは望んでここへ来たのでは無いか?と。


 そしてつい先ほど聞いたとおり、ここに居るのはサンカと言われる者達だ。

 サンドラの良心が見捨てる事を許せなかったのでは?と。


「ところで……」


 どう話を切りだして良いか分からず、慎重に言葉を練ったカリオン。

 トウリに抱かれるサンドラは、どこか夢心地の様に穏やかだ。

 魔法の効果が出てきたのか、僅かに血色も良くなり始めた。


 安らげる場所というのは、何よりも癒やすものなのだとカリオンは気付く。


 ……ふと、叔父カウリの正妻ユーラをカリオンは思い出した。

 フレミナ出身という出自ながら、ル・ガル社会に溶け込んでいた。

 きっと最初は針のむしろな日々だったのだろうが……


「早く言えって」


 トウリは痺れを切らした。

 そんなカリオンとトウリの会話に、サンドラは話を察した。


「実は、3月のはじめなのですが……」


 サンドラは自ら切り出した。

 多くの者が思う『何故?』を解消せねばならない。


「シウニノンチュへ向かう街道を歩いている時、業病の一団とすれ違いました」

「……業病?」


 リリスの声が暗く沈む。

 国民の保健を受け持つリリスは、国内の疫病や疾病に関し情報を集めている。

 その最高責任者が情報を把握していなかった事に落胆したのだ。


「そう。肺を患った者と疱瘡を患った者たちの一団でした」

「……それから感染したの?」


 リリスは僅かに前のめりになった。そのリリスの肩をリベラが止めた。

 どんな事があろうと、リベラはリリスの前に立ちはだかる様だ。

 病ですら恐れぬと気概を見せる細作の男にカリオンは安心を覚える。


「はい。それ以前、道中の小さな宿場町で同宿したのですが……」

「事件か?」


 国内の治安を受け持つジョージは僅かに表情を変えた。

 基本的には安定していて善良な市民の暮らすル・ガルだ。

 あまり非道を行う者は現れないし、また、起こさない。


 だが、人間社会は表面的に善良でも、その下には不平不満が溜まるものだ。

 各々が譲り合いや互助互恵の精神を持っていても、人はどこかで切れてしまう。

 そして犯罪に手を染める者は一定数で必ず存在する。


「……はい。往来手形をはじめ、帝王陛下のお手配されたモノ全てを盗まれ……」

「なんと……」

「進退窮まり、その宿場町で無くなった者の捨て手形で旅を続ける事に……」


 長距離移動の手段が馬か徒歩であるこの世界は、一般市民が長距離旅行するなど滅多な事ではあり得ない。それ故に、何かしら遠くへ行かねばならない用事と言うものは、すなわち任務であったり用務であったりする。

 そんな者達の身分証明書。それが往来手形だ。旅する者に任務を命じた者、職務上の用務を命じた者が手形を捺し、地域の治安担当者の手形をも捺して、旅行く者の身分と目的を保証し、何かあれば私が責任を負うと宣言するものだ。


「しかし…… 捨て手形とは……」


 ジョージもその表情を曇らせた。捨て手形は文字通りの片道切符。

 業病や疫病を患い、誰にも迷惑を掛けぬ地で果てる為に旅立つ者達の手形。

 行く先々で死ぬのを前提に発行される、死人の為のものだった。


 そして、その手形には野辺で果てた時の為に小さな依頼書が入っている。

 地域の治安担当者に当てたその一文には、こう記されている。


 ――――もし行く先々で果てた時には

 ――――地域でご迷惑にならぬ場所へ葬りください

 ――――手形の発行地や親類縁者への連絡は不要にございます

 ――――無縁の旅行者として処理してください


 小さな集落や谷間の街など、地域をまとめて滅ぼしかねない疫病対策。

 それは、罹患者がまだ元気な内に、その地から離れる事を促すモノだった。


「小さな宿場町に投宿した疫病の一団です。たまたま同宿していた私の言葉は誰も信用してくれませんでした。そして……」


 サンドラは力無く首を振った。


「業病者の投宿は、長くて三日と決まっています。私は全く当てもなく、共に旅をする選択肢以外ありませんでした」

「……そうか」


 ル・ガルの国内制度が巻き起こした悲劇。

 カリオンは己の認識の甘さを恥じた。


「陛下」


 ウォークは騎兵たちがリベラの指導で拵えた薬膳を持ってきた。

 独特の香りがする椀のものだが……


「先ずは余が食す」

「ですが」

「よい」


 毒など入っていない事を示す為に、カリオンは最初に手を付けた。

 その椀の汁は刺激らしい刺激の無い、甘みと苦みを兼ね備えたものだった。

 ただ、決して不味くは無いし、どちらかと言えば食の進む味だ。


「美味いな」

「はい」


 カリオンは手ずからに椀へと汁を注ぎ、皆へ配って歩いた。

 そして『余がそなたらの居場所を作る』と言って歩いた。


 生きるか死ぬかの土壇場に立った時、奇麗事は通用しない。

 罹患者の一門が村八分にならぬように、己が死力を振り絞って旅立つしかない。

 カリオンは思う。この文化をどうにか消し去らねば成らない……と。


 帝國の中にあって切り捨てて良い者などひとりも居ない。

 全ては自らの臣民だと確信するカリオンは心に誓った。


 ――ひとり残らず救うのだ……


 と。


「ウォーク」

「はい」

「王都の郊外に業病患者を収容し研究する施設を作る」

「……正気ですか?」


 遠慮なくそう言い放ったウォークだが、カリオンは薄笑いだった。

 だが、怪訝な表情のウォークは、やや沈んだ表情で言った。


「じつは、私の父も業病でした」

「なん……だと?」


 ウォークは本来、小作人の倅だった。

 レオン家の所領である西方の広大な穀倉地帯の中に彼の家はあった。

 貧しい出自ながら、もって生まれた才能は多かった。

 地域を預かる侯爵レガルド公の共同農場で、様々なアイデアを出していたのだ。


「父は疱瘡を患い、病が広がらぬよう集落を出ました。ウィリアム・レガルド様は父を引きとめましたが、私を含めた家族が白眼視されるのが辛いと」


 ウォークの表情には悲壮な覚悟が混じっていた。

 この小作農の小倅がビッグストンの中で猛烈に学んだ理由をカリオンは知った。

 全てを恨んで、しかも憎まずにいた男だ。自らを鍛え、そだった男だ。


「父は言いました。己だけが苦しむのなら、それを業だと受け入れられる。だが、なぜ家族や子供達までが苦しまねばならぬのか……と」


 ふるさとを旅立った業病患者が思う事は一つだ。

 己の業が浄化されますように。

 己の罪が赦されます様に。

 家族が安寧でありますように……


「ゆえにレオン公が」

「はい。全額を出していただきました」


 まだまだ知らぬ事だらけだ。

 カリオンは己の不明を恥じた。

 だが。


「いずれにせよ研究をせねばいかん。ウォーク。おまえの知恵がいる」

「……仰せのままに」


 カリオンの覚悟は走り始める事になる。

 やがて結果を残すのだが……

 その形はこの場で望んだものとは大きく異なるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ