未知との遭遇 前編
~承前
周辺調査の開始から2刻。
手持ちぶさたなカリオンは、ゼル陵に取り残された者達の救助を開始していた。
雪代を集めて激流となった川を渡るのは相当困難だ。
馬を川に入れたくとも、水の冷たさを嫌がって馬は前に進まない。
結局は人間が入るしか無いのだが、流れる川の水圧は想像を絶する。
「あの錘は?」
「およそ馬一頭の半分ですね」
「そんなにか…… 人間は平気なんだろうな?」
「浮力が掛かりますので問題ありません」
陣頭指揮に当たっているウォークは、川の流れに抗う一計を案じた。
体躯の優れた物へ河原の石を大量に抱かせ、川へと入れたのだ。
転べば起き上がれない程の錘だが、空身では川に浮いてしまって渉れない。
小川とは言え水深はかなりある。そこを越えるのはなかなか大変だ。
「慎重にな」
「心得ています」
カリオンは何よりも部下の命を大切にする。その姿勢に些かのブレも無い。
慎重に慎重に足下を確かめて川を渡っていく騎兵は、川の中程へ差し掛かった。
「あの辺りは特に流れが速いな」
「えぇ。先ほども失敗しています」
ウォークはサラリと問題発言をした。
場合によっては部下が死んでいるかも知れない。
カリオンの顔色が少々よろしくない方向へと切り替わるのだが……
「錘は馬の手綱を使って止めています。転んだ場合は手綱を切れと指示しました」
「……で、助かったのか?」
「はい。そして、いま二回目の挑戦をしています」
ウォークが指さした先、川の中程で思案している騎兵がいた。
川の流れを慎重に読みつつ、水深を勘案して前進を再開した。
「今回は上手く行って欲しいです」
自信を感じさせる笑みでカリオンを見たウォーク。
だが、その表情とは裏腹に、ウォークの掌中は汗が滲んでいた。
騎兵は一歩一歩確かめる様に前進している。
そんなシーンをふたりして見守っていた所へ、遠くから声が掛かった。
「王陛下!」
同じように手に汗して見守っていたカリオンの元へジョージが帰ってきた。
馬から降りてカリオンの前にやって来たジョージは、身体中に泥を被っていた。
「ジョージ。酷い姿だな」
「申し訳ありません」
「いや、それを命じた私が悪い。苦労を掛けてすまない」
救出作業を陣頭指揮していたのだと気が付いたジョージは、一瞬だけゾクッとしたような表情になった。そして、太陽王が何を心配しているのか気が付き、黙って片膝を付いた。ぬかるんだ環境だが、ジョージには些かの逡巡も無かった。
「我が王よ!」
胸を張って嬉しそうに声を上げたジョージは、眩しそうにカリオンを見た。
それは、部下の全てを平等に労るカリオンの立派な姿への畏怖だ。
「……ん? どうした?」
優しく笑ってジョージを見ているカリオン。
その姿は威風堂々と、そして、自信溢れる姿だった。
「報告します! 周辺にはフレミナ騎兵の死体が多数残されてあります」
「……フレミナ騎兵?」
「はい。その死体は細かな穴を身体中に開けていて、死因は失血死と思われます」
「失血死……」
カリオンの脳裏には、あのネコの国の小さな教会で死んだ伯父セダが浮かんだ。
ヒトの世界の殺人兵器で脳天を撃たれ即死した時だ。
カリオンの表情に怪訝な色が混じる。
もしここに何らかの集団がヒトの世界の武器を持って現れていたら……
「他に気が付いた事は無いか?」
「実は、正体不明の足跡が多数あります。この世のものとは思えぬ複雑な形のものです。また、これが周辺にいくつか落ちておりました」
ジョージの差し出したものは、足跡の残る地面をそのまま掬い取ってきた物だ。
そこに残る足跡は単純な乗馬長靴のシンプルな形とはほど遠い物だった。
「……ジョージ。率直に言ってくれ」
「はい」
「これはなんだ?」
ジョージスペンサーは目を見開いてカリオンを見上げた。
その表情は驚愕に満ちていた。
「……私も分かりません。ですが、これはもはや工芸品の域です」
その足跡は、踵にも爪先の踏み跡にも、複雑な線の入っている状態だった。
つまり、その足跡を残した未知の存在は、複雑な溝の掘られた靴を履いていた。
踵や爪先の力が掛かる部分に掘られた複雑な溝は、泥濘地でも滑りにくかろう。
「……この足跡は一人分のみか?」
「いえ、恐らくは一個小隊程度の人数かと。足運びそれぞれに特徴があります」
「全てにこの…… 溝付きの靴が?」
「はい。それも、まるで鏡写しのように同じ形です」
カリオンは静かに唸った。一つ二つならば手作業でも作れない事は無い。
だが、寄りにも寄って靴である。少なくとも厚みのある丈夫な皮を使うはずだ。
未知の存在は、そんな装備を量産しているのだ。
カリオンは不意に表現しようのない気持ち悪さを覚えた。
これを履いている集団は、泥濘地や足場の不安定な場所でも自由に行動出来る。
あの、土饅頭をこさえた集団だとしたら、ちょっと困った事態
「そして、更に驚くべきは…… これです」
ジョージが差し出したそれは、恐らく銅など柔らかい金属を加工した物だった。
ただ、幾つも差し出されたその円筒形の小さな金属の塊は、ジョージの差し出した50か60程の全てが、まるで鏡写しのように同じ姿をしていた。それを見たカリオンは疑念が確信に変わった。
「……薬莢だな」
ふと、父ゼルが見せたシーンを思い出した。
鼻を突く異臭を放ち、高速で鉄の礫を打ち出すヒトの世界の武器。
その中からゼルはこれよりも小さい物を抜き取っていた。
「それは? 私は知りません」
「余の父が使っていた、ヒトの世界の殺人兵器の部品だ」
カリオンがこぼした言葉にジョージは引きつった表情を浮かべた。
殺人兵器と漏らしたカリオンだが、その威力はジョージにも分かった。
「これが落ちていた周囲には、フレミナ騎兵だけでなく、正体不明の存在の死体が転がっておりました。ですが、その死体にもすべて『穴が空いていただろう?』
カリオンの言葉にジョージは『はい』と応えた。
「……その足跡は何処へ消えた?」
「わかりません」
ジョージが言った率直な言葉に、カリオンは声音を変えて言った。
それは、聞く者全てがゾクリとするような物だった。
「……わからない?」
カリオンが漏らしたその一言に、辺りの者全てが凍り付いた。
その声音を一言でいえば不機嫌で、言い換えるなら不愉快だ。
カリオンは決して不機嫌なつもりでは無い。
ただ、その報告の全ては怪訝な表情で聞いているのだが……
「見に行こうよ」
リリスはそっと助け船を出した。
その機転と回転の早さに周囲がホッとする。
「そうだな。見た方が早い」
カリオンは無表情のまま行動を開始した。だが、その袖をリリスが引いた。
驚いて振り返ったカリオンは、リリスの目が怒っているのに気が付いた。
「……エディ」
小声でカリオンを呼んだリリス。
その雰囲気がかなり際どい。
「……どうした?」
カリオンは内心で唸った。
リリスの機嫌を損ねるような事をした覚えは無い。
決して恐妻家では無いが、リリスを怒らせるほど愚かでは無いつもりだ。
「雰囲気悪いよ」
「そうか?」
リリスは僅かに力をいれてカリオンの尻を叩いた。
ぽんっ!と音がする程度だが。
「あなたを見て顔色変える人がいるんだからね」
キッ!と強い表情で言うリリス。その向こうにはゼル陵があった。
カリオンはその重なり方にハッとした表情を浮かべた。。
「申し訳ありません。父上」
え?と、驚いて振り返ったリリスは、背にゼル陵があることに気が付いた。
リリスは全くの赤心から行ったつもりだったが……
「父上がリリスの口を借りて叱りに来てくれたよ」
「ゼル様……」
「俺もまだまだ修行中だな。なかなか上達しないよ」
ポツリと洩らした本音の一言にリリスは悲しみを覚えた。
本来であればまだまだ勉強を積み重ねるべき年齢でしかない若者だ。
分不相応な肩書きを与えられ、そのなかで必死に藻掻き学ばねばならない。
「私はいつもエディのそばに居るよ」
カリオンには聞こえないようにそっと呟いたリリス。
王の孤独を絶対的な立場から諌めねばならない者が必要だと知った。
そして、ゼルがなにを危惧していたのかも……だ。
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カリオンは努めて笑みを浮かべ、朗らかに歩いた。
それもまた帝王学なんだと気が付いたのだ。
ただ、ジョージの先導で死体の積み重なる現場へと来れば、表情は厳しくなる。
「リリスはここに残って」
「でも……」
「大丈夫だ」
同行していたウィルとリベラに護衛を命じ、カリオンはジョージと歩いた。
折り重なるように斃れているその死体は、すべてフレミナ騎兵だった。
どれもが小さな穴を身体中に開けていて、身体の薄い部分では貫通していた。
「未知の勢力では無いようだな」
「そうですね」
積み重なった死体を検分するジョージとカリオン。
流れ出ている血の痕跡は既に乾き、数日が経過している事は明白だ。
ただ、足跡に沿って進んで行くにつれ、その死体の損壊具合が増していく。
そして、それだけでは無く、もっと酷いものがいくつか現れ始めていた。
「これは…… 酷いな」
「はい。いままで色々見ましたが、極めつけにひどい死にザマです」
ふたりが問題視しているのは、穴の開いた死体のすぐ近くにあったものだ。
どうやったらこうなるのか。それが全く見当がつかない。
まるで腹の中から破裂したかのような、肋骨などが捲れ上がった死体だ。
「ウィルならば見当がつくかもしれんな」
流石に死体は見せられない。
やや離れた場所で様子をうかがうリリスの傍ら。
ウィルとリベラはカリオンの姿を見ていた。
皆を呼ぶか、それとも、リベラとウィルだけを呼ぶか。
正体不明の敵がまだ潜んでいる可能性がある。
そんな現場にリリスを連れてきた浅はかさを呪いたくなった。
だが……
「助け船がいる?」
思案にくれていたカリオンの元へリリスがやって来た。
身の毛もよだつ凄惨な死体の前だと言うのに、顔色ひとつ変えないで。
「婦女子に見せるものじゃないよ、これは」
「だけと、私が来ないとウィルもリベラも動けないよ?」
リリスのあっけらかんとした物言いにカリオンは笑うしか無かった。
まだ腐り始める前の新しい死体なので、鼻を焼く死臭は無い。
だが、顔を背けたくなる凄惨な死体は腹部を綺麗さっぱり失っている。
そして、傷口には蛆がわき始め、遠慮無く便臭が漏れ出ていた。
「酷いね……」
リリスは足下の名も知らぬ花を手折り、その酷い死体へと手向けた。
例え敵であっても死者を悼む気持ちは大切だと、手本を示すものだ。
「ウィル。リベラ。これをどう見る?」
カリオンは率直に聞いた。
下手な芝居は必要ない。
そんな心境だ。
「……爆発、ですな」
「ばくはつ?」
ウィルの言葉にカリオンは首を傾げる。
まだ火薬が無い世界では、爆発的な化学反応を示す物は無い。
強いていくなら火山性のガス爆発などだ。
「恐れながら、よくご覧ください」
ウィルはそこらに転がる折れた枝を無造作に積み重ね、それに手を向けた。
そして、意識を集中させ、カリオンの知らぬ言語で何かを唱えた。
魔法詠唱だとカリオンが気が付いた時、ウィルの構築した魔道術式は完成した。
「&%$#+*@!」
何を言ったのか、カリオンは聞き取れなかった。
だが、目の前に積み重ねられた枝はポンと弾けて飛び上がった。
それはまるで、やかんの蓋が湯気で爆ぜるようだった。
「これは……」
細作のリベラが驚いている。
高度な魔道術式で何かを起こす事が出来るのは知っていたリベラだが……
「これが広まれば、騎兵さん方はたまったもんじゃございやせんね」
裏課業にあるリベラにとっても、その威力は恐るべき物だ。
俗に暗器と呼ばれる裏課業の殺人道具も、この威力には形無しだ。
「なぜ?」
カリオンは素直に問うた。
魔法の威力は知りつつも、それを運用するなんて発想は無いからだ。
個人間での戦闘に使うならともかく、突っ込んでくる騎兵相手に魔法など……
「あ…… そうか……」
戦列を組み、突撃衝力をもって突っ込んでくる騎兵を相手にするなら、魔法を行使する側も同じく戦列を組み、点では無く面で狙えば良い。魔法使いは騎兵や歩兵では無く弓兵なんだとカリオンは思慮を深めるのだが……
「まぁ、差し当たって問題はこれでさぁ」
死体の内側を慎重に観察したリベラは、その内側に何かを見つけた。
慎重に手を突っ込み、何かを肉から剥がして抜き取った。
「これですよ。これ。これが危険なんじゃ……」
それは金属製の小さな礫だ。
複雑な形をしているそれは、死体の内側へと食い込むように幾つも残っていた。
鋭く尖ったその礫は、それ自体が破裂したような形になっている。
リベラはそれをいくつか集め、慎重にその破片を合わせ始めた。
「ほら、これはこっちと同じ形です」
「どういう事だ?」
「元々が一つになっていた物を押し込んで爆発させたのでしょう」
「……押し込んで?」
「えぇ」
リベラは指先に付いた死体の血を慎重に拭き取ってからカリオンを見た。
死体の血は化膿の元で、腐敗した死体は病の元になる。
人の生死を商売の種にしている者ならば、その知識は絶対的に必要だった。
「もう随分と前の事に成りますが、玉薬なる火の付く砂を見た事がありやす」
「火の付く砂…… それは……」
「ありゃ、出所は知りやせんが、なんでもヒトの世界の知恵だとかで……」
カリオンの顔色が再び厳しい物に変わった。
ヒトの世界の知恵は上手く制御しないと危ない。
この世界のバランスを壊し、争いの種になるやも知れない。
なにより、この世界へと落ちたヒトを囲い、知識や知恵や、そう言った物を得る為の供給源として売り買いされる存在になるかも知れない。
「ヒトを保護せねばならなくなるな」
「役に立つ存在でございやすよ。ヒトってのはね」
ニヤリと笑ったリベラは、その有効性を良く知っていた。
ネコの騎兵に新たな戦術を授け、イヌの騎兵を押し返した実績もある。
今はまだ不幸な訪問者でしか無いが……
「余を育てた父は商品として売り買いされかけたそうだ」
「そいつは…… なんとまぁ不幸な事でやす」
カリオンから見るヒトと、リベラやウィルや一般人から見るヒトは違う。
そこのギャップを上手く埋めなければ、きっと不幸な事に成る。
なんとなくだが、カリオンはそう確信していた。
「しかし、本当に足跡がここで途絶えているな」
ふと、カリオンは空を見上げた。
ここに足跡を付けた者は、まるでここから空に旅立ったかのようだ。
「まさか…… な……」
フッと笑って辺りを見回せば、全員が草むらや木立の影に注意を払っている。
普通に考えればどこかに隠れているはずだ。
ただ……
「大丈夫だ。ここには居ない」
カリオンはそう確信していた。
誰かがここで死ぬなら、頭の中であのノーリの鐘が鳴り響く筈だ。
あの鐘の音が鳴らないのだから、ここ安全だ。
理屈では無く直感としてそう確信しているのだが……
「リリス。鈴の音は聞こえる?」
「……いや。聞こえない」
「じゃぁ大丈夫だな」
不思議がる周囲を余所に、カリオンは安心して気を抜いた。
同じようにリリスも警戒を解き、フゥと一つ息を吐いた。
その姿がリラックスしたのを見て、全員が気を抜く。
周囲を上手くコントロールするのも、王に必要な能力の一つだ。
「さて、ジョージにはもう一つ面倒を掛けるけど……」
「はっ! 何なりと」
「この遺体を埋葬せよ」
カリオンのこの指示には、流石のジョージも驚いた。
だが、カリオンは涼しい顔だ。
「恐れながら…… これはフレミナ騎兵ですが?」
「あぁ、そうだ。そして、我が友邦国の騎士だ」
スパッと言い切ったカリオンは、腕を組んで辺りを見回した。
どれも酷い死体だが、逆に言えば勇敢に戦った痕跡があった。
ならば、戦死の栄誉を以て悼むのもまた騎兵の習いだ。
「これはきっと後に繋がるだろうさ」
「そうですね」
「我々の振る舞いに、多くが目を見張るだろうが――
何かを言いかけたカリオン。だが、そんな時にウォークが現れた。
荒れ地を走ってきたのだろう。息を切らし、肩で息をしている。
「陛下!」
ハァハァと荒い息をしてやって来たウォークは、息を整えて報告する。
カリオンは柔らかな笑みでそれを見ていた。
「報告します。トウリ閣下を救出しました!」