表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
132/665

ゼル陵・再び

~承前






 シウニノンチュから南西へ凡そ100リーグ。

 名も無い川沿の細い街道は、小さな峠を越えてトラの国へと続いている。

 道中にこれと言って大きな宿場町が有るでなし。

 宿場町どころか、集落らしい集落もなし。

 突然の雨に身を隠す苫屋すらないのだ。


 ――酷い街道だ


 そう感じたカリオンは、街道に平行するなも無い川に目を落とした。

 高原地帯の何処かを水源とするその小さな川は、春先ともなれば莫大な雪代を集め大河に化ける。それゆえ、広域が氾濫原となっており、肥沃な土壌を生み出していた。

 戦略的な農地管理がまだまだ弱いせいか、肥料管理と言った面ではまだまだ発展の余地があるル・ガル農政は、その改善の徒に着いたばかりだ。まだ時間を持て余していた頃の五輪男が書いた農業発展の手引きは、長らく埋もれた状態だった。


「……土饅頭か」


 水の引いた氾濫原は所々に湿地帯の如き環境を作り出しているが、その水の影響が無い所を伝って伸びる街道は水の心配が無い道だ。遠く果てしなく伸びるその一本道を征くカリオンは、道中に幾つもの土饅頭を見つけていた。


「落ち延びきれず力尽きた者を埋葬したのでしょう」


 カリオンのやや後ろに付いていたウォークはそう応えた。

 先の中洲における敗戦で、フレミナ勢の多くはシウニノンチュへと落ち延びた。

 だが、その旅時の途中で力尽きた者がいたのだろう。

 徒歩や騎馬での旅路となれば、その亡骸は運ぶ事が難しい……


「それにしても丁寧なモノだな」

「そうですね。図ったように同じ形です」


 いくつか固まって造築された土饅頭は、みな同じ大きさに統一されていた。

 ふと、カリオンは不安を覚えた。シウニノンチュへ向かう段のフレミナ勢にこの造作を行なう能力が残っていたのだろうか?と。何処かの隠し里や霧深い谷などに伏兵となる予備戦力があるのかも知れない。

 もしくは、フレミナ勢とは微妙に行動を異にする別勢力で、たまたま利害関係が一致している関係でフレミナに付いているだけの集団があるのかも知れない。


「……ウォーク」

「別勢力を警戒するようですね」

「そのとおりだ……」


 ウォークも同じ事を思っていたらしい。

 その事実にカリオンは驚いた。


 思考を読まれたか、或いは顔に出していたか。

 外から思考を読まれてしまうようでは、太陽王失格だ。


「思うに……」


 唐突に切り出したウォークの言葉でカリオンは我に返った。

 だが、その僅かな機微で内心の動揺をウォークは見取った。

 そして……


「もしかしたら…… そう言う可能性の話ですが」

「全く別の勢力がいる。しかも、この国の中に…… そう言うことだな」

「そうです。ですが、一つだけ訂正を」


 怪訝な表情でウォークを見たカリオン。

 そのウォークは背筋を伸ばして真っ直ぐに『主君』カリオンを見て言った。


「この国ではありません。あなたの国です。陛下」


 何処までも真面目な、純粋な眼差しでそう言ったウォーク。

 その言葉は丁寧ではあるが、どこか長年の友人のようなフランクさだ。


 しかし。それでもウォークは一本の線を引いている。

 最後の一線を越えないように注意を払っている。

 カリオンは敬意を払うべき先輩であるが、それ以上に……


「肩書きって奴は肩が凝るものだな」


 寂しそうにカリオンは笑うが、それは仕方が無いことだ。

 最後に責任を取る役職は、何処までも孤独でいなければ成らない。


「太陽王とは…… 過酷な道なのです」

「そうだな。肝に銘じるよ」


 ただただ馬で歩き続けるカリオン。

 ふと振り返れば、歴戦のヴェテランに護られリリスが同じく歩いている。

 両脇にはウィルとリベラを従え、その姿は女王のようだ。


「さて、どんな勢力が蔓延っているのか。解明せねばならんな」

「……ですね」

「オクルカ殿にもう少し聞いておけばよかった」


 カリオンたちは山窩の存在を知らない。

 山中に暮らす者たちは把握しているが、それは単純に盗賊団と処理している。

 独自の文化と生存圏を持ち、独特な風習と信仰を持っているのに……だ。


 太陽王の権威に(まつろ)わぬ者たちは、全てが未開な野蛮人とされる。

 そんな差別の実態も、その内部に居る者には違和感が無いと言うことだ。


「陛下……」


 不安げな声音のウォークは微妙な表情でカリオンを見ていた。


「こんな事は言いたくありませんが、あのオ『それは言うな』


 ウォークの言いたい事は嫌でも良く分かる。

 オクルカが本当に信用に値する男かどうかは正直分からない。


 カリオンやウォークにとってオクルカはビッグストンの先輩だ。

 良き伝統を受け継ぐビッグストンの者達にとって、先輩とは常に尊敬の対象だ。

 先輩は無条件に後輩を護り、後輩は無条件に先輩を信用する。

 そんな格別の信頼関係で結ばれているビッグストンの卒業生達だが……


「オクルカ殿はフレミナを掌握された。それ以上の事は考えない」


 手腕や能力について疑う余地は無い。

 愚か者では卒業どころか進級すらも覚束ない学校にいたのだ。

 しかも、その成績は決して悪くなかったはず。


「ですが、逆に言えば手の内を知り尽くした相手です」

「あぁ、その通りだ。それは分かっている」


 だが、現実には信じるより他無い。

 裏切られる恐怖や嫌悪は有るが、それを恐れていては前進しない。

 なにより、人を信じなければ王は勤まらない。


「信じるしかないのさ」

「陛下……」

「信じるしか……な」


 カリオンはそれ以上の事を言わなかった。

 この世界の常として、先ずは自分の身を第一に守らねばならない。


 それ故に人は時に裏切り、欺き、騙し、謀るのだ。

 それを見抜く眼力もまた必要になってくるのだが……


「裏切りを恐れて人を疑うなら、素直に騙されて斬られた方がいい」


 朗らかに笑ったカリオンは、愉しげな表情を浮かべウォークを見た。

 信と義とを以て人接の根本と為す。それはビッグストンの伝統だ、


「人を信じずにいれば、やがて誰も信じられなくなる。そして……」


 小さく頷き、それから空を見上げた。

 青い空には鳥が舞っていた。白い雲が流れ、太陽が輝いていた。


「疑ってばかりになれば…… この魂が腐る」


 カリオンの言った言葉は、ある程度の役職にある者なら誰だって思う事だ。

 武人の持つ世界観。或いは達観とも言えるものだ。


「わかりました。ただ、私は……」

「それも解っている」


 幾度か頷いたカリオンは、前方を見据えた。

 この男は愚直なまでに尽くすだろう。例え死の淵にあってもそばに居るだろう。

 愚かしい程に忠誠を使った純粋な存在。一点の曇りも無い、そんな存在だ。


 スマンが俺の為に死んでくれ……

 と、カリオンがそう言えば、二つ返事で笑って死ぬ男だろう。

 だからこそ裏切れない存在なのだ。純粋に尻尾を振って喜ぶ存在なのだ。


「心配するな」


 その一言でどれ程安心出来るのか。カリオンはただ祈るしかない。

 赤心が伝わり、想いが届いて欲しい……と、そう願うしかない。


 小さな声で『はい……』と応えたウォークをチラリと見やり、そして前を向く。

 父ゼルから教えられた君主論にあるとおり。常に前を向き、歩くだけだった。











 休憩を挟み5時間は進んだだろうか。


 遠くに大きな氾濫原が見えてきた。

 葭の生える広大な荒れ地だ。

 そこには幾つかの煙が上がっている。


 不意に嫌なイメージを持ったカリオンは、ちらりとウォークを見た。


「……炊煙か?」

「いえ、黒煙ですから」


 まだ2リーグは有るが、遮るものの無い平坦な場所では遠くがよく見える。

 カリオンはモレラの背に乗せていた馬の鞍のベルトをひとつ締めた。

 それは速歩以上の速度で馬を進める仕度だ。


「速歩前進を行う」

「はっ!」


 ウォークは周辺騎兵に指示を出し、あわせてジョージを呼んだ。

 やや前方にあって警戒していたジョージスペンサーが馬を寄せてきた。


「お呼びでありますか!」

「速歩行軍を行なう! 接敵し偶発戦闘に及ぶやもしれぬが……


 まだ言葉の終わっていないカリオンだったが、ジョージは一際大きな声で『かしこまりました!』と返答し、馬の速度を上げつつ愛用の槍を抜き放った。


「総員抜刀用意!! 駈歩! 1リーグ前進!」と声を掛けて歩いた。

 前衛グループが一斉に馬の蔵を締めて太刀や馬上槍を抜き放つ。


「駈歩接敵前進はじ『待て待て待て!』


 馬群を追い越し上がってきたカリオンは、大声を上げてジョージを止めた。

 キョトンとした顔のジョージは、文字通りに鳩が豆鉄砲を食った顔だ。


「向こうはフレミナ騎兵だ、喧嘩腰で行けば戦闘になる!」

「ならば勝ちきれば『よろしくない!』


 キツイ口調でジョージを止めたカリオンは総員に『止まれ』を指示した。


「ジョージ。ちょっとこっちへ」


 手前に呼び寄せたカリオンは小さな声で言う。

 周りに内緒話というのも変な話だが、壁に耳ありという位だ。


「今回は戦闘が主題では無い。トウリを回収したいんだ」

「ならば、目撃者は全部消してしまいましょう」


 真顔でハッキリとそう言い切ったジョージ。

 カリオンは驚きを通り越して呆れつつも苦笑いした。


 猛闘種と呼ばれるジョージ達スペンサーの一門はとにかく喧嘩っ早い。

 交渉事はまず殴ることからはじめ、その後に本題を言う事が多い。

 ある意味では戦闘のみに特化した一門だが、ことこの場においては困る事態だ。


「フレミナ騎兵が全滅したら――


 迫真の表情になったカリオンは、ジョージをグッと睨んだ。

 その鬼気迫る顔に、流石のジョージも一歩引いてしまった。

 気が付けばカリオンが威厳と言うべきものを体得していた。


 ――せっかくこちら側に引き込んだオクルカ殿を裏切る事になろう」


 そうか……

 ジョージは得心したように頷いた。


「では、抜刀せず、ゆっくりと、速歩で接近します」

「そうだな。で、現場に着いたら戦闘せず穏便に話をせよ」

「かしこまりました」


 カリオンの指示を飲み込んだジョージは、改めて太刀納めの号を発した。

 そして、馬群の先頭にたち、速度を抑えての前進を再開した。


 これで問題あるまいと安心したカリオンだが、一難去ってまた一難。

 物事はそうスンナリ運ばないのだと言う事をカリオンは思い知らされる。


 小一時間程前進し、氾濫原へと差し掛かった頃だった。

 増水して見渡す限りに川面となっているその川の中程には大きな島があった。

 それは、五輪男(ゼル)琴莉(レイラ)の眠る陵だ。


 工兵長の念入りな造築は、増水した川の流れを受けてもビクともしていない。

 それどころか、川の上流側に作った水避けが思いの外に機能しているらしい。

 水避けの下流となる島の周りには土砂が溜まる状態だ。


 流れが淀めばそこには土砂が溜まり、やがて樹木が根を下ろす。

 そして島を強固にして行くだろう。


 事実、その島の上部には既に若木が根を下ろし始めていた。

 だが……


「おぃ。あれはどういう事だ?」


 カリオンの声音が変わった。

 その声音にウォークがゾクリと震えた。

 もちろん震えたのはウォークだけでは無い。


 カリオンの周辺に居たジョージやウィルまでもが息を呑んだ。

 細作として百戦錬磨な筈のリベラですらも、思わず息を呑む殺気だ。

 奥歯が砕ける程にギリギリと音を立て、カリオンは怒りを露わにする。


「ウゥゥゥ…………」


 低いイヌの唸り声は文字通りに威嚇と敵意を示すもの。

 マダラの姿に生まれては来たが、カリオンもやはりイヌなのだった。

 そして、そんな姿にウォークは心のどこかでホッとしていた。


 もしかしたらヒトじゃないか。

 イヌとは微妙ににおいの異なるカリオンだ。

 なにより嗅覚の鋭いイヌならば、その異常にすぐ感付く。


「カリオン……」


 そっと歩み寄ったリリスは、怒り狂う寸前なカリオンの腕をとった。

 唸り声を少しでも止めたいリリスは、カリオンの腕を引いた。


「落ち着いて! みっともない!」


 キツイ言葉でカリオンを止めに掛かるリリス。

 カリオンが怒りに我を忘れ、あの化け物になってしまうのを防ぎたい一心だ。

 この場でアレを知っているのは、リリス以外だとウィルのみ。


 もしカリオンが暴走し始めれば、それを止める手立ては思いつか無い。

 カリオンを唸りつけて止められるゼルは、すでに土の下だ。


「これが落ち着いてなど居られるか……」

「それを曲げて落ち着いて。あなたは何者なの!」


 強い言葉でカリオンを諫めたリリス。

 深く息を吐いて我に返ったカリオンは、グッと拳を握りしめていた。


 その眼差しの先。

 あの父が眠る陵の人口島の上あたりに、幾人もの人影が見えるのだ。

 それは間違い無くフレミナ騎兵たちであり、そして恐らくトウリだろう。


「何故あそこに立ち入っている…… 入るなと言ったはずだ」


 人口島の上で誰かが手を振っている。

 雪代の激流に隔てられ、声は届かない。

 だが、その手を振る誰かは、必死になっているのが分かる。


「おちょくってるのか?」


 すっかり冷静さを失ったカリオンは、今にも怒りに我を忘れそうだ。

 だが、そんなカリオンの脇にいたウォークは、ふと何かに気が付いた。


「陛下。馬がいません」

「……馬だと?」

「騎兵なのに、何故馬がいないのでしょう」


 ウォークの指摘でカリオンの頭脳は猛烈に動き始めた。

 言われてみればその通りで、フレミナ騎兵の筈なのに、馬が全く見当たらない。

 人口島の上に居るのは、おそらく10人か15人程度だが……


「馬を絞めて食べたのか?」

「いえ、それならば軍馬塚を作るものでしょう」


 カリオンの疑問にウォークは即答した。

 こういう部分で常に頭が良く回転するのは、ウォークの美点だ。


「午前中に見た土饅頭を見れば分かるとおりです。彼らは儀礼を重んじる筈」

「そうだな。では、馬は何処だ」


 なんとなくウォークとカリオンの脳裏に嫌なイメージが湧いた。

 第3の集団に急襲され、為す術無く逃げ登った人口島だが、そこで川が増水。

 逃げることすらまま無くなり、取り残されたのではないかと……


「ジョージ!」

「ハッ!」

「周辺を探索せよ! 伏兵が居たなら見つけ次第に捕縛せよ」

「捕縛ですか?」

「そうだ。そして、何故この事態になったか吐かせろ。それまでは絶対に殺すな」


 カリオンの脳裏に父ゼルの姿が浮かんだ。

 五輪男は事ある毎に言っていた。

 死体は黒幕を吐かない……と。


「あそこに逃げ込んだフレミナ騎兵が馬を持たぬ理由を知りたい」

「かしこまりました!」


 一斉に動き始めたル・ガル騎兵たち。

 その後ろ姿を見送ったカリオンは、そっとリリスの肩を抱き寄せた。


「如何なる理由があるにせよ、あまり気分の良い問題では無いな」

「だけど、あなたは常に冷静でいなきゃ」

「……また化け物になるって?」

「そうよ」


 リリスは純粋に心配している。

 その事実がカリオンの心をホッコリと温めた。


「……そうだな」


 そう、素直な言葉を吐いて、そして僅かに笑った。

 常に冷静でいなければならない理由の一つを思い出し、カリオンは苦笑する。

 そして、己の背負った業の深さに、ひとり深く落胆するのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ