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太陽王謁見


 フレミナ盆地と北府シウニノンチュを隔てるヒューマ山脈。

 盛夏とて雪を頂く壮麗な銀屏風の山並みには二つの鞍部がある。

 東よりのメーラ峠と西よりのフィーメ峠だ。


 メーラ峠は季節風の影響が強く、雪解けの季節は安定していない。

 風の強い春には雪解けも遅れ、7月に入っても峠の開通が成されぬ年もある。


 対するフィーメ峠はメーラよりも高度が有りながら、風の無い峠だ。

 日が長くなれば雪解けも進み、安定して5月の終わりには越えられる様になる。

 ただ、標高がある関係で、歩行での峠越えでは高山病の危険があった。


 6月に入ったある日。

 そのフィーメ峠を越えていく騎兵の列があった。

 北府シウニノンチュからフレミナ盆地へと戻っていたオクルカ一行だ。

 彼らはフレミナにおける権力掌握を推し進め、その全てを支配下に置いていた。

 そして、主力を残している北府シウニノンチュを目指し歩いていた。


 フレミナ盆地へと戻る前、寒立馬を使う騎兵主力をシウニノンチュに置いてきたオクルカは、彼らの馬が無事かどうか気が気でなかった。

 酷寒冷地でもたくましく生きる寒立馬は、特別に滋養のある薬草が入り混じった牧草地での摂食を必要とする。

 シウニノンチュの街長に案内された霧の谷でサワツルゴケを食べさせ、放牧しているのだが、正直言えば栄養価が足りているかどうかは微妙な所だ。


「気が急きますな」


 軽い調子で言ったオギは静かに笑っていたが、実際の内心は不安で一杯だ。

 力強く逞しく走る寒立馬こそがトマーシェーの切り札。それを失う事は今後に大きく響くことになる。


「まぁ、ナギが付いていてくれるから心配ないだろうが」


 オクルカはナギの名を挙げて安心を示した。

 ただし、だからと言って早く戻らなくても良いと言う事では無い。

 空気の薄いフィーメ峠での強行軍は命に関わるため、ペースを上げられない。


 そんな歩みにイライラしつつ、オクルカは鷹揚を心掛けた。

 上に立つ者の狼狽や気掛かりは、下の者の不安に繋がる。

 その不安は迷いとなり、失敗を招く。


 常に泰然と

 努めて鷹揚と

 以て人の導きと為す


 これは、何処まで行っても変わらない『上に立つ者の心得』だ。

 そしてそれは、組織を率いる者に必須の能力で有り義務だった。


 ビッグストンで繰り返し教えられる大切な事。

 その実態とはつまり、こういう事なのだった。









 ────────ル・ガル帝國 北府 シウニノンチュ

         帝國歴 337年 6月 9日











「見えてきたな。オクラーシェ」


 隊列の先頭を行くオクルカの隣。

 側近として行軍を支えるオギは、その目の良さを買われていた。

 勘が鋭く方角に強いオギは、地上航海で役に立つのだ。


「こうやって見るとシウニノンチュと言うのは良い街だな、オクラーシェ」

「あぁ。ついでに言うと、我がフレミナ一門が300年攻め倦ねた街だ」


 過去、幾度も幾度もフレミナはシウニノンチュへと手を伸ばしていた。

 フレミナ盆地と比べ、シウニノンチュの街は積雪量が半分以下なのだ。


「この街を手に入れたかったな」


 オギは率直な物言いでオクルカを見た。

 その眼差しが何を言いたいのかは良くわかっている。

 上手く振る舞おう。そして、合法で波風立てること無く街を手に入れよう。

 

 暗なるオギの提案は、オクルカにも充分伝わっていた。

 雪に閉ざされるフレミナの者ならば、誰だって夢見る事だ。

 一冬をシウニンチュで越した男達は一様に口を揃える。


 ―――― とても楽だ


 ……と。

 

 出来ればその思いを叶えてやりたい。

 そして、自らの功績として名を残したい。

 隠しがたい願望としてある想いは、オクルカの内なる欲その物だった。


 ただ……


「今だって事実上手に入れてる様なものだぞ?」


 オクルカの軽口の皆が笑った。

 驚く程に真面目な男だが、こういう所では遠慮無くジョークを言うし笑うのだ。

 変に気取った部分があるわけじゃ無く、また、気負った所も無い。

 下々の者達と気安く言葉を交わすし、冗談を言い合って笑う。

 なにより、下々の下働きを労い、また、感謝することを忘れなかった。


 それは、取りも直さずあのフェリブルと比べられる部分だ。

 無駄に尊大で冗談の様に偉そうなザリーツァが毛嫌いされる理由でもある。


「ならば今度は……」

「しっかりと握りたいものですな」


 オギの周りに居た騎兵たちも大笑いしていた。

 もちろんオクルカも遠慮無く笑っていた。


「所でオクラーシェ」


 不意に緊張した声音で呼ばれ、オクルカは驚く。

 彼を呼んだオギは馬上で遠くを指さした。

 その指の彼方には、立派な馬に乗った騎兵が幾人が立っていた。


 ――来たな……


 オクルカは内心で覚悟を決めた。

 そろそろ来る頃だと思っていたのだ。


 おそらくはフレミナの事情が筒抜けになっている筈。

 ビッグストンで学んだオクルカは、ル・ガルの諜報能力を良く知っている。


「全員、喧嘩しない様に気をつけてくれ」


 先ずは釘を刺したオクルカ。その声に全員が返答を返した。

 『よしっ!』と気合いを入れてそのまま馬を進めたオクルカ。

 一行を待ち受けていたのは、立派なマントを肩に掛けた猛闘種の男だった。


「お初にお目に掛かる。馬上にて失礼仕る」


 良く通る声で言ったその男は、マントを払い腰の太刀を見せた。

 燃えさかる炎をシンボライズしたその家紋にオクルカは驚いた。


「私はドレイク。ドレイク・スペンサーだ」


 かなりの大物が来ているはずと踏んでいたオクルカだ。

 だが、まさかここにスペンサー家の当主が来ているとは思わなかった。

 ル・ガル支配を司る五公爵家の一つ、スペンサー家の当主だ。

 

 モーガン・エクセリアス・ドレイク・ノースランド・スペンサー


 先代当主であるマーク・ダグラス・スペンサーは新太陽王カリオン帝の意向で引退し、その後を受けて当主の座に着いた男だった。


 太く短く逞しい首と引き締まって岩のようにも見える体格。

 緊張感に溢れ、力を漲らせる様な立ち姿。

 その全ては武闘派と呼ばれたスペンサーの一門の当主にふさわしい姿。


「スペンサー卿…… お初にお目に掛かる」


 オクルカはハッと気が付いた。

 本来このスペンサー卿は、新たなフレミナ盆地エリアの管理者である筈だ。


 そのドレイクがオクルカの目の前に居る。

 それはつまり、戦の事態になりかねないことだった。


「そう警戒されずとも結構だ。何もこの場で戦に及ぼうと言うことでは無い」


 肩書きが人を育てると言うが……

 ドレイクもまた僅かの間に公爵家らしい振る舞いを学んでいた。

 胆力で見ればオクルカに遅れを取る訳では無い。


「……そう願いたい。戦の連続は不毛に過ぎようかと。して」


 オクルカの言葉にドレイクは僅かな笑みを浮かべた。

 武装を解き、穏便に話の出来る相手だと悟ったのかもしれない。


「まずはオクルカ公のフレミナ大公家当主親任をお祝い申し上げる」


 両手を拳に固め、胸の前で左右を合わせたドレイク。

 それは敬意を示す最高位の振る舞いで貴族の敬礼だった。


 ――あっ……


 オクルカはその驚きを顔に出さずにギリギリで踏み留まった。

 ドレイク卿は『親任』という言葉を使った。つまり、太陽王が承認したのだ。


 新王カリオンは全てを把握している。

 フレミナの里で何が行われたのかも把握している。

 事実上のクーデターに過ぎない事だが、カリオンはそれを不問にしたのだ。


「まことに恐れ入る。聞けばわが故郷フレミナ地方はドレイク卿の所領となっていたそうだが」

「その件に付いては……」


 ドレイクは思わせぶりに笑みを浮かべた。


「わが王は諸般の通達について再調整の必要があると仰られていて……」


 チラリと隣を見たドレイクは、伴をしてきたスペンサー家のバトラーであるワトソンにアイコンタクトした。それは『お前が言え』と言う意思表示だ。

 その視線を受けたワトソンは幾度か首肯し、ジッとオクルカを見た。同じように猛闘種の姿を持つワトソンは、幾分老成気味で有りながらも尚鋭い眼光だった。


「わが王は全貴族の所領配置換えを再度検討してられるのですが、当家では住み慣れた街への帰還を求める声も多く、また、地元民衆との軋轢も積み重なって降ります故、おそらくは元の形に戻るのでは無いかと手前は予想しております」


 その言葉はオクルカにとっても驚天動地のものだった。

 フレミナ盆地から根切りされたフレミナ一族が、故郷の地へ帰るかもしれない。

 つまり、若王カリオンの願った結果はすでに達成されたと言う事だ。


「……フレミナは用済みと言う事か」

「まさか!」


 オクルカの嘆き節に対し、ドレイクは間髪入れずにそれを否定した。

 それこそ、バカを言うなと言わんばかりの勢いだ。


「我が王は言われた。争いの時代を終わらせ、安定した世にしたいのだと」


 目を閉じて胸に手を当て、太陽王の言葉に酔う様な姿を見せたドレイク。

 その純粋なまでの忠誠を見せたドレイクの姿に、オクルカは益々興味を掻き立てられていた。


「叶うなら…… 一度お目に掛かりたいものだ」

「謁見されて如何されるか?」

「その真意を伺いたい。我がフレミナ一門をあくまで滅ぼされるか、否か」

「……なるほど」


 ドレイクはワトソンと視線を交わし、そしてしばし目を閉じて考えた。

 それは決断するための大切な時間であり、また、重要な手順でもある。


「私の判断出来る範疇では無さそうだ」


 ニヤリと笑って目を開いたドレイクは、馬の踵を返し歩み始めた。

 鷹揚としたその背中に、オクルカは公爵家の余裕を感じた。

 例え敵に討たれても、すぐに次の当主が立ち、家は滅ばぬと言う余裕だ。


「ドレイク卿」

「オクルカ殿。直接若王にお会いして、その真意を伺われるのが良かろう」

「……直接とな?」

「さよう!」


 馬上で大きく手招きしたドレイクは、小さな峠に向かって坂道を登り始めた。

 フィーメ峠から低い峠をいくつか越え、街道はシウニノンチュへ向かう。

 丘と丘の間を登っていくその街道は、長く遠く大きな弧を幾つも描いていた。


 ――いったいどこへ?


 オクルカはこれ以上なく訝しがった

 だが、ここは一つ鷹揚と付いて行くのが良かろう……と、そう覚悟を決めた。


「若王はどちらにおいでか?」

「行けばわかり申す」


 まともに取り合わないドレイクの振る舞いは、オクルカに僅かでは無い不快感をもたらした。ドレイクの馬の後をゆくオクルカだが、手勢僅か30騎足らずのフレミナ勢とは言え、あのドレイクとワトソンと、あと、数名の者を一思いのウチに処分する事も或いは可能だった。


「……オクラーシェ」


 オギは緊張の面持ちでオクルカを見た。『どうする?』という問いかけだ。

 オクルカとて、一筋縄でいく様な相手では無い事などわかっている。

 ル・ガルの公爵家当主を斬ったとあっては、絶対に碌な事にはならない。


「流れには乗るものだ。その行き着く果てが破滅なら、せめて華々しく散ろうぞ」


 オギへそう言葉を返したオクルカ。

 ただ、なんとなくだがこれは悪い流れでは無いと、そんな予感がしていた。


 若王カリオンは決して悪い人物では無い。

 あの荒れ地の中洲で決戦を挑んだオクルカはそう確信していた。

 幾度かの手合わせを行い、肌感覚としてのカリオンを感じていた。

 マダラに産まれたと聞いていたが、その中身は相当な人物だ。

 なにより、『出来た人間』という感触を持っていたのだ。


「地獄の底まで付き合うさ。オクラーシェ」

「そうだな。それなら俺も心強い」


 小さく笑って馬を進めるオクルカとオギ。

 何も怖くないと言わんばかりの盤石な主従だが、最後の丘を越え入ったシウニノンチュの街には、驚く程の騎兵が沓を並べ、オクルカの到着を待っていた。

 ル・ガルの国家騎兵団のうち、スペンサー家が預かる北方方面軍第五師団の主力がそこにいたのだ。


 ――まさかっ!


 流石のオクルカも一瞬青くなった。

 だが、その心配は杞憂だと気が付く。


 スペンサー騎兵と留守番役であるナギは、広場の中で酒を組み合わしていた。

 あの中洲で死闘を演じた者達であるからして、相手の力量はよくわかっている。

 戦って死ぬ事に不満はないが、それよりも強き者と話をしたい。

 

 騎兵の本懐としてその思いは常にあるのだった。


「おぉ! オクラーシェ!」


 ナギが立ち上がって手を振った。

 その手に応えで馬を下りたオクルカは、ゆっくりと街の中へと進んでいく。

 ル・ガル騎兵の隊長が何処かで声を上げだし、騎兵は慌てて整列を始めた。


 ――――大公爵、オクルカ・フレミナ・アージン様に敬礼!


 騎兵が一斉に拳をこめかみに突き立てて騎兵の敬礼を送る。

 その列を閲兵し砦へと進んだオクルカは、ドレイクに続き砦に入った。

 奥から楽しげな笑い声が響いていて、その声の中に街長のそれを見つけた。


 ――ん?


 ややあって街長が出迎えに出てきた。

 何とも楽しげな姿に、オクルカは事態を察した。


 ――まさか…… な……


「オクルカ殿。お待ちしておりましたぞ!」

「街長殿。留守中の安全は保てましたかな?」

「それはもう! さすが北方の雄と!」


 まるで宴会の席の様に声を弾ませる街長は、オクルカの手を取り奥へと誘った。

 砦の最奥にある箱庭の庭園には大きなテーブルが出され、幾人も集っている。

 その中にドレイク卿の姿を見たオクルカは、卿が慇懃に話をする者を見た。


 痩身ながらもしっかりとした体躯を持ち、背が高く手足は強そうだ。

 ピンと立った耳を持っているが、その姿はマダラ……


 ――あれが…… ッ!


 ドレイク卿の報告を満足そうに聞いたそのマダラは、笑みを浮かべ頷いている。

 その後、ドレイク卿はやや小走りとなってオクルカの所へとやって来た。

 隣にはいつぞやオクルカの所へとやって来た、侍従小姓の長ウォークが居る。


 ――間違い無い!


 オクルカの顔に決戦の色が浮かんだ。

 奥歯を噛み締め、戦う男の顔だ。


「オクルカ殿」


 ドレイク卿は胸を張って口上を述べ始めた。


「わがスペンサー家は300年の昔から王の剣の一つと数えられた一門ではありますが、その我が家がシウニンとフレミナの歴史に幕を引くお手伝いを出来る事を感謝いたしますぞ!」


 まるで震える様に笑っているドレイクは、泣き出さんばかりに感動していた。

 その隣に居たウォークが僅かに会釈をした。


「オクルカ殿。我が王が是非お会いしておきたいと『もういい』


 奥から若い男の声が聞こえた。

 オクルカは驚いて視線をそちらに向けた。

 そこには剣を抜いた太陽王カリオンが立っていた。


 カリオンはその太刀を床へと突き刺した。

 そして、一歩下がって周囲の者へ『下がれ』と命じた。


「一度お会いしてみたかった。オクルカ殿」


 太陽王はフレミナの王へ『殿』と付けた。

 その事実に周囲が(どよ)めいた。


 だが、何より驚いたのはオクルカだ。太陽王カリオンは、例えそれが演技だったとしても『対等だ』と宣言したに等しい事だからだ。


「……お初にお目に掛かる。カリオン殿」


 オクルカの声は震えた。

 カリオンが剣を抜き床に突き刺したのは、太古より続く交渉の習わしだ。

 同じようにオクルカも太刀を抜き払い、砦の床に突き刺した。


 ――――不服ならばこの太刀で我を斬れ


 カリオンが言外にそう宣言した様に、オクルカも同じ事を行った。

 ふたりの視線がまるでバチバチと火花を散らす様にぶつかり合う。

 グッと奥歯を噛んで見つめ合うふたりは、睨み合っているようにも見えた。


「太古。祖父の祖父ノーリの頃よりこじれてしまったシウニンとフレミナの軋轢を終わらせたいと余は欲する。フレミナを掌握されたオクルカ殿は如何されるか」


 カリオンはハッキリとした口調で言い切った。

 スペンサー卿をはじめ、多くの者がその言葉に驚きの表情を浮かべていた。


 ――迂闊な一言を間違えればフレミナは滅びる!


 オクルカの緊張は極限に達した。

 そして、太陽王という肩書きが、内政をも要求されるのだと知った。

 単純に戦の、力の管理官だけではなく、多くの民衆の命も背負っているのだ。


 瞬時にキリリと胃が痛んだ。

 だが、1度目を瞑ったオクルカは、一つ息を吐いて目を見開いた。

 その双眸には覚悟の色が浮かんでいた……

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