四年後
ある春の日。
シウニノンチュは華やかな空気に包まれていた。
街の名士は細君と共に正装で大通りを囲み、平民階層の市民達もまた華やかに着飾り旅立ちを祝福するべく通りを挟んで黒山の人集りとなっていた。大量の群衆が見送るのは王都から出征してきた国軍の精兵達。歓声が大通りを華やかに包み、軍楽隊は軍歌を高らかに鳴らして士気を煽っている。
ル・ガル建国以来連綿と続く北伐事業はこの春より再開され、その第一陣として動員された国家騎士団を始めとする精兵がゼル達シウニノンチュウ首脳部の閲兵を受けていたのだった。
この日から出征するのは北伐将軍ノダ直率の貴族騎士団に所属する約三千人にも及ぶ爵位持ちの騎士達。そして、平民から叩き上げられたら騎兵師団の三万人と、歩兵四万人の合計七万がその隷下に所属し、機動打撃軍として従軍する。
さらに、輜重隊や支援隊として随行する約三万の戦闘補助師団もまた延々と北を目指し歩いて行く。
一糸乱れぬ隊列を組み揃った手足の動きで練度の高さを垣間見せる軍団。ゼルはチャシの上にあるバルコニーで行軍列を見送っている。通り過ぎてゆく騎士や兵士が剣を捧げ、ゼルはそれに一つ一つ応えていた。
支配階層にある者の義務。ノブリスオブリージュ。暑くとも寒くとも、人の上に立つ者はそれが求められる。どんな時でも義務を果たし、民衆と共にある姿勢を見せなければ成らない辛さ。それはすべて、その隣でゼルを見ているエイダの為でも有った。
齢八歳を折り返し、ノーリの血族に相応しい立派な戦衣をまとうエイダ。その後ろに立つエイダ専任の護衛騎士はエイダの旗印を持っている。次の世代もまたシウニノンチュやル・ガルと共にあると、多くの民衆がその姿に安堵する為だ。
「父上」
「なんだ?」
エイダはゼルに訊ねる。
「父上は出征されないのですね?」
「あぁ、俺は留守番さ」
「そうですか」
ちょっとよそよそしい会話だが、公的な場ではそう振る舞うよう指導されていた。
祖父シュサ帝ての別れから四年経ち、今ではすっかり皇子が板についている。
立場が人を育てるという言葉があるが、エイダもまたアージン一族のイヌに相応しい振る舞いと空気を手に入れ、その姿を見るものにイヌの王族としての風格を感じさせ始めている。
シウニノンチュは安泰だ。この街に暮らす者たちはそう囁きあって安心する。まだまだノーリの一族が街を導くと信じているのだ。絶対的な抑止力としての軍隊を掌握している姿は、それだけで心強いのだろう。
そして、もう一つの『安心感の根源』がゼルとエイダの後ろに立っていた。
漆黒の衣装に身を包み、黒い面帯を掛けた謎の男。辺りを伺いながら並み居る騎士へ事細かに指示を出す、この数年で公式の場でへ姿を見せるようになったエイダの家庭教師。
激しい戦で怪我をおい、酷い火傷から業病となったと噂される存在。ゼルとエイダのエリートガード達が一目置いている男は、市民から見れば謎の存在だった。
『続きましては重装で重装甲となる機動騎兵団の五千名。山岳地をモノともしない華麗な馬裁きで戦場を駆け抜けます。この隊を指揮するのはカウリ伯爵公子トウリ閣下』
大通りへ集まった民衆へ紹介され、トウリは胸を張って馬を進めた。その雄姿に歓声が一際大きくなった。
多くの民衆が大通りへ花を投げ入れ、馬がその花を蹴り上げ花吹雪が舞う。
丞相ノダの側近として内政の補佐し、こうして戦の最前線にも立つトウリは、まだ太陽王の芽をあきらめていない。シュサ帝の息子達に子がないならば、遡って枝分かれし分家から王を出すのが筋だ。
その意味では北伐将軍ノダの側近として。また、騎兵を率いる将軍として、着々て実績を積み上げる必要がある。それだけではなく、歴代太陽王と同じ様に『運の強さ』も証明せねばならない。
実は、太陽王を選ぶにあたって大切な儀式がある。トウリはその儀式を行っていないのだった。
だから、直接的に太陽王となる筋は無かった。消去法として選ばれる可能性だけが残っているのだった。
王族となり、そして帝王となるには運の強さが何より重要だ。
ノーリ帝の言った言葉はこの時代でも充分に生きている。むしろこんな時代だからこそ大切にされていると言って良い。土壇場の土壇場で生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったとき、少しでも運の良い人間が国を導くべきだ。そんな思想だ。
その選別の場を経験していないトウリは、厳しい局面に立たされていることを嫌でも認識しているのだった。
「ゼル様」
トウリが視界から消えた頃。チャシの侍従がゼルを呼んだ。
眼下を市民兵士が行進し、街からの出征者が隊列を組んでいる所だった。
「どうした?」
「それが、ちょっと困った事態で」
「何かあったのか?」
「カウリ様のお荷物に問題が」
ゆっくりと振り返ったゼルの目が五輪男を見た。
今この場を離れる訳にはいかない。街の住人が出征するのだから街の長はそれを見届けなければならない。群集の中から息子を呼ぶ母親の声が響き、息子たちはこぶしを振り上げ歓声に応えた。
「……頼む」
「わかった」
四年の歳月を経て、ゼルと五輪男はすっかり打ち解け、何でも話し合える仲になっていた。ゼルにとっての困り事を五輪男は一任される事も多く、その殆どを何ら問題なく片付けていた。ゼルにとって五輪男はもう一人の自分だった。
「こちらです」
周りに気が付かれることなくスッと居なくなった五輪男は、歩きながら漆黒の衣装を脱いで姿を変える。その下にはこの日ゼルが着ている衣装と同じものを着ていた。いつ何時影武者として振る舞っても良いように、常に準備しているのだった。
「何が起きたんだ?」
「それがですね」
侍従に案内されやってきた部屋の前はいく人ものチャシスタッフで大混乱だった。だが、その多くは怪我をしたり、或いは呆れたりしていたのだ。事態を理解出来ずにそのまま部屋の前に立った五輪男。その身体に突然何が当たった。
強い衝撃を受けたのだがグッと踏みとどまって部屋の中を見た五輪男。
足元には五輪男を襲った銀のグラスが転がっていた。
「こないで!」
いきなり拒絶され面食らった五輪男。
部屋の中には幼い少女が一人。泣きべそをかいて座っていた。
手近なものをポンポンと投げながら、部屋の中で泣いている。
「お嬢ちゃん。どこから来たんだ?」
どう声を掛けて良いものかわからず、最初はこんな所から始めた五輪男。
だか、少女は、泣くばかりで埒が明かない。
「カウリ様のお荷物を整理していたら艾箱の中からあの子が出てきたんです。どうも隠れて入っていたようですね」
「王都から隠れてきたのか?」
「いえ。状況的にはここに来てから隠れたと思われます」
常識的に考えて王都から隠れてきたというのは考えにくい。
ならばここシウニノンチュで隠れたと考えるのが自然だ。
だが、何で箱に隠れた? いずこの国の間者か? さもなくば工作員?
テロリストの線もある。
――――な訳 ないか
どう見たってエイダと大して変わらない歳の少女だ。
若いと言うより幼いと言う方が正しい。そして、やたらに気が強い。
「お嬢ちゃんはどこから来たんだい?」
出来る限り優しく声を掛けたのだが、少女の表情には恐怖の色が混じっていた。
五輪男は振り返り部屋の戸を閉めるように指示。
そのまま手近な道具箱に腰を降ろして少女が落ち着くのを待った。
どこか持久戦的な忍耐力勝負だと思った。
「お嬢ちゃん、名前はなんて言うんだい?」
泣き顔のまま怯えている少女は、グッと目に力を入れて五輪男を睨んだ。
純然たる敵意に満ちた眼差しだ。色々修羅場を経験した五輪男も、さすがに少しは警戒せねばならない。
だが、その目と目が合ったとき、五輪男はどこか懐かしいものに出会った差のような印象を持った。もうとっくに忘れ去っていた、大切な何かを思い出し掛ける。
「……リリス」
少女はポツリと漏らした。
敵意に満ちた顔はなりを潜め、じっと観察するように五輪男を見ている。
それはまるで五輪男の内面を見透かそうとするイヌの眼差しだった。
そしてその時点で五輪男は気が付いた。この少女がイヌであることに。
頭の上にチョコンと乗っているたれ耳は誰かに似ているのだが……
「お嬢ちゃんはリリスって言うんだね?」
少女は大袈裟な程に首を縦に振って肯定した。
髪がハラリと揺れて、特徴的な耳が露わになった。
「どうやってここへ来たんだい?」
「てて様と一緒に来た」
「てて様?」
少女は再び大袈裟に頷く。そして艾箱に打たれた焼き印を指差した。
その箱にはカウリ伯爵の持ち物を示す家紋のマークが入っていた。
「この箱の御者なのかい?」
今度は少女の首が左右に降られた。明確に否定する意思表示だ。
だが、五輪男はその意味を図りかねる。
「お嬢ちゃんのお家はなんて言うんだい?」
「……アージン」
「はぁ?」
いま間違いなく少女は自分もアージンだと言った。
リリス・アージンなんて聞いたこと無いぞ?と、五輪男は首をひねる。
たけど、少女はカウリ伯爵の艾箱を指差し、そしてアージンだと言い切った。
つまり、カウリの縁者と言う線は確定だ。
五輪男の顔に僅かならぬ警戒の色が浮かぶ。
カウリ伯爵が何かを企んでいると言うことだ。
そして、黙って進めたのだから、大体が禄な内容じゃないだろうと想像も付く。
「お嬢ちゃんはカウリ伯爵の家族かな!」
「……てて様」
五輪男の眉根がグッと寄った。
カウリの娘が戦に同行してきたことになる。
北伐へ向かう騎兵の長がこんなに幼い娘を同行させるだろうか?
普通に考えればまずあり得ない。
カウリは戦の先で何者かと取引する材料として、娘を同行させた可能性がある。
それは一体何か?
貴顕の幼い少女を求める層と言えば、大体がマトモじゃ無い職業の……
つまり、盗賊や山賊と言った『北伐の対象』となる反社会的勢力だ。
血と暴力と金が全てを支配する悪徳の街。
アンダーグラウンドな職業の連中が根城にする街で『サービス業』に従事する女性を集めるのは並大抵の事ではない。
そんな場の支配者にカウリは娘を売り渡して、代わりに何らかの見返りを得ようとしている。普通に考えれば、相当箔が付く娘だ。
幼いウチから房事を仕込み、やがて水揚げの入札を募るとなれば、その利は莫大だろう。
五輪男の目に隠しようのない不快感と怒りが浮かび上がる。
「お嬢ちゃんは逃げ出したのかい?」
出来る限り優しく声を出した筈なのだが、その声はかなり殺気立っていた。
何より、すべてを射抜くようなゼルと同じ眼差しとなっていた。
「てて様に置いて行かれた!」
「え?」
「お家へ帰りなさい!って叱られたの!」
再び少女は泣き始めた。声を上げてグズグズと泣いている。
「てて様が楽しそうだったからウィルに頼んでこっそりついてきたの」
五輪男の焦眉がフワリと開いた。
同時にカウリ伯爵が随分いい加減な事をしでかしたと焦る。
もしこの箱の上に別の箱でも乗っていたら、少女は自力で脱出も出来なかった筈だ。
つまり、事態を解決する為には何者かが手助けしなけれはならない。
――――あれ?
「リリスと言ったね?」
「うん」
「ウィルって誰だい?」
「せんせい」
「せんせい?」
少女はまたまた大袈裟に首を振った。
頭のたれ耳がパタリと動いた。
「私の魔法と勉強の先生」
「そのウィルはどこに居るんだい?」
「わからない」
さぁ困った。チャシの中に何者かが侵入したと言うことだ。
五輪男は立ち上がり威厳の合る声を発した。
「誰ぞあるか!」
その声に反応してドアが開いた。
厳つい装備の警護騎士がいく人か入ってきて五輪男の前に立った。
そんなシーンに少女は再び身体を固くした。だが、五輪男は構わず指示を出す。
「カウリ伯爵の従者がチャシの中にいる。容姿は不明だ。チャシ詰めの者以外を中庭へ集めよ。すべての部屋を探せ!」
五輪男の言葉に弾かれる様にして騎士たちが動き始めた。
だが、その直後に部屋の外から聞き慣れない声が聞こえた。
「お忙しい皆さんの手間を省きましょう」
チャシ詰めのスタッフを押しのけ部屋へと入ってきたのは、長身で浅黒い肌の男だった。
ツバの無いシルクハットのような帽子を被り日本の和服の様な姿の男。手には小さな魔法杖を持ち、手には魔力を込めた指輪を沢山はめたヒトの男。
「ただ今お嬢さまより紹介に預かりましたカウリ伯爵様の個人相談役兼お嬢さまの家庭教師となります。ウィルことウィルケアルヴェルティと申します」
そう名乗った男は帽子を取って頭を下げた。
その頭にはキツネの様な耳があった。
だが、その姿はヒトのようだ。
つまり、キツネのマダラ。
五輪男は初めてキツネの男に遭遇した。
「ご覧の通りキツネの男に御座います……おっと、自己紹介が足りませんでしたな。キツネのマダラな男です、どうかお見知り置き下さい。ゼル様の影武者ワタラこと五輪男殿」
淀みなく言い切ったウィルに五輪男は一歩下がった。
チャシ詰めのスタッフでもワタラの本名を知る者は少ない。ごく僅かと言って良いはずだ。
だが、いま間違いなくウィルは五輪男の名を言った。
それも一切逡巡なくキッパリと。まるで答えを知っていたかのように。
「申し遅れました。手前は……」
再び帽子を被り尚したウィル。
その眼差しは全てを見通すかのような、どこまでも透き通った水のような眼差しだった。
「……キツネの陰陽師でございます」
その言葉に五輪男だけでなくチャシ詰めのスタッフ全員が警戒感を露わにした。
かつて、イヌとそれ以外の種族連合がガルディアラの覇権を掛けて戦った大祖国戦争で、イヌの騎兵団三万騎をたったの数人で撃ち破ったキツネの魔導師たちがいた。
その男たちは潰走するイヌの騎兵に二度と消えない魔法の焼き印を打ち入れ、トゥリ帝へ言伝たのだという。
――――たとえ世界の裏側へ逃げようと確実に呪い殺してくれる……と
「いま、陰陽師と申されたか」
「左様にございます」
五輪男の目に浮かぶ僅かならぬ警戒の色をウィルは楽しそうに見ていた。