オクルカの決意
────お寛ぎのところを失礼します
昼食を終え、午後の閣議前に僅な午睡をと微睡んでいたカリオン。
そのとなりでカリオンの肩に頭を預け、リリスは完全に眠っていた。
静かな室内ゆえ、伝令の声も抑え目だ。
「……
『なにようか?』と声を出しかけ、その声をカリオンは飲み込んだ。
声を出せばリリスは目を覚ます。それを避けたいカリオンは視線で応えた。
──静かに
と。
「シウニノンチュより急伝です」
報告書を置いていった伝令担当は、器械体操のような敬礼をして姿を消した。
やれやれと言わんばかりにその書類を見たカリオン。
暫し文字列を目で追い、ややあってから僅かに口許を歪ませ笑った。
「そうか……」
声を殺して呟いたものの……
「どうしたの?」
僅かな機微で目を覚ましたリリスは、半分眠ったような声でたずねた。
どんな時でも状況を把握しておく意識は、本能レベルになりつつあった。
「……シウニノンチュに居るオクルカ公が越境窃盗団を壊滅させたそうだ」
カリオンの言葉は柔らかく暖かかった。
それはまるでトロリとした温かな泉のようで、リリスの心をそっと暖めた。
「……シウニノンチュは安心だね」
「あぁ。出来るものなら何か報奨を与えたいところだ」
「良い案ね。でも、嫌味にならない形で、褒賞ではなく感謝の形が良いと思う」
「……流石だよ」
そんな会話の後、リリスは再び眠りに落ちた。
絶対的な安心を約束してくれる、カリオンの腕の中で。
リリスを抱き締めたカリオンも目を閉じて意識を手放した。
そんな2人を炯々とした眼差しで見守る男が一人、部屋の隅に座っていた。
入り口から見えない死角で、薄目をあけて辺りを観察するリベラだ。
息を殺し、気配を殺し、完全に壁と一体化して佇んでいた。
相当な熟練者でもなければ、気がつく事は無い状態だった。
────────ル・ガル帝國 帝都ガルディアラ
帝國歴 337年 3月 25日
「……誰ぞ在るか」
一瞬だけ眠りに落ちたカリオンは、小さな声で人を呼んだ。
時間にすれば10秒かそこらの眠りでしか無い。
だが、瞬間的とは言え、ストンと眠るその時間は貴重だ。
ややあってウォークが姿を現す。
その間にカリオンの頭脳は冴えわたっていた。
「お呼びですか?」
「あぁ」
部屋の入り口に立っていたウォークをカリオンが手招きした。
一歩部屋に入ったウォークは、壁際にいたリベラの存在に気がつかなかった。
スタスタと遠慮なく歩いてカリオンの近くに立ち、耳を向ける。
ただ、その足音は静かなもので、最大限、眠っているリリスに気を使っていた。
「シウニノンチュのオクルカ公に、何か謝礼の品を」
カリオンの指示に一瞬怪訝な表情を浮かべたウォーク。
実情を掴んでいないのかと気がついたカリオンは、報告書を見せた。
その報告書を速読したウォークは顔を上げる。
続きの指示を聞くために。
「出来れば…… 形に残らぬもので、そして、彼らの役に立つもので」
「では…… 傷薬など医薬品はどうでしょうか」
やや思案し回答したウォークの言葉にカリオンは首肯した。
太陽王が敵対するフレミナ勢へ医薬品を送る。
それは遠まわしに彼らの身を案じているとのメッセージになる。
ごくごく一瞬だったのだが、ウォークの答えは満額回答だ。
「それで良い。大至急手配し送致せよ」
「かしこまりました」
クルリと踵を返しで振り返ったとき、ウォークはやっとリベラに気がついた。
完全に壁と同化していたリベラに気がつかなかったのだ。
ギリギリのところで驚きの表情を押さえ込んだウォーク。
だが、リベラはそれを見抜いていた。
「細作稼業を侮りやすと、痛い目にあいますぜ」
「……以後、気をつけます」
「それがよろしいでしょう」
顔を見合わせニヤリと笑いあうウォークとリベラ。
最強のエリートガードとして立ちはだかる近衛連隊の更に内側。
最後の防衛線として存在するリベラは、常に抜かり無くあるのだった。
「あなたは本当に凄いな」
「他人様に誇れぬ仕事でございやす……」
自嘲気味に笑うリベラだが、カリオンは僅かに首肯して再び目を閉じた。
安心して午睡に入る太陽王の姿に、リベラは言い表せぬ満足感を覚えた。
万善の信頼を得ているというのは、それだけで忠誠心を強くするものだ。
リベラは細作らしく音を立てずに懐の棒手裏剣を検めた。
僅かでも掠れば腰を抜かす神経毒を塗ってあるものだ。
いつでも太陽王を亡き者に出来るポジションにネコがいる。
その事実が、ル・ガルという国家の余裕を表していた。
――――同じころ
北府シウニノンチュの中ではオクルカが歓待を受けていた。
前日遅くに帰還したフレミナ騎兵たちと共に、町民総出の歓待だ。
まもなく農繁期の春とは言え、種芋にする芋まで使っての料理が並んでいる。
それは、毎年のように越境窃盗団に悩まされていた町民の心でもある。
つまり、備蓄分を取り崩しても問題ないと町民が安心するような戦果。
言い換えるなら、町民の信頼を勝ち取るのにあまりある成果と言う事だ。
「国軍騎兵と互角と申されましたが、その言葉を疑った己が恥ずかしいですわい」
青年団の長を務める若い男は、そう言いながらオクルカにワインを勧めていた。
いまだ武具の手入れもしておらぬと言うのに、既に宴会モードだ。
「なんのなんの。今回は出来すぎでしょうな」
そう謙遜して見せたオクルカだが、その双眸には自信の炎が宿る。
雪原を走り敵を討つ戦闘では、フレミナ騎兵は世界最強レベルだ。
越境窃盗団など物の数ではない。
オクルカは今回それを再確認していた。
正直に言えば、傷の癒えた騎兵たちのリハビリ代わりのようなモノだった。
全く歯ごたえの無い状態で、あっという間に撃滅せしむる状態なのだ。
「で、生き残りは?」
「ござらん。足跡を追跡し、すべて撃ち果たした。心配なかろうかと思われるが」
鷹揚と杯を降ろしたオクルカは楽しそうに笑った。
街の住人達から大歓待を受けると言うのは、初めての経験だった。
町民とは支配するものだとオクルカは思ってきた。
それがフレミナの文化で有り常識だった。
だが、シウニノンチュは違う。全く違う。
支配するのでは無く、共存するのだ。
「公のお言葉。町民に知らしめ申す」
町長は畏まってそう言うと、深々と頭を下げた。
それは、責任を背負う者が見に纏う矜持。
街の責任を預かる者が見せる『命の重さ』その物だ。
「手前は居候の身。これ位は役に立たねば、申し訳ない」
オクルカは静かな口調でそう言った。
そんな言葉に街長を含めた多くの者たちが驚きの表情を浮かべる。
ただ、フレミナ騎兵は街の居候だというオクルカの思考に一切のブレは無い。
決して出娑婆ってはならないし、羽目を外してもいけない。
慎ましく、控えめに、慎重に。
オクルカの脳裏にあるのは、街に火を放ったフレミナ騎兵の横暴だ。
石造りの家が多いので、街丸ごとが全焼の事態は避けられていた。
ただ、家から焼け出され、着の身着のままに身を寄せる者はまだまだいる。
例えそれが自らの所業でなかったとしても、責任の所在として背負わねばならない事なのだ。
「……聞くところによれば、カリオン王の父ゼル公は、焼き払われたネコの街を再建するべく奔走されたそうです。同じ事をして許しを請うつもりでは無く、せめてもの償いとしての赤心と思っていただければ、それで」
オクルカの言葉には裏の意図を感じさせるようなものが一切無かった。
自信を持って振る舞い、責任を持ってそこに佇む。
王の王たる、王足りえる部分をオクルカも体現していた。
「……まるで王の如し。ですな」
そう漏らした街長の言葉に、オクルカはハッとした表情を見せた。
太陽王カリオンが見ている世界を、その真実を垣間見たのだ。
支配するのではなく、支えられると言う大切な部分だ。
「王などと大それた者には成れそうに無い。ただ……
――会ってみたい……
オクルカは本音でそう思った。
この街の中で育ち、ビッグストンを空前絶後の成績で卒業した神童に。
太陽王の座を得てなお進化し続ける稀代の王に。
世界を廻し始めた男と、話をしてみたいのだ。
今までと違う『なにか』を起こし続ける男に。
『これまで』を引き継ぐ事でしか存在が許されなかった頂点とは違う存在だ。
「ただ…… いかがされたいのか?」
言葉の続きを求めた街長に、オクルカは微笑を返すだけだった。
まだ言葉に出来ぬとオクルカは思っていた。
まだだ。
機が熟するのは、いましばし未来だ。
フレミナの多くがまだ戦闘意欲を持っている。
このタイミングで迂闊な事を口走れば、フレミナの結束を割る事になる。
先祖代々に根を下ろしてきた地をフレミナの上流層は追われたのだ。
そして、下々の者は、新たな支配者層を受け入れるしかなかった。
それがル・ガルの文化なら致し方ないのかも知れない。
だが、フレミナはフレミナであってル・ガルではない。
そんな意識がフレミナ一門の根底には確実に存在するのだ。
「せめて、安定したい」
「安定?」
「あぁ」
どう取り繕うか思案したオクルカの導き出した答え。
それは『安定』だった。そして、内心で『安心』と言う言葉も呟く。
いま思えば、ル・ガルと言う国家が成立した時からフレミナは閉鎖的だった。
フレミナの利害調整の中からシウニンが切り離された時、おそらく彼等も怖かったのだろうとオクルカは思う。
新天地へと踏み出し、数多くの氏族を従え、その中で利害関係を調整しつつ、シウニンの男たちはアージン家を興して王となった。彼らは王が王足りえるために、血を流し汗を流し歩んできたのだろう。
そのアージン家がフレミナ一門に牙をむいている。
実情がどうであるかを分からないオクルカでは無い。ただ、現実として多くの民衆が怖がっているのだ。全ての始まりが、彼らの勘違いした驕りによる横暴だったとしても、現状では怖いのだ。
「先代フレミナ王は戦の果てに遠行された。その前もそうだった。戦は何も生み出さず、得られるものは不毛な恨みと諍いの種と、そして争いの火種だ。それを変えたいのだが……」
そこから先は察しろとオクルカは願った。
まだ口に出来ぬ事がある。
まだ事を起せぬ時もある。
「……オクルカ殿の治世で、あるいはそれが叶うやも、いや、僅かでも前進せしむる事も、あるいは……」
つかみ所の無い返答を返した街長だが、オクルカはその言葉に自らの意図を街長が汲み取ったと思った。人を束ね導く者ならばわかる事がある。逆に言えば、その立場にならないと、責任を背負わないと理解出来ぬ事もあるのだ。
「まぁ、なるようにしか…… ならぬものですな」
再び杯を煽ったオクルカは、町民たちと踊っているフレミナ騎兵を眺めた。
この街ならば上手くやれるかも知れない。ふと、そんな事を思った。
そして、先ずは町民たちから完全な信頼を得られるよう努力すると決めた。
町民を支配するのではなく、町民から支持される存在へ。
暗黙の了解としての階級制度にしばられ、自らの分を踏み外さぬよう生きていくのが当たり前だったフレミナの社会。その社会常識を大きく変えてしまおうとしているオクルカは、沸き起こる波風の強さを思っていた。間違いなく、大変な事になると、覚悟を決めながら。
――――1週間後
「オクラーシェ! これで全部だ!」
眩いほどの雪原も所々で土が見え始めていた。
雪解け進むシウニノンチュの郊外で、フレミナ騎兵は小休止を入れていた。
雪原の真ん中に積み上げられているのは、小規模な越境窃盗団の慣れの果てだ。
およそ30騎程でしかなく、しかもその馬は草臥れ果て、痩せ細っていた。
もう随分とまともな食事をしていないと見え、死体も皆痩せていた。
「どう見たって北方系だな」
「あぁ、フレミナ出身者だ」
オギとナギが死体を検分している。
民族色豊かな装身具で飾り立てている若者の死体には、骨が浮き上がっていた。
筋肉も脂肪もなく、骨と皮だけのような状態で、毛艶など望むべくも無い。
本来なら北方系の一族であるからして、冬場ともなれば豊かな体毛を誇る筈。
だが、そこに並ぶ死体の殆どが、下毛の無い痩せ細った姿だ。
「栄養失調か」
「あぁ。オマケにこれではな」
窃盗団の持っていた剣は、中身がただの木の枝だった。
矢にやじりは無く、槍だと思った長柄もまた木の枝だった。
「これでどうするつもりだったんだ?」
「シウニノンチュの入り口で物乞いか?」
オギやナギは怪訝な表情でオクルカを見ていた。
窃盗団をするにしたって、これでは望むものなど手に入れられないだろう。
山窩の者達は山の中で生きているのだが、冬場はそれも限界を迎える。
少しずつ馬を殺し羊を殺し、厳しい冬を乗り越えて春先に活動を活発化させる。
彼らは決して平野へと下りる事は無い。
平地ではル・ガル国軍騎兵の警察権力に勝てないからだ。
「……山へと追いやられたフレミナの卑人か」
狭い社会であるフレミナでは穢多の穢れを気枯れと読み替える。
イヌの社会において業病に穢れ毛並みを失ったり、あるいはそれに近いものは犬神人として白装束の山伏となるしかなかった。
そのほかにも乞胸と呼ばれる河原芸人の慣れの果てなど、街に住まう事を禁じられた者たちの末路は悲惨だった。病魔を蔓延させ街を滅ぼしかねない存在は、フレミナの社会では居場所が無いのだ。
「どうする?」
オギはオクルカに処断を求めた。
この様子では、冬を越えられず死んだものも多いだろうと思われた。
本来の山窩であれば、冬越えの隠れ里を持っているはずだ。
だが、この貧弱な装備で雪原を移動していたと言う事は……
「この者たちを荼毘に付しフレミナへ連れて帰る」
小さく溜息を吐いたオクルカは、フレミナの実態をまざまざと見せ付けられた気がしていた。栄えるル・ガルの王都や撃たれ強く立ち上がってくるシウニノンチュと違い、フレミナの里では弱者を切り捨てるしかないのだ。
「この者たちも、フレミナの一部だ。ル・ガル国民として存在すれば、国家が保護するはずだった貧民たちだ。それをフレミナの指導者たちは断ってきた。貧民の命よりも自分たちの見栄と虚栄心の為に見殺しにしてきたのだ」
オクルカの言葉は明確なフェリブル批判を始めた。
多くのフレミナ騎兵が息を呑んで見守る中、オクルカの言葉は続いた。
「傷ついた者、病んだ者、弱き者、働けぬ者。そのもの達を不要とし、おのれの身と立場と権力だけを優先してきたフレミナの社会を終わりにしよう。全ての矢は俺が受ける。子等の為に、いま、動き出そうと思う」
話を聞いていた騎兵たちの顔が変わった。
オクルカは胸を張って言い切った。
「反対を唱えるものはあるか」
全員が黙ってオクルカを見ていた。その目には力があった。
誰かがやらねばならない事をオクルカが引き受けたと、皆は思った。
「彼らを荼毘に伏せ。そして、一旦、シウニノンチュへと戻る。もう雪解けが進んでいることだろう。峠を越え、フレミナの郷へ入る。フレミナに改革を興す!」
オクルカの力強い言葉に全員が剣を抜きオーッ!と叫んだ。
新しい時代が新しい世代を鍛えるように、新しい世代は新しい社会を作る。
社会は人を育て、育った者は新たな社会を栄えさせる。
荼毘に付したフレミナ社会の犠牲者を抱え、オクルカは覚悟を新たにした。
無念を抱いたまま死んだ河原者達を抱きシウニノンチュへと帰った。
全ての矢面に立つ覚悟を決めたオクルカの表情は晴れやかだった。
だが……
「お待ちしておりました」
シウニノンチュへと帰ったオクルカを待っていたのは、まだ若いル・ガルの官僚だった。濃緑で膝まである長裾上着を纏い、その肩に下がる飾りモールは最高位を示す8本だ。
ただ、その歳はどう見ても50前。もっと言えば、まだ子供ではないかと思うほどに若いものだ。その若者が、高度に官僚化され年功序列の厳しいル・ガル社会において、おいそれと下げられぬ8本の金モールをつけている。
「……いずこの方か?」
オクルカの言葉には、隠しようの無い警戒が浮かんだ。
紛れも無く『とんでもない肩書き』の者が来たと思ったのだ。
「申し遅れました。第五代太陽王、カリオン・エ・アージン公の使いとして参りました。太陽王の御用係小姓長。ウォーク・レガルド・レオンと申します」
キチンと足を揃え、腰を折り、正しいフォームでの拝謁を見せたウォーク。
その立ち姿も振舞いも、何処をどう見たってただモノではない風格があった。
――カリオン王は、いきなりとんでもない人間を送り込んできた!
どう見たってまだまだ若い男だが、それを最初に送り込んできたカリオン。
つまり、この上の人物はまだまだ居るのだと、そう言うメッセージ。
オクルカはそう受け取るしかなかった。
「承った。して、ウォーク殿の賜った御用とは?」
「はい。我が王はその母なる街シウニノンチュの安全を確保されたフレミナ王オクルカ殿に深く感謝し、その御身の健やかなる事を心根より祈ると」
ウォークの手が指し示した先には、カリオンの持たせた荷物があった。
そこに書かれていたのは、傷薬や包帯や、様々な医薬品があった。
そしてそれだけでなく、ウォークは懐より桐箱を取り出し差し出した。
受け取ったオクルカは黙ってその箱を開けた。
その中には、ル・ガルでも貴重なエリクサーが三本入っていた。
「……これは」
言葉を失って立ち尽くしたオクルカ。
ウォークはそのオクルカの言葉を、辛抱強く待ち続けていた。