オクルカとフレミナの献身
陽光溢れるシウニノンチュの街は春の雪解けが始まった。
季節が巡り、暖かな春を待ってじっと過ごす日々を送った市民は明るい。
ル・ガル国内でも屈指の降雪地域な北部山岳地域のシウニノンチュだ。
この街は積雪2メートルが標準で、何年かに一度は4メートルを超えた。
毎冬、街中は僅かな歩行路以外が雪に埋まり、人々の営みは大きく減速する。
冬場の雪かきは人海戦術で行うのだから、その始末は甘くなるのだ。
だからこそ春の喜びは大きく広く果てしなくあるのだった。
「良い陽気ですな。街長どの」
春の雪始末を指揮するオクルカの表情は明るい。
フレミナ騎兵の故郷は、シウニノンチュよりも更に雪深い地域だ。
それ故に、雪との付き合い方は慣れていて、市街地の雪かきを買って出ていた。
街の雪かきを一冬行い続けた彼等は、シウニノンチュ市民から見ても大したものだと舌を巻く手際を見せる。
彼らフレミナ騎兵の働きにより、真冬でも街の市場に商品の並ぶ事があった。
雪の少ない冬に何度か市民バザールが開かれることはあったが、標準的な降雪量にも関わらず市場が機能したのは初めての事だった。
「フレミナ騎兵諸氏の働きでこの冬はずいぶんと楽をさせてもらいました。市民を代表してお礼を申し上げる」
オクルカと並んで作業を見守る街長は、満足げな表情でそう言った。
実際の話、カリオン達が国家中枢へ出て行った後の街は、酷い物だったのだ。
雪に不慣れなスペンサー家の騎兵や歩兵では、雪始末もまごつく状態だった。
それ故に、この10年ほどは冬場の街が死んだようになっていた。
「なんのなんの。我等は押し掛けてきた居候。これくらいの働きをせねば恩義に報いることなど出来ますまい」
快活に笑ったオクルカは、市街地のから運び出した雪の始末に頭を捻っている。
フレミナ騎兵の統制は大したもので、一糸乱れず事に当たる姿は美しい程だ。
精強を誇る彼等フレミナ騎兵は、いかなる時も全力投球だった。
「ところでオクルカどの」
街長の声はやや怪訝だった。
そんな機微を感じ取ったオクルカは努めて明るい声を出した。
「なんなりと」
「あれは?」
市街地の片隅でフレミナ騎兵達は着々と造作を進めていた。
立ち並ぶ家々の屋根に梁を渡し、隙間を埋めるように屋根を葺いている。
はた目に見れば、それはまるで城壁の如しだ。
「あぁ、申し訳無い。先に言うべきだった」
相変わらず快活に笑ったオクルカは、身ぶり手振りを交え説明する。
「建物の隙間を予め塞いでおけば、そこに雪は入らず除雪の手間は大きく減る。フレミナの街では建物の地階が雪で埋まり二階から出入りするのも珍しくない。そんなフレミナ市民の知恵なのだ」
その姿は、後ろめたい部分や、密かな企みと言った物を感じさせないものだ。
まるで竹を割ったように真っ直ぐな自信溢れる眼差しで街長を見るオクルカ。
その姿には権謀術数を尽くす策士の悪臭など一切ない。
「……じゃが」
「なにかご不満か?」
驚いたように言うオクルカは、街長の本音をつかみ損ねていた。
良かれと思ってやった事で咎められる。
その理不尽さはに怪訝な色が浮かぶのだ。
「まるで城邑を拵える如しだと街の者が不安がっている。戦の支度ではないかと」
街長は慎重に言葉を選んだ。
その痛々しいまでの配慮がオクルカにも伝わった。
相手の善意を踏みにじらないように、慎重に、慎重に。
「……言われてみればその通りだ」
ガックリと肩を落とし『面目ない』と漏らしたオクルカ。
その背中には、迂闊だったと後悔する様が浮かび上がっていた。
────────ル・ガル帝國 北府 シウニノンチュ
帝國歴 337年 3月 22日
「いやいや、意図を理解出来れば良いのです」
取り繕うような街長を横目に、オクルカは苦笑いを浮かべていた。
不安がる市民とフレミナ一門との間で街長は板挟みだったはずだ。
それでもなお双方が上手く向き合えるよう気を回した街長を、オクルカは労う。
あのズタボロの状態でたどり着いたフレミナを、何も言わず温かく迎え入れた。
それだけでオクルカは満足だ。文字通り、望外の戦果と言えるレベルだ。
この街は現太陽王の故郷なのだから、拒絶されて当然なのだろう。
だが、街長は決断してくれた。
ならば、その恩義に報いねばならない。
『命は軽く・名は重く』と『捨身報恩』
ル・ガルとは義理堅い事を信条とするイヌの社会だ。
そのル・ガルにおいて、フレミナ地域がこの文化を最も色濃く持っている。
ならば、オクルカもその仁義には従わねばならない。
ソレが当然だと思って育ってきたし、ビッグストンでもそう教育された。
「ところで街長どの。時に、越境窃盗団対策は如何されておりますか」
「それが……」
この街へ駐屯していたスペンサー家の騎兵100騎は、フレミナ騎兵の襲撃で文字通り散り散りになってしまっていた。
過日、ゼル直接の指名により街の安全を委託されたスペンサー家当主のドレイク卿は、沸き立ったヤカンもかくやと言う怒り心頭具合だという。
「スペンサー家のドレイク様には、この老いぼれが仲を取り持たせていただきますが、あの窃盗団は……」
「承知仕った。そちらは我々が責任もって追い払おう。場合によっては徹底殲滅する。少々血生臭い事になるが、安全と安心の為だ。ご安心いただきたい」
胸を張って言うオクルカは、街長の肩をポンと叩いた。
小柄な街長から見れば、見上げるような体躯を誇る巌の如き男だ。
その男が『任せろ』と言い切ったのだから心配は要るまい。
街長はそんな印象を持った。
「我が故郷も北方種族などとの小競り合いを年中経験しているから、その辺りは上手くやらせて貰いましょうぞ。一宿一飯の恩義に報いねば」
――やはり情に篤い男だ……
街長はそう確信した。
そして、これだけの男があのカリオンと敵対している事を心中で嘆いた。
叶うなら、太陽王の右腕として。
いや、右腕などでは役不足も甚だしい。
願う希望と目指す目標が重なるなら、ぶれぬなら。
太陽王代理の重責も適うやも知れぬ。
――――オクラーシェ!
街長と話を続けていたオクルカの元に伝令が走ってきた。
まだ若いフレミナ騎兵の見習いだ。
「どうした!」
「西の森に馬の足跡がある。おそらく一個小隊じゃ効かない数だ!」
馬の足跡という報告にオクルカの表情が曇る。
雪原を苦にしない馬となれば、それは軍馬か窃盗団の馬かのどちらかだ。
フレミナ騎兵の乗る寒立馬などは、脚の大半が雪に埋まる雪原でも行軍できる。
オクルカの脳裏に浮かぶのは、フレミナの様子を見に来た国軍の威力偵察。
軽くやりあって実力を計り、その情報を持ち帰る腕利きの集まりだ。
ビッグストンで槍騎兵としての教育を受けたオクルカは、威力偵察の経験もある。
彼等の目に写るこの街が、戦闘準備を着々と進める要塞化だとしたらまずい。
「オギに伝令だ!」
未だ街中で着々と雪の始末に勤しむオギが遠くに見える。
街の高台で指揮をするオクルカの声は、いくら何でも届きそうに無い。
「二個小隊程度を引き連れ足跡をたどれ。国軍ならば戦闘を避け平穏に話をせよ。オクルカが対話を求めていると」
『ハッ!』と返事を返して伝令が走っていった。
その姿を見ていた街長は、オクルカの胸中を思った。
戦いを回避し、次に繋げたい。その意思を見取ったのだった。
────その日の夕方
「オクラーシェ! オギが戻った!」
伝令の声が響き、オクルカは顔を上げた。
騎兵団の各隊長を集め、シウニノンチュの砦の中で夕食の真っ最中だった。
「いま行く!」
いくら雪慣れしているとはいえ、馬の脚をとられる雪原の行軍は心配だ。
機動力を封じられた騎兵の末路は、悲惨の局地と言うしかない。
頭上より矢を射掛けられれば、成す術無く全滅することになる。
「全員無事か!」
開口第一声はそれだ。
綺麗事抜きに不安なのだから仕方がない。
騎兵ならば雪の辛さはよくわかる。
そんなところへ偵察に出した自らの命を実行したのだ。
外まで出迎えるのは最低限の礼儀と言えることだった。
「全員無事だ。ついでに言えば大戦果だな」
ケラケラと気楽な表情で笑ったオギは、袋に入った首をいくつか取り出した。
北方系の常識として、撥ねた首は持ち帰り、検分の後で首供養を行う。
街長と共にオギ達を出迎えた街の若衆は、露骨に怪訝な表情を浮かべた。
ただ、それは文化と文明の衝突なのだから、口をつぐむのがマナーだ。
「山窩か……」
両手を合わせ合掌し首への敬意を示したオクルカ。
その敬虔な姿に街の衆は衝撃を受けた。
首を撥ねたのは、手柄自慢でも何でも無い。
それはただの証拠に過ぎない。
実見し検分し、そしてその後に尊厳を持って葬る。
北方系が育んできたその文化は、決して蛮族のソレでは無い。
「あぁ。どう見てもナガレだ」
定住地を持たず、様々な生業を持ち、諸国を周回する山窩。
彼らは、犯罪集団としての側面もまた持ち合わせていた。
多くても50人ほどのグループを作り、それぞれに得意な方法で収入を得る。
その生活スタイルは、獣の如き自由奔放さで、時には国境を越えて流れていく。
深い山々や人煙稀な地域を通り、行く先々で獣を捕り、時には小さな集落を作って冬を越え、次の目的地へと旅する集団だ。
遠い日、カリオンの養父となった五輪男を最初に保護したのも山窩のグループの一つだ。彼らは彼らの文化と掟に沿って行動している、決まった国土を持たない国家の国民達だ。
「シカリはどうした?」
「おそらく逃げた」
「……そうか」
思案に暮れているオクルカは、ふと嫌な予想をたてた。
山窩は負け戦のままを嫌がる。ツキが逃げると嫌がるのだ。
仲間が死んだら、同じ数だけ敵を殺す。
味方が死んだ分だけ敵を減らす事に拘る。
それは、厳しい自然環境に生きてきた彼ら山窩の持つ自然の掟への敬意だった。
何故なら、弱って数を減らした獣の群れが滅びるのを幾つも見ているのだ。
だからこそ、仲間の弔いは同じ数の敵を殺す事によって完了を見るのだった。
「余り良いことじゃないな」
「あぁ。俺もそう思う」
「手の空いた騎兵を動員し、侵入経路と思しき場所に配置しよう」
街長の顔を見たオクルカは警報を発した。
「恐らく今夜中に彼らはやって来る。彼らは死を特別な物とは考えない。面倒が起きる前に対処する所存だ。同胞が迂闊なことをして申し訳無い。今夜は全員家にこもり、絶対に戸を開けないで貰いたい」
緊張感を漲らせたオクルカは、街長にそう言葉を発し自らの仕度を始めた。
あの河原での決戦以来身に付けていなかった甲冑を纏い、愛槍を手にする。
「オクルカ殿。どうかご無事で」
「……かたじけない」
まだ食事を終えてないというのに、オクルカは闇の中へ騎兵を率い消えていく。
イヌの鼻は暗闇でも臭いで敵を探し出す。ましてや、フレミナの一門は古来よりヤマイヌとも呼ばれるオオカミの血統を大事にしているのだ。
「町長……」
街の青年団は街長へと歩み寄った。
「……あぁ。彼らの帰還に備えよう」
街を預かる老練なイヌは、続々と闇へ消えていくフレミナ騎兵の背中を見送る。
その背中には、国軍近衛連隊と五分でやり合ったと言う勇猛さが溢れていた。