家族の肖像
ガルディアラの街は夕闇に包まれつつあった。
灯りを点した街頭の並ぶ大通りは、大陸の宝石と呼ばれるほど美しい。
通りに面したレストランは、どこも意匠を凝らした店構えで客を待っている。
郊外の農民と言えど、週に一度は着飾って街へと食事に来る余裕があるのだ。
決して裕福ではなくとも、街の文化を見て聞いてそれに参加できる程度の繁栄。
その全てを内包し、賑やかなガルディアラの夜は更けていく。
「なかなか良い味だな」
ガルディアラの街並みを見下ろす城の一室。
豪華な食堂に居並ぶ8名は、若き太陽王カリオンの『家族』だ。
父ゼルの薫陶を受けるカリオン王は、全員揃ってのディナーを大切にしている。
特別な来客や要人との会食など、重要な案件が無ければ家族と過ごすのだ。
「で、今年はどうなの?」
特に問題が無ければ、レストラン『岩の雫』で公開会議を行う時もある。
だが、カリオンは基本的に家族主義を貫いていた。
それは、太陽王・国父として、家庭に於ける父親の理想像を体現している。
つまりは手本を見せているのだった。
「まぁ問題ないって言うところね」
ただ、ディナーの席だと言うのに、カリオンとリリスの話題は国内農政だった。
農務長官の報告では、総作付面積は昨年比で微増との事だ。
春先の天候如何で上下に触れ幅は出るが、食料供給に余裕が生まれるだろう。
いかなる世界でも国政の基礎は農務であり、食料供給の安定こそが基本だ。
国民の不平不満で最も抑えられない部門こそが食料問題なのだった。
「帝后陛下の勘定ですか?」
夕食の席に同席しているリベラは、己が主の持つ恐るべき権限に感心していた。
国家の食料事情は『国母』リリスの管轄に置かれている。
家庭の台所は主婦が握っているように、家族の体調を配慮する姿の実践だった。
「誰だってお腹いっぱい食べたいじゃない」
あっけらかんと笑うリリスは、美味しそうにスープをすすっている。
一冬越した根菜類のスープには、野菜の甘味が溶け出していた。
三昼夜掛けて作り上げたこのスープは、ル・ガルの豊かさを内包していた。
「ル・ガルは…… 豊かですな」
リベラは感心するように呟いた。
ネコの国は国土の地味も悪く、またその気候は寒くて厳しい。
貧しさとひもじさの中で育ったのだから、なんとも羨ましい限りだ。
飢えと乾きから犯罪に手を染め、他人を陥れてその肉を喰らう。
信義や信用と言ったものは、豊かさの裏返しでもあった。
────────ル・ガル帝國 帝都ガルディアラ
帝國歴 337年 3月 15日
テーブルに並ぶディナーのメニューは、城下のレストランに比べ質素と言える。
各店が鎬を削り戦うものと比べれば、その見栄えや食材が見劣りしてしまう。
ただ、例えそうであっても、キッチンのコックは誠心誠意の調理を施す。
王へディナーを供する事は、ル・ガルの全コックにとって最高の栄誉だからだ。
「これさ、そのうち、全国の料理人に機会を与えたいと思うんだ」
カリオンは魚介のメインディッシュを平らげ、口直しの氷菓を舐めていた。
ヒトの世界から伝わったと言う冷たいクリーム状の食べ物は、甘いものが好きなカリオンやリリスにとっては最高の食べ物だ。ただ、困った事にこのメニューは食べ過ぎると頭痛を引き起こす。
「これ、相変わらず美味いよなぁ」
メインディッシュを飛ばし『バケツ一杯食べたい』と冗談を言ったカリオンの為にそれが運ばれてきて、頑張って食べたまでは良かったが酷い頭痛を引き起こしたカリオン。
だが、氷菓をちゃんと理解していなかった城詰めの騎士たちが『太陽王に毒が盛られた!』と大騒ぎし、危うくキッチンへ完全武装の騎兵一個連隊が突入しかけた事もある。
母レイラから作り方を教えられていたリリスは、その『副作用』をも同時に教えられていた。
――――違うから!
――――毒じゃ無いから!
――――冷たいモノの食べ過ぎよ!
必死になって騎兵を宥め、疑念の解消に努めたリリス。
騎兵たちがそれを理解し大騒ぎが収まった後、城下では大評判になる。
――――ネコやトラにも屈せぬ王の
――――止むに止まれぬ頭痛の種よ!
そんなコピーの付けられたジェラードは、ガルディブルクの人気メニューだ。
「あなたは本当にこれが好きね」
母エイラに笑われ、カリオンはポリポリと頭を掻いた。
男は幾つになっても母親には弱い。
幾つになっても、どんな肩書きを得てもだ。
きっと、どんな世界でもそうなのだろう。
男の子は、死ぬまで母親に頭が上がらないものなのだ。
「……面目ない」
苦笑いしたカリオンは室内をグルリと見回した。
巨大な円卓の頂点に座り、右手にはリリスが居て、左手には母エイラがいた。
リリスの更に向こうには、トウリの妃サンドラ。
その隣にはウィルケアルヴェルティ。そして更にリベラが座っている。
エイラの向こうにはコトリが座り、リサを挟んでイワオが座っていた。
カリオンは弱い所を皆に遠慮無く開陳し、そして小さくなる様子を見せた。
若き太陽王は皆を心から信じているのだと、それを証明するような姿だ。
そんな姿を見ていたイワオは、ぽつりと漏らした。
「トウリ兄貴はしっかり飯喰えてるのかな……」
父母の全てを失ったイワオにとって、リリスと共にトウリは肉親だ。
そして、カリオンから見ればイワオは逆賊の徒のひとりかも知れない。
なんとなく、微妙な風当たりの強さを彼は感じている。
それは、イヌでは無くヒトであると言う部分を差し引いても、やや酷いものだ。
ただ、その危惧はカリオンも感じていた。
カリオンにその意志が無くとも、周りの者は裏切り者の一部と見なしている。
ましてや、カリオンの育った街に入っているのだ。
うっかり暗殺でもされているかも知れないと、気を揉むのだ。
「あぁ、その件だが、夕刻にウォークから報告があって……」
何かを思い出したカリオンは、ナプキンで口を拭いて話を切りだした。
カリオンの執事の様に振舞うウォークは、この家族の席には加われない。
故に、報告された内容をしっかりと思い出して説明しなければならない。
ワインを一口飲んだカリオンは、優しげな眼差しでイワオを見ていた。
「トウリ兄貴はオクルカ公と並び、シウニノンチュの街を再建し始めたそうだ」
「……再建?」
「あぁ。昨年の後半、フレミナの騎兵がシウニノンチュの各所で焼き討ち紛いの事をしているんだが……」
カリオンの口から出た言葉にリリスとエイラが驚きの表情を浮かべた。
軍事情報的な側面があったため、カリオンは情報を伏せていたのだ。
「それ、本当なの?」
エイラの言葉が暗く沈んだ。
衝撃を受けるなと言う方が難しいのだろう。
カリオンだけでなく母エイラにとってもあの街は特別と言うことだ。
夫ゼルやワタラと呼ぶ五輪男や、息子と娘がそだった街でもある。
敵執心を煽りかねない事だけに慎重になったと言う側面もある。
そんな街の炎上情報を母に言えば、それはとても悲しむに違いが無かった。
「えぇ。父上と同じく、街の再建に熱を入れていて、一時はかなり険悪だった街の住人たちとも良好な関係だそうです」
運ばれてきた肉料理のメインディッシュに手を付けたカリオン。
それを味わいつつ、朗々とフレミナ陣営の思惑について解説し続けた。
「まぁ、トウリ兄貴の知恵もかなりあるのでは無いでしょうか。なんせ父上とカウリ叔父さんからフィエンの街の顛末を聞いている筈ですから」
寄せられていた膨大な量の報告は全て詳細な分析が施される
そして、そのすべてが報告書の形でカリオンの手元に届いていた。
「で、あなたはフレミナ側をどうしたいの?」
カリオンの母レイラは、祖父シュサが手を付けた屋敷メイドの産んだ娘だ。
フレミナ陣営との縁は限りなく薄いと言って良い存在なのだ。
「そうですね」
まだまだ若きカリオンは、巨大なステーキをペロリと平らげた。
そして、口直しの果物を食べつつ僅かに思案する素振りを見せた。
それは決して演技ではない。
ただ、これと言った回答を用意していなかったのは事実だった。
「正直に言えば分かりません。フレミナ陣営が共存を望めば、それは歓迎しようと思います。あくまで雌雄を決するのであれば、もちろん受けて立ちます」
小さく溜息をこぼしたカリオンは、ふと顔を上げてサンドラを見た。
その眼差しは優しく、そして慈悲深いものだった。
「こちらからどうこうと動く必要は無いと思いますし、やってはいけないんだと考えています。物事の決断は本人の覚悟だと父から教わりました」
カリオンの物言いにサンドラは気が付いた。
過去幾度もあったフレミナとシウニンの衝突。
それは結局のところ、無駄なプライドの激突でしかない。
絶対に折れない、折れる事の許されないもの。
死闘や暗闘や、民族が共通して持つ意識の積み重なった歴史そのものだ。
「フレミナ陣営が民族の自決として共存を求めるのが望ましいと考えます。こちらから出向き、力で押さえつけ、強引に服従を迫るのは禍根の元ではないかと……」
カリオンは分かっていた。
だからこそ『フレミナ姫の輿入れ』が続けられているのだと。
光と影が交わるように、正と邪が表裏一体な様に。
フレミナとシウニンは一衣帯水の関係と言えるのだ。
そして、正攻法ではなく変化球として、フレミナが得ていた既得権として。
なにより、過去実績を再確認する形で続けられる伝統行事が輿入れだった。
その姫たちは王都の中で心細い日々を送り続ける事を宿命受けられる。
シウニン側とのパイプを確保し続ける道具にされてきた。
「……女が道具になるのは続くのですね」
どこか諦観にも似た醒め切った言葉がサンドラの口から漏れた。
彼女はシウニンとフレミナの完全融合をいつの日か実現する為に生きてきた。
王の宰相たる存在の家系へ送り込まれるのを前提に育てられてきたのだ。
フレミナ訛りが出ないよう、南方系血統のカヴァネスに育てられてきた。
物心つく前に母親と引き離され、家庭教師達に厳しく躾けられていた。
「あぁ…… それは仕方が無いかも知れない」
カリオンの言葉に酷く悲しそうな表情を浮かべたサンドラ。
生ける人形のように育てられ、肉親の愛情を知らずに生きてきた。
フレミナの者たちとは普段言葉すらも違う環境で、彼女は育ったのだ。
それを一言で表現するならば『家畜の育成』でしかない。
彼女はフレミナに都合の良い存在になるよう『調教』されてきたに過ぎない。
フレミナではあまり縁の無いドレスマナーやテーブルマナーを教え込まれた。
王宮での立ち振る舞いを磨く為だけに、足運びの位置まで矯正された。
ル・ガルを含めた国際社会のあれやこれやに付いて知識を詰め込まれた。
正しく食事する事を強要されてきたサンドラは、常に監視下にいた。
物心付いた頃から自分以外の誰かと食事をしたことすらなかった。
「だけどね、私個人の意志としては、トウリ兄貴とサンドラには幸せになって欲しいと思っているんだ。ウソや冗談やその場しのぎの出任せじゃ無くて」
カリオンは隣に座るリリスと顔を見合わせて笑いあった。
それは幸せな夫婦がよく行う事だ。お互いの表情に満足を感じるのだ。
――そこに居るだけで幸せを感じる存在
本当に幸せな夫婦とは、物や言葉や精神的な充足などを求めるモノでは無い。
それは、お互いを唯一無二の存在と認識出来ることなのだろう。
サンドラはトウリの中にそれを見いだしていた。
攻められ、虐げられるフレミナを知っている人物。
その辛さを理解してくれる存在だ。
「いずれ…… 今はまだ難しいかも知れないが、トウリ兄貴を呼び戻す算段を考えている。父上と妻の母が20年求め合った苦労を聞いているだけに…… 心が痛むんだよ。ウソじゃ無くて、本当にね」
カリオンの吐いたそんな言葉にリリスは辛そうな笑みを浮かべていた。
そして夫の手に自らの手を重ねた。
お互いがお互いを唯一無二と認識している夫婦の愛情。
それは、誰にも立ち入ることの出来ない領域だった。
「……私と夫の事もそうですが」
サンドラは力無く微笑んでカリオンを見ていた。
その表情には忸怩たる悔しさを噛み殺した諦観があった。
「辛い記憶しかなくとも…… 私には…… 私の故郷は……」
何かを言いかけて飲み込んだサンドラ。
フレミナにとって都合の悪いことや不利になることは絶対に言わない。
そんな姿にカリオンはやや目を伏せてしまった。
サンドラがフレミナでどう躾けられていたのか、その察しが付いたからだ。
ビッグストンで経験した様々な出自の者達は、その家庭環境を引きずってきた。
口にするのも憚られるような、酷い環境の者も居た。
彼らは故郷や家や背負っている様々なモノの為に自分を犠牲にした。
ソレと同じ匂いをサンドラに感じたのだ。
「フレミナを滅ぼしたくは無い。出来れば共存したい。ただ、それを決めるのは向こうの出方一つだ」
伏せていた目をあげ、サンドラを見たカリオン。
その目には算段の色があった。
「シウニノンチュへ行って…… トウリ兄貴とオクルカ公を説得して欲しい」
カリオンは驚くべき提案を行った。
それは、ノダやゼルやカウリ・トウリと一緒に行った将来計画の路線変更だ。
全ての軛を破壊するように、フレミナの一切を焼滅ぼそうという作戦だった。
だが、カリオンは自らの家族の為にそれから一歩後退を口にした。
リリスと仲良しなサンドラが悲しむのを見たくは無い。
そんな思いだ。
「それが…… 出来なかった場合は、如何されますか?」
リベラは静かな口調で言った。
感情の一切を感じさせない、細作者特有の声音だった。
――――亡き者しましょうか?
言外にそう問いかけている言葉だ。
「今はまだそれを考えなくて良い…… と思う。ただ」
薄く笑ったカリオンは、ニヤリと笑ってリベラを見た。
隻眼のネコに残された眼差しには、肝胆を寒からしめる冷たさがあった。
「事態が改善しない時には、出番かも知れないね」
陰陽師であるウィルと細作のリベラ。
このふたりはカリオンの秘密兵器になりつつあった。
どう転がるかは分からないが、望む結果は一つだ。
食後のコーヒーを味わいながら、楽しそうに談笑し続けたカリオン一家。
ただ、その中にあってカリオンの頭脳は、フレミナとの関係を考え続けていた。