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雪の季節に

 雪の降り続くシウニノンチュ。

 温かな春はまだ遠く、寒い日々が続いている。


 この街に長逗留しているフレミナの王オクルカは、生まれ故郷と同じく銀世界になった街の中で物思いに耽っていた。


 ……フゥ


 小さな溜息をこぼし天を仰いだ。

 果たしてこれが正しかったのかどうかは分からない。

 どれ程考えても明確な回答は導き出せない。

 

 ただ、自分は勇敢に戦ったはずだ。

 部下も最善の努力をしてくれた。

 負けるにしたって納得の行くものだ。


「太陽王は伊達じゃ無い……か」


 小さな声でそう呟いて、バルコニーから暖房の効いた室内へと戻った。

 かつてカリオン王が育ったと言うこの砦は、どこそこ強靭な構造になっている。

 ここで一戦交えることとなってもこちら側の有利さは揺るがないだろう。

 

 斜面を登った高所にあると言うだけで、防御側は一方的に有利だ。

 オクルカはかつて『高所三倍の法則』とビッグストンで教えられていた。


 ――ここで一戦交えたくは……無いな


 もう一つ小さな溜息を吐いてオクルカは椅子へ腰をおろした。

 大きなテーブルの上には豪華な燭台が一つ。

 ほんのりと灯るロウソクの灯りは優しく室内を照らしている。


「オクラーシェ。街長の届けてくれた果物だ」


 腹心の部下ともいえるアギを失いオギとナギも消沈気味だ。

 そんなナギは明るい声でオクルカに果物を差し出した。

 雪の前に収穫し、雪に埋めておいた林檎だった。


「我々も雪に埋まっているな」


 自嘲気味に呟いたオクルカは深く溜息をはいた。

 この時間は間違いなく無駄なものだ。


 時間的資源を浪費することになる雪国の不利さ。

 それをオクルカは嫌というほど味わっている。


 今この時も太陽王はこちらを滅ぼす手を打っているかもしれない。

 着々と準備を進めているかもしれない。

 あれだけ統制のとれた動きをする国軍騎兵だ。

 人海戦術で雪を掻き分け、今もフレミナの郷へ進軍しているかもしれない。


 押し寄せる不安は表情に出るものだ。

 オクルカの顔には明確な翳があった。


「心配しなくて良いさオクラーシェ。深傷の者も快復してくれる」


 ナギは気分転換を図るようにそう言った。

 やはり気の利く男だと再確認するより他ない。


 誰だって不安になる時ではある。

 だが、そんな空気をかき混ぜて、沈んだ気を軽くしようとしているのだ。


「心配をかけるな」

「なにを言ってんだ。オクラーシェは希望なんだぞ」


 衰退の一方なフレミナの最後の希望。

 その重圧は想像を絶するものだ。


 ────王はこの重圧に耐えるのか


 オクルカはふと太陽王カリオンを想った。


「彼もこの重圧に耐えてるのだろうか」


 小さな声で呟いたオクルカ。

 その声を聞いたオギは静かに言う。


「こう言っちゃなんだが、背負ってるものはあっちの方が重いんじゃないか?」

「そうか?」

「だって、王はル・ガル全てのイヌの命を背負ってる」


 オギの放った言葉にオクルカはハッとした表情を浮かべた。

 太陽王はたる者は国を導き、他国と渡り合い、それだけでなく……


「全てを背負いつつ我々と争っているのか……」


 その事実を指摘され、オクルカは急に劣等感を感じ始めた。

 見ているものが違いすぎると思ったのだ。


「オクラーシェ」

「ん?」

「立場の違いって奴は勝ち負けじゃねぇと思う」


 ナギはモソモソと美味そうにリンゴを食べつつオクルカを見ていた。

 その姿は美味いものにありついて喜ぶ純粋な姿だ。


 厳しい環境で生きてきたフレミナの一門ならば、安定した食事が何よりの贅沢。

 美味し不味し、とにかく腹いっぱい食べられればそれだけで重畳だ。


「負けてるわけじゃ無いと言うことか」

「そうだね」


 気安い会話を演じていたオギ。

 だが、若い騎兵が来客を告げ、オクルカが居住まいを正すとナギは真面目な顔になった。こういう部分の切り替えが素早いナギは、オクルカにとって一番の相談相手だった。


「お寛ぎ中をお邪魔いたしますぞ」


 オクルカの部屋へと入ってきたのは、シウニノンチュの街長だった。


「だらしない姿で申し訳ない」

「いやいや」


 首を振って否定した街長は、肩下げ袋から小さな瓶を取り出した。

 それがなんであるかはすぐに理解できるのだが、一体どういう風の吹き回しだとオクルカは訝しがったのだ……



 ――――突然推参の無礼をどうか許されたい

 ――――我ら疲労困憊かつ負傷千万で死に場所を求める敗残兵である

 ――――彼らの傷がとりあえずふさがるまで……

 ――――1週間、武人の情けとして、どうか逗留を認められたい


 過日、敗走するフレミナ騎兵の先頭にいたオクルカは、この街へとやって来た。

 雪の降り出す前に峠を越え、フレミナの高原地帯へと戻りたかったオクルカ。

 だが、負傷兵は余りに多くあり、それらを捨て置かぬよう教育されたのだ。


 城砦の留守居役を命じられていたのは、オズワルド家の若き騎士だ。

 スペンサー家の衛星貴族であるオズワルド家の三男坊はオクルカの逗留を街長へと諮った。その時街長は迷わず言った。


 ――――フレミナもまたル・ガルの国民

 ――――遠行なされたシュサ様もノダ様もきっとそう仰る


 部下の為に頭を下げたオクルカの姿に、街長は王の資質を見た。

 何より、遠い日に見た現太陽王カリオン王の若き日と重なって見えたのだ。


 ――――スペンサー家よりお預かりしているこの城砦

 ――――拙者の責任にて御貸しいたしましょう

 ――――ただし 一つだけお約束願いたい


 いまだ齢20なオズワルド家の若き騎士は伏すようにして言う。


 ――――この街は太陽王の宝石でございます

 ――――幼き日に父母と暮らした大切な街でございます

 ――――この街で戦に及ばれませぬよう……

 ――――どうか……


 若き騎士はその太刀を抜き放ち、騎士の名誉をもって柄を差し出した。

 それは己の願いが通らぬならば突き刺せと言う騎士の赤心だ。

 騎士の名誉は命より重く、騎士の誓いは命に優先する。


 オクルカは同じように剣を抜き放ち、同じように柄を捧げた。


 ――――フレミナの騎士全てを預かる者として

 ――――この命約に剣を捧げる


 柄を差し出し返したオクルカは、約定を破ったときには命を差し出すと誓った。

 剣を抜き、騎士の名誉を掛けての約束だ。違える事は許されない……



「……しかして、いかなご用件か? 街長殿」


 オクルカは客人としての礼節を守っていた。

 街長の一言がなければ、けんもほろろに断られていた可能性が高い。

 つまり、既に老成し遠行を待つばかりの街長は恩人だ。


「なに、どぉと言う事は無い」


 瓶の蓋を開けた街長は、オクルカやオギやナギに熟成したワインを振舞った。

 香り立つビンテージ物の一品は、その馥郁たる芳香を部屋に漂わした。


「王都より書状が届きましてございます。若き王は傷つき羽を休めるオクルカ様に便宜をと、この老いぼれめにお命じになりました。そして、国費ではなく御自らに経費を下賜されました。ならばこの老いぼれは、オクルカ様に楽しんでいただかねばなりませぬ」


 それは悪意や他意や、どこか後ろめたい謀り事のにおいなど無いものだ。

 何処までも純粋に存在する敬意と真心。そして、太陽王への忠誠心。


「……誠にかたじけない」


 オクルカは座したままとはいえ頭を下げた。

 その立派な姿に、街長は満足そうな笑みを浮かべた。


「して、太陽王は何故に?」

「それは……」


 街長はかわいい初孫をあやす様な好々爺の笑みを浮かべた。

 そして、眩しいものでも見るかのようにオクルカを見ていた。


「オクルカ様は立派なお人だからですよ」

「立派……とな」

「えぇ。居住まいも立ち振る舞いも立派。そしてもちろん」


 深く深く首肯した街長は惚れ惚れするような眼差しだ。


「傷ついた部下の為、疲れ果てた部下の為、最初に頭をお下げになられた」

「……それは」

「上にある者には中々出来る事ではございませぬ」


 さぁさぁとワインを注いでカップを配った街長はニコリと笑った。

 街長自慢の一品なのだろう。その麗しいまでの赤が誘うようだ。


「これはブドウではなくサワツルゴケの実で作るものです……」


 一口含めばワインとは違う芳醇な香りが広がった。

 その香りは荒々しく洗練さとはほど遠いものだ。

 だが、決して鼻に付くようなでしゃばりさはなく、静かに漂うようだ。

 それはまるで谷を駆け抜ける風のようで、透明な水色を思わせた。


「カリオン王がまだご幼少の砌、いまは帝后となられたリリス様と共に摘みに行かれたサワツルゴケの草原があります。私どもはいつの日か太陽王がこの街へいらっしゃる時の為に、このワインを拵えてお待ちしているのです」


 クワッと目を見開いて驚いたオクルカ。

 オギもナギも言葉を失った。


 街長は太陽王へ献上するワインを振舞っていたのだ。


「それを…… 我々の為に……」

「良いのです。太陽王は歓待せよと仰られました。きっと御理解いただけます」


 ニコリと笑った街長は、再びそのワインを2人へと振舞った。

 豊かな香りが鼻腔を駆け抜け、2人はその思いに酔った。

 深い山に囲まれたこの街に、太陽王の大切な想いが残っている。

 それを実感したのだ。


「……どのような人物なのだ。その…… カリオン王とは」


 街長の注いだワインを飲み干したオクルカは、率直な言葉で訊ねた。

 長だけでなく、あのオズワルド家の若き騎士までもが一命を差し出す王だ。


 自らより20以上若いが、その年齢差など問題にしない尊敬を集める男。


「……そうですね」


 回答に困った街長は天井を見上げ思案した。

 ただ、どれ程言葉を練っても、カリオンを一言で表現する事など出来ない。


「あまねく地上を照らし、皆を見守り、船乗りを導き、大地に緑を与え、飢えと渇きの恐怖から御救い給う太陽神の地上代行者。光と熱とを兼ね備え、病に苦しむものを癒し、恐れ慄く者に安らぎを与え、死の淵にある者へ労りとねぎらいを与えるお方。とてもとても、お話して伝わるようなお方ではございません」


 街長は眩いものでも見るかのように目を細めて言った。

 そして『機会あらば、是非にも一度お逢いいただければ……』と言った。


「それほどの人物か」

「はい。知は山の如く、情は海の如し。一天四海万民平等と」


 この街長は海を知っているのか?とオクルカは訝しがる。

 だが、そんな事を気にせず街長は続けた。


「伝説に出てくる最初の太陽王ノーリの再来とも、或いは稀代の武帝シュサの生まれ変わりとも言われていました。何より、本物のシュサ帝から後継者として指名されていたと言うお方です」


 驚きの表情になったオクルカは黙って話を聞いていた。

 街長の口から出てくるカリオンの評は留まる事を知らなかった。

 10分20分と語り続けた街長は、瓶が空になるまでワインを振舞った。


「この大切なものを飲みつくし、大変かたじけない」

「いや、これはまだまだございます。よろしければ明日もまた」


 街長は満足そうに笑っていた。

 同じワインを飲み信頼の証とした長の姿にオクルカは驚くより他なかった。

 

 何処までも率直で素直で真っ直ぐな人間とはこのようなものか……と。

 太陽王に心酔する者の言葉とはいえ、その存在はあまりにも大きく感じていた。


「私も一度会ってみたいものだな」

「それがよろしいでしょう」

「そうか?」

「えぇ。いつまでも争ってばかりではいけません」


 街長は両手を広げオクルカに言った。


「人の手が、もし両方右手だったら……」


 いきなり不思議な事を言い出した街長にナギが怪訝な顔をした。

 それは、遠い日にカリオンの養父ワタラが言った言葉だった。


「右手と左手が握手をしてしまい、居心地が良くて仕事になりません」


 街長は両手をぱちんと閉じてオクルカに見せた。

 両方の手が向き合って合わさって、真っ直ぐに伸びている。


「こうやって手を合わせれば、両方が鏡写しの様に重なります。これがあるから仕事になります。これがあるから生きてゆけます。両方右手でなく、左手があるからこそやっていけるのです」


 街長の言葉にオクルカはその真意を悟った。

 それはつまり、和解の勧告……


「長殿はうまいこと言われるな」

「それを御理解いただけるのは、オクルカ様がカリオン様と同じように、一角の人物だからです。すくなくとも、野望に狂った愚か者には見えませぬ」


 街長のフォローにオクルカは苦笑いを浮かべる。

 敗残の王を一角の人物と言う街長の言葉に、佞言の臭いはなかった。


「そうさせてもらおう」


 何気なく放ったオクルカの一言だが、街長は気が付いていた。

 今の一言か太陽王に対して謙譲している言葉だった。

 この人物が太陽王の政権に入閣すれば、必ず役に立つだろう。

 そんな事を思っていた。

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