フレミナ勢力の行方
栄える街に雪がちらついている。
その雪に冬の訪いを知った市民たちは、足早に通りを歩いていく。
積もる量はそれほど無くとも、市民活動への影響は大きい。
商店街の商店主たちは軒先のテントを仕舞い気味にし、町は灯が消えたようだ。
「寒いな」
「そうだね」
城のバルコニーから城下を眺めたカリオンとリリス。
側近であるウォークは寒さに震えるリベラに説明を続けている。
「王都はこんなに寒いのか」
「今日は暖かいほうですよ?」
「俺もそろそろ歳だな」
「ネコはイヌよりよほど長生きなのに」
王都に上がってまだ1週間と経っていないが、リベラは既にカリオン政権の中枢へと入り込んでいた。ネコと言う事で訝しがる向きも多かったのだが、そもそもにカリオンの相談役は多種族からなっているのが当たり前だ。
「まぁ、すぐに慣れますよ」
「ネコは寒いのが嫌いなんだ」
大陸の広大な領土には様々な種族が暮らしているのだ。
イヌの国ル・ガルといえども国民はイヌだけでは無い。
その全てを庇護する王は、様々な種族の話を聞いておく必要がある。
「さて、仕事を続けるか」
「それがいいね」
リリスの肩を抱いて建物のうちへと戻るカリオン。
その仲睦まじい様子を、皆が目を細めて見ている。
歴代太陽王は後宮の中へ后を押し込め、滅多に表へ出さなかった。
だが、カリオンはその前例を悉く破っている。
妻は一人で十分だと、未だに妃を娶ろうという話も出てこない。
それどころか、行きずりの女に手を出し、後宮へ女を入れた事も無い。
歴代太陽王の庇護した女性たちは、リリスの手下に納まっていた。
新たな時代の新たな王は、新たなやり方を模索している。
それが良い事か悪いことかはまだ誰もわからない。
ただ、歴代王がそうだったように、手探りの中で結果を出さねばならぬ。
その重圧に負けないよう、側近たちは強力で重厚な布陣だった。
「そろそろトウリ兄さんから連絡が来る頃じゃ無い?」
「あぁ。そろそろ来てくれないと困る」
ル・ガル一統の覇業は、いまだ終わりへとたどり着いていなかった。
────────ル・ガル帝國 帝都ガルディアラ
帝國歴 337年 1月 25日
「陛下」
執務室へ戻ったカリオンを待っていたのは、逓信業務を掌る者だった。
「どうした?」
「シウニノンチュのトウリ様より報告書が届いております」
「……そうか」
カリオンは室内で火鉢に当っていたウィルへと目配せする。
キツネの陰陽師は老成しつつ有り、最近は寒さが堪えるようだ。
ただ、ウィルはその目配せに首肯し、手馴れた様子で魔道術式を走らせる。
遠見の魔法を使えるものが秘密書類を覗き見しないようにする為のものだ。
諜報活動の裏返しである防諜活動は、結局のところ細かいことの積み重ね。
細やかな心配りと鋭い危険察知力を要するのだった。
「どれ……」
空中種族による上空からの偵察を避けるべく軒の奥へと移動したカリオンは、受け取った書類に目を通し始めた。凡そ7ページに渡るその報告書は、シウニノンチュを事実上占領下においたフレミナ一門最後の希望、オクルカの動静を伝えるものだ。
────オクルカ公、シウニノンチュにて静養
────フレミナ勢、雪解けと共に北上の方針を示す
────地元有力者との関係悪からずあり
────懐柔政策の進展、侮りがたし
────雪をついてフレミナの里へ使者を送れり
────新たな地を目指す公算高し
――――騎兵ども。馬の蹄鉄に爪を付けれり
――――山を登る算段と見受けれり
黙って読んでいたカリオンは、執務室の地図を眺めた。
フレミナの郷には氏族毎に谷筋や丘に別れた本拠地がある。
「山か……」
ボソリと呟いたカリオンは地図を読んだ。
フレミナが山を登るなら、向かうのは一つしか考えられない。
「山岳種族の公算が高いな」
カリオンの読んだ書類をカリオン政権の者達が回し読む。
フレミナの生き残りは北方山岳地帯へ逃れようとしている公算が高い。
「フレミナは主たる氏族が5系統だな」
「そうですね」
報告書に目を通したウォークは相槌を打った。
フレミナの主要5氏族のひとつ。
ザリーツァ一門は最も古くからフレミナの地で生きてきた氏族だ。
かつては小川でしかなかったフーラ川の畔に暮らしてきたのだが、大規模な水害にあい全滅に近い被害を被っていた。そして、その教訓からザリーツァ山脈の上層部へ砦を築き、根を下ろした。
「ザリーツァか……」
黙って地図を眺めるカリオン。
執務室のスタッフは黙ってそれを見ていた。
「その、ザリーツァってのは面倒な連中かい?」
ル・ガルの国内事情に疎いリベラは、財政担当であるユーリに尋ねた。
凍峰種であるユーリ達ジダーノフは、フレミナとも因縁浅からぬ仲だ。
口には出せないアレやコレやの事を腹にため込んでいるとも言う。
「……そうですね」
一度言葉を切ったユーリは、口中で言葉を練った。
「フレミナ一門の中でも最も古いザリーツァの一族は、鉄の製錬と鉱業を主産業としていて、金属加工などを中心に栄えていると言って良い。厳しい冬を乗り越えるフレミナ一門の中で最も工業化が進んでいる。ついでに言うと、最も武門の誉れが高いのもここだ。オクルカ公がフレミナの長になったのもザリーツァの同意があったからこそだろう」
常に裏社会で生きてきたリベラにしてみれば、政治のゴタゴタというのは新鮮な世界だった。ただ、そのゴタゴタというのもよく見れば、裏社会の抗争と中身は大して変わらない事に気が付いている。
要するに、『名誉』と『メンツ』と『プライド』の三点を忘れぬようにし、拳を振り上げること無く、剣戟を交えること無く、彼らは戦っているのだと。争っているのだと。それを見抜いた。
「つまり、そいつらザリーツァさえ骨抜きにしちまえば、フレミナの王は……」
「あぁ、非常に困るだろうな。戦力としても、財政としても」
数字に強いユーリはニヤリと笑っている。
フレミナの盆地群を失ったオクルカ公だが、財政基盤までは失っていない。
ザリーツァ一門が上げる莫大な収益からの供託金は、オクルカの軍資金だ。
複数の氏族が寄り集まって形作られるフレミナの社会は、各氏族がフレミナ王に差し出す一族の供託金で回っていた。フレミナ王はその莫大な供託金を一族の中で配分し、それぞれにバランス良く繁栄するよう気を配る事が最重要課題だ。
どこかの氏族だけが突出して栄えることを許さず、一門全体が力を蓄えること。そして、南方氏族と戦えるだけの力を蓄えること。その差配を行う者がフレミナ王と呼ばれる仕組みになる。
大陸の南北で激しい戦いを繰り広げたイヌの社会において、組織的抵抗力を維持し続ける事が最も重要な課題だったのだ。
「しかし、なんでその一門は山の上に拘るんだい?」
「そりゃあれさ」
商務や産業育成を管轄とするサダム・アッバースが口を挟んだ。
ル・ガル国内の産業など商工業関係に明るいサダムは地図を指さし言う。
「ざっくり言えば鉄絡みだよ」
「……鉄?」
「あぁ。南方系は砂鉄と木炭から鉄を生成する。北方系は鉄鉱石と石炭からだ」
学の浅いリベラでも、その説明でピンと来るものがあった。
純粋に鉄の質としてみれば砂鉄から生み出される鋼に勝るモノは無い。
だが、鉄の生産量を重視すれば、効率よく大量生産出来る鉄鉱石が有利だ。
いつどんな所であっても、戦いは『数』で有り『物量』だ。
凄まじい切れ味を誇る鋼の太刀よりも、大量生産し送り込まれる剣や槍の方が兵士にはありがたい。
ましてやその大量生産される鉄は安価で流通する。
当然のように鋤や鍬と言った農機具にも鉄が組みこまれるのだ。
作業性は大きく改善するし、生産量にも結びつく。
細かくとも鉄の鏃を持った矢ならば狩猟にも強い。
「鉄鉱石と石炭を求めて山岳種族は移動するんだ。彼ら一族の中の山師達は、石の目を読み、地形から埋蔵される鉱物を予測することに長けている」
サダムの言葉を聞いていたジョージもまた解説を足した。
カリオン率いる『力の実行部隊』を預かる男だ。
生粋の軍人は、そのリアリストな視点を述べた。
「騎兵の本音とすれば、馬の蹄鉄や鎧兜や、果ては太刀や槍に至るまで、強靱な鉄を使えることはありがたい限りだ。もちろん、鋼から生み出される大太刀の切れ味は凄まじいが、その太刀を持つ10人よりも鉄を装備した100人の方が更に強くてしぶといと言う事だ」
へぇ……
小さく感嘆したリベラは、横目にカリオンを見た。
黙って地図を見てアレコレ考えている若き王は、僅かに伸び始めた髭をいじる。
「あっしは少人数での細作仕事しか知らないもんで……」
間諜、或いは素破。細作と呼ばれる闇の仕事人は大規模な戦闘を知らない。
全く方向性の違う技術体系の中で己の技を磨いてきたのだ。
だからこそ、リベラはこのカリオンの執務室が楽しくて仕方が無い。
「ジョージ」
「はっ!」
僅かに首を傾げたカリオンは鋭い視線でジョージスペンサーを見ていた。
太陽王を襲名した頃の頼りない姿は無い。
そこにいるイヌは、マダラとは言えど、紛れもなく『王』だった。
「あの寒立馬でも雪山を踏み越えるのは難しいかな?」
「……脱落者を覚悟すれば、あるいは可能かと」
「そう言う次元の話か……」
「傷の癒えておらぬ者もいるでしょう。強行軍は弱体化を進めてしまう恐れが」
地図を離れたカリオンは執務席へと腰を下ろし、上質紙を一枚取り出した。
「ウォーク。シウニノンチュの街長へ密書を届けろ」
「はい」
カリオンは自らの手でペンをはしらせた。
遠い日に暮らした街が瞼の裏へ在り在りと蘇る。
緩やかな斜面に広がる街は、朝日を浴びて輝いていた。
「あのチャシのバルコニーで、もう一度お茶したいモノだな」
ニコリと笑ってリリスを見るカリオン。
リリスも同じように笑っていた。
「ゼル様がいて、その向こうにエイラ様がいて、ワタラ様とウィルがいて……」
幼い日の思い出を共有するふたりだからこそ、そんな思い出話に華が咲く。
ゆっくりと階段を登ってきたシュサ帝の威厳をカリオンは思い出した。
そして、あの太くて逞しい腕に抱えられ、街を見下ろした事も。
「雪が溶けたらオクルカ公に直接会おう。いつまでも争っている場合では無い」
密書を書き終えたカリオンは封蝋を垂らし、そこへ太陽王では無く幼き王子エイダの印璽を刻印した。あの街のモノならば刻印の意味は言われなくとも解る筈。
「早馬を飛ばさずとも良い。ただ、確実に届くようにな」
「畏まりました」
ウォークは早速手配するべく執務室を出た。
その背中を見送ったリリスは『なんて書いたの?』と尋ねた。
「難しいことは言ってない。フレミナ王に便宜をはかって欲しい。街が荒れないように気を使って欲しい。そして、困り事があれば直接言ってきて良いとね」
カリオンにとってすれば、シウニノンチュは二つと無いマザータウンだ。
その街を事実上不当占拠しているフレミナの王だが、カリオンは客として持てなして欲しいと伝えたに等しい事だった。
「……帰りたい?」
「面倒が無ければね」
コケティッシュな笑みでカリオンを見ていたリリス。
カリオンも懐かしそうにしていた。
「あの街は…… 心の故郷だからさ」
「そうね」
「ただ、逃げ込んじゃいけない所だ」
カリオンはきっぱりと言い切った。
その顔には自信溢れる若き王の矜持と共に懐かしさがあった。
「逃げ込んじゃいけないって……?」
「父上が言っていたんだ。心が弱まった時は、昨日が素晴らしく見えるって」
カリオンの口から父上の言葉が出る時、それは殆どの場合五輪男をさす。
長年ゼルの影武者だった五輪男だ。その妻である琴莉と別離してきた日々の方が遙かに長いし、そして、それが当たり前だと過ごしてきた。
「今頃は……」
「仲良くやってて欲しいと思うよ」
「……そうね」
カリオンの執務席周辺には大きな椅子が幾つも並んでいる。
言うまでも無く王を支える者達の座る場所だ。
だが、リリスらふらりと立ち上がってカリオンの隣へと腰を下ろした。
若き王と若き后の夫婦は、それぞれの親を思っていた。
「とりあえず……」
リリスの肩を抱いたカリオンは、面々をグルリと見て言う。
どの顔も充実した日々を送っている、働く男の顔だ。
「フレミナ勢をあまり刺激したくない。出来れば穏便に取り込みたい。敵に回せば厄介な強さだ。味方に取り込めば心強いだろうからね」
ある意味で弱腰とも逃げ腰とも取られかねないカリオンのスタンス。
だがそれは、一族郎党皆殺しという陰惨な前例を作りたくない願望でもあった。
「若き王の御心のままに」
力の管理者であるジョージも首肯する。
それはゼルが亡くなるまで続けていた、ビッグストンでの特別授業の成果だ。
「父の言葉を思い出すよ」
「ビッグストン大講堂での政治学ですな」
いつの間にか戻ってきていたウォークが相槌を打った。
「憎しみと哀しみの連鎖を断ち切る事が出来るのは王だけだ……ってね」
遠くを見るように執務室の外へと目をやったカリオン。
ちらついていた雪は上がり青空が見える。
「まだ二ヶ月は寒い日が続くな」
「早く春に成って欲しいね」
「あぁ。そうだね」
柔らかな会話を交わす若き夫婦。
その周囲には暖かな春の空気があった。
――――その晩
「イワにぃ 何してるの?」
食事時まであと僅かとなった頃、城の中庭にいたイワオは剣を振っていた。
この6月にはビッグストンへ送り込むとカリオンに言われているのだ。
――――ビッグストンの授業について行ける体力を養え
時間がある夜などはカリオン自らにイワオへ稽古を付けることもある。
ましてやここにはビッグストン教授陣を勤められるだけの男が揃っていた。
「精が出るね」
様子を見に来たジョージスペンサーも感心するほどの集中力だ。
イワオは寒空の下にもかかわらず、上半身裸で大きく重い剣を振っている。
「ほら、もう少し下がらないと危ないよ」
「はーい」
ジョージに抱えられ後退したリサはすでに数えで9歳だった。
青い瞳に赤い髪を持ったリサの姿は、耳の無いイヌの女にも見える。
口中の歯列にはやや発達した犬歯があり、ヒトとイヌの中間と言った姿だ。
――――決して城から出してはならぬ
そう厳命したカリオンの命により、リサは城の中のみを生活の場としている。
常に城詰めの女官が寄り添い、目を光らせている。いや、見守られている。
「イワにぃは学校行くの?」
「あぁ。そうだ」
「リサも学校行きたい!」
城から見下ろす街の中には、同世代の子供達が学校へ向かう姿があった。
それを見ていたリサは、学校がどういう場所であるかを知らぬまま憧れていた。
「それはなぁ……」
「学校行きたいもん!」
リサはぷっくりと頬を膨らませた。
我が儘を言い、反抗し、そして社会との付き合い方を学ぶ時期に来ている。
それをどう御するのかは、経験の伝承しかない。
「我が儘言わないの」
同じくそこへ姿を現したのはエイラだった。
最近はすっかりリサの乳母役になっている。ただ、それはどこか孫を育てているような錯覚でもあり、エイラもまんざらでは無いのだった。
「でも……」
「時期が来たらちゃんと学校に行けます。待つって事も大事なのよ」
「……はーい」
不承不承とは言え、リサはそう言うしかない。
子供のワガママが通るような環境では無いし、叱られるのも歓迎しない。
まだまだ社会が未成熟なル・ガルにおいては、多様性を受け止め切れないのだ。
「さて、せっかくだ。稽古を付けよう」
「よろしくお願いします!」
ジョージはイワオに剣の稽古を始めた。
近衛連隊や国軍騎兵の頂点に立つ男はル・ガルでも指折りの実力だ。
――――彼は良い素質を持っているよ
ジョージをして総評かされるイワオは、その剣を受け流せるまでになった。
まだまだこれから延びていくのだろうが、修行は始まったばかり。
黙々と剣を振るイワオの姿を、リサはジッと見つめていた。