若き良き夫婦
当面、週に一度の更新とします。
シトシトと降り続く雨が屋根を叩いている。
硬く締まった木屋根は、雨音を旋律の無いメロディへと替えていた。
宵の口な街並みは普段なら人で溢れ返っているはずだが、季節外れの雨が降る夜ならば、人影はまばらとなる。
滾る劣情を抱え道行く人々は足早に目的の店へと入り込み、客引きの声は雨音に掻き消された。賑わうはずの街角には、寒々強い空気がながれていた。
「まさか直接いらっしゃるとは……」
そんな街角の一角。
古風な建物の奥ではふたりの男とひとりの女が歓談していた。
独特の香りを撒き散らすお茶を飲みながら、穏やか言葉が続いてい。
僅かに薄暗くある静かな室内には和やかな空気が漂う。
「きっと知りたいでしょうから」
艶っぽくも悲しみの色を感じさせる女の声が漏れる。
そっと肩を抱く衣擦れの音は、悲しみを包む優しさの音だった。
「きっと……」
言いづらい、辛い言葉を溜め息でそっと包み……
誰かの心へ刺さらぬよう、最大限に気を使って。
「良い人生だったろう」
「そう…… 願いたい」
顔を見合わせたふたりの男は、赤心の言葉を交わしていた。
「残された者の我が儘だろうとは思うのだが」
「えぇ。間違いありませんな。それは」
不意に天井を見上げ涙をこらえる。
後からなら、『もっと良い手法』はいくらでも思い付くものだ。
先に味わえぬからこそ、後悔というのだろう。
その時には気が付かなかった様々な事が、傷口を膿ませて痛め付ける。
果たしてこれでよかったのか。その答えは誰にも分からない事だ。
「父はよく言っていた。正解の無い問題が一番辛いと」
「……やはり、一角の人物だったのですな」
「あぁ……」
どこか嬉しそうな表情を浮かべ、それでもなお溜め息をこぼす。
その胸に去来するのは、様々なシーンだ。
やがてそれらは蚕食され、思い出すことも無くなるかもしれない。
だからこそ、今はその楽しく美しき日々を大切にしたいのだ。
その全てが失った哀しみに彩られ、痛みですら美しき光を放つ。
「まだまだ、教えをうけたいと思っていたのだが……」
「失礼だが、あなたは十分に学んでいる。これからは……」
なにかを言おうとしたその言葉を手で遮り、僅かに首肯する。
「解っている。解ってるとも。ただ、それでも」
悲痛な言葉をはいていたが、やがて言葉の代わりに涙がわいてきた。
口ほどに語る目の中から、その辛き思いが液化して溢れた。
「多くの者があなたを待っている」
うなだれて聞いている姿はまるで罪人だ。
だが、ゆっくりと顔をあげ、無理矢理に笑ってみせた。
「私も男だ。泣いてばかりは居られないな」
「そうです」
空っぽになって所在無げなティーカップにお茶が注がれた。
無理矢理にでも励ますような言葉と共に。
「全ての人民を照らす存在。あまねく地上を照らす太陽の地上代行者」
ティーポットを静かに下ろした男は言った。
「それを片時も忘れませんように。あなたは…… 太陽王だ」
────────ル・ガル帝國 南西自治領
フィエンゲツェルブッハ中心部
帝國歴 337年1月
リストランテ・ラ・クワトロ 奥の間
この日、カリオンは僅かな供を連れ、フィエンの街へとやってきた。
正装とは程遠い、町人のような姿でだ。
城を開けてフラりと出て来てと言うには些か遠いだろう。
だが、それでもカリオンには大切な事だ。
そもそもの発端はリリスの発した『きっと聞きたいと思う』だった。
だが、その思いはカリオンにもあったのだ。
あの夜、父ゼルに連れられ訪れたフィエンの街で、カリオンは多くを学んだ。
国際社会という生き馬の目を抜く場所で、どう振る舞うべきかを知ったのだ。
もちろん、カリオンが学んだ事はそれだけでは無い。
種族の壁を越え、信用と信頼と、何より信義の誼を交わすと言う事に。
人と人との繋がりという部分の大切さを学んだのだった。
「……しかし、まさか直接お越しになるとはね」
まだ驚いているエゼキオーレは、並んで座るカリオンとリリスに微笑みかけた。
おしどり夫婦とは言うが、このふたりにはそれ以上の仲が見えた。
「事前に予告すれば面倒が増える……」
軽い調子で言い切ったカリオン。
リリスは笑っていた。
ただ、夕闇の迫り始めたフィエンの街に、突然ガタイの良いイヌの男達が入ってきたと言う情報は、すぐにエゼキエーレの耳に入った。街中が騒然となり始め、アチコチの用心棒が喧嘩支度を始めた時、クワトロ商会の店に身なりの良い若い夫婦が入ってきたのだ。
腰を抜かすほど驚いたのはエゼキエーレだ。ただ、その正体を知っていたとしても声に出して言う訳にはいかない。それ位の分別はエゼキエーレも持っている。
「……本来であれば街中に自慢して歩きたい程なんですがねぇ」
「それは困るな。これでもお忍びのつもりなんだ」
本人はそう言っているが、お忍びとはいってもバレバレだ。すぐに誰彼と無く噂が広がるのはやむを得ない。『太陽王だ!』『行幸だ!』と。
供としてやって来たおよそ10騎の近衛連隊騎兵は、街を歩けば皆が振り返り、街の用心棒達は顔を寄せてヒソヒソと話をする。そんななか、太陽王行幸のカモフラージュとして、アチコチの岡場所を冷やかしては街を闊歩していた。
普段着の様な姿とは言え、選りすぐりの精鋭だ。何処へ行っても一目置かれるル・ガル国家騎士団の頂点の鍛え上げられた体躯は驚く程だ。
「遅くなりまして」
静かに部屋へと入ってきたのはエゼの妻フィオ。
そして……
「うそ…… あー ビックリした」
後からエリーゼも入ってきた。
「何を驚いている?」
「だって……」
エリーはニヤリと笑ってリリスを見た。
ドレスアップしているわけでは無いが、決して安いモノは着ていない。
そんな姿は、エゼキオーレ夫婦に可愛がられた遠い日の琴莉そのもの。
「アチェが座っているのかと思ったわよ」
「写し身だと…… よく言われましたから」
「本当に母と娘みたい」
エリーの言葉を嬉しそうに聞いたリリスは、横目でカリオンを見ていた。
それは、カミングアウトを促す眼差しの様で、秘密の堅守を求める様で。
どちらにも解釈が出来て、しかも、万善の信頼を感じさせるモノだ。
「妻と妻の母だったヒトは……」
静かに切り出したカリオンは、リリスの手に自らの手をそっと重ねた。
言葉を介さぬ万善の信頼がそこにあった。
「……私にも窺い知れぬ強い絆で結ばれている」
「でしょうね」
「まるで母娘の如しと皆は言うが……」
カリオンはリリスをじっと見た。
愛する妻の顔には一片たりとも疑う様子が無い。
「……実は、本当の親子なのだ 」
カリオンは遂にカミングアウトした。
本来なら絶対に隠さねばならない事だ。
だが、カリオンは秘密を良しとしなかった。
―――― 赤心を推して 人の腹心におくべし
父ゼルの、五輪男の教えは、まだカリオンの胸に生きていた。
「……そうでしょうね」
エゼキオーレはなんら疑うそぶりも無く、カリオンの言葉を受け入れた。
ヒトとイヌの間に子を成すはずはない。
誰だってそう思うものだ。
ただ、このエゼキオーレだけは違った。
市井の人とは違う裏の道を歩いてきた男だ。
誰も知らないはずのそれを知っていた。
本来なら、門外不出というべき、絶対の秘密。
リリスとレイラの、アチェイロの関係ではなく……
「遠い遠い神代の時代。種族の壁を乗り越えて子を成す秘薬があったと聞きます」
驚きの表情を浮かべたリリス。
カリオンはギリギリで踏みとどまった。
ただ、幾多の修羅場を踏み越えてきたエゼはかリオンの動揺を見抜いた。
「それは、種族の壁を壊し、異なる種族でも子を成せるものだったと聞きます」
「……流石だよ」
カリオンの素直な言葉にエゼも笑った。
紛れもない素直な言葉だ。
カリオンの赤心はエゼの腹心に届いた。
「ただ、その寿命は短く、ネコはその余生のうちに子の死を見届ける事になる」
悲しみに満ちた目をしてエゼは笑った。
恰幅の良い丸顔のネコだが、その縦に割れた瞳孔は開ききり、窓の外を見た。
「なら、私は親孝行かもしれないな」
「……なんと?」
「親よりも長生きだ」
どこか乾いた笑いをこぼしてカリオンは黙った。
何かを言おうとしている。
その空気だけが痛いほど伝わってくる。
「……王陛下。あなたは――
何かを言おうとしたエゼを、カリオンは再び手で制した。
その振る舞いには、鷹揚として威厳を兼ね備える威があった。
室内に居る者は全員が同じ事を思う。
王とは、かくあるべし……と。
「余は…… いや、私はカリオン。それは父から戴いた名だ。そして、妻の母も私をカリオンと呼んだ。妻の母のその父があなたなら……」
カリオンの言葉にエゼは奥歯を噛み締め、そして静かに涙を溢れさせた。
「……あぁ、私の娘だ」
「ならば、余を、私を呼ぶ時は王も陛下も要らぬ」
カリオンは自信溢れる眼差しでエゼを見ていた。
見る者を圧する威を放ちながら。
「……ならば」
ところが実際、エゼも大したモノだ。
そんなカリオンを前にして臆する素振りは一切無い。
「カリオン」
「それで良い」
カリオンは静かに天井を見上げた。
「余は…… 私はまた一人、肉親を得たり……」
寂しそうなその声音に、リリスは悲しそうな顔でカリオンの頬へ手を寄せた。
「一人じゃ無いよ」
「あぁ」
心通わせるカリオンとリリスの姿に、フィオとエリーは目を細めた。
仲睦まじき夫婦の姿がそこにある。
ただ一人、その言葉の真相をエゼだけが見抜いていた。
「カリオン…… そなたは……」
リリスの頬へ手を寄せたカリオンは、愛する妻と額を合わせた。
そのまま、まるで彫像の様にしている二人だが……
「これからどうするのだ」
これから……
その問いにカリオンは僅かではない反応を見せた。
「例え何であれ、安定を求めるのは人の性でしょう」
「その通りだ。良かれ悪しかれ、安定する事が大事だ」
「ならば……」
チュッと小さくキスをしてリリスと分かれたカリオン。
母の父と呼んだエゼ夫婦の前と言う事で、リリスは少しだけ恥ずかしい。
「先ずはル・ガルを安定させねば成りません」
「……修羅の道ぞ」
「でしょうね」
カリオンは何事も無かったかの様にサラリと言ってのけた。
父ゼルが、そして五輪男がそうであった様に。
これから様々な危険と向き合わねばならない。
「そなたの周りで一番危ないのは…… 誰ぞ」
「言うまでも無い事だ。妻が。リリスが危ない」
エゼは静かに首肯した。
「分かっているじゃ無いか」
「私の育ての親を、どなたと心得る?」
「……そうだな」
クククと噛み殺した笑いをこぼし、エゼは目を細めた。
「アチェイロの…… 琴莉の惚れ込んだあの男だ。父なんだろ?」
確かめる様に念を押したエゼ。
言いたい事が伝わったと確信したカリオンは傲岸な笑みを見せた。
「決して口外せぬよう……」
「あぁ。分かっている」
何度も首肯したエゼは、振り返ってリベラをよんだ。
常に影の様に付き従うこのネコの執事は、計り知れない闇を感じさせた。
「お呼びでございますか」
「仕事を頼みたい。ちょっと長い仕事だ」
リベラの表情が僅かに変わった。
長い間、主従として過ごしてきた二人に万の言葉は不要だった。
「心得ましてございます」
深々と頭を下げたリベラは一歩進み出て、リリスの前に立った。
そして、スッと片膝を付き、臣下の礼を取って頭を下げた。
「リベラトーレと申します。長きにわたり主エゼキオーレの僕として生きて参りました。が、今この時より、私の主はあなた様になります」
顔を上げたリベラは、射貫く様な眼差しに笑みを添えた。
「ご存じでしょうが…… 主エゼキオーレのご息女を、あなたの母を私は護れなかった。その痛惜の念だけで生きて参りました。が、主は私に汚名を濯ぐ機を与えてくださった」
一瞬だけ理解出来なかったリリスは、その直後に母琴莉の災難を思い出した。
そして、ネコの兵士を皆殺しにしたリベラの存在を思い出す。
「母は…… 過ぎた事だと。誰も恨まないと言っていました」
「ですが……」
リリスの手を取ったリベラは、その手へとキスをして自らの頭に乗せた。
「この命を差し出しても、私はあなたを護ります。どうかお側に」
側近として傅かせろ。
リベラの願いを聞いたリリスはカリオンを見た。
そのカリオンはエゼキオーレを見た。
「私にも御祓が必要だ」
「……決して楽な道では」
無いぞと言いかけて言葉を飲み込んだ。
リベラにとってはそれこそが救いなのだ。
結果論として琴梨は幸せだったかもしれない。
だが、それで許されてハッピーエンドではないのだ。
「男には男のけじめがある」
エゼの言葉には、強烈なプライドがあった。
男が男として生き足り得るための大切な事だ。
その意味と重みを理解した者だけが、『男』では無く『漢』と呼ばれるのだ。
カリオンは僅かに首肯する。
その首肯にリリスも首肯で返した。
「私は…… あなたをなんと呼べば良いですか?」
「ただ一言。リベラとお呼びください」
「わかりました。これから、よろしくお願いします。リベラ」
顔をあげたリベラをリリスは花のような笑みで見た。
その僅かな所作に、リベラの身体には電撃が駆け抜けたような衝撃だった。
「……見れば見るほど、アチェイロに似ているな」
「娘ですから」
リベラはリリスの手を取り、自らの心臓にその手を重ねさせた。
その胸のうちで脈打つ鼓動をリリスは感じた。
「今この時から、この命はあなたのモノだ。私はいまからあなたただ一人の僕ぞ」
遠い日、アチェイロを護れなかったリベラの苦しみをカリオンは垣間見た。
命を捧げた主エゼキオーレの、その目の中に入れても痛くないとした娘だった。
カリオンは思う。
このリベラは、リリスのためとあらば笑って死ぬ男だろうと。
そして、彼女を護る為であれば喜んで命を差し出すだろうと。
「エゼキオーレ」
静かに名を呼んだカリオン。
エゼは音を立てずにカリオンを見た。
太陽王は一度目を伏せ、しばし言葉を選んでから、もう一度エゼを見た。
「彼を預かっていく」
「いえ、預けた訳では『いや、預かったのだ』
顎を引き、優しげな目でリベラを見たカリオン。
「このル・ガルに生まれし者、暮らす者は、すべて余の同胞ぞ」
決然と言い放ったカリオン。
その姿には、押しも押されもせぬ王の威厳があった。
まだ若いカリオンの身体から、自身があふれ出していた。
「余は…… これよりル・ガル一統に突き進む。力を貸してくれ」
カリオンの口から出た言葉にエゼキオーレは驚愕した。
糸の眦をクワッと開き、光りを湛えた眼差しで太陽王を見た。。
「わたくしの如き…… 忘八な穢多の河原者をお使いになるのですか?」
エゼの震える声が部屋に流れた。
カリオンは僅かに首肯して言う。
「孝悌忠信礼義廉恥の四維八徳を失えど、五倫の仁義礼智信から見れば仁と智は失われていない。エゼキオーレ。私にはあなたがまだまだ仁溢れ智に選ると見る」
若き士官候補生達がビッグストンで学ぶ事は、何も戦術論や戦略論や、そう言った戦争の諸々だけでは無い。この若き王がそうであるように、人を従え目的を達するべく振る舞う士官を育てる学校は、人格を磨くことも抜かりないのだ。
「仁。それは人を慈しみ愛すること。智。それは善悪を正しく判断し、間違いを諫め、正しき道を指し示すこと。私から見れば、それを兼ね備えるそなたは…… 正しい人だ」
小さく息を吐いたカリオンは、ジッと己の手を見た。
そこに見えるのは、誰にも見せられる懊悩を抱える一人の青年だった。
「私が…… 教えを受けるべき人は居なくなってしまった」
カリオンが漏らした痛みの告白。
その言葉を聞いたリリスは、静かにそっと手を重ねた。
「全ての国民が私の手を求めてくる。だが、私は…… 私の選んだ道が正しいのか間違っているのか。それすら解らぬ。誰もそれを教えてくれぬ所にいるのだ」
今まで常に余裕を見せてきたカリオン。
だがその内側は、年齢相応にせめぎ合い戸惑い、そして迷っている。
それを知らないリリスではないが、ここまでとは思っていなかった。
「私には…… それだけの価値があるのか。そこまでの事を出来る人間なのか。誰も私を叱ってくれぬ。諌めてくれぬ。私は……」
カリオンの迷い嘆き苦しむ日々を、リリスは知らぬわけではない。
ただ、ここまでカリオンが憔悴していたのかと驚く。
そして、それを支えてやれぬ己の無力さを痛感した。
「己を恥じて蔑んでいるうちは大丈夫さ」
ただ、カリオンの苦しみの正体をエゼキエーレは知っていた。
それは、どんな組織でも団体でも、その頂点にある者は皆苦しむ事だからだ。
カリオンの苦しみはちょっとだけそのスケールが違うだけで、その本質は何も変わらない。王とは、リーダーとは常に孤独と戦うと言うものだ。
「私にもモノを教わった師はいる。我が師はこう言った。一枚の葉に見とれれば樹を見失う。ならば樹を見ようとすると、今度は森を見失う。物事を見るというのは、本質を見抜くと同時に全体を見なければならない。海を泳いで渡る事は出来ないし、泳いでるうちは海の広さを知る事も出来ない」
どこか突き放すように言うエゼキエーレは、薄く笑ってカリオンを見た。
己を慕う者の為に奔走する者は、皆同じ壁にぶち当たるのだ。
「太陽王など…… ただの言葉だ。言葉に押しつぶされる事は無い」
「……言葉か」
エゼキエーレは何度も首肯していた。
「栄光と挫折を知り、辛さから逃げ回り、人知れず泣いて、その悔しさを積み重ねて少年は男になる。それで良いんだ。大なり小なり、男は皆同じ道を通る。同じ経験をして、真理にたどり着く。強くなる必要なんて無いんだ。ただ、強くあれば良いのさ。それで良い。それで良いんだ」
全ての表情を失ってエゼを見ていたカリオン。
エゼは静かに言った。
「民衆が笑おうと、敵が笑おうと、太陽は笑いはしない」
カリオンは小さくプッと笑った。
「太陽が笑うわけ無い」
「そうさ。ただな、真理なんてものは、結局どこにでもある、ごくごく当たり前のことなんだよ。その当たり前を当たり前と受け取れる者が一番強い。受け取れるようになって、初めて男は一人前になるんだ」
その時、カリオンはエゼキエーレの姿に父ゼルを見た。
ゼルの姿をした父・五輪男は同じ事をいつも言っていた。
「苦しみから逃げたって、その先に苦しみが必ずある。逃げてばかりでは何処にもたどり着けないのさ。そして、時には自分の命が業火に晒し、それを乗り越えた時にのみ心は、精神は充実する。成長する。だから迷うと良い。嘆くと良い。泣くと良い。誰にも見せられない男の涙を見せて良い相手を妻と言うんだ」
僅かに微笑んだカリオンはそっとリリスの手をとった。
その姿を笑ってみていたエゼは、ゆっくりと頷いた。
「さぁ、覇道が待っている。修羅の庭を駆けねばならぬ。ただ、疲れたときには、いつでもこの街へ来ると良い。この街はそなたの父が直した街だから」
小さく『あぁ』と答えカリオンは立ち上がった。
夜の闇にまぎれ帰る作戦だ。
「一泊されてはいかがですか?」
ずっと黙っていたフィオはやっと口を開いた。
エリーも『部屋を用意しますから』と言った。
だが……
「戻らねばならぬ」
ごめんな……と、そう言わんばかりの顔でカリオンはリリスを見た。
そんなリリスは黙って笑っていた。
「私の…… 国民が待っている」
五代目太陽王
カリオン・エ・アージンの覇業はこの日から始まるのだった。
「良い夫婦だ。そなた達の未来に幸あれ」
エゼは静かに笑っていた……