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リリスへ飲ませろ!


「すべて貴様らの仕組んだことか!」


 ボリスはカタカタと小刻みに震えていた。

 そして、幽鬼のように歩き出した。


「フレミナの里に幽閉され三百年。フレミナはいつも虐げられてきた」


 ボリスは立ちはだかるル・ガル騎兵を次々と惨殺しながらトウリに迫った。

 半開きになった口からはヨダレを垂らし、虚ろな眼差しで幽鬼のようにフラフラと歩いている。だが、その姿には純粋なまでの殺意が漲っていて、トウリは慌てて逃げ始めた。


「ボリス! ボリス! 落ち着けボリス!」

「……やかましい」

「何をそんなに興奮しているんだ! 場所を考えろ! 先に脱出だ!」


 成り行きを見守っていたレイラやユーラの所へやってきたトウリは、この時点で選択の間違いを知った。ただ、もう時間がない。ここは自力でなんとかせねばならない。


「ボリス! 聞いてくれボリス!」

「黙れ! 裏切り者の分際で!」

「ボリス! 何を言ってるんだ!」

「フレミナ積年の恨みを知れ!」


 鬼気迫るボリスの声に反応してか、僅か十騎足らずだったフレミナ騎兵は一斉に剣を抜き、当り構わず切りかかり始めた。百戦錬磨なはずの国軍騎兵は一瞬の虚を突かれ、大混乱に陥って対応力を失い次々と斬られていく。


「何が積年の恨みだ……」


 中洲の中心部に低く轟く声が響いた。

 その声は、その場にいた者全ての足を止めるのに十分な威力だった。


「逆怨みですらない…… ただのワガママだろうが!」

「貴様に何がわかる!」

「ふざけるな! このデコスケ!」


 怒りに沸騰したゼルは目を大きく見開き最短距離でボリスへと駆け寄ると、いっさいの容赦なく斬り掛かった。

 カウリとの戦いでもこの速度はなかった数段速度の早い太刀で、ボリスは躱す事すらままならず、地面へ転げて無様に逃げ回った。


「てめぇはとっととくたばりやがれ!」


 ゼルの口から貴族らしからぬ汚い罵りが出た。だが、ボリスはそれに驚くことも無く、言葉にならない蛮声を大声で発したあと、闇雲に剣を振り回した。


「あぁ死んでやるさ! お前等も道連れだ!」


 ゴロゴロと逃げ回ったボリスは、立ち上がると同時にレイラへと斬りかかった。

 だが、そのレイラを突き飛ばし立ちふさがったのはユーラだった。


「おやめなさ……」


 そう叫び掛けたユーラの細い身体が袈裟懸けの真っ二つに切れた。

 母を目の前で惨殺されたトウリも沸騰する。


「この痴れ者め!」

「じゃかぁしいわ! 裏切り者!」

「そもそもル・ガルを裏切ったのはフレミナだろうに!」

「知るか! 一族郎党皆殺しにしてくれるわぁぁぁぁ」


 即死したユーラの亡骸を遠慮すること無く踏み越えたボリス。

 その進行方向にはレイラがいた。


「ユーラ!」


 咄嗟に逃げれば良いものを、レイラはユーラに駆け寄ったのだった。


「バカ! 逃げろ!」

「え?」


 ゼルはあらん限りに叫んだのだが、全ては手遅れだった。

 ボリスは狂気に染まった目でレイラへと斬りかかった。

 偶然にもその一撃はレイラにかすりもしなかった。

 だが、それでゼルの収まりが付くはずもない。


「てめぇ!」


 咄嗟に走り出したセル。

 だが、カウリとの戦闘に大きく疲弊していつもの速度ではなかった。


「俺の女に何しやがる!」

「邪魔をするな!」


 初手の一撃をかわされたゼルは、返す刀でボリスの首を狙った。

 だが、ボリスもそれなりに手練れだ。その太刀を見事に払った。


「お前も同じ所へ送ってやる」

「上等だ! やってみやがれクソ野郎!」


 ゼルはボリスヘ肉薄すると、変幻自在な太刀捌きを見せてボリスを翻弄した。

 ヒトの世界の剣術は、この世界の剣術とは思想も用法も全く違う。

 その太刀が容赦なくボリスに襲いかかる。


 だが実際、ボリスもボリスで大したモノだ。

 ゼルの剣をかわすか捌くかして致命傷を防いでいた。

 こうなれば基礎体力と反射神経の勝負だ。


「やるな!」


 鈍い金属音を立ててゼルの剣がボリスの首へ打ち込まれた。ただ、ボリスは首部分に分厚いネックガードが仕込まれた戦衣をまとっていた。

 ゼルの鋭い剣裁きと技術をもってしても、ボリスの首には届かなかった。


「惜しいな!」

「ぬかせ!」

「あんたの剣には力がない」


 恐ろしい速度で斬り合い続けるゼルとボリスは、瞬きも出来ぬような速度での斬り合いを続ける。一撃で絶命せしめるだけの威力を持つボリスの剣は、カウリとは違う意味で重く襲い掛かった。


「クソッ!」


 集中力はともかく体力的に限界を迎えつつあったゼルは、ボリスの強烈な一撃で思わず膝を突いた。直上から叩き付けるような重い一撃にゼルは顔をゆがめた。


「力無きものは去れ。それが自然の掟だ」

「上等だばかやろー!」


 姿勢を崩したままだったゼルだが、その状態でもあきらめず剣を振り続けた。

 力の入った一撃を連発するボリスの剣にゼルは防戦一方となっていた。


 ──クソッ!


 なんとか一歩前に出たいゼルだが、その欲をかいた一瞬がまずかった。


 ──ッ!


 ボリスの剣はゼルの左肘あたりを大きく斬りさいた。

 幸い切り落とされる事は無かったが、それでも左腕はもう使えない状態だ。

 追い込まれたゼルは形勢逆転を狙って真っ直ぐに剣を突いた。

 だが、その一撃ですらボリスの剣に阻まれた。


 万事休す。

 万全に有利な体勢からボリスは一撃をいれてくるだろう。

 ゼルは奥歯を食いしばった。


 だが……


「ゼルッ!」


 琴莉は五輪男ではなくゼルと呼んだ。

 瞬間的に口を突いて出た言葉に、五輪男は驚く。

 そしてふたりが歩んで来た道程の辛さ。運命の苛酷さを思った。

 たが、次の瞬間、ゼルは目を大きく見開いていた。

 レイラはとっさにゼルへと駆け寄ろうとしていたのだ。


「来るな!」


 とっさにゼルはそう叫んだ。

 しかし、レイラの足が止まる事なかった。

 そしてあろう事か、ボリスの太刀の射程圏内へと入ってしまった。


「れっ…… 琴莉!」


 ゼルは叫ぶしか出来なかった。

 全てがスローモーションで流れた。

 ゼルを斬ろうとしていたボリスのブロードソードが唸りを上げた。

 レイラの。琴莉の細い身体が大きく斬り裂かれた。

 ただ、ゼルに踏み込んだ分だけ斬りが浅く、レイラは血を撒き散らして斃れた。


「琴莉! てめぇ!」


 ボリスは斬り込みの浅さに気が付き、トドメを入れようとしていた。

 膝をついていた五輪男は無我夢中で立ち上がり、ボリスを止めに掛かる。


「っざけんな! くそったれ!」


 とにかく一太刀入れたい。

 その一心で動かぬ足に鞭打ったゼル。

 だが、その代償はあまりに無慈悲だった。


「邪魔をするな!」


 振り返りざまに横薙ぎを打ったボリス。

 その刃を受けたゼルは、今度は腹部を斬り裂かれ、ゲハッと血を吐いて膝を突く。

 だが、それでもまだゼルの目には力があった。


「ふざけんな! それは! その女は!」

「やかましい!」


 大きく振りかぶったボリスは、振り下ろし方向で大きく太刀を振った。

 躱す事すら出来なかったゼルは、とっさに剣をかざす。

 だが、剣に強烈な一撃を受け吹っ飛ばされる。


「全て殺してくれるわ!」


 死に掛けのレイラを踏み越えたボリスは、レイラの奥にいたリリスを目指した。


「だめ!」

「まって!」


 シルビアとオリビアのふたりは、勇気を振り絞ってボリスの前に立ちはだかった。

 だが、もはやまともな目をしていないボリスは一瞬のうちにまとめて切り捨てた。

 そして、一気に突き進んでリリスの前へと立ったボリスは、上段に剣を構えてリリスへと斬りかかった。


「お前も死ね!」


 まるで地の底から響くような恐ろしい声でボリスは叫ぶ。

 だが、まだ若いリリスは華麗にバックステップを決め、ボリスの剣は空を切った。


「えぇい! くそっ!」


 僅かに刃先がかすったリリスは、首筋と左肩に傷を負った。

 必死で躱し続けるリリスに対し、ボリスはもう一度踏み込んで切ろうとした。

 その時間が命取りになった。


「ボリス!」


 父カウリの大太刀を手にしていたトウリが追いつき、大きく振りかぶってボリスの首目掛け振り下ろした。幾多の戦乱で敵をほふって来たカウリの大太刀は、ボリスの首にあったネックガードをモノともせず、一気に首を裁ち刎ねた。

 ネックガードが有ろうと無かろうと、カウリの大太刀にすれはボリスの首は完全に無防備だったのだ。


「許せボリス!」


 激しく鮮血を撒き散らしてボリスの首が転がった。

 まだ意識があるのか、その口がパクパクと動いていた。


「母の仇だ。悪く思うな」


 トウリの一言を聞いたのか、ボリスの口が動かなくなり、トウリは絶命した事を知った。だが、その代償はあまりに大きかった。


「リリス! 大丈夫か!」

「おっ! お母さまが!」


 首筋から血を吹き出しつつも、リリスは慌ててレイラへと走りよる。

 だが、そのレイラは鮮血を撒き散らすゼルに抱かれ、文字通りな虫の息だった。


「お母さま!」

「リリス……」


 弱々しく微笑んだ琴莉はリリスの頬に手を当てた。


「ごめんね……」

「え?」

「ごめんね……」

「なんで……」


 琴莉はわずかに首を振った。


「あなたに苛烈な運命を背負わせてしまった」

「……かあさま」


 リリスがボロボロと泣き出した。

 だが、琴莉は残された時間を惜しむようだ。


「カリオンと…… いつまでも一緒に……」

「……はい」

「私の分も幸せになってね。イワオをお願い」

「はいっ!」

「おばあちゃんをやってみたかったわ」

「もう喋らないで!」


 もう事切れそうな琴莉は、それでも優しく笑っていた。


「琴莉。死なないでくれ」

「いわくんも…… ごめんね」

「琴莉」

「愛してる」

「俺もだ。愛してる」

「良かった」

「琴莉!」

「また…… 私を探してね」


 ゼルの腕の中で琴莉は息絶えた。

 まるで痛みなど感じぬように、微笑んだまま。


「琴莉…… 琴莉…… 目を開けてくれ……」


 琴莉を揺さぶったいわおは、涙声だった。


「許してくれ。ダメな俺を」


 そこへやって来たジョージは、皆が心から望んだエリクサーを取り出した。

 ただ、懐から出てきたエリクサーは一本しかない。

 全員がひきつった表情を浮かべた……


「ゼル殿!」


 このタイミングならゼルは助かる。

 皆は一瞬、そう安堵した。だが。


「リリスへ飲ませろ」

「しかし!」

「命令だ! リリスへ飲ませろ!」


 声を荒げたゼルはレイラを抱えたまま前へと斃れた。

 琴莉の胸に顔をうずめて満足げに笑いながら。


「ゼル殿!」


 皆が一斉に駆け寄ろうとした時、そこへカリオンが現れた。

 全身に返り血を浴びたまま。


「父上!」

「スマンな」

「勝手に出撃しないでくださいとあれほど」

「スマン」


 小さな声で答えたゼルも虫の息になった。

 そのゼルを後ろから抱えたカリオンは、ゼルが致命傷を受けて居る事を知った。


「だれか! エリクサーはあるか!」

「もう良い。もう良いんだ」

「しかし」

「カリオン……」


 五輪男は思うようにならない身体で琴莉の手を握った。


「この戦いはもう終る。お前が勝つだろう」

「はい」

「リリスをつれて家に帰れ。ただ、俺は……」


 琴莉の亡骸を愛しむように抱いた五輪男は、悲しみに満ちた表情を浮かべた。


「お前とは違うところへ行く事になりそうだ」


 カリオンは子供の様に涙を流し始めたが、五輪男は笑っていた。


「行かないでください。まだ教えて欲しい事が沢山……」

「もう俺がお前に教えてやれる事など無いさ」

「でも、私は誰に教えを請えば……」

「この戦役で命を落とした男たちの息子もきっとそうだろう。教えを受ける父はもういないんだ」


 五輪男の声が細くなり始めた。

 カリオンはゼルの最期が近いことを知る。


「迷ったら原点に立ち帰れ。自分の正義を信じろ。そして、自分を疑うな」

「父上!」

「俺は今まで俺が一番正しいと思う事をやって生きてきた。ただ……」


 五輪男の目は、どこか遠くを見ていた。


「それが正解だったかどうかはわからない。ずっとそうだ……」


 五輪男は再びカリオンを見た。

 その目は哀しいまでに誠実な色を帯びていた。


「ただただ、ちっぽけな自分の力を。自分の正義を信じるしかなかった……」


 五輪男は涙を流すカリオンの頬に手を寄せた。


「共に戦線を駆け抜けた幾多の男たちが下した決断を今も信じている…… ただ、結果を俺は見届けられない」

「そんなこといわないで!」

「誰にもわからなかったのさ…… 正解なんてものが本当に存在するのか」


 カリオンの頬へ伸ばした五輪男の弱々しい手を、カリオンはグッと握り締めた。

 いつもいつも自分を見守っていてくれた父の手だ。


「エイダ……」

「はい」

「これからは、お前自信が一番悔いの残らない方を自分で選べ」

「え?  それって……」

「そして、それに責任を取れ。お前の下した決断で人が死ぬだろう。それすらも背負って生きろ」

「父上……」

「俺と琴莉はここに埋めてくれ」

「え?」


 五輪男は再び空を見た。

 顔を打つ涙雨に五輪男は笑った。


「おれはイヌじゃ無いからな。ここへ妻と一緒に生めてくれれば良い」

「……ここですか?」


 驚くしか無いカリオンだが、五輪男は静かに笑っている。


「俺は妻と旅に出てこの世界へとやってきた。命尽きる所で旅の終わりさ」

「旅の空…… ですか」

「そうだ。そして、ここで俺の旅が終わる」


 カリオンは何も言わずに首を振った。

 やめてくれと、頼むからそれだけはと。

 懇願する眼差しだ。


「今度はカウリには渡さんさ。誰にも渡さない。この女は俺のもんだ」

「父上……」

「エイダ。強く生きろ 美しく生きろ そして……」


 五輪男は大きく吐血した。

 カリオンの身体に付いた幾多の返り血の中に、五輪男の血が混じった。


「エイラに伝えてくれ」

「はい……」

「愛していたと。嘘偽りなく、心から愛していたと。ゼルではなく五輪男と言う男の本心だと。そして、すまないと」


 カリオンは大きくうなづいた。

 五輪男は柔らかく微笑んで遠くを見た。


「エイダ…… 俺はもう一度、妻と旅に出る。長い長い旅だ」


 痛みを感じていないような五輪男は静かに笑った


「お前の…… 旅の終わりで…… 俺は…… 待って…… いる……」


 五輪男の手がぽとりと地面へ落ちた。

 身体中から力が抜けていくのをカリオンは実感した。

 静かに微笑んだ五輪男は琴莉の手を握ったまま事切れた。


「父上!」


 辛そうに叫んだカリオン。

 その声につられ、生き残ったものがあつまりはじめた。


「父上、目を開けてください。もうすぐこの戦は終わります」

「カリオン……」


 トウリも五輪男の傍に膝をついた。

 その姿勢につられに多くの騎兵が下馬し、五輪男に敬意を表して片膝をついた。

 中洲の中に強い風が吹き、皆が五輪男の魂の旅立ちを知った。


「父上!」


 この世界へ落ちて34年。

 五輪男と琴莉は、やっと水入らずの夫婦となった……


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