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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
幼年期 ~ うたかたの日々
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帝王の務め


 シウニノンチュからガルディブルクへ向かう街道は、歴代太陽王の勅命により広く平坦な歩きやすい道へと改良が進められ、今ではルガルの国道一号線として専属の管理局をおく大幹線となっていた。

 南北を縦貫するその街道は騎馬はもとより、馬車や荷車といった主要な交通手段の全てに優しい作りだ。


 晴天に恵まれた朝。

 その街道を南に向かう大きな騎馬隊列があった。

 太陽王の軍旗を掲げ幾万もの轡を並べたシュサ帝の行軍列だった。

 ル・ガルから選りすぐりの近衛騎士団が厳重に取り囲む中、シュサ帝は愛馬バルケットに跨がり進んでいた。可愛い可愛い初孫のエイダを前に抱えたまま。


「じぃじのお城はもっと向こう?」

「あぁ、そうだ。まだまだ掛かるぞ」

「明日になっちゃう?」

「二十回寝ないとお城へは着かない」

「二十回?」

「そうじゃ」


 チャシから出たとしても馬で小一時間が限度だったエイダにとって、この街道の景色は新鮮でもあり、そして恐怖でもあった。

 太陽王であるイヌの男が抱える幼児と言う事で、嫌でも視線が集まってくる。

 ある意味で好奇の目であり、また、この国の頂点から寵愛を一身に受けられる事への嫉妬と羨望。

 何よりも『帝の抱えるマダラの少年』というだけで視線が集まるのは仕方が無い。


 姫の形でもしていれば、それはそれでまた話も変わってくるのだが、生憎エイダは誰が見ても立派な男の子である。


「じぃじアレなに?」

「アレはのぉ」


 孫のエイダの個人授業を続けるシュサ帝。

 その脇にはゼルと五輪男が付いていた。


 騎兵師団の責任者であるカウリは、ノダと共に行軍列の先頭付近で馬に乗っている。

 この日。シュサ帝は孫との別れを惜しむように、列の中央辺りにいたのだった。


「じぃじアレは?」

「アレはな。土里塚と言うのじゃ。シウニノンチュからガルディブルクまで三百ほど塚を築いてある。それを辿ればガルディブルクじゃ」


 楽しそうに話をするシュサ帝。

 エイダもテンション高く喜んでいた。


 その姿をゼルと五輪男は静かに眺めている。

 祖父と孫の住まう苫屋は長く遠く果てしなく離れている。

 年端のゆかぬ子供が旅する距離ではない。


 たがらこそ、祖父は孫を愛おしむ。

 次に合う頃は立派な男の子に成っているだろう。

 その頃にはもう可愛い声で『じぃじ』などと呼んではくれぬのだろう。


 子の成長は早い。

 男子三日会わざれば刮目せよと言う。


 鞍の上へ座り直させたエイダを、シュサはもう一度抱きしめた。

 剣を握る事しか縁の無い無骨な手に、傷も汚れも無い柔らかな小さな手が添えられる。


 シュサはその手に目を細めた。


 いつかこの手も血に染まるのかも知れない。

 だけど今はせめて。

 綺麗なモノだけを掴んで握って、そして離さないで欲しいと。

 

 そう願った。


「エイダ?」


 鞍の上で船をこぎ始めたエイダ。

 前夜は遅くまでジィジとお話していたのだ。

 大人では宵の口でも子供には深夜の時間帯。

 夜更かしをした子供にとっては暖かな馬の上など絶好のお昼寝場所だ。


「ゼル」


 シュサ帝はゼルを呼びエイダを手渡す。

 ぐっすりと眠れるエイダは目覚めない。


 いつの間にかゼルの鞍に跨がったエイダをシュサ帝はもう一度撫でた。


「可愛いものよのぉ」

「子は宝と言いますが、全くですな」

「この子を一人前に育てよ。いつかル・ガルの中枢に居場所を作る」


 シュサ帝は静かに笑ってゼルを見た。


「マダラとてイヌよ。ル・ガルはイヌの国なのだ。お主はきっと苦労を重ねるだろう。だが全ては子の為だ」


 その言葉にゼルが頷いた。


「心得ました」


 ゼルの首肯を見届けたシュサ帝は五輪男を見た。

 いつものように面帯を付けた五輪男はゼルの斜め後ろに陣取っていた。


「のう、ワタラ」

「お呼びですか」

「あぁ」


 ゼルが気を使ったのか、シュサ帝との間に隙間を作った。

 その間へ馬を入れた五輪男は、辺りを確かめ面帯を上げた。


「のう、ワタラ。余の戯れ言だと思わず聞け」

「いかなご用件でありましょうか」


 よそ行きな言葉の五輪男にシュサ帝が苦笑いする。


「余の後宮にヒトの女がいく人がおるのだが……」


 シュサ帝の後宮はシュサが日頃生活の場とする居室そのものだった。

 気まぐれに女を選び、夜伽の勤めを果たさせる場所ではない。


 日々続く激務の中で気を抜き、ひとりの男に帰る場所だ。

 或いは、誰にも気を使わず、自分の素顔を晒せる場とも言える。


 そんな後宮にはル・ガルを駆け回る中で拾い集めた様々な女がいた。

 決してシュサの好みばかりを集めたと言うわけではない。

 行く先々で見つけた、様々な事情により不幸な生活を送っていた女達だ。

 

 亭主が戦で死んでしまい、碌な生活もしていなかった者。

 男に騙され色町へ沈んだ街の娘。

 生まれた場所も親の顔も知らず、拾った者の奴隷としてこき使われていた者。

 

 そんな女達をシュサは『余の元へ参れ』と言って保護していたのだ。


「それが何か?」


 五輪男の反応は喰い付いてきたとも、不機嫌とも取れる。

 だが、シュサ帝は五輪男の心中を正確に読み取った。


「面白くなかろうが話を聞け」

「……お恥ずかしい限りです」

「うむ。まぁよい」


 やはり堅い男だとシュサ帝は笑う。

 だが、だからこそこの男は娘婿の側近で身代わり役を勤められる。

 そして、イヌからの信頼を勝ち得ているのだ。


 その努力には報いねばならない。

 それもまた王たる者の勤め。


「まぁ単刀直入に言うとな。ワタラ。おぬし、妻を娶らぬか」


 シュサ帝の直球勝負に五輪男は露骨な不快感を示した。

 だが、シュサの言葉は止まらない。畳み掛けるように襲い掛かる。


「おぬしが、妻を探しているのは承知の上じゃ。ヒトの世界で夫婦となったひとりの女を心から愛しているのは言わなくともわかる。おぬしにとっては自らの半身にも等しかろう。いや、或いは己が身よりも大切じゃろう。教会へ立ち入れぬおぬしが館の外に跪き真剣に祈るのを見れば、余がふざけた事を言うておると、おぬしは不快であろうが」


 シュサ帝は一度目を伏せ愛馬バルケットのたてがみを見た。

 慎重に言葉を選ぶ帝王を五輪男は複雑な面持ちで見ていた。


「我が王よ」


 五輪男は何となくシュサ帝の思惑を感じ取った。

 五輪男の身を案じるのは間違いない。

 

 だが、それと同時にシュサ帝三人の息子をも案じているのだろう。


 五輪男が改めて身を固めれば、次は息子達だ。

 シュサ帝も若くはないのだから、案じる中身は懊悩とも言える。


 だが、全部承知で五輪男は首をふった。


「私は神に誓いました。一人の女性を生涯護ると。今のところは残念ながら誓いを果たせていません。ですが、ヒトの世界でも、もちろんこの世界でも。神に誓った事には変わりません。私は……」


 五輪男は指のリングをじっと見つめだ。

 そしてそのリングにキスをして、その手を自分の胸に当てた。

 まるで神に祈るように天を見上げ――ハレルヤと――微笑みを添えて神を讃えた。


「我が妻はここにいます。病めるときも辛き日も。我が妻は常に我が傍らにありて、私を見守ってくれています。私は」


 胸に当てていた手を握り締め、天を見上げたまま目を閉じた。


「妻を裏切らない。妻を護ると誓った自分を裏切らない。例え妻がこの世界には居なくとも。この世界の他の男と暮らそうとも。妻が私を裏切るとも。私は決して裏切らない。私は神を裏切らないのです。神の御手に導かれる時の為に」


 天を見上げていた五輪男がうつむき面帯を下ろした。

 誰もが泣き顔を隠したと思った。

 一部始終を見ていたゼルやシュサ帝までもだ。


「……そうか」


 帝の手が五輪男の肩に添えられた。

 優しく暖かく大きな手だ。

 五輪男はうつむいたままだった。


「おぬしの妻は果報者よの。これだけの男が心底惚れておるのじゃ。一人の男として、余は自分が恥ずかしいわ。妻を大切にせねばならぬな」


 シュサがそう漏らし、ゼルが僅かに笑っていた。


「おぬしらはそろそろ戻れ。エイダと次に合うときは、戦無しがよいな」

「御意」


 シュサ帝は僅かに手を上げ別れを告げた。

 それを見届け、ゼルと五輪男はゆっくりと列を離れた。


 エイダを起こさぬように、ゆっくりとゆっくりと。

 慎重に離れていって、やがては街道脇の丘へ上がった。


 眼下を行軍列が流れていき、やがてその中のシュサ帝が認識出来なくなった。

 そして、エイダは目を覚ました。

 全部を知っていたかの様に。


「じぃじ行っちゃった?」

「あぁ。行ってしまわれた」

「もう、じぃじと会えないね」


 エイダはゼルを見上げた。

 驚くゼルを楽しそうに見ていたエイダ。

 しかし、その後、もう一度行軍列を眺め呟く。


「じぃじは僕の事を覚えていてくれるかな」

「なんでだ?」

「だってじぃじは……」


 エイダはボロボロと泣き始めた。


「じぃじは今度のいくさで死んじゃう。もう会えないんだ」

「そんなことないさ!」

「会えないよ」


 ゼルの言葉にエイダは泣きながらそう答えた。

 そして、遠くに見える帝王の軍旗を指さした。


「黒い列だね」

「黒い列?」

「じぃじのまわりに黒い人が沢山見える」


 なんの外連味も無く言い切るエイダに五輪男は息を呑んだ。

 そして、エイダを抱えるゼルもまた言葉を失った。


 そんな二人の反応を一切気にする事無く、エイダはジッと行軍列を見送った。

 それがエイダの見た、シュサ帝の最後の姿となった。



 序章 ~ エイダ幼き日々 ~ 終わり


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