戦上手
──―― 夕刻
「陛下! 楽しい一日でしたが、そろそろお開きに!」
ウォークに声を掛けられカリオンは我に返った。
天頂より照らしていた筈の太陽は既に明確な斜陽となっていた。
「そうだな。そろそろ戦線をたたもう」
カリオンとオクルカは、一日を掛けて激しい戦闘を繰り広げた。
そして、その代償として決して少なくない犠牲を払っていた。
「負傷者の救護と死者の回収に移る。戦線の維持を図れ」
カリオンの言で騎兵は一斉に行動を起こし始めた。
丸一日の戦闘は夥しい死傷者を発生させ、その数たるや双方ゆうに一千騎を軽く越えていた。
「負傷者の回収だけでも骨が折れますね」
「あぁ。だからこそ、骨折者の回収に気を使え」
「……笑うところですか?」
「こういうときは黙ってハイっていっとけ」
「承知しました。次からそうします」
意地とプライドを賭けた激しい戦いは、先に斃れた中間の為に絶対に引き下がれないと言う固い結束を両軍にもたらしていた。
だが、戦いの恒として最終的に勝利を左右するのは数で有り物量だ。
およそ一万騎ほど数的有利となっていたカリオンは、波状攻撃の最中にも味方を休ませる余裕を見せつけ、結果的にフレミナ側は激しい疲弊を引き起こしてしまっていた。
「向こうは酷い事になっていそうだな」
「そうですね。敵とはいえ同情に値します」
周回運動を取って機動防御を続けるル・ガル騎兵たちだが、その向こうにいるフレミナ騎兵達は疲労困憊な様子だった。
「徐々に距離を取る。向こうは深追いすら出来ないだろう」
「意図を理解する前に体力的に無理でしょう」
「今日は良く走った。そろそろケツが四つに割れそうだ」
アハハと軽く笑ったカリオンは、ウォークに軍旗をたたませてオクルカに戦闘終了の意志をつたえた。あれこれ説明せずともビッグストン上がりなら分かるだろう。そんなことを思いつつ、死屍累々な荒れ地を眺めた。
──これは本来全てが俺のモノだったはずだ……
結果論だが無駄死にだ。
なんら生産的なことでの死ではないのだ。
命を差し出して彼らが何を得られたのか。
カリオンは背筋を伸ばし、フレミナ側の死者にも敬意を示した。
もし…… フレミナ側も受容出来る形での太陽王即位だったなら。
もし…… フレミナ側も受容出来る人物だったなら。
彼らは死ななかったのかもしれない。
「ウォーク」
「はい」
「国軍の死者収容を終えたら」
「フレミナ側の死者も収容しましょう」
察しがよく機転の効くウォークはカリオンの思うことを理解した。
自らに見つけ出した側近の出来の良さに、カリオンは忍び笑いを浮かべつつ馬を返して帰途についた。全ての騎兵が見守る中、悠然と、威風堂々と。
カリオンが撤収を開始した荒れ地から約一リーグ。
右翼に展開していたジョージは、カリオンの軍旗がたたまれた事に気が付いた。
絶好調なカリオン率いる中央軍団の余波を買ったのか、スペンサーは無名の隊長を文字通り圧倒し続け、最後には組織的抵抗力を失い潰走するフレミナ騎兵を激しく追撃した。
結果、フレミナ側はほぼ全滅に至るまで叩きのめされ、ごく僅かな生き残りが必死になって逃げている有様だった。
「そろそろ撤収だ。隊列を整えよ!」
戦場となった荒れ地から引き潮のように退いていくジョージの隊は、夥しい数で広がっているフレミナ側騎兵の屍を飛び越えていた。一万騎少々でしか無かった予備兵力然としている隊であったが、夕刻の時点で生き残っていたのは僅か数百騎という状況にまで追い込んだのだ。
「惜しいですな。もう少しだったのに」
ジョージに付いてきた若い騎兵が楽しそうに言った。
そしてそれは、多くのジョージ隊に属した騎兵の本音だった。
あと僅かで全滅と言うところに追い込んだジョージだが、それでも最後の最後では惻隠の情に駆られたのか、攻め手を緩めた己の甘さに苦笑いを浮かべた。
「長官! 全滅させてしまうより生き残りを逃がしましょう」
ジョージに同行していた作戦参謀はそう進言した。言われてみればその通りの話しで、生き残りをどこかの隊へ合流させ、恐怖と厭戦気分が伝播させるのも戦術の一環だ。
「そうだな。結果的に早期終結に繋るだろう」
「その通りです」
総勢二万少々のジョージ隊は目立った負傷者がなく、驚くほど死者も少ない。
完勝に近い堂々たる戦果を手土産に、胸を張って幕屋へ帰れるだろう。
そして正直に言えば、そろそろ戦を終わらせないと周辺国家がちょっかいを出して来かねないのだ。王都に返した約二十万の兵が有れば無様な負け方はしまい。
だが、若き太陽王から全幅の信頼を受けて国家の暴力装置を預かる最高責任者としては、不安の種は必ず潰しておきたいモノだった。
「こちらは良いですが……」
ジョージ隊に同行していた作戦参謀はカリオンの中央軍団越しに遠くを見た。
前日の戦闘でカウリ卿に弄ばれたレガルド将軍率いる隊が最後の突撃を敢行しようとしていた。
「さすがに武帝の懐刀と呼ばれた方ですな」
「全くだ。レガルド将軍とて幾多の戦場を経験されている戦玄人だというのに」
「なんとも恐ろしい方ですな」
戦闘開始点まで引き下がったジョージ隊は、両軍の戦死者へ敬礼を送った。
粛々と若き太陽王の方針を受け入れ、新しい国家を作るべく協力していれば死ななかったのかもしれない。そんな者達だ。
「やはり、フレミナとは相容れぬのかもしれぬな」
「水と油とは、よく言ったものです」
ため息混じりに零したジョージは、カリオン隊が敵側の遺骸をまとめて埋葬し始めているのに気が付いた。
「こちらもあれをやろう。諸君も疲れているだろうが、これも戦場の習いだ」
ジョージは率先して馬を下り、シャベルを片手に埋葬を始めた。
隊の騎兵達もその作業を手伝い始め、荒れ地に幾多の土饅頭が出来始めた。
疲れ果ててトボトボと引き揚げていくフレミナ騎兵達は、ル・ガル騎兵の見せた『武人の礼儀』を不思議そうに眺めるのだった。
同じ頃。
「おめおめと生き恥を晒し、このまま本陣へ帰れるものか!」
レガルド将軍は身を引き裂かれんはかりの恥辱に震えながら、ヒステリックな金切り声を飛ばし剣を抜いていた。
この日、汚名返上と名誉挽回に燃えた将軍は、個人的な復讐に燃えるクラウスを麾下に加え、燃え上がるような闘志で戦線をかけていた。
──命を惜しむな!
──名を惜しめ!
──このままでは王の元へと帰れぬ!
──我らレガルド一門末代までの恥辱ぞ!
レガルド将軍の名誉のために言えば、この日みせた壮絶な闘争心はまさに火の玉の如しであった。ただ、戦上手で経験豊富なカウリ卿を相手にしたことこそ、将軍最大の不幸とも言えた。
過去幾度も参謀総監ゼルと共に戦線を駆けてきたカウリは、並みの将軍たちでは経験し得ぬ得難い采配を体感してきた。シュサ帝の弔い合戦でゼルが見せた、潔く戦線を整理し、変幻自在に戦列を上下させる戦術を知っているカウリだ。レガルド将軍は一進一退の攻防すらも出来なかったのだ。
「若王が御覧になられているというのに!」
悲壮なまでの表情に、レガルド麾下の騎兵たちは覚悟を決めた。
騎兵の突撃は予め躍進到達距離が決められている。ある程度前進したら反転し、戦列を大きく崩さぬように戦うのが常識だ。小さな集団で戦列を飛び出せば集中攻撃を受けて戦列が崩れてしまう。それは絶対に避けねばならない。
だが、カウリは攻め掛かるル・ガル騎兵に対し、直接斬り合うことを避け続けていた。攻めかかるレガルド麾下の騎兵を誘い込むように大きく後退し、そして、躍進到達点に達して反転する騎兵を後方から襲ったのだ。
後方の防御力など無いに等しい騎兵たちは続々と討ち取られた。カウリ卿の騎兵たちは躍進到達点へ達する前に反転し、再び大きく後退してル・ガル騎兵を待ちかまえたのだ。
「もはや躍進到達点は関係無い! 敵軍の中を突き抜けよ! フレミナ本陣まで後退したなら、我らはそこまで切り込むぞ!」
もはや破れかぶれの突撃だ。
統制も秩序だった戦列もレガルド将軍は一考だにしていなかった。
このまま帰れば間違い無く叱責されるし、将を更迭される。
それはレオン家に繋がるレガルド一門の将来を閉ざすことになる……
西方の平原を何処までも駆けたレオン家一門の中にあって、古くからレオン宗家の強力な刃だったレガルド家だ。
祖国統一戦争にあってレオン家を支え統一王ノーリと共に戦ったレガルド家は、ノーリから直々に『レガルド家へ直轄所領を与える』と褒美を下賜された武門の誉れ高い一族だった。
ノーリと共に掛けたオズワルド・リビングストン・レガルドより数えて五代目に当るレガルド当主のウィリアム・ブレアウィッチ・レガルドは、決して愚鈍な男ではないし勘の悪い人間でもない。
ただただ、この日、この戦役では、相手が悪すぎた……
「全軍! 突撃! 突きぬけよ! 進め!」
統制の取れた機動戦術での戦闘が無理ならば、犠牲を省みず真っ直ぐに突入するしかない。同行するクラウスははやる気を抑えつつレガルドを鼓舞した。
「さぁ! 参りましょうぞ!」
レガルドは喜んでそれに答え、一騎当千のル・ガル騎兵に向け蛮声を上げた。
「ビバ! レ・ソレイユ!」
太刀を抜き真っ直ぐに突っ込んでいくレガルドは、大きく後退していくカウリ騎兵を見つけた。これまでと同じように距離を取る戦術だ。だが、この日最後の突撃はレガルドにとって最期になりかねない突撃だ。
「構うな! 突き進め!」
馬の手綱を握り締め、レガルドは馬を潰しかねぬほどに走った。地力に勝るル・ガル騎兵の馬たちは、最後の最後でフレミナ騎兵の馬に追いついた。
「逃げるか! 卑怯者め!」
溜まった鬱憤を晴らすように後方から遠慮なく切り刻むレガルドは、二騎三騎とフレミナ騎兵の背筋を切りつけ、幾多の返り血を浴びつつもフレミナ騎兵を追い越し始めた。後続の騎兵は槍を振るい、遠慮なく後方よりフレミナ騎兵の胸を貫いている。
そもそも簡易的な胸甲しかつけぬ騎兵は、後方など軍服一枚か二枚程度でしかないのだ。追いつかれたなら潔く反転し正面から斬り合うほうが安全。騎兵の戦闘哲学は刹那的なモノだったのだ。
「カウリどのぉ! いざ、尋常に……」
レガルドは馬の速度を緩めぬまま突き進んでいった。
もはや無事な帰還など考えていなかった。
ただ、勝つことのみだ。カウリの首を手土産にしなければ……
それだけがレガルドを支えていた。
「クラウス! なんとしても追いつくぞ!」
「承知! 手柄首は小官がいただきますぞ!」
「抜かせ! 手柄首はワシのものだ!」
目を三角にするほど歯を食いしばって走り続けるレガルドとクラウス。
後方から切りつけられるフレミナ騎兵が破れかぶれになって剣を振り回し、レガルドもクラウスも身体中のあちこちに細かな傷を付け始めた。
およそ十騎目と思しき騎兵を切りつけた時、相手の騎兵が振った太刀はレガルドの首覆いにめり込むほどだった。それでもレガルドは前進し、速度差を生かしてカウリへ着実に迫っている。
――よし! いける! いけるぞ!
――若王よ! 御笑覧遊ばされよ!
――ル・ガル騎兵にレガルドありと!
「ウォォォォ!」
辺り構わず蛮声をあげレガルドは遠くにカウリの後姿を見た。
様々な戦線で何度も見てきたその雄姿を見間違える筈がない。
若き頃より憧れてきた背中なのだが、それと同時にその上空を埋め尽くす黒いものをレガルドは見た。
――なんだあれは……
目に映るものが何であるかを考えるまでもなかった。
幾多の戦場を駆け抜けてきた者であれば、考える前にわかるものだ。
大きな翼を広げ飛ぶ荒鷲のようなそのシルエット。
――そうか……
――躍進到達距離とは……
――この為にあるのか……
レガルドに残された時間はごく僅かで、今さらどうにか出来るモノではない。
ふと横を見れば、クラウスまでもが同じように空を見上げ呆然としていた。
「すまぬ! クラウス! 後を頼む!」
「……えっ?」
レガルドは突然クラウスの馬脚へ太刀の鞘を突っ込んだ。
当たり前の様に足を引っ掛けて馬は転げ、クラウスはその場へ投げ出された。
「レガルドどのぉ!」
絶叫したクラウス。
駆け抜けるレガルドの上空から、文字通り雨霰の如く矢が降り注いだ。
フレミナの本陣に残っていた者たちは」、簡易的な小弓を使って一斉に矢を放ったのだ。
一矢二矢であれば叩き落す事も出来るのだが、その密度たるや常識で計れるモノではなかった。レガルドに残された手立ては、自らが目標となる事で味方の騎兵を出来るだけ多く本陣へ帰す事だけだ。
クラウスの目に映った最後のレガルドは、剣を高々と翳したままだった……
「はぁ……」
気の抜けたような溜息をこぼし、カリオンは荒れ地を見つめていた。
まだまだ土煙を上げて走り回っている騎兵がいる。
その事実に暗澹たる気分へと陥ったのだ。
この日も夕暮れは決着より先にやってきた。
荒れ地にはすっかり夜の帳が降り始めている。
夜を迎えた両軍は何となくという空気で自然に距離を取っていた。
「まだ戻らない?」
「えぇ。未だ」
ウォークの返答にもう一度小さく溜息をこぼしたカリオン。
耳の中ではノーリの金が不機嫌そうに鳴っていた。
――面倒なことになって居なければ良いが……
全軍に撤収の指示を出していたカリオンは、待てど暮らせど戻ってこないレガルド隊を待ち続けていた。兵達には先に食事を取るよう指示を出し。手空きの予備機兵は戻ってきた馬の手入れを始めた。
そんな中、カリオンはごく僅かな側近の者達を侍らせ、レガルド将軍の帰還を待っていたのだ。多くの兵達がその姿を見ているのを計算に入れ、王の王たる威厳を見せる作戦でもあるのだが……
「レガルド将軍の隊が戻ってまいりました」
何処からか報告が飛んだ。
カリオンは何かを察して幕屋を飛び出ていった。
同じように只ならぬ空気を感じ取ったゼルも一緒だ。
そして、ウォークも……
「クラウス! レガルド公はどうしたのだ!」
カリオンより早く声を掛けたゼル。
クラウスは左の肩を骨折したらしく、応急的な手当てを受けて馬上にあった。
「カウリ卿に弄ばれ…… 雪辱を晴らすべく突撃したのですが……」
搾り出すように言葉を紡ぎ始めたクラウスは、やがて訥々とレガルドの最期を伝えていった。話を聞いていた者はみな一様に言葉を失い、やがて自然と涙を浮かべていた。
「余が追い込んでしまったのかもしれぬな……」
ボソリとこぼしたカリオンは、ギュッと拳を握っていた。
「若王の御前で無様は晒せぬ……と。レガルド公は汚名返上を期してられ……」
馬から下ろされたクラウスは痛みを堪え、カリオンの前で片膝立ちとなった。
「参謀職にあるまじき失態でした。如何なる裁きも『ご苦労だった』え?」
クラウスの話を遮って労ったカリオンは、チラリとゼルを見た。
そのゼルはカリオンに深く首肯していた。
「クラウスが戻らねばレガルドの最期を誰も知り得なかった。指揮官が責任を取るのはやむを得ない。だが、その家族が最期の姿を知り得ぬのは不憫に過ぎる」
ゼルのこぼした言葉に再び皆が涙した。
実際問題、ゼルとて将軍の更迭はともかく、その死を望んでいた訳では無い。
皆が沈痛な表情を浮かべ嘆くなか、カリオンはその様子に言い様の知れぬ安堵を覚えていた。
――だれも将軍の死を望んではいなかった
当たり前と言えば当たり前なのだが、それでも将軍の死を望み、その空いたポストに自らが……というギラギラした出世欲は無かった。それだけの事とは言え、カリオンはル・ガル全体がまだまだ同胞愛を失っていないことに安堵したのだ。
「明日こそは決着を付けよう。レガルド公の死を無駄にしない為に」
若さ溢れるカリオンだが、それでもそれなりに疲れてはいた。
その身体を引きずって食事にありついたのだが、本当の激震は翌朝になって襲いかかってきたのだった。