激突
午前九時。
ル・ガル国軍の側から一本の鏑矢が飛んだ。
甲高い音を立てて空中を舞った矢じりが川面に落ちて流れ行く頃、中州の周辺地域へ展開していた両軍の騎兵が一斉に行動を開始する。
中洲に正対するように展開しているル・ガル騎兵たちは、カリオン直率のル・ガル選り抜きな約三万の精鋭だ。士気高く落ち着き払ったその軍勢に対し、オクルカ率いるフレミナの北方騎兵は約二万程度が中洲から出て静かな川面を進んでいた。
両軍共に主力と言う重責を背負い、しかも左右を友軍に挟まれていて大きく迂回行動が取れない格好だ。つまり、真っ直ぐに突撃する以外、取るべき戦術は無い。己が技量と気概と度胸と。それ以外に頼るもののない戦いだ。
――兵は落ち着いているな……
――よし…… 負けない……
グッと顎を引き僅かに微笑んだカリオンは左右を見た。
左翼にはレガルド将軍率いる約二万の騎兵が併進している。その最前列には、胸甲だけでなくすねや首周りにもガードをつけた重装備なクラウスの姿も見える。
その向こうに見えるのは、どうやら無名の隊長が率いているらいしフレミナの騎兵たちだ。寒立馬ではなく普通の馬でしかない騎兵だか、強くなくともしぶとい集団だ。その隣には恐らく副官だろうと思われる姿がある。そしてどうやら、フェルディナンド公は今日の戦を回避したらしい。
――重傷か……
――それとも別の目的が……
アレコレ思案しつつも右翼に目をやったカリオン。
そこには威風堂々に近衛騎兵二万が悠然と歩いていた。ジョージは今日もやる気充分で、近衛騎兵を主力とする彼らは、高級士官や歴戦のヴェテランである下士官を中心にした、ル・ガル最強集団だった。
――両翼は問題ないな
――さて……
「ウォーク!」
「ハッ!」
「細かい事は考えない。全力でぶち当たる。ただ……」
「思ったより向こうが少ないですね」
「そのとおりだ」
総戦力十万のル・ガル国軍だが、本陣幕屋で留守番なゼルの手元に予備戦力二万をおいたので、実際の戦力なら八万に若干欠ける程度だ。戦力として不安は無いが、昨日までの圧倒的な蹂躙は望めそうにない。つまり、指揮官の能力に大きく左右されかねないということだ。
「ザックリ言えば、いいとこ五万と言うところでしょうか」
このウォークの見積もり能力は、今まで大きく外したためしがない。
ビッグストン戦術教官ビーン子爵の言を借りれば、『それは一見学んで身に付ける能力のようでいて、その実は才能無き者には永遠に使いこなせぬモノ』なのだそうだ。
「数字だけは互角とも言える状況だな」
「えぇ。これはもう軍の実力がモノを言うでしょう。つまり」
ウォークはいたずらっぽい笑みを浮かべカリオンを見た。
遠い日、ビッグストンの中で何度も見た、どこか茶目っ気があり不思議と人に可愛がられる役得を持って生まれた好青年の姿だ。
「陛下が負けるわけには行きません」
「……向こうは歴戦の勇士だから苦労しそうだ」
「兵は負けていません。あとは運の強さです」
「そうだな」
軽く相槌を打って敵側をグッと睨み付けたカリオン。
なんとなくだがフレミナ騎兵の顔には覇気がないと感じていた。
「こっちも辛いが向こうは……」
「帰るべき場所がないのです。よほど辛いでしょう」
「そうだな」
本来の故郷とも言うべきフレミナの里をスペンサー家に抑えられ、フレミナの一門は大手を振って帰る場所すら失っていた。古都ソティスはすっかりル・ガル国軍の占領状態となっていて、もともとこの地を統べていたボルボン家の縁者による自治が続いている。
「あぁは…… なりたくないな」
「全くです。今なら、何処で死んでも我が祖国ですから」
「その通りだ。全くもって」
カリオンとウォークは攻勢発途点まで前進を完了した。
槍を構え戦列を形成するル・ガル国軍は突撃の命をいまや遅しと待ち構えている。
およそ一リューを挟んで対峙する双方の軍勢は、気勢を上げ威嚇するフレミナ兵と、黙って槍を構え今にも飛び掛らんとしているル・ガル国軍の奇妙なコントラストを見せていた。
「さて、じゃぁ…… 始めようか」
カリオンは右手を高く上げた。左右の騎兵がその手の指先に目を向けた。
降り注ぐ太陽の光りがカリオンを照らし、黒い影を河原の荒地へと落とす。
「全軍! 躍進距離一リュー! 突撃に移れェ!!」
若き太陽王の声が荒れ地に響いた。
同時にカリオンの跨るモレラが大地を蹴って走り始めた。
「太陽王に続け! 全軍突撃!」
ウォークは走りつつ軍旗を広げた。風を受けて軍旗がなびく。
地響きを立てて前進を開始したル・ガル国軍の騎兵は七列横隊を組み、猛烈な奔流となってフレミナ騎兵へと襲い掛かっていくのだった。
その反対側。
北方騎兵を率いるオクルカは、兵の気勢を上げるべく声を枯らし激励していた。
正直に言えば勝利の望みはない。本来帰るべき所はもう無いのだ。
緩慢に滅んでいくだけのフレミナ一族は、速かれ遅かれ滅亡を迎える。
だが、それでも諦めない姿をオクルカは見せねばならなかった。
フレミナ側は忍び寄る負け戦の影にすっかり士気は下がっていて、それに折からの疲労が追い打ちを掛けている状況となれば、フレミナ騎兵の間にはすでに、戦う前から絶望的な空気が漂っていたのだ。
──思ったほど向こうは頭数が無いな
戦線を睥睨したオクルカはル・ガル側の大きな戦力ダウンに気が付いていた。
地平を埋め尽くすほどの大軍勢だった国軍側が一気に兵を減らした事実に、フレミナ兵たちは故郷フレミナの里が蹂躙され尽くす恐怖を覚えた。
──オクラーシェ!
──向こうの減った兵
──もしかしてフレミナの里へ行ったんじゃ
誰からとも無くそんな声が漏れ、そして、兵の間には嫌でも動揺が走る。
オクルカは平然を装いつつ内心で冷や汗を流した。
ただ、占領地経営という面で見れば、フレミナの里皆殺しはあり得ない。
ならばこれを奇禍とし、利用しない手は無いだろう。
有る意味で千載一遇のチャンスでもあるのだから。
「誇り高き北方騎兵諸君! 諸君等は我らが母なる地を奪われても良いのか!」
オクルカは動揺する兵にきつい言葉を浴びせかけた。
間髪入れずにアチコチから『嫌だ!』の声が沸き起こった。
「カリオンを! あのマダラの男を王と呼びたいか!」
オクルカの言葉に心底嫌そうな顔となった兵達は、再び大きな声で『嫌だ!』と叫んだ。そしてその『嫌だ!』の声は何度も何度も繰り返される。
どこまで行っても混ざり合えない、理解し合えない水と油なフレミナとシウニンの確執。オクルカはもはやそこに賭けるしかなかった。シウニンに反発する劣等感にも似た感情は、理屈抜きにフレミナの中に存在するのだ。
「帰るぞ! フレミナの里へ帰るぞ! 我らが故郷フレミナの為に、ここで負けるわけにはいかないのだ!」
一斉に裂帛の咆吼が上がった。
全身を漆黒の体毛に覆われたフレミナ一族の男達は、槍を片手に気勢を上げた。オクルカも愛刀を抜き放ち天に向けて振り上げた。
「我らが母なる地へ! 故郷フーラの地へ帰るぞ! 奪い返すぞ!」
一際大きな声がわき起こり、両手を天に突き上げたフレミナの男達は、手にしていた槍で太陽を突き刺す仕草を繰り返した。
「天と地の狭間にフレミナの誇りを知らしめよ! ゴーラ! レ!」
大音声で叫んだオクルカに応える様に、北方騎兵は一斉に『フーラ!』を叫ぶ。
その直後、荒れ地に突如として地響きが沸き起こり、ル・ガル国軍が動き出したことを皆が知った。だが、オクルカは構うことなく先頭を切って走り出した。それに両翼が続き、フレミナ騎兵は雪崩を打って前進を始めた。
『ゴーラ! レ! フーラ!』
『ゴーラ! レ! フーラ!』
『ゴーラ! レ! フーラ!』
雪崩を打って前進する北方騎兵は、速度的に激しく不利なのを承知でル・ガル国軍とぶち当たることを選択した。理屈ではなく気迫と根性の発露だった。いま立たねばいつ立つのだど、多くの騎兵たちが気勢をあげていた。
──もはや理屈抜きだ!
──勝つ! 勝つんだ!
オクルカの目は、螺旋を描いてこぼれる日の光をシンボライズした、太陽王の旗を双眸に捉えた。そして、その直下に栗毛の駿馬に跨がるマダラの男を見つけ出した。
──あの男を突き動かすものはなんだろう……
──話し合えばわかり合えるのだろうか……
──もはや手遅れだが……
思えばこの戦はオクルカではなくフェリブルが始めたモノだった。
今更ながらではあるが、フェリブルが死んだ時点で和平の途を探すべきだった。
戦争と平和を分ける境目は、いついかなる時代や場所であっても、通り過ぎてから気が付くものだ。そしてそれは、取り返しの付かない状況になってからと言い換えることも出来る。
──伯父上の苦労は以下ばかりだったのか……
傍若無人で強権的。そして高圧的だったフェリブル。
だが、人知れず抱えていただろう心理的なストレスとプレッシャー。
その巨大さをオクルカは初めて理解した。
──負けるわけにはいかないな
剣を握る手にグッと力を入れ、左右にいるカウリやオギ・ナギらをちらりと見やったオクルカは、グッと奥歯に力を入れるのだった。