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決戦


 ―――― 帝國歴 336年 10月 22日 日暮れ前

                中洲の西 約二リーグ付近






 

 草木も疎らな荒れ地らしい荒れ地には、カリオン直率のル・ガル最強騎兵団とオクルカ直下の北方騎兵団が対峙していた。荒れ地を吹き抜ける風は冷たく、夕暮れの迫る河川敷には虫の声が響いていた。


「さて……」


 胸を張り突撃の命を待つ騎兵は横五段の横列だった。

 その列の前を馬で横切るカリオンは右翼から左翼へと進んでいく。


「古今無双の益荒男よ!」


 横列の最前列と二列目は長柄の槍を装備している槍騎兵(ランサー)だ。

 三列目と四列目は太刀を装備した胸甲騎兵で、五列目には弓を装備した竜騎兵(ドラグーン)が陣取っている。


「一騎当千の荒武者よ!」 


 中心線から左翼にはこの戦役初期から参加している近衛騎兵団のフリート少佐率いる一個連隊が展開している。国家騎兵団の中から勇猛果敢で自己犠牲の精神を持ち、なにより責任感に溢れる男だけが抜擢される騎兵団は、カリオンの親衛隊でもあった。


「ル・ガルにその名を轟かす無敵の強者(つわもの)とは誰ぞ!」


 カリオンの言葉に騎兵たちが拳を突き上げ声を上げた。

 我こそはル・ガル一の勇者なりと宣言した。


 その声を聞きながらカリオンは右翼へとモレラを進める。

 右翼には国軍第一騎兵連隊のアジャン少佐がいる。


 近衛騎士団に最も近いと呼ばれる第一騎兵連隊は、近衛騎士団の予備隊と異名を取る。定員制の近衛騎士団に空席が出来ない限り昇格は無い。つまり、年時考慮などの事情で選抜に漏れた事実上の近衛騎士がここに集まっている……


「余が見届けよう! 戦場の光りとなれ! 良いか!」


 戦列を構成する騎兵たちが壮絶な咆哮を上げ、フレミナ騎兵を圧倒するように気焔を盛らせる。そして、最前列の槍騎兵は槍を突き出した。その刃先へカリオンは太刀の鞘を当て、音を鳴らしながら中央へと戻っていく。

 軍を率いる王は中央に立つべし。始祖王ノーリから続く伝統をカリオンは体現していた。戦列が総崩れとなった場合、中央は最後まで逃げられない場所だ。だからこそ太陽王は運の良い者。運気の強い者が選ばれるのだった。


「さて、フレミナ北方騎兵、最後の輝きを見せていただこうか」


 軽口を叩いて中央に立ったカリオン。その直近には侍従総括のウォークと参陣参謀クラウスのふたりが付いていた。予測される戦闘経過はこの戦役で何度も繰り返し出てきた、機動力のル・ガルvs撃たれ強さのフレミナの図式だ。

 カリオンは幾度も幾度も旋回し波状攻撃を仕掛ける腹なのだが、それに対抗するオクルカは、機動力に劣る寒立馬を余り走らせず、むしろ体力を温存する作戦に出る事が予想されていた。


「どうやったら敵を走らせられるかな」


 ――ゼルが見ている


 その事実にカリオンはどこか浮き足立っていた。

 上手くやって父に褒められたい。


 この歳になってもそれを願う自らの幼さに鼻白んだものの、心の奥底で蠢く本音はどう取り繕ったところでそれなのだ。


「向こうが走る気が無ければ不可能でしょう」

「むしろ走らせずこちらが動く方が早いかと」


 ウォークとクラウスはこちらが機動力で叩くべきと進言した。

 その意見自体にカリオンも異存は無い。

 ただ、馬の体力が持つかどうか。心配はそこだけだ。

 どんなに鍛えられた馬でも走り続ければ疲れる。

 疲れた馬は速度が出ないし踏ん張りも効かない。


「向こうもそれを狙っているかも知れないね」

「そうですなぁ」


 感心するようにクラウスは言葉を漏らした。

 まだまだ幼いと思っていた若き王はしっかりと敵を分析している。


 この親にしてこの子ありと言うが、あのゼルのフリをしたヒトの男の薫陶を受けているのは伊達では無いと感心する。


「オクルカ公はこっちの馬が疲れれば……」

「寒立馬でも勝ち目があると踏んだのでしょうな」


 どっしりと陣を構えるフレミナ陣営を眺めたウォークとクラウスは、共に槍の穂先を包んでいたカバーを取って突撃に備えた。陣形を維持して突撃を計る騎兵の最前列は、敵の太刀よりもリーチの長い得物を必要とする。

 敵に斬られる前に敵を斬らねばならないからだ。ましては王の側近である。王に刃を向ける敵は側近の馬周り衆で対処せねばならない。王が安心して太刀を振るえるよう、楯の役割を引き受けるのだ。


「御楯衆。準備が完了しました」


 全身を黒染めの装備で整えたカリオンの楯となる選りすぐりが周りに揃った。

 それらを率いるクラウスは、かつてはシュサの楯だったのだ。


「一気に片を付けましょう」


 気迫を漏らしたウォークは、全身に力を漲らせ始めた。

 普段の冷静さを思えば同一人物とは思えないの姿だ。


 だが、ウォークが入れ込む理由はカリオンも良く飲み込んでいて、馬が疲れ切る前に勝たねばならないと焦る気持ちを共有している。


「ウォーク! 軍旗を掲げよ!」

「はっ!」


 ウォークが太陽王の軍旗を広げると、旗は風になびいた。

 カリオンを示す太陽の紋章は、十字に降り注ぐ光のマークだ。


「我らが太陽王に歓呼三唱!」


 ウォークの声が響く。

 それにあわせ、すべての騎士が拳を突き上げ叫んだ。


『ラァァァァァァァァ!』

『ラァァァァァァァァ!』

『ラァァァァァァァァ!』


 喉も裂けよと声を出した騎兵の迫力にフレミナ兵は気圧される。

 命のやり取りの現場では、気迫と根性が生死を分ける事も多い。

 こうやって気合を入れる事で兵士の士気は高まる。


 つまり、既に戦は始まっていた。


「総員抜刀!」


 カリオンの声に左右の騎兵が一斉に剣を抜いた。

 それに合わせカリオンは高く剣を翳した。


「我に続け!」


 モレラの腹を蹴り馬を出したカリオンは、河原の上をグングンと加速していく。

 両翼の騎兵も雪崩を打ったように続いていて、その大波はフレミナの北方騎兵へと襲いかかっていった。


「いざぁ!」


 カリオンの目が寒立馬に跨がった大男を捉えた。

 叔父カウリもかなりの大男だが、それより一回り大きい姿だ。


 ふと学生時代に見た巨岩種の男を思い出す。

 あの男も大男だったが……


 グッと歯を食いしばったカリオンは、残り十歩を切った馬の上で覚悟を決めた。


 ――首を落とす!


 渾身の力を込めて撃ち込んだ剣は、まるで岩にでも跳ね返されたかのようだ。

 そのままフレミナの隊列をやり過ごしたカリオンは黙って剣を右へと振った。

 国軍の大波は右へと旋回し、カリオンに習って再び真っ直ぐ突っ込んでいく。


「オォォォ!」


 雄々しく叫んだカリオンは、オクルカの前に立ちはだかった幾人かのフレミナ騎兵を撫で斬りにして迫っていく。ただ、その剣をせわしなく振って三騎程討ち取ったカリオンはオクルカの刃に抗する手立てが無かった。


「お任せを!」


 カリオンの直下にいた騎兵がグッと前に出て槍を突き出した。長柄の槍は穂先まで軽く3メートルはある。その槍でオクルカを牽制すれば、カリオンの身体は無事と言う事だ。


「ご苦労!」

「ありがたきお言葉!」


 労をねぎらったカリオンは太刀を左へと振る。今度は左に旋回し、再びフレミナ騎兵へと襲いかかっていくのだが、三度目の突入ともなると討ち取った敵騎兵とその馬が思わぬ邪魔になり始めた。


「馬脚を乱すな!」


 河原に転がる敵騎兵の亡骸を遠慮無く踏みつけ、カリオンは真っ直ぐにオクルカの首を目指した。太陽はすでに山並みの稜線を舐め始め、滲むような色合いの光りをまき散らしている。

 そろそろ時間切れだとカリオンも思う。ただ、その目に迷いは無い。狙った獲物は逃がさぬと大きく剣を振り上げ斬り込んでいく。背の低い馬上にあって一際大きな体躯の男が見える。剣を握りしめるカリオンの右手に力が入った。


 ――モレラ! 頑張れ!


 馬を気遣いつつも速度を維持したカリオンは、真っ直ぐにオクルカ目指して突っ込んでいった。周りの事は考えている余裕が無かった。何度も指摘されている事だが、現状ではその余裕が無い。

 指揮官としての立場に初めて立ったカリオンは、幾多の戦場を経験し段々と身につけていかねばならない事を、事実上の初陣で全て求められている。


「王よ! 左右の統制はお任せアレ!」


 突然クラウスが叫んだ。カリオン直下にいたクラウスはカリオンに変わり左右へと指示を飛ばしている。その声に合わせアジャンとフリートの両少佐は、変幻自在に列を制御し、見事な統制でカリオンを支えていた。

 一瞬だけ『ヨシッ!』と、そう思ったカリオンだが、残り五歩と言う所でオクルカの目と視線が合った。射貫くような鋭い視線がこっちへと来ていた。カリオンも負けない様にグッと睨み付け、剣を振り上げた。


「オォォォォォ!」


 モレラの脚がグンと伸びる。

 半馬身前へと出たモレラの馬上でカリオンは懇親の力を込めた。


 細く華奢な印象のカリオンだが、その腕に込められた力は想像を絶する。

 鈍い金属音が響き、ドサリと鈍い音が響いた。


「ッチ!」


 短くした打ちしたカリオンは振り返る事無く駆け抜けた。後続に期待したのだ。

 だが、後方より撃ち漏らしましたの声が届き、カリオン渾身の一撃が無駄に終わった事を知る。オクルカは打ち合っても負けると踏んで盾をかざしたのだった。


 ――この手ごたえ……

 ――骨でも折れたかな……


 肘には鈍い痛みが走った。剣を握る手首にも疼痛がある。

 だが、ここでひるむ訳には行かない。


 断然攻撃あるのみだと気合いを入れ、カリオンは剣を右へと振った。

 騎兵の横列が大きく右方向へ旋回する。


 山並みの向こうに残っていた筈の光は消えうせ、夜の闇は音も無く忍び寄りはじめていた。まだまだ残照の照らしている状態ではあるが、戦闘後の集合などを考慮すれば、統制の取れた突入は出来て後二回がせいぜい……


「クラウス! 編成を変える! 二段に『承知!』


 指示が終る前にクラウスは素早く指示を出し、横隊をコンパクトに再編成して蹂躙した後に再蹂躙する二段階戦列を構築した。カリオン直下には第一騎兵連隊をつけ、その後ろにやや間を置いて近衛騎兵を雁行させたのだ。


「……よろしい」


 ニヤリと笑ったカリオンは後ろを振り返らず一気に突入した。

 もはや後先考えて居る余裕など無かった。


 あえてオクルカを外し後続を徹底的に切り刻んだカリオンは、その後もオクルカの存在目掛けて五度六度と迫った。だが……


 ――あれ? ……いないぞ?


 カリオンが幾ら探してもオクルカを見つけられなかった。

 そして、双方ともに決定打を欠いていたのだ。


 戦いは数。絶対普遍の定理は間違えようが無い。

 だが、数に勝ろうと決定的な一撃を与えねば戦闘は終結しえない。


 頭数に勝るカリオン側国軍サイドとて、表面的な勝ちを得たとしても完勝とは言いがたい。故にオクルカの首をどうしても上げたいのだった。

 しかし、オクルカ側は必死になってオクルカを隠しているとカリオンは感じた。このまま行けば全滅する。その恐怖を感じて居るはずだと直感した。ならば、その心理的な萎縮を突いていくのも常道だろう。カリオンは一つ息をついた。


 ――全滅させよう……


 だが、その直後に後方から戦況ラッパが聞こえた。新手の登場。そして、手強い敵を示す勇戦求むの音……

 再び旋回しフレミナサイドへモレラを向けたカリオンは、その眼差しの先に見慣れた男を見つけた。カウリ率いるフレミナの予備騎兵だ。


 ――叔父上……


 カリオンはレガルド将軍が敗北した事を知る。


「若王陛下! まとめて叩き潰しましょう!」

「このまま突入の御下知を!」


 気焔万丈な騎兵たちはこれ以上無くいきり立っている。

 だがそんな時、クラウスはカリオンに馬を並べ静かな口調で進言した。


「日没を過ぎました。大軍の夜戦では分が悪いです。仕切りなおしに」


 一瞬、カリオンはこのクラウスがアージンの男たちだけしか知らぬ秘密を知っているのかと訝しがった。ただ、兵法の常道として日没後に統制の取れた戦闘は不可能と言うのをカリオンも知っている。

 ただ、ここまで勝っておいて後退するのは……と、カリオン自身も自分の感情を上手く整理できず逡巡し始めた。欲が出たのだ。欲は身を滅ぼすと、過去幾度も父ゼルの教えを受けて居るはずなのだが。


「ウォーク!」


 振り返ってウォークの意見を聞こうと思ったカリオンは、既に何も言わずに軍旗をたたみ始めているウォークを見つけて言葉を飲み込んでしまった。さも当然と言うように軍旗をたたんだウォークは揺れる馬上にあって素早く収納した。


「暗くなっては軍旗を上手くたためませんから」

「ウォーク…… 誰がしまえと!」

「ですからぁ 今日は仕切りなおしですよね?」


 こうなってはカリオンも二の句がつけない。

 やや苦笑しつつ距離を取ってから大きく左へ旋回したカリオン。

 ゆっくりと速度を落とし馬が荒い息で斃れないように気を使って隊列を止めた。

 広い荒地には夥しい数の骸が横たわっていた。


「我が軍の軍旗がたたまれた事でフレミナも意図を理解したことでしょう」


 クラウスは老眼の出始めた目をこすり遠方を見た。その言を証明するように、フレミナサイドも軍旗を収めている。フレミナ側もカリオンの軍旗がたたまれたのを見て、今日は一端終了の意思を見取ったのだった。


「……決戦は明日へ持ち越しだな」


 どこか悔しそうなカリオンの言葉にモレラが小さな嘶きをこぼした。山並みを越えていた残照もその明るさを失い始め、地上を照らすものは全て失われた。


「……帰るか」


 ボソリとこぼしたカリオンの一言から始まり、戦闘用具収めの号令が飛んだ。

 改めて隊列を整理し、カリオンを先頭にル・ガル本陣へと引き上げていく。


「クラウス。ご苦労だけど、フレミナの陣へ伝言を届けて欲しい」

「はっ!」


 クラウスは懐から手帳を出し、メモを取る。


「フレミナの主へ一言申し伝える。貴殿の勇戦に敬意を表す。決戦は明日。英気を養い、備えられよ。太陽王は堅強不撓のフレミナ勇兵を賞賛せしむものなり」


 カリオンの声を聞いていた騎兵たちは皆が一斉に笑顔を浮かべた。

 強い敵と戦うこと。或いは強い敵に破れて死ぬことこそ騎兵の名誉だ。

 自分より弱い敵と戦ってばかりの騎兵団にははりぼて勇者の称号を送る位に。


 だからこそカリオンは敵を讃えた。

 それは遠まわしに自分こそが最強であるという自負でもあった。


「では、行ってまいります」

「あぁ。暗い道だ。気をつけて行って来て。明日もある事だし怪我に注意」

「承りました」


 馬に水を飲ませていたクラウスは、そのまま『一個小隊続け!』と指示を出して走り去った。僅か十二騎の供を連れたクラウスは大丈夫だろうか?と心配してみるのだが、幾多の戦線を駆けて来たヴェテランだけに心配する事も無かろうと、無理やり自分を納得させ帰途へと就いたのだった。





 その夜。


「……つまり、ここで単純に左へ振ったのが拙い」

「じゃぁ右へ旋回してもう一度同じ角度で?」

「いや、左の更に深い角度で当るべきだな。単に正面衝突では意味が無い」


 ゼルは戦況卓へ地図を広げ、地上を駆けたカリオンの軌跡を地図上へプロットしながら戦術の講義をしていた。話を聞いていたウォークやフリートやアジャンも含め、問題点を指摘している。

 本陣へと帰ってきたカリオンは馬の世話などを任せた後で、今日一日の採点を受けていた。夕食前の僅かな時間だが、誰にも邪魔されない貴重な時間でもある。


「要するに、敵に真正面から当るのではなく左へ旋回し敵騎兵の左手から当るのが良いということだ。まず勝つ事を最優先にし、敵を完全殲滅させれば良い。優雅に戦い綺麗に勝つのも良いが、事実上の内戦なんだから徹底的に勝つ事も重要だ」


 一切の美辞麗句を省き徹底的に実利だけ求めるゼルの勝利戦術は、完璧なる破壊のみを求めた恐るべき結果主義の戦闘手順だった。


「騎兵は左側面がどうしても弱点になる。そこを突いて勝つ。負けに名誉もクソも無いんだよ。まず勝つ。とにかく勝つ。この意識が無さ過ぎるぞ」


 厳しい言葉で叱咤するゼルだが、カリオンと同等かそれ以上にフリートとアジャンは沈み込んでいた。自らの手の甘さこそ、王が叱責を受ける原因かもしれないからだ。


「次は…… 勝ちます」

「そうだな。死んで花実が咲くものかってな。負けなければ良い訳じゃ無いんだ」

「はい」


 ひとしきりゼルに絞られたカリオンが凹む頃、この夜の食事が運び込まれた。これと言って豪勢な食事ではないが、それでも戦場での体力を維持する精一杯の心配りがあった。

 カリオンより早く少佐たちが手を付け始め、カリオンは最後に手を付ける。戦場における毒殺の危険性は、城の何倍も高いということだ。こういう部分で自分を守る機転をもカリオンは身につけつつあった。









 同じ頃。


「そうか……」


 フレミナの主オクルカが陣取る幕屋の中では、カリオンの言付けを持ってきたクラウスが音吐朗々と太陽王の言を読み上げていた。それに対しオクルカは満足そうに笑みを浮かべ、黙って聞いていたのだった。


「世が世なら、私は太陽王の片腕だったかも知れぬ。だが今はフレミナの将来を預かる身。賞賛の言葉はこの身に余る栄誉としていただくが、同時に私の言葉もお伝え願いたい」


 余りに堂々とした態度のオクルカを見たクラウスは、心の何処かに『カリオンよりも王らしい』と思った。ただ、その周囲にいる者たちはひどい怪我や負傷を負った者が多く、フレミナの内側にある窮状をクラウスは見て取っていた。


「太陽王の名を継承される重圧の中で堂々たる戦いぶりに敬意を表します。明日もその胸をお借りします故、よろしくお付き合い願いたい。世界に冠たるイヌの国。ル・ガルの盛運隆昌成ることをお祈りいたし申す」


 一切悪びれぬ爽やかなまでの振る舞いを見せたオクルカは、悪逆なる賊徒としての扱いに対する抗議の言葉すら無かった。ただただ、フレミナ安寧を希求するイチ貴族として、オクルカは太陽王に弓引くのだと態度で示していた。


「フレミナ公のお言葉。確かに預かりいたしました。我が王に一言一句違えることなくお伝え致します」

「どうかよろしく。このトマーシェーの男が、出来れば武装を解き、一度ゆっくりと話してみたかったと、心魂よりそう思っていたと。どうかお伝え願いたい」


 オクルカの素直な言葉を聞いたクラウスは、それが遠まわしな和平交渉の第一歩だと直感した。そして、オクルカの本音は戦いたくないと。そう本気で思っているのだと。そう気が付いた。


「では、明日も勇猛なるフレミナ北方騎士団と手合わせせねばなりせぬので、老体はこれにて失礼いたしまする」

「どうか気をつけて帰られよ」

「かたじけない」


 胸を張り敬礼を送ったクラウスは踵を返して幕屋を出ようとした。ちょうどその時、幕屋の中にカウリとトウリの親子が入ってきた。ばったり出会したクラウスとカウリは旧知の仲ではあるが、今は敵同士だ。なれ合わぬのもまた礼儀だが……


「クラウス。すまないが儂の要を足してくれぬか?」

「小官に可能なことでしたら、いかな事でも」

「すまぬが……」


 カウリは懐から紫の徽章を取り出した。それはル・ガル騎兵が百戦を経験したときに太陽王から下賜される大切な従軍記念徽章だ。ヴェテランの騎兵であることを示すと同時に、国家騎士団に加入するための大切なマイルストーンでもある。

 その徽章は太陽王シュサの旗印であったウォータークラウンの紋章が入っている古いデザインのモノで、その持ち主はシュサ帝の時代に騎兵を始めた者しか受け取れないものだった。


「これは?」

「……日中、レガルドの小倅とやり合ったんだが、その中にハンスが居てな」

「あぁ、そうですね。ですが…… え? まっ…… まさかッ……」

「……まぁ、これも戦さ場の習いだ」


 クラウスは両目を大きく見開いてカウリを見た。そのカウリは静かに頷いた。


「この手に掛けた。いい男だった。正直、この戦役で死なすには惜しい男だ」


 クラウスは無意識にカウリの襟倉を掴みそうになった。それを寸前で思いとどまったのは、若き太陽王の名代としてここへ来ている責任感だった。ただ、幾多の戦場をともに駆け抜けた戦友の死を平然と受け流せるほど耄碌もしていない。クラウスは身を震わせカウリを睨み付けた。


「何故ですか……」

「なぜ?」

「何故あなたがここに!」


 怒りではなく悲しみに満ちた目でカウリを見たクラウス。

 その双眸には溢れそうな涙が溜まっていた。


「儂はル・ガルの為にこれをやっておる。決してフレミナの為ではない」

「はい?」

「より良きル・ガルを作り上げるため。これからのル・ガルを背負って立つ太陽王には今のカリオンでは心許ないのだよ」


 いきなり厳しいことを言い出したカウリは小さくため息を付いた。


「時代は変わっていくものだ。その為に……」


 絞り出すような一言を残し、カウリは幕屋を出て行った。

 残されたクラウスは肩を震わせ、怒りと悲しみに打ちひしがれていた。


「ハンス……」


 そう、小さくつぶやいて。

 そして、カウリから渡された徽章を見つめていた。


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