騎兵の本懐
フェルディナンドとジョージスペンサーの死闘が続いている中洲東部から北西に約1リーグ。中洲北部では太陽王直々に太刀を与えられたレガルド将軍こと、ウィリアム・ブレアウィッチ・レガルドは騎兵二個連隊を率い、騎馬に跨がるカウリ・フレミナ・アージンと対峙していた。
「王の信任に応えねばならぬ」
スペンサー家と長年ライバルであったレオン家の衛星貴族であるレガルド家は、相当古い時代から主家レオンを援けるべく草原地帯を走り回ってきた。長く強い手足と細長いマズルを備えた灰白色の体毛を持つ白い一族で、草原を飛ぶ白い矢と異名を取るその風貌は、見るものに武偏の男という印象を与えていた。
「若き王は見ていらっしゃいますな」
「無論だ」
壮年の域に達しつつあるウィリアムは齢二百に手が届いても尚、益々盛んに馬上で指揮を執り走る事が多い。老いたれど気焔万丈にして意気軒昂なり。この日、カリオンは自らに太刀を下賜し『余の叔父、カウリ卿を討ってくれ』と頭を下げた。
「若き王も辛かろう」
「そうですな。幼き日々より父ゼル殿と同じく教えを受けたでしょうに」
ウィリアムの隣で相槌を打つ参謀ハンス・アルターは、どこか複雑な表情で主君ウィリアムと共に敵陣を見ていた。遠い日、まだ若かったハンスは王の参謀に付いたクラウスと並んでシュサ帝直属の騎兵となった。
ただ、その勇猛さが余りにも素晴らしいとカウリに賞賛され、カウリ率いる騎兵団へ転籍したのだった。その後のキャリアは言うまでもない。シュサ帝の向かう戦場には必ずカウリが居て、そのカウリが駆ける戦線には必ずハンスの姿があった。
「これも世の習いだ……」
「ですな」
青年といわれるには些かの年増となったハンスは、クラウスと同じ頃に第一線を退き、改めて参謀学の公聴生となった。騎兵としては有能だったハンスも参謀としてはクラウスに才があったのだ。
――参謀学とは学べるようでいて、学ぶ物ではないのだよ
――才能の無い者は生涯自分のものとは出来ないものなのだ
――昔から言うように参謀とは常識を直角に曲げて答えを出す
――その実は、常識を疑う心。そして、豊かな発想力だ
参謀学の権威であったエーベル・ビーン伯爵はその様にハンスを諭し、王の参謀ではなく家臣の参謀への転身を促した。垂直を水平に曲げてでも敵に勝つ算段をつけるのが王佐の才であり、最前線を走り回る王を補佐する者の資質だ。
それに対し、家臣を支える参謀は一流の騎兵に遜色ない馬術を持ち、王の指示を実行する家臣へ提言しつつ補佐も行なうものだ。ビッグストンで参謀学を教えるエリオット・ビーン子爵の父エーベル・ビーンは、ハンスにその才を見出していた。
「さて、では参ろうか」
「若王の指示は簡単でしたな」
「あぁ、カウリ卿の首を取れ……だ」
「指示は簡単ですが実行はかなり骨が折れますぞ?」
「……シュサ帝と共に走り続けてきた卿ゆえに……な」
数歩馬を進めたレガルド将軍は振り返って剣を抜き放った。
轡を並べ突撃の命を待つ国軍騎兵の顔に迷いの色は無い。
「誇り高き国軍騎兵諸君! 気焔万丈たる西方騎兵団の諸君! 我らが王は不貞なる賊徒の討伐をお命じになられた! 我らはこれより裏切り者の粛清に参る! 国家を導く太陽王に刃を立てた不埒ものの全てを我らの蹄に掛けよ!」
国軍騎兵は一斉に剣を抜き歓呼で応えた。
その声に押され、レガルド将軍は馬の向きを敵へと向けた。
「我に続け!」
レガルド将軍の馬が走り始めた。すぐ後ろにハンスが続き、大きな波の様になってフレミナ騎兵の列へ突っ込んでいく。前後三列のまま大きな横陣を組んだレガルド隊は、速度を落とさず切り込んで行った。
「カウリ殿! ご無沙汰しており申す!」
「おぉ! その声はハンスか!」
「その首! 若王への手土産に戴きまする!」
「やってみろ! 小僧め!」
ウィリアムのすぐ後ろにいたハンスは馬をグッと前に出した。陣形を崩してしまうので普通はやらない事なのだが、ハンスはどうしても自らの手でカウリを討ち取りたかった。
幾多の戦線で教えを受けたハンスにしてみれば、カウリは自らの教官であり、そして目指すべき師そのものだ。
「ウオォォォォォ!」
蛮声をあげ剣を振り上げたハンスは、遠慮する事無くカウリへとその剣を振り下ろした。対するカウリは巨木の如き右腕に持つ剣を振り上げ、ハンスの剣を払いに行く。耳を劈く金属音が響き、電光石火の光りが舞った。
「ハッハッハッ! やるじゃ無いか!」
一瞬のすれ違いで一撃を入れ損ねたハンスは再び剣を振り上げた。すれ違うフレミナ騎兵の最後列を一騎討ち取り、レガルド将軍に続いて進路を旋回させた。
「ハンス! 後れを取るな!」
「承知しました!」
再びグッと速度を上げて突入体制になったレガルド隊の騎兵は、意気軒昂に馬を走らせた。高々とかざされた剣の柄を握り締め、ハンスは他の誰でもなくカウリに狙いを定めた。
耳の中から音が消え、ついで周囲の騎兵たちが放つ気配も消えた。一直線に結ばれたハンスとカウリの間は三十完歩の距離だ。馬の一蹴り毎に距離が詰り、ハンスはグッと身体に力を入れた。
――その首 いただき申す!
「ソィヤァァァァ!」
半ば言葉になってない咆哮をあげ、ハンスはカウリへと斬り込んだ。今度こそ取ったと思った。完璧な間合いだと。そう確信したのだ。だが、ハンスの剣がカウリの首を捉える事は無かった。
剣の食み会う瞬間、カウリの馬はグッと奇跡の伸びを打った。半歩に満たぬ伸びではあるが、タイミングを計って打ち下ろす剣なのだから、その僅かな伸びで剣は威力を発揮し得ない。そして
――ドンッ!
ハンスは胸部から腹部に掛けて鈍い痛みを感じた。そして、それは痛いのではなく熱いのだと気が付いた。腹部のすべてから激しい熱と痺れが襲い掛かってきて、それに耐えようと左手に力を入れたつもりなのだが、全く手ごたえが無かった。
――アレ?
意図せず視界が下へと振れた。下腹部から夥しい血を流している自分に気が付いた。わき腹からはさっくりと切れた腸が飛び出している。気が付けば息すら吸えなくなっていた。
――負けた……
左腕を失い、馬の制御が出来なくなったハンスは、そのまま馬の上で止まるのを待った。鍛えられた軍馬は敵陣を通り過ぎてしばらく行くと、自然と速度を落とし先回に備える。だが、いまのハンスにそれは不要だった。
「ハンス!」
レガルド将軍の声が聞こえた。
振り返ったハンスは口から鮮血をほとばしらせ、口角を釣り上げて笑った。
そのまま身体から力が抜け、落馬したハンスは広大な荒地の上に寝転がった。
何処までも透き通る青い空が茜色に染まり始め、ハンスは自らの黄昏を知った。
――これで良い……
ふと見上げた先には、心配そうに覗き込むレガルド将軍が居た。
戦闘中と言うのにもかかわらず、ハンスを抱きかかえ『しっかりしろ!』と激を飛ばしている。その振る舞いにハンスは言い様の知れぬ満足感を感じた。そして、かすれた声で「申し訳ありません。将軍」と呟いた。
レガルド将軍が何かを叫んだのだが、ハンスはそれを音として捉える事が出来なかった。音と光りが少しずつ遠くなって消えて行くさなか、ハンスは涙を流すレガルド将軍を見た。それがハンス・アルターの見た最後の世界だった。
――同じ頃
「もう少し鞍の下を厚くしてくれ」
「畏まりました」
カリオンの愛馬モレラに専用の鞍を掛けていたウォークは、カリオンが指示した『鞍の下を厚く』の意味をよく理解していた。騎兵と同時に参謀学を公聴していたウォークは、実務と理論の両方をそれなりに理解している。
――王は…… やる気だ……
事前情報では、カリオン本陣の正面に布陣しているフレミナ軍にはオクルカその人が直接やって来ているという。言うならば『決戦』を挑む腹なのだろうとウォークは理解していた。
そして、太陽王カリオンは後顧の憂いを絶つために、直接自分の手で敵を刈り取っておく事を選択したのだと。
「王よ! どうかお考え直しを!」
調整の済んだ愛馬モレラの鞍に腰を乗せたカリオンは、必死になって止める臣下の者達を横目に颯爽とマントの丈を整えた。騎兵にとってマントとはファッションでは無く実用品なのだから、入念に丈を調整し戦闘に備える。
その傍らでは完全装備を調えたウォークがカリオンの愛刀を持ち、出撃する主の仕度が調うのを待っていた。その愛刀をウォークから受け取り腰へと佩たカリオンは、どこから見ても太陽王そのものである威光を放ち、ゆっくりと馬を進めた。
「余が行かねば父が飛び出して行ってしまうではないか」
ケラケラと軽く笑ったカリオンは流し目でゼルを見た。
本陣幕屋の前で椅子に深く腰掛けたゼルは、出発の仕度を調える息子の姿に言い様の知れぬ満足感を覚えていた。
「ですが、王にもしもの事があれば……」
必死になって食い下がる者達は赤心をもって諫言している。それについて些かの懸念も疑問も無い。だが、余りに心配性なのが少々鬱陶しいのも事実だ。
「その時は適当な人材を王に立てよ」
モレラを止め振り返ったカリオンは笑いながら言った。
「王が死んだくらいで大騒ぎするほどル・ガルは弱くない」
言葉を失って呆然と主君を眺める者達を余所に、カリオンは閲兵を始めた。
ジョージに与えた二個連隊を除く近衛騎兵連隊の主力一個連隊と、国軍第一騎兵連隊の選抜チーム約一個連隊相当になる合計二個連隊の合同騎兵団は、王直率という栄誉を前に興奮のさざ波を立てていた。
――少し落ち着かせないとまずいな……
過去幾度も見ている筈のカリオンだが、今日この日の騎兵たちは尋常じゃ無い入れ込み具合だった。前のめりになって功を焦れば戦線が崩れ戦況は乱れる。統制の取れた美しい勝ち方をせねばならないのだから、今必要なのはブレーキだ。
「諸君。余はそこまで散歩に行くのだが、同行したい者はいないか」
カリオンのジョークに閲兵を受ける騎兵たちが歓声を上げた。
指笛がなり響き、騎兵たちは自らの太刀を抜いて意気軒昂を示した。
――あぁ こりゃダメだ
何をしても無駄だと悟ったカリオンは、せめて統制だけはシッカリせねばと気合いを入れ直す。だが、その脳裏にはリリスの姿が浮かぶ。そして、自分自身が浮き足立っている事を知った。
「……宜しい。では、参ろうか」
苦笑いを誤魔化すようにクルリと背を向け進み始めたカリオン。そのすぐ後ろを一騎当千の強者が付き従っていく。誰からとも無くザンザンと手拍子が鳴り響き、勇壮に叫ぶ騎兵たちは、一斉にル・ガル国家を絶唱し始めた。
――あぁ慈しみ深き全能なる神よ
――我らが王を護り給へ
――勝利をもたらし給へ
――神よ我らが王を護り給へ
カリオンの右手がかざされ頭上で二回円を描く。『接敵前進。戦闘用意』の指示が示され、同行を許された騎兵たちはより一層の絶唱となった。
――我らが気高き王よ 永久であれ
――おぉ 麗しき我らの神よ
――我らが君主の勝利の為に
――我らに力を与え給へ
――王の御世の安寧なる為に
カリオンは剣を抜いた。
遠い日、祖父シュサに与えられた細身のレイピアは、今この時もカリオンの主兵装となっていた。どれ程手荒に扱っても決して折れたり曲がったりせず、また、どれ程敵を斬り伏せても刃こぼれひとつしない剣だった。
そのレイピアを頭上へかざし、そして前方へと振り抜く。『突撃用意』のサインはが示され、騎兵は最後のフレーズを大声で歌いながら、カリオンの左右へと並び始めた。
――神よ我が王を護り給へ!
馬の速度が少し上がった。
一瞬だけ振り落とされそうになったカリオンだが、グッと踏ん張ってモレラの動きに身を預けた。一面枯れ草と小石だらけの河原みたいな環境だ。落馬したら痛いだろうな……と、妙な心配をしていた。
「見えてきました」
「あぁ。見えてまいりましたな」
同行したウォークとクラウスは遥か前方にいる寒立馬のオクルカ軍を指差した。
幾多重層に陣を構えるその姿をカリオンも自分の目で捉えた。
「ウォーク! 余の軍旗を掲げよ!」
「承知!」
カリオンの直下へと馬の一を下げたウォークは、ル・ガル国軍旗を掲げる騎兵の間に割って入り、そこへ太陽王の所在を示す十字の光りの太陽王旗を掲げた。
その旗を見た騎兵たちは一斉に歓声を上げ、より一層ボルテージが上がった。他でも無い、太陽王自身と共に戦線を駆ける。戦場で華々しく躍動する騎兵は、その存在がすでに他の兵科の憧れなのだが、その騎兵の中でも太陽王直率の機動打撃群として掛ける事は最高の栄誉と言えた。
「天網恢々疎にして漏らさず! 我らが祖国に弓引く悪徒を一層せよ!」
再び愛刀を前方へと振り抜いたカリオン。
同時に愛馬モレラは全力疾走のギャロップへと移行した。
前進の筋肉が黒光りするほどに手入れされている馬ばかりだ。その速度は短足で背の低い寒立馬と比べれば二倍近い速度となる。
――お初にお目に掛かります……
――先輩
グッと顎を引きニヤリと笑ったカリオンは、恐れや迷いと言った者を一切見せる事無く、真っ直ぐにオクルカ陣営へ突っ込んでいった。