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希望と 絶望と


 ―――― 帝國歴 336年 10月 22日 夕刻







 真っ赤な太陽が西方山脈を目指し沈もうとしている頃、トウリは母ユーラや妹リリスとその母レイラ。そしてサンドラと付き人扱いに近いシルビア・オリビアを乗せた馬車を護衛し走っていた。

 よく鍛えられた馬は驚くほどの速度で走って居るのだが、やはりいかんせん馬車が重くあり速度は乗らない。中洲を飛び出て三十分ほどの所だが、後方の各所からはル・ガルの国家を叫ぶ国軍騎兵の勝鬨が聞こえてきた。


「……不毛な光景だわ」


 ボソリとこぼしたユーラは窓の外を見ていた。馬車を中心に五十騎ほどが走っていて、その後方には更に百騎近い騎兵が付き従っていた。トウリは左手を上げてペースダウンを指示する。速度を緩めた馬は汗を流しつつ荒い息を吐いていた。


「若!」

「ここで後続を待つ。ただし前進は続ける」


 騎兵としての教育を受けていない故の行動なのだが、軍人である前に政治家であるトウリは一つの賭けに出ていた。追撃してくるル・ガル騎兵は自分を知らぬわけが無い。上手くすれば女たちの馬車と一緒に捕虜になれる。


「若! もう少し駆けたほうがよろしいかと」


 オクルカの側近となっていたボリスは長年フレミナの王であったフェリブルと過ごしてきた男だ。オクルカから『トウリを援けろ』と付き添いに出されたのだが、その権謀術策に長け場数を踏んだフレミナの頭脳は、トウリにしてみればお目付け役と言う風にしか見えない。


「いや、このペースで行って後続を待とう。場合によっては敗残兵を糾合出来るかもしれない。一人でも多く連れて行きたいからな」


 ――いずれにせよ勝てない


 それはもはやボリスとてわかっていることだ。

 ただ、それならばせめて女たちを安全に逃がすのが最善の筈。

 つい数時間前の打ち合わせでもそう確認した筈だった。


 ――この坊やは甘すぎる


 ボリスはふとそんな事を思った。

 人間的に色々問題があったのは事実だが、それでもフェリブルは優れた王だったとボリスは信じている。必要な結果の為に犠牲を厭わない冷酷な姿は、逆に言えば目的達成の為に命を差し出す者にしてみれば、必ず目的が達せられる。自分の捨てた命が無駄にならないという妙な安心感にも繋がるものだった。


「トウリ」


 不意に馬車の中から声がかかり、トウリは馬車へと近づいた。

 止まる事無く進んで居る馬車なのだから揺れては居るのだが、それでもサスペンションが良く効いていて、驚くほど乗り心地は快適だ。


「母上。いかがしました」

「後ろはどうなの?」


 ユーラが何を言いたいかはトウリもすぐに解った。

 ユーラの向こうで心配そうにして居るリリスとその母レイラを見れば、話の中心はカリオンだとすぐに解る。


「後続は居ません。ここで速度を落として様子を見ますが、追っ手の無い事を思えばみな善戦しているかと……」


 言葉尻を濁したトウリだが、その耳は何かの音を捉えた。

 激しい打撃音と馬のひづめの音。そして、蛮声と断末魔の絶叫……


「速度を上げる! 全員後れを取るな!」


 トウリの脳裏に浮かんだのは後続の騎兵がル・ガル騎兵に喰われるシーンだ。

 フレミナ騎兵が決して弱いわけではない。ただ、あのシュサ帝の弔い合戦で見た鬼神の如き強さを知っているトウリにしてみれば、フレミナ兵はどこかひ弱にも見えるのだった。


「何があっても接近を許すな!」


 後続の騎兵は生きた壁でしかない。

 馬にしろ歩兵にしろ、戦闘力は正面と右側面が最大だ。


 つまり、追撃戦は追う方が一方的に有利となる戦い。

 逃げる側は無防備な後方を晒して走る事になる。


「後部集団は適宜反転し突撃を敢行しろ!」


 ボリスは非常の通告を出した。

 だが、それに粛々と従うのもフレミナ兵の恐ろしさだ。


「トウリ王! ボリス殿! 皆によろしくお伝えくだされ! チャルハナイのフンセは果敢に戦ったと!」

「承知!」

「武運長久をお祈り申す! では!」


 馬車と共に走っていた十騎程の騎兵がその場で反転し後続へと向かった。

 ややあって後方より、激しい蛮声が幾つも聞こえ、しばらくして静かになった。


 声を聞けば何があったのかはわかるだろう。


「フンセ殿! ご苦労でした」


 剣を抜いたトウリは馬上で礼を送った。

 一緒に走っている騎兵たちも同じように健闘を讃えた。

 太陽はどんどんと沈みつつあり、あと二時間もすれば完全に暗闇となるだろう。


「後続は?」

「……音がありませぬ」


 トウリの声にボリスがそう応えた。

 自然と馬の足は遅くなり、ややあって歩くような速度へと成り果てた。

 近くには小川があり、馬の水を飲ませるには最適だ。


「馬を休める。水を飲ませよう。人間のほうもな」


 状況を理解しようと努力するトウリなのだが、初めて経験する一軍の指揮に戸惑うばかりだった。








 その頃。

 中洲の周辺では文字通りの死闘が続いていた。


 フレミナ騎兵の主力を持たされたフェルディナンドは、寒立馬を使う北方騎兵ほどの戦力とは到底言いがたい騎兵を率い、国軍主力と対峙していた。

 その目に映る旗印は、太陽王カリオン直属の騎兵団長にして軍務総長を勤めるジョージスペンサー卿だと解る。

 太陽王の勅命により主力二個連隊を与えられた国軍の最高責任者は、その最強戦力となる騎兵を率いてフェルディナンドへと襲い掛かっている。地力の違いは如何ともし難く、フェルディナンドの隊は、縦横無尽に駆ける国軍騎兵に良いように喰われていた。


「各々死力を尽くせ! 手柄首なら恩賞は思いのままぞ!」


 少なくともフェルディナンドは立派な将だった。

 フェリブルと違い騎兵としての能力があるだけで無く、兵からの人望もあった。


 下々の者がおっかなびっくりと触れるような人間ではなく、胸を張って対等の付き合いが出来るタイプだったのだ。


「フェル! 右手に新手!」

「よし! 左だ!」


 機動力を最大の武器とする騎兵なのだから立ち止まる事はない。

 フェルディナンドは風を切って先頭を走り、その後ろに幾多の地を共に掛けた騎兵が続いていた。


「まだまだぁ!」


 右手に現れた騎兵を削るようにすれ違ったフェリブルは、大きく左へ旋回し再び襲い掛かる。右手一本で振り回すブロードソードは唸りをあげ、国軍騎兵が幾人も切り捨てられていた。

 ただ、そんなフェルディナンドの武双っぷりを黙って見ているほど国軍もヤワではない。二手に分かれ挟み撃ちをねらった騎兵たちの動きは、太刀を持てぬ左手からの一撃となる。


「えぇい! クソッ!」


 逃げ場を失い追い詰められたらフェルディナンドは、一瞬だけ焦りの色を顔に出した。だが、同時にその脳裏にはカウリの言葉が甦る。


 ──迷ったら死ぬ方へ……

 ──そうだ、何を迷っているのだ!


「各々! 我らこれより死地へ参る! 古今無双の絶景ぞ! しかと目に焼き付けよ! いざ!」


 フェルディナンドは迷わず左手側のル・ガル騎兵へ襲い掛かった。

 国軍騎兵はまさかこちらに来るとは思っておらず、一瞬だけその対応が遅れた。

 命のやりとりを行う現場でのその一瞬は平素の一時間よりも価値がある。


 その貴重な時間の全てを驚きと迷いで浪費した国軍騎兵たちは、代償として自らの命を差し出す羽目になった。すれ違いざまに幾多の首が跳ね飛ばされ、コントロールを失った騎馬は後続の邪魔となり多重衝突を起こしてしまう。


「ハッハッハッハッ! 愉快だ! 実に愉快だ! アッハッハッ!」


 一瞬で多くの首を取ったフェルディナンドは、再び大きく旋回して先ほど右手にいた国軍騎兵に襲い掛かった。ヒリ付くように痺れる死地を駆け抜けたフレミナ騎兵たちは、段々と恐怖に対する感覚が麻痺し始めていた。


 ──よしっ! 行ける! 行けるぞ!

 ──ル・ガル騎兵など恐れるに足りぬ!


 再びすれ違いざまに幾多の首をはねたフェルディナンドは、それまで自信を持てなかった『勝ち』を意識し始めた。すれ違う国軍騎兵たちは段々と数を減らしている。手強いが勝てぬ相手ではない事を感じている。


 ──決して斃れぬ兵などいない

 ──機を見て撃滅し勝利せよ


 フレミナ騎兵に伝わる戦陣訓を諳んじたフェルディナンドは、もう一度大きく旋回し、撃ち漏らした国軍騎兵を全滅させようとした。手綱を返して馬がその進行方向を大きく変えていく。

 世界が周り景色はがらりと変わる。そして、フェルディナンドの目に飛び込んできたのは、先ほどの三倍は居ようかという騎兵の津波だった。


 ――ほぉ……


 騎兵同士の戦闘ならば気合いと度胸と腕っ節の強さで、場面場面の勝ちを拾うことは出来る。ただ、総論として軍の勝ちを左右するのは最終的に数だ。戦いとは数なり。いついかなる時代や国家や組織であろうとも、この一大原則から逃れることは出来ない。


 ──ッチ!


 小さく舌打ちしたフェルディナンドは一瞬だけ後方を振り返った。

 気が付けば二割程度の兵を失っている。


 ──続行するべきか

 ──兵を持ち帰るべきか

 ──カウリ殿 如何しましょうや


 答えの出ない難しい問題にフェルディナンドの頭は沸騰する。

 だが、その沸き立った頭が冷静に戻るまで戦は進行を止めてはくれない。


「誇り高きフレミナ騎兵よ! 我に続け!」


 貴重な貴重な時間の全てを無駄にしたフェルディナンドには、正面衝突の突撃しか選択肢が残ってはいなかった。太刀を大きく振って血糊を払い、フレミナ騎兵を率いて切り込むことを選んだフェルディナンドの脳裏には、サァサァと粉雪の舞うフレミナの里が浮かんだ。

 冷え切った空気の中、家族で囲炉裏を囲み食べた鍋の味が口に甦った。妻が居て父フェリブルがいて 母の姿もあって。甥っ子や姪っ子達がワァワァと歓声を上げながら走り回っていた。王都ガルディブルクと比べれば、どこか貧しいフレミナの里だが、それでも楽しかった……


 ――白き美しき我が故郷

 ――白妖の舞うフレミナの故郷

 ――母なる大河フーラに抱かれし故郷

 ──もう一度あの飯を喰いたかった


「ウオォォォォォォォォ!」


 フェルディナンドは全ての邪念を振り払うように蛮声をあげた。

 そして、使い込んだ太刀を振り上げて切り込んでいく。


「ゴーラ! レ! フーラ!」


 フェルディナンドの咆吼にフレミナ騎兵が応えた。

 グッと速度を上げて斬り込んでいく騎兵の列は、迷う事無く真っ直ぐに進路を取った。

 その先頭で三白眼に敵を見据えたフェルディナンドの眦から、透き通った涙が一滴、流れ落ちていった。



 申し訳ありません。

 明日は一日お休みです。

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