太陽王は修羅の道
―――― 帝國歴 336年 10月 22日 午後
寂れた街道の小さな宿場町郊外で始まったフレミナとル・ガルの第二ラウンドだが、ル・ガルの国軍騎兵は三十万に達する巨大戦力を持って断続的に激しい攻撃を続け、フレミナ騎兵を一方的に蹴散らす戦闘を繰り広げていた。
そして、フレミナ側は敗走に次ぐ敗走を重ね、なんとか体勢を立て直そうと大きく後退を繰り返し、その合戦の舞台は大きく場所を移していた。その関係でカリオンはこの日、名も知らぬ大きな川のほとりに本陣を置いていた。
「完全に袋のネズミですね」
「まぁ上出来だろう」
フレミナの生き残りを大きな中州へと押し込めたル・ガル国軍は、中州を取り囲むようにネズミ一匹通さないような幾重にも渡る分厚い攻勢防壁陣地を築いた。
古来より兵法に曰く『山川を越えて陣を張れ』と言う。そんな教えをカリオンに授けたゼルは少々疲れ気味状態となっていて、本陣奥底の幕屋前で戦況卓を横目に椅子へと腰掛け、グッタリとしているのだった。
「今日は何をしましょうか」
「そうだな」
楽しそうにニコニコと笑うカリオンは、今にもフレミナ陣地へ総力戦を挑みそうな勢いだ。手を伸ばせば届くような距離にリリスがいる。その事実にカリオンの気が逸っている。浮き足立つそんな息子を前に、ゼルは柔らかく笑むだけだった。
「いっそ撃って出てくれれば楽なんですが」
「楽な道を願うな。困難な道を選んで歩け」
「そうですね。困難が人を鍛えると言いますから」
揉み手をして気を急かしているカリオン。
ゼルは笑うだけだった。
「いっそ、一気に逃げてくれれば、彼らを追い上げていくんだがな」
「……なるほど。ですが父上。次は留守番ですよ」
ゼルにしっかり釘を刺す事も忘れないカリオンは、都合五日ほど逗留した宿を引き払い、ゼルの監視をするように完全に行動を共にして前進に次ぐ前進を繰り返していた。
その関係でゼルはル・ガルの国軍と一緒になり、この何日かを荒地の中のテントで過ごしている。野宿一歩前の野営も過去を振り返れば一度や二度でないのだが、この戦役ではどうにもゼルの身体が、いう事を聞かない状態だった。
「歳は取りたくないものだ」
「……父上」
寂しそうに笑ったゼルをカリオンは複雑な表情でみていた。
生物の種として絶望的な差がついてしまう『寿命』の悲しさを、カリオンは嫌という程感じた。そして、こればかりはいかな太陽王とて、どうしようもない事なのだと、そう悲嘆に暮れる。
「遅かれ早かれ、生物は死を迎える。それは仕方がない事だ」
「ヒトの寿命は短すぎます」
「そんな事はない。ヒトの世界だと、犬の寿命はだいたい十年ないし十五年だ」
「え?」
驚いたカリオンは目をまん丸にしてゼルを見た。
「先に産まれたものは記憶と経験を次の世代に遺す。後に産まれたものは、その記憶と経験を引き継ぎ、より発展させる。そして、先に死んだものがやがてまた生まれ変わってこの世界へ生まれ落ちた時のために……」
ゼルは僅かに微笑んでカリオンを見た。
「俺はどっちの世界で生まれ変わるんだろうな」
「この世界で、このル・ガルに生まれ変わってください」
「それは神のみぞ知る事だ」
冷たく言い放ったゼルは空を見上げ、全ての運命を逍遥と受け入れるしか無かった者の悲哀を漂わせた。その中身がなんとなく察しのつくカリオンも、小さく溜息を零し空を見上げた。
高い高い秋の空は、その青さがいっそう目に染みる頃だ。降り注ぐ白い光りに目を細めたカリオン。ゼルは無理やり楽しそうに笑ってカリオンを見た。。
「あの宿の主人。お前の与えたマントを家宝にするぞ」
「……そうですかね?」
強引に話題を変えたゼルの気遣いをカリオンは感じた。そして、これを出来るようにならねばと考えた。これは王の差配の一部なんだと、父ゼルは手本を見ててくれている……と。
「そうするさ。市井にある者とすれば、王から直接下賜された品など自慢の種だ」
「なら、もう少し価値のある物にすればよかったですかね?」
「そんな物を与えたらあっという間に盗人の餌食だな」
「……難しいですね」
苦笑するしかないカリオンだが、ゼルは小さく掛け声を発して椅子から立ち上がった。痛む関節をいたわる様に軽くストレッチすれば、身体中からパキポキと音がこぼれる。苦笑いをカリオンにおすそ分けして、ゼルは戦況卓へ目を落とした。
「さて、どうなるかな……」
中洲の大きさをザックリといえば、王都の巨石インカルウシが作った砂洲ミタラス二枚分と言うところだ。少数が立て籠もるにはうってつけで水の心配も無い。川の流れは天然の堀となっていて、その周辺を囲む国軍騎兵にしてみれば、川を渡渉しつつ敵の矢を受けかねない危険性がある……
「ここはどこになるんだろうな」
ポツリと漏らしたゼルの一言だが、その話しを聞いていたクラウスは何かを察して口を挟んだ。兵を無駄死にさせないのがゼルの美徳なのだから、場所を把握しようとする努力はつまり、最後の一線――犠牲を顧みない攻勢――を越えるか越えないかの判断材料だと思ったのだ。
「特に地名はないとのことてすな。地の者に話しを聞くにしたって、そもそもが荒れ地故に誰も住んではおらず、偵察隊の報告では周辺五リーグに人煙は認められないとの事です。まぁ、西方山脈を越え、さらにもう一つ山並みを越えれば大陸西部の海岸地帯に出ますから、わざわざこんな辺鄙な所に住もうなどと言う物好きもおりますまい」
セラセラと控えめに笑ったクラウス。
ゼルはその言葉に複雑な表情を浮かべた。
「どんな荒地でも住もうと思えば暮らすことは出来よう」
「水もありますからね」
「そうだな。やがて大きな街になるかもしれないな」
適当な相槌を打って笑ったゼル。
その幕屋へ報告の伝令が飛び込んできたのは、あまりも出来過ぎた偶然だった。
「包囲網東部シャウプ大佐の責任範囲に置いてフレミナ騎兵渡渉の動きあり!」
「……ほう」
ゼルは早速戦況卓へ状況をプロットし始めた。ゼルとカリオンの陣取る幕屋から見れば、ちょっと距離があるなという程度のところだ。
「さらには、包囲網最北部、レガルド将軍布陣の地域でも渡渉突撃を試みる動きがあります」
「二方面作戦ということだと、どちらかが首脳脱出でしょうね」
カリオンも同じく戦況卓を眺めているのだが、その卓を前にゼルは静かに思慮を巡らせていた。状況を見れば打って出ることは考えにくい。つまり、フレミナの里へ逃げ帰る可能性が高い。
しかし、その肝心の地域はスペンサー卿が入域し、着々と体制を整えつつあるはずだ。つまり、逃げるべき所は無い。と、なれば……
「このまま行けばフレミナの首脳陣は全部難民化しますね」
軽口を叩いたカリオンは卓から目をそらしゼルを見る。
そして驚いた。ゼルは手を顎に添えて真剣に思慮を巡らせている。
「フレミナの首脳部はどこへ逃げようとしているのだ……」
「逃げますか?」
「あぁ。賭けても良い。三十六計逃げるにしかずだ」
ゼルの目は、参謀部地図課の製作した応急戦域地形図と広域地略図を、何度も何度も交互に見ていた。
「彼らは尻に帆を掛けて逃げ出す」
「どこへですか?」
「今それを考えている」
真剣な表情で考え込んでいたゼルの脳裏に、ふと、シウニノンチュという言葉が浮かんだ。自分でも説明が付かない直感だった。ただ、一度思い浮かんだその地名を冷静に考えた場合、そもそもに統一王ノーリの拠点となった難攻不落の都市と言うだけの事はあると気が付く。
――どうやってシウニノンチュを押さえた?
――そもそも、ここに居るのがフレミナの全戦力と言う事は無い……
――主力をこちらに向け、予備戦力でシウニノンチュを攻略……
――ひと思いに全滅させて、都市その物を乗っ取る……
ゾクリと悪寒の走ったゼルは面倒な事を頭から追い出し、思慮を別の角度に差し向けるべく努力を重ねた。だが、どれ程頑張ってもゼルの頭は切り替わらない。
あのテラスから見下ろした街並みにフレミナの兵が居座り、街の入り口となるすり鉢の底の様な街外れからル・ガル国軍が侵入を試みる。街の上段や中段から矢を雨のように降らし、幾つもクランクになった街の中央通りは全ての角に罠を仕掛けてある。
――ありえない…… と、そう信じたい……
血の気が引いたゼルは顔色を悪くしながら思慮を重ねた。
そんな時、幕屋のすぐ近くへ迫ってくる蹄の音があった。
「急報! 急報!」
目を精一杯まで見開いたゼルは、小さな声で『まさか』と呟いた。だが、その声が耳に入らなかったカリオンは急報となる伝令文書を受け取り、広げるのももどかしく乱暴に広げ読み始めた。
「……ありえない」
急報として飛び込んできた機密文書には、シウニノンチュ炎上と書かれていた。
地面へと視線を落としカタカタと震え始めたカリオン。パサリと小さな音を立てて床に落ちた急報文を読んだゼルもまた『ウソだろ』と呟いた。
「ウォーク!」
「はっ!」
「王都へ急報文を送れ! 残存戦力を持ってシウニノンチュを奪回せよ!」
「まさか!」
「そうだ! フレミナの別働隊がシウニノンチュに立て籠もった!」
「では! 今すぐ『ちょっと待て』え?」
走り去ろうとしたウォークをゼルの声が引き留めた。地略図を精査しているゼルは、ここから北部のシウニノンチュまで、馬の足で二十日の計算を立てた。それだけの日数があれば、フレミナの首脳をすり潰す事も可能だろうと踏んだのだ。
「カリオン。冷静に判断しろ」
「ですが!」
「ここからシウニノンチュまで二十日と言う所だろう」
「……はい」
「奴らをまず中洲から追い出す。そしてシウニノンチュへの旅を決断させよう」
「でも、どうするんですか?」
「シウニノンチュまで何人たどり着けるかな」
ニヤリと笑ったゼルは参謀陣に戦況卓周辺へ集まれと指示を飛ばした。
「状況はこちら側に好ましい物へと変化しつつある」
「え? まさか!」
「いや、よく見ろ。ここからシウニノンチュまでは事実上一本道だ」
ゼルにはゼルなりの目算があった。現時点で既に絶望的なほどの戦力差だ。そして、追撃戦は馬の足的にこちらが有利。ならば巣穴から上手く追い立て、平原で少しずつ敵兵を減らすのが上作だろう。
「いま、渡渉を試みている連中は囮だろう。こっちがそれに対応している間に本体が脱出する可能性が高い」
自信たっぷりに説明を始めたゼルは戦況卓の上に線を引き始めた。
その線が延びていく様を見ながら、カリオンは生徒のように質問を始める。
「なぜですか?」
やや腰を屈め平面に近いところで戦況卓を見たカリオン。
その目線の高さに合わせて、ゼルは小石を地図の上に並べた。
「完全に包囲されている状態で破れかぶれの突撃を敢行するなら、真正面から突入してくるのが筋だ。後方で、尚且つ目につく場所から渡渉を行うなら、こちらに動いてくれと言う願望の発露に近い。つまり」
ゼルは戦況卓の上に並べた小石で国軍の包囲網を再現し、その隙間目掛けて伸びていくチョークの線を走らせ続けた。
指の隙間から砂がさらさらと零れるように、フレミナの騎兵は幾多の筋に別れて隙間を抜けていく。その線をじっくり目で追ったカリオンは、はたと気が付く。
「川を渡って明後日の方向へ逃げ出して…… 気を引く」
「そうだ。こっちがそれに気を取られているウチに、主力が逃げ出すと言う事だ」
その伸びた線沿いに小石を移動させれば、包囲していた小石の数は減り出す。
ゼルはその状態のままフレミナの陣地を眺めた。
「啄木鳥の兵法は別働隊を回し挟み撃ちを狙うものだが、これは太古の昔から皆考える古典的な作戦だ。そして、古典的故に対処法も類型化されてしまっている」
再び戦況卓へ戻ったゼルは地形図をジッと見た。
「ソレと同じだ。幹部や首脳部が脱出するために囮が出るのは定番に過ぎる。だからこそ彼らの目論みを粉砕する事が大事だ。周辺に展開している騎兵を一斉に渡渉させ圧力を掛けよう。ただし、一カ所だけ隙間を空けてな。蜂の巣を突いたように彼らはそこから飛び出していくだろう。後は、全速力でそれを追撃すれば良い」
カリオンへ目をやったゼルは『わかるだろ?』と言わんばかりの表情だ。
中洲で全滅させてしまえば、女たちを手に掛けて自決の道を選びかねない。
故に、脱出路を作って追撃に及ぶのが吉……
「カリオン。抜かれないぞ?」
「そうですね。成功させねば」
グッと握り拳を作って薄く笑ったカリオンは、振り返って参謀陣や各軍団の将軍へ指示を出し始めた。
「包囲環の左右へ渡渉突撃を命じる。ここから見てあの中洲の反対側はシウニノンチュへ続く街道にほど近いだろう。一斉に動き出す事は無い。命令を受けてから順次ゆっくりと行動を開始せよ。裏手が最後に動き出すなら、彼らはそこから逃げ出すはずだ」
命を受けて一斉に動き出す幕屋の中、ゼルはジッと戦況卓を眺め続けた。
もはや中洲での回収は望み薄となった。ならば道中でレイラを取り戻したい。
――さて……
――上手くやってくれよカウリ
――リリスとレイラだけじゃ無い
――みんな取り戻したい
街道をひた走る馬車をイメージしながら、ゼルはふと昔の話を思い出した。
――馬車から身を投げるとかするんじゃ無いぞ……
悪いイメージを頭から追い払いつつ、ゼルは愛刀の抜け落ち留めのピンをそっと引き抜くのだった。その背に、静かな闘志を漲らせながら……
同じ頃。
名も知らぬ川の中州へと押し込まれていたフレミナ一派は、オクルカを筆頭に着々と脱出の算段を練っていた。
「では、シウニノンチュの街は陥落しているですね?」
「予定ではな。現時点で確認するすべは無いが」
オクルカとフェルディナンドは地図を前に討議を重ねていた。
双方ともに土地勘は全く無いが、ル・ガル帝國地理院の地形図は持っている。
フェルディナンドはこのような辺境にまで測量の手が入っている事に驚いた。
「もしかすると……」
ボソリとこぼしたフェルディナンドの言葉には、微妙な後悔の色が滲む。
「実はとんでもないバケモノ国家じゃないのか。ル・ガルとは」
「今さらなにを言っておる。まぁ、フレミナの里へ引き篭もっておったのだから仕方もないがな」
慰めるでも突き放すでもなく、カウリは率直にそんな言葉を吐いた。
国土の隅々までキチンと測量され尽くしているル・ガルなのだから、何処まで行ってもカリオン側のほうが有利だといえる。ただ、カウリにとって誤算なのは、カリオン一派はゼルを筆頭とした機動打撃群の余りにも動きが早すぎて、詳細地形図などを持参する軍測量部が同行しておらず、双方共に地形的な部分では手探りでの戦闘になっていることだった。
「……とりあえず姫らの馬車を優先して脱出させる。目指すはシウニノンチュだ。伯父上殿。よろしいか?」
話を振られたカウリはやや不機嫌そうな表情を浮かべ、大まかな地図を前にチョークで線を入れた。中洲の中にいるフレミナ兵の大きな流れが浮かび上がった。
「よろしく無い訳が無かろう。男と違って女は弱い。確実に脱出し、シウニノンチュへ入城する。手順は簡単だ。儂を含めオクルカとフェルディナンドの三人で三方へ一斉脱出を行なう。カリオン側は釣られてそれぞれに喰い付くだろうさ。王の前で手柄を上げたい下級貴族の小倅など掃いて捨てる程おる」
何がそんなに不本意なのかと訝しがるほどカウリは不機嫌だ。
だが、そんな事に構っていられるほどオクルカもフェルディナンドも余裕がある訳では無い。フレミナの二人はカウリが指し示すチョークの線を見つめていた。
「相当な追撃を覚悟せねばならん。が、まぁ、どれかが生き残るだろう。カリオン側の主力を中洲の包囲から引き剥がした時点で女たちの馬車を脱出させる。トウリはサンドラと一緒に馬車で駆けろ。お前が最後の将だ。どれかが生き残るだろうが全滅も覚悟せねばならん。とにかくフレミナの血を外へ持ち出す事が重要なのだ」
カウリの戦闘概略を聞いていた三人は揃って『はい』と回答した。その中にいるトウリは騎兵としての教育を一切受けいない。だが、その父カウリはシュサ帝直近の宰相であり近衛騎兵だけで無く国軍騎兵の全てを預かったル・ガル騎兵の長だ。
そのカウリから直々の稽古を付けられたトウリは、国軍騎兵所属ないっぱしの胸甲騎兵並に馬を扱えるし戦術も理解している。なにより、『騎兵精神』を受け継いでいると言って良い。
「万が一、三方へ脱出した騎兵全てが全滅した場合、自分も最期の突撃を敢行して良いですか?」
建前上はフレミナに認証されたトウリが格上の筈。だが、トウリは年上のオクルカに念のための確認を入れた。携帯電話など無い世界における情報の齟齬は、それだけで命取りになるような重大な事態だからだ。
「いや、シウニノンチュにはフレミナ騎兵の最後の中隊が居る筈だ。そこへ行き、残存兵力を束ね再興を計って欲しい。フレミナの血を絶やさぬように」
オクルカは懇願するような眼差しでトウリを見た。伯父カウリと同じくフレミナの血は半分しか入っていないトウリだが、それでもフレミナの王を長らく勤めてきたフェリブルと直接繋がった血筋だ。
その名門の血統をここで絶やすのは得策では無いし、末永く繋いで行く事こそ今を生きる物の努め。そして定めだ。
「解りました。では、必ず走りきりますので、後ろをお願いします」
「そうだな。トウリとサンドラを逃がしきる事が最大の任務だ」
グッと拳を握りしめたオクルカは地図の上の線をジッと眺めた。いずれにせよ先ずは包囲線を突き破る必要がある。戦の常として包囲殲滅戦に陥った場合、外部からの支援無しに無事な脱出は不可能だ。
「……増援は望めず、馬は疲れ切り、兵は希望をなくしている。だが、それでも我々はやらねばならぬ。悲壮な顔を見せず兵を鼓舞しよう。それが我々の任務だ」
カウリは静かにそう呟き、馬上マントを肩へ掛けた。シュサ帝と共に幾多の戦場を駆け抜けてきた歴戦の武人は、まるでスイッチが入ったかのように纏う空気を一変させた。
それは、カウリを見ていたオクルカやフェルディナンドだけで無く、親子として長年暮らしたトウリすらも驚く様な熱く震えるオーラだ。見る者を自然と奮い立たせるような、そんな迫力だ。
「立派な上官を演じ、死地へと征く兵に安堵を与えよ。さすれば最後の一兵まで悉く死力を尽くすであろう。必要なのは理由や建前じゃ無い。心を震わす熱い思いなのだ。誰かの理由では無く自らの大義に昇華させねばならん」
太く無骨な拳が傍らにあった馬上槍を掴んだ。刃を包むカバーを取れば、よく手入れされたその穂先は鈍く輝き、僅かな隙間から入ってくる柔らかな光りを眩く反射させていた。
「我々は死ぬだろう。だが、死してなお名は残る。いや、残さねばならぬ。次の時代を生きる者達に熱い心を残さねばならぬ。負け犬のまま世を去るな。最期まで抵抗した誇りを遺せ。いいな」
カウリは淡々と、しかし、赤々と。燃え上がるような激を飛ばした。震えるような熱い言葉にオクルカやフェルディナンドの顔が変わった。
「フレミナの誇りを!」
誓いを求めるように右の拳を突き出したカウリ。
その拳目掛けオクルカが拳をぶつけた。
「誇りを!」
どこかナヨナヨとしていたフェルディナンドですらも表情を変え拳を宛てる。
「そうだ。意地を見せよう。熱く掛かろう」
オクルカとフェルディナンドの顔を順番に見たカウリは、僅かに首肯し低く轟くような声音で言った。
「生きるか死ぬかの土壇場に立った時は死ぬほうを選べ」
突如カウリの口から飛び出したとんでもない言葉に、オクルカとフェルディナンドは一瞬だけ怪訝な顔をした。だが、カウリは奥する事無く言葉を続けた。
「このまま進めば死を免れんと察した時は、より一層速度を上げて突っ込め。儂の経験から言えば、その方が生き残る事が多い。死地へ赴く戦の時は、死に物狂いでこれに掛かる兵の多いほうが生き残る。兵が生き残りたいと死力を尽くす時こそ、騎兵は最大の威力を発揮するのだ」
怪訝な表情を浮かべたオクルカとフェルディナンドは、カウリが歩んできた苛烈な騎兵人生の中身を垣間見た。生涯数百戦と言われ、好んで殿を引き受けたという騎兵総長の経験論は、まだまだ若いふたりの騎兵に受け継がれる……
――注進! 注進!
突然伝令が姿を現し、フレミナ側の司令部に緊張が走った。
「どうした!」
「カリオン王の騎兵団! 南側より渡渉突撃の動きあり! 盛んに瀬踏みを行い川の浅瀬を確かめております! 東部!及び北部で準備中だった我が方の渡渉準備には矢を射掛けられております!」
伝令の声に『ハッ!』と笑ったカウリは楽しそうに笑った。
「オクルカ! まだまだ楽しめそうだぞ! あの小僧はやる気だ!」
馬上槍を肩に担いだカウリは愛馬の鐙を踏みしめ馬上へと上がった。見上げる形になったオクルカやフェルディナンドは、カウリの向こうに眩い太陽を見た。
「そう簡単に太陽王にしてたまるか! 太陽王は修羅の道ぞ! ワッハッハッ!」
楽しそうに笑ったカウリは馬上から叫んだ。
「オクルカ! フェルディナンド! 夢を見ろ! ただの夢じゃ無いぞ! 男の夢は野望と書くのだ! 天に確たる意思など無く、未来は誰にもわからない! だから己の夢に殉じろ! 夢破れて野辺の屍に堕ちるとも、敗者の生き恥を晒して生きるよりはましだ! 精一杯生きて死ね! 愚か者と民草は笑おうとも、天は笑いはしない!」
一人かってに盛り上がり『いざ参らん!』と馬を出したカウリ。
血で血を洗う激戦が常の追撃戦は、鮮血に染まった真っ赤な幕を開けた。