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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
幼年期 ~ うたかたの日々
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 その晩。

 シュサの寝所へエイダを押し込み、そこを離れない様に仕向けた後。

 ノダは兄弟の様に育った従兄弟カウリと北伐の相談をしていた。

 トウリの父カウリの祖父はノーリだ。彼もまた太陽王の血を色濃く受け継いでいた。


「サクゥ峠を越えた北の地域はまだ未着手だ。どんな情勢かも解らない」


 地図を広げ論議を重ねるカウリ。

 ノダはペンを使ってあれこれ考察を書き入れながら行軍の算段をしている。


「どう計算しても兵糧が足りないな」

「あぁ。途中で徴発したところで五個師団が食べるには足らないだろう」

「輜重団列を編成せねばならないな」

「それだけじゃなく、補給廠も必要だ。輜重団を分割し、拠点毎に往復させねば輸送側が先に音を上げるだろう」

「峠を二つ越えるのは厄介だな。下手をすれば兵糧責めだ」

「全くだ」


 頭を抱えた二人のイヌが顔を突き合わせため息をこぼしていた。

 そんな重い空気が漂う中へ入ってきたのはゼルとエイラだ。

 小さなプレートにワインのグラスを乗せてやってきた。


「兄さん。また戦の算段ですか?」


 怪訝な声色のエイラはノダをジッと見た。

 つい先日、北伐から帰ったばかりだというのに、再び戦の算段なのだ。

 いくら何でもやり過ぎという印象をエイラは持った。


「……重々承知しておる」


 ノダもまた渋い表情だ。


「そうは言ってもな。エイラ。こっちが疲弊している時は向こうも疲弊している。だから、最後は国の体力勝負で畳み掛けるしかない。そうしないと、今までの犠牲が無駄になるからな」


 助け舟を出したカウリとて、ハイピッチ過ぎるのは重々承知なのだ。しかし、ル・ガルは度重なる祖国防衛戦争を経験しているのだ。一歩間違えば祖国統一という事業そのものが水泡に帰す瀬戸際まで何度も追い込まれたイヌにとって、絶対安定圏を作りあげ強力な防衛ラインを構築する事が急務であり悲願でもある。

 北へ攻め上る北方方面軍はノダ隷下の一〇個師団とゼルが預かる三個旅団が全て。その兵力を生かし、北方系種族との国境を確定させ、不用意な侵入に備える体制を作り上げねばならない。


「しかし、こう戦続きでは民も辛いですよ。これ以上の徴税は不可能ですし、市民向けの厚生制度を縮小すれば人心が離れてしまいます」


 エイラの言葉にノダとカウリが顔を見合わせた。共に眉根を寄せ困っているのだが。


「この夏は半分程度で遠征しようと思っていたが、さらに減らして現状維持を狙うか」


 耳の後ろをボリボリと掻いたカウリは、地図の上に大きく線を入れ、そう提案した。

 一度は北へ大きく押し上げた暫定国境線を南へだいぶ引き下げ、少ない兵力と軽い負担で次の冬を越える作戦だ。


 民衆から徴兵する人民軍を大きく減らし、貴族や豪族の私兵を使えば、おそらくは可能な範囲と思われる。

 だが、大きく押し上げる縦深戦闘で犠牲になった兵士は、文字通りの犬死にになってしまうだろう。


「どっちにしても痛い決断が必要になるな」


 ため息と一緒に言葉を吐き出したノダの顔には、深い苦悩の色があった。国を預かる事に比べれば、まだまだ軽い事なのかも知れない。国を与り最後の決断を下すのは、今よりも遙かに辛い事だ。

 今のうちに散々悩んで迷って苦しみ抜いて、そしていつか三兄弟の誰かが王となる日には優秀な大臣となるために。シュサ帝の考えた『人の育て方』は、こうやって難しい判断を積み重ねる事なのだった。


「ところでカウリ」


 場の空気を変えるようにゼルが口を開いた。


「また妾を増やしたんだって? それもヒトの女を」

「兄貴、それどこで聞いた?」

「いや、噂話を耳にしただけだ。街の噂だ」


 ゼルの軽口にカウリが途端と不機嫌になった。

 あからさまにいやな顔をしている。


「俺のヒト嫌いを知らない兄貴じゃ無いだろ」

「もちろん知ってるさ。だから驚いたんだよ」


 ニヤニヤと笑うゼルは一気に畳み掛けた。


「あのヒト嫌いのカウリがヒトの女に溺れてるってあり得ないだろって」

「馬鹿を言わないでくれ!」


 急に声を荒げ不機嫌になったカウリは露骨にいやな顔をして、テーブルにペンを投げた。だか、そのカウリの兄ゼルは構う事が無い。下世話な表情と態度で根掘り葉掘り聞き出す作戦のようだ。そんな兄ゼルをカウリは睨みつけていた。


「なんでも戦の途中でヒトの女を手に入れたとか聞いたぞ。行軍中に兵士から取り上げたとか」

「あれはイヌだ! 若い兵士がヒトと勘違いして……」


 一瞬、焦りの色が浮かんだカウリはノダを見た。

 カウリの預かる騎兵師団の不祥事をカミングアウトしたともいえる。


 通常、イヌの国軍は兵士の狼藉を厳しく取り締まる。

 軍の規律を維持するためなら憲兵隊は相当の処置をも許されていた。

 行く先々で火事場泥棒を働いたり、あるいは、婦女子への暴行強姦に及んだ場合。

 憲兵は問答無用で手を下し処分する事が認められている。

 むしろ義務付けられていて、黙認した場合は憲兵が処分される。


 そうでもしなければ、厳しい戦闘を繰り返し精神的に荒んでいく兵士の規律を維持できないのだ。


 だからこそ、ヒトの女が重宝されるとも言える。

 ヒトは人間の範疇に入っていない。


 故に暴行まがい強姦まがいの行為でストレス解消をはかるイヌが後を絶たない。

 体格と体力で全く次元の違うイヌの男がヒトの女を手荒に扱えば、その末路など推して知るべしである。


「……耳と尾を切られヒトの遊女に見えると言うだけだ。だから俺が保護したんだ。まぁその後は成り行きだ」

「なんだそりゃ」


 ヒトは誰かの資産、財産かも知れない。

 故に、その様な事態は『無いことが望ましい』と言うレベルだ。

 イヌは罪に問われにくいし、問われても窃盗か器物損壊程度の扱いだ。


 だから、借金のカタに色街へ沈むイヌの女や、軍を相手にした風俗産業などでは、そういったひどい仕打ちの果てにヒト扱いされるイヌが紛れている事がある。


「俺が聞きたい位だよ。なんせ、なにも覚えてないんだ」

「覚えてない?」

「あぁ。フィェンゲンツェルブッハの近くでネコの騎士団と軽くやりあった事があってな」


 その話にノダが食いついてきた。


「そんな話は初めて聞いたぞ?」

「あぁ、セダ公は知っているが、しばらく前からネコの騎士団が草原で機動演習をしておってな。たまたまそこを通りかかった時に偶発遭遇してしまい、そのまま本気でやりあってしまった」

「で、どうなったんだ?」

「あぁ、ネコの側はほぼ全滅し、一人二人は生き残ったようだが……」


 カウリは心底忌々しそうにしていた。


「その後になって周辺を捜索したら、草原の中に女が一人倒れていた。病気らしくてな、手持ちのエリクサーを与えてみたら何とか快復したんだよ」

「エリクサーを与えたって?」

「あぁ。見つけた兵士によればトラおたふくで死掛けていたらしくてな」


 沈痛な表情のカウリ。

 だが、仮にもアージンに連なる王家の血筋なのだ。

 貴重なエリクサーの浪費など、余り望ましい事ではない。


 ゼルだけでなくノダもまた、カウリの話を黙って聞いていた。

 場合によっては処分しなければならないのだ。

 カウリの振る舞いが正しい行為であれば避けられる。


 有る意味。

 身内とも言えるカウリが刑場で跪き、執行官の手により首を跳ねられるところなど見たくはないのだれろう。


「それにしたって、その女を妾にするとは、どういう風の吹き回しなんだ?」


 根掘り葉掘り聞いているゼルの態度は、ノダから見たら単に興味本位になってきた。

 ニマニマと笑う姿は、単なる猥談目的なおっさんのそれである。


「どうもな、フィエンの街で遊女をしてたようなんだ。それで、ヒトな上に遊女なら良いだろ?って、西の駐屯地トゥリグラードの中で一兵卒がとっ捕まえて慰み者にしようとしてたからな。ヒトじゃない!イヌだ!って言ったら、今度はそれを譲ってくれって言い寄ってくる奴が多くてな。これは俺のもんだ!って流れで啖呵を切ってしまった。だからわしが保護した。それだけだよ」

「そうか」

「それに、どうも相当酷い扱いをされていたらしく記憶がすっぽり抜け落ちていてな。名前すら思い出せなくて最初は大変だった。トラおたふくから快復した後は中々甲斐甲斐しく働いてくれるもんで便利だったんだよ」

「へぇ……」

「もっと言うとな。遊女だけあってか、なかなかどうして床上手でな」


 カウリの表情から厳しい表情が抜け落ち、スケベオヤジの本性が姿を現した。

 そんな姿に今度はエイラが嫌な顔をしている。


「一昨年の頭に子を儲けたのだ。母親似で美人だぞ?決して親馬鹿じゃ無いがな。そうだ、エイダと同じ歳に当たるんだから、許婚(いいなずけ)にどうだ?」


 逆襲モードに入ったカウリ。

 だが、その表情の中にスケベオヤジとは違う策士の顔がチラリと見える。

 このまま行けばエイダが太陽王の宣下をするかもしれない。

 ノダを含めシュサ王の子らが独身である以上、シュサの次の次に当たるノーリ直系はエイダだけだ。


 マダラが帝を名乗った事は無いのだから、カウリの娘とエイダの間の子がマダラで無い場合はエイダを国父として直に太陽王宣下をするかもしれない。そうなった場合、カウリもまた国父の一人となる。これは非常に魅力的な選択肢と言える。


「カウリもなかなかどうして策士だな」


 苦笑いのノダはカウリを小突いた。仲のよい親族のじゃれ合いだが、カウリは少しだけ真面目な顔になった。


「真面目な話。ノダを含め跡継ぎがいない場合、どうするんだ?」

「それは……」

「おそらくはエイダに向かって降るように縁談が来るぞ?」


 ノダとゼルの眉根がグイッと寄った。


「エイダに歳の近い娘を持つ親が今からあれこれ画策を開始するだろうさ。嫁入りを先延ばしにしてエイダに嫁がせようとするだろうさ。そうなると、あちこち悲劇を生むんじゃないか?」


 カウリは『どうだ』と言わんばかりにゼルやノダを見た。策士の顔を隠すことすら無くなっていた。

 いよいよ針の筵になったか、ノダは話題を変えるように話をふった。 


「ところでその女は? 今はどこに?」

「あぁ、ガルディブルクの俺の屋敷で暮らしておるぞ。なかなか気が利く女でな。そばに置いておくと実に役に立つ。頭の回転が良いし端々に目が利くのじゃ。そう言う意味だと兄貴も一人くらいは妾を持ったらどうだ?」


 カウリの反撃にゼルが一瞬怯んだ。

 チャンスだ!とばかり反撃に出ようとしたカウリだが、ふと目をやったエイラが心底残念そうにしているのを見て気勢を殺がれた感が有った。

 ちょっとでは無くかなり残念そうなエイラ。そのとなりのゼルも普通にはしているのだが、じっくりと見ると眉尻が下がって不本意だと言う表情になっていた。


 その空気が不思議だったのかノダはゼルに尋ねた。

 何かを感じ取ったのかもしれない。


「なんでそんなのが気になるんだ?」

「あ、いや、単に興味だよ」

「ほんとか? なんだか随分前のめりだったように思うが」

「ん…… まぁ……」


 言葉を濁したゼル。

 チラリと横目でカウリを見た。


「カウリは女好きだなと思っただけだよ。イヌでもヒトでも、女なら見境なくなったのか?ってね」


 ゴマカシの言葉だと誰もが解る出任せだった。

 本人ですらも誤魔化せるとは思っていないフシがあるくらいだ。


「それに、女房は一人いれば充分だし、妾とか要らないからさ。良く解らない事は興味持つじゃないか」


 エイラの肩を抱いて自慢するように言うゼル。

 ほかならぬ太陽王直系の娘を妻と出来る人間がそういるわけじゃ無い。


「……ごちそうさん」

「砂糖をも吐くとはこれを言うのだな」


 ゼルの惚気を聞かされて微妙な顔をするカウリとノダ。

 しかし、ゼルの横顔を見ていたエイラだけは心底残念そうであった。

 その表情をカウリは不思議そうに見た。


「まぁ良い。北伐の工程については再検討しよう。カウリの騎兵師団も疲労が激しかろうて。しばらくは手控えて、暑くなる前に再検討し暑さが一段落する頃に再開とする」


 ノダの言葉で会はお開きとなった。

 各自部屋へともどって行くのだが、ゼルとエイラはワタラの部屋を訪れた。

 この時間。五輪男は文章の読み書きについて連日レクチャーを受けていた。

 会話は出来ても文字や文章読解については不可能な為、こういう場が必要なのだ。


「ゼル様。エイラ様も」


 教師役の騎士や文官が驚いている。


「すまぬ。ちょっと外してくれ」

「かしこまりました」


 そそくさと皆が出て行ったあと、ゼルとエイラは五輪男と向き合った。

 先ほどまでゼルが浮かべていた緩い表情が全部消えている。

 差し向かいになったまるで双子な男二人が緊張の面持ちだ。


「カウリが入手した妾はイヌのようだ」

「そうか」

「耳と尻尾が無いと言う事であれこれカマを掛けてみたのだが、どうも置屋崩れの遊女のようだ。カウリとの間の子を儲けたらしい」

「それは喜ばしいことだな」

「あぁ。それ自体は良い。ただ、カウリが戦場への道中でそんな女を拾うと言う事は、どっかにヒトの置屋がある可能性を考慮するべきだ」


 ゼルは懐の地図を出して五輪男へと見せる。


「この街道を通ってカウリは進軍した筈だ。あいつは騎兵だから進軍速度は速い。点々と野営をしながら前進した場合――


 ゼルの指は街道筋にある幾つかの街を指差す


 ――この辺りの街に近い場所で野営している公算が高い。と言う事は、この街の前後にヒトの置屋を持った遊郭なりがあるはずだ。ここへ人を送り込み調査させる」


 真剣な表情でゼルは段取りを示している。

 五輪男は黙ってそれを聞いていた。


「この街の名前は?」

「フィェンゲンツェルブッハと言うそうだ」

「随分面倒な名前だな」

「全くだ」


 二人して顔を見合わせクククと笑いをかみ殺す。


「ところで、下手を打ってないよな?」

「あぁ、勿論だ。お前が妻を捜していると言う部分は皆知ってるだろうけど、それについて俺やエイラは関係無いと言う事にしてある。もちろん、王もノダも関知していない」

「向こうに勿体つけて恩を売られたり、或いは誰かに借りを作ると後で面倒だから、細心の注意を払った方が良いな。弱みとして付け込まれると後が困る」

「あぁ。全くだ」


 同じアージンの一族ではあるが、ゼルやカウリやノダの太陽王一派と、元々はイヌの国を統一する上で敵対派閥だったフレミナの家系派は水面下で猛烈な権力闘争を続けている。王権内序列の上位七位までをシュサ王のシウニン一派が抑えている以上は王統をひっくり返すような無茶は出来ないだろう。

 だが、それを補って余りあるほどの交渉材料を敵対するフレミナ派が入手した場合。ノーリから続く直系で直接指名により続いてきた王統が途絶える事になりかねない。カウリの居るサウリ系からシュサの居るノーリ派へと送り込まれたゼルだが、元々は共にシウニン派なのだ。

 故に、フレミナ派に嗅ぎ付けられ、ゼルを窓口にワタラの件で取引を持ちかけられると後が困る。


「俺の我侭でゼル達が振り回されないよう気を付けてくれ。俺のせいでエイダが困る事も無いように」

「あぁ、解っているさ」


 ゼルはやっと静かに笑った。

 目の前のワタラ――五輪男が笑ったからだ。


「迷惑を掛けて本当にすまない」

「それはこっちの台詞だ。お前は何度も命の危険を犯してるんだ。こっちがこれ位しないと釣り合わないさ」

「イヌって義理堅いんだな」


 五輪男の目がゼルとエイラをジッと見た。


「一方的に負担を強いているんだ。これくらいしないとな」


 そうゼルが言うと、隣にいたエイラもゆっくり頷いた。


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