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受け継がれるもの

 ―――― 帝國歴 336年 10月 12日 深夜








「アッハッハッハッ!」


 ワインを舐めつつ快活に笑うゼルは、珍しく強かに酔っていた。


 小さな集落にある小さな宿の一室。

 カリオンとゼルは街道の小さな宿へと入った。

 わずか数名しか入れぬ小さな宿で、多くの騎兵は周辺民家に厄介になっていた。


 そんな小さな宿の一室にはいった太陽王は『誰も部屋に入れてはならぬ』と厳命し、その姿にゼルは長い夜を覚悟した。


 思えばこの十年。

 いや、シウニノンチュを出てからの十五年少々で、これだけ長い時間をゆっくりと語り合ったのは初めてだ。そして、酒を飲めるようになった息子にワインを勧めつつ、自分もまた酔える幸せをゼルはかみ締めた。


 親子で一緒に酒を飲める。


 文字にすれば実に僅かな事だが、その中身は言葉に出来ないほどのものがある。


 ――よく笑う男だな……


 ゼルと同じように笑い続けるカリオンは、ふと、ゼルをそう評した。

 そして、驚くほどの深さで思慮深く、また、注意深くあり、酔ってなおその思慮の深さと複雑さは目を見張るほどだ。一言を言葉にするにしたって、よくよく胸中で練られているのだった。


 思えば、幼き日々にはふたりの父の膝の上にいつも自分はいた。

 ゼルがあのような形で死を迎えた後、五輪男は日になり影になりカリオンを導いた。新たな世界へと飛び込み様々な人間と触れ合い、そして、ややもすれば手に余るモノを与えられたカリオンは、仄暗い悪意の見え隠れする者たちとも顔をあわせてきた。


 ――父も同じだったのだろう……

 ――でも、この境地までたどり着けるだろうか……


 ふとそんな不安を持ったカリオン。

 だが、その父ゼルはそんな息子の不安までも見抜いていた。


「思えば……」


 ワイングラスに残っていた地場産のワインを飲みきって新たに注いだゼルは、カリオンのグラスにもワインを注いだ。透き通るようで色の付いたロゼの彩りがランプの明かりを通して純白のテーブルクロスに色付きの影を落とす。


「おれがこの世界へ落ちてきたのは二十四の時だった。三十になった頃にはもうお前が生まれていた。だが、お前の年と同じ頃の俺は……」


 ゼルは物憂げな表情に笑みを添えて息子を見ていた。

 複雑な育ちをしてきた五輪男にとって、カリオンは羨ましいほどだった。


「お前は良くやっている。俺から見ても驚くほどだ。同じ歳の時に同じ立場に居たなら、俺はとっくに何かデカい失敗をやらかしていただろうな」


 策を弄さずまっすぐな言葉でカリオンを褒めたゼル。

 その温かい言葉にカリオンは涙ぐんだ。


「……ありがとうございます」


 ウンウンと首肯したゼル。


「本来ならもっと褒めてやりたいところだ。だが、お前は余りにも多くの人々の運命を背負っている。その重責は俺には想像も付かない。そして、多くの者がお前の歓心を買う為に無理をするだろうし、耳の痛い言葉を言わなくなるだろう。手にした立場や肩書きや、そういったものを全て失ってでも諫言する者が居なければ、王は容易く堕落してしまう。だから俺はお前を叱責しなければならない。家臣たちの誰も出来ない事を俺がせねばならない。そして……」


 もったいぶった様にひとつ息をついたゼル。

 ワイングラスを持ち上げもう一口流し込んだ後で、天井を見上げた。


「お前を支える家臣たちは、難しい判断の時に必ず誰もが上を見る。自分で責任を取り切れない時は上の者に責任を明け渡す。そして段々と責任が上にあがっていって、その終点にお前がいる。お前はもう上が無いのだからな」


 突き刺さるような言葉がカリオンを打ち抜いた。

 何処にも逃げ場の無いその立場の難しさを父は理解していた。

 それだけの事だが、絶望的なまでの『孤独さ』を父は見抜いていた。


「頂点に立つ者の孤独さは、そこにたどり着いたものしか解らぬ。誰もが知るものじゃ無いのだ。そして、それを理解せぬ愚かな者は、支配者が万能であると勘違いしている。実際には常に細心の注意を払わねばならぬ事を解っていない」


 ワイングラスをテーブルへと戻したゼルは、少々下品にゲップをひとつこぼし、そして肴にと用意されていたチーズなどを摘んで口へと運んだ。


「結果を残さぬ者を咎めなければ、部下は手を抜くようになるだろう。だが、王の歓心を引くためにその部下へ無茶をさせた者も、同じようにしっかり咎めなければ成らない。そのさじ加減は…… 学ぶしかないのだよなぁ」


 淡々と語るゼルの胸中を理解するほど、まだカリオンは育っていなかった。

 ただ、様々なヒントから慮る事を学びつつあるのも事実だ。


「だから父上は諸国を歩けって言ったんだね」

「そう言うことだ」


 遠慮なく平素な言葉で。

 市井に暮らす、何処にでもいるような父と子の会話を満喫するカリオン。

 この宝物のようなひと時は、カリオンの心に少しずつ溜まっていたストレスを洗い流すシャワーのようだ。


「まだまだ経験が必要だ。ただな、俺はどんな時でもお前の味方だ。ただし、耳の痛い事は遠慮なく言うぞ? 諫言を失った翼賛の親衛隊ばかりになると、王は放漫に堕落する」

「……よろしくお願いします」


 嬉しそうに笑ったカリオンもワイングラスを手に取った。

 既に小さな樽ひとつくらいは飲んでいそうだが、それでもまだまだ呑みたい気分だった。ただ、世界がこの親子を放って置いてはくれない事を、唐突なドアノックの音が思い出させるのだった。


 ――お寛ぎ中のところ、大変失礼いたします!


 すぐさま不機嫌に『何ごとだ!』と声を上げそうになったカリオン。

 だが、その機微を察したゼルは素早く手を上げ、カリオンの動きを制した。

 そして『こうするんだ』と言わんばかりに大業な仕草で身体の向きを変え、ワインで喉を湿らせてから低い声を発した。


「何ごとか。夜更けゆえ静かに入ってまいれ」


 ――失礼いたします!


 カリオンはゼルの振る舞いをジッと見ていた。

 その視線の先にいるゼルは一度視線を床へと落とし、ゆっくりと部屋へ入ってきた者を見据えた。参謀部に所属する分析官の男は、手にしていたメモの用紙を落としそうなほどに緊張していた。

 太陽王の部屋へ入るという事ではなく、視線を送ったゼルの、その眼差しの強さに打ち据えられたという感じだ。


「何かあったのか?」

「はい。今しがた光通信による報告が届きました。まずはこちらを」


 参謀の差し出した書面には、光通信で送られてきたソティス城界隈の戦況情報がびっしりと書いてあった。


 ――前日深夜、ソティス城より北方騎兵団が出撃。目的地は不明。

 ――払暁の頃、大規模輸送団がソティス城へと到着。

 ――日中に交戦は無し。

 ――夕暮、輸送団を護衛していた騎兵が馬車を護衛しソティス城を出発。

 ――夜半、騎兵団の炊煙稀なり。戦力大幅減耗と見ゆ。


 ゼルとカリオンが報告書を読み終わって顔を見合わせているなか、参謀はもう一つのメモを取り出した。


「先般、北西の荒地で会戦した後ですが、本日夕方ごろ、フレミナの騎兵団と思しき砂塵を見ゆとの報告です。どうやら大きく北へ迂回して荒地へと入ったようですが、我が軍により埋葬の終った後ですので、彼らも驚いている事でしょう」


 口元に手を宛てて考え始めたカリオン。

 だが、ゼルはすぐに行動を開始した。


「ここにいる兵力の手持ち糧秣を再計算し、行軍可能範囲を算定するんだ。場合によってはもう一度フレミナ北方騎兵とやりあう事になる。それと……」


 一瞬口ごもって思案に暮れたゼル。

 その続きはカリオンが発した。


「周辺の街道を封鎖しソティス城へ突入するんだ。城内からフレミナ一派を追い出し、先に向かった集団に合流させる。そして、そこで殲滅しよう」


 カリオンはゼルを見た。

 これで良いか?と言わんばかりの表情だ。


「そうだな。あの荒地がフレミナ首脳陣滅亡の地になろう。残念だが情け無用だ」


 ──いよいよ最終局面だな


 ふとそんな事を思ったゼルは、自信を見せる息子カリオンを頼もしそうに見ていた。


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