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臨機応変


 ―――― 帝國歴 336年 10月 11日 夜


               ソティス城内部






 古都ソティスでフレミナ北方騎兵と接触から一週間が経過した。

 相変わらず手強い寒立馬の騎兵たちだが、さすがに一週間も会戦すれば騎兵は目に見えて数を減らしていた。

 ル・ガル国軍側が慎重に距離を取り、矢を使って削り続けてきた効果が現れてきたのか、最初に激突した時に比べれば、体感的には半数以下と言うレベルにまで減少しているのだった。


「なんだと!」


 声を荒げ驚いているオクルカは、あまりの衝撃にそれ以降言葉を失った。遠くフレミナの里から延々と運んできている様々な糧秣の中には、寒立馬を維持する上で欠かせない貴重な飼料が含まれている。その全て失われたと言う報は、フレミナ北方騎兵にとって生命線ともいえるものの喪失にほかなら無かった。


「そんなに驚くな。必要とあれば城の食糧庫を開けさせればよい」

「いや、それでは足りぬのですよ。お爺さま」


 事も無げに言ったフェリブルの言を間髪入れずに否定したオクルカ。

 寒立馬の強靱な身体は、北方の野辺に咲く滋養に満ちた薬草の如き青葉で維持される。その干し草ともなると、より一層の熟成が進む事により、栄養価は数倍に跳ね上がるのだ。

 強靱なアスリートの肉体を維持する特性プロテインのように、寒立馬の密度の高い筋肉を維持する飼料はル・ガルの中原には一本たりとも生えていなかった。


「……北方からの輜重団列を護衛しろ。城の騎兵を抜いていって構わぬ」

「おいおいオクルカ。それでは勝てぬでは無いか」

「短期決戦では勝てぬ相手です。持久戦ともなれば『ならぬぞ!』はぁ?」


 フェリブルはいつの間にか顔色を変えていた。


「ならぬならぬ! ぜったいにならぬ!」


 ……また始まりおった

 そんなウンザリな表情でフェリブルを見ていたカウリは、『ほっとけ』と言わんばかりに手を振ってオクルカを部屋から出そうとした。しかし、オクルカも空気が読み切れず『なんですか?』と聞いてしまったのだから始末が悪い……


「あの高邁な小僧の鼻をへし折ってやるまで! ル・ガル騎兵に打ち勝つまで戦力を割くなどゆるさん! 短期決戦で勝ちきれば良いのだ! あの小僧の首を持ってくるまで一兵たりとも戦線を離れる事はまかり成らん!」


 要するにメンツの問題かと思ったオクルカだが、フェリブルは大まじめな顔で激昂しているのだった。


「大体だな。年長者の顔をも立てられないバカに帝王が務まるか! 幼長の差を弁えぬ者に王の資格などない!」


 何とも横暴な言葉を吐いてへそを曲げているフェリブルは、オクルカを打ち据えるように睨み付けていた。そして、言葉の暴力はとどまる事を知らぬのだった。


「あの小僧に必ず勝つんだ! そして、私の前にあの小僧の首を持って来い!」


 もはやフェルブルに物事の判断は付きそうに無い。

 カウリはそう結論づけて冷ややかな眼差しを送り続けた。


「……畏まりました。必ずや『そんな必要ないぞ』


 オクルカの言葉を遮ったカウリはゆらりと椅子から立ち上がった。

 その姿を見ていたフェリブルは一瞬だけ身体をびくりと震わせたのだが、カウリは一切気に止めていなかった。


「オクルカ。お主は明日にでもフレミナの里へと戻り戦力の温存を図れ」

「ですが伯父上」

「いや、良いのだ。時には冷徹に振る舞え」

「はぁ……」


 少々納得のいかぬオクルカは、少しだけ困った様な表情でいた。

 その姿を楽しそうに眺めたカウリは、クルリと振り返ったフェリブルを見た。

 振り返ったそのカウリの姿は、一言でいえば『鬼』だった。


「のぉ、フェリー」


 一振りの太刀も剣も佩いていない丸腰の姿なカウリだが、フェリブルにしていれば押し殺した声で名を呼ばれるだけで袈裟懸けに斬られたような威力を感じた。その視線の先。カウリは心底ウンザリな表情を浮かべているのだが、何かを思い出したように歩み寄ってフェリブルの胸ぐらを掴んだ。


「ちょっと歯を食いしばれ」

「なっ! なにをす…… パギャ!」


 カウリの右手が拳型の鈍器となりフェリブルの顔を捉えた。

 一撃、二激、三激とフェリブルの顔を殴ったカウリは、そのまま十数発と殴り続け、指折り数えて三十数発目で手を止めた。


「どうだ? 夢は覚めたか?」

「ふぁっ? ふぁふぃ?」

「明日からお主が騎兵の先頭に立て。儂が支援するでな。心配要らん」


 殴られた痛みも忘れ唖然とした表情になったフェリブルは、フルフルと首を振って拒否の姿勢を示した。


「嫌がろうと拒否しようと関係無い。王は最戦前に立つべし。それは統一王ノーリの時代からの伝統じゃ。そして、賊軍討伐の大義名分で来たカリオンだが、それを返り討ちにしたとあってはフレミナ家の名前は大きく売れるだろうさ」


 恐ろしい形相になったカウリは一気に畳み掛けた。

 幾多の合戦で騎兵の先頭に立った騎兵総長の気迫をまとってだ。


「北方騎兵はのちの決戦で役に立ってもらう都合がある」

「ならぶぁ いむぁへっへんふぃおぉべぶぁ」

 (ならば今、決戦に及べば)


 両頬を散々殴られ鼻血を出しているフェリブルは、まろもに喋ることすらも出来ない。そんなフェリーを捕まえたまま、カウリは更にギアを一段上げて凄んだ。


「北方騎兵に食わす飯がないんだよ。わかるか?」


 三白眼でグッと睨みつけたカウリの迫力に、フェリブルはもはや言葉にならない状態だ。ただただ、首を振って拒否の意思表示をしているのだが、カウリはそんなものを頭から無視していた。


「この城の住人は郊外の耕作地から食料を運び込んで暮らしている。だが、その量は十分とは言い難い。備蓄していた馬の飼料は農耕馬向けのものだ。それを取り上げて喰わしてしまっては、その後に城の住民はどうするのだ。お前さんの言うことをなんでもハイハイと聞く住人ばかりでは無いのだぞ」


 カウリの右手が再び轟音を立ててフェリブルへとぶつかっていった。今度は腹部目がけ鋭い一撃が入ったのだ。身体をくの字に曲げて悶えるフェリブルだが、カウリは遠慮することなくガンガンと殴り続けた。


「一日や二日なら北方騎兵も体力があるだろうさ。だが、その後が続かないのはお前さんの間抜けな頭でもわかるだろう」

「ならヴぁそれまでに勝ちきれヴぁ良いでばないぐぁ」

「輜重段列を先に襲ったカリオンの戦略がまだ判らぬか! この痴れ者め!」


 再びフェリブルの顔面に一発お見舞いしたカウリは吐き捨てるように言った。


「お前さん程度の馬鹿じゃ国民は支持をせんのだ。それともなにか? ル・ガルで恐怖政治でもやるか? お前さんは政治を知らなすぎるんじゃ!」


 この時カウリは、かつて嫁いで来たばかりの妻ユーラがこぼした愚痴の本当の意味をはっきりと理解した。

 猛烈な主導権争いの中にあって権益を奪い合う構造のフレミナでは、フェリブルを担ぐ一派がその争いを制したのだろう。その後に何が行われたのかを思えばユーラがカウリにこぼした言葉の中身が手に取るように良くわかる。

 主導権を握った後に行うことと言えば、先ずは政敵を徹底的に潰すことでしか無い。粛清に次ぐ粛清で敵対していた一派を骨抜きにし、自身の安全を確保するのが最優先だったのだろう。


「儂の女房が良く言っていた。担ぐ御輿は軽い方が良い。お前さんはそれにうってつけだったということだ。この馬鹿者め!」


 カウリは不服そうにフンッ!と鼻をひとつ鳴らし、胸倉を掴んでいたフェリブルをソファーへと投げ捨てた。ドサリと音を立てて着地したフェリブルは呆然としつつもカウリを見上げているのだが……


「伯父上殿……」

「オクルカ。おぬしはこんな下らん戦で消耗する事は無い」

「しかし、それでは騎士の精神に悖ります」

「ならば明日は儂の供をせい」


 カウリはもう一度フンッ!と鼻を鳴らしてフェリブルを睨み付けた。


「この木偶の坊の首に縄を掛けてでも戦場へと引っ張り出す」

「しかし……」

「生きるも死ぬも時の運じゃ。運の悪い王では民衆もたまらん」


 カタカタと無様に震えだしたフェリブルは懇願するような眼差しでカウリを見上げた。しかし、そんな眼差しですらもカウリは一行だにせず、むしろ椅子の足を蹴り上げた。見事に椅子の足をへし折るほどに。


「おい木偶の坊。良いか良く聞け。お前さんが夢見る野望に付いては今さらなにも言わん。ただな、その野望は自分の手で掴み取れ。誰かを使って犠牲にして踏み台にしてやるんじゃない。自分が先頭に立て。それが出来ないなら今すぐ北のあの糞田舎に引きこもって、死ぬまでグズグズ泣き言を言っていろ。いいな?」


 キツイことこの上ないカウリの言に激昂したのか、フェリブルは飛び跳ねて起き上がりカウリに掴みかかろうとした。だが、悲しいかな。カウリにしてみれば春のそよ風が如しだ。

 見事に弾き返されたフェリブルは足の折れたソファーへと逆戻りし、そのままバランスを崩して後ろへとひっくり返った。ギャンッと情けない声を出して転がったフェリブルはしばらく寝転がったままだったのだが、ややあって大声をあげ床のカーペットを掻き毟ってジタバタと暴れつつ、デタラメな言葉を喚き続けていた。


 ――血が濃すぎるんだ……


 ふと、カウリはそんな結論に達した。

 跡継ぎが居らず滅びそうなアージン一門のイスカリクルは、生まれ来る男子が全て出生異常を起こすか五歳になる前に精神薄弱や状態異常だと診断されていた。

 フレミナの中でも特に血の濃いフリオニール以来の直系子孫でフェリブルの息子はフェルディナンドただ一人。それ以外には男子がいない現状だと、フェルディナンドを最後にフリオニールの血は絶える事になる……


 ――哀れよの……


 誰がどう見たって気が触れたとしか思えない姿をしているフェリブルは、自分自身の中にある怒りや恨みといった感情をどう御する事も出来ず、まるで背に火の付いた獣がめちゃくちゃな暴れ方をするが如くに床を転がり続けていた。








 ―――― 帝國歴 336年 10月 12日 

     午前9時 古都ソティス郊外 太陽王御座幕屋




 カリオン幕屋では、国軍側の首脳が集まって打ち合わせに勤しんでいた。

 音吐朗々に戦況説明を続ける専務幕僚の声が続き、みなは安堵の表情だ。


「順調ですな」


 ジョージの一言に首肯を返したカリオンは、ゼルと並び戦況を見守っていた。

 そのカリオンの周囲にはジョージを初めとする国軍関係者の高階層な面々が勢ぞろいしていて、『太陽王の個人的事情』による出撃を聞いた有力貴族たちが『個人的な事情』を理由に地元の騎兵を引き連れ続々と着陣し続けているのだった。


「まだ増加しそう?」

「そうですね……」


 手帖をめくって状況を確認するウォークは指を折って数えている。すでにカリオン側の総戦力は十五万に手が届くところまで膨れ上がっていて、それだけでなく、騎兵を出せぬ貴族たちが『存分に御使いくだされ。太陽王万歳』と親書を携えた輜重段列を送り込んでいた。


「先ほど到着した東部ノイマン伯爵家からの陣中見舞い品の護衛騎士を入れて、ざっと十五万六千と言うところでしょうか」


 古都ソティスから三リーグ程の所に作られた前線本部は小さな都市の様相を呈しはじめ、王都で買えるモノはなんでもここで手にはいるようになっていた。また、官給品の食料だけでなく、王都から出張ってきた商人達による出張店舗が機能し始めていて、多くの騎兵や歩兵たちが小腹を満たす菓子やらを買い求めていた。

 都市が持つ許容量の二倍以上を飲み込んだ古都ソティス内部では着々と餓え初めているというのに、何も無い平原だった所へ着陣した太陽王の御膝元は栄える王都と地続きのような雰囲気になっていた。


「……やれやれ。大事になってきたな」


 苦笑いでその報告を聞いたゼルはカリオンの肩をポンと叩いた。


「国民はお前に期待しているぞ」

「裏切らないように頑張らないといけませんね」

「その通りだ」


 凡そ八万対七万で始まった合戦は十日程経過した時点で十五万対三万弱へと移り変わった。こうなればもはや作戦参謀の仕事など無いに等しい。フリート少佐とアジャン少佐の隊にそれぞれ三万程度の兵を預けたカリオンは『自由にやって良し』の裁可を与えた。

 そして、後から参陣してきた三人の少佐。西方系のヘルマン少佐。北方系のニコラトフ少佐。南方系のシン少佐にもそれぞれ三万程度の兵を与えている。この五人共に『自由にやって良し』の許可を与えたのだが、平原での決戦はもはや少佐たちによる手柄争いの様相を呈し始めている。そしてそれは参謀総監ゼルの目を通してみるなら『敵も災難だな……』と溜息混じりにこぼしたくなるレベルであった。


「で、スペンサー卿」

「あぁ。例の件か」

「そうだ。どうなってる?」

「今朝の報告では……


 ジョージスペンサーも小さな手帳を出して情報を整理している。

 こういった細々とした部分での几帳面な対応こそイヌの美点でもあった。


「フレミナ支配地域からの輸送団は一切見受けられないとの事だ」

「そうか。なら、そろそろか」

「……と言うと?」


 答えを知っていると言わんばかりの表情でビーン子爵が続きをせがんだ。

 ゼルもゼルで『性格悪いぞ?』と言わんばかりの表情だ。


「ソティスの中は相当悲惨になっていることだろう。あの巨大城塞都市は内部耕作面積が殆ど無い筈だ。オマケに城外の耕作地はフレミナ騎兵が散々踏み荒らしているときた。住民の我慢もそろそろ限界だろうな」


 そもそもにボルボン家が市民を護るべく構築した巨大な城壁は、内部における耕作地を殆ど考慮に入れていないつくりだった。複層階に分かれた積層型住居の屋上などで細々と家庭菜園レベルの耕作が営まれているものの、その収穫量は都市在住人口を賄うとはいえないレベルだ。

 巨大都市ゆえに周辺から運び込まれる食料は膨大で、その維持管理や城内流通を巡って幾つもギルドが組まれ、商人組合や流通組合が分担して面倒を見ている状態といえるのだが……


「フレミナ兵はどうしてるでしょうかね?」

「さぁな。内部を見たわけでは無いから……」


 ゼルはまるで他人事の様に斬って捨てた。


「大切な事は、このままフレミナ騎兵に全滅を願うことだ」


 遠く砂塵を上げて駆けている騎兵たちを指差したゼルは薄く笑った。

 五つの集団が寄って集ってフレミナの北方騎兵を攻撃していく。どれ程に撃たれ強い寒立馬であろうと、休息浅く補給も悪く、何より五倍の兵力と戦い続ける事による疲労は如何ともしがたい常態だ。


「さて、そろそろ仕上げと行きますか」

「ほほぉ。何か策が?」


 すかさず手帳を出したビーン子爵はゼルの言葉を待った。


「策と言うほどでもない。ただな、負けを植えつける事が必要なのさ」

「……と、言いますと?」


 数歩進んだゼルはクルリと振り返ってカリオンを指差した。


「お前の出番さ」

「そう来ると思ってました」

「判ってきたな」

「あなたの息子ですよ?」

「……そうだな」


 はっはっはっ!と笑いながら歩き出したカリオン。

 その動きにピクリと反応したジョージスペンサー直卒の近衛第一騎兵隊は、カリオンの後に続いて一斉に支度を始めた。それを暖かな目で見ていたカリオンは短いマントの右止めを外し、右腕を自由にして剣を抜いた。


「諸君! 散歩の時間だ。ちょっとそこまで付き合ってくれ」


 軽い長子で声を上げたカリオン。

 だが、暇を持て余していた騎兵たちも一斉に剣を抜いて歓呼で答えた。


「では父上」

「うむ。深追いはするなよ」

「解りました。ちょっと運動してきます」


 モレラに跨ったカリオンはジョージを連れて駆け出した。

 その後姿を見送ったゼルは、決戦の時が近づいて居るのを感じていた。






 ――それから小一時間ほど後……




「急報! 急報!」


 カリオンが直接率いる騎兵の波をぬい、一騎の伝令兵がゼルの幕屋へと飛び込んできた。もはや心配あるまいとイワオを相手にお茶などしばいていたゼルたが、急報という言葉に背筋がゾクリと震えた。


「どうした?」


 ゼル自身が不思議なくらいに言葉が震えた。

 やや薄くなっていたとは言え、刑事の勘がふわりと舞い戻ってきたらしい。

 様々な事を一瞬で考えたゼルは、その答えの出ない思考を脳内から追い出した。


「北西部プリコス峠の屯所が緊急警報の狼煙を上げた後、如何なる手段を用いても沈黙との由にございます。ミール地方管領ケスラー侯爵麾下、男爵フェルディナンド・ノイマン公が手勢五十騎を率い確認に向かったところ、フレミナの輸送団と遭遇し合戦に及びましたが善戦虚しく敗北。ノイマン卿は最期の突撃を敢行したとのこと!」


 参謀陣が色めき立つ中、ゼルはまず伝令に『ご苦労だった』と茶を振る舞った。

 ややあって人心地ついたらしい伝令に『王都へ』と伝令を命じた。


「ソティス西部山岳地帯の峠に繋がる街道を全て封鎖する。山並みに挟まれたこの街は本格的に干上がるだろうから、王都より食糧支援を行うように伝えよ。太陽王の勅命であると」

「承知!」


 伝令が幕屋を飛び出して行き、そのまま人混みに紛れ見えなくなった。

 馬の上手い男だなと呟いたゼルは、呑気に鬼ごっこ状態なカリオンを見ていた。


「王をお呼びになりますか?」

「いや、ここであの北方騎兵を潰して貰おう」


 カリオンの所在を示す太陽をシンボライズした軍旗が戦場を自在に駆け巡り、その旗に追い立てられるような黒と青の旗が逃げ回っていた。その旗はフレミナ王フェリブルの所在を示すもので、カリオンはまるでなぶり殺しにするように包囲の輪を狭めては緩め、また狭めては緩め、ジワジワと圧力を強めていくのだった。


「では、輸送団は?」

「俺が出向く。手の空いてる騎兵はどれくらいだ?」


 ゼルの問に指を折って勘定した白尾種の老参謀は、ややあって『ザッと五千と言うところですな』と答えた。


「なら、それを俺の一存で持ち出す」

「え?」


 幕屋の中で地図を再確認したゼル。

 プリコス峠から山道を下り細い街道へ出たフレミナ輸送団は、ここから推定で五十リーグほどの距離な筈だ。馬車による輜重段列は一日平均で十リーグを進む。つまり、約五日で到達する。


「伝令は休み無く駆けたな」

「そうですね」


 辺りの参謀もゼルが何を考えているのか理解していた。恐らく輸送団は四十リーグ弱まで距離を詰めているはず。明朝にここから早駆で向かって行っても十リーグ少々の彼方で戦う事になる。


「より遠くで別勢を叩け。兵法の基本だな」


 マントを羽織って幕屋を飛び出たゼル。

 幕屋の外では手回しの良い事に馬が用意されていた。


「イワオ! カリオンが遊びに満足して帰ってきたら、ありのままを伝えろ」

「僕は留守番ですか?」

「ペイジの役目はそう言うところだ」

「……はい」


 少々不本意と言わんばかりのイワオはしょんぼりとしていた。だが、それを意に介さず馬を返すと、そこには先程の老参謀が馬に跨がって指示を待っていた。


「……何をしている?」

「同行の準備ですよ」


 気が付けば半数ほどの参謀が馬上にあって出撃の支度をしていた。そして、その向こうでは留守番になっていた予備兵力の騎兵たち居並んでいて、出撃の命令を今や遅しと待ち構えていた。


「……全く。どいつもこいつも遠足前の子供みたいな顔しやがって」


 そう吐き捨てたゼルだが、当の本人も同じ様に笑っているのだから始末に悪い。もう三十年使っている愛刀を腰に下げた後、ゼルは右手を挙げて差配を送った。


「未だ王の了解はない。故にこれは前線逃亡罪のおそれがある。それでも良い者だけがついて来い。言っとくが、俺は先に止めたからな?」


 ニヤリと笑ったゼルは再びクルリと振り替えって馬を出した。

 その後ろに続々と騎兵が続き、これなら心配なかろうとゼルはホッと安堵した。


 ──カリオン。お前も上手くやれよ


 内心で一人ごちたゼルたが、ふとなにか表現出来ない違和感を覚えた。

 もう一度カリオンの顔を見たい。そんな事を思ったのだ。


 ―─まぁいいか……


 遠く目をやった合戦の現場では、王の所在を示す軍旗が右に左にと縦横無尽に走り回っている。その砂塵を目で追ったゼルは軽く微笑んだ後、腰を浮かして急行軍を始めた。


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